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アユタヤの寺院遺跡、ワット・ヤイ・チャイ・モンコン紹介の続きです。1357年、アユタヤを建都した初代ウートン王が、セイロン(現スリランカ)に留学中の修行僧たちの瞑想のために建てた寺院とされます。プルメリアやブーゲンビリアが、その廃墟に彩りを添えていました。(ウィキペディア、るるぶ・タイ)

2013冬、タイ王国旅行記2(22/34):2月5日(7):アユタヤ遺跡、ワット・ヤイ・チャイ・モンコン、プルメリア

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2013/02/03 - 2013/02/07

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旅人のくまさん

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アユタヤの寺院遺跡、ワット・ヤイ・チャイ・モンコン紹介の続きです。1357年、アユタヤを建都した初代ウートン王が、セイロン(現スリランカ)に留学中の修行僧たちの瞑想のために建てた寺院とされます。プルメリアやブーゲンビリアが、その廃墟に彩りを添えていました。(ウィキペディア、るるぶ・タイ)

  • ワット・ヤイ・チャイ・モンコンの仏塔の上から眺めた境内の光景です。黄色の袈裟を着た仏像が仏塔を取り囲むように、長く連なっていました。ワット・ヤイ・チャイ・モンコンは、アユタヤ王朝時代の1357年に造られました。アユタヤ王朝の初代王の『ラーマーティボーディー1世(在位:1350~1369年)』の時です。

    ワット・ヤイ・チャイ・モンコンの仏塔の上から眺めた境内の光景です。黄色の袈裟を着た仏像が仏塔を取り囲むように、長く連なっていました。ワット・ヤイ・チャイ・モンコンは、アユタヤ王朝時代の1357年に造られました。アユタヤ王朝の初代王の『ラーマーティボーディー1世(在位:1350~1369年)』の時です。

  • 同じく、ワット・ヤイ・チャイ・モンコンの仏塔の上から眺めた、境内とその周りの光景です。眼下に、白い花を咲かせたプルメリアの古木の光景がありました。ラーマーティボーディー1世は『ウートン王』とも呼ばれます。日本で例えれば、『室町時代(1336~1573年)』のことになります。

    同じく、ワット・ヤイ・チャイ・モンコンの仏塔の上から眺めた、境内とその周りの光景です。眼下に、白い花を咲かせたプルメリアの古木の光景がありました。ラーマーティボーディー1世は『ウートン王』とも呼ばれます。日本で例えれば、『室町時代(1336~1573年)』のことになります。

  • 夥しい仏陀像が並んだ境内の光景です。仏陀像には、一様に黄色の袈裟が掛けられていました。鬱蒼と茂った樹木が、この一帯を厳かな雰囲気に包みこんでいました。ざっと目算して20体以上の仏坐像です。タイの仏像の特徴の一つが、仏陀中心で、それ以外の如来像や菩薩像が少ないことにあるようでした。仏陀の高弟子の像も、目にしませんでした。

    夥しい仏陀像が並んだ境内の光景です。仏陀像には、一様に黄色の袈裟が掛けられていました。鬱蒼と茂った樹木が、この一帯を厳かな雰囲気に包みこんでいました。ざっと目算して20体以上の仏坐像です。タイの仏像の特徴の一つが、仏陀中心で、それ以外の如来像や菩薩像が少ないことにあるようでした。仏陀の高弟子の像も、目にしませんでした。

  • 直近から見上げた、大仏塔のその周りの光景です。石段を登った正面に仏坐像が祀られていました。その仏陀坐像を取り囲むように、赤い花が咲いたブーゲンビリアの鉢が置かれ、プルメリアの古木の枝も白い花を咲かせていました。推測も入りますが、赤煉瓦見えている部分は、元々は白漆喰で、表面が化粧されていた痕跡が残されていました。

    イチオシ

    直近から見上げた、大仏塔のその周りの光景です。石段を登った正面に仏坐像が祀られていました。その仏陀坐像を取り囲むように、赤い花が咲いたブーゲンビリアの鉢が置かれ、プルメリアの古木の枝も白い花を咲かせていました。推測も入りますが、赤煉瓦見えている部分は、元々は白漆喰で、表面が化粧されていた痕跡が残されていました。

  • 石段を登った正面に祀られていた仏陀坐像のズームアップ光景です。長い時間による自然の劣化と思われる部分は多少ありましたが、無傷に近い仏陀坐像でした。袈裟と呼んだ方がいいのでしょうか、黄色の幅広の襷と、オレンジ色に近い細い襷が二重に掛けられていました。タイ人の美的感覚と、仏陀に対する信仰心の篤さを垣間見た思いがしました。

    石段を登った正面に祀られていた仏陀坐像のズームアップ光景です。長い時間による自然の劣化と思われる部分は多少ありましたが、無傷に近い仏陀坐像でした。袈裟と呼んだ方がいいのでしょうか、黄色の幅広の襷と、オレンジ色に近い細い襷が二重に掛けられていました。タイ人の美的感覚と、仏陀に対する信仰心の篤さを垣間見た思いがしました。

  • 少し斜めになる麓から見上げた、大仏塔の光景です。現在では、どこででも仏像を見ることができますが、釈迦が生きていた当時をはじめ、釈迦が入滅した後、数百年経っても仏像を見ることはできなかったようです。その理由は、仏像を作ることがタブーとされていたと推測されています。現在でも偶像崇拝を厳しく禁止している宗教がありますから、あり得ることと考えたが自然のようです。

    少し斜めになる麓から見上げた、大仏塔の光景です。現在では、どこででも仏像を見ることができますが、釈迦が生きていた当時をはじめ、釈迦が入滅した後、数百年経っても仏像を見ることはできなかったようです。その理由は、仏像を作ることがタブーとされていたと推測されています。現在でも偶像崇拝を厳しく禁止している宗教がありますから、あり得ることと考えたが自然のようです。

  • 名前:『プルメリア』<br />分類:キョウチクトウ科インドソケイ属<br />分布:中南米、カリブ海諸国の原産。<br />その他:17世紀のフランス植物学者のシャルル・プリュミエに因む名前です。葉の姿はありませんが、無数に伸びた枝が長い年月を偲ばせる古木でした。

    名前:『プルメリア』
    分類:キョウチクトウ科インドソケイ属
    分布:中南米、カリブ海諸国の原産。
    その他:17世紀のフランス植物学者のシャルル・プリュミエに因む名前です。葉の姿はありませんが、無数に伸びた枝が長い年月を偲ばせる古木でした。

  • 隣接した二体の仏陀坐像の間から眺めた石塔の光景です。ところで、『仏像』についての紹介です。仏像とは、もともとは仏教を始めた釈迦の姿のことです。今から約2500百年前、釈迦はさまざまな修行ののち、悟りを開いて『ブッダ(Buddha)になりました。ブッダとは『悟りを開いた人』という意味です。中国では、『ブッダ』を当時の中国語に訳さず、『仏陀』という漢字に音訳しました。この『仏陀』が省略されて日本では、『仏(ぶつ、ほとけ)』という言葉になりました。つまり、『仏像』とは、『ほとけの像』のことで、狭い意味では『悟りを開いた釈迦』のことを指します。

    隣接した二体の仏陀坐像の間から眺めた石塔の光景です。ところで、『仏像』についての紹介です。仏像とは、もともとは仏教を始めた釈迦の姿のことです。今から約2500百年前、釈迦はさまざまな修行ののち、悟りを開いて『ブッダ(Buddha)になりました。ブッダとは『悟りを開いた人』という意味です。中国では、『ブッダ』を当時の中国語に訳さず、『仏陀』という漢字に音訳しました。この『仏陀』が省略されて日本では、『仏(ぶつ、ほとけ)』という言葉になりました。つまり、『仏像』とは、『ほとけの像』のことで、狭い意味では『悟りを開いた釈迦』のことを指します。

  • 若々しく、ふくよかなお顔をした仏陀坐像の光景です。きりりと結んだ、口元などには、まだ修行中の仏陀の雰囲気もありました。現在では座禅の時の標準にされている『結跏趺坐(けっかふざ)』と呼ばれる座り方のようでした。胡坐をかき、右足の甲を上に乗せた、『半跏趺坐(はんかふざ)』と呼ばれる座り方のようです。

    若々しく、ふくよかなお顔をした仏陀坐像の光景です。きりりと結んだ、口元などには、まだ修行中の仏陀の雰囲気もありました。現在では座禅の時の標準にされている『結跏趺坐(けっかふざ)』と呼ばれる座り方のようでした。胡坐をかき、右足の甲を上に乗せた、『半跏趺坐(はんかふざ)』と呼ばれる座り方のようです。

  • 『ワット・ヤイ・チャイ・モンコン』の仏塔と花壇に植栽されたプルメリアの光景です。想像ですが、仏塔などと同じ年月を経ているようにも見えました。ただし、ネット検索では、プルメリアの寿命を知ることが出来ませんでした。プルメリアは、キョウチクトウ科インドソケイ属に属する植物の一般的な総称です。通常は落葉樹で、小灌木です。17世紀のフランス植物学者の『シャルル・プリュミエ(1646~1704年)』に因む名前です。

    『ワット・ヤイ・チャイ・モンコン』の仏塔と花壇に植栽されたプルメリアの光景です。想像ですが、仏塔などと同じ年月を経ているようにも見えました。ただし、ネット検索では、プルメリアの寿命を知ることが出来ませんでした。プルメリアは、キョウチクトウ科インドソケイ属に属する植物の一般的な総称です。通常は落葉樹で、小灌木です。17世紀のフランス植物学者の『シャルル・プリュミエ(1646~1704年)』に因む名前です。

  • プルメリアの古木のズームアップ光景です。プルメリアの原産地は、中南米、カリブ海諸国とされ、『チャンパー』の名前でラオスとニカラグア(赤花)の国花となっています。樹液には毒性がありますが、タヒチ、フィジー、サモア、ハワイ、ニュージーランドなどの太平洋の島々で、首飾りなどのレイに好んで使われるのは、プルメリアの花です。

    プルメリアの古木のズームアップ光景です。プルメリアの原産地は、中南米、カリブ海諸国とされ、『チャンパー』の名前でラオスとニカラグア(赤花)の国花となっています。樹液には毒性がありますが、タヒチ、フィジー、サモア、ハワイ、ニュージーランドなどの太平洋の島々で、首飾りなどのレイに好んで使われるのは、プルメリアの花です。

  • タイは人口の95%が仏教徒とされます。仏教が生活と密着している国の一つです。仏教寺院も夥しい数に上り、仏像の数も膨大です。タイの仏像は、簡単に説明すれば、その多くが『釈迦如来像』、つまりお釈迦様そのものです。『ワット・ヤイ・チャイ・モンコン』で、多くの仏坐像を目にするのもそのためです。際の仏教は、現存する最古の仏教宗派とされる『上座部仏教』に属しています。(ウィキペディア)

    タイは人口の95%が仏教徒とされます。仏教が生活と密着している国の一つです。仏教寺院も夥しい数に上り、仏像の数も膨大です。タイの仏像は、簡単に説明すれば、その多くが『釈迦如来像』、つまりお釈迦様そのものです。『ワット・ヤイ・チャイ・モンコン』で、多くの仏坐像を目にするのもそのためです。際の仏教は、現存する最古の仏教宗派とされる『上座部仏教』に属しています。(ウィキペディア)

  • 『上座部仏教』は、『南伝仏教』とも呼ばれ、パーリ語の三蔵を伝えていることから『パーリ仏教』とも言われます。『パーリ語』は、北伝の大乗仏教に伝わる漢語・チベット語の仏典と並ぶ三大仏典群の一つです。パーリ仏典は、部派仏教時代に使われていたプラークリット(俗語)の一つです。具体的には、西インド系のウッジャイン周辺で用いられたピシャーチャ語の一種と推定されています。(同上)

    『上座部仏教』は、『南伝仏教』とも呼ばれ、パーリ語の三蔵を伝えていることから『パーリ仏教』とも言われます。『パーリ語』は、北伝の大乗仏教に伝わる漢語・チベット語の仏典と並ぶ三大仏典群の一つです。パーリ仏典は、部派仏教時代に使われていたプラークリット(俗語)の一つです。具体的には、西インド系のウッジャイン周辺で用いられたピシャーチャ語の一種と推定されています。(同上)

  • 仏典は、その歴史の過程で編纂や翻訳が繰り返されてきました。パーリ仏典は、その歴史過程における、インド部派仏教時代の形態を強く留めている、現存する唯一の仏典と評価されています。日本でも戦前に輸入・翻訳され、『南伝大蔵経』、『パーリ大蔵経(パーリ語大蔵経)』などとして知られます。『漢訳大蔵経(北伝大蔵経)』、『チベット大蔵経』に並ぶものです。(同上)

    仏典は、その歴史の過程で編纂や翻訳が繰り返されてきました。パーリ仏典は、その歴史過程における、インド部派仏教時代の形態を強く留めている、現存する唯一の仏典と評価されています。日本でも戦前に輸入・翻訳され、『南伝大蔵経』、『パーリ大蔵経(パーリ語大蔵経)』などとして知られます。『漢訳大蔵経(北伝大蔵経)』、『チベット大蔵経』に並ぶものです。(同上)

  • 『パーリ語』の話題をもう少し続けます。上座部仏教では伝統的に、この仏典の言語であるパーリ語が、釈迦が用いたいわゆるマガダ語であると信じられてきましたが、学問的知見が広まった今日ては、その主張は弱まってきたようです。しかし、マガダ語とパーリ語は、実際には言語的にそれほど相違していません。語彙をほぼ共有し、文法上の差異もさほどないなど、むしろかなり近似的な関係にあったと推定されています。また、『パーリ』は聖典の意味を持ち、各経典に関して『~聖典』、『~パリ(pali)』という表現もよく用いられています。(同上)

    『パーリ語』の話題をもう少し続けます。上座部仏教では伝統的に、この仏典の言語であるパーリ語が、釈迦が用いたいわゆるマガダ語であると信じられてきましたが、学問的知見が広まった今日ては、その主張は弱まってきたようです。しかし、マガダ語とパーリ語は、実際には言語的にそれほど相違していません。語彙をほぼ共有し、文法上の差異もさほどないなど、むしろかなり近似的な関係にあったと推定されています。また、『パーリ』は聖典の意味を持ち、各経典に関して『~聖典』、『~パリ(pali)』という表現もよく用いられています。(同上)

  • 端正な姿の仏坐像の光景です。『パーリ語』に関する紹介の締め括りです。現在、スリランカ・ミャンマー・タイ等の上座部仏教文化圏で流通しているパーリ仏典は、分別説部(赤銅鍱部)と呼ばれる上座部の流れをくむ、スリランカ仏教大寺派に起源を持つものが、12世紀以降に広まったものとされ、細部の差異はあるものの、同一のテキストとベースにしているようです。近代以降は、1881年にロンドンに設立されたパーリ聖典協会の校訂出版本や、1954年にビルマ(ミャンマー)のヤンゴン(ラングーン)で行われた第6回結集によって編纂された聖典テキスト等が、共通の底本となっているようです。(同上)

    イチオシ

    端正な姿の仏坐像の光景です。『パーリ語』に関する紹介の締め括りです。現在、スリランカ・ミャンマー・タイ等の上座部仏教文化圏で流通しているパーリ仏典は、分別説部(赤銅鍱部)と呼ばれる上座部の流れをくむ、スリランカ仏教大寺派に起源を持つものが、12世紀以降に広まったものとされ、細部の差異はあるものの、同一のテキストとベースにしているようです。近代以降は、1881年にロンドンに設立されたパーリ聖典協会の校訂出版本や、1954年にビルマ(ミャンマー)のヤンゴン(ラングーン)で行われた第6回結集によって編纂された聖典テキスト等が、共通の底本となっているようです。(同上)

  • 仏像が造られるようになった経緯の紹介です。生前から尊敬を集めていた釈迦ですから、信者達がなんらかの具体的な形として釈迦を見たいと思うのも当然のことでした。そこでタブーに触れずに崇拝・礼拝・信仰できる対象として考え出されたのが,釈迦がその下で悟りを開いた『菩提樹』や釈迦の説法を象徴する『法輪(ほうりん)』、あるいは足跡である『仏足石(ぶっそくせき)』などでした。暫くの間は,こういった代替の『象徴』によって釈迦を表現し、崇拝していました。(同上)

    仏像が造られるようになった経緯の紹介です。生前から尊敬を集めていた釈迦ですから、信者達がなんらかの具体的な形として釈迦を見たいと思うのも当然のことでした。そこでタブーに触れずに崇拝・礼拝・信仰できる対象として考え出されたのが,釈迦がその下で悟りを開いた『菩提樹』や釈迦の説法を象徴する『法輪(ほうりん)』、あるいは足跡である『仏足石(ぶっそくせき)』などでした。暫くの間は,こういった代替の『象徴』によって釈迦を表現し、崇拝していました。(同上)

  • 釈迦を像にできないながらも,釈迦の身体についての観念が発展していきました。釈迦は普通の人間とは違うと考えられていたようですから、なにか特徴がなければなりません。そこで、インドの伝説で理想の王とされている『転輪聖王(てんりんじょうおう)』の姿をモデルに、様々な超人的な特徴が考え出されていきました。最終的にまとめられたのが『三十二相八十種好(さんじゅうにそうはちじっしゅごう)』といわれる特徴です。釈迦には、常人とは異なる32の大きな特80の細かな特徴があるとされました。この『三十二相八十種好』はかなり早くから考えられていて、初期の経典にも言及されています。(同上)

    釈迦を像にできないながらも,釈迦の身体についての観念が発展していきました。釈迦は普通の人間とは違うと考えられていたようですから、なにか特徴がなければなりません。そこで、インドの伝説で理想の王とされている『転輪聖王(てんりんじょうおう)』の姿をモデルに、様々な超人的な特徴が考え出されていきました。最終的にまとめられたのが『三十二相八十種好(さんじゅうにそうはちじっしゅごう)』といわれる特徴です。釈迦には、常人とは異なる32の大きな特80の細かな特徴があるとされました。この『三十二相八十種好』はかなり早くから考えられていて、初期の経典にも言及されています。(同上)

  • 仏像が作られた年代は、紀元後1世紀後半~2世紀頃とされます。作られるようになった契機は、おそらくインド以外の文化が大きく影響したであろう、と考えられています。当時、インドで最も大きな国だったのがクシャーナ王朝です。西北インドから中部インドにかけて広大な領土を支配していました。この王朝を築いたクシャーナ族は、インド人と同じアーリヤ系の民族でしたが、イラン系の騎馬民族です。異民族(異文化)であったため,従来のインドのタブーに左右されなかったようです。この時代に仏像が作られるようになりました。(同上)

    仏像が作られた年代は、紀元後1世紀後半~2世紀頃とされます。作られるようになった契機は、おそらくインド以外の文化が大きく影響したであろう、と考えられています。当時、インドで最も大きな国だったのがクシャーナ王朝です。西北インドから中部インドにかけて広大な領土を支配していました。この王朝を築いたクシャーナ族は、インド人と同じアーリヤ系の民族でしたが、イラン系の騎馬民族です。異民族(異文化)であったため,従来のインドのタブーに左右されなかったようです。この時代に仏像が作られるようになりました。(同上)

  • またクシャーナ王朝の首都だったプルシャプラ(現パキスタンのペシャワール)を含むガンダーラ地方は、紀元前4世紀のアレクサンドロス大王の侵入以来、間断的にではあるものの、ギリシア人が支配していた地域でもありました。つまりガンダーラ地方は、クシャーナ族が統治する前から異文化、特にギリシア文化と接していた場所であり、インド文化だけに縛られていたわけではありませんでした。現在では、このガンダーラ地方ではじめて仏像が作られたという説が有力です。因みに、もう一つ有力な候補として、中部インドのマトゥラーではじめて仏像が作られたという説もあります。どちらもほぼ同時期に仏像が作られ始めました。(同上)

    またクシャーナ王朝の首都だったプルシャプラ(現パキスタンのペシャワール)を含むガンダーラ地方は、紀元前4世紀のアレクサンドロス大王の侵入以来、間断的にではあるものの、ギリシア人が支配していた地域でもありました。つまりガンダーラ地方は、クシャーナ族が統治する前から異文化、特にギリシア文化と接していた場所であり、インド文化だけに縛られていたわけではありませんでした。現在では、このガンダーラ地方ではじめて仏像が作られたという説が有力です。因みに、もう一つ有力な候補として、中部インドのマトゥラーではじめて仏像が作られたという説もあります。どちらもほぼ同時期に仏像が作られ始めました。(同上)

  • 仏像の誕生には、一応異文化の影響が考えられています。しかし,前々からなんらかの形で釈迦を表現し、釈迦の身体についても強い関心はありましたから、具体的な本当の釈迦の姿が見たい、と思うのは当然であり、自然なことでした。ですから、たとえ外的な影響がなかったとしても、早晩作られていたには違いありません。最初の仏像は、釈迦の伝記を記した『仏伝(ぶつでん)』に登場する人物としての釈迦でした。(同上)

    仏像の誕生には、一応異文化の影響が考えられています。しかし,前々からなんらかの形で釈迦を表現し、釈迦の身体についても強い関心はありましたから、具体的な本当の釈迦の姿が見たい、と思うのは当然であり、自然なことでした。ですから、たとえ外的な影響がなかったとしても、早晩作られていたには違いありません。最初の仏像は、釈迦の伝記を記した『仏伝(ぶつでん)』に登場する人物としての釈迦でした。(同上)

  • この仏伝図は、レリーフ(浮き彫り)で,独立した仏像ではありませんでした。ともかく釈迦の姿を像にしてしまったわけですから大変なことでした。仏教としての偶像のタブーがなくなってしまったわけです。そのあとには,独立した仏像が作られましたが、完全な礼拝の対象として作られたと考えられています。そしてさらに、釈迦以前にもブッダはいたとする『過去仏』や、大乗仏教になって複数の如来がいると考えられ,さまざまな仏像が作られていきました。

    この仏伝図は、レリーフ(浮き彫り)で,独立した仏像ではありませんでした。ともかく釈迦の姿を像にしてしまったわけですから大変なことでした。仏教としての偶像のタブーがなくなってしまったわけです。そのあとには,独立した仏像が作られましたが、完全な礼拝の対象として作られたと考えられています。そしてさらに、釈迦以前にもブッダはいたとする『過去仏』や、大乗仏教になって複数の如来がいると考えられ,さまざまな仏像が作られていきました。

  • 仏像にはさまざまな種類があります。しかし、その関係に上下はありません。不動明王が大日如来の化身であったり、死者を裁く閻魔大王が地蔵菩薩の化身であるなど、仏教には『化身』という考え方があります。様々な人々を救うために如来が自身の身体を変化させた姿が化身です。ですから不動明王が大日如来の智慧の一部分を強調させた姿であるように、上下関係はありません。姿・形の違う多くの仏像がいますが,その願いはただの一つです。それぞれの仏像がそれぞれの役割を担い,すべての人間を救うことを目標としているのです。(以上)

    仏像にはさまざまな種類があります。しかし、その関係に上下はありません。不動明王が大日如来の化身であったり、死者を裁く閻魔大王が地蔵菩薩の化身であるなど、仏教には『化身』という考え方があります。様々な人々を救うために如来が自身の身体を変化させた姿が化身です。ですから不動明王が大日如来の智慧の一部分を強調させた姿であるように、上下関係はありません。姿・形の違う多くの仏像がいますが,その願いはただの一つです。それぞれの仏像がそれぞれの役割を担い,すべての人間を救うことを目標としているのです。(以上)

  • 名前:『プルメリア』<br />分類:キョウチクトウ科インドソケイ属<br />分布:中南米、カリブ海諸国の原産。<br />その他:17世紀のフランス植物学者のシャルル・プリュミエに因む名前です。

    名前:『プルメリア』
    分類:キョウチクトウ科インドソケイ属
    分布:中南米、カリブ海諸国の原産。
    その他:17世紀のフランス植物学者のシャルル・プリュミエに因む名前です。

  • 名前:『プルメリア』<br />分類:キョウチクトウ科インドソケイ属<br />分布:中南米、カリブ海諸国の原産。<br />その他:17世紀のフランス植物学者のシャルル・プリュミエに因む名前です。

    名前:『プルメリア』
    分類:キョウチクトウ科インドソケイ属
    分布:中南米、カリブ海諸国の原産。
    その他:17世紀のフランス植物学者のシャルル・プリュミエに因む名前です。

  • プルメリアの古木の幹が見える、ワット・ヤイ・チャイ・モンコンの境内の光景です。400年以上の栄華を誇るアユタヤ王朝ですが、1767年に宿敵のビルマ(ミャンマー)に滅ぼされました。ワット・ヤイ・チャイ・モンコンに限った印象で言えば、壊された部分が少ない遺跡に見えました。

    プルメリアの古木の幹が見える、ワット・ヤイ・チャイ・モンコンの境内の光景です。400年以上の栄華を誇るアユタヤ王朝ですが、1767年に宿敵のビルマ(ミャンマー)に滅ぼされました。ワット・ヤイ・チャイ・モンコンに限った印象で言えば、壊された部分が少ない遺跡に見えました。

  • アユタヤ遺跡のメンテナンスに必要な機材でしょうか、金属製らしい大きな車輪の二輪車の光景です。使われている状態を見ないと、この二輪車の本当の役割は想像できませんでした。パイプ製の架台もかなり丈夫そうな造りでした。一見したところ、駆動部やブレーキは見当たらないようでしたから、そちらとは、組み合わせで使われるのかも知れません。

    アユタヤ遺跡のメンテナンスに必要な機材でしょうか、金属製らしい大きな車輪の二輪車の光景です。使われている状態を見ないと、この二輪車の本当の役割は想像できませんでした。パイプ製の架台もかなり丈夫そうな造りでした。一見したところ、駆動部やブレーキは見当たらないようでしたから、そちらとは、組み合わせで使われるのかも知れません。

  • ワット・ヤイ・チャイ・モンコンの見所の一つ、巨大な涅槃仏の紹介です。黄色の衣装を着た真っ白な涅槃仏は、白漆喰で仕上げられています。その涅槃仏の足元から光景です。現在は、仏陀の足の裏にコインを貼って願い事をすると、その願いが叶うと言われているタイのパワースポットになっています。

    ワット・ヤイ・チャイ・モンコンの見所の一つ、巨大な涅槃仏の紹介です。黄色の衣装を着た真っ白な涅槃仏は、白漆喰で仕上げられています。その涅槃仏の足元から光景です。現在は、仏陀の足の裏にコインを貼って願い事をすると、その願いが叶うと言われているタイのパワースポットになっています。

  • 涅槃仏のお顔が、半分だけ見える位置からの撮影です。真っ白なお顔を拝することが出来ました。その手前のレンガ塀が一部取り壊されていましたので、全体が見やすくなっていました。左手の赤い花はブーゲンビリアのようでしたが、涅槃仏のお顔を配慮して植栽されたようにも見えました。

    イチオシ

    涅槃仏のお顔が、半分だけ見える位置からの撮影です。真っ白なお顔を拝することが出来ました。その手前のレンガ塀が一部取り壊されていましたので、全体が見やすくなっていました。左手の赤い花はブーゲンビリアのようでしたが、涅槃仏のお顔を配慮して植栽されたようにも見えました。

  • ワット・ヤイ・チャイ・モンコンの紹介の、一旦の締め括りです。手前に小仏塔、その奥に大仏塔を拝した光景です。この後は、大樹に取り込まれた仏塔で有名な『ワット・マハタート』の見学の予定ですが、ワット・ヤイ・チャイ・モンコンの大仏塔は、その移動途中にも目にすることが出来ました。

    ワット・ヤイ・チャイ・モンコンの紹介の、一旦の締め括りです。手前に小仏塔、その奥に大仏塔を拝した光景です。この後は、大樹に取り込まれた仏塔で有名な『ワット・マハタート』の見学の予定ですが、ワット・ヤイ・チャイ・モンコンの大仏塔は、その移動途中にも目にすることが出来ました。

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