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6年前マルタ旅行の帰途、ローマでの乗り継ぎ待ち時間を利用して、ローマの街を散策した際、ここパンテオンに初めて訪れた。<br /><br />夕暮れも近く、曇り空だった所為もあり、パンテオンのドームがぽっかり浮かんでいるように感じた記憶が有る。<br /><br />*参考:「天使の設計した」パンテオン<br />http://4travel.jp/overseas/area/europe/italy/roma/travelogue/10218495/<br /><br />しかし今回は午後3時前の時間帯で晴天。<br /><br />お蔭でパンテオンの柱廊の玄関(ポルチコ)の上に刻まれた文字” M. AGRIPPA L. F. COS TERTIUM FECIT”(ルキウスの息子マルクス・アグリッパが、3度目のコンスルの際に建造)もはっきり見える。<br /><br />記載されているアグリッパは初代ローマ皇帝アウグストゥスの側近だったことから、この神殿は紀元前25年頃の建造と思われたこともあるらしいが、初代の神殿は焼失し、現在我々が目にするのは、12世紀から13世紀にかけてローマ皇帝ハドリアヌスによって建設されたものらしい。<br /><br />その際神殿は矩形から現在の円形ドームに代わる。<br /><br />内径42.8mの円形プランを有し,その上に同じ高さの半球状のドームが載る。<br /><br />驚くことに内部には中間柱が1本もない。<br /><br />更に驚くのはドームの天井に頂点が空洞で、ここから入る自然光でドーム内の明りが採られている。<br /><br />下から覗くと小さく見える空洞の直径は何と9m もあるとの事。<br /><br />中間柱の無い、石の建物を支えているのは、当時の卓越した石積み技術と、既に発明されていたと云うコンクリートであった。<br /><br />パンテオンが建設された当時の神様は、キリスト教の一神教と違い、それぞれの地域や、目的によって沢山の神様がいた。<br /><br />パンテオンはこれらの神様のリーダー達を一同に祀るために建てられた万神殿で、円形の壁にぐるりと神をまつる壁龕あった。<br /><br />日本にも羽黒山に三神合祭殿と云う立派な社殿が有って、月読命、大山祗命、大己貴命を一堂に祀っている。<br /><br />その理由は殿様が雪山をお参りして回るのが大変だからであった。<br /><br />あくまで私見だが、ローマ皇帝ハドリアヌスも、膨大な広さの支配した国々の神をいちいちお参りして廻るのは困難で、と云ってお参りできなかった国からの反発を危惧した末に考え出したのがこの万神殿ではなかったか。<br /><br />*参考:奥の細道を訪ねて第11回18羽黒山参詣その4三神合祭殿が建つ羽黒山山頂<br />http://4travel.jp/domestic/area/tohoku/yamagata/shinjo/amarume/travelogue/10713622/<br /><br />キリスト教の時代にはこれらの神様はいなくなり、現在はヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の墓に加えて何故かラファエロの墓が安置されている。<br /><br />パンテオンの前のロトンダ広場(円形の建物の前の広場の意)に噴水が有り、オベリスクが建っている。<br /><br />当時ローマではエジプトの神を守護神としており、ロ―マのイシス神殿用にエジプトのラムセス2世が建てたヘリオポリスの太陽神殿に有ったオベリスを移設していた。<br /><br />このオベリスを教皇クレメンス11世が18世紀に噴水と合わせてロトンダ広場に建立したと云う。<br /><br />だとするとこのオベリスクはパンテオンよりはるか昔の、3000年以上も前の建造物と云うことになる。

第2部ヴァチカンを飾る、4人の天才を巡るローマ美術散歩08天使の設計したローマ時代のオリジナルの姿のパンテオン

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2012/03/13 - 2012/03/13

5707位(同エリア6770件中)

WT信

WT信さん

6年前マルタ旅行の帰途、ローマでの乗り継ぎ待ち時間を利用して、ローマの街を散策した際、ここパンテオンに初めて訪れた。

夕暮れも近く、曇り空だった所為もあり、パンテオンのドームがぽっかり浮かんでいるように感じた記憶が有る。

*参考:「天使の設計した」パンテオン
http://4travel.jp/overseas/area/europe/italy/roma/travelogue/10218495/

しかし今回は午後3時前の時間帯で晴天。

お蔭でパンテオンの柱廊の玄関(ポルチコ)の上に刻まれた文字” M. AGRIPPA L. F. COS TERTIUM FECIT”(ルキウスの息子マルクス・アグリッパが、3度目のコンスルの際に建造)もはっきり見える。

記載されているアグリッパは初代ローマ皇帝アウグストゥスの側近だったことから、この神殿は紀元前25年頃の建造と思われたこともあるらしいが、初代の神殿は焼失し、現在我々が目にするのは、12世紀から13世紀にかけてローマ皇帝ハドリアヌスによって建設されたものらしい。

その際神殿は矩形から現在の円形ドームに代わる。

内径42.8mの円形プランを有し,その上に同じ高さの半球状のドームが載る。

驚くことに内部には中間柱が1本もない。

更に驚くのはドームの天井に頂点が空洞で、ここから入る自然光でドーム内の明りが採られている。

下から覗くと小さく見える空洞の直径は何と9m もあるとの事。

中間柱の無い、石の建物を支えているのは、当時の卓越した石積み技術と、既に発明されていたと云うコンクリートであった。

パンテオンが建設された当時の神様は、キリスト教の一神教と違い、それぞれの地域や、目的によって沢山の神様がいた。

パンテオンはこれらの神様のリーダー達を一同に祀るために建てられた万神殿で、円形の壁にぐるりと神をまつる壁龕あった。

日本にも羽黒山に三神合祭殿と云う立派な社殿が有って、月読命、大山祗命、大己貴命を一堂に祀っている。

その理由は殿様が雪山をお参りして回るのが大変だからであった。

あくまで私見だが、ローマ皇帝ハドリアヌスも、膨大な広さの支配した国々の神をいちいちお参りして廻るのは困難で、と云ってお参りできなかった国からの反発を危惧した末に考え出したのがこの万神殿ではなかったか。

*参考:奥の細道を訪ねて第11回18羽黒山参詣その4三神合祭殿が建つ羽黒山山頂
http://4travel.jp/domestic/area/tohoku/yamagata/shinjo/amarume/travelogue/10713622/

キリスト教の時代にはこれらの神様はいなくなり、現在はヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の墓に加えて何故かラファエロの墓が安置されている。

パンテオンの前のロトンダ広場(円形の建物の前の広場の意)に噴水が有り、オベリスクが建っている。

当時ローマではエジプトの神を守護神としており、ロ―マのイシス神殿用にエジプトのラムセス2世が建てたヘリオポリスの太陽神殿に有ったオベリスを移設していた。

このオベリスを教皇クレメンス11世が18世紀に噴水と合わせてロトンダ広場に建立したと云う。

だとするとこのオベリスクはパンテオンよりはるか昔の、3000年以上も前の建造物と云うことになる。

同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
鉄道 高速・路線バス 観光バス
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

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