ローマ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
ヴァチカン市国はテベレ川を隔ててローマ市の西側にある、0.44平方キロしかない世界最小ながら、列記とした独立国。<br /><br />昔この辺りをヴァチカノの丘と云い、それが国の名前となった。<br /><br />かつてここにはネロ皇帝のチルクス(競技場)があり、64年に発生したローマ大火で罪を着せたキリスト教徒を、ここで見世物を兼ねた数々の残虐な刑に処した。<br /><br />ガリラヤ湖でイエスの最初の弟子になり、イエスから名を貰い、天国への鍵を預かったペテロ(岩の意)も、ローマで布教中に捕えられ、自ら望んで逆さ十字の磔刑を受けたとされ、その近くに遺体が埋葬されたとの伝承がから、ここにキリスト信者達が布教活動の支えとなる記念碑を建てとされる。<br /><br />もう少しペテロに関心のに方は下記を参考にしてください。<br /><br />ペテロ兄弟が魚釣りをした聖ペテロの首位教会前の湖 in タブハ<br />http://4travel.jp/traveler/shintch/album/10769296/<br /><br />オリーブ山のイエスその5ペテロが「イエスを知らない」と云った鶏鳴教会<br />http://4travel.jp/traveler/shintch/album/10776321/<br /><br />2世紀末に小アジアで執筆されたとされる新約外典のひとつ”ペテロ行伝”には、迫害を恐れ、ローマから逃げ出そうとするペテロがイエスの幻影に出会い、「主よ、何処にか行き給う (Quo vadis, Domine?)」との問い掛で、広く知られる場面が記されている。<br /><br />313年”ミラノ勅令”を布告、キリスト教を公認したローマ皇帝コンスタンティヌス1世、都も西のローマから東のコンスタンチノープル(現イスタンブール)に移したが、ローマには依然として今や異教徒となった多くの非キリスト教信者がいた。<br /><br />*参考:第1部イスラエル周遊旅第3章イスラエルからの帰路立ち寄ったイスタンブール寸描<br />http://4travel.jp/traveler/shintch/album/10766346/<br /><br />コンスタンティヌス1世はキリスト教の皇帝としての権限誇示の必要もあり、バチカンの丘のペテロの墓と云われる場所に聖堂を建てる(サン・ピエトロ旧聖堂)。<br /><br />聖堂の隣に修道院や巡礼者宿舎が建ち始め、皇帝の宿泊する宮殿も建っていく。<br /><br />392年テオドシウス1世がキリスト教を国教とするが、間もなくフン族に追われた西ゴート族がローマに侵入し、395年にはローマ帝国は東西に分裂、西ローマ帝国は滅亡の道を辿る。<br /><br />世情が不安であればあるほど、イエスの説く”最後の審判”だけは無事通過したい・・と云う思いは、一般大衆だけでなく、地主や貴族階級にも及び、王様や領主への税金は滞納してでも、教会への献金、寄進物は増やしていく。<br /><br />またキリスト教を奉じる王様の戴冠式で、神に成り替わり王冠を授ける役割となった教皇様は、民衆の目には形式的には教皇様が王様より偉い人に映ったに違いない。<br /><br />カトリック教会はこうして権威も財産も増大した大教会へと変貌を遂げる。<br /><br />後にペテロがサン・ピエトロ聖堂の初代教皇に祀り上げられ、聖ペテロとなる。<br /><br />以降ヴァチカンの教皇は聖ペテロの後継者を自認し、現在も継承されている。<br /><br />14世紀アビニヨン幽囚からローマに戻った教皇は、ヴァチカンの宮殿を皇帝にとって代わって住まいとし、宮殿を教皇庁の所在地としたことから、”ヴァチカン”が”教皇庁”を意味することになった。<br /><br />コンスタンティヌス1世が旧聖堂を建設してから1300年後、15世紀から17世紀、18人の教皇達がおよそ100年掛けての大改造により、現在の大ヴァチカンの姿となる。<br /><br />ミケランジェロを始めとする、4人の天才たちが、建築に、天井画や壁画に、内部装飾に、祭壇や壁面を飾る絵画に、と大改造に関与し、それに伴いな自身達の花も開いていく。<br /><br />1929年、当時のイタリア首相ムッソリーニとの間にラテラノ条約が結ばれ、ヴァチカン市国と云う独立国家が生まれた。<br /><br />我々は丸1日掛けて、ヴァチカンを堪能。<br /><br />夜は改めて、システィーナ礼拝堂の、前日同様、宮下紀久郎氏解説付きの貸し切見学<br /><br /><br />第2部ヴァチカンを飾る4人の天才を巡るローマ美術散歩11ヴァチカン市国 目次<br /><br />12その1ベルニーニの柱廊・in サン・ピエトル広場<br />13その2ミケランジェロのクーポラとピエタ、ベルニーニの天蓋 in サン・ピエトロ大聖堂<br />14その3ミケランジェロの&quot;天地創造&quot;と&quot;最後の審判&quot; in システィーナ礼拝堂<br />15その4教皇宮殿の書斎を飾るラファエロの間<br />16その5素晴らしい天井画の長いヴァチカン回廊の美術館<br />17その6ラオコーンのある”彫刻ギャラリー”と”ピーニャの中庭の大壁龕”<br />18その7ヴァチカンで最新の”絵画館”、カラヴァッジョの”キリストの十字架降下”等<br /><br />

第2部ヴァチカンを飾る4人の天才を巡るローマ美術散歩11ヴァチカン市国 (目次)

3いいね!

2012/03/14 - 2012/03/14

4830位(同エリア6773件中)

WT信

WT信さん

ヴァチカン市国はテベレ川を隔ててローマ市の西側にある、0.44平方キロしかない世界最小ながら、列記とした独立国。

昔この辺りをヴァチカノの丘と云い、それが国の名前となった。

かつてここにはネロ皇帝のチルクス(競技場)があり、64年に発生したローマ大火で罪を着せたキリスト教徒を、ここで見世物を兼ねた数々の残虐な刑に処した。

ガリラヤ湖でイエスの最初の弟子になり、イエスから名を貰い、天国への鍵を預かったペテロ(岩の意)も、ローマで布教中に捕えられ、自ら望んで逆さ十字の磔刑を受けたとされ、その近くに遺体が埋葬されたとの伝承がから、ここにキリスト信者達が布教活動の支えとなる記念碑を建てとされる。

もう少しペテロに関心のに方は下記を参考にしてください。

ペテロ兄弟が魚釣りをした聖ペテロの首位教会前の湖 in タブハ
http://4travel.jp/traveler/shintch/album/10769296/

オリーブ山のイエスその5ペテロが「イエスを知らない」と云った鶏鳴教会
http://4travel.jp/traveler/shintch/album/10776321/

2世紀末に小アジアで執筆されたとされる新約外典のひとつ”ペテロ行伝”には、迫害を恐れ、ローマから逃げ出そうとするペテロがイエスの幻影に出会い、「主よ、何処にか行き給う (Quo vadis, Domine?)」との問い掛で、広く知られる場面が記されている。

313年”ミラノ勅令”を布告、キリスト教を公認したローマ皇帝コンスタンティヌス1世、都も西のローマから東のコンスタンチノープル(現イスタンブール)に移したが、ローマには依然として今や異教徒となった多くの非キリスト教信者がいた。

*参考:第1部イスラエル周遊旅第3章イスラエルからの帰路立ち寄ったイスタンブール寸描
http://4travel.jp/traveler/shintch/album/10766346/

コンスタンティヌス1世はキリスト教の皇帝としての権限誇示の必要もあり、バチカンの丘のペテロの墓と云われる場所に聖堂を建てる(サン・ピエトロ旧聖堂)。

聖堂の隣に修道院や巡礼者宿舎が建ち始め、皇帝の宿泊する宮殿も建っていく。

392年テオドシウス1世がキリスト教を国教とするが、間もなくフン族に追われた西ゴート族がローマに侵入し、395年にはローマ帝国は東西に分裂、西ローマ帝国は滅亡の道を辿る。

世情が不安であればあるほど、イエスの説く”最後の審判”だけは無事通過したい・・と云う思いは、一般大衆だけでなく、地主や貴族階級にも及び、王様や領主への税金は滞納してでも、教会への献金、寄進物は増やしていく。

またキリスト教を奉じる王様の戴冠式で、神に成り替わり王冠を授ける役割となった教皇様は、民衆の目には形式的には教皇様が王様より偉い人に映ったに違いない。

カトリック教会はこうして権威も財産も増大した大教会へと変貌を遂げる。

後にペテロがサン・ピエトロ聖堂の初代教皇に祀り上げられ、聖ペテロとなる。

以降ヴァチカンの教皇は聖ペテロの後継者を自認し、現在も継承されている。

14世紀アビニヨン幽囚からローマに戻った教皇は、ヴァチカンの宮殿を皇帝にとって代わって住まいとし、宮殿を教皇庁の所在地としたことから、”ヴァチカン”が”教皇庁”を意味することになった。

コンスタンティヌス1世が旧聖堂を建設してから1300年後、15世紀から17世紀、18人の教皇達がおよそ100年掛けての大改造により、現在の大ヴァチカンの姿となる。

ミケランジェロを始めとする、4人の天才たちが、建築に、天井画や壁画に、内部装飾に、祭壇や壁面を飾る絵画に、と大改造に関与し、それに伴いな自身達の花も開いていく。

1929年、当時のイタリア首相ムッソリーニとの間にラテラノ条約が結ばれ、ヴァチカン市国と云う独立国家が生まれた。

我々は丸1日掛けて、ヴァチカンを堪能。

夜は改めて、システィーナ礼拝堂の、前日同様、宮下紀久郎氏解説付きの貸し切見学


第2部ヴァチカンを飾る4人の天才を巡るローマ美術散歩11ヴァチカン市国 目次

12その1ベルニーニの柱廊・in サン・ピエトル広場
13その2ミケランジェロのクーポラとピエタ、ベルニーニの天蓋 in サン・ピエトロ大聖堂
14その3ミケランジェロの"天地創造"と"最後の審判" in システィーナ礼拝堂
15その4教皇宮殿の書斎を飾るラファエロの間
16その5素晴らしい天井画の長いヴァチカン回廊の美術館
17その6ラオコーンのある”彫刻ギャラリー”と”ピーニャの中庭の大壁龕”
18その7ヴァチカンで最新の”絵画館”、カラヴァッジョの”キリストの十字架降下”等

同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
鉄道 高速・路線バス 観光バス
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

PR

  • 12その1ベルニーニの柱廊・in サン・ピエトル広場<br />

    12その1ベルニーニの柱廊・in サン・ピエトル広場

  • 13その2ミケランジェロのクーポラとピエタ、ベルニーニの天蓋 in サン・ピエトロ大聖堂<br />

    13その2ミケランジェロのクーポラとピエタ、ベルニーニの天蓋 in サン・ピエトロ大聖堂

  • ヴァチカン市国マップ

    ヴァチカン市国マップ

  • 14その3ミケランジェロの&quot;天地創造&quot;と&quot;最後の審判&quot; in システィーナ礼拝堂<br />

    14その3ミケランジェロの"天地創造"と"最後の審判" in システィーナ礼拝堂

  • 15その4教皇宮殿の書斎を飾るラファエロの間<br />

    15その4教皇宮殿の書斎を飾るラファエロの間

  • 16その5素晴らしい天井画の長いヴァチカン回廊の美術館<br />

    16その5素晴らしい天井画の長いヴァチカン回廊の美術館

  • 17その6ラオコーンのある”彫刻ギャラリー”と”ピーニャの中庭の大壁龕”<br />

    17その6ラオコーンのある”彫刻ギャラリー”と”ピーニャの中庭の大壁龕”

  • 18その7ヴァチカンで最新の”絵画館”、カラヴァッジョの”キリストの十字架降下”等<br />

    18その7ヴァチカンで最新の”絵画館”、カラヴァッジョの”キリストの十字架降下”等

この旅行記のタグ

3いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

イタリアで使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
イタリア最安 317円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

イタリアの料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP