2014/10/11 - 2014/10/11
573位(同エリア17021件中)
wiz さん
パリ北郊の町サン・ドニから、メトロで、モンマルトルの丘(パリ)へ移動しました。
サン・ドニに行ってきた・・ ということもあり、まずは、ここ モンマルトルの丘 でも、ひきつづき ”聖ドニ伝説” にまつわる場所を歩いてみようと思います。
また、モンマルトルの丘の北西部には19世紀にも開発が遅れた地区があったそうで、この地区には自然の灌木が残りバラックが立ち並び、 ビドンヴィル Bidonville (貧民街) になっていたそうですが、 この貧民街は 「 モンマルトルのマキ Maquis de Montmartre 」 呼ばれていたのだそうです。 ( マキとはコルシカの山賊が逃げ込む灌木の密林のことで、意味が転じて 隠れ家 そのものの呼称になったのだとか ) ・・気になるので、今回はこのあたりも歩いてみようと思います。
さらに、今回の滞在では、 「 モンマルトルのブドウ収穫祭 Fete des vendanges de Montmartre 」 が開催中の週末にあたっていたので、モンマルトルの丘に集まる楽しげな人々の雰囲気も伝えられたら・・ と、思います。
パリに訪れる度に、なぜか毎回歩きたくなる モンマルトルの丘 La butte Montmartre。
今回はどんな表情を見せてくれるでしょうか・・。
※モンマルトル関連旅行記
2006 http://4travel.jp/travelogue/10115930
2008 http://4travel.jp/travelogue/10303656
2012 http://4travel.jp/travelogue/10725464
- 旅行の満足度
- 5.0
-
【 前置き 】
サン・ドニの旅行記 http://4travel.jp/travelogue/10770987
を見て頂いた方には重複する写真になってしまいますが・・
この旅行記から見て頂いた方のために、一応貼っておきます。
パリの初代司教でフランスの国民的聖人となった聖ドニ。
ドニは、3世紀、パリのモンマルトルで斬首されたが、
斬首された後も切られた自らの頭部を腕に抱え北に歩いた。
そのドニが力尽きたところ、それが、 サン・ドニ (パリの北約10km)。
簡潔に書くと、まあ上記のようなことになるわけですが、
これををイメージしやすいように、この地図を・・。
ドニが辿った道を逆に戻るような感じですが、
サン・ドニ Saint-Denis の町からパリ・モンマルトル Montmartre へ移動しました。
* 写真は、 『フランス 歴史の旅/朝日選書』 に掲載の地図です。 -
【 前置き 】 Plan de Paris vers 1550
こちらは、パリの1550年頃の地図で、モンマルトルは左下、赤で囲んだあたりです。
セーヌ川の中州シテ島を中心に
左岸 (写真右) には、フィリップ・オーギュストの城壁
右岸 (写真左) には、シャルル5世の城壁 がありました。
モンマルトルは、城壁の外。 -
【 前置き 】 Plan de Paris vers 1550
上で載せた1550年頃のパリの地図のモンマルトルの部分だけを見てみると・・
・・ 風車 (ムーラン Moulin) が描かれています !
モンマルトルの風車は19世紀にも画家たちによってたくさん描かれました !
ところで・・
「 LA CHAPRLLE DES MARTIS 」 と文字のある礼拝堂 (黄で囲んだ所)が、
聖ドニが殉教した場所にたてられた礼拝堂 かと思われます。
さらに、あるサイトでみつけたのですが・・
「 LA CHAPRLLE DES MARTIS 」 の前の通りが
→ 現在の マルティール(殉教者)通り Rue des Martyrs
「 LA CHAPRLLE DES MARTIS 」 の上の通りが
→ 現在の クリニャンクール通り Rue de Clignancourt
「 LA CHAPRLLE DES MARTIS 」 の下の通りが
→ 現在の クリシー大通り Avenue de Clichy のようです。
http://bit.ly/1c5ZbQ3 -
【 前置き 】 Paris 1600
こちらは、パリの1600年頃の地図で、手前がパリ左岸、奥がパリ右岸、
右岸の向こう、左上に山のように描かれているところがモンマルトル。
こちらの地図も、上と同じく、セーヌ川の中州シテ島を中心に
左岸 (南:写真下) には、フィリップ・オーギュストの城壁
右岸 (北:写真上) には、シャルル5世の城壁 がありました。
フィリップ・オーギュストの城壁は、12-13世紀に右岸・左岸ともにつくられましたが、右岸が商業地区として発展していったため、(右岸にはフィリップ・オーギュストの城壁よりさらに)ひとまわり大きいシャルル5世の城壁(14世紀)がつくられました。 -
【 前置きが長かったですが・・ ! 】
サン・ドニから南へモンマルトルの丘の北までやってきました !
M13 バジリック・ドゥ・サン・ドニ駅 Basilique de Saint-Denis
↓ (乗換あり)
M12 ラマルク・コーランクール駅 Lamarck-Caulaincourt (写真上のM)
こちらもサン・ドニの旅行記の最後でも書いていましたが・・
まずは、12号線のラマルク・コーランクール駅 (写真上のM) に到着。
この駅には、かるく20人位入れる大きなエレベーターがあるのですが、今日はモンマルトルのブドウ収穫祭開催中の土曜の昼間ということもあり、エレベーターがいっぱいいっぱいでした。 大きなエレベーターに自分たちだけ、という寂しい時もよくあります。
これから、(写真の中の赤で囲んだ)
・サン・ドニ像 のある シュザンヌ・ビュイッソン小公園 、
・(聖ドニの)殉教記念礼拝堂(マルチリウム・ドゥ・サン・ドニ)
などを通りながら、モンマルトル散歩をしていこうと思います。
いつ気付いたのかは忘れてしまいましたが・・ そういえば、
今回の旅の出発日がちょうど 聖ドニの記念日(10月9日) だったのですが、
今回のパリ滞在では、偶然にも ?! 聖ドニゆかりの地巡り となりました。
ちなみに、表紙で書いた ”モンマルトルのマキ” と呼ばれていた ビドンヴィル(貧民街) のあった地区は、この地図の ギャレットの風車 と文字が見えるところの左側(西側)です。
* 写真は、 『フランス 歴史の旅/朝日選書』 に掲載の地図です。 -
(11:46)
サン・ドニ像 や 殉教記念礼拝堂 へ行く前に、寄り道を・・!
まずは、 モンマルトルのブドウ畑 Clos Montmartre に到着しました !
今回のパリ滞在は、 モンマルトルのブドウ収穫祭 Fete des vendanges de Montmartre の10月第2週末にあたっていたので(この日10h30-12hに行われていた葡萄畑でのイベント Le traditionnel Ban des Vendanges に間に合うか?と思い)、12時前までに !・・ という予定でここへやってきました。 -
黒いマントに赤いマフラーのアリスティード・ブリュアン風衣装は、
”モンマルトル共和国 La Republique de Montmartre ” の方です ! -
モンマルトルのブドウ畑 Clos Montmartre
明日、ブドウ収穫祭のイベントで葡萄畑の中に入れます !
(この写真は、柵のところからズームで撮った1枚。)モンマルトルのブドウ畑 散歩・街歩き
-
今だから分かりますが・・ この日の夕方、ブドウ収穫祭のパレードを見たのですが、その時に元気にパレードしていた女の子たちです。
モンマルトルのブドウ収穫祭 パレード編 の旅行記の表紙の女の子たちです !
http://4travel.jp/travelogue/10941384 -
夕方のパレードの時の旗を見て分かったのですが・・
地元のモンマルトルの方々はもちろん、フランス中、南仏などからも(ベルギーからの方々も)色々なグループの方々がブドウ収穫祭にやってきていて、例えば、ワイン組合とか、いちご組合とか、ダリア組合とか、花組合とか・・ たくさんの方がいました。
色々な地方の食べ物やワイン、特産品などの屋台なども立っていました。 -
楽しそうなので、ついつい写真を撮ってしまいます !
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かわいい衣装の方々は、
”プチ・プールボ Les P'tits Poulbots”
(モンマルトルの気のいいやんちゃ坊主たち)
20世紀初頭の漫画家プールボにより広く知られるようになった愉快な人物の後継者たち ! -
記念撮影をしている方の後ろから。
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私も記念撮影の仲間に入れさせてもらえましたので1枚 !
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中でイベントをやっていたのですが、今日のところは終わっていました。
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こ〜んな感じで人でいっぱいでした。
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朝一で行ったサン・ドニは向こう(北)の方角です。
ブドウ畑の下にあるのは、シャンソニエ 「 ラパン・アジール 」。 -
サン・ドニでの雨模様がウソだったかのように晴れてきました !
モンマルトル散歩は坂道や階段が多いから、できれば晴れていた方が歩きやすいです。 -
ユトリロ Utrillo も描いていた ラ・メゾン・ローズ La Maison Rose。
ラ メゾン ローズ フレンチ
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アブルヴォワール通り Rue de l'Abreuvoir に入っていきます。
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アブルヴォワール通り Rue de l'Abreuvoir
「 Abreuvoir 」 は 水飲場 の意味で、通りの名は、モンマルトルの丘に放牧されていた家畜が水を飲みに来た泉にちなんでいるのだそうです。 -
アブルヴォワール通り12番地 12 Rue de l'Abreuvoir
12番地は、画家ピサロの旧居。
まだ若かったピサロは、ピサロ家の女中だったブルゴーニュ地方出身のジュリーと親の反対を押し切って同棲を始め、正式に結婚(1871)するまでの2年間をこの小さな家で暮らしたそうです。 -
ダリダ広場 Place Dalida から。
今歩いてきた アブルヴォワール通り Rue de l'Abreuvoir と、
その先に、サクレ・クール寺院 Basilique du Sacre Coeur de Montmartre。ダリダ広場 広場・公園
-
ダリダ広場 Place Dalida
撮影している場所の横にはダリダの像があります !
モンマルトルにある ここ ダリダ広場 Place Dalida は、シャンソン歌手ダリダに捧げられ名付けられた広場。 彼女はモンマルトル地区を愛し住んでいたそうで、このダリダ広場 に近い オルシャン通り Rue d'Orchampt に住んでいたそうです。
1997年4月ダリダの没後10年を記念し、ここにブロンズの胸像が置かれたそうです。
Parole parole, Alain Delon & Dalida
https://youtu.be/8Y63-lR6luU -
ダリダ広場 Place Dalida から。 横の構図でも !
-
イチオシ
(11:58)
ダリダ広場 Place Dalida から見るこの風景は
モンマルトルの中でもお気に入りの場所のひとつ !
モンマルトルの丘は階段や坂道が多いから、
あちこちにピトレスクな風景が待っていてくれるから、歩くのが楽しいですよね。 -
(おまけ)
ダリダ広場 Place Dalida から。
この写真は、夕方にパレードを見に再度モンマルトルに戻って来た時に撮った写真です。
相棒のSちゃんが、ここから、もう1度夕方の光で撮りたい ! というので 来ました!
ちょうど夕陽がサクレ・クール寺院の塔にあたり昼間の写真より(塔は)際立っていますね。
(18:31) -
霧の遊歩道 Allee des Brouillards
5枚目の地図の写真の中に 「 霧屋敷 」 と書かれていたのは、
この道の横(右)にある ブルィヤール屋敷 Chateau des Brouillards のことです。
ルノワールは、1890年から10年あまり ブルィヤール屋敷 と呼ばれる邸の一部を借りて住んでいたそうです。
ここからもサクレ・クールの塔が見えますね ! -
カサドゥシュ広場 Place Casadesus
今、歩いてきた ブルィヤール (霧) の遊歩道 Allee des Brouillards を振り返って。 -
アンパッス・ジラルドン Impasse Girardon に入り、
シュザンヌ・ビュイッソン公園 Square Suzanne Buisson に到着 !
聖ドニが切り落とされた自分の首を洗ったという井戸があった場所には、
現在は、サン・ドニ(聖ドニ)の像が立っています。シュザンヌ ビュイッソン公園 広場・公園
-
シュザンヌ・ビュイッソン公園 Square Suzanne Buisson
(1) 聖ドニが殉教した地が
→ モンマルトルのふもと、現イヴォンヌ・ル・タック通りにある
『マルチリウム・ドゥ・サン・ドニ Martyrium de Saint-Denis』
(2) 聖ドニが切られた自分の首を洗った場所が
→ モンマルトルの丘の北西エリアにある小公園
『シュザンヌ・ビュイッソン小公園 Square Suzanne Buisson』
(3) 聖ドニが、その後、切られた自分の首を持ちながら、
さらに数キロ北まで歩き、倒れた地が、
→ 現在の 『サン・ドニ市 Saint-Denis』
→ サン・ドニの遺体が(ともに殉教した聖リュスティックと
聖エルテールと並び)安らっている場所が
『サン・ドニ大聖堂 Basilique de Saint-Denis』
今日、朝一で行ったのが、 (3) で、 今、 (2) の地点にいます。 -
シュザンヌ・ビュイッソン公園 Square Suzanne Buisson
奇妙な伝説ではありますが、非常に有名な聖人です。
特に、パリの歴史を大昔から見ていく時は必ず出てきます。
聖ドニが安らう地(現サン・ドニ大聖堂)を王家が墓所として選んだのですから。
パリ市の最初の司教でフランスの国民的聖人で14救難聖人のひとり、
聖ディオニシウス(サン・ドニ/聖ドニ/ Saint Denis de Paris/?〜250年頃)。
パリのノートルダム大聖堂の西正面にも聖ドニの彫像があります。 -
シュザンヌ・ビュイッソン公園 Square Suzanne Buisson
もう1枚、パリにゆかりのある 聖ドニ の像を撮っておこう。 -
次は、 シモン・ドゥルール通り Rue Simon Dereure を歩き・・
-
ジュノー大通り Avenue Junot へ !
-
ヴィラ・レアンドル Villa Leandre
採光がよいというイギリス風の一戸建ての家々。 -
ジュノー大通り Avenue Junot に戻って・・
-
Passage Com M18 (Avenue Junot)
ありました ! ここです !
表紙で書いていた
” モンマルトルのマキ ” の最後の名残
derniers vestiges du maquis de Montmartre があるという場所です !
≪ ・・ ところで、ジュノー大通りの65番地には、ルピック通りへと下っていく一本の抜け道があって、近隣の人々が買い物ついでによく利用しているのだが、不思議なことに、この抜け道には名前がついていない。 『 パリの秘密/鹿島茂著/中央公論新社 』 ≫
一応、ここでツッコミを入れたいと思うのですが・・、 私の持っている中公文庫の初版発行本では、上記のように書いてあったのですが・・、 ここは、現在は、 Google地図によれば、 Passage Com M18 という名前が付けられた小道 のことかと思います。
まあ、名前のことは良いとしまして、番地が違うと思うのです。 正しくは、 ≪・・ ルピック通りの65番地には、ジュノー大通りへと上っていく一本の抜け道があって・・ ≫ となると思います。
今や便利な Googleストリートビュー で、事前に確認するわけですが・・、 ぜんぜんそれらしき感じもなく・・、 通りの番地が逆だとは思いもせず・・ だいぶしてから気付きました。
今、ジュノー大通り23番地にいるので、ルピック通り65番地へ下っていこうと思います !
と言っても、 voie PRIVEE (私道) の表示があるのですが・・。 -
(12:08)
Passage Com M18
voie PRIVEE (私道) でしたが ( 入口でウロウロしていると・・ )
無事、住人の方がボタンで開けてくれ、入ることができました !
≪・・ パリではどんなに細くて狭い道でもかならず名前があるから、名無しの小道とはまた珍しい。 そう思って、ある日、その小道に足を踏み入れたら、なんとも面妖な オブジェ が道の真ん中に腰をすえ、行く手を塞いでいた。 『 パリの秘密/鹿島茂著/中央公論新社 』 ≫ -
Passage Com M18
たしかに、ありました・・ 行く手を塞ぐ岩塊が・・!
≪・・ 祠(ほこら)のような窪みもあるので、いったいこれはなんなのだと、道の両側を見渡すと、荒れ果てた中庭を覆う自然林をザワザワと風が吹き抜けた。 ・・ この岩塊は百年前にモンマルトルの丘にあった有名な 「 マキ Maquis 」 の最後の名残なのである。・・ 『 パリの秘密/鹿島茂著/中央公論新社 』 ≫ -
Passage Com M18
この岩やこのパッサージュの事をインターネットで検索してみると・・
” Le Rocher de la sorciere de Montmartre モンマルトルの魔女の岩 ”
” Passage de la sorciere 魔女の通り道 ” いう記事がみつかりました・・ !
≪・・ 19世紀の末、モンマルトルの北西側の丘陵はなぜか開発が遅れ、自然の灌木が残っていたが、やがて、どこからともなく集まってきた廃品回収業者たちが勝手にバラックを建て始め、あっという間に迷路のような ビドンヴィル Bidonville (貧民街) ができあがってしまった。 1890年ごろのことである。・・ 『 パリの秘密/鹿島茂著/中央公論新社 』 ≫ -
Passage Com M18
行く手を塞ぐ手前の、 岩塊 に目がいっていたのですが・・
前方に目を向けると、エッフェル塔が聳えたっていました ! -
Passage Com M18
19世紀末でもバラックが立ち並ぶ ビドンヴィル・貧民街 だったという
「 モンマルトルのマキ Maquis de Montmartre 」。
魔女が住んでいたという伝説もあるのかなぁ・・?
≪・・ ビドンヴィル Bidonville (貧民街) の住人となったのは、廃品回収業者のほか、犯罪者、娼婦、アナーキスト、それに貧乏な画家などで、一種独特の気風も漂っていたため、 ビドンヴィル にはだれ呼ぶともなく 「 マキ 」 という名がついた。 「 マキ Maquis 」 とはコルシカの山賊が逃げ込む灌木の密林のことで、意味が転じて隠れ家そのものの呼称になった。 第二次世界大戦中のレジスタンス組織が 「 マキ Maquis 」 と呼ばれたのも、この語源にちなむ。・・ 『 パリの秘密/鹿島茂著/中央公論新社 』 ≫ -
Passage Com M18
ここだけ木々が鬱蒼としていて、たしかに不思議な空間ではあります・・。
≪・・ モンマルトルの 「 マキ Maquis 」 は1904年の取り壊しが始まり、バラックは一掃されてジュノー大通りが生まれたが、ジュノー通りとルピック通りを結ぶ例の小道だけは、ファサードを持つ建物がなかったせいか、名前も付けられず、元の 「 マキ 」 の雰囲気が手付かずで保たれた場所となったのである。 小道を塞いでいる岩塊は、 「 マキ 」 時代に水汲み場として使われていた泉だという説があるが、はっきりしたことは分からない。・・ 『 パリの秘密/鹿島茂著/中央公論新社 』 ≫ -
Passage Com M18
岩塊のあるスペースの下の階段を見てみると、けっこう急な階段が・・。
しかも、あの鉄柵・・ 開いてないなぁ・・
また引き戻さなきゃいけないのかな・・???
(できれば、ルピック通りにおりていきたい・・)
・・ などと思っていたら、
またも住人らしき方がボタンで開けて下さいました ! -
Passage Com M18 (Rue Lepic)
というわけで、無事、ルピック通りの方に下りてくることができました !
次のサイトで、1890年頃の 「 モンマルトルのマキ 」 が見られます。
たしかに、バラックが立ち並び・・ 無法地帯な感じがします。
1890 - Le-Maquis-de-Montmartre
http://www.paris-unplugged.fr/1890-le-maquis-de-montmartre/
上から2番目や、下から3番目に、階段の写真があるのですが・・
たぶん、現在の この Passage Com M18 の階段のことじゃないかなぁ?
・・と思うのですが・・ どうでしょうか・・。
通りに出てしまえば、いたって普通(貧民街があったとは思えない)
現在のモンマルトルの街並みなんですけど・・。
道を塞ぐ岩塊があって、その岩塊のまわりの木々はざわめいていて・・
ちょっと不思議な空間を体験でき、”魔女の岩?” も見れて、満足、満足 ! -
不思議な空間を立ち去り、 ルピック通り Rue Lepic を進みます。
-
トロゼ通り Rue Tholoze
ルピック通り Rue Lepic を歩いていたら、
トロゼ通りのところで黄金のドームが見えました !
皇帝ナポレオン Napoleon Ier が眠ることでも有名な廃兵院、
アンヴァリッド Invalides です ! -
トロゼ通り Rue Tholoze
この眺めは、今まで撮ったことがなかったような気がします。 -
(12:14)
トロゼ通り Rue Tholoze
もう少しズームアップ。
だいぶよく見えるようになったでしょうか ? -
ルピック通り Rue Lepic
モンマルトルの丘、ルピック通りを歩いていると、2つの風車に出会えますが、・・ 1つは、ジラルドン通りとの角にある風車で 『 Moulin Radet 』 。 もう1つは、トロゼ通りの前にあり 『 Moulin Blute-fin 』 と言います。
『 ラデの風車 Moulin Radet 』は、はじめ、現1区にあった サン・ロックの丘 Butte Saint-Roch (サン・ロック教会近く)にたっていて、サン・ロックの丘が削り取られた1667年頃に モンマルトル に移されたそうです。
ゴッホは、ルピック通り54番地(1886.3-1888.2)のアパートに住んでいて、そこから近い風車をたくさん描きました。
Le Moulin de la Galette (serie de van Gogh)
http://bit.ly/1FmRQG8ラデの風車 建造物
-
ちなみに上で書いた・・ サン・ロックの丘 Butte Saint-Roch の隣りには、ムーラン(風車)の丘 Butte des Moulins があって、2つの丘はこんな感じ(黄色で囲んだあたり)だったようです(16世紀の地図)。
ムーラン(風車)の丘 Butte des Moulins のあったあたりには、現在 ムーラン(風車)通り Rue des Moulins (日本食が多いサン・タンヌ通り近く) という地名だけは残されています !
右に見えるのは、シャルル5世の城壁(14世紀)のサントノーレ門で、現在のアンドレ・マルロー広場(サントノーレ通り)あたり。
真ん中あたり 「Le marche aux pourceaux」 と書かれているのは、豚市場。
ここに見える風車のどちらかが、17世紀に丘が削り取られる時に、モンマルトル(ラデの風車)に移されたんですね〜。 -
マルセル・エイメ(エメ)広場 Place Marcel Ayme
ジラルドン通り Rue Girardon から、マルセル・エイメ広場にやってきました。
人がたくさんいる ! -
人がたくさんいるのは 『 壁抜け男 Le Passe-muraille 』 がいるから !
≪・・ ある日突然、壁を抜ける能力を手に入れた、登録省の役人デュティユル。 彼は新しい上司と手紙の書き方をめぐって対立する。 屈辱的な扱いを受けたことを恨んだデュティユルが、壁から頭を出してその上司を罵ると、混乱した上司は精神病院に入院してしまう。 この件をきっかけに、パリの街に次々と奇妙な事件を巻き起こしていくデュティユル。 しかし壁をすり抜け続けていく彼の行く手には、思わぬ落とし穴が待ちかまえていた…。 奇抜で幻想的な世界に、人間の優しさと悲哀、そして残酷さを巧みに描いた、鬼才エイメの珠玉の作品。 amazon 「BOOK」データベース より≫壁ぬけ男 モニュメント・記念碑
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ノルヴァン通り Rue Norvins !
ここもサクレ・クールが見えていい場所なんですよね ! -
(12:22)
ノルヴァン通り Rue Norvins
いい場所、ということで・・、ここでもユトリロが描いています ! -
ノルヴァン通り Rue Norvins
ここは、2年前にSちゃんとはぐれてしまったところでもあります !
http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=27308252
あの時は、右のブーランジェリーの上に布団が干してあったなぁ・・。モンマルトルゆかりの画家ユトリロが描いた通りの中でも有名な通りのひとつ Rue Norvins (18区) by wiz さんノルヴァン通り 散歩・街歩き
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イチオシ
サン・リュスティック通り Rue Saint-Rustique
サン・リュスティック通りもユトリロが描いていて、毎回来て写真を撮ってしまう処です !
似顔絵描きでも有名な近くのテルトル広場と違い落ち着いて写真が撮れます。
今日は、お祭りなので、さすがに人がいましたが !
Rue Saint-Rustique, Maurice Utrillo
http://bit.ly/1c3IMeO
ところで、聖(サン)リュスティックとは、聖ドニの2人の弟子のうちのひとりで、
ドニとともにモンマルトルで殉教し、今もサン・ドニで3人一緒に安らっています。 -
カルヴェール通り Rue du Calvaire
人で賑々しい テルトル広場 Place du Tertre を通り抜け、こちらへ。 -
カルヴェール通り Rue du Calvaire
ここの風景もけっこうよく撮っている処 ! -
(12:31)
テルトル広場 Place du Tertre から
サン・ピエール・ド・モンマルトル教会 Eglise Saint-Pierre de Montmartre と、
サクレ・クール寺院 Basilique du Sacre Coeur de Montmartre。
この構図でもユトリロが描いているから毎回のように撮っているのですが・・
今日は、教会のファサードが工事中で残念 !
Saint-Pierre de Montmartre, Utrillo
http://bit.ly/1AgCdRQサン ピエール教会 寺院・教会
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モン・スニ通り Rue du Mont Cenis
テルトル広場 〜 サン・ピエ−ル・ド・モンマルトル教会 〜 サクレ・クール寺院 周辺は、こんな感じで、 ” モンマルトルのブドウ収穫祭 Fete des vendanges de Montmartre ” の屋台がずらっと並んでいていました。
このお店屋さんは、CORSEと見えるのでコルス地域圏(コルシカ島)からの特産品のお店かな。 島の形もちゃんと描かれていますね ! -
モン・スニ通り Rue du Mont Cenis
そろそろお腹もすいてきたので何かを食べようとウロウロ・・。 -
結局、このマダムの屋台で、私はソーセージと野菜炒めのようなものが入ったバゲット、Sちゃんはハムとチーズのバゲットを購入しました !
-
(12:35)
モンマルトルのブドウ収穫祭 Fete des vendanges de Montmartre
バゲットの先の方だけ写しましたが、かなり大きくて半分しか食べられず、翌朝残りを食べることになりました・・。 -
パリ市街の方にカメラを向けると・・ まぶしい !
-
サン・テルテール通り Rue Saint-Eleuthere
モンマルトルのブドウ収穫祭 Fete des vendanges de Montmartre !
http://www.fetedesvendangesdemontmartre.com/
お祭りの期間中は・・ 屋台がでていたり、パレードがあったり、花火があったり、ブドウ畑訪問見学(人数限定)があったり、様々なイベントが18区モンマルトル地区で繰り広げられています。 -
サン・テルテール通り Rue Saint-Eleuthere
気持ちの良い青空 に、 ブドウ収穫祭 のバルーン !
・・ところで、通りの名前 Eleuthere エルテール(エリュテール) とは・・
聖(サン)リュスティック通りでも書きましたが・・ 聖エルテール Eleuthere も
聖ドニの2人の弟子のうちのひとりで、聖ドニとともにモンマルトルで殉教し、
今も、サン・ドニで3人一緒に安らっています。
殉教した地 モン・マルトル(殉教の丘) にちゃんと名前が残されています。 -
(12:52)
シャップ通り Rue Chappe
ここもよくモンマルトルに来た時写真を撮っている処ですが・・
ここの階段に座ってバゲットを食べることにしました !
サクレ・クール寺院の周辺は、人が多くて多くて・・
ここは少し静かなので、階段に座って同じようにやすんでいる人たちがいました。
バゲットは、野菜炒めがたくさん入っていて (ソーセージも大きい) 中々美味しかったです ! -
シャップ通り Rue Chappe
緑のきれいなところで、サクレ・クール寺院前よりは随分落ち着きます。 -
カルディナル・デュボワ通り Rue du Cardinal Dubois
サクレ・クールがすぐそこなので、このへんは人でいっぱいです !
この日の夜に花火を見に再度ここへ来ましたが、その時も凄い人出でした。
スリに注意 ! -
サクレ・クール寺院 Basilique du Sacre Coeur de Montmartre の前は・・
このとおり、 人でいっぱいです ! -
イチオシ
カルディナル・デュボワ通り Rue du Cardinal Dubois から。
ペリグー,アングレーム,カオールなどドーム式ロマネスク教会の修復をしたアバディー建築 Basilique du Sacre Coeur by wiz さんサクレクール寺院 寺院・教会
-
階段に座る人たちが目にしているのは、パリ市街のパノラマ。
-
ラマルク通り Rue Lamarck から1枚。
ここに、モンマルトロビュスの 「 ユトリロ 」 というバス停があります。
ちなみに、ブドウ収穫祭開催中は、モンマルトル付近を通る
パリの路線バスの運行経路は変更になっていたようでした。 -
モンマルトロビュスの 「 ユトリロ 」 バス停の前は、
” モーリス・ユトリロ通り Rue Maurice Utrillo ” -
モーリス・ユトリロ通り Rue Maurice Utrillo
モンマルトルゆかりの画家ユトリロの名を冠した通り(階段)です。 -
ラマルク通り Rue Lamarck から、もう1枚 !
-
偶然にも !! 今は亡き ” デュファイエル百貨店 ” の痕跡をみつけました !
風雲児デュファイエルの夢の跡 !
Les Grands Magasins Dufayel
26 rue de Clignancourt, Paris
http://bit.ly/1c3KEUR
≪・・モンマルトルの丘の麓にひろがる広大な敷地に、イギリスのセルフリッジ百貨店にも負けぬ巨大デパート「デュファイエル百貨店」が誕生したのは世紀末の1895年のこと。 創業者は月賦販売業界の雄「クレスパン兄弟会」で番頭をつとめていたジョルジュ・デュファイエル。・・ 歓楽街と労働者街の接点という立地ゆえ「デュファイエル百貨店」は民衆階級をターゲットとしていた。 そのため格式としては「ボン・マルシェ」や「プランタン」に遠く及ばなかったが、他のデパートを圧していたものが二つだけあった。 一つはその破格の敷地面積。・・ もう一つは、クリニャンクール通りに辺りを睥睨するように聳える正面入口。 建築家ギュスターヴ・リーヴに設計を依頼したデュファイエルの意図はこのファサードの豪華絢爛さで民衆をぶったまげさせることにあったらしい。・・ 建物は1950年頃、BNP銀行の前身のBNCI銀行に買い取られ、名物だった巨大ドームも1957年に取り払われてしまった。 今日、そのよすがをしのぶことができるのは、ダルーの大レリーフのファサードだけ。 まさに、モンマルトルに残る一代の風雲児デュファイエルの夢の痕跡である。 『 パリの秘密/鹿島茂著/中央公論新社 』 ≫ -
風雲児の夢の跡 ! ・・が見れた後は・・、
サクレ・クール寺院の前の階段を降りていきます ! -
ほんとうにサン・ドニでのあの雨模様はなんだったのか・・ !
天気の変わり様にはビックリします ! -
夜の花火の準備中。 (あとでまた花火見に来ます ! )
-
この日は、夜の花火の準備中なので真ん中のエリアには関係者しか入れません。
-
けっこう雲の動きがあるので、何度も撮ってしまいました。
-
階段を下まで降りてきました !
-
(13:04)
ルイーズ・ミシェル広場 Square Louise Michelルイーズ ミシェル広場 広場・公園
-
丘の麓の タルデュ通り Rue Tardieu を歩き・・
-
道なりに、イヴォンヌ・ル・タク通り Rue Yvonne le Tac に入ります。
-
イヴォンヌ・ル・タク通り Rue Yvonne le Tac
”殉教記念礼拝堂 マルチリウム・ドゥ・サン・ドニ Martyrium de Saint-Denis”
5枚目の地図の中で
「 殉教記念礼拝堂 」 と書かれていた場所に到着しました。
(パリの守護聖女)聖女ジュヌヴィエーヴ(5世紀)が聖ドニの(3世紀)ために礼拝堂をささげた場所で、すなわちここが、聖ドニの殉教の地だった・・ という場所です。
サン・ドニバジリカ大聖堂 北扉口 「聖ドニの殉教」
http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=38656479
・・・・・ ところで、 「 モンマルトル の語源は 《 Mons martyrum 殉教者の山 》 や、また 《 Mons Mercurii メルクリウスの山 》 であるとされていますが・・ この丘は、たしかに異教の時代にも神々にささげられた神殿をいただき、ローマ人がガリアに侵入する以前から、先住民のケルト人たちもこの丘にかれらの礼拝堂を建てていたそうです。
また太古には、パリは水をたたえた盆地であって、モンマルトルの丘はその周縁部にあたっており、水が次第に引いて土があらわれてくるにつれ、動物が住みつき、人が丘に来るようになったらしい(丘の上では石器時代の化石も発見されているとのこと)。
モーリス・バレル曰く、ここは、「霊の息吹がかよう場所」・・「霊感の丘」であり・・
丘のなかほどには、洞穴もあいていたといわれ、古い時代、それは地下の世界への通路として、またマナ(超自然的な能力)のたくわえられている所としておそれられていたそうですが・・ 聖女ジュヌヴィエーヴが 聖ドニ のため 礼拝堂 をささげた この場所 (アントワネット通り/現イヴォンヌ・ル・タク通り) にもそんな洞穴があったのだそうです。・・・・・ -
イヴォンヌ・ル・タク通り Rue Yvonne le Tac
”殉教記念礼拝堂 マルチリウム・ドゥ・サン・ドニ Martyrium de Saint-Denis”
ここは、聖ドニと2人の弟子たち(聖リュスティック、聖エルテール)の殉教地とされているところでもありますが、この礼拝堂の地下聖堂(クリプト)は、イグナチオ・デ・ロヨラが 「モンマルトルの誓い」 をし、 イエズス会を結成 したところでもあります。
佐藤賢一著 『 カルチエ・ラタン 』 にも、 イニゴ・デ・ロヨラ(イグナチオ・デ・ロヨラ)や フランシスコ・ザビエル、 ジャン・カルヴァン などが皆、パリに住まい学び活動する姿が描かれていましたが、彼らのキャラクターがおもしろい。 特に、イニゴのキャラクターは、佐藤氏の 『 双頭の鷲 』 のデュ・ゲクランみたいでかなりおもしろい。 たしかにあんな豪快な前向きな人ならついていきたくなるかも・・ というキャラクターで描かれていました。
≪・・イグナチオはスペインのアルカラ大学(スペイン)を経て、1528年、パリ大学に入学し、一般教養と神学を学んだ。 パリでは七年学んだが、多くの人々がイグナチオの霊的指導を求めてやってきた。 その中で、1534年までに彼は六人の重要な同志を得ていた。 フランス出身のピエール・ファーヴル、バスク出身のフランシスコ・ザビエル、スペイン人のアルフォンソ・サルメロン、ディエゴ・ライネス、ニコラス・ボバディリャ、そしてポルトガル人のシモン・ロドリゲスであった。・・・・・ 1534年8月15日、イグナチオと六人の仲間はモンマルトルの丘に登り、サン・ドニ記念聖堂で唯一の司祭だったピエール・ファーブルのたてるミサにあずかって、神に自分の生涯をささげる誓いを立てた。 世に言う 「 モンマルトルの誓い 」 である。 彼らの立てた誓いは 「 今後、七人はおなじグループとして活動し、エルサレムでの宣教と病院での奉仕を目標とする。あるいは教皇の望むところならどこでも赴く 」 というものであった。 これがイエズス会の始まりである。・・・・・ 1537年、七人は教皇から直接修道会としての許可を受けようとローマに向かった。・・ wikipediaより≫ -
イヴォンヌ・ル・タク通り Rue Yvonne le Tac
”殉教記念礼拝堂 マルチリウム・ドゥ・サン・ドニ Martyrium de Saint-Denis”
(1) 聖ドニが殉教した地が
→ モンマルトルのふもと、現イヴォンヌ・ル・タック通りにある
『マルチリウム・ドゥ・サン・ドニ Martyrium de Saint-Denis』
(2) 聖ドニが切られた自分の首を洗った場所が
→ モンマルトルの丘の北西エリアにある小公園
『シュザンヌ・ビュイッソン小公園 Square Suzanne Buisson』
(3) 聖ドニが、その後、切られた自分の首を持ちながら、
さらに数キロ北まで歩き、倒れた地が、
→ 現在の 『サン・ドニ市 Saint-Denis』
→ サン・ドニの遺体が(ともに殉教した聖リュスティックと
聖エルテールと並び)安らっている場所が
『サン・ドニ大聖堂 Basilique de Saint-Denis』
今日、朝一で行ったのが、 (3) で、
先ほど (2) 、 今は (1) の地点にいます。
聖ドニの足跡(1→3)とは逆向き(3→1)になってしまいましたが・・。
※ 中に入る予定でしたが開いていませんでした !マルチリウム ドゥ サン ドニ地下礼拝堂 寺院・教会
-
マルティール通り(殉教者通り) Rue des Martyrs
聖ドニ殉教の地のすぐ近くには、マルティール通り(殉教者通り)が通っています。 -
マルティール通り(殉教者通り) Rue des Martyrs
ここ18区から、9区のノートルダム・ド・ロレット教会まで続く通りで、殉教者通りとは言いますが、現在は、話題のお店などが並ぶ通りとなっています。
パリで逢いましょう ♯25 マルティール通り界隈
http://www.bs4.jp/meet_in_paris/onair/25/
(この通りを向こうへ)マルティール通りの南端、9区ノートル・ダム・ド・ロレット教会前のラフィット街から見る風景も(ロレット教会とサクレ・クール寺院が重なって見えて)なかなか良いですよ。
http://bit.ly/1SfExOM -
ジュテームの壁 Le mur des je t'aime
アベス駅近くの ジュテームの壁 は、人でいっぱいでした !愛しているの壁 (ジュ テームの壁) 文化・芸術・歴史
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(13:13)
アベス広場 Place des Abbesses
これから、アベス駅からルーヴル・リヴォリ駅に向かいたいと思います !アベス広場 広場・公園
-
(おまけ) (18:43)
この写真は・・
モンマルトルのブドウ収穫祭のパレードと花火をみるために、
同日夕方に、再度モンマルトルに来た時、モンマルトルから見た夕陽です !
場所は、ピカソやモディリアーニの住んだ 洗濯船 Le Bateau-Lavoir のある エミール・グードー広場 Place Emile Goudeau の近くの ラヴィニャン通り Rue Ravignan。 写真前方が、エミール・グードー広場です。
パレードや花火の旅行記には載せていなかったのでここに1枚はさんでおきました ! -
(13:43)
M12 アベス駅 Abbesses
↓ (乗換あり)
M1 ルーヴル・リヴォリ駅 Louvre - Rivoli
アベス駅からルーヴル・リヴォリ駅に移動してきました !
写真に見えるのは・・
サン・ジェルマン・ロクセロワ教会 Eglise Saint-Germain l'Auxerrois。
・・これから、フィリップ・オーギュストの城壁跡散歩 右岸編 をはじめます !
フィリップ・オーギュストの城壁跡散歩 右岸編1
http://4travel.jp/travelogue/10942604
フィリップ・オーギュストの城壁跡散歩 右岸編2
http://4travel.jp/travelogue/10942606
夕方からは、パレードと花火を見に、再度モンマルトルに戻ります !
モンマルトルのブドウ収穫祭2014 パレード!編
http://4travel.jp/travelogue/10941384
モンマルトルのブドウ収穫祭2014 花火!編
http://4travel.jp/travelogue/10941604
今日は、朝一からかなり動く日でしたが・・、
夕方からのパレードは1箇所でパレードを見学するし、
花火までは食事をして場所取りする位なので、
それほどせわしなく動かないので、日中は頑張ってしまいました。
最後に・・
旅行記の投稿が、時系列順ではなかったのですが、この旅行記でやっと繋がりました。
旅行記やクチコミを見て下さった皆様、ありがとうございました !!!
もうひとつおまけに・・ Happy from Montmartre !!!
https://youtu.be/JGepQHiK2xYサン ジェルマン ロクセロワ教会 寺院・教会
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