2006/12/29 - 2006/12/29
2693位(同エリア17021件中)
wiz さん
12月29日(金)
今日は朝一で、9区にあるギュスターヴ・モロー美術館へ。
美術館鑑賞後は、彼の葬儀が行われたというサント・トリニテ教会へ。
その後、モンマルトル墓地でモロー一家のお墓参りをしました。
美術館には、10時の開館と同時に入りましたので、入館一番のり。
この美術館の見所でもある螺旋階段を登り、まず最初に上階へ。
素晴らしいモロー作品を人の少ない時間に堪能することができました。
この美術館は、モローが青年の頃から住んだ9区の家
(ラ・ロシュフーコー街14番地 14, rue de La Rochefoucauld)
を中にある一切と共に国家に寄贈したもので、
彼の跡を追うことになる者達の教育に寄与しました。
自宅を 「小さな美術館」 にしようという考えは、
彼が美術学校で教授をしている時に浮かんだものだそうです。
美術館ではすさまじい生産性をもったモローの数多い作品を堪能でき、
また、両親とともに住んだ居住部分の部屋を見ることができます。
その後、美術館からも近くサン・ラザール駅近くに建つ、
モローの葬儀も行われたというラ・トリニテ教会(9区) を見学。
(その後、翌日のロンドン行きのユーロスターの切符を発券しに
サン・ラザール駅へ、そこからメトロ12号線に乗って
モンマルトルへ、そして、モンマルトル散策の最後に、)
モンマルトル墓地(18区) で モロー一家のお墓参り をしました。
Musee national Gustave-Moreau
14, rue de La Rochefoucauld 75009 PARIS
http://www.musee-moreau.fr/
Gustave Moreau ( 1826.4.6 - 1898.4.18 )
- 旅行の満足度
- 5.0
-
今日は、実質1日目の 12/29(金) 。
前日(12/28)のアエロフロートのディレイがあり
ホテルには、夜中(12/29午前)の到着となってしまいましたが、
それでも9時にはホテルを出たいなと思っていたのですが少し出遅れました。
まずは、滞在ホテルの最寄り駅 カデ CADET 駅 にて、
公共交通1日乗り放題の モビリス2枚(12/29,31分) と カルネ を購入。
モビリスとカルネを購入した カデ CADET 駅 から、
〜 シャトーダン通り Rue de Chateaudun
〜 ノートルダム・ド・ロレット教会 Eglise Notre-Dame-de-Lorette
〜 サン・ラザール通り Rue Saint-Lazare
〜 タイブー通り Rue Taitbout と歩き・・
” ショパンの家(スクワール・ドルレアン Square d'Orleans) ” に立寄りました。 -
”ショパンの家(スクワール・ドルレアン)” から
サン・ラザール通り Rue Saint-Lazare へ、そしてモロー美術館へ。
写真は、サン・ラザール通り Rue Saint-Lazare から見た
サント・トリニテ教会 Eglise de la Sainte-Trinite です。
(ギャラリー・ラファイエットの脇の通りからも見える教会です。)
このあたりで右に曲がると・・ -
”ギュスターヴ・モロー美術館 Musee national Gustave-Moreau”
実は、10時開館とはチェックしていなくて、
偶然5〜10分前位に到着しました。
ホテルを出遅れてちょうど良かったのです。
少し待っていたら、ドアが開きました。
トラベラーの cova さんから譲っていただいた
カルト・ミュゼ3日券を持っていたのでスムーズに入館できました(感謝) !
このカルト・ミュゼは、翌々日の2006年12月31日までしか使えなく、
既に、ミュージアムパスに切り替わっていたのです。
今日12月29日からの3日間でカルト・ミュゼを有効利用したいと思います !ギュスターヴ モロー美術館 博物館・美術館・ギャラリー
-
美術館へは、開館と同時に一番のり !
この館の優雅なスタイルの螺旋階段を独り占め状態で撮影できました !
(3階大広間〜4階展示室の間の階段、 ※ 階数は日本式で記述しています。) -
螺旋階段をあがっていきましょう。
-
まず一気に、最上階(日本式4階)の展示室へ。
-
4階に上がってきました。
-
最上階(日本式4階)の手前の展示室。
螺旋階段を上がって、まず目を惹くのが
「ジュピターとセメレー」 (写真左下)。
この階には、二つの扉でつながった二つの部屋があります。 -
「ジュピターとセメレー/Jupiter et Semele」 1896年
この美術館の中でも最も美しい作品といわれています。
1896年に制作された、画家の構想によって完全に完成した最後の作品。
ギリシア神話に取材しながら、
モロー独自の解釈によって大きな変貌を遂げた晩年の大作。
作者モロー自身も、この作品を、
自己の思想の意味を最も良く表現する最高傑作の1つと考えていたそうです。
「これは神性への賛歌だ。」
モローは、この作品に自己の装飾科学のすべてを盛り込みました。
主神ジュピター(中央)は、
人間に姿を変えてテュロスの女王セメレーのもとに通っていたが、
妻ヘラ女神はこれを妬み、
ジュピターの本性を確かめるようにと秘かにセメレーをそそのかした。
セメレーに懇願されて断りきれなくなったジュピターは、
雷神としての本来の姿を顕すが、その時放たれた雷霆によって
セメレーは焼け死んでしまう(ジュピターの膝の上に仰向けに倒れかかる)。 -
「自画像/Portrait de Gustave Moreau par lui-meme」 1850年 (24歳)
モローはあまり自画像を描いていない。
「見えないもの、ただ感ずるもの」、想像の世界を大切にしたモロー。
彼は、遺言で、葬式や墓碑などに自分の肖像をかかげることを禁じた。
永遠に存続すべき芸術の前に、個人の相貌など消え去るべきだと考えていた。 -
「パルクと死の天使/La Parque et L’ange de la Mort」 1890年
パルクとは、ローマ神話の運命の女神パルカのことであり、
ギリシア神話のモイラと同一視される。
元来は、人間の運命の糸口をとるラケシス、
その糸を紡ぐクロトー、糸を断ち切るアトロポスの三人組。
( 馬上の死の天使につき従っている藍色の衣の人物がパルク。 )
この作品が描かれていたころ、
画家はアレクサンドリーヌ(後述)の死を間近にしていたはずであり、
大切な存在を無慈悲に奪ってゆく死への彼のほとばしる思いがみなぎっている。
不思議な色彩でのみ描くモローの新しい時代。
のちの フォービズム や 表現主義 へつながる作品、なのだそうです。
フォービズムといえばマティス。
モローは美術学校で教授をし、彼の元からマティスが生まれている。 -
「ヘロデ王の前で踊るサロメ/Salome dansant devant Herode」 1867年頃
サロメ。 モローがもっとも愛したモチーフのひとつ。
この作品は未完成のものだそうで、
サロメの表現に悩んでいたかのようなあやふやさが見られる、とのこと。
ところで、この作品の展示してある場所は、
窓から陽が差しこんできて、ほんとうに写真は撮りにくかったです・・。
( ※ トリミングしました。 ) -
上記、
・「自画像/Portrait de Gustave Moreau par lui-meme」 1850年 (24歳)
・「パルクと死の天使/La Parque et L’ange de la Mort」 1890年
・「ヘロデ王の前で踊るサロメ/Salome dansant devant Herode」 1867年頃
のある展示室。 -
「出現/L'Apparition」 1876年頃
モローは1872年頃から「踊るサロメ」の構想を練っており、
数十点に及ぶ素描や油彩習作は、『出現』や
『ヨハネの首を持つサロメ』などの関連作を含む様々なサロメを示している。
1870年頃から、アンリ・ルニョーの『サロメ』、
ピュヴィス・ド・シャヴァンヌの『洗礼者聖ヨハネの斬首』、
アンリ・レオポール・レヴィの『ヘロデヤ』、
ポール・ボードリーのオペラ座天井画の『踊るサロメ』
などが相次いで制作・発表されており、
モローはそれらから影響を蒙ると同時に、独自性を打ち出す必要があった。
彼が採用したのは、左右対称性の強い構図と、
レンブラントを意識した微妙な光の効果、
当時の雑誌や書物、展覧会などに取材したあらゆる時代と地域の
建築及び装飾のモチーフの合成による幻想的な雰囲気であった。
上に載せた
「ヘロデ王の前で踊るサロメ/Salome dansant devant Herode」では、
サロメの表現に悩んでいるようなあやふやさが見られる、とのことでしたが・・
この作品では、サロメの表現の仕方が力強い。
モローの描くサロメは、
中世的で力強く女性的な魅力に欠けている、とも言われたそうです。 -
「出現/L'Apparition」 1876年頃
サロメが舞いの後に褒美として所望するはずの洗礼者ヨハネの首が、
幻影となって中空に現れ、サロメを驚かす。
元来母親のヘロデヤの手先でしかなかった小娘は、
モローの中で完全に「ファム・ファタル(宿命の女)」として成熟し、
世紀末の絵画をその毒を含んだ魅力で彩る。 -
「一角獣/The Unicorns」 1885年頃
色彩とアラベスクの傑作。
伝説上の生き物である一角獣は、
森の中で一糸まとわぬ処女をおいておくと、
その匂いにつられて出てきて、おとなしくつかまるといわれている。
エロチックな含みも感じられるこの伝説を、モローが取り上げたのには、
1882年に国家のコレクションとなり公開された中世タピスリーの名品
『一角獣と婦人(クリュニー美術館)』が、恐らく一役かっているらしい。
裸体の婦人の方は、鋭い剣と
『サロメ』や『ヘレネ』が持っているのと同じ白い花を手に持っており、
この処女が「ファム・ファタル」の仲間であることを暗示している、とのこと。 -
「人類の生」 1886年
美術館の最も重要な作品のひとつ。
人間の生涯の3つの相 : 金の時代、銀の時代、鉄の時代、
そして、1日の3つの相 : 朝、昼、夜 が表されている。
上列は、金の時代(アダムの物語:幼年期) 祈り、光惚、眠り。
中列は、銀の時代(オルフェウスの物語:青年期) 霊感、歌、涙。
下列は、鉄の時代(カインの物語:人間の青年期) 労働、休息、死。
時代は、左上から右へ段ごとに進行し、
最後に上部ペディメントの「贖主キリスト」に至る。 -
4階展示室から3階大広間へ。
-
螺旋階段から3階大広間を望む。
左: 「戦いの間歌うティルテ」
中: 「求婚者達」
右: 「アルゴー号の帰還」 -
「求婚者達/Les Pretendants」 1852年-
縦横20×11mの3階の大広間の一番目立つ場所に飾られています。
この作品は、大部分が画家の若い頃、
1852年(26歳)頃に構想され制作され、後に筆が加えられ拡大したそうです。
テーマは、ホメロスの『オデュッセイア』に名高い
オデュッセウスのイタケー帰還の場面。
トロヤ戦争の後、20年を経てようやく母国に辿り着いたオデュッセウスは、
留守中に多くの男たちが妻ペネロペーに言い寄っているのを知り、
乞食に身をやつしてひそかに館に戻り、強弓をもって求婚者たちを射殺していく。
画面右手奥で弓を構えているのがオデュッセウスで、
中央に光り輝くのが、彼を守護するアテナ神。
モローは残虐な光景を扱いながらも、
犠牲者の青年たちに陶酔の表情を与え、
「古代の人々にあっては、歌や竪琴の優美、一言でいえば思考の優美が、
しばしば血みどろの暴力行為と関係し隣合っている」 ことを示そうとした。
構図は、初めトマ・クチュールの
『 退廃期のローマ人たち(オルセー美術館) 』 に倣って横長であったが、
http://bit.ly/1gY4XFZ
長年にわたって上下左右に拡大され、壮大な歴史絵巻の相を呈したが、
ついに完成されることなく終わった。 -
3・4階の絵画の部屋を見学し終わったら、
2階の、モローの居住部分となっていた小部屋を見学しました。
《 ギュスターヴ・モローのアパルトマン Appartement de Gustave Moreau 》 -
《 レセプション le cabinet de reception 》
-
《 ダイニングルーム La salle a manger 》
-
のどかで明るい色彩の印象派とは逆行し
独自の道をつらぬいた孤高の画家ギュスターブ・モロー。
目で見えない世界をキャンバスに。
神秘と幻想の世界・・。
《 寝室 la chambre a coucher 》 -
ギュスターブ・モローは、1826年4月8日生まれ。
父ルイはパリ市の建築家であり、
機知に飛んだ人で大変教養が深く、
古典びいきで非常な美術好き。
両親は特別な天分を息子に見出したわけではなかったが、
それが現れたのは母親ポーリーヌとしたイタリア旅行がきっかけ。
彼はデッサンで一杯のアルバムを持ち帰り、
その描写の達者さと正確さは父親を驚かせたそうです ! -
お母さんとチェスしたのかな・・
-
モロー一家も、見たであろう、アパルトマンの窓からの景色。
1857年(31歳)にイタリアへと出発したモローは、
ローマのすばらしさの虜になったそうです。
古代の巨匠達の天才に触れれば触れるほど彼の感激は増すばかりでした。
その強い印象は後のいくつかの作品に影響しています。
モローは、ロマン派的であるのと同じくらい
イタリア15世紀の巨匠達の弟子でもありました。
しかし彼独自のスタイルを練り上げるまでには
ためらいや暗中模索、苦労なしにはすまなかったみたいようです。 -
常にともに生き、
長年あらゆる考えを打ち明けあってきた母ポーリーヌは
1884年に亡くなりました。
これは激しい驚きであり、
悲しみに打ちひしがれた彼は何日も筆を取る気になれないでいました。
《 私室 Le Boudoir 》 -
モロー (1826.4.6 - 1898.4.18) は生涯独身でしたが、
彼の心の友とも言うべき女性がいました。
アレクサンドリーヌ・デュルー (1835.11.8 - 1890.3.28)。
1890年に彼女の最後を見取った彼は、
最も激しい絶望の苦しみを味わいました。
そのアレクサンドリーヌの死後、
モロー家の部屋に彼女の遺品を集め、
モローは彼女の思い出を大事に保管していたそうです。
写真右上に飾られている金色の額の絵は
「アンドロメダを救うペルセウス」、
モローがアレクサンドリーヌに送った絵なんだそうです。 -
しかし、
苦しみがらも彼の芸術にむける信念は変わらず、
1892年、美術学校の教授に任命され、
教育という新しい活動のおかげで活気づき、
死ぬまで彼は休みなく制作をつづけました。
病が重くなっても寝台から出られなくなっても
ノートにメモをかき続けたそうです。
G.モロー、1898年4月18日、死去。
彼は、緻密で 繊細な 東洋美術 にも関心を抱いていました。 -
ギュスターヴ・モロー美術館
Musee national Gustave-Moreau
日本語ミニパンフレット。
表紙は
「ジュピターとセメレー/Jupiter et Semele」
ギュスターヴ・モロー美術館、初代館長は画家ルオー。
1892年、
モローは、エコール・デ・ボザール(官立美術学校)の教授となり、
彼の元から 2巨匠 ルオー、 マティス が生まれている。 -
モロー美術館のあるロシュフーコー通り Rue de La Rochefoucauld を
サンラザール通り Rue Saint-Lazare に下った角に、この看板がありました。
カデ Cadet 駅 方面から歩いてきた私は、見つけられなかった !
この看板は、サン・ラザール駅 の方から来ると見やすいです。 -
サント・トリニテ教会 Eglise de la Sainte Trinite
1898年、ギュスターヴ・モローの葬儀も行われたという教会。
歴史様式の復興が盛んに行われた19世紀パリの代表例。
ネオ・ルネサンスの優雅な外観が特徴。
ファザードは、主扉口、バラ窓、鐘塔を垂直に積層させた
中央の柱間を中心に、両脇の扉口と小塔を左右対称に配している。サントトリニテ教会 寺院・教会
-
サント・トリニテ教会 Eglise de la Sainte Trinite
なんて青い空 ! 気持ちいい ! -
サント・トリニテ教会 Eglise de la Sainte Trinite
この教会で、G.モローの葬儀が行われたそうです。 -
サント・トリニテ教会 Eglise de la Sainte Trinite
-
サント・トリニテ教会 Eglise de la Sainte Trinite
作曲家ベルイオーズの葬儀も、この教会で行われたそうです。 -
サント・トリニテ教会 Eglise de la Sainte Trinite
-
サント・トリニテ教会 Eglise de la Sainte Trinite
教会内には、クレッシュが飾られていました。 -
サント・トリニテ教会 Eglise de la Sainte Trinite から、
国鉄サン・ラザール駅 Gare de Paris-Saint-Lazare に来ました。
まずは、モネの絵画にも描かれている有名な駅舎を何枚か撮影しました。サン ラザール駅 駅
-
フランス国鉄 サン・ラザール駅 Gare de Paris-Saint-Lazare
列車がとまっていないホームでも撮ってみました。 -
フランス国鉄 サン・ラザール駅 Gare de Paris-Saint-Lazare
さらに、もう少し斜めの構図でも。 -
フランス国鉄 サン・ラザール駅 Gare de Paris-Saint-Lazare
明日、ロンドンへ日帰り(主目的はナショナル・ギャラリー)するので、
インターネット予約した切符を、窓口引き換えに来ました。
http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=39870909
voyages-sncf で予約したのですが、
ロンドン行きのユーロスターの切符はeチケットにならなかったのです。サン ラザール駅 駅
-
メトロ サン・ラザール駅 Station de Saint-Lazare (Metro de Paris)
ユーロスターの切符引換えが終わってから、
メトロ12号線で
サン・ラザール駅からジュール・ジョフラン駅まで行きました。
それから、ユトリロの風景を探してモンマルトル散策しました。
( ※ モンマルトル散策は、別旅行記にて。 )サン ラザール駅 駅
-
(モンマルトルで散策した後は、歩いて)
モンマルトル墓地 Cimetiere de Montmartre に到着しました。パリ・モンマルトル墓地 Cimetiere de Montmartre, Paris by wiz さんモンマルトル墓地 建造物
-
モンマルトル墓地内マップ1
ピンク色の★が、モローのお墓。
ブルー色の★を、この旅行記に載せました。
(ベルリオーズ、ハイネ、Fトリュフォー、ニジンスキー)
私は、この図の右下の出入口▲▼から入りました。
モンマルトル墓地の入口 Google ストリートビュー
http://bit.ly/1EDRadx -
モンマルトル墓地内マップ2
ピンク色の★が、モローのお墓。
ブルー色の★を、この旅行記に載せました。 -
フランスのロマン派音楽の作曲家、
エクトル・ベルリオーズ Louis Hector Berlioz
1803年12月11日 - 1869年3月8日 のお墓。
Div.20
ベルリオーズのお墓は、威厳のあるものでした。 -
デュッセルドルフのユダヤ人の家庭に生まれたドイツの詩人、
ハインリヒ・ハイネ Christian Johann Heinrich Heine
1797年12月13日 - 1856年2月17日 のお墓。
Div.27
ハイネのお墓には人が集まっていたので、すぐに目に入ってきました。 -
ヌーヴェルヴァーグを代表するフランスの映画監督、
フランソワ・トリュフォー François Roland Truffaut
1932年2月6日 - 1984年10月21日 のお墓。
Div.21
ハイネのお墓の斜め前あたりにトリュフォーのお墓がありました。
シンプルなお墓。 墓石がきれいで、反映する木々が印象的。 -
ロシアの舞踏家、バレエダンサー・振付師である
ヴァーツラフ・フォミッチ・ニジンスキー Vaslav Fomich Nijinsky
1890年3月12日 - 1950年4月8日 のお墓。
Div.22
ニジンスキーのお墓は、個性的なので、すぐに目にとまることでしょう。 -
フランス・象徴主義の画家、
ギュスターヴ・モロー Gustave Moreau
1826年4月6日 - 1898年4月18日 のお墓 (モロー家のお墓)。
Div.22
ニジンスキーのお墓の近くにモロー家のお墓がありました。
ただお墓の地図ではニジンスキーの隣りぐらいに見えますが、
モロー家のお墓は(上4墓石のある)大通りを曲がってみつけられました。
けっこう、みつけづらかったです。
ここで少し、
ギュスターブ・モローの唯一愛した女性、
心の友 アレクサンドリーヌ・デュルー Alexandrine Dureux のお話を・・。
「私が埋葬されるときが来たら
最愛のAの墓の上にだけは花輪をひとつおいてくれないか・・(G.モロー)」 -
モロー一家のお墓
父: L: ルイ(・モロー)
母: P: ポーリーヌ(・モロー)
子: G: ギュスターヴ(・モロー)
ここで 「 G 」 が反転しているのが分かります。 -
「 G 」 が反転している・・
なぜなら・・
モロー一家と向かい合うお墓は、
生涯独身だった G.モロー が 唯一愛した女性 という
アレキサンドリーヌ・ドリュー のお墓 だから。
自分の墓の文字は、
彼女の墓から見えるように反転させて刻んだそうです。
” 永遠にみつめあえるように・・ ”
しかし・・
アレキサンドリーヌのお墓は・・ モローのお墓の後ろにはない・・ !
どこなんだろう・・? ( もっと離れたところなのか・・ ! )
-------------------------------------------------
上の写真の反転「G」の訳・・ 私はそれを確かめたかったのです !!!
確かめたいなと思ったのは、
「 名画の秘密シリーズ7 世紀末からのメッセージ 」
というDVDを見たからなのですが・・
この映像の中で見たアレキサンドリーヌのお墓は、
たしかにここに(モローのお墓の後ろに)あると思ったのです。
彼女のお墓はモロー一家と同じデザインでした。
その同じデザインのお墓には
「A」 (アレクサンドリーヌ) の上に
(正の向きで) 「G」 (ギュスターヴ) と刻んであり、
反対側のモロー一家のお墓は
「G」 の文字が反転して刻まれていました。
なんてドラマチックなんだろうと・・
「 ほんとうに永遠にみつめあってるいるんだ ! 」
というのを見たかったのですが・・
モロー一家のお墓の 「G」 が反転していたことはたしかに確認、
お墓参りもできたから良かったのですが・・。
【 後日談 】
アレクサンドリーヌのお墓はモローのお墓の後ろではなく、
だいぶ離れたところにある、ということが分かりました。
なお、この旅行記の掲示板で、
アレクサンドリーヌのお墓をみつけられたsckさんの報告があります。
興味のある方は、掲示板をご覧くださいませ。 -
・・ そんなこんなドラマチックな
お墓のストーリーを思い出しながら、合掌。
Gustave Moreau (1826.4.6 - 1898.4.18)パリ・モンマルトル墓地 Cimetiere de Montmartre, Paris by wiz さんモンマルトル墓地 建造物
-
「絵画は神の言葉である。
この無言の芸術の雄弁さは、
いつかきっと理解されるだろう。 (G.モロー)」
彼の作品の評価が高まったのは死の60年後くらいだそうです。
ムッシュウ、ギュスターヴ・モロー !
魅惑の絵を描いてくれたね。
自宅を美術館にしてくれて
現代の私たちに、たくさんの作品見させてくれて、感謝。
いい大きさの美術館だった、気に入ったよ。
あ り が と う。
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