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12月29日(金) <br />今日は朝一で、9区にあるギュスターヴ・モロー美術館へ。<br />美術館鑑賞後は、彼の葬儀が行われたというサント・トリニテ教会へ。<br />その後、モンマルトル墓地でモロー一家のお墓参りをしました。<br /><br />美術館には、10時の開館と同時に入りましたので、入館一番のり。<br />この美術館の見所でもある螺旋階段を登り、まず最初に上階へ。<br />素晴らしいモロー作品を人の少ない時間に堪能することができました。 <br /><br />この美術館は、モローが青年の頃から住んだ9区の家<br />(ラ・ロシュフーコー街14番地 14, rue de La Rochefoucauld)<br />を中にある一切と共に国家に寄贈したもので、<br />彼の跡を追うことになる者達の教育に寄与しました。<br /><br />自宅を 「小さな美術館」 にしようという考えは、<br />彼が美術学校で教授をしている時に浮かんだものだそうです。<br /><br />美術館ではすさまじい生産性をもったモローの数多い作品を堪能でき、<br />また、両親とともに住んだ居住部分の部屋を見ることができます。<br /><br />その後、美術館からも近くサン・ラザール駅近くに建つ、<br />モローの葬儀も行われたというラ・トリニテ教会(9区) を見学。<br /><br /> (その後、翌日のロンドン行きのユーロスターの切符を発券しに<br />  サン・ラザール駅へ、そこからメトロ12号線に乗って<br />  モンマルトルへ、そして、モンマルトル散策の最後に、)<br />モンマルトル墓地(18区) で モロー一家のお墓参り をしました。 <br /><br />Musee national Gustave-Moreau <br />14, rue de La Rochefoucauld 75009 PARIS<br />http://www.musee-moreau.fr/<br /><br />Gustave Moreau ( 1826.4.6 - 1898.4.18 )

■ギュスターヴ・モロー美術館 Musee Gustave Moreau/Cimetiere de Montmartre

27いいね!

2006/12/29 - 2006/12/29

2478位(同エリア16384件中)

旅行記グループ パリ・エトセトラ

22

56

wiz

wiz さん

12月29日(金) 
今日は朝一で、9区にあるギュスターヴ・モロー美術館へ。
美術館鑑賞後は、彼の葬儀が行われたというサント・トリニテ教会へ。
その後、モンマルトル墓地でモロー一家のお墓参りをしました。

美術館には、10時の開館と同時に入りましたので、入館一番のり。
この美術館の見所でもある螺旋階段を登り、まず最初に上階へ。
素晴らしいモロー作品を人の少ない時間に堪能することができました。 

この美術館は、モローが青年の頃から住んだ9区の家
(ラ・ロシュフーコー街14番地 14, rue de La Rochefoucauld)
を中にある一切と共に国家に寄贈したもので、
彼の跡を追うことになる者達の教育に寄与しました。

自宅を 「小さな美術館」 にしようという考えは、
彼が美術学校で教授をしている時に浮かんだものだそうです。

美術館ではすさまじい生産性をもったモローの数多い作品を堪能でき、
また、両親とともに住んだ居住部分の部屋を見ることができます。

その後、美術館からも近くサン・ラザール駅近くに建つ、
モローの葬儀も行われたというラ・トリニテ教会(9区) を見学。

 (その後、翌日のロンドン行きのユーロスターの切符を発券しに
  サン・ラザール駅へ、そこからメトロ12号線に乗って
  モンマルトルへ、そして、モンマルトル散策の最後に、)
モンマルトル墓地(18区) で モロー一家のお墓参り をしました。 

Musee national Gustave-Moreau
14, rue de La Rochefoucauld 75009 PARIS
http://www.musee-moreau.fr/

Gustave Moreau ( 1826.4.6 - 1898.4.18 )

旅行の満足度
5.0

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  • 今日は、実質1日目の 12/29(金) 。<br /><br />前日(12/28)のアエロフロートのディレイがあり<br />ホテルには、夜中(12/29午前)の到着となってしまいましたが、<br />それでも9時にはホテルを出たいなと思っていたのですが少し出遅れました。<br /><br />まずは、滞在ホテルの最寄り駅 カデ CADET 駅 にて、<br />公共交通1日乗り放題の モビリス2枚(12/29,31分) と カルネ を購入。<br /><br />モビリスとカルネを購入した カデ CADET 駅 から、<br />〜 シャトーダン通り Rue de Chateaudun<br />〜 ノートルダム・ド・ロレット教会 Eglise Notre-Dame-de-Lorette<br />〜 サン・ラザール通り Rue Saint-Lazare<br />〜 タイブー通り Rue Taitbout     と歩き・・<br /><br />” ショパンの家(スクワール・ドルレアン Square d&#39;Orleans) ” に立寄りました。

    今日は、実質1日目の 12/29(金) 。

    前日(12/28)のアエロフロートのディレイがあり
    ホテルには、夜中(12/29午前)の到着となってしまいましたが、
    それでも9時にはホテルを出たいなと思っていたのですが少し出遅れました。

    まずは、滞在ホテルの最寄り駅 カデ CADET 駅 にて、
    公共交通1日乗り放題の モビリス2枚(12/29,31分) と カルネ を購入。

    モビリスとカルネを購入した カデ CADET 駅 から、
    〜 シャトーダン通り Rue de Chateaudun
    〜 ノートルダム・ド・ロレット教会 Eglise Notre-Dame-de-Lorette
    〜 サン・ラザール通り Rue Saint-Lazare
    〜 タイブー通り Rue Taitbout     と歩き・・

    ” ショパンの家(スクワール・ドルレアン Square d'Orleans) ” に立寄りました。

  •  ”ショパンの家(スクワール・ドルレアン)” から<br />サン・ラザール通り Rue Saint-Lazare へ、そしてモロー美術館へ。<br /><br />写真は、サン・ラザール通り Rue Saint-Lazare から見た<br />サント・トリニテ教会 Eglise de la Sainte-Trinite です。<br />(ギャラリー・ラファイエットの脇の通りからも見える教会です。)<br /><br />このあたりで右に曲がると・・

    ”ショパンの家(スクワール・ドルレアン)” から
    サン・ラザール通り Rue Saint-Lazare へ、そしてモロー美術館へ。

    写真は、サン・ラザール通り Rue Saint-Lazare から見た
    サント・トリニテ教会 Eglise de la Sainte-Trinite です。
    (ギャラリー・ラファイエットの脇の通りからも見える教会です。)

    このあたりで右に曲がると・・

  • ”ギュスターヴ・モロー美術館 Musee national Gustave-Moreau”<br /><br />実は、10時開館とはチェックしていなくて、<br />偶然5〜10分前位に到着しました。<br /><br />ホテルを出遅れてちょうど良かったのです。<br /><br />少し待っていたら、ドアが開きました。<br /><br />トラベラーの cova さんから譲っていただいた<br />カルト・ミュゼ3日券を持っていたのでスムーズに入館できました(感謝) !<br /><br />このカルト・ミュゼは、翌々日の2006年12月31日までしか使えなく、<br />既に、ミュージアムパスに切り替わっていたのです。<br />今日12月29日からの3日間でカルト・ミュゼを有効利用したいと思います !

    ”ギュスターヴ・モロー美術館 Musee national Gustave-Moreau”

    実は、10時開館とはチェックしていなくて、
    偶然5〜10分前位に到着しました。

    ホテルを出遅れてちょうど良かったのです。

    少し待っていたら、ドアが開きました。

    トラベラーの cova さんから譲っていただいた
    カルト・ミュゼ3日券を持っていたのでスムーズに入館できました(感謝) !

    このカルト・ミュゼは、翌々日の2006年12月31日までしか使えなく、
    既に、ミュージアムパスに切り替わっていたのです。
    今日12月29日からの3日間でカルト・ミュゼを有効利用したいと思います !

    ギュスターヴ モロー美術館 博物館・美術館・ギャラリー

  • 美術館へは、開館と同時に一番のり !<br /><br />この館の優雅なスタイルの螺旋階段を独り占め状態で撮影できました !<br /><br />(3階大広間〜4階展示室の間の階段、 ※ 階数は日本式で記述しています。)

    美術館へは、開館と同時に一番のり !

    この館の優雅なスタイルの螺旋階段を独り占め状態で撮影できました !

    (3階大広間〜4階展示室の間の階段、 ※ 階数は日本式で記述しています。)

  • 螺旋階段をあがっていきましょう。

    螺旋階段をあがっていきましょう。

  • まず一気に、最上階(日本式4階)の展示室へ。

    まず一気に、最上階(日本式4階)の展示室へ。

  • 4階に上がってきました。

    4階に上がってきました。

  • 最上階(日本式4階)の手前の展示室。<br /><br />螺旋階段を上がって、まず目を惹くのが<br />「ジュピターとセメレー」 (写真左下)。<br /><br />この階には、二つの扉でつながった二つの部屋があります。

    最上階(日本式4階)の手前の展示室。

    螺旋階段を上がって、まず目を惹くのが
    「ジュピターとセメレー」 (写真左下)。

    この階には、二つの扉でつながった二つの部屋があります。

  • 「ジュピターとセメレー/Jupiter et Semele」 1896年<br /><br />この美術館の中でも最も美しい作品といわれています。<br /><br />1896年に制作された、画家の構想によって完全に完成した最後の作品。<br /><br />ギリシア神話に取材しながら、<br />モロー独自の解釈によって大きな変貌を遂げた晩年の大作。<br /><br />作者モロー自身も、この作品を、<br />自己の思想の意味を最も良く表現する最高傑作の1つと考えていたそうです。<br /><br />「これは神性への賛歌だ。」<br /><br />モローは、この作品に自己の装飾科学のすべてを盛り込みました。<br /><br />主神ジュピター(中央)は、<br />人間に姿を変えてテュロスの女王セメレーのもとに通っていたが、<br />妻ヘラ女神はこれを妬み、<br />ジュピターの本性を確かめるようにと秘かにセメレーをそそのかした。<br />セメレーに懇願されて断りきれなくなったジュピターは、<br />雷神としての本来の姿を顕すが、その時放たれた雷霆によって<br />セメレーは焼け死んでしまう(ジュピターの膝の上に仰向けに倒れかかる)。

    「ジュピターとセメレー/Jupiter et Semele」 1896年

    この美術館の中でも最も美しい作品といわれています。

    1896年に制作された、画家の構想によって完全に完成した最後の作品。

    ギリシア神話に取材しながら、
    モロー独自の解釈によって大きな変貌を遂げた晩年の大作。

    作者モロー自身も、この作品を、
    自己の思想の意味を最も良く表現する最高傑作の1つと考えていたそうです。

    「これは神性への賛歌だ。」

    モローは、この作品に自己の装飾科学のすべてを盛り込みました。

    主神ジュピター(中央)は、
    人間に姿を変えてテュロスの女王セメレーのもとに通っていたが、
    妻ヘラ女神はこれを妬み、
    ジュピターの本性を確かめるようにと秘かにセメレーをそそのかした。
    セメレーに懇願されて断りきれなくなったジュピターは、
    雷神としての本来の姿を顕すが、その時放たれた雷霆によって
    セメレーは焼け死んでしまう(ジュピターの膝の上に仰向けに倒れかかる)。

  • 「自画像/Portrait de Gustave Moreau par lui-meme」 1850年 (24歳)<br /><br />モローはあまり自画像を描いていない。<br /><br />「見えないもの、ただ感ずるもの」、想像の世界を大切にしたモロー。<br /><br />彼は、遺言で、葬式や墓碑などに自分の肖像をかかげることを禁じた。<br /><br />永遠に存続すべき芸術の前に、個人の相貌など消え去るべきだと考えていた。

    「自画像/Portrait de Gustave Moreau par lui-meme」 1850年 (24歳)

    モローはあまり自画像を描いていない。

    「見えないもの、ただ感ずるもの」、想像の世界を大切にしたモロー。

    彼は、遺言で、葬式や墓碑などに自分の肖像をかかげることを禁じた。

    永遠に存続すべき芸術の前に、個人の相貌など消え去るべきだと考えていた。

  • 「パルクと死の天使/La Parque et L’ange de la Mort」 1890年<br /><br />パルクとは、ローマ神話の運命の女神パルカのことであり、<br />ギリシア神話のモイラと同一視される。<br />元来は、人間の運命の糸口をとるラケシス、<br />その糸を紡ぐクロトー、糸を断ち切るアトロポスの三人組。<br />( 馬上の死の天使につき従っている藍色の衣の人物がパルク。 )<br /><br />この作品が描かれていたころ、<br />画家はアレクサンドリーヌ(後述)の死を間近にしていたはずであり、<br />大切な存在を無慈悲に奪ってゆく死への彼のほとばしる思いがみなぎっている。<br /><br />不思議な色彩でのみ描くモローの新しい時代。<br /><br />のちの フォービズム や 表現主義 へつながる作品、なのだそうです。<br /><br />フォービズムといえばマティス。<br /><br />モローは美術学校で教授をし、彼の元からマティスが生まれている。

    「パルクと死の天使/La Parque et L’ange de la Mort」 1890年

    パルクとは、ローマ神話の運命の女神パルカのことであり、
    ギリシア神話のモイラと同一視される。
    元来は、人間の運命の糸口をとるラケシス、
    その糸を紡ぐクロトー、糸を断ち切るアトロポスの三人組。
    ( 馬上の死の天使につき従っている藍色の衣の人物がパルク。 )

    この作品が描かれていたころ、
    画家はアレクサンドリーヌ(後述)の死を間近にしていたはずであり、
    大切な存在を無慈悲に奪ってゆく死への彼のほとばしる思いがみなぎっている。

    不思議な色彩でのみ描くモローの新しい時代。

    のちの フォービズム や 表現主義 へつながる作品、なのだそうです。

    フォービズムといえばマティス。

    モローは美術学校で教授をし、彼の元からマティスが生まれている。

  • 「ヘロデ王の前で踊るサロメ/Salome dansant devant Herode」 1867年頃<br /><br />サロメ。 モローがもっとも愛したモチーフのひとつ。<br /><br />この作品は未完成のものだそうで、<br />サロメの表現に悩んでいたかのようなあやふやさが見られる、とのこと。<br /><br />ところで、この作品の展示してある場所は、<br />窓から陽が差しこんできて、ほんとうに写真は撮りにくかったです・・。<br /> ( ※ トリミングしました。 )

    「ヘロデ王の前で踊るサロメ/Salome dansant devant Herode」 1867年頃

    サロメ。 モローがもっとも愛したモチーフのひとつ。

    この作品は未完成のものだそうで、
    サロメの表現に悩んでいたかのようなあやふやさが見られる、とのこと。

    ところで、この作品の展示してある場所は、
    窓から陽が差しこんできて、ほんとうに写真は撮りにくかったです・・。
     ( ※ トリミングしました。 )

  • 上記、<br />・「自画像/Portrait de Gustave Moreau par lui-meme」 1850年 (24歳)<br />・「パルクと死の天使/La Parque et L’ange de la Mort」 1890年<br />・「ヘロデ王の前で踊るサロメ/Salome dansant devant Herode」 1867年頃<br />のある展示室。

    上記、
    ・「自画像/Portrait de Gustave Moreau par lui-meme」 1850年 (24歳)
    ・「パルクと死の天使/La Parque et L’ange de la Mort」 1890年
    ・「ヘロデ王の前で踊るサロメ/Salome dansant devant Herode」 1867年頃
    のある展示室。

  • 「出現/L&#39;Apparition」 1876年頃<br /><br />モローは1872年頃から「踊るサロメ」の構想を練っており、<br />数十点に及ぶ素描や油彩習作は、『出現』や<br />『ヨハネの首を持つサロメ』などの関連作を含む様々なサロメを示している。<br /><br />1870年頃から、アンリ・ルニョーの『サロメ』、<br />ピュヴィス・ド・シャヴァンヌの『洗礼者聖ヨハネの斬首』、<br />アンリ・レオポール・レヴィの『ヘロデヤ』、<br />ポール・ボードリーのオペラ座天井画の『踊るサロメ』<br />などが相次いで制作・発表されており、<br />モローはそれらから影響を蒙ると同時に、独自性を打ち出す必要があった。<br /><br />彼が採用したのは、左右対称性の強い構図と、<br />レンブラントを意識した微妙な光の効果、<br />当時の雑誌や書物、展覧会などに取材したあらゆる時代と地域の<br />建築及び装飾のモチーフの合成による幻想的な雰囲気であった。<br /><br />上に載せた<br />「ヘロデ王の前で踊るサロメ/Salome dansant devant Herode」では、<br />サロメの表現に悩んでいるようなあやふやさが見られる、とのことでしたが・・<br />この作品では、サロメの表現の仕方が力強い。<br /><br />モローの描くサロメは、<br />中世的で力強く女性的な魅力に欠けている、とも言われたそうです。

    「出現/L'Apparition」 1876年頃

    モローは1872年頃から「踊るサロメ」の構想を練っており、
    数十点に及ぶ素描や油彩習作は、『出現』や
    『ヨハネの首を持つサロメ』などの関連作を含む様々なサロメを示している。

    1870年頃から、アンリ・ルニョーの『サロメ』、
    ピュヴィス・ド・シャヴァンヌの『洗礼者聖ヨハネの斬首』、
    アンリ・レオポール・レヴィの『ヘロデヤ』、
    ポール・ボードリーのオペラ座天井画の『踊るサロメ』
    などが相次いで制作・発表されており、
    モローはそれらから影響を蒙ると同時に、独自性を打ち出す必要があった。

    彼が採用したのは、左右対称性の強い構図と、
    レンブラントを意識した微妙な光の効果、
    当時の雑誌や書物、展覧会などに取材したあらゆる時代と地域の
    建築及び装飾のモチーフの合成による幻想的な雰囲気であった。

    上に載せた
    「ヘロデ王の前で踊るサロメ/Salome dansant devant Herode」では、
    サロメの表現に悩んでいるようなあやふやさが見られる、とのことでしたが・・
    この作品では、サロメの表現の仕方が力強い。

    モローの描くサロメは、
    中世的で力強く女性的な魅力に欠けている、とも言われたそうです。

  • 「出現/L&#39;Apparition」 1876年頃<br /><br />サロメが舞いの後に褒美として所望するはずの洗礼者ヨハネの首が、<br />幻影となって中空に現れ、サロメを驚かす。<br /><br />元来母親のヘロデヤの手先でしかなかった小娘は、<br />モローの中で完全に「ファム・ファタル(宿命の女)」として成熟し、<br />世紀末の絵画をその毒を含んだ魅力で彩る。

    「出現/L'Apparition」 1876年頃

    サロメが舞いの後に褒美として所望するはずの洗礼者ヨハネの首が、
    幻影となって中空に現れ、サロメを驚かす。

    元来母親のヘロデヤの手先でしかなかった小娘は、
    モローの中で完全に「ファム・ファタル(宿命の女)」として成熟し、
    世紀末の絵画をその毒を含んだ魅力で彩る。

  • 「一角獣/The Unicorns」 1885年頃<br /><br />色彩とアラベスクの傑作。<br /><br />伝説上の生き物である一角獣は、<br />森の中で一糸まとわぬ処女をおいておくと、<br />その匂いにつられて出てきて、おとなしくつかまるといわれている。<br /><br />エロチックな含みも感じられるこの伝説を、モローが取り上げたのには、<br />1882年に国家のコレクションとなり公開された中世タピスリーの名品<br />『一角獣と婦人(クリュニー美術館)』が、恐らく一役かっているらしい。<br /><br />裸体の婦人の方は、鋭い剣と<br />『サロメ』や『ヘレネ』が持っているのと同じ白い花を手に持っており、<br />この処女が「ファム・ファタル」の仲間であることを暗示している、とのこと。

    「一角獣/The Unicorns」 1885年頃

    色彩とアラベスクの傑作。

    伝説上の生き物である一角獣は、
    森の中で一糸まとわぬ処女をおいておくと、
    その匂いにつられて出てきて、おとなしくつかまるといわれている。

    エロチックな含みも感じられるこの伝説を、モローが取り上げたのには、
    1882年に国家のコレクションとなり公開された中世タピスリーの名品
    『一角獣と婦人(クリュニー美術館)』が、恐らく一役かっているらしい。

    裸体の婦人の方は、鋭い剣と
    『サロメ』や『ヘレネ』が持っているのと同じ白い花を手に持っており、
    この処女が「ファム・ファタル」の仲間であることを暗示している、とのこと。

  • 「人類の生」 1886年<br /><br />美術館の最も重要な作品のひとつ。<br /><br />人間の生涯の3つの相 : 金の時代、銀の時代、鉄の時代、<br />そして、1日の3つの相 : 朝、昼、夜  が表されている。<br /><br />上列は、金の時代(アダムの物語:幼年期) 祈り、光惚、眠り。<br />中列は、銀の時代(オルフェウスの物語:青年期) 霊感、歌、涙。<br />下列は、鉄の時代(カインの物語:人間の青年期) 労働、休息、死。<br /><br />時代は、左上から右へ段ごとに進行し、<br />最後に上部ペディメントの「贖主キリスト」に至る。

    「人類の生」 1886年

    美術館の最も重要な作品のひとつ。

    人間の生涯の3つの相 : 金の時代、銀の時代、鉄の時代、
    そして、1日の3つの相 : 朝、昼、夜  が表されている。

    上列は、金の時代(アダムの物語:幼年期) 祈り、光惚、眠り。
    中列は、銀の時代(オルフェウスの物語:青年期) 霊感、歌、涙。
    下列は、鉄の時代(カインの物語:人間の青年期) 労働、休息、死。

    時代は、左上から右へ段ごとに進行し、
    最後に上部ペディメントの「贖主キリスト」に至る。

  • 4階展示室から3階大広間へ。

    4階展示室から3階大広間へ。

  • 螺旋階段から3階大広間を望む。<br /><br />左: 「戦いの間歌うティルテ」<br />中: 「求婚者達」<br />右: 「アルゴー号の帰還」

    螺旋階段から3階大広間を望む。

    左: 「戦いの間歌うティルテ」
    中: 「求婚者達」
    右: 「アルゴー号の帰還」

  • 「求婚者達/Les Pretendants」 1852年-<br /><br />縦横20×11mの3階の大広間の一番目立つ場所に飾られています。<br /><br />この作品は、大部分が画家の若い頃、<br />1852年(26歳)頃に構想され制作され、後に筆が加えられ拡大したそうです。<br /><br />テーマは、ホメロスの『オデュッセイア』に名高い<br />オデュッセウスのイタケー帰還の場面。<br /><br />トロヤ戦争の後、20年を経てようやく母国に辿り着いたオデュッセウスは、<br />留守中に多くの男たちが妻ペネロペーに言い寄っているのを知り、<br />乞食に身をやつしてひそかに館に戻り、強弓をもって求婚者たちを射殺していく。<br /><br />画面右手奥で弓を構えているのがオデュッセウスで、<br />中央に光り輝くのが、彼を守護するアテナ神。<br /><br />モローは残虐な光景を扱いながらも、<br />犠牲者の青年たちに陶酔の表情を与え、 <br />「古代の人々にあっては、歌や竪琴の優美、一言でいえば思考の優美が、<br />しばしば血みどろの暴力行為と関係し隣合っている」 ことを示そうとした。<br /><br />構図は、初めトマ・クチュールの<br /> 『 退廃期のローマ人たち(オルセー美術館) 』 に倣って横長であったが、<br />http://bit.ly/1gY4XFZ<br />長年にわたって上下左右に拡大され、壮大な歴史絵巻の相を呈したが、<br />ついに完成されることなく終わった。

    「求婚者達/Les Pretendants」 1852年-

    縦横20×11mの3階の大広間の一番目立つ場所に飾られています。

    この作品は、大部分が画家の若い頃、
    1852年(26歳)頃に構想され制作され、後に筆が加えられ拡大したそうです。

    テーマは、ホメロスの『オデュッセイア』に名高い
    オデュッセウスのイタケー帰還の場面。

    トロヤ戦争の後、20年を経てようやく母国に辿り着いたオデュッセウスは、
    留守中に多くの男たちが妻ペネロペーに言い寄っているのを知り、
    乞食に身をやつしてひそかに館に戻り、強弓をもって求婚者たちを射殺していく。

    画面右手奥で弓を構えているのがオデュッセウスで、
    中央に光り輝くのが、彼を守護するアテナ神。

    モローは残虐な光景を扱いながらも、
    犠牲者の青年たちに陶酔の表情を与え、 
    「古代の人々にあっては、歌や竪琴の優美、一言でいえば思考の優美が、
    しばしば血みどろの暴力行為と関係し隣合っている」 ことを示そうとした。

    構図は、初めトマ・クチュールの
    『 退廃期のローマ人たち(オルセー美術館) 』 に倣って横長であったが、
    http://bit.ly/1gY4XFZ
    長年にわたって上下左右に拡大され、壮大な歴史絵巻の相を呈したが、
    ついに完成されることなく終わった。

  • 3・4階の絵画の部屋を見学し終わったら、<br />2階の、モローの居住部分となっていた小部屋を見学しました。<br /><br />《 ギュスターヴ・モローのアパルトマン Appartement de Gustave Moreau 》

    3・4階の絵画の部屋を見学し終わったら、
    2階の、モローの居住部分となっていた小部屋を見学しました。

    《 ギュスターヴ・モローのアパルトマン Appartement de Gustave Moreau 》

  • 《 レセプション le cabinet de reception 》

    《 レセプション le cabinet de reception 》

  • 《 ダイニングルーム La salle a manger 》

    《 ダイニングルーム La salle a manger 》

  • のどかで明るい色彩の印象派とは逆行し<br />独自の道をつらぬいた孤高の画家ギュスターブ・モロー。<br /><br />目で見えない世界をキャンバスに。<br /><br />神秘と幻想の世界・・。<br /><br />《 寝室 la chambre a coucher 》

    のどかで明るい色彩の印象派とは逆行し
    独自の道をつらぬいた孤高の画家ギュスターブ・モロー。

    目で見えない世界をキャンバスに。

    神秘と幻想の世界・・。

    《 寝室 la chambre a coucher 》

  • ギュスターブ・モローは、1826年4月8日生まれ。<br /><br />父ルイはパリ市の建築家であり、<br />機知に飛んだ人で大変教養が深く、<br />古典びいきで非常な美術好き。<br /><br />両親は特別な天分を息子に見出したわけではなかったが、<br />それが現れたのは母親ポーリーヌとしたイタリア旅行がきっかけ。<br /><br />彼はデッサンで一杯のアルバムを持ち帰り、<br />その描写の達者さと正確さは父親を驚かせたそうです !

    ギュスターブ・モローは、1826年4月8日生まれ。

    父ルイはパリ市の建築家であり、
    機知に飛んだ人で大変教養が深く、
    古典びいきで非常な美術好き。

    両親は特別な天分を息子に見出したわけではなかったが、
    それが現れたのは母親ポーリーヌとしたイタリア旅行がきっかけ。

    彼はデッサンで一杯のアルバムを持ち帰り、
    その描写の達者さと正確さは父親を驚かせたそうです !

  • お母さんとチェスしたのかな・・

    お母さんとチェスしたのかな・・

  • モロー一家も、見たであろう、アパルトマンの窓からの景色。<br /><br />1857年(31歳)にイタリアへと出発したモローは、<br />ローマのすばらしさの虜になったそうです。<br /><br />古代の巨匠達の天才に触れれば触れるほど彼の感激は増すばかりでした。<br /><br />その強い印象は後のいくつかの作品に影響しています。<br /><br />モローは、ロマン派的であるのと同じくらい<br />イタリア15世紀の巨匠達の弟子でもありました。<br /><br />しかし彼独自のスタイルを練り上げるまでには<br />ためらいや暗中模索、苦労なしにはすまなかったみたいようです。

    モロー一家も、見たであろう、アパルトマンの窓からの景色。

    1857年(31歳)にイタリアへと出発したモローは、
    ローマのすばらしさの虜になったそうです。

    古代の巨匠達の天才に触れれば触れるほど彼の感激は増すばかりでした。

    その強い印象は後のいくつかの作品に影響しています。

    モローは、ロマン派的であるのと同じくらい
    イタリア15世紀の巨匠達の弟子でもありました。

    しかし彼独自のスタイルを練り上げるまでには
    ためらいや暗中模索、苦労なしにはすまなかったみたいようです。

  • 常にともに生き、<br />長年あらゆる考えを打ち明けあってきた母ポーリーヌは<br />1884年に亡くなりました。<br /><br />これは激しい驚きであり、<br />悲しみに打ちひしがれた彼は何日も筆を取る気になれないでいました。<br /><br />《 私室 Le Boudoir 》

    常にともに生き、
    長年あらゆる考えを打ち明けあってきた母ポーリーヌは
    1884年に亡くなりました。

    これは激しい驚きであり、
    悲しみに打ちひしがれた彼は何日も筆を取る気になれないでいました。

    《 私室 Le Boudoir 》

  • モロー (1826.4.6 - 1898.4.18) は生涯独身でしたが、<br />彼の心の友とも言うべき女性がいました。<br />アレクサンドリーヌ・デュルー  (1835.11.8 - 1890.3.28)。<br /><br />1890年に彼女の最後を見取った彼は、<br />最も激しい絶望の苦しみを味わいました。<br /><br />そのアレクサンドリーヌの死後、<br />モロー家の部屋に彼女の遺品を集め、<br />モローは彼女の思い出を大事に保管していたそうです。<br /><br />写真右上に飾られている金色の額の絵は<br />「アンドロメダを救うペルセウス」、<br />モローがアレクサンドリーヌに送った絵なんだそうです。

    モロー (1826.4.6 - 1898.4.18) は生涯独身でしたが、
    彼の心の友とも言うべき女性がいました。
    アレクサンドリーヌ・デュルー (1835.11.8 - 1890.3.28)。

    1890年に彼女の最後を見取った彼は、
    最も激しい絶望の苦しみを味わいました。

    そのアレクサンドリーヌの死後、
    モロー家の部屋に彼女の遺品を集め、
    モローは彼女の思い出を大事に保管していたそうです。

    写真右上に飾られている金色の額の絵は
    「アンドロメダを救うペルセウス」、
    モローがアレクサンドリーヌに送った絵なんだそうです。

  • しかし、<br />苦しみがらも彼の芸術にむける信念は変わらず、<br /><br />1892年、美術学校の教授に任命され、<br />教育という新しい活動のおかげで活気づき、<br /><br />死ぬまで彼は休みなく制作をつづけました。<br /><br />病が重くなっても寝台から出られなくなっても<br />ノートにメモをかき続けたそうです。<br /><br />G.モロー、1898年4月18日、死去。<br /><br />彼は、緻密で 繊細な 東洋美術 にも関心を抱いていました。

    しかし、
    苦しみがらも彼の芸術にむける信念は変わらず、

    1892年、美術学校の教授に任命され、
    教育という新しい活動のおかげで活気づき、

    死ぬまで彼は休みなく制作をつづけました。

    病が重くなっても寝台から出られなくなっても
    ノートにメモをかき続けたそうです。

    G.モロー、1898年4月18日、死去。

    彼は、緻密で 繊細な 東洋美術 にも関心を抱いていました。

  • ギュスターヴ・モロー美術館<br />Musee national Gustave-Moreau<br /><br />日本語ミニパンフレット。<br /><br />表紙は<br />「ジュピターとセメレー/Jupiter et Semele」<br /><br />ギュスターヴ・モロー美術館、初代館長は画家ルオー。<br /><br />1892年、<br />モローは、エコール・デ・ボザール(官立美術学校)の教授となり、<br />彼の元から 2巨匠 ルオー、 マティス が生まれている。

    ギュスターヴ・モロー美術館
    Musee national Gustave-Moreau

    日本語ミニパンフレット。

    表紙は
    「ジュピターとセメレー/Jupiter et Semele」

    ギュスターヴ・モロー美術館、初代館長は画家ルオー。

    1892年、
    モローは、エコール・デ・ボザール(官立美術学校)の教授となり、
    彼の元から 2巨匠 ルオー、 マティス が生まれている。

  • モロー美術館のあるロシュフーコー通り Rue de La Rochefoucauld を<br />サンラザール通り Rue Saint-Lazare に下った角に、この看板がありました。<br /><br />カデ Cadet 駅 方面から歩いてきた私は、見つけられなかった !<br /><br />この看板は、サン・ラザール駅 の方から来ると見やすいです。

    モロー美術館のあるロシュフーコー通り Rue de La Rochefoucauld を
    サンラザール通り Rue Saint-Lazare に下った角に、この看板がありました。

    カデ Cadet 駅 方面から歩いてきた私は、見つけられなかった !

    この看板は、サン・ラザール駅 の方から来ると見やすいです。

  • サント・トリニテ教会 Eglise de la Sainte Trinite<br /><br />1898年、ギュスターヴ・モローの葬儀も行われたという教会。<br /><br />歴史様式の復興が盛んに行われた19世紀パリの代表例。<br />ネオ・ルネサンスの優雅な外観が特徴。<br />ファザードは、主扉口、バラ窓、鐘塔を垂直に積層させた<br />中央の柱間を中心に、両脇の扉口と小塔を左右対称に配している。

    サント・トリニテ教会 Eglise de la Sainte Trinite

    1898年、ギュスターヴ・モローの葬儀も行われたという教会。

    歴史様式の復興が盛んに行われた19世紀パリの代表例。
    ネオ・ルネサンスの優雅な外観が特徴。
    ファザードは、主扉口、バラ窓、鐘塔を垂直に積層させた
    中央の柱間を中心に、両脇の扉口と小塔を左右対称に配している。

    サントトリニテ教会 寺院・教会

  • サント・トリニテ教会 Eglise de la Sainte Trinite<br /><br />なんて青い空 !  気持ちいい !

    サント・トリニテ教会 Eglise de la Sainte Trinite

    なんて青い空 !  気持ちいい !

  • サント・トリニテ教会 Eglise de la Sainte Trinite<br /><br />この教会で、G.モローの葬儀が行われたそうです。<br />

    サント・トリニテ教会 Eglise de la Sainte Trinite

    この教会で、G.モローの葬儀が行われたそうです。

  • サント・トリニテ教会 Eglise de la Sainte Trinite

    サント・トリニテ教会 Eglise de la Sainte Trinite

  • サント・トリニテ教会 Eglise de la Sainte Trinite<br /><br />作曲家ベルイオーズの葬儀も、この教会で行われたそうです。

    サント・トリニテ教会 Eglise de la Sainte Trinite

    作曲家ベルイオーズの葬儀も、この教会で行われたそうです。

  • サント・トリニテ教会 Eglise de la Sainte Trinite<br />

    サント・トリニテ教会 Eglise de la Sainte Trinite

  • サント・トリニテ教会 Eglise de la Sainte Trinite<br /><br />教会内には、クレッシュが飾られていました。

    サント・トリニテ教会 Eglise de la Sainte Trinite

    教会内には、クレッシュが飾られていました。

  • サント・トリニテ教会  Eglise de la Sainte Trinite から、<br />国鉄サン・ラザール駅 Gare de Paris-Saint-Lazare に来ました。<br /><br />まずは、モネの絵画にも描かれている有名な駅舎を何枚か撮影しました。

    サント・トリニテ教会  Eglise de la Sainte Trinite から、
    国鉄サン・ラザール駅 Gare de Paris-Saint-Lazare に来ました。

    まずは、モネの絵画にも描かれている有名な駅舎を何枚か撮影しました。

    サン ラザール駅

  • フランス国鉄 サン・ラザール駅 Gare de Paris-Saint-Lazare<br /><br />列車がとまっていないホームでも撮ってみました。

    フランス国鉄 サン・ラザール駅 Gare de Paris-Saint-Lazare

    列車がとまっていないホームでも撮ってみました。

  • フランス国鉄 サン・ラザール駅 Gare de Paris-Saint-Lazare<br /><br />さらに、もう少し斜めの構図でも。

    フランス国鉄 サン・ラザール駅 Gare de Paris-Saint-Lazare

    さらに、もう少し斜めの構図でも。

  • フランス国鉄 サン・ラザール駅 Gare de Paris-Saint-Lazare<br /><br />明日、ロンドンへ日帰り(主目的はナショナル・ギャラリー)するので、<br />インターネット予約した切符を、窓口引き換えに来ました。<br />http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=39870909<br /><br />voyages-sncf で予約したのですが、<br />ロンドン行きのユーロスターの切符はeチケットにならなかったのです。

    フランス国鉄 サン・ラザール駅 Gare de Paris-Saint-Lazare

    明日、ロンドンへ日帰り(主目的はナショナル・ギャラリー)するので、
    インターネット予約した切符を、窓口引き換えに来ました。
    http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=39870909

    voyages-sncf で予約したのですが、
    ロンドン行きのユーロスターの切符はeチケットにならなかったのです。

    サン ラザール駅

  • メトロ サン・ラザール駅 Station de Saint-Lazare (Metro de Paris)<br /><br />ユーロスターの切符引換えが終わってから、<br />メトロ12号線で<br />サン・ラザール駅からジュール・ジョフラン駅まで行きました。<br /><br />それから、ユトリロの風景を探してモンマルトル散策しました。<br /><br /> ( ※ モンマルトル散策は、別旅行記にて。 )

    メトロ サン・ラザール駅 Station de Saint-Lazare (Metro de Paris)

    ユーロスターの切符引換えが終わってから、
    メトロ12号線で
    サン・ラザール駅からジュール・ジョフラン駅まで行きました。

    それから、ユトリロの風景を探してモンマルトル散策しました。

     ( ※ モンマルトル散策は、別旅行記にて。 )

    サン ラザール駅

  • (モンマルトルで散策した後は、歩いて)<br />モンマルトル墓地 Cimetiere de Montmartre に到着しました。

    (モンマルトルで散策した後は、歩いて)
    モンマルトル墓地 Cimetiere de Montmartre に到着しました。

    モンマルトル墓地 建造物

    パリ・モンマルトル墓地 Cimetiere de Montmartre, Paris by wiz さん
  • モンマルトル墓地内マップ1<br /><br />ピンク色の★が、モローのお墓。<br /><br />ブルー色の★を、この旅行記に載せました。<br />(ベルリオーズ、ハイネ、Fトリュフォー、ニジンスキー)<br /><br />私は、この図の右下の出入口▲▼から入りました。<br /><br />モンマルトル墓地の入口 Google ストリートビュー<br />http://bit.ly/1EDRadx

    モンマルトル墓地内マップ1

    ピンク色の★が、モローのお墓。

    ブルー色の★を、この旅行記に載せました。
    (ベルリオーズ、ハイネ、Fトリュフォー、ニジンスキー)

    私は、この図の右下の出入口▲▼から入りました。

    モンマルトル墓地の入口 Google ストリートビュー
    http://bit.ly/1EDRadx

  • モンマルトル墓地内マップ2<br /><br />ピンク色の★が、モローのお墓。<br /><br />ブルー色の★を、この旅行記に載せました。

    モンマルトル墓地内マップ2

    ピンク色の★が、モローのお墓。

    ブルー色の★を、この旅行記に載せました。

  • フランスのロマン派音楽の作曲家、<br />エクトル・ベルリオーズ Louis Hector Berlioz<br />1803年12月11日 - 1869年3月8日  のお墓。<br /><br />Div.20<br /><br />ベルリオーズのお墓は、威厳のあるものでした。

    フランスのロマン派音楽の作曲家、
    エクトル・ベルリオーズ Louis Hector Berlioz
    1803年12月11日 - 1869年3月8日  のお墓。

    Div.20

    ベルリオーズのお墓は、威厳のあるものでした。

  • デュッセルドルフのユダヤ人の家庭に生まれたドイツの詩人、<br />ハインリヒ・ハイネ Christian Johann Heinrich Heine<br />1797年12月13日 - 1856年2月17日  のお墓。<br /><br />Div.27<br /><br />ハイネのお墓には人が集まっていたので、すぐに目に入ってきました。

    デュッセルドルフのユダヤ人の家庭に生まれたドイツの詩人、
    ハインリヒ・ハイネ Christian Johann Heinrich Heine
    1797年12月13日 - 1856年2月17日  のお墓。

    Div.27

    ハイネのお墓には人が集まっていたので、すぐに目に入ってきました。

  • ヌーヴェルヴァーグを代表するフランスの映画監督、<br />フランソワ・トリュフォー François Roland Truffaut<br />1932年2月6日 - 1984年10月21日  のお墓。<br /><br />Div.21<br /><br />ハイネのお墓の斜め前あたりにトリュフォーのお墓がありました。<br /><br />シンプルなお墓。 墓石がきれいで、反映する木々が印象的。

    ヌーヴェルヴァーグを代表するフランスの映画監督、
    フランソワ・トリュフォー François Roland Truffaut
    1932年2月6日 - 1984年10月21日  のお墓。

    Div.21

    ハイネのお墓の斜め前あたりにトリュフォーのお墓がありました。

    シンプルなお墓。 墓石がきれいで、反映する木々が印象的。

  • ロシアの舞踏家、バレエダンサー・振付師である<br />ヴァーツラフ・フォミッチ・ニジンスキー Vaslav Fomich Nijinsky<br />1890年3月12日 - 1950年4月8日  のお墓。<br /><br />Div.22<br /><br />ニジンスキーのお墓は、個性的なので、すぐに目にとまることでしょう。<br />

    ロシアの舞踏家、バレエダンサー・振付師である
    ヴァーツラフ・フォミッチ・ニジンスキー Vaslav Fomich Nijinsky
    1890年3月12日 - 1950年4月8日  のお墓。

    Div.22

    ニジンスキーのお墓は、個性的なので、すぐに目にとまることでしょう。

  • フランス・象徴主義の画家、<br />ギュスターヴ・モロー Gustave Moreau<br />1826年4月6日 - 1898年4月18日  のお墓 (モロー家のお墓)。<br /><br />Div.22<br /><br />ニジンスキーのお墓の近くにモロー家のお墓がありました。<br /><br />ただお墓の地図ではニジンスキーの隣りぐらいに見えますが、<br />モロー家のお墓は(上4墓石のある)大通りを曲がってみつけられました。<br /><br />けっこう、みつけづらかったです。<br /><br />ここで少し、<br />ギュスターブ・モローの唯一愛した女性、<br />心の友 アレクサンドリーヌ・デュルー Alexandrine Dureux のお話を・・。<br /><br />「私が埋葬されるときが来たら<br /> 最愛のAの墓の上にだけは花輪をひとつおいてくれないか・・(G.モロー)」

    フランス・象徴主義の画家、
    ギュスターヴ・モロー Gustave Moreau
    1826年4月6日 - 1898年4月18日  のお墓 (モロー家のお墓)。

    Div.22

    ニジンスキーのお墓の近くにモロー家のお墓がありました。

    ただお墓の地図ではニジンスキーの隣りぐらいに見えますが、
    モロー家のお墓は(上4墓石のある)大通りを曲がってみつけられました。

    けっこう、みつけづらかったです。

    ここで少し、
    ギュスターブ・モローの唯一愛した女性、
    心の友 アレクサンドリーヌ・デュルー Alexandrine Dureux のお話を・・。

    「私が埋葬されるときが来たら
     最愛のAの墓の上にだけは花輪をひとつおいてくれないか・・(G.モロー)」

  • モロー一家のお墓<br /><br />父: L: ルイ(・モロー)<br />母: P: ポーリーヌ(・モロー)<br />子: G: ギュスターヴ(・モロー)<br /><br />ここで 「 G 」 が反転しているのが分かります。

    モロー一家のお墓

    父: L: ルイ(・モロー)
    母: P: ポーリーヌ(・モロー)
    子: G: ギュスターヴ(・モロー)

    ここで 「 G 」 が反転しているのが分かります。

  • 「 G 」 が反転している・・<br /><br />なぜなら・・<br /><br />モロー一家と向かい合うお墓は、<br />生涯独身だった G.モロー が 唯一愛した女性 という<br />アレキサンドリーヌ・ドリュー のお墓 だから。<br /><br />自分の墓の文字は、<br />彼女の墓から見えるように反転させて刻んだそうです。<br /><br />” 永遠にみつめあえるように・・ ”<br /><br /><br />しかし・・<br />アレキサンドリーヌのお墓は・・ モローのお墓の後ろにはない・・ !<br />どこなんだろう・・? ( もっと離れたところなのか・・ ! )<br /><br />-------------------------------------------------<br /><br />上の写真の反転「G」の訳・・ 私はそれを確かめたかったのです !!!<br /><br />確かめたいなと思ったのは、<br />「 名画の秘密シリーズ7 世紀末からのメッセージ 」<br />というDVDを見たからなのですが・・<br /><br />この映像の中で見たアレキサンドリーヌのお墓は、<br />たしかにここに(モローのお墓の後ろに)あると思ったのです。<br /><br />彼女のお墓はモロー一家と同じデザインでした。<br /><br />その同じデザインのお墓には<br />「A」 (アレクサンドリーヌ) の上に<br />(正の向きで) 「G」 (ギュスターヴ) と刻んであり、<br />反対側のモロー一家のお墓は<br />「G」 の文字が反転して刻まれていました。<br /><br />なんてドラマチックなんだろうと・・<br />「 ほんとうに永遠にみつめあってるいるんだ ! 」<br />というのを見たかったのですが・・<br /><br />モロー一家のお墓の 「G」 が反転していたことはたしかに確認、<br />お墓参りもできたから良かったのですが・・。<br /><br />【 後日談 】<br /> アレクサンドリーヌのお墓はモローのお墓の後ろではなく、<br /> だいぶ離れたところにある、ということが分かりました。<br /> なお、この旅行記の掲示板で、<br /> アレクサンドリーヌのお墓をみつけられたsckさんの報告があります。<br /> 興味のある方は、掲示板をご覧くださいませ。

    「 G 」 が反転している・・

    なぜなら・・

    モロー一家と向かい合うお墓は、
    生涯独身だった G.モロー が 唯一愛した女性 という
    アレキサンドリーヌ・ドリュー のお墓 だから。

    自分の墓の文字は、
    彼女の墓から見えるように反転させて刻んだそうです。

    ” 永遠にみつめあえるように・・ ”


    しかし・・
    アレキサンドリーヌのお墓は・・ モローのお墓の後ろにはない・・ !
    どこなんだろう・・? ( もっと離れたところなのか・・ ! )

    -------------------------------------------------

    上の写真の反転「G」の訳・・ 私はそれを確かめたかったのです !!!

    確かめたいなと思ったのは、
    「 名画の秘密シリーズ7 世紀末からのメッセージ 」
    というDVDを見たからなのですが・・

    この映像の中で見たアレキサンドリーヌのお墓は、
    たしかにここに(モローのお墓の後ろに)あると思ったのです。

    彼女のお墓はモロー一家と同じデザインでした。

    その同じデザインのお墓には
    「A」 (アレクサンドリーヌ) の上に
    (正の向きで) 「G」 (ギュスターヴ) と刻んであり、
    反対側のモロー一家のお墓は
    「G」 の文字が反転して刻まれていました。

    なんてドラマチックなんだろうと・・
    「 ほんとうに永遠にみつめあってるいるんだ ! 」
    というのを見たかったのですが・・

    モロー一家のお墓の 「G」 が反転していたことはたしかに確認、
    お墓参りもできたから良かったのですが・・。

    【 後日談 】
     アレクサンドリーヌのお墓はモローのお墓の後ろではなく、
     だいぶ離れたところにある、ということが分かりました。
     なお、この旅行記の掲示板で、
     アレクサンドリーヌのお墓をみつけられたsckさんの報告があります。
     興味のある方は、掲示板をご覧くださいませ。

  • ・・ そんなこんなドラマチックな<br />お墓のストーリーを思い出しながら、合掌。<br /><br />Gustave Moreau (1826.4.6 - 1898.4.18)<br /><br /><br />

    ・・ そんなこんなドラマチックな
    お墓のストーリーを思い出しながら、合掌。

    Gustave Moreau (1826.4.6 - 1898.4.18)


    モンマルトル墓地 建造物

    パリ・モンマルトル墓地 Cimetiere de Montmartre, Paris by wiz さん
  • 「絵画は神の言葉である。<br /> この無言の芸術の雄弁さは、<br /> いつかきっと理解されるだろう。 (G.モロー)」<br /><br />彼の作品の評価が高まったのは死の60年後くらいだそうです。<br /><br />ムッシュウ、ギュスターヴ・モロー !<br /><br />魅惑の絵を描いてくれたね。<br /><br />自宅を美術館にしてくれて<br />現代の私たちに、たくさんの作品見させてくれて、感謝。<br /><br />いい大きさの美術館だった、気に入ったよ。<br /><br />あ り が と う。<br /><br />

    「絵画は神の言葉である。
     この無言の芸術の雄弁さは、
     いつかきっと理解されるだろう。 (G.モロー)」

    彼の作品の評価が高まったのは死の60年後くらいだそうです。

    ムッシュウ、ギュスターヴ・モロー !

    魅惑の絵を描いてくれたね。

    自宅を美術館にしてくれて
    現代の私たちに、たくさんの作品見させてくれて、感謝。

    いい大きさの美術館だった、気に入ったよ。

    あ り が と う。

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この旅行記へのコメント (22)

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  • ジンさん 2015/09/26 21:15:15
    ギュスターヴ・モロー美術館
    こんにちは。

    ギュスターヴ・モロー美術館は、今、一番行きたい美術館です。
    以前、パリにトランシットで立ち寄ったことがあるのですが、
    そのとき行けばよかったといまさらながら思います。

    一番、見たい絵は、「出現」

    きれいに撮影されていたので、コメントしてみました。



    wiz

    wiz さん からの返信 2015/09/26 21:45:44
    RE: ギュスターヴ・モロー美術館
    ジンさん、メッセージと投票ありがとうございます。

    ジンさんの、早朝のモンマルトル散策拝見しました。
    なんとも微妙な時間帯のサクレ・クール、とても美しかったです。

    ヴァチカンでのクリスマスも貴重な体験でしたね。

    私は復活祭の時期にヴァチカン(やイタリア)訪問したことがあるのですが、列車の中で出会ったアメリカから来た御家族がこれからヴァチカンに行く・・とおっしゃっていました。 その後、私自身もヴァチカン(サン・ピエトロ寺院)へ行きましたが、沢山椅子が並べられ復活祭の準備中でした。 ジンさんが感じられたように、私も、復活祭の時期も各地からここへ集まってくるんだなぁ、というのを感じました。

    モロー美術館、次回、パリへ寄られた時のお楽しみですね !

       wiz
  • 旅するうさぎさん 2013/02/16 21:58:00
    ギュスターヴ・モロー美術館
    wiz さん、はじめまして。こんばんは。

    ギュスターヴ・モロー美術館の旅行記を拝見しました。
    この美術館、私はパリの美術館の中で一番好きです。

    初め、モローについては日本の美術展で何点か見て
    少し興味を持ったにすぎなかったのですが、
    この美術館に行ってみて、一気に好きになりました。

    モローの絵にもうっとりですが、
    絵も含めてこの美術館自体が、
    これまたうっとりするような空間で
    いつまでも、いつまでも、ここにいたい・・・
    と思うような場所でした。

    今日はwizさんの素敵な旅行記を拝見することができ
    本当に良かったです。


    旅するうさぎ

    wiz

    wiz さん からの返信 2013/02/22 12:15:28
    RE: ギュスターヴ・モロー美術館
    旅するうさぎさん、はじめまして。

    お返事が遅くなってしまい申し訳ございません。
    モロー美術館の旅行記見て頂きありがとうございます。

    そういえば、ちょうど先日BSのテレビ番組でも
    モロー美術館が映っていましたね!

    > ギュスターヴ・モロー美術館の旅行記を拝見しました。
    > この美術館、私はパリの美術館の中で一番好きです。
    >
    > 初め、モローについては日本の美術展で何点か見て
    > 少し興味を持ったにすぎなかったのですが、
    > この美術館に行ってみて、一気に好きになりました。
    >
    > モローの絵にもうっとりですが、
    > 絵も含めてこの美術館自体が、
    > これまたうっとりするような空間で
    > いつまでも、いつまでも、ここにいたい・・・
    > と思うような場所でした。

    同感です!かつてのモローの邸宅の壁一面に
    モローの絵画が並べられているところがなんとも良いんですよね〜。
    家具などの調度品なども残る小さな部屋も残っていたり、
    モローが暮らしていた頃の様子を垣間見ることができて嬉しいですよね。
    2008年に訪問した時はちょうど閉まっていて残念でした。
    この2006年の訪問ではモローのお墓参りもできたので印象に残っています。

    旅するうさぎさんのチロル旅行記、清々しい気持ちになりました。
    これからも素敵な写真、旅行記アップされますように。

      wiz
  • sckさん 2012/09/18 11:14:06
    アレキサンドリーヌさんのお墓の場所
    wizさん、始めまして。sckと申します。

    先日、あなたの記事を拝見して、無事にモンマルトル墓地のギュスターヴ・モロー様のお墓参りに行ってくることができました。ありがとうございました!

    そして、彼の最愛のアレキサンドリーヌさんのお墓、ひょんなことから見つけることができたので、お知らせします。

    ご推察どおり、場所はかなり離れていました。
    (モロー家のお墓から出口に向かって歩いていく途中にありました。)
    モンマルトル墓地の東端の方、上に Rue Caulaincourtが通っている高架橋がありますが、その橋の下のエリアです。

    目印は、画家のパレットが付いている大きなお墓です。
    その後ろの方に、モロー家と同じデザインの石碑が見えたので、もしかして、と思って近づいてみたら、彼女のお墓でした。

    表側を向いたGの字と、Aの字が美しく重ねられていて、とても深い愛情を感じました・・・

    wiz

    wiz さん からの返信 2012/09/18 17:00:20
    RE: アレキサンドリーヌさんのお墓の場所
    > wizさん、始めまして。sckと申します。
    >
    > 先日、あなたの記事を拝見して、無事にモンマルトル墓地のギュスターヴ・モロー様のお墓参りに行ってくることができました。ありがとうございました!

    sckさん、Bonjour〜〜〜はじめまして。
    モローのお墓参りされたんですね〜。
    旅行記が少しでもお役に立てて良かったです。


    > そして、彼の最愛のアレキサンドリーヌさんのお墓、ひょんなことから見つけることができたので、お知らせします。
    >
    > ご推察どおり、場所はかなり離れていました。
    > (モロー家のお墓から出口に向かって歩いていく途中にありました。)
    > モンマルトル墓地の東端の方、上に Rue Caulaincourtが通っている高架橋がありますが、その橋の下のエリアです。
    >
    > 目印は、画家のパレットが付いている大きなお墓です。
    > その後ろの方に、モロー家と同じデザインの石碑が見えたので、もしかして、と思って近づいてみたら、彼女のお墓でした。
    >
    > 表側を向いたGの字と、Aの字が美しく重ねられていて、とても深い愛情を感じました・・・

    アレキサンドリーヌさんのお墓もみつけられたんですね!
    実はこの写真のコメントを書いた後、コメント内に書いているDVDを
    もう1度 ”良く”見直したら、(彼女のお墓は)高架下の辺りだな〜・・
    というのは推測がついたのですが、その後まだ行く機会がなくて。。。

    今度行く機会があれば、sckさんに教えてもらった「目印」をみつけますね!
    情報ありがとうございました〜〜〜!

      wiz

  • まみさん 2008/01/17 12:08:55
    勉強になりました@
    voodooさん、こんにちは。

    モローの絵は好きです。
    学生のときにNHKテレビ・フランス語会話で紹介されたのがモローを知ったきっかけでした。
    絵そのものが好き好きといっていて、モロー自身についてはよく知りませんでした。
    勉強になりました。
    モロー美術館は、友人とパリに行ったとき、真っ先に行こうね、と2人で意見が一致したところです。
    友人はパリは初めてでしたが、エッフェル塔やノートルダムやルーブルやオルセーの前にモローです@
    記憶はだいぶ薄れていましたが、voodooさんのおかげで、うっすら思い出せました。
    螺旋階段はちょっと怖かったことを覚えています@

    wiz

    wiz さん からの返信 2008/01/19 13:27:14
    RE: 勉強になりました@
    まみさん、こんにちは!

    モローの絵、私も、見ているだけでとても惹きこまれるし
    (いつだったか忘れましたが)以前から好きで気になっていました。

    >エッフェル塔やノートルダムやルーブルやオルセーの前にモローです@
    私もこの旅の一番初めの行き先がモロー美術館でした!
    っと言っても、滞在先がここに近く歩いて行けたのもありますが(笑)
    後回しにしないでどうしても行きたかった(見たかった)ので。。。

    >絵そのものが好き好きといっていて、モロー自身については・・・
    私もモローの人生やヒストリーについては行く前に見たDVDや本、
    帰ってきてから美術館で買った本などを読んでから、
    そしてこの旅行記を書きながら頭にインプットできました。
    それまではやはり絵を見て好きだなぁと思う画家さんの1人でした。
    実際ここでこれだけモロー作品に囲まれると物凄い雰囲気がありますよね!
    ギリシア神話をもっともっと知りたいと思いました♪
    (帰ってきて、本を借りたり買ったり^^;)

    >螺旋階段はちょっと怖かったことを覚えています@
    えーー!!ほんとですか〜?
    私は写真でこの螺旋階段を見ていて、素敵だなぁと思っていて、
    (朝一番に入ることが出来たので)その日一番ノリでここまで上がって
    誰もいないところで「やったぁ〜!」と写真撮影していました(笑)

    ひさびさにモロー美術館にコメントいただき、私も思い出しました♪
  • 迷子さん 2007/02/12 00:40:30
    今でこそ。
    名称は美術館どすが、何てったって
    画家個人のアトリエ兼居住家屋だったんすね〜。
    (迷子が想像するに)
    美術館と言うよりも美術展をやってるサロンっぽい感じで素敵どすな!
    そうか、モローさんも生前より没後の方が評価が上がったんどすな、
    でもポワァ〜ンとした多彩な色使いがいいすっね。
    最後にお墓まで探すて旅行記を〆るなんて、
    凄いどすよん!モローの情熱がそうさせた?どすかな。

    wiz

    wiz さん からの返信 2007/02/12 12:01:02
    RE: 今でこそ。
    >名称は美術館どすが、何てったって
    >画家個人のアトリエ兼居住家屋だったんすね〜。
    >(迷子が想像するに)
    >美術館と言うよりも美術展をやってるサロンっぽい感じで素敵どすな!

    迷子のプロさん、まさしくそうですよねぇーー
    このラ・ロシュフーコー街の館を両親が買ったのが1852年で、
    モローも青年から晩年までここに住んだらしいから
    そんなことも考えながら作品を見るのも楽しかったです。

    モローはギリシャやローマの古典神話を
    子供の時から楽しんで空想で絵を描くのが好きだったらしいけれど・・・
    ほんと同時代の"印象派"とは逆行してました。

    >最後にお墓まで探すて旅行記を〆るなんて、
    >凄いどすよん!モローの情熱がそうさせた?どすかな。

    唯一愛した?心の友(女性)アレキサンドリーヌさんとの
    お墓のストーリーも見たくてまたまたお墓参りで〆ちゃいました^^;
  • Tedさん 2007/02/10 02:28:46
    感激*2
    Voodooさん、こんにちは

    モロー美術館凄いですね。感激です。
    あんなに所せましと名画が展示されていたら、卒倒しそう(^^)

    モローといえば、一角獣と美女の金箔の装飾、ってイメージがあるのですが、ここを訪れると、それ以外のモローの素晴らしさも発見できそうですね。

    それに、Voodooさんの知識に感激!
    これは半端じゃないですよ。凄い調査
    DVD見たくなりました

    Ted

    wiz

    wiz さん からの返信 2007/02/10 18:44:43
    RE: 感激*2
    Tedさん、ようこそ♪

    >モロー美術館凄いですね。感激です。
    >あんなに所せましと名画が展示されていたら、卒倒しそう(^^)

    そうですねぇ〜若干卒倒ぎみかも・・・(笑)
    うっとりの陶酔空間です♪
    今までどこかの美術館や展覧会で見た
    モローの数枚にも立ち止まって見るタイプでしたが、
    ここラ・ロシュフーコー街14番地は彼が20台半ばから
    人生の大半を過ごした場所(美術館)ということもあり感慨深かったです。
    Tedさん、パリ出張はありますか?
    出張でいろいろ行ける方が羨ましいですぅ〜!

    >それに、Voodooさんの知識に感激!
    >これは半端じゃないですよ。凄い調査
    >DVD見たくなりました

    いえいえ、そんなーーー(照)
    DVDのおかげっていうのがだいぶありますよ!
    あとは写真に載せているパンフレットも大いに利用です^^;

    でも自分が感動する写真や映像、本に出会うのも大切ですよね!
    実物を見たいとか、旅行に行きたい原動力・きっかけになります。
    この日経映像DVDのアートシリーズは私が借りに行く図書館に
    置いてあって、昨日もまた10冊の本と2枚のDVD借りてきました♪
  • コクリコさん 2007/02/09 20:59:08
    トラックバック
    voodooさん、こんばんは。
    2回ほどvoodooさんの「ギュスターヴ・モロー」旅行記にトラックバックを送ったのですが、届いていないようですね。
    私の所にはvoodooさんのトラックバックが届きました!
    やはり私のPCガタがきていてコピペできないので写し方間違えたのかしら?
    私の管理ページではトラックバック2回とも送信されているのよ。
    他のトラベラーさんの所に行っちゃったかも、どうしよう(オロオロ)。
    「ギュスターヴ・モロー」がくっついちゃってびっくりされているかもしれませんね。削除してくださると良いのだけれど。
    慣れないことすると失敗するわね(^^;)

    voodooさんもモローのお手洗い写したのですね(^^)
    アレクサンドリーヌのお墓はモローのお墓の目の前でしたか。
    後で知って、あっそうだったのか!と思うことの方が多いですね。
    voodooさんの旅行記を拝見していると、事前にしっかり調べられているから「しまった!」が少なそうですよ(*^^*)

    wiz

    wiz さん からの返信 2007/02/09 21:13:00
    RE: トラックバック
    今、コクリコさんのBBSでもお詫びを書き残してきたんですが・・・
    オランジュリーのトラックバック後、
    そういえばトラックバック設定していたんです、私、
    すっかりと忘れてました、ガーン・・・スイマセ---ン・・・m(_ _)mm(_ _)mm(_ _)m

    先ほど受信したので(もちろん承認^^)
    ちゃんと反映されました!

    大変大変ご迷惑をおかけしましたm(_ _)m
    今日はコピペできましたか・・・?

    P.S.お昼には受信していなかったです

    コクリコ

    コクリコさん からの返信 2007/02/09 21:34:43
    RE: トラックバック
    voodooさん、ちょうど今voodooさんからの書き込み拝見してお返事を書いた所でした。
    こちらこそ、すみませんでした。
    お昼頃に送ったのはおはりどこか違うトラベラーさんの所に行ってしまったようです。私の掲示板でも書きましたが「/」を書くのを忘れていました。それでもどこかへ送られてしまうのですね。それとも宙ぶらりんになっているのかしら?こちらから削除できないのが辛いです。
    コピペは今日もできなかったんですよ。持ち主と同じくガタがきているPCです。
    お騒がせしてすみませんでした。また懲りずによろしくお願いいたします。
  • コクリコさん 2007/02/09 11:47:30
    モロー美術館
    voodooさん、こんにちは〜
    やっとモロー美術館のUPがし終わりましたので遊びに来ました。
    なんか〜コメント買いていたら何を書きたいんだかわからないまま、またモロー美術館に行きたくなってしまいました!

    voodooさん、すごーく写真の写し方上手ですね。
    見入ってしまいました。モローの絵の素晴らしさが写真から伝わって来ますよ。
    見習わせていただきますね♪
    私はブレやピンぼけが多かったです。
    特に螺旋階段はvoodooさんの絵ハガキみたいで素敵!
    美術館の雰囲気も良かったですよね。パリに行く機会があったらまた行ってしまいそうです。もっとしっかり観たい絵もあるし・・・

    voodooさんが行かれた日は天気が良くて良かったですね。私は雨の日だったのでサン・トリニテ教会は暗くてほとんど撮れませんでした。
    それにクリスマスのお人形が飾ってあったのですね。良い季節にいらっしゃいましたね。
    モンマルトル墓地へは行きましたが、モローのお墓は以前お参りしたので写真を撮らなかったのです。ちょっと残念。その変わりと言っては不謹慎ですが、モロー美術館のお手洗い写してきました(^^;)

    モロー美術館もトラックバックさせていただきますね。私の所にもくっつけてくださいね。

    コクリコ

    コクリコさん からの返信 2007/02/09 14:03:59
    RE: あれ〜?
    トラックバックしたと思ったのにまた失敗しています。
    もう一度挑戦してみますね。皆さん簡単そうなのに私のPCは上手くいかないわ。
    先ほど投票するの忘れたので投票しますね♪

    wiz

    wiz さん からの返信 2007/02/09 20:01:32
    RE: モロー美術館
    コクリコさん、こんばんは〜

    お言葉に甘えてまたまた今トラックバック送信しました♪
    UPし終わったんですね!

    >モローの絵の素晴らしさが写真から伝わって来ますよ。

    ほんとですか〜??? それはうれしいです♪
    天気のいいのは良かったけれど絵に光が反射して大変(笑)!
    でもふと思ったんですけど、もしや午後から行けば
    光が入らない&反射しないのかなぁなんて・・・。。。
    ただ今回みたいな開館時間だとかなり人が少なくていいんですよね〜^^;

    そう!螺旋階段はきれいに撮りたいと思っていたので気合を入れました(笑)
    今、トラックバックURLを探しにコクリコさんのをざっと見たんですが
    絵画の写真、反射してなくていいなぁ〜と思いました!
    ほんと雰囲気のいい・・・それにここにモローが暮らしていたのね〜
    など考えながら見れるのがうれしいなぁと思いました。

    私も、もうちょっとゆっくり見たいなぁと思います。
    そしたらまた写真撮影にトライするんでしょうねぇ〜!

    コクリコさんもモローのお墓見られてるんですね〜。。。

    あ、私も実は・・・トイレ撮りましたよぉ〜(^^ゞ

    P.S.投票ありがとうございますm(_ _)m☆
      これから伺いま〜す!
  • まゆままさん 2007/01/11 15:44:30
    モロー美術館
    voodooさん、こんにちは〜♪
    あらためて見て、モローの美術館、すごくいい感じですよね〜
    私も行けばきっと好きになりそうな雰囲気です・・
    美術館からモローの葬儀が行われた教会、そしてお墓へと誘われ、
    まるでテレビのドキュメント番組を見ているかのようなすばらしい構成にぐっときましたよ。
    ほんとにvoodooさんの旅行記見てたら、
    私もうどんを食べてる場合ではない!パリへ行かねば!って思ってしまいますが・・・
    これだけ見せていただいたら逆にもう行かなくてもいいかな・・
    という気にもなりますね

    パリの夜景、感動的です・・
    夜のルーブル、クリスマスマーケット、シャンゼリゼにエッフェル塔のイルミネーション・・・
    ほんとに全てが光り輝いてますね〜☆☆☆
    私の行ったことのないパリを十二分に満喫させていただきました・・
    ありがとうございました。。

    wiz

    wiz さん からの返信 2007/01/12 18:52:18
    RE: モロー美術館
    まゆままさん、

    コメントありがとうございます♪

    きっと、まゆままさんも行かれるとあの"空間"を
    気に入ってくれるのでは…と思っています!
    モローの作品は1枚で見ても
    思わずじっくり見たくなっちゃうものですが、
    これだけの数をステキな空間で見れて‥
    住んでいたところも垣間見れて…!!

    そうそう!このあいだレスで書いたお墓参りのきっかけ、は、
    こんなお墓のストーリーを追ってしまったからなのでした…(苦笑)

    今回、ユトリロ&モロー
    絵・作品→(描いた場所)→葬儀のあげられた教会→お墓参り
    と廻りましたが…、
    クリムトのときもそうだったけれど…
    お墓参りをするとなんか自分の中で
    その人のストーリーを〆たって感じがするんですよね…^^;

    まゆまま

    まゆままさん からの返信 2007/01/12 22:39:05
    RE: モロー美術館
    voodooさん、こんばんは♪

    >きっと、まゆままさんも行かれるとあの"空間"を
    >気に入ってくれるのでは…と思っています!
    voodooさんがそういうならきっと私も気に入るでしょう!
    ううう、やはり現物を見たい・・

    >お墓参りをするとなんか自分の中で
    >その人のストーリーを〆たって感じがするんですよね…^^;
    なあるほど〜そういうことだったんですね〜
    これはvoodooさんのこだわりですね。
    きっとこれからもお墓参りの旅は続くのでしょうね〜

    次のお墓は誰のお墓になるのか??興味津々です〜★

    wiz

    wiz さん からの返信 2007/01/12 23:51:12
    RE: RE: モロー美術館
    >>その人のストーリーを〆たって感じがするんですよね…^^;

    それと同時にその人のヒストリーを
    復習・お勉強みたいな(笑)^^


    >次のお墓は誰のお墓になるのか??興味津々です〜★

    そうそうーー誰になるんでしょー
    それは私にも分からないーー^^;
    パリ周辺にはモネゆかりの地、シスレーゆかりの地とか
    いろいろいいですけどねぇー、
    今回みたいに都市に行く場合そこにある墓地で(苦笑)
    そこの出身、そこに住んでた人だったりすると
    作品とともに見れて自分の中でもまとまりやすいですよね^^;

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