2013/03/05 - 2013/03/05
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kojikojiさん
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横浜のモントレーに宿泊した翌日は午後からの仕事だったので、三溪園に行ってみる事にしました。横浜そごうのバスセンターからバスが出ているのは知っていましたが、ホテルのフロントで聞いてみると、ホテルのすぐ裏の中華街の入り口にバス停があり、三溪園の近くまで行っているとのこと。翌朝は9時前にチェックアウトしてバスに乗って開園時間に間に合うように移動しました。今まで三溪園は横浜から離れている印象でしたが、元町から15分ほどで着いてしまいました。バス停からは1本道なので迷う事はありません。観梅のイベントは終わっていましたが、平日と言うに昼前にはかなり込み合っていました。ただ、開園から昼間では数えるほどの来園者で満開の梅を楽しむことが出来ました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス 私鉄 徒歩
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いつか来たいと思っていながらなかなか来る機会の無かった三溪園に来ることが出来ました。元町からバスに乗って15分ほどでバスを降り、10分くらい歩いて入り口に着きました。まだ来園者はわずかのようで、庭師さんも仕事を始めた所のようでした。
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三溪園が出来始めの頃から門に扉は造らず、だれでも自由に夜中でも入れたそうです。
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周囲の山の向こうは明治の頃は海岸だったようですが、今は埋め立てられて工場地帯になっています。三重塔へ向かって山を登り、向こう側を見渡せる松風閣の廃墟の先にある展望台に上ると映画「火垂るの墓」のエンディングを見た時の印象を受けます。
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それくらい三溪園の園内は現実の世界から隔離された明治の頃の姿を留めた庭園だと思います。都内の大名庭園で写真を撮ると背景に周辺のビルが映りますがここではそのようなことはありません。
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最初に池の周りを反時計回りに進むと鶴翔閣が現われます。
三溪園 公園・植物園
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何となく進んでみると11時から内部を見学できるとありました。2時間あるので時間を持て余すと思っていましたがとんでもない。時間前に走る羽目になりました。
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イチオシ
1902年(明治35年)に三溪が建て、三溪園造成の足がかりになったそうで、 290坪に及ぶこの住宅は楽室棟・茶の間棟・客間棟から構成され、上から見た形が鶴が飛翔している姿を思わせることから「鶴翔閣」と名づけられたと看板に書かれてあります。
三溪園 公園・植物園
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京都の桂離宮の書院・新御殿をイメージしたのだと思います。あちらは雁行でこちらは鶴翔なのでしょうか。
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キンクロハジロがたくさん泳ぎまわっています。方向性の無さとスピードがまるでゼンマイ仕掛けのおもちゃのように見えました。
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御門から内苑へ向かいます。この門は京都東山の西方寺にあった薬医門だそうです。主柱の上に冠木や梁を組み合わせ、切妻屋根を組んであるので頭でっかちの印象を受けます。左右の塀が美しく調和を保っています。
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門から奥へ塀が続いています。まるで京都にでも来ているかのような錯覚を覚えます。奥の山々が東山三十六峰のような。
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3月初旬とは言え日差しはポカポカ、春がそこまでやって来ています。
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臨春閣の庭へ入ります。
三溪園 公園・植物園
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「臨春閣」桃山時代に豊臣秀吉が建てた聚楽第の遺構と伝えられていたそうですが、和歌山県にあった紀州徳川家の別荘 巌出御殿(いわでごてん)ではないかと考えられているそうです。明治の事なので詳しく資料など残っていそうなものですが。
三溪園 公園・植物園
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御殿は庭先から中を眺めるだけです。
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狩野永徳や探幽の筆と伝えられる障壁画が素晴らしいです。ここに飾られれているのは模写ですが。
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どなたが模写されたのかのかが気になりました。
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イチオシ
御殿には約1間の外廊下が設けられています。春の日差しが気持ち良さそうです。
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御殿からは池が綺麗に望めそうです。金閣寺の庭も舎利殿の中から、桂離宮も御殿の中から眺める庭は周りを歩いているのとは全く違う姿を見せてくれます。
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イチオシ
池の対岸から眺めると彦根城内の八景亭に似た印象を受けます。もしかすると三溪さんは八景亭も狙っていたかもしれないななんて考えながら園内を散歩します。
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京都の祖母に聞いた話ですが、昔二条城も売りに出されていたことがあって曾祖父に話が持ちかけられたことがあったそうです。その頃は荒れ果てて今の二の丸御殿の車寄せ前は畑だったそうです。
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イチオシ
豊臣秀吉が母の仲(大政所)の病気の平癒祈願のために建てた寿塔を覆うための建物で、現在、秀吉が建てたものと確認できる数少ないものだそうです。
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迦陵頻迦や蓮の花などの彫りの深い装飾に反り上がった屋根は荘厳さを感じさせます。寿塔は京都大徳寺内の龍翔寺にあるそうです。大徳寺の塔頭はかなり拝観させていただいたと思いますが記憶がありません。
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この日は風も無く穏やかな日差しで、気持ち良く散歩が出来ます。
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このアングルが八景亭に似ています。八景亭は現在は料理旅館になっています。昔妻を連れて行った事がありますが、仲居さんと三人でお酒を飲み過ぎて妻は寝てしまい帰りのタクシーが来ても起きませんでした。仕方ないので一番奥の座敷から雁行する廊下を仲居さんと足を持って引きずって連れ帰ったことがあります。そんなことを思い出しました。
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臨春閣と亭樹を望みます。後で知りましたがNHKのドラマ「坂の上の雲」で伊藤博文の屋敷として使われたそうです。
三溪園 公園・植物園
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亭樹は屋根つきの橋で欄干部分にベンチがあり、ビューポイントになっています。誰もいないので貸切状態です。平安神宮の神苑の泰平閣という橋に似ています。規模は全然小さいですが。子供の頃父に連れられて行った頃のことを思い出します。
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数寄屋風書院造りの素晴らしい広間です。
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三溪園の建物としてはここが一番素晴らしかったです。
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瓢箪文手水鉢は瓢箪からも分かるように豊臣秀吉が愛用したと伝わるそうです。後年藤堂高虎に賜り、伊賀上野城にあったものだそうです。
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身代わり灯篭は千利休が刺客に襲われた時に体をかわした時に刀を受けてくれた身代わりの灯篭だそうです。そんないわれのある物がそこかしこに置かれています。
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初代徳川家康により、京都伏見城内に建てられたものといわれています。 1918年(大正7年)に春草廬と共に移築されました。三溪が建てた金毛窟とつながっています。
三溪園 公園・植物園
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坂道を登り始めると自然の山野を散歩しているような雰囲気です。満開の白梅が迎えてくれます。
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「月華殿」徳川家康が京都伏見城内に建てられたものだそうです。 大正7年に春草廬と共に移築され、三溪が建てた金毛窟とつながっています。
三溪園 公園・植物園
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左手に回り沢伝いにまだ登り道があります。
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イチオシ
上り詰めると「天授院」建長寺の近くにあった心平寺の地蔵堂で、こちらも大正5年に移築されました。 建築様式は禅宗様を主体としていますが藁葺きの優しい印象を受けるお堂です。
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三溪園では、原家の持仏堂として使われたそうです。ここまで登ってお参りするのは大変だったのではないでしょうか。
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明治大正時代のどこかの山村を散歩している気分です。
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沢沿いに下るとこんな感じで月華殿と天授院が望めます。
三溪園 公園・植物園
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「聴秋閣」は石川丈山の詩仙堂の嘯月楼を思い出させました。
三溪園 公園・植物園
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この建物は実際は徳川家光が二条城内に建て、後に春日局が賜ったと伝わるそうです。各部の意匠は独創性・変化に富みますが、書院造としての格や茶亭としての機能に応じて緻密に構成されています。L字型の一段下がった杢板敷きの入口は舟で漕ぎ着ける場を想像させ、当初は水辺に面して建てられたのかもしれません。と案内にかかれてありました。
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聴秋閣の前にも小さな沢があり、見返すと臨春閣と亭樹が美しい姿を見せています。しかしどの方向を眺めてもビルの1棟も視界に入りません。横浜からほんの少し離れた場所とは思えません。
三溪園 公園・植物園
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苔むした庭に奈良から運ばれたであろう石棺が置かれ、朽ちてゆく美しさを感じさせます。
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「春草蘆」へ向かう途中に待合があり茶室が奥にあるのだろうと思わせます。(もう1棟はトイレでした。)三畳台目の小間茶室は、織田有楽斎の作品と伝えられるそうです。縁あって大山崎の妙喜庵の待庵には何度か寄せてもらっていますが、水屋で何度も頭をぶつけたことを体が覚えています。
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イチオシ
春草廬は茶室内に九つの窓があることから、かつて「九窓亭」と呼ばれていたそうです。 多くの窓を持つもので華やかな茶室らしいです。庭には東大寺の礎石が置かれています。
三溪園 公園・植物園
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これで内苑を一回りしたことになります。
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竹林の中にも「蓮華院」がひっそりと佇んでいます。
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イチオシ
橋を渡ると臨春閣の庭に戻ります。
三溪園 公園・植物園
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三溪記念館を手短に見学して外苑の見学を続けます。
三溪記念館 美術館・博物館
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この日は梅が満開でした。
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今年は新宿御苑と三溪園の2か所で梅を楽しみましたが、もう1週間もすると桜が満開になりそうです。
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三重塔を目指して山道を進んで行くと竹林がまるでアーチのようになっています。中国の蘇州から太湖へ行き、オート三輪をチャーターして回った東山半島を思い出しました。
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江南地方ではよく見かける風景です。もう少し上った先でその理由が分かりました。
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見た瞬間に何で?と思いました。これは太湖石と言って非常に貴重な石です。名前の通り太湖で採れる奇石です。江南の文人の庭には必ず置かれているものですが打ち捨てられています。案内板によるとここには昔は中国風の建物があったそうです。たぶん当時は風雅な佇まいがあったと推測できました。
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「松風閣」は三溪の養祖父の原善三郎が現庭園一帯の土地を購入し、明治20年に最初に建てた記念碑的な山荘でした。三渓の代になってからはゲストハウスに利用され、内外の著名人に利用されましたが、関東大震災で倒壊したそうです。現在は煉瓦の遺構が残るだけです。また、明治のころはここからは海が望めたそうですが今は埋め立て地に工場が並んでいます。蒸気の向こうに富士山が微かに確認できます。いきなり現実の世界に引き戻されますが、映画「火垂るの墓」のラストで丘を登りきると現代の広島の夜景が現れるシーンを思い出しました。
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同じ道を戻ると三重塔に到着です。
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「旧燈明寺三重塔」は三溪園を代表する建物です。
三溪園 公園・植物園
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燈明寺は江戸時代に宗派が変わった際に東明寺から燈明寺に改名されました。 瓦に東明寺と刻印されているのは古いものが残っているということでしょう。
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三渓園は古くから梅の名所として有名で、この季節は600本ある白梅や紅梅が咲き誇るそうです。ちょうど観梅の会は終わった所ですが花はまさに盛りを迎えています。南門近くには葉弁の根元の萼が緑色の「緑萼梅」(りょくがくばい)が花をつけています。これは上海市から贈られたものだそうです。
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足元には水仙が満開です。新宿御苑もそうでしたが、梅と水仙の取り合わせには何か意味があるのでしょうか?
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雁が音茶屋辺りまで戻り奥の梅園に向かいます。
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小さな川の流れに沿って梅園が続きます。
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紅梅白梅が入り乱れ咲き誇ります。ただし殆んどが白梅で紅梅の木はほとんどありません。
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イチオシ
疎痩横斜(そそうおうしゃ)と言う言葉が当てはまるような枝振りです。
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更に水仙の密度が濃くなっていきます。
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梅に誘われ奥へ奥へと誘われます。普段は桜は観に行くことはあっても梅をわざわざ見に行くことは無いのですが実に良いものだと思いました。
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「旧東慶寺仏殿」鎌倉の東慶寺にあった仏殿で明治40年に移築されました。 禅宗様の特色を色濃く残す数少ない建物です。また東慶寺は北条時宗の妻覚山尼が創建した寺院で駆け込み寺としても有名です。
三溪園 公園・植物園
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中央に置かれた灯篭が寺院であることを彷彿とさせます。
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「旧矢箆原家住宅」宝暦年間に建てられた大きな茅葺屋根が印象的な合掌造の民家です。 白川郷にありましたが、ダム建設により三溪園に寄贈されることになり昭和35年に移築されたとあります。
三溪園 公園・植物園
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岩瀬(矢箆原)佐助は、飛騨三長者のひとりで、飛騨地方の民謡に「宮で角助、平湯で与茂作、岩瀬佐助のまねならぬ」 (普通の農民は3人の真似ができない)と歌われるほどだったそうです。
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父方の大叔母の家を思い出しました。子供の頃はよく父に連れられ遊びに行った事を覚えています。竹馬を造ってもらったり、蓬を摘んで草もちをこしらえたり、日本の好き時代の農家を実感した記憶が残っています。
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萱葺きの屋根なので虫除けのために囲炉裏に火は絶やせないのでしょう。
こちらにはボランティアの案内の方がいらっしゃいました。 -
囲炉裏に火が入り、花が活けてあると人が住んでいるような錯覚を覚えます。
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ロワール渓谷の古城巡りをした際と同じ感覚を感じました。
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こう言う暗闇に懐かしさを感じます。
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幼い頃両親や兄弟と旅行した時の幾つもの記憶が甦ります。
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そしてもう二度とあの懐かしい頃に戻れない事を痛感します。
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手斧(ちょうな)なぐりの美しい階段が残されています。
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見事な屋根裏の小屋組みです。縄の美しさに感動します。ただ、フラッシュを焚かないとこんな風には見られません。
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修復されている部分もあるのでしょうが見事な民家です。重要文化財に指定されています。母の実家も民家では2件目に重要文化財になった家なので親しみを感じます。
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屋根の妻側にある火灯窓や扇が彫られた欄間も見事です。
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「旧燈明寺本堂」室町時代の建築で三重塔と同じ京都の燈明寺にあった建物。 三溪園には昭和62年に5年がかりで移築・保存作業が行われたそうです。京都の祖父の家も解体修復に3年半かかりました。まだ見に行っていないのですが。
三溪園 公園・植物園
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他にも「横笛庵」という名前にドキッとしたり、三溪園にはたくさんの発見がありました。横笛は高倉天皇の中宮に仕え、平清盛の従者である斉藤時頼(滝口入道)と悲恋に終わった女性です。高山樗牛による滝口入道という小説が有名で、中学生の時に京都嵯峨野の滝口寺でこの話を知り、興味深く読んだ記憶があります。
三溪園 公園・植物園
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中学時代の私の初恋も悲恋に終わったかな。
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イチオシ
なんて感傷に浸っていたらめったに見学できないらしい「鶴翔閣」の見学時間になってしまい、慌てて池の周りを戻ります。
三溪園 公園・植物園
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何とか定員30人の中に入れ、内部を見学させていただきました。案内人の方がおられ約1時間かけて屋敷内を案内してくださいます。玄関周りは近年修復されたそうです。またこの屋敷は結婚式やいろいろな催しに貸し出されるので、休日はほとんど見学できないそうです。この日も午前中に1回だけの見学でした。
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一番奥が三溪さんの書斎です。鶴翔と言うだけあって建物がクランクして、桂離宮で言う所の雁行型になっています。
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午後の催しに合わせてテーブルが並べられています。部屋の外に非常に広い廊下が設けられています。
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三溪さんの書斎にも入ることが出来、ここでの案内は非常に興味深い物がありました。歴代の総理や政治家をはじめ、そうそうたる文学者や画家がここに集われたそうです。
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横山大観や下村観山といった日本美術院の画家がこの屋敷に逗留され作品をいくつも残されているそうです。そのいくつかは三溪記念館に展示されています。祖父の家にも土田麦僊さんが逗留されていたそうで鮎の絵が残っていたりします。もっともうちは明治の頃に旅館のようなこともしていたそうですが。
三溪記念館 美術館・博物館
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書斎は当時のままに残されていますが、椅子にも座らせていただけます。
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この土蔵に名だたる美術品が保管されていたのと聞かされると頭の中がぐるぐるしてきます。
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今はただの物置になっていましたが。
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前田青邨の「御輿振り」や横山大観の「柳蔭」、下村観山の「弱法師」など近代日本画を代表する多くの作品がこの部屋で生まれたそうです。
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下村観山の「弱法師」(よろぼし)は父を求めて摂津の天王寺にさまよう俊徳丸が日輪を拝している場面ですが、天王寺の梅として描かれたものは三溪園の臥龍梅です。この作品は現在上野の国立博物館に収まっています。
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今まで何で三溪園を訪れなかったのだろうと思いました。
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もう一度池を回って梅を眺め余韻に浸りました。
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山形有朋の京都の屋敷、無鄰菴をちょっと思い出させるような水の流れです。
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もうすぐ桜の季節がやってきます。今度は仕事帰りに夜桜見物を企画しようと思いました。
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