2016/11/06 - 2016/11/06
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ハイペリオンさん
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競馬に詳しい方なら、日本で初めて西洋式競馬が行われた
のが神奈川県横浜市の根岸であることはご存知だと思う。
江戸時代末期にここに競馬場が造られ、1929(昭和4)年
には一等馬見所という見事なスタンドが造られた。
コース跡は米軍の施設となっているが、一等馬見所は今も
往時の姿をとどめて保存されている。
廃墟好きには有名な根岸競馬場一等馬見所跡をようやく晴
れた11月の晴れた日に、2回訪れた。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
-
朝の新宿駅へ向かう人々。
仕事をおえたお兄さんやお姐さん、まだまだ酒が抜け
切れていない大声の兄ちゃんたち、これからどこかへ
出かけるひとたち、いろんな種類の人たちが交錯する
通り。
右側のはなまるうどんできつねうどんを食べた。
だしはまあいいが、麺がだめだった。
硬いし、粉っぽい。
こういう硬いのを「コシがある」とかいって喜ぶ人が
いるのだろうか。 -
東京に来て30年になるが、横浜というところはほんと
うになじみのない場所で、2~3年に一度行くかどう
かくらいだ。
そんなわけで、東京駅まで中央線快速で行ってそこか
ら東海道線に乗り換えるのだろうと思っていたが、今
やそんな不便なやり方をしなくてもいいのだった。
新宿には湘南新宿ライナーなるものが停車し、これに
乗れば横浜へは30分程度で行けてしまうのである。
さらに快速だと20分余りで横浜まで行けてしまうとい
うではないか。
なんともまあ便利なものよ。
若いころ、営業の仕事で横浜よりもずっと先の得意先
を訪問していた時はほぼ1日仕事で、行って帰って整
理をすればもう定時という状態だった。
それはそれで案外楽だったのだが。
さて、少し遅れ気味の湘南新宿ライナー快速に乗り、
横浜へ。
本当に20分くらいで着いてしまう。 -
ここで根岸線というのに乗り換える。
根岸競馬場跡だから、やっぱり由緒正しく根岸で降り
るべきともおもったが、ひとつ前の山手駅の方が近い
かもしれないと思い、山手で降りた。 -
電車や駅の「山手」のイントネーションがちょっと
変な感じだった。
「山手通り」というときの「山手」のイントネーシ
ョンではなく「山瀬まみ」というときと同じイント
ネーションで「やまて」というのである。
東京の「山手」と区別したいこっちの人のプライド
だろうか。 -
駅を降りると住宅が密集している小高い丘があり、こ
の丘を上った先に根岸競馬場跡はあるはずである。
住宅地の中を通っている道路は急坂が続いていて、歩
いていると次第に息切れしてくる。
「山手」などという地名、丘の斜面の住宅街というこ
とで、いけ好かない金持ちの家がずらりと並んでいや
がるんだろうと思っていたが、意外にも小市民的な民
家や単身世帯用の小さなワンルームマンションが互い
に身を寄せ、斜面から滑り落ちないように手をつない
で力を入れているようにたたずんでいた。
写真ではわからないが、これもけっこうな急坂なのだ。 -
こんなところにタイ雑貨屋が。
儲かるとは思えないなあ。 -
坂道を上り切ったところで滝ノ上というところに着いた。
-
ここを少し左へ行くと根岸森林公園がある。
-
森林公園を少し入ったところから、森の向こうに一等
馬見所のエレベータ棟の先端が見えた。 -
斜面を下っていくと芝生に覆われた広い公園になって
おり、その端を遊歩道が通っていて、ちゃらちゃらし
た格好の男女がジョギングをしたり、高価な外国犬を
連れて散歩している人たちがいた。犬なんて野良犬と
っつかまえて鎖につないでりゃいいんだよ。
もともとがゴルフコースだったので、このように芝生
が敷き詰められているらしいが、管理はかなり大変で
はないだろうか。
一見したところ、イギリスの郊外にいるような気分に
なってしまう。
新緑の季節に来たらもっときれいだろう。 -
イチョウの葉は完全に色づき、きれいになっている。
-
下に落ちた葉っぱは重なり合ってじゅうたんになって
いた。
正しい日本の秋の風景である。 -
競馬用のコースだったところは、現在米海軍の敷地にな
っており、建物がいくつか建っていた。 -
ゲート前には「入んじゃねーよ」「ウロウロしてたら犬
に噛みつかれるよ」「写真撮んじゃねーぞ。撮っても人
に見せんなよ」「カメラが作動してあんたを見てるから
な、変に気起こすなよ」などと「いちいちうるせーな」
といいたくなるような看板がいくつもかかっていた。
これを左に通り過ぎると・・・・ -
またまた芝生の公園になっていた。
家族の和やかな風景を目の端に留め「けっ」と舌打ちし
て真っすぐ行くと・・・ -
晩秋の晴れた日らしく富士山がきれいに見えた。
それにしても鉄塔邪魔だなあ。 -
そして、左側には一等馬見所が見えてくる。
これは観覧席があった正面である。
こちら側は米軍の敷地になっているので見ることができ
ない。 -
そして、ぐるりと回ると裏側に出る。
3つの高い部分はエレベータがあったところである。
蔦が絡まりすごいことになっている。
この一等馬見所は、パドックとゴールが同時に見られる
特等席で、正装していないと入れなかったという。大卒
初任給が75円の時代に、入場料金は5円だったというか
ら、今でいうと1万円以上したわけだ。
当然、我々のような一般人が入れるところではない。
馬主ら資本家たちの社交馬のようなものだったのだろう。
競馬場が造られた当初は木造のスタンドがあったそうだ
が、柱が多くレースが見づらかったらしい。
これが関東大震災で倒壊したので、観覧席からレース全
体が見渡せる形に改築したのが、これである。
設計したのはJ.H.モーガンというイギリス人建築家。
東京駅前の丸ビルや郵船ビルなどの建設にもかかわった
男である。 -
正面は米軍施設になっているので見られないが、裏側だ
けでも見事なヨーロッパ風建築物であるのがよくわかる。
スタンド裏の正面に半円形の広場があり、当時の写真や
設計図のパネルが飾られていた。 -
馬場は1周が1700メートルほど。現在の中山競馬場とほ
ぼ同じ規模だ。
江戸末期に開港された横浜には多くの外国人が暮らして
いた。
尊王攘夷運動が盛んで外国人との摩擦が多かった時期で
もあり、外国人を慰留するために幕府がここ根岸村の場
所と資金を提供し、競馬場が造られた。
競馬場がある高台は、目の前に海が見える風光明媚な場
所で、外国人にも人気があったという。
開場は1866年というから、大政奉還の前年である。
記念すべき日本初の西洋式競馬は1867年1月11日に実施
された。 -
これが当時のコースで、現在は米軍の施設になって
いるところ。 -
運営はすべて西洋人によるもので、全8レースが行われた。
ただし、出走馬はサラブレッドではなく、ずんぐりした
小型の日本の在来種や、中国産の馬だった。
横浜レースクラブに所属するメンバーが調教した馬を持
ち寄り、ジョッキーとなり、出しあった賞金を争った。
「ステークス」という形式である。現在でもJRAのレ
ースには〇〇ステークスなどとレース名に使われている。
JRAのステークスレースはJRAが出す本賞金意外に、
馬主から徴収した登録料を上位馬に分配するシステムに
なっている。 -
これは一等観覧席の内部。
柱が少なく競馬を見やすい構造になっている。
外国人が運営する日本の廃墟を訪問するサイトでは
実際にこの中に侵入して写した写真が掲載されている。
フェンスで囲われた中へ勝手に入ると、警察に御用
となるのでやってはいけない。 -
根岸競馬場にサラブレッドが登場したのは、1890年代以
降で、当初はすべてオーストラリアから輸入された。
このころ輸入されたサラブレッドは「豪サラ」と呼ばれ、
その後血統面で大きく枝葉を広げ、現在でも血統書の8
から9代目あたりに見られる日本的な馬名の牝馬は豪サ
ラの血を受け継いだ馬の場合が多い。
ちなみに昭和の時代に怪物とよばれたハイセイコーは豪
サラの血を持っていた。 -
競馬開始当初は西洋人の馬主がそのままレースでも乗っ
ていたが、次第に体重の軽い小柄な日本人を乗せる馬主
が増えた。
外国人馬主に騎手として採用された人たちが引退し、や
がて厩舎を開業するようになる。
そして彼らが騎手や調教助手たちを育成し始めた。
こうして競馬は日本人のものになっていった。
日本競馬の原点がここなのだ。 -
これが当時の馬券売り場。
よっぽど買う人が少なかったのか、それともこのような
建物がいくつかあったのか。
馬券発売はパリミューチュエルという方式を採っていた。
パリミューチュエル方式とは、主催者が賭け金を集め、
自分の分を何パーセントか取り(日本でいうテラ銭)、
余ったお金を的中者に分配するというシステムである。
もう一つはブックメーカー方式と言い、ブックメーカー
という私設の賭け屋がそれぞれ金を集め、テラ銭を引い
た分を配当金とするシステムである。
日本でブックメーカーにあたるのは「呑み屋」と呼ばれ
るもので、法律では禁止されている。
ま、しかし禁止されているとはいえ、競馬をやっていれ
ば、呑み屋なんてどこにでもいるが。 -
森林公園の隣はJRAが運営する馬の博物館となってお
り、博物館のほかにもポニー用の馬場があり、1頭の馬
が女性によって馴致調教をしていた。 -
馴致とは人に慣れさせるために同じことをずっと繰り返
して行う調教で、ロープをつけて円を描くように走るの
をえんえん続けたりするものである。
小さなポニー相手だから、笑顔でやっているのかと思っ
たが、顔つきは結構厳しかった。
ポニーとはいえ、馬だから相手を見るようなところがあ
るので厳しくやっているのだろうか。 -
出口に向かう途中に地蔵さまのようなようなものがあり、
ふと足を止めてよく見ると「トウショウファルコここに
眠る」とあった。
トウショウファルコの墓だ。
トウショウファルコは、1990年代に活躍した馬で、重賞
を勝った経験もあるなかなか強い馬だった。
赤みを帯びた栗毛にブロンドのたてがみを持った非常に
派手な姿をしたうまで、それがこの馬を競走成績以上に
有名にした。
引退後はその派手な風貌が気に入られたか、競馬場でレ
ース前に馬場に出てくる出走馬を先導する誘導場として
使われていた。
しかし、1999年に膝を悪くしてしまい、誘導場は引退、
ここ馬の博物館に繋養されていた。
2005年に死亡し、ここに葬られたというわけだ。
人気者だけにずっと人に世話をしてもらう立場だったか
ら、いい人生だったのではないかと思う。 -
帰りは、根岸駅から帰ることにした。
海が見えるところからは光に反射してキラキラと輝く海
をゆっくりと船が行く光景が見えた。
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