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本丸御殿再建中の名古屋城の紹介です。天守閣見学のあと、本丸御殿の再建工事現場にも立ち寄りましたが、丁度昼休み中でしたから、入場できませんでした。(ウィキペディア)

2012春、本丸御殿再建中の名古屋城(2/4):再建中の本丸御殿、清正公石曳きの像

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2012/05/27 - 2012/05/27

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旅行記グループ 2012年、尾張の名所巡り

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旅人のくまさん

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本丸御殿再建中の名古屋城の紹介です。天守閣見学のあと、本丸御殿の再建工事現場にも立ち寄りましたが、丁度昼休み中でしたから、入場できませんでした。(ウィキペディア)

交通手段
私鉄

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  • 名古屋城天守閣からの眺望が続きます。眼下に見える本丸御殿再建工事の屋根の光景です。完成予定は平成29(2017年)年度です。もう暫くはこの光景が続きます。

    名古屋城天守閣からの眺望が続きます。眼下に見える本丸御殿再建工事の屋根の光景です。完成予定は平成29(2017年)年度です。もう暫くはこの光景が続きます。

  • 天守閣の甍越しに眺める名古屋市中心部の超高層ビルの光景です。名古屋駅方面の光景のようです。

    天守閣の甍越しに眺める名古屋市中心部の超高層ビルの光景です。名古屋駅方面の光景のようです。

  • 名古屋城の前に見学してきた、名古屋能楽堂の光景です。場所は名古屋城の正門のすぐ南、この場所からは緑の中に浮かんだ甍の光景です。

    名古屋城の前に見学してきた、名古屋能楽堂の光景です。場所は名古屋城の正門のすぐ南、この場所からは緑の中に浮かんだ甍の光景です。

  • 同じく、名古屋能楽堂の甍の光景です。大きな屋根飾りがない、シンプルなデザインの和風建築の屋根光景です。

    同じく、名古屋能楽堂の甍の光景です。大きな屋根飾りがない、シンプルなデザインの和風建築の屋根光景です。

  • 名古屋城の西方面の光景になります。正面の建物は、名古屋城のと湯坊が売り物の、ザ・ウェスティン・ナゴヤキャッスル・ホテルです。

    名古屋城の西方面の光景になります。正面の建物は、名古屋城のと湯坊が売り物の、ザ・ウェスティン・ナゴヤキャッスル・ホテルです。

  • 西北方面の眺望になったようです。横に真直ぐ伸びる高速道路が見えました。お城の周りは緑の光景でした。

    西北方面の眺望になったようです。横に真直ぐ伸びる高速道路が見えました。お城の周りは緑の光景でした。

  • 超高層ビルが高さを競う、西南方面の光景です。超高層ビルは、概ね60メートル以上、既存の高層ビルより頭が抜きんでています。

    超高層ビルが高さを競う、西南方面の光景です。超高層ビルは、概ね60メートル以上、既存の高層ビルより頭が抜きんでています。

  • 北側の光景に戻ったようです。時計回りに一回りしました。名古屋城の天守閣に登ったのは久し振りのことでした。

    北側の光景に戻ったようです。時計回りに一回りしました。名古屋城の天守閣に登ったのは久し振りのことでした。

  • 天守閣の中の展示品の見学と、天守閣からの眺望を楽しんだ後、歩いて近いまで戻ってきました。振り返って眺めた天守閣の光景です。

    天守閣の中の展示品の見学と、天守閣からの眺望を楽しんだ後、歩いて近いまで戻ってきました。振り返って眺めた天守閣の光景です。

  • 2008年度に工事着手され、2017年度完成の予定で進んでいる本丸御殿の復元工事のスケジュール表です。第1期工事の公開が始まったのは2010年からです。

    2008年度に工事着手され、2017年度完成の予定で進んでいる本丸御殿の復元工事のスケジュール表です。第1期工事の公開が始まったのは2010年からです。

  • 天守閣の光景です。本丸はほぼ正方形をしていて、天守閣はその北西隅に位置します。その他の三つの角には、隅櫓が設けられています。

    天守閣の光景です。本丸はほぼ正方形をしていて、天守閣はその北西隅に位置します。その他の三つの角には、隅櫓が設けられています。

  • 本丸の南東に位置する、辰巳(たつみ)隅櫓の光景です。1612年の名古屋城創建当時の原形を伝える建物とされ、国の重要文化財に指定されています。入母屋本瓦葺きで、外観は2層ですが、内部は3層構造です。

    本丸の南東に位置する、辰巳(たつみ)隅櫓の光景です。1612年の名古屋城創建当時の原形を伝える建物とされ、国の重要文化財に指定されています。入母屋本瓦葺きで、外観は2層ですが、内部は3層構造です。

  • 『清正公石曳きの像』と題されたブロンズ像です。築城の名手として知られ、名古屋城築城での功績がありました。現在は中村区になる、地元名古屋出身の戦国武将です。後に熊本城主になりました。

    『清正公石曳きの像』と題されたブロンズ像です。築城の名手として知られ、名古屋城築城での功績がありました。現在は中村区になる、地元名古屋出身の戦国武将です。後に熊本城主になりました。

  • 『清正公石曳き』説明の立看板です。慶長15年(1610年)、徳川家康に願い出て、大小の天守閣の石垣工事を施工したと説明されていました。清正自らが、石の上に乗って気勢を上げたようです。

    『清正公石曳き』説明の立看板です。慶長15年(1610年)、徳川家康に願い出て、大小の天守閣の石垣工事を施工したと説明されていました。清正自らが、石の上に乗って気勢を上げたようです。

  • 『藩訓秘伝の碑』の説明看板です。初代藩主の徳川義直の定めた勤応の藩訓とされます。明治維新まで、歴代藩主によって受け継がれてきました。

    『藩訓秘伝の碑』の説明看板です。初代藩主の徳川義直の定めた勤応の藩訓とされます。明治維新まで、歴代藩主によって受け継がれてきました。

  • 『藩訓秘伝の碑』の石碑です。『王命に依って催さる事』の文字が刻まれていました。義直公がが現した『軍書合鑑』の末尾に記された一項とされます。

    『藩訓秘伝の碑』の石碑です。『王命に依って催さる事』の文字が刻まれていました。義直公がが現した『軍書合鑑』の末尾に記された一項とされます。

  • 『二の丸茶亭』の案内標識です。この辺りは、かつての二の丸跡とされます。二之丸の城閣と、その庭園があった一角のようです。

    『二の丸茶亭』の案内標識です。この辺りは、かつての二の丸跡とされます。二之丸の城閣と、その庭園があった一角のようです。

  • 二之丸茶屋に続く左にカーブした小道です。入店はしませんでしたが、予約なしでも利用できるかもしれません。抹茶や、金箔入り抹茶などのメニューがあります。

    二之丸茶屋に続く左にカーブした小道です。入店はしませんでしたが、予約なしでも利用できるかもしれません。抹茶や、金箔入り抹茶などのメニューがあります。

  • 『やまもみじ』の札があった古木です。ヤマモミジは、イロハカエデの変種とされるカエデ科カエデ属の落葉高木です。本州の日本海側に多く自生するとされます。

    『やまもみじ』の札があった古木です。ヤマモミジは、イロハカエデの変種とされるカエデ科カエデ属の落葉高木です。本州の日本海側に多く自生するとされます。

  • あまり手入れはされていませんが、二之丸庭園の石組の一部でしょうか。明治時代に旧陸軍将校クラブ建設に伴い、庭園の解体、移設などが行われたとされます。

    あまり手入れはされていませんが、二之丸庭園の石組の一部でしょうか。明治時代に旧陸軍将校クラブ建設に伴い、庭園の解体、移設などが行われたとされます。

  • こちらも二之丸庭園の石組の一部のようです。銘石が集められて石組が行われているようですが、本格的な修復工事が行わなければ、昔の姿は蘇らないようです。

    こちらも二之丸庭園の石組の一部のようです。銘石が集められて石組が行われているようですが、本格的な修復工事が行わなければ、昔の姿は蘇らないようです。

  • 地面を這う古木の根です。植物の生命力の強さを感じさせます。熱帯雨林地帯のガジュマルなどは、石組の建物を壊したり、巻きこんでしまう生命力を発揮します。

    地面を這う古木の根です。植物の生命力の強さを感じさせます。熱帯雨林地帯のガジュマルなどは、石組の建物を壊したり、巻きこんでしまう生命力を発揮します。

  • 二之丸付近に更地が多いのは、かつて第三師団が駐屯地として使用し、その施設が無くなったあとの光景にも思えます。

    二之丸付近に更地が多いのは、かつて第三師団が駐屯地として使用し、その施設が無くなったあとの光景にも思えます。

  • 二之丸庭園のことを詳しく調べられたネット情報には、この牡丹園は、謡曲『石橋』に因んだものと説明されていました。『石橋』は、石組の一部です。

    二之丸庭園のことを詳しく調べられたネット情報には、この牡丹園は、謡曲『石橋』に因んだものと説明されていました。『石橋』は、石組の一部です。

  • 新緑が目に優しい二之丸庭園がある一角です。この辺りは人が少なく、のんびりと散策することが出来ました。

    新緑が目に優しい二之丸庭園がある一角です。この辺りは人が少なく、のんびりと散策することが出来ました。

  • 樹木の間から微かに顔を覗かせた、『二の丸茶亭』の建物の光景です。公式HPでは、木曽檜を使った和風の建物と紹介されていました。

    樹木の間から微かに顔を覗かせた、『二の丸茶亭』の建物の光景です。公式HPでは、木曽檜を使った和風の建物と紹介されていました。

  • 『二之丸茶亭』の案内標識がある場所に出ました。今回は写真撮影しませんでしたが、茶亭の回りは『名勝・二之丸庭園』です。度々の改修のあと、枯山水回遊式庭園となりました。

    『二之丸茶亭』の案内標識がある場所に出ました。今回は写真撮影しませんでしたが、茶亭の回りは『名勝・二之丸庭園』です。度々の改修のあと、枯山水回遊式庭園となりました。

  • 『二之丸東庭園』の立札です。二之丸庭園は、元和年間(1615〜1623年)、二之丸御殿の造営に伴い御殿の北側に造営されました。『二之丸東庭園』は、その東に位置します。

    『二之丸東庭園』の立札です。二之丸庭園は、元和年間(1615〜1623年)、二之丸御殿の造営に伴い御殿の北側に造営されました。『二之丸東庭園』は、その東に位置します。

  • 『二之丸庭園東庭』と呼ばれる一角のようです。『南池』の立札がありました。池の中や周りにも石が配された、規模が大きな枯山水の庭園です。遠くに東屋風の建物が見えます。

    『二之丸庭園東庭』と呼ばれる一角のようです。『南池』の立札がありました。池の中や周りにも石が配された、規模が大きな枯山水の庭園です。遠くに東屋風の建物が見えます。

  • 二之丸庭園の周りは更地となり、クローバーの白い花が咲く広場となっていました。本丸御殿が再建工事中ですが、二之丸御殿が再建されるのは、難しそうです。

    二之丸庭園の周りは更地となり、クローバーの白い花が咲く広場となっていました。本丸御殿が再建工事中ですが、二之丸御殿が再建されるのは、難しそうです。

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2012年、尾張の名所巡り

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