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本丸御殿再建中の名古屋城の紹介です。大天守に入場し、屋上からの眺望も楽しみました。(ウィキペディア)

2012春、本丸御殿再建中の名古屋城(1/4):大天守と小天守、金鯱、天守閣からの眺望

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2012/05/27 - 2012/05/27

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旅行記グループ 2012年、尾張の名所巡り

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旅人のくまさん

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本丸御殿再建中の名古屋城の紹介です。大天守に入場し、屋上からの眺望も楽しみました。(ウィキペディア)

交通手段
私鉄
  • 名古屋城の正門です。江戸時代は、姫路城、熊本城と共に日本三名城に数えられましたが、昭和20年の空襲で、天守閣や本丸御殿を始めをはじめ、多くの建物が焼失しました。

    名古屋城の正門です。江戸時代は、姫路城、熊本城と共に日本三名城に数えられましたが、昭和20年の空襲で、天守閣や本丸御殿を始めをはじめ、多くの建物が焼失しました。

  • 記念撮影用の金の鯱です。伊勢音頭で歌われる『伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ、尾張名古屋は城で持つ』と称えられた名古屋城の天守閣の飾里です。これは、そのレプリカです。

    記念撮影用の金の鯱です。伊勢音頭で歌われる『伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ、尾張名古屋は城で持つ』と称えられた名古屋城の天守閣の飾里です。これは、そのレプリカです。

  • 花崗岩が使われた『刻銘石』です。刻まれた文字は、『た中ちくこ守石』です。筑後藩主・田中忠政を指す、『田中筑後守石』です。折角運んだ石が持ち去られないための目印のようです。重さは約2.5トンです。

    花崗岩が使われた『刻銘石』です。刻まれた文字は、『た中ちくこ守石』です。筑後藩主・田中忠政を指す、『田中筑後守石』です。折角運んだ石が持ち去られないための目印のようです。重さは約2.5トンです。

  • 『天然記念物・名古屋城之榧』の石碑です。樹齢は約650年よされ、名古屋城が築かれた時には既に樹齢250年だったとされます。名古屋空襲で被害を受けましたが、生き延びました。

    『天然記念物・名古屋城之榧』の石碑です。樹齢は約650年よされ、名古屋城が築かれた時には既に樹齢250年だったとされます。名古屋空襲で被害を受けましたが、生き延びました。

  • 同じく、『天然記念物・名古屋城之榧』の光景です。樹高約15メートル、幹の周囲約9メートルとされます。この榧の実は、初代藩主の徳川義直が、大阪冬の陣に出陣する前に食べ、初陣を飾ったという言い伝えが残ります。

    同じく、『天然記念物・名古屋城之榧』の光景です。樹高約15メートル、幹の周囲約9メートルとされます。この榧の実は、初代藩主の徳川義直が、大阪冬の陣に出陣する前に食べ、初陣を飾ったという言い伝えが残ります。

  • 木々の間から顔を覗かせた名古屋城の天守閣です。昭和20年の空襲で焼け落ち、昭和34年(1959年)に再建されました。焼失前の天守閣は、明治24年(1891年)の濃尾地震にも耐えました。

    木々の間から顔を覗かせた名古屋城の天守閣です。昭和20年の空襲で焼け落ち、昭和34年(1959年)に再建されました。焼失前の天守閣は、明治24年(1891年)の濃尾地震にも耐えました。

  • 金の鯱が乗った天守閣のアップ光景です。2005年の愛知万博(愛地球博)の際日常に卸され、市中でお披露目のあと、万博会場に飾られました。この当時、シャチを下ろす作業のために来名されていた方と、何度もプライベートで酒を酌み交わす機会がありました。足場を組んでシャチを取り付けた経験をお持ちの方でした。

    金の鯱が乗った天守閣のアップ光景です。2005年の愛知万博(愛地球博)の際日常に卸され、市中でお披露目のあと、万博会場に飾られました。この当時、シャチを下ろす作業のために来名されていた方と、何度もプライベートで酒を酌み交わす機会がありました。足場を組んでシャチを取り付けた経験をお持ちの方でした。

  • 更に天守閣に近寄っての撮影です。シャチの姿が一つだけになりました。5層5階地下1階の層塔型の建物です。その高さは55.6メートル(天守台19.5メートル、本体36.1メートル)、18階建ての高層建築に相当します。

    更に天守閣に近寄っての撮影です。シャチの姿が一つだけになりました。5層5階地下1階の層塔型の建物です。その高さは55.6メートル(天守台19.5メートル、本体36.1メートル)、18階建ての高層建築に相当します。

  • 今度はカメラアングルを横にしての撮影です。名古屋城は、織田信長誕生の城とされる、那古野城(なごやじょう)の跡地に建てられました。

    今度はカメラアングルを横にしての撮影です。名古屋城は、織田信長誕生の城とされる、那古野城(なごやじょう)の跡地に建てられました。

  • 石垣と松の庭木を入れての撮影です。松は松喰虫の被害に遭ったのでしょうか、複数の木が赤茶けていました。少し気がかりな光景でした。

    石垣と松の庭木を入れての撮影です。松は松喰虫の被害に遭ったのでしょうか、複数の木が赤茶けていました。少し気がかりな光景でした。

  • 表二之門に架かる橋の上からの撮影です。西側方面になります。お濠に張り出した足場は、本丸御殿の工事に関連したもののようです。あるいは西南隅櫓も補修工事が行われるのかもしれません。

    表二之門に架かる橋の上からの撮影です。西側方面になります。お濠に張り出した足場は、本丸御殿の工事に関連したもののようです。あるいは西南隅櫓も補修工事が行われるのかもしれません。

  • 表二之門に架かる橋の上からの撮影です。こちらは東南隅櫓がある、東側方面になります。内堀を囲む石垣の光景です。

    表二之門に架かる橋の上からの撮影です。こちらは東南隅櫓がある、東側方面になります。内堀を囲む石垣の光景です。

  • 大天守のアップ光景です。名古屋城の呼び方はよく知られた金鯱城のほかに、金城、柳城、亀屋城や蓬左城があります。

    大天守のアップ光景です。名古屋城の呼び方はよく知られた金鯱城のほかに、金城、柳城、亀屋城や蓬左城があります。

  • 名古屋城大天守のすぐ近くに建つ城閣建築です。小天守でしょうか。大天守は銅葺屋根なのに対し、こちらは瓦屋根です。銅製のようですが、大屋根の上には鯱が乗っています。

    名古屋城大天守のすぐ近くに建つ城閣建築です。小天守でしょうか。大天守は銅葺屋根なのに対し、こちらは瓦屋根です。銅製のようですが、大屋根の上には鯱が乗っています。

  • 本丸御殿の再建工事現場の壁に展示された絵です。完成予想図の本丸御殿です。バックに天守閣が描かれています。かつては、京都の二条城二の丸御殿と並ぶ、武家風書院造の双璧と称された建物です。

    本丸御殿の再建工事現場の壁に展示された絵です。完成予想図の本丸御殿です。バックに天守閣が描かれています。かつては、京都の二条城二の丸御殿と並ぶ、武家風書院造の双璧と称された建物です。

  • 本丸御殿が完成した後に飾られる予定の襖絵などもレプリカが飾られていました。玄関一之間東側襖絵の『竹林豹虎図』です。戦災をまぬかれたオリジナル品は、国の重要文化財に指定されています。

    本丸御殿が完成した後に飾られる予定の襖絵などもレプリカが飾られていました。玄関一之間東側襖絵の『竹林豹虎図』です。戦災をまぬかれたオリジナル品は、国の重要文化財に指定されています。

  • 表書院一之間東側襖絵の『桜花雉子図』です。この絵も戦災での焼失をまぬかれ、国の重要文化財に指定されています。

    表書院一之間東側襖絵の『桜花雉子図』です。この絵も戦災での焼失をまぬかれ、国の重要文化財に指定されています。

  • 上洛殿一之間東側襖絵の『帝鑑図』です。寛永11年(1634年)に将軍の御座所として建てられた上洛殿の帝鑑図等は、狩野探幽を中心にした絵師によって描かれたとされます。

    上洛殿一之間東側襖絵の『帝鑑図』です。寛永11年(1634年)に将軍の御座所として建てられた上洛殿の帝鑑図等は、狩野探幽を中心にした絵師によって描かれたとされます。

  • 本丸御殿の上棟式の光景です。第1期工事の、『表書院』の棟上式は、平成23年(2011年)7月12日に行われました。

    本丸御殿の上棟式の光景です。第1期工事の、『表書院』の棟上式は、平成23年(2011年)7月12日に行われました。

  • 真下から見上げた天守閣の光景です。名古屋城の起源は、16世紀の前半に今川氏親が、尾張進出のために築いたとされる『柳ノ丸』とされます。呼び名に『柳城』があるのは、この名残かも知れません。

    真下から見上げた天守閣の光景です。名古屋城の起源は、16世紀の前半に今川氏親が、尾張進出のために築いたとされる『柳ノ丸』とされます。呼び名に『柳城』があるのは、この名残かも知れません。

  • 同じく、真下から見上げた天守閣の光景です。この日は天守閣の内部の見学と、最上階の5階からの眺望を楽しむことにしました。今川氏豊の『柳ノ丸』は、天文元年(1532年)、織田信秀が奪取し、『那古野城』と改名されました。

    同じく、真下から見上げた天守閣の光景です。この日は天守閣の内部の見学と、最上階の5階からの眺望を楽しむことにしました。今川氏豊の『柳ノ丸』は、天文元年(1532年)、織田信秀が奪取し、『那古野城』と改名されました。

  • ここからは、天守閣の5階からの眺望です。本当に久し振りに天守閣に登りました。エレベータは3階までです。その後は歩いて階段を登りました。北側方面の眺望です。時計回りに見学することにしました。

    ここからは、天守閣の5階からの眺望です。本当に久し振りに天守閣に登りました。エレベータは3階までです。その後は歩いて階段を登りました。北側方面の眺望です。時計回りに見学することにしました。

  • 同じ場所からの眺望です。今度は遠くを視野に入れた眺めです。超高層ビルの光景は見当たりません。中層から低層の建物が大部分です。

    同じ場所からの眺望です。今度は遠くを視野に入れた眺めです。超高層ビルの光景は見当たりません。中層から低層の建物が大部分です。

  • 少し東にカメラを振って、東北方面の光景になります。中央付近に見える高層ビルは、北区辺りの超高層マンションのようです。

    少し東にカメラを振って、東北方面の光景になります。中央付近に見える高層ビルは、北区辺りの超高層マンションのようです。

  • 名古屋城のお濠が見える光景です。東側方面になります。お濠の東の端になります。現在の地図を参照しますと、その南側は空濠になっているようです。

    名古屋城のお濠が見える光景です。東側方面になります。お濠の東の端になります。現在の地図を参照しますと、その南側は空濠になっているようです。

  • 天守閣の甍越しに眺めた名古屋の市街光景です。右手奥に名古屋市庁の建物が見えています。少し意外ですが、左手寄りの奥の方には、東山タワーが見えています。

    天守閣の甍越しに眺めた名古屋の市街光景です。右手奥に名古屋市庁の建物が見えています。少し意外ですが、左手寄りの奥の方には、東山タワーが見えています。

  • 東側方面の光景です。左右に長く伸びているのは南北に走る都市高速のようです。右手奥にナゴヤドームの屋根が見えています。

    東側方面の光景です。左右に長く伸びているのは南北に走る都市高速のようです。右手奥にナゴヤドームの屋根が見えています。

  • 天守閣の甍越しに眺めた名古屋の市街光景です。先程と同じ甍ですが、甍の向きが逆になりました。北東方面の光景になります。遠くに山並が見えます。

    天守閣の甍越しに眺めた名古屋の市街光景です。先程と同じ甍ですが、甍の向きが逆になりました。北東方面の光景になります。遠くに山並が見えます。

  • 東南側方面の光景です。足元には、再建工事中の本丸御殿を覆う屋根が見えました。右奥に見える青い屋根は名古屋市体育館です。7月には大相撲名古屋場所がこの体育館で開催されます。

    東南側方面の光景です。足元には、再建工事中の本丸御殿を覆う屋根が見えました。右奥に見える青い屋根は名古屋市体育館です。7月には大相撲名古屋場所がこの体育館で開催されます。

  • 南側の光景です。再建工事中の本丸御殿を覆う屋根の先には緑の森があります。更にその先は、名古屋の官庁街のようです。

    南側の光景です。再建工事中の本丸御殿を覆う屋根の先には緑の森があります。更にその先は、名古屋の官庁街のようです。

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2012年、尾張の名所巡り

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