千種・今池旅行記(ブログ) 一覧に戻る
名古屋の歴史的町並み、白壁地区の紹介です。名古屋市の東区から中区にかけての名古屋の歴史的町並みは、『文化のみち』と呼ばれ、その東側方面に位置する白壁地区の紹介です。(ウィキペディア)

2012春、名古屋の歴史的町並みの白壁地区(2/5):百花百草、か茂免、アーカンジェル迎賓館

19いいね!

2012/05/27 - 2012/05/27

178位(同エリア615件中)

旅行記グループ 2012年、尾張の名所巡り

0

30

旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

名古屋の歴史的町並み、白壁地区の紹介です。名古屋市の東区から中区にかけての名古屋の歴史的町並みは、『文化のみち』と呼ばれ、その東側方面に位置する白壁地区の紹介です。(ウィキペディア)

交通手段
私鉄
  • 国道41号線に沿って清水口まで歩きました。交差点の東南角のビル光景です。一時期はユニークなTV宣伝で賑やかだった宝石店ですが、事件絡みで倒産しました。

    国道41号線に沿って清水口まで歩きました。交差点の東南角のビル光景です。一時期はユニークなTV宣伝で賑やかだった宝石店ですが、事件絡みで倒産しました。

  • 開店何周年かの記念セールの看板が残っていましたが、その横には、店舗売却の貼紙がありました。栄枯盛衰を感じさせる光景でした。

    開店何周年かの記念セールの看板が残っていましたが、その横には、店舗売却の貼紙がありました。栄枯盛衰を感じさせる光景でした。

  • 国道41号線に沿って清水口まで歩きましたが、目ぼしい歴史的建造物は見当たりませんでしたから、少し南に戻っての散策です。この光景は国道41号線と都市高速道路です。

    国道41号線に沿って清水口まで歩きましたが、目ぼしい歴史的建造物は見当たりませんでしたから、少し南に戻っての散策です。この光景は国道41号線と都市高速道路です。

  • 国道41号線の歩道のグリーンベルトで咲いていた白い花です。薬効で知られるドクダミです。独特の臭いを持つ、ドクダミ科ドクダミ属の多年草です。

    国道41号線の歩道のグリーンベルトで咲いていた白い花です。薬効で知られるドクダミです。独特の臭いを持つ、ドクダミ科ドクダミ属の多年草です。

  • 東西の通りの北側に面した屋敷跡の光景です。先に紹介した、豊田利三郎邸址の塀です。敷地内にはマンションが建ちましたが、塀と門は残されました。都市景観重要建築物の塀です。

    東西の通りの北側に面した屋敷跡の光景です。先に紹介した、豊田利三郎邸址の塀です。敷地内にはマンションが建ちましたが、塀と門は残されました。都市景観重要建築物の塀です。

  • 同じく、豊田利三郎邸址の都市景観重要建築物の塀の光景です。邸内の樹木に、赤い実が生っていました。

    同じく、豊田利三郎邸址の都市景観重要建築物の塀の光景です。邸内の樹木に、赤い実が生っていました。

  • 武家屋敷跡の面影が濃く残る長塀です。駒寄せも残されている、旧料亭・樟です。門と塀は、大正初期の建設です。都市景観重要建築物に指定されています。手前のコンクリート造りの塀の部分からは、別の屋敷跡、『百花百草』の建物になります。

    武家屋敷跡の面影が濃く残る長塀です。駒寄せも残されている、旧料亭・樟です。門と塀は、大正初期の建設です。都市景観重要建築物に指定されています。手前のコンクリート造りの塀の部分からは、別の屋敷跡、『百花百草』の建物になります。

  • 『百花百草』の表札がある屋敷です。オーナーは岡谷鋼機の創業者、岡谷家です。長く空き家だったとされますが、母屋跡にホールが新築され、2007年(平成19年)4月に有料開放されました。

    『百花百草』の表札がある屋敷です。オーナーは岡谷鋼機の創業者、岡谷家です。長く空き家だったとされますが、母屋跡にホールが新築され、2007年(平成19年)4月に有料開放されました。

  • 『百花百草』の表札付近のアップ光景です。『百花百草』の名前は、かつて岡谷家が所有し、徳川美術館に寄贈された、田中訥言(1767〜1823年)筆の『百花百草図屏風』に因むものです。国の重要文化財に指定されています。訥言はその子弟を含め、後に復古大和絵派と呼ばれました。

    『百花百草』の表札付近のアップ光景です。『百花百草』の名前は、かつて岡谷家が所有し、徳川美術館に寄贈された、田中訥言(1767〜1823年)筆の『百花百草図屏風』に因むものです。国の重要文化財に指定されています。訥言はその子弟を含め、後に復古大和絵派と呼ばれました。

  • コンクリート塀になった塀越しに眺めた、『百花百草』野建物光景です。書院、茶室や土蔵は、大正9年(1920年)の建築とされます。田中訥言は、初め石田幽汀、後に土佐光貞に師事しましたが、狩野派、土佐派の伝統的画派に飽きたらず、大和絵の古典を学び直し、独自の画派を拓きました。

    コンクリート塀になった塀越しに眺めた、『百花百草』野建物光景です。書院、茶室や土蔵は、大正9年(1920年)の建築とされます。田中訥言は、初め石田幽汀、後に土佐光貞に師事しましたが、狩野派、土佐派の伝統的画派に飽きたらず、大和絵の古典を学び直し、独自の画派を拓きました。

  • 鉄の透かし扉から眺めた『百花百草』の建物光景です。生憎この日は休館日でしたが、庭園には『百花百草図屏風』に描かれた約90種の草花の内、約70種が植えられています。喫茶コーナーもあるようです。

    鉄の透かし扉から眺めた『百花百草』の建物光景です。生憎この日は休館日でしたが、庭園には『百花百草図屏風』に描かれた約90種の草花の内、約70種が植えられています。喫茶コーナーもあるようです。

  • 通りから眺めた『百花百草』の建物光景が続きます。2007年にオープンしたホール、ギャラリーとなった土蔵や庭園は一般公開されていますが、書院や茶室は非公開となっています。

    通りから眺めた『百花百草』の建物光景が続きます。2007年にオープンしたホール、ギャラリーとなった土蔵や庭園は一般公開されていますが、書院や茶室は非公開となっています。

  • 塀の外から眺めても、手入れが行き届いた立派な庭木があることが窺い知れます。次の機会には入場して、ゆっくりと見学したいものです。

    塀の外から眺めても、手入れが行き届いた立派な庭木があることが窺い知れます。次の機会には入場して、ゆっくりと見学したいものです。

  • 西方面を振り返っての撮影です。この東西の通りには、両側に歴史的町並みが続きます。右手になり北側には、小さな空き地が出来ていました。

    西方面を振り返っての撮影です。この東西の通りには、両側に歴史的町並みが続きます。右手になり北側には、小さな空き地が出来ていました。

  • 一部が修復されたような門構えの光景です。瓦は新しく見えますが、柱は、伝統的な工具を使って削られたような跡があります。古い木材ではなく、これも現代の建築技術かもしれません。

    一部が修復されたような門構えの光景です。瓦は新しく見えますが、柱は、伝統的な工具を使って削られたような跡があります。古い木材ではなく、これも現代の建築技術かもしれません。

  • 塀越しに眺めることが出来た、大正ロマンを感じさせるような、ハイカラな建物光景です。屋根にも壁にも意匠が凝らされていました。

    塀越しに眺めることが出来た、大正ロマンを感じさせるような、ハイカラな建物光景です。屋根にも壁にも意匠が凝らされていました。

  • 現在も営業している老舗の料亭、『か茂免』です。尾張徳川藩中級武士の『安藤十次郎邸跡』の700坪の敷地に 京都の紙問屋『中井巳次郎』氏が名古屋別邸として大正時代に建築したものとされます。

    現在も営業している老舗の料亭、『か茂免』です。尾張徳川藩中級武士の『安藤十次郎邸跡』の700坪の敷地に 京都の紙問屋『中井巳次郎』氏が名古屋別邸として大正時代に建築したものとされます。

  • 『か茂免』の正面入口付近の光景です。現在の住所は白壁4町目になります。白壁町は、幸い第二次大戦の戦火を免れました。戦前・戦中は、旧宮家の東久邇稔彦や賀陽宮恒憲氏が邸宅として使用したとされます。

    『か茂免』の正面入口付近の光景です。現在の住所は白壁4町目になります。白壁町は、幸い第二次大戦の戦火を免れました。戦前・戦中は、旧宮家の東久邇稔彦や賀陽宮恒憲氏が邸宅として使用したとされます。

  • 『か茂免』の正面入口付近の光景です。白壁に赤いさつきの花が似合います。戦中に防空壕を造るために300坪が買い増しされ、現在の敷地は1000坪とされます。

    『か茂免』の正面入口付近の光景です。白壁に赤いさつきの花が似合います。戦中に防空壕を造るために300坪が買い増しされ、現在の敷地は1000坪とされます。

  • 塀の外から眺めた、『か茂免』の看板です。同店のHPでは、小倉出身の先代船橋秀一氏が、昭和3年に中区で河豚・鳥の水炊き専門店として出発し、店が戦災を受けたことから、『昭和23年1月に中井氏のご好意でこの地で営業を再開させて頂き、現在に至っております』との解説がありました。 <br />

    塀の外から眺めた、『か茂免』の看板です。同店のHPでは、小倉出身の先代船橋秀一氏が、昭和3年に中区で河豚・鳥の水炊き専門店として出発し、店が戦災を受けたことから、『昭和23年1月に中井氏のご好意でこの地で営業を再開させて頂き、現在に至っております』との解説がありました。

  • 『か茂免』の白壁光景です。白壁町を象徴する光景の一つでした。同店のHPでは、本館のかよう、応接間、玄関と土蔵は、蔵の根太に記載された大正8年が建設年とされます。

    『か茂免』の白壁光景です。白壁町を象徴する光景の一つでした。同店のHPでは、本館のかよう、応接間、玄関と土蔵は、蔵の根太に記載された大正8年が建設年とされます。

  • 南北に伸びる通りの光景です。白壁町のイメージからは、少し離れた光景でした。右端に見える白壁は、『か茂免』のものです。

    南北に伸びる通りの光景です。白壁町のイメージからは、少し離れた光景でした。右端に見える白壁は、『か茂免』のものです。

  • 結婚式場のチェーン店、『アーカンジェル迎賓館』の建物です。白壁町では、まだ周りの景観と馴染んでいない印象を受けます。

    結婚式場のチェーン店、『アーカンジェル迎賓館』の建物です。白壁町では、まだ周りの景観と馴染んでいない印象を受けます。

  • 閉まっていた鉄製の扉です。この扉の前を2偕通りましたが、2回目の時には、結婚式が行われていたのでしょうか、賑やかな光景になっていました。

    閉まっていた鉄製の扉です。この扉の前を2偕通りましたが、2回目の時には、結婚式が行われていたのでしょうか、賑やかな光景になっていました。

  • 塀越しに眺めた建物光景です。同社のHPを参照しましたら、結婚式場のほかにチャペル施設があるようでした。

    塀越しに眺めた建物光景です。同社のHPを参照しましたら、結婚式場のほかにチャペル施設があるようでした。

  • 敷地を取り囲む塀は白色、周りとの調和を考えてあるようですが、和風の伝統よりも、西洋を強く感じます。

    敷地を取り囲む塀は白色、周りとの調和を考えてあるようですが、和風の伝統よりも、西洋を強く感じます。

  • 東西の通りの南側に面した出入口です。武家屋敷時代のイメージを残した新しい造りです。中にはマンションが建っていました。

    東西の通りの南側に面した出入口です。武家屋敷時代のイメージを残した新しい造りです。中にはマンションが建っていました。

  • 門の脇にあった石碑です。『白壁・GRANDE MAISON・SHIRAKABE』の文字がありました。グランド・メゾン・シラカベと呼ばれているようです。

    門の脇にあった石碑です。『白壁・GRANDE MAISON・SHIRAKABE』の文字がありました。グランド・メゾン・シラカベと呼ばれているようです。

  • 『白壁櫻明荘』の表札があった門構えです。ネット情報によれば、2004年に竣工した高級マンション、『グランドメゾン白壁櫻明荘』でした。ネット情報では、分譲開始の価格は6千〜2億3千万円ほどだったようです。

    『白壁櫻明荘』の表札があった門構えです。ネット情報によれば、2004年に竣工した高級マンション、『グランドメゾン白壁櫻明荘』でした。ネット情報では、分譲開始の価格は6千〜2億3千万円ほどだったようです。

  • 『グランドメゾン白壁櫻明荘』の門の外から眺めた邸内光景です。ネットでの賃貸情報もありましたが、月40万円クラスでした。

    『グランドメゾン白壁櫻明荘』の門の外から眺めた邸内光景です。ネットでの賃貸情報もありましたが、月40万円クラスでした。

この旅行記のタグ

19いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

旅行記グループ

2012年、尾張の名所巡り

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP