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日本における女優第1号とされる、川上貞奴所縁の二葉館の紹介です。元々は東区の二葉町にあった建物が、『文化のみち』と呼ばれる現在地の東区白壁町に移築・再建されたものです。電力王と呼ばれた、福沢諭吉の娘婿・福沢桃介と暮らした建物です。二葉館の名前は、旧・東二葉町にあった当時、『二葉御殿』と呼ばれていたことに因みます。(ウィキペディア)

2012春、日本の女優第1号の川上貞奴所縁の二葉館(1/3):文化の道・二葉館、文学資料館

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2012/05/27 - 2012/05/27

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旅行記グループ 2012年、尾張の名所巡り

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旅人のくまさん

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日本における女優第1号とされる、川上貞奴所縁の二葉館の紹介です。元々は東区の二葉町にあった建物が、『文化のみち』と呼ばれる現在地の東区白壁町に移築・再建されたものです。電力王と呼ばれた、福沢諭吉の娘婿・福沢桃介と暮らした建物です。二葉館の名前は、旧・東二葉町にあった当時、『二葉御殿』と呼ばれていたことに因みます。(ウィキペディア)

交通手段
私鉄

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  • 『文化のみち』を紹介したプレートです。二葉館の敷地内にありました。二葉館は、『文化のみち』の中核施設として、地元出身の作家を紹介する文学資料館ともなっています。

    『文化のみち』を紹介したプレートです。二葉館の敷地内にありました。二葉館は、『文化のみち』の中核施設として、地元出身の作家を紹介する文学資料館ともなっています。

  • 同じく、『旧川上貞奴邸』の敷地内にあった観光案内標識です。二葉館は文化の道の東南角に位置していますから、左方向に豊田佐助邸、手前向きに文化のみち・撞木館が記されています。

    同じく、『旧川上貞奴邸』の敷地内にあった観光案内標識です。二葉館は文化の道の東南角に位置していますから、左方向に豊田佐助邸、手前向きに文化のみち・撞木館が記されています。

  • 二葉館の全景です。電力王と呼ばれた福沢桃介と、日本の女優第1号である川上貞奴が、1920年(大正9年)から1926年(大正15年)までの6年間を暮らした旧邸宅です。旧・東二葉町は、現在の白壁3丁目です。

    二葉館の全景です。電力王と呼ばれた福沢桃介と、日本の女優第1号である川上貞奴が、1920年(大正9年)から1926年(大正15年)までの6年間を暮らした旧邸宅です。旧・東二葉町は、現在の白壁3丁目です。

  • 二葉館の玄関付近の光景です。電力王と呼ばれた福沢桃介が、川上貞奴と居住するために住宅専門会社の『あめりか屋』に依頼し建設された建物です。

    二葉館の玄関付近の光景です。電力王と呼ばれた福沢桃介が、川上貞奴と居住するために住宅専門会社の『あめりか屋』に依頼し建設された建物です。

  • 二葉館の玄関光景です。福沢桃介が隠居のため東京へ戻ると、貞奴も拠点を東京に移しました。その後、1937年(昭和12年)に、貞奴によって敷地や建物が東西に分割処分されました。

    二葉館の玄関光景です。福沢桃介が隠居のため東京へ戻ると、貞奴も拠点を東京に移しました。その後、1937年(昭和12年)に、貞奴によって敷地や建物が東西に分割処分されました。

  • 二葉館の側面光景です。大正時代には、随分とハイカラな建物として注目されたことでしょう。貞奴の手を離れた後、暫くは『大同特殊鋼二葉荘』として使用されていましたが、2000年(平成12年)2月に建物の寄付を受けた名古屋市が、現在地へ移築復元し、2005年(平成17年)2月『文化のみち二葉館』として蘇りました。

    二葉館の側面光景です。大正時代には、随分とハイカラな建物として注目されたことでしょう。貞奴の手を離れた後、暫くは『大同特殊鋼二葉荘』として使用されていましたが、2000年(平成12年)2月に建物の寄付を受けた名古屋市が、現在地へ移築復元し、2005年(平成17年)2月『文化のみち二葉館』として蘇りました。

  • 上が文化庁の指定による『登録有形文化財』、下が名古屋市指定による『景観重要建築物』の標識プレートです。

    上が文化庁の指定による『登録有形文化財』、下が名古屋市指定による『景観重要建築物』の標識プレートです。

  • 玄関の左手にあったガラス窓です。ステンドグラスになっていました。後ほど、入館して中からも見学しました。館内の各所に、大正ロマンを感じさせるステンドグラスがありました。

    玄関の左手にあったガラス窓です。ステンドグラスになっていました。後ほど、入館して中からも見学しました。館内の各所に、大正ロマンを感じさせるステンドグラスがありました。

  • ここからは履物をスリッパに代えて、入館しての見学です。『旧川上貞奴邸』を二葉館として甦らせた、現在の所有者である名古屋市名の挨拶文でした。

    ここからは履物をスリッパに代えて、入館しての見学です。『旧川上貞奴邸』を二葉館として甦らせた、現在の所有者である名古屋市名の挨拶文でした。

  • 1階は少し込み合っていましたので、先に2階からの見学です。1階からの吹き抜けと、2階の廊下の光景です。

    1階は少し込み合っていましたので、先に2階からの見学です。1階からの吹き抜けと、2階の廊下の光景です。

  • 2階にあった『関係者一同』の名前での挨拶文です。この建物の2階が地元作家を中心とする文学資料館になったいきさつが紹介してありました。

    2階にあった『関係者一同』の名前での挨拶文です。この建物の2階が地元作家を中心とする文学資料館になったいきさつが紹介してありました。

  • 江夏美好(えなつ・みよし:1923年1月19日〜1982年7月17日)に関する解説文です。1963年に『脱走記』で直木賞候補、1964年に『流離の記』で再度候補となり、1970年『下々の女』で田村俊子賞受賞しました。口腔がんを患い、闘病生活のなかで自殺し、人生を終えました。

    江夏美好(えなつ・みよし:1923年1月19日〜1982年7月17日)に関する解説文です。1963年に『脱走記』で直木賞候補、1964年に『流離の記』で再度候補となり、1970年『下々の女』で田村俊子賞受賞しました。口腔がんを患い、闘病生活のなかで自殺し、人生を終えました。

  • 江夏美好に関する展示資料です。吉城郡神岡の出身で本名は中野美与志、ぺンネームは、江夏美も使っていました。1995年に世界文化遺産に指定された白川郷の大切さと保存を、その四半世紀前か熱く訴えていた人とされます。

    江夏美好に関する展示資料です。吉城郡神岡の出身で本名は中野美与志、ぺンネームは、江夏美も使っていました。1995年に世界文化遺産に指定された白川郷の大切さと保存を、その四半世紀前か熱く訴えていた人とされます。

  • 医者で作家だった、小谷剛(こたに・つよし:1924年9月11日〜1991年8月29日)に関する解説文です。1949年『確証』の作品で、戦後復活した最初の芥川賞を受賞しました。同人誌『作家』を創刊し、昭和40年代には同人から複数の直木賞作家を生んでいます。

    医者で作家だった、小谷剛(こたに・つよし:1924年9月11日〜1991年8月29日)に関する解説文です。1949年『確証』の作品で、戦後復活した最初の芥川賞を受賞しました。同人誌『作家』を創刊し、昭和40年代には同人から複数の直木賞作家を生んでいます。

  • 小谷剛に関する展示資料です。芥川賞を受賞した『確証』や芥川賞の副賞の懐中時計等が展示されていました。

    小谷剛に関する展示資料です。芥川賞を受賞した『確証』や芥川賞の副賞の懐中時計等が展示されていました。

  • 坪内逍遥(つぼうち・しょうよう:1859年6月22日〜1935年2月28日)の略年譜です。江戸時代に生まれ、主に明治時代に活躍した作家、劇作家、翻訳家で評論家です。

    坪内逍遥(つぼうち・しょうよう:1859年6月22日〜1935年2月28日)の略年譜です。江戸時代に生まれ、主に明治時代に活躍した作家、劇作家、翻訳家で評論家です。

  • 坪内逍遥に関する展示資料です。代表作の『当世書生気質』や翻訳した『シェイクスピア全集』が並んでいました。

    坪内逍遥に関する展示資料です。代表作の『当世書生気質』や翻訳した『シェイクスピア全集』が並んでいました。

  • 春日井建(かすがい・けん:1938年12月20日〜2004年5月22日)に関する解説文です。父の春日井助L、母の春日井政子ともに歌人で、自身も歌人でした。父の編集発行する歌誌『短歌』(中部短歌会)に作品を発表し始め、最初は歌人の中井英夫に認められ、1960年、歌集『未青年』の刊行には、三島由紀夫が『現代の定家』として推薦文を寄せました。

    春日井建(かすがい・けん:1938年12月20日〜2004年5月22日)に関する解説文です。父の春日井助L、母の春日井政子ともに歌人で、自身も歌人でした。父の編集発行する歌誌『短歌』(中部短歌会)に作品を発表し始め、最初は歌人の中井英夫に認められ、1960年、歌集『未青年』の刊行には、三島由紀夫が『現代の定家』として推薦文を寄せました。

  • 同じく、春日井建(かすがい・けん:1938年12月20日〜2004年5月22日)に関する解説文と自筆原稿です。

    同じく、春日井建(かすがい・けん:1938年12月20日〜2004年5月22日)に関する解説文と自筆原稿です。

  • 春日井建に関する展示資料です。『われわれは一人の若い低下を持った(三島由紀夫)』の賛辞が帯に記された『春日井建全歌集』等が展示してありました。

    春日井建に関する展示資料です。『われわれは一人の若い低下を持った(三島由紀夫)』の賛辞が帯に記された『春日井建全歌集』等が展示してありました。

  • 同じく、春日井建に関する展示資料です。冒頭の『関係者一同』の挨拶文にもあったように、遺族からの寄贈があったようです。

    同じく、春日井建に関する展示資料です。冒頭の『関係者一同』の挨拶文にもあったように、遺族からの寄贈があったようです。

  • 『新しい文学が生まれる都市・名古屋』のタイトルでの解説文です。四迷・逍遥につズクタイそゆ木の作家から、現代に至る名古屋の文士の概説です。

    『新しい文学が生まれる都市・名古屋』のタイトルでの解説文です。四迷・逍遥につズクタイそゆ木の作家から、現代に至る名古屋の文士の概説です。

  • 『白壁周辺の文士の住居』のタイトルの地図です。大正14年頃の地図ベースに、10名余の作家や文学にかかわる名所・旧跡が記されていました。

    『白壁周辺の文士の住居』のタイトルの地図です。大正14年頃の地図ベースに、10名余の作家や文学にかかわる名所・旧跡が記されていました。

  • 『郷土ゆかりの近現代文学作品マップ』のタイトルの地図です。上が名古屋市、下が愛知県の地図に、作品名と作家名がプロットしてありました。

    『郷土ゆかりの近現代文学作品マップ』のタイトルの地図です。上が名古屋市、下が愛知県の地図に、作品名と作家名がプロットしてありました。

  • 2階の窓ガラス越しに眺めた近所の街並み光景です。街並みが変わり、移転もあったことから、桃介や貞奴が眺めた光景とは、かなり違った光景でしょう。

    2階の窓ガラス越しに眺めた近所の街並み光景です。街並みが変わり、移転もあったことから、桃介や貞奴が眺めた光景とは、かなり違った光景でしょう。

  • 『城山三郎・著作一覧』のタイトルの年表です。ジャンル別・年代順に整理されていました。一番多いのは小説分野です。

    『城山三郎・著作一覧』のタイトルの年表です。ジャンル別・年代順に整理されていました。一番多いのは小説分野です。

  • 『城山三郎・略年譜』のタイトルの年表です。主な受賞歴は次の通りです。<br /><br />◎1958年(昭和33年):『輸出』で第4回文學界新人賞。<br />◎1959年(昭和34年):『総会屋錦城』で第40回直木賞。<br />◎1959年(昭和34年):『落日燃ゆ』で吉川英治文学賞、毎日出版文化賞。<br />◎1996年(平成8年):『もう、きみには頼まない 石坂泰三の世界』で第44回菊池寛賞。<br />◎2002年(平成14年):朝日賞。

    『城山三郎・略年譜』のタイトルの年表です。主な受賞歴は次の通りです。

    ◎1958年(昭和33年):『輸出』で第4回文學界新人賞。
    ◎1959年(昭和34年):『総会屋錦城』で第40回直木賞。
    ◎1959年(昭和34年):『落日燃ゆ』で吉川英治文学賞、毎日出版文化賞。
    ◎1996年(平成8年):『もう、きみには頼まない 石坂泰三の世界』で第44回菊池寛賞。
    ◎2002年(平成14年):朝日賞。

  • 城山三郎(1927年(昭和2年)8月18日〜2007年(平成19年)3月22日)に関する展示資料です。冒頭の挨拶文では、生前に寄贈された品が多くあるようです。

    城山三郎(1927年(昭和2年)8月18日〜2007年(平成19年)3月22日)に関する展示資料です。冒頭の挨拶文では、生前に寄贈された品が多くあるようです。

  • 城山三郎に関する展示資料です。昭和34年に直木賞を樹賞した、『総会屋錦城』も左上にあります。多分、初版本でしょう。直木賞正賞の置時計も展示されています。

    城山三郎に関する展示資料です。昭和34年に直木賞を樹賞した、『総会屋錦城』も左上にあります。多分、初版本でしょう。直木賞正賞の置時計も展示されています。

  • 城山三郎の著作集です。単行本のほか、文庫本も並んでいあmした。右下の薄い本は同人誌でしょうか。

    城山三郎の著作集です。単行本のほか、文庫本も並んでいあmした。右下の薄い本は同人誌でしょうか。

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