2011/10/22 - 2011/11/06
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kojikojiさん
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ミニバンツアー初日の1番最後の見学は「ランジェ城」でした。「ユッセ城」からはトゥール方面へ戻りかけた所にあります。ここはこの日訪れた他の3つの城の貴族の城館風な造りではなく、城と言っても城塞の様を呈していました。壕から跳ね橋を渡って城壁に入る所などはまるで日本人が想像するであろう中世の城の造りです。この城の歴史は1491年に大ホールでシャルル8世とブルターニュ女公アンヌとの結婚式が執り行われ、その後ブルターニュはフランスに統合されたことで有名です。この日見てきた3つの城館と違って、昨日見学した「ブロワ城」にような重々しい歴史のある城です。ここへ来て初めて知りましたが、「九偉人」のタペストリーも素晴らしい物でした。また城からの発注などで城下町が形成されていったのでしょうか、城の廻りには集落が形成されています。またこの集落の風情が良く、ルメ川という小さな川も流れて、まるで中世のまま時間が止まったような所です。観光的にはあまり歓迎しませんが、城を出た後に小雨が降って来て余計風情を感じさせたのかもしれません。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 船 徒歩
- 航空会社
- 中国国際航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
「ユッセ城」からミニバンに乗って移動しましたが、あっという間に付いた「ランジェ城」です。丘の上の城から少し下がった駐車場にミニバンを残してドライバーさんと少し歩きます。
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歩いていると城を中心とした城下町なのだと感じさせます。入り口の跳ね橋や石落としや高い塔などの外観は厳めしい要塞のような感じがします。
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階段を上がると城壁との間に壕があり、跳ね橋を渡って城壁の中に入って行きます。日本人が想像する中世の城そのままの造りです。階段があるので馬で駆け抜ける様な事は出来なさそうですが。この日見てきた3つの城はどちらかと言うと貴族の住む城館でしたがここは戦闘のための城塞の雰囲気です。
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ここでも運転手さんがチケット売り場まで来てくれて団体料金で入場します。見学時間は1時間15分とちょっと半端な感じがしますが、終わってみると1時間ではちょっと足りないので、上手く平均時間を考えているなと思いました。
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城の歴史はアンジュー伯フルク・ネラによって992年に設立され、すぐにオド1世ブロワ伯爵によって攻撃されました。元々は地理的な問題からロワール川沿いのブルグイユとアンボワーズの間に要塞が必要だったそうです。
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その後プランタジネット王の下で城は増強され、ブルターニュ人がロワールへ攻め入るのを阻止するためにルイ11世がここに城塞を築きました。さらにイングランドのリチャード1世(ライオンハートのリチャード)によって拡張されますが、フランスのフィリップ2世は1206年に城を奪還しました。百年戦争中に破壊されますが、ルイ11世の治世中の1465年頃に再建されました。城の大ホールでは1491年12月6日にブルターニュのアンヌとチャールズ8世が結婚を執り行い、ブルターニュとフランスを恒久的に結びつけました。
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内装は華美ではありませんが床のタイルや大理石のマントルピースなどお金はかかっている事は感じさせます。ただ全く生活感は全く感じないので前日に行った「ブロワ城」に近い感じがします。
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このお城も綺麗な生花がふんだんに飾られていました。百合の花が捧げられた肖像画はシャルル8世とブルターニュ公女アンヌです。
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シャルル8世は当初ハプスブルク家のローマ王マクシミリアンの娘マルグリットと婚約していました。マルグリットは誘拐同然にフランスへ送られて、アンヌ・ド・ボージューの下で養育され、シャルル8世と幼くして形式的な結婚をしました。一方マクシミリアンはマルグリットの母で最初の妃であるマリー・ド・ブルゴーニュをすでに亡くしており、ブルターニュ公国の継承権を持つアンヌ・ド・ブルターニュと婚約していた。そこでシャルル8世はマルグリットとの結婚を解消し、1491年12月6日にアンヌと政略結婚しました。元の妃マルグリットをマクシミリアンが武力に訴えるまで返しませんでした。
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19世紀に入ってからジャック・ジークフリートが、この城を購入して修復を始め、タペストリーや家具のコレクションを入れて現在に至っています。その遺言によって城はフランス学士院に寄付され、2000年に「シュリー・シュル・ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷」の一部として世界遺産に登録されています。
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王の城らしく狩猟をテーマにしたタペストリーが飾られています。狩った鹿をその場でさばいている様子がかなりリアルです。取り出された内臓は猟犬へのご褒美だったのですね。
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ルネサンス風の装飾が施された内装は当時のままの輝きを保っています。この部屋で王を中心に家臣が食事をしたのでしょうか。その当時はまだフォークが無かったのでテーブルにはナイフしかありません。そのあたりの時代考証もされているようです。
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一般的にはフランスにフォークを持ち込んだのはカトリーヌ・ド・メディシスだと言われています。彼女がアンリ・ド・ヴァロワ(後のアンリ2世)と結婚するために、1533年にイタリアからフランスに来たとき、嫁入り道具の中にフォークがあったからといわれます。昨日行ったブロワ城がフランスで初めてフォークが使われたのかもしれません。
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イエスとその前に立つ洗礼者ヨハネですが、中世世界の中にいるイエスの衣装に対して聖書の記述のままのヨハネの衣装が面白いです。
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この部屋の暖炉には火が入っていませんでした。この城はよほど寒いのか天蓋付きのベッドには厚手のベルベットで覆われています。
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このお城の床のタイルはとても綺麗でしたが冬は深々と寒さが下から上がってきた事と思います。床のタイルには「Soli Deo Honor et Gloria」、ラテン語で「神にのみ栄光」と書かれてあります。
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アウローラとはローマ神話の暁の女神の名でありロシア語では「 夜明け」を意味します。オーロラと言った方が一般的ですね。女神の周りには十二宮と星が描かれていました。
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1491年にこの大ホールでシャルル8世とブルターニュ女公アンヌとの結婚式が執り行われ、その後ブルターニュはフランスに統合されることとなります。アンヌ・ド・ブルターニュとの結婚以後自立するようになり、1494年に16世紀前半のヨーロッパ史上重大な影響を与えることになるイタリア戦争を開始しました。ナポリ王国の継承権を主張するシャルルは、フランス軍を率いてイタリア半島を南下し、戴冠してナポリ王となりますが、その後多大の損害を出してフランスに逃げ帰ります。
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まさにその結婚式が執り行われている最中です。このシーンはフランス人にとっては重要なようで、周囲に置かれた椅子に座って皆さん真剣に眺めています。
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シャルル8世は王妃アンヌとの間に3男1女をもうけましたが、長男のシャルル・オルランを含めいずれも夭逝しており、シャルル8世が鴨居に頭を打って死ぬことによってヴァロワ家の本流は断絶しました。傍系ヴァロワ・オルレアン家のオルレアン公ルイ2世がルイ12世として王位を継ぎます。
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アンヌの父方の祖母はヴァロワ・オルレアン家の出身で、ルイ12世の叔母にあたるそうです。ルイ12世もブルターニュに対する野心から、最初の妃であったシャルル8世の姉であるジャンヌと離婚してアンヌと再婚します。
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どろどろしたフランス王家の歴史を見てきたお城です。フランス王家について勉強して来たつもりですが、旅行中には頭の中で整理できないでいました。ロワールの旅の最後にナントへも行き、ブルターニュ公爵城の見学でアンヌのことは思い出しました。
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後年この城を買ったジャック・ジークフリートのタペストリーや家具などの素晴らしい調度品が飾られています。これは旧約聖書の場面で、アダムとイヴが蛇にそそのかされて禁断のリンゴを手にしたイヴが描かれています。同じ場面の奥では大天使ミカエルに楽園を追放されているシーンまであります。その場面ではリンゴを食べた後なので羞恥を知り洋服を着ています。
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彫刻の見事な扉と唐草模様のようなタペストリーです。Hはアンリのアナグラムでしょうか。
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このタペストリーを見て思ったのはインドネシアのバリ島のウブドゥにある「ネカ美術館」に飾られている絵画のことです。そんな絵を思い出させるようなプリミティブな素晴らしいデザインのタペストリーです。
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こちらも同じような雰囲気を感じさせます。アカンサスの葉と不死鳥のような鳥が遊んでいます。深い青も東洋を感じさせるのかもしれません。
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こんな部屋だったら数日なら滞在してみたいと思いました。
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ルーブル美術館で見た聖櫃よりは素朴な雰囲気ですが、素晴らしいものを見る事が出来ました。
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古い聖母子像も手に取れるような位置に置かれています。
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黄金の宗教画は左から聖フランチェスコで、中央は車輪と剣を持っているのでアレクサンドリアの聖カトリーナだということが分かります。右側の聖職者が誰なのかはこの絵からは分かりません。
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個人的にはこのフラ・アンジェリコのような絵画の方が好みです。聖女が左手に持つ子羊はイエスを表し、右手の羽根ペンはアレクサンドリアの聖カトリーナのアトリビュートだと思います。
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15世紀と16世紀のタペストリーのユニークなコレクションはポワトウのチャウレイのプロテスタントの領主ピエール・パイアンのために1525年から1540年の間に造られたと言われています。
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有名な「九偉人」のタペストリーの9つの作品のうち7つの作品が展示されています。ジャック・シフグリードは1892年にサン・マイクセン・レコールの医師と地元のブローカーや仲介者によってそれを取得しました。
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9つのタペストリーのうち7つのコレクションは、シャルル・マーニュとユダ・マカバイのもの2つだけが行方不明ですが、世界で最も完全なコレクションです。九偉人とは歴史上、あるいは聖書や神話、伝説に登場する英雄のうち、中世ヨーロッパにおいて騎士道を体現する偉大な人物として信じられていた9人の英雄のことです。
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9人の英雄はキリスト教以前、旧約聖書の時代、キリスト教徒の3人ごとに組みに分けられ、それぞれの分野での騎士や戦士の理想像として考えられました。九偉人の選定は中世ヨーロッパの文学、芸術の分野で共通のテーマとなり、やがて不動の知名度を獲得しました。
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9人の偉人は全員が優れた武人であり、ヘクトールとアーサー王を除く全員が征服者です。また、ほとんどが王あるいは皇帝など貴族の出身であることも特徴で、彼らは母国に栄光と名誉をもたらし、その武勇は記録に残されました。
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ニューヨークの「メトロポリタン美術館」には九偉人を描写した15世紀初期のタペストリーの断片をいくつか展示していますが、このランジェ城の方が状態は良いそうです。九偉人はルネサンス期の仮面劇でも人気の演目になり、トランプの絵札についてもこの9人の中から相当の人間が選ばれています。
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「異教徒の偉人」の3人はギリシア神話に登場するトロイアの王子ヘクトール 。マケドニア王国のアレクサンドロス大王 。共和制ローマの皇帝カエサル。
「旧約聖書』の時代、ユダヤ人の偉人」の3人はモーゼの後継者としてユダヤ人を指導したヨシュア。ユダヤ人の歴史上2番目の王とされるダビデ。ユダヤ人の独立のため戦った民族的英雄ユダ・マカバイ。 -
「キリスト教徒の時代」の3人は5世紀ごろ存在したとされるアーサー王。8世紀ごろのフランク王国の国王シャルルマーニュ(神聖ローマ帝国カール大帝)。第1回十字軍に従軍した騎士ゴドフロワ・ド・ブイヨン。です。
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1度城の巡警用の回廊に出ますが、警備用だけあって周囲の眺めが手に取るように見えます。ランジェの城下はかなり大きな集落になっていることが分かりました。
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ロワール川まで200メートルほどですが、川辺までは良く見えません。車が無ければ中世のままの景色に見えるかもしれません。
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前には川があり、背後は小高い丘があるので交通の要衝でもあり、防衛のかなめでもあったのだと感じます。
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城の横にはロワール川の支流のルメ川が流れています。現在は城の壕には水は引かれてありませんが、昔は水で満たされていたのかもしれません。
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見学時間が少し残るようであれば村の中を歩いてみたくなりました。
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迷路のような通路と階段をぐるぐる回って見学は続きます。1人で歩いていると時間を遡って旅をしているような気になります。さて妻を見掛けなくなってずいぶん経ちますが…。
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1つの部屋にいくつも暖炉があるということは冬は随分寒かったのでしょう。
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この部屋のタイルは幾何学模様と淡い色合いが可愛らしかったです。特に豪華ではありませんがセンスの良さを感じました。
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2頭の獅子にが牽く戦車に乗った人物は力の象徴で、旧約聖書の「力の勝利」からの引用です。同じデザインのタペストリーが「シュノンソー城」のディアーヌ・ド・ポワティエの部屋にもありました。
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妙に人間臭い表情をしたライオンです。怖いというよりも親しみやすい顔です。
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どこかで見たことがあると思ったら「エルマーのぼうけん(My father's dragon」のライオンを思い出しました。父に買ってもらった絵本ですが、先日新しく買った本を姪にプレゼントしました。姪と物語について話し合えるのは子供のいない自分にとって楽しいことです。
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表に出ると砂利の中庭の先に小高い丘と古い城塞の廃墟が見えます。そのまま先まで丘は続いているようなので時間の許す限り先に行ってみます。
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ランジェ城の庭園には10世紀にアンジュー伯フルク・ネラによって建てられたフランスで最も古い石造りの主塔があります。その後ろには足場や巻き上げ機が再現され、10世紀ごろの建築技術を知りことができます。
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廃墟になった城塞を眺めていたら何故かイタリアのサン・ガルガーノ修道院を思い出しました。家に帰ったらタルコフスキー監督の映画「ノスタルジア」を久し振りに観よう思いました。
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ここまで来ると「ランジェ城」が「くの字形」に広がった形をしているのが分かりました。
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古い城塞の丘を登ると城の全景が美しく見えました。ここからの全景が一番のように思います。
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少し角度をずらすとまた城館の姿は違った雰囲気に変わりました。
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歩いているとぱらぱらと小雨が降ってきました。秋のフランスを旅するにはこれくらいの天気が良かったと思います。しっとりとした日本の秋を感じさせるような季節でした。
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もう少し先まで行きたかったのですが、妻が戻るというので先へは進めませんでした。
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城館の中で見てきた数々の暖炉はあの煙突に繋がっているのだなと思いました。フランス王国の1つの歴史の場面を見たような「ランジェ城」の見学でした。
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城の見学を終えて少し時間が余ったので、周辺を散歩することにしました。
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壕の周りを歩いてみようかとも思いましたが、小雨も降っているので集落の方へ向かってみます。
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ルメ川のほとりに出て写真を撮っていたら妻がどこかへ行ってしまいました。
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ロワール川からの支流であるルメ川では釣りを楽しんでいるおじいさんがいました。道具箱の中にあった道具入れに日本語のステッカーが貼ってあったのが記憶に残りました。
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景色の良い所があったので妻に教えてあげようと振り返るといません。まあ小さい集落ですから迷子になることも無いでしょう。
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暫くすると妻はキッシュを頬張りながらやってきました。城の前の小さな広場にLa Maison de Rabelaisというお菓子屋さんがあったのを思い出しました。
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小川には鴨が遊び穏やかな町であることが分かります。似たような風景にスイスのどこかで出会ったような気がしました。
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小さい広場の角には小さい花屋さんがありました。
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広場の主はこの尖塔を持つ「洗礼者聖ヨハネ教会」でした。名前からするとプロテスタント(ユグノー派)の信者が多いという事でしょうか。この塔は城の上から眺めた方が美しく感じました。
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集合時間ギリギリにミニバンに戻ってこの日の4つの古城巡りは終わりになりました。トゥール迄は30分ほどのドライブです。
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トゥールへの帰り道に運転手さんがブドウ畑で車を止めてくれました。小雨の中ですがみんなで畑に入り込みます。
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このブドウ畑の持ち主の城館でしょうか。ランジェとトゥールの間にある以外どこなの分からないので城の名前も分かりません。ただこの間にある有名な城館は全部訪ねたので個人所有の城館だと思います。
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ブドウ畑越しに見る城館の美しさはこの世のものとは思えません。
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10月下旬ではブドウの摘み取りはすでに終わっていますが、摘み残されたものがかなり残っていました。
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畑は延々とどこまで続いているのか分かりません。ミニバンでかなりの時間ブドウ畑を走りました。
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摘み残しのブドウを自由にいただきます。小粒ですが味はしっかりとしているので良いワインになるだろうことは想像できました。種があるのでみんなでプップッ飛ばしながら晩秋のロワール渓谷を満喫しました。
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ブドウ畑を見る妻の目はいつになく真剣なまなざしです。何か悪いことを考えているのかもしれません。
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ブドウの房を1ついただいて、ホテルの部屋でいただきました。古城巡りもよいですが、錦秋のロワールの景色が印象に残りました。
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