2011/10/22 - 2011/11/06
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kojikojiさん
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アンボワーズのツーリストインフォメーションを午後1時20分に出発して一路「シャンボール城」へ向かいます。午後からのツアーは1人増えて7人ツアーになりました。午後からミニバンに乗って来られた方は日本人だったので車内で話が弾みました。ロンドン大学の大学院で美術の勉強をされている方で11月に日本へ帰る前にフランスを旅行されているとのことでした。シャンボールまでは約50キロの距離で1時間近くは走ったと思います。途中の車窓は黄葉の美しいロワール川沿いの道と田園風景の景色を楽しむことが出来ました。いくつもの古城を通り過ぎるので飽きることはありませんが、そのうち給水塔までがお城の塔に見えてきます。一番印象に残ったのはブロワの街を対岸から眺めたことです。ほんの2日前に来たのがもう遠い昔のような気がしました。さて「シャンボール城」ですが、ミニバンで城の門を通過したので間もなくかと降りる準備を始めましたがいくら経っても着きません。後で分かりましたがシャンボール城の敷地は山手線の内側よりちょっと小さいくらいあるそうです。駐車場でミニバンを降りて、運転手さんに入場代金を渡すと彼女は先に走ってチケットを買って待っていてくれました。この城は1時間半の見学時間がありますが、あまりに巨大なので城館の内部だけで軽く1時間はかかりました。城館の周りの庭を見る時間はほとんど残りませんでしたが、今まで見てきた城のどことも違う素晴らしい規模の美しいお城でした。特に屋上の尖塔群は圧巻で、アンコールワットを間近で見た時の驚きと感動を受けました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 船 徒歩
- 航空会社
- 中国国際航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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「シャンボール城」の敷地に入ってからもミニバンはかなりの時間走り続け、ようやく駐車場に着きました。ドライバーのお姉さんに入場料を渡して、チケットを購入してもらいます。駐車場からお城までもかなり歩きますが、彼女は先に走ってチケットを買って待っていてくれます。
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駐車場からは城館は見えますがいくら歩いても足踏みしているかのように近づけません。昔スイスのツェルマットのゴルナーグラートからスキーでマッターホルンに向かって滑走したことがありましたが、その時も周囲の景色がほとんど動かないのに驚いたことがあります。その時の感覚を思い出しました。
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歩きながら望遠レンズに付け替えたりして写真を撮っていました。この城館はロワール流域でも特異なフレンチ・ルネッサンス様式の城です。屋根の上の数々の尖塔に目が行ってしまいます。
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ようやく城館の1つの角に到着しました。入口は建物の反対側なのでまだ数百メートル歩かなければなりません。
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「シャンボール城」はロワール渓谷最大の威容を誇りますが、元はフランソワ1世の狩猟小屋を始まりとした城であり、王の主な居城は今までに見てきた「ブロワ城」と「アンボワーズ城」でした。
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「アンボワーズ城」近くの「クロ・リュセ城」に住居を与えられていたレオナルド・ダ・ヴィンチは「シャンボール城」の設計に関与していたと考えられています。城の完成が近づくとフランソワ王は、自分の富と権力の巨大な象徴として、宿敵であるカール5世をシャンボールに招待して見せびらかしたそうです。
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城館のファサードは128メートルの幅と彫刻された800以上もの柱、精巧に飾られた屋根が見事です。「シャンボール城」の建設を命じたとき、フランソワ1世はコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)の地平線に現れる屋波をイメージしたそうです。
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ようやく城館の正面に到着しました。外を囲う城壁の中に尖塔を載せた本丸が見えますが、本丸には巨大な塔が左右に4基、そして一体何基あるのか分からないほどの小塔が1つの町並みのように見えます。
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フランソワ1世は何故狩猟用の城をこのような巨大な物にしたのでしょうか?実際に住んだブロワ城とアンボワーズ城の数倍の大きさです。そして実際に使われたのは7週間ほどだったと言われています。
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狩猟の館なので敵からの防護などは一切考えられなかったので、城塞というイメージはありません。巨大すぎる城館と言った感じですが生活感は全く感じられません。
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当時は調度品は設けずに王の移動に伴って、組み立て式の家具やタペストリーを持ち込んだようです。更に敷地は山手線内ほどで、周囲に集落も無いので随行する2000人の家臣の食べ物も運び込んだそうです。
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ドライバーさんからチケットを受け取って、自由行動の1時間30分後に駐車場で最終号になりました。ファサードをそのまま抜けると巨大な中庭の空間が広がり、改めて城館の巨大さに驚かされます。
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見学ルートは128メートル四方の外側の建物の中にある40メートル四方ほどの建物からスタートします。
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高さ7メートルほどの入り口ゲートから中に入った最初の印象は巨人の家に紛れ込んだ気分でした。廊下の先から4メートルくらいの巨人が出て来そうです。ジャックと豆の木のジャックになった感じです。この城館の建築上の見所の1つに2重螺旋階段が挙げられます。2つの階段を使えば相手に出会うことなく3階まで昇り降りができる仕掛けですが、これはレオナルド・ダ・ヴィンチが設計したと言われます。
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あまりにも天井高があり、廊下の幅も廊下と呼んでよいのかと思うほどの広さです。また開口部が広く内部も明るいのですが、防寒のことなどは何も考えられていない印象を受けました。
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豪華な造りのキャロムビリヤード台が置かれた部屋の壁にはマリー・アントワネットの肖像画が掛けられてありました。フランソワ1世が築城してから200年後にフランス王妃だったマリー・アントワネットは「シャンボール城」にも来ることがあったのでしょうか。
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南東に開いた大きな窓にはそれぞれ板戸が設けられています。通常板戸は風雨から窓を護るので建物の表に取り付けられますが、ここでは内側に取り付けてあることから防寒のために設置されたのではないでしょうか。
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フランソワ1世のお付の2000人が狩猟の用意や食事の支度など城館の中を歩き回るのでしょうから2重螺旋階段で上り下りを分けた方が効率が良かったのではないだろうかと時間できます。
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「名士の間」には歴代の王族の肖像画が並んでいました。左の肖像画はポーランド王がトルコの王様の格好をしています。
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城館のいくつかの部屋は美しく装飾されています。「ブロワ城」でもたくさん見掛けましたが、この城にもフランソワ1世のサラマンダーのレリーフがいくつもありました。
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「狩りの間」は緑と金色のシルクの壁紙で覆われていますが、フランソワ1世の時代には装飾は無かったのでこれらの部屋は後世の時代の物だと思います。時代的にはシャンボール伯の頃の調度品のようです。
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「La Curee」は「獲物の分け前」という意味で、同名の小説がエミール・ゾラの作品にありました。狩りが終って獲物が持ってこられると猟犬たちは分け前をよこせと言わんばかりに吠え立てている場面が描かれています。
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立派な金箔の押された額の周りにはアカジカのハンティングトロフィーが掛けられています。
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絵の題材は猟犬に関わるものが多く、これは「戯れる」という題名が付いていました。
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そして狩猟用の犬には持ち主が分かるように焼印が押されています。ということは領主以外の参加者も自分たちの犬までも持ち込んで狩りをしたのだと想像できます。フランセ・トリコロールという種類の猟犬です。主にシカやイノシシといった大型哺乳類をセントハント(嗅覚猟)するのに用いられ、発見すると飛び掛って噛み留めを行い主人に止めを刺してもらうか、自らの手で仕留めるそうです。手に負えない獲物であっても最後まであきらめずに戦いを挑み、現在も多くが実猟犬として飼育されていて、ペットとして迎え入れられているものは非常に稀だそうです。
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絵画の額も当時の獲物だったであろう雉などの鳥やイノシシが彫られています。
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狩猟で仕留めた鹿などの首から上の部分を剥製にするなどして、壁に飾ったりするものをハンティング・トロフィー(狩猟戦利品)といいます。この部屋に飾られたものは木製の彫刻の鹿の頭部に角だけを取り付けています。
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これはかなり新しい物のようでした。獲物の剥製と言うよりは近隣に住んでいる動物の標本のように感じました。アカシカはヨーロッパではエルクというとヘラジカを指します。ちなみに中国語では「馬鹿」と書きます。食肉や狩猟用に飼育され、袋角(角を覆うビロード状の皮)と鹿角は漢方薬として用いられます。
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子供の頃に見たディズニーのアニメの「バンビ」を思い出しました。最後に森の王様になるのですがバンビも同じアカシカですね。そう思うとこんなところに飾られて可哀そうな気がします。
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巨大な絵画と額なので、額受けもイノシシの彫刻の頭の形をしていました。
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昔のエッチングが飾られていましたが、周囲の壁が壊れている以外は現在と全く変わっていない様子です。
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上の階へは2重螺旋階段を使います。階段の中心部は屋上まで吹き抜けになっています。ここでこの眺めを見ていてローマとフィレンツェの間にある山岳城塞都市のオルヴィエートのポッゾ・ディ・サン・パトリツィオ(サン・パトリツィオの井戸)を思い出しました。同じように2重螺旋階段になっていますが、地下にある井戸まで水を汲みに行く人とくみ上げた水を地上に運ぶ人が交差しないように2重螺旋になっています。
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オルヴィエートの井戸はクレメンテ7世の命によりフィレンツェの建築家アントニオ・ダ・サンガッロによって16世紀に建設された井戸の内部側面に2重螺旋階段が巡らされています。井戸の底と地上とがつなぐ2本の階段は、水をくみに下りる階段と汲んだ水を持って登る階段というように、一方通行にしてお互いにすれ違うことなく行き来できるように設計されています。
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全く同じ構造と窓の開口も含めデザインが似ています。しかし造られたのはダ・ヴィンチの死後20年ほど経ってからなので、改めてダ・ヴィンチの凄さを感じました。サン・パトリツィオには「底無し」と言う意味もあってイタリア人が「あいつの財布はサン・パトリツィオの井戸のようだ。」と言うと、金持ちを意味すると聞いたことがあります。
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シャンポール伯の部屋です。シャンポール伯にこの城が渡った経緯はナポレオン1世が陸軍の指導者だったベルティエに与え、その後買い取られてボルドー侯爵であるアンリ・ダルトワ(シャンボール伯)の所有になります。普仏戦争の間には、この城は野戦病院として使われたそうです。
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豪華な天蓋付のベットですが、これくらい厳重に何重にも囲わないとこの空間では寒すぎて眠れないでしょう。
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ベットの内部まで装飾で埋め尽くされています。どんなに大きな館でも人間が1人が住むにはこれくらいで充分なのだろうな感じました。ただ、頭上には巨大な紋章の彫刻と、天蓋の天井にも紋章が織り込まれ、寝心地は良くなさそうです。
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シンプルながら気品を感じる王冠です。日本人がまず頭に浮かべるのはこんな王冠だろうなと思いました。王冠の横にはフルール・ド・リスの王笏と裁きの手の王笏が添えられています。
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この城にかかわった人々の肖像画が飾られています。もちろんルイ14世やルイ15世の肖像画もあります。ルイ14世は80年以上放置されていた城の修繕に取り掛かりましたが途中で放棄しています。
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精巧な軍事兵器の模型が飾られていました。アンリ・ダルトワは、フランス王シャルル10世の孫で、フランス・ブルボン家最後の王位継承候補だった人物でもあります。この時代は普仏戦争の時代なので新型で高性能の武器は必要だったのだと思います。
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見学路は一度テラスの通路に出るので、自分がどこにいるのかが分かり、息継ぎするにも良いタイミングです。
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午後になって日差しが戻ってきたので、城館が美しく浮かび上がります。建物の中の2重螺旋階段以外にも「ブロワ城」タイプの螺旋階段もいくつかありました。
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重要な部屋は館の中央部にあるのかと思っていましたが、階段室を中心にホールが四方に延びているので、住むには不向きなようでした。続く王妃の居室はまだ人が住むには適しているかもしれません。
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ブルーのサテンシルクのクロスで壁面を覆い、さらにタペストリーで覆い、天蓋付のベットに厚いカーテンを掛ければ冬でも過ごせたかもしれません。足元に置かれたレザー張りの箱は太鼓鋲が打たれてとてもきれいでした。
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「シャンボール城」を愛したルイ14世は王妃マリー・テレーズ・ドートリッシュを伴ってこのシャンボール城を訪れ、この王妃の居室に滞在したと言われています。その後ルイ14世の寵愛を得たマントノン夫人がこの部屋の主となったそうです。肖像画はその容姿からマリー・テレーズ・ドートリッシュと思われます。
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壁にかかったタペストリーを見ると旗印にSPQR(ラテン語で Senatus Populusque Romanus の略語)とあります。その意味は「元老院とローマの市民」という意味ですので、このタペストリーはローマ軍の姿を描いた連作であると分かります。
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こちらはフランソワ1世の部屋で、意外にシンプルなベッドです。きっとこのベットも組み立て式になっていて王の移動と共に運ばれたのではないかと思いました。
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調度品も見事な装飾陶器などが飾られています。フランソワ1世の時代というよりは第2帝政時代のデザインに見えました。
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フランソワ1世には神聖ローマ皇帝カール5世という強大なライバルが存在したことから、常に両者の間にあって有利な相手と結ぼうとするイングランド国王ヘンリー8世の外交上の功利心を頼みとしなければなりませんでした。フランソワ1世の対カール5世政策は成否相半ばするものですが、実現の暁にはフランス王国の維持に支障をきたすカール5世の構想をくじくことには成功したとされます。
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カトリックの両大国が敵対したことは、西洋キリスト教世界に重大な影響をもたらした。例えば、このころ興った宗教改革の拡散を容易なものとしたほか、オスマン帝国にウィーン包囲を許し、ハンガリー王国のほぼ全土を占領させてしまっています。
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フランソワ1世は1525年のパヴィアの戦いでカール5世の捕虜になりますが、翌年のマドリッド条約により釈放され、1539年にこの城へカール5世を招待しています。
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まるで迷路のような城の中を歩き回ります。さすがにこのお城は観光客が多いので安心ですが、これが雨の日の夕方で他に観光客がいなかったら少し不気味だろうなと感じました。水木しげるの「悪魔くん」などの古い作品に出てくる不思議な暗い世界を彷徨い歩く場面を思い出しました。
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こちらは帝政時代まで時代が下った内装の部屋です。「シャンボール城」の内装は1つの時代に統一されていないので頭の中が混乱します。
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儀式の間はひときわ豪華な部屋で、床にはフランス王家の紋章が織り込まれた絨毯が敷詰められています。狩り好きのルイ14世は荒廃していたシャンボール城を改修し、主塔が主な城だったシャンボール城を現在の姿にしています。
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「ヴェルサイユ宮殿」の寝室と似たようなベットの配置だと感じます。この当時の王の寝室は、王の生活の場であると同時に王の執務室であり、君主制の聖域でもありました。当時は起床と就寝の儀式も行われていたそうです。「ヴェルサイユ宮殿」もルイ13世の狩猟の館をルイ14世が完成させたことを思い出しました。
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19世紀に所有者となったシャンボール伯爵の母親のベリー公爵夫人(マリー・カロリーヌ)が改装した食堂も王妃の居室の中にありました。可愛らしい女性らしい部屋ですが、マリー・カロリーヌはフランス王位を正統な王であるべき息子アンリに継がせるべく、オルレアン家出身の王ルイ・フィリップを王座から引きずり落とすことを画策し、農婦に変装してナポリからマルセイユに向かいます。フランスに上陸すると「フランスの摂政」だと宣言するほどの女性です。
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主塔をはさんだ向かいの西側の塔に礼拝堂がりました。君主の権力の神性を強調するために、王の部屋がある翼棟と相対して造られています。2階建ての構造で城内でも最も大きな部屋です。ステンドグラスや天井の装飾は細部まで非常に凝っています。
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フランソワ1世のイニシャルのFの文字と紋章であるサラマンダー、母親のルイース・ドュ・サヴォアの紋章が修道士の縄帯の結び目のデザインになっています。
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最初のうちは大勢いた見学者もこの頃にはほとんどバラバラで、実写版のロールプレイングゲームの中に迷い込んだ気になってきます。特にダンジョンがあるわけではありませんが、新たな発見がどんどん現れます。
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ザクセン元帥のマヨルカ焼の暖炉です。初めてこのタイプの暖炉を見たのはチロルだったかスイスで、あまりの美しさに驚いたのを覚えています。しかしこれだけの空間にはこの暖炉が数十台あってもきっと寒いに違いありません。このタイプの暖炉は通常裏側の壁の中に作業スペースがあってそこで薪をくべますが、この城の家具は持ち運びが出来るように焚口が脇に見えます。
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階段の中間からホールと暖炉を俯瞰しますが、この広さと天井高でこれだけでは寒さは凌げません。
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上の階に上がると廊下に寝転んだお母さんと子どもがいました。天井のフランソワ1世の紋章のサラマンダーを見ているのですが、きっと子供にとって良い思い出になるでしょう。小さい子供では見上げるよりも寝ころんだ方がちゃんと見ることが出来るでしょう。
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彼女たちが眺めていたのはフランソワのFのモノグラムとサラマンダーの紋章です。
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交差する通路と中央にある螺旋階段まで同じがレリーフで囲われています。四方にある回廊から模様が押し寄せているようです。
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空いている壁面は鹿の頭蓋骨のハンティングトロフィーで覆われています。まるでこの城は鹿の納骨堂のように感じてきました。
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一番きれいな扉にも火を噴くサラマンダーの紋章が彫られていました。
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狩猟犬による追込み猟以外にも鷹狩も盛んだったのでしょう。中世では狩猟は重要な食料源でしたが、主要な栄養源となることはまれでした。すべての階級で行われていた狩猟でしたが中世盛期以降は貴族階級の余暇を象徴するものとなっていきます。そして休暇以上に社交や戦争の訓練や特権や高貴さを競う場としての役割を負うようになっていきます。
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狩猟はアッシリア王が王の自然に対する権利を示すために戦車でライオンを狩っていた時から存在し、その概念は王国全土を所有物と考え、巨大な王領を狩猟地として支配したフランク王国のメロヴィング朝とカロリング朝に継承されていきます。
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通路の壁もこの通りで夜中には歩きたくないと思います。トロフィーをよく見ると1900年代の年号が書かれたものまでありますので、比較的最近狩られた鹿たちだと分かります。
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螺旋階段を登り切って、ようやく屋上にたどり着きました。
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主塔の周りには全く違ったデザインの大小の塔が林立しています。そのいくつかは暖炉から伸びる煙突だと思われます。
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どれ1つとして同じデザインの尖塔はありません。煙突以外の塔の使い道も分かりませんが、ガラス窓や扉が付いているので何かしらの用途はあったのでしょう。ただ主塔以外は出入りが出来ないので確かめようはありません。
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中央に位置する螺旋階段の尖塔部は屋上の塔の王様のようです。建物の建築素材はライムストンのような左岸ですが、屋上の屋根や塔の一部には黒いスレート材が嵌め込まれています。その形状がトランプのダイヤのように見え、ディズニー映画の「不思議の国のアリス」のトランプの兵隊はこんなところから発想されたのではなかろうかと想像してしまいます。
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フランソワ1世は建築時にコンスタンティノープルの地平線に現れる屋波をイメージしたと言われます。現代のイスタンブールには2回行ったことがありますが、円筒の塔はガラタの塔だろうかとか、モスクのドームやミナレットだろうかと想像してしまいます。
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個人的にはカンボジアのアンコール遺跡やミャンマーのバガンのストゥーパやボロブドゥールの遺跡を想像してしまいました。
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振り返ると1直線に道が伸び、どこまで続いているのか分からないほどです。地図で見るとこのまま1直線に3キロほど進むと道は途切れて森の中に飲み込まれていきます。
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城館の中では見かけなかった見学者は皆さんここに集結していたようでした。ある意味「シャンボール城」の1つの見どころだと思います。
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林立する塔の周りには回廊があり、テラスからの景色はまた絶景です。
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屋上まで来ると城館のレイアウトが手に取るように分かります。そしてその巨大さも改めて実感します。
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左右に広がる回廊もあるので見学してみます。アンコールワットなどの古代寺院を思わせるような不思議な造形です。
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正面から90度横を眺めるとどこまでも続く水路が見えます。時間があれば散歩してみたいと思いますが多分無理だと感じます。
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少し動いて見上げるたびに違った表情を見せる尖塔たちです。
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中央の螺旋階段の塔はゴシック建築のフライングバットレス(飛び梁)を組み合わせたようなデザインが美しいです。
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そしてその梁の上のパネルには円形に縁どられたフランソワ1世の紋章であるサラマンダーの薄彫り彫刻が連続しています。
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屋根の一部はロワール川流域で良く見られるスレート瓦葺きです。白い石灰岩に黒い丸やダイヤ型もスレートです。この部分は象嵌ではなくて釘で止めています。出来たばかりの頃は随分綺麗だったのではないでしょうか。
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城館の周囲の森は黄色く色づいた木々が綺麗でした。
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「シャンボール城」は52.5平方キロ(13,000エーカー)の森林公園が広がり、31キロ(20マイル)の壁で囲まれた禁猟区にはアカシカが生息しているそうです。
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お城の正面の通りは3キロほどの道が続きますがその終わりは見えません。「諸んボール城」の敷地の中にはパリ市内がそのまま入るだけの広さがあるそうです。
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城館の南側には小さい集落が見えました。小さな教会や宿泊できるホテルもあるようです。自分で車を運転してロワール渓谷を旅出来たら、こんなところに泊まってみたくなります。
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尖塔の先の小さな部分まで込み入った装飾が施されています。一つ一つのデザインに何か意味があるのでしょうか。ルネサンス期のフィレンツェで造られた象眼を施された家具のようでもあります。
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屋上の尖塔をずっと眺めていると首が疲れてきます。
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サラマンダーも「ブロワ城」や「アゼ・ル・リドー城」の物に比べると顔つきがグロテスクな感じがします。
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サラマンダーは建物の外側に向かって火焔を噴いているようで、パネルの裏表では首の向いている向きが違います。
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修道士の縄帯の結び目のデザインに囲まれたフランソワ1世のモノグラムのFも見ることが出来ます。柱の上部には蛇のような怪物を抑える可愛らしくない子供の像や男性の上半身など意味が不明な彫刻もたくさん見ることが出来ます。
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城館は敷地の中心にあるわけでは無いので、東側に延びる道の先は延々と7キロ近い森は広がっています。逆に西側は3キロほどで集落に着きます。北側に3キロ南側は10キロほどの森が続いています。
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この城の尖塔がすっきりしているのはガーゴイルやゴーレムのようなゴシック様式の怪物の彫刻の無い、イタリアルネサンス風のデザインだからでしょう。これだけの塔が怪物で埋め尽くされていたら本当に古代遺跡みたいでしょうね。
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東側の水路の周りの木々が美しく紅葉していました。周囲は緑のままなので、わざわざ植え込まれたのだと分かります。
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アップで見るとこの通り。1時間半の見学時間ではとても周辺の見学などできないことを感じましたので上から見ておきます。
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多分一日がかりで遊びに来ているであろう人たちはボートで遊んでいます。今まで貸しボートや遊覧船があったら素通りしたことは無いので、あと1時間見学時間があれば絶対に乗りに行ったと思います。
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よく見ると家族でサイクリングを楽しんでいる人もいます。こんな景色の中を走ったら気持ちよいでしょうね。
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そろそろ城館の見学を終える時間になってきました。中央の主塔の内部も素晴らしいデザインが施されています。
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世界一美しい螺旋階段と言っても過言ではないと思います。
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中央には煙突のような造りの塔があるので、階段も2重の螺旋ですが、塔自体も2重構造になっているのが分かります。
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階段の中心部分はこのような開口になっています。円筒形に組まれた石は後々ズレないような石組になっています。ペルーのクスコにあるインカの石組のようにも見えます。
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そしてこの石組からは構造上この中心の塔で階段を支えていないという事が分かります。通常扇形の石を少しづつずらして階段を組み上げますが、この階段の構造が違っています。
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「ブロワ城」から始まった今回のロワール渓谷の古城巡りの1つのハイライトでした。どこの城館とも全く違う印象のフランソワ1世の趣味のための建物でした。
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多少時間があったので少し周辺を歩いてみました。駐車場の先の水路から写真を撮りたかったのですが、妻は知り合った日本人の方とミニバンに戻ってしまいました。
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城館の裏側にはなりますが掘割りがあって雰囲気がまた違います。
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近くで眺めても凄いお城ですが広大な敷地の中で離れてみても美しい建物だということが分かります。
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1番美しく感じたのは入り口と反対側の北側の水路の先から眺めた景色でした。水面に映り込む「シャンボール城」はこの辺りからしか見る事は出来ません。
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この周辺に宿泊していたら朝焼けや夕焼けの景色を見ることが出来るのでしょうが、ロワール渓谷の古城を3日で10か所回る我々にはそんな時間はありません。
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同じような写真を一体何枚撮っていますが、城館の正面と裏側では塔の形が違う事が分かります。
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サラマンダーもこれが見納めです。
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「シャンボール城」の見学を3日間の古城巡りの最後に持って来たのは正解でした。この日見学した4つの城館を先に見ていたら先日の古城はちょっと物足りなく感じたかもしれません。
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誰もいない水路に手漕ぎボートがやってきて、水面に映った古城の姿を消していきます。
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そろそろ出発の時間になりそうです。色づいたプラタナス並木の中を通って駐車場に戻ります。
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駐車場の脇には西洋菩提樹の並木道があり、ちょうど黄葉の美しい盛りでした。別名はリンデンバウムと呼ばれ、フユボダイジュとナツボダイジュの自然交配種で、ヨーロッパでは古くから植えられ、木材は楽器や木彫材などに利用されています。
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長年の夢だった「シャンボール城」の見学が出来ました。この後は9番目でこの周辺の古城では最後の見学地になる「シュノンソー城」へ向かいます。広大な「シャンボール城」の敷地を出るのには車で突っ走っても10分ほどかかりました。
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この旅行記へのコメント (4)
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- takayuki132さん 2013/06/14 17:10:15
- はじめまして
- kojikojiさん
はじめましてtakayuki132と申します
私もつい最近シャンポール城に行きました
水路から見るお城はすごくきれいで
私もたくさん写真を撮ってしまい
時間を使ってしまいました
秋のシャンポール城も素敵ですね
また、拝見させていただきます
以上
- kojikojiさん からの返信 2013/06/14 18:08:59
- RE: はじめまして
- takayuki132様
旅行記にお立ち寄りいただきありがとうございます。
ロワールのお城の中ではやはりシャンボールはずば抜けて
凄い所だったと2年経っても強烈な印象が残っています。
子供のころからの長年の夢だったロワールに古城巡りは
思い出の旅行でもあります。
メールをいただいて久し振りにフランス旅行を思い出しました。
シュベルニー城も素敵ですね。
ロワールにはたくさんお城があるので制覇するのは無理ですね。
我が家は9か所くらい行きましたがどこも個性があって強く印象が
残っています。似かよったお城が無いのが不思議でした。
先週インドネシア15日の旅から戻ったところで写真の整理中で、
この週末から旅行記をアップしようとしています。
またお立ち寄りください。
ありがとうございました。
-
- 大目付さん 2011/12/23 21:27:24
- 今晩は、kojikojiさん
- ここのお城の螺旋階段も上る人と降りる人が顔を合わさない(ぶつからない)ようになっているんでしょうか?。
〜大目付〜
- kojikojiさん からの返信 2011/12/24 00:03:43
- RE: 今晩は、kojikojiさん
- 大目付さん
こんばんは。ここの階段も2重螺旋階段ですので出会わないようになっていますが、現在は自由気ままに上り下りできるので鉢合わせしますけど。
ロワール渓谷のお城は変わった階段があって面白かったです。
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旅行記グループ 2011 ロワール渓谷とノルマンディーの旅
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