2011/11/03 - 2011/11/04
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kojikojiさん
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レンヌの町はエリア的にはブルターニュになりますが、モン・サン・ミッシェルへのゲートになる街なのでモン・サン・ミッシェルの旅行記の続きとします。午前11時過ぎに島を出て12時過ぎにバスはレンヌのバスターミナルに到着しました。澁澤龍彦が旅したころと違ってレンヌ駅には荷物預り所が無いので重い荷物を持って観光することになりました。想定はしいていたのですが、お土産をここまで買うつもりは無かったことだけが予定外でした。プレムス(TGVの割引切符)の都合上、レンヌでは2時間半ほどしか時間が取れませんでした。急いでパリに戻る必要も無かったので、もう少し時間を取っても良かったかなと言うのが観光した後の感想です。ただ通過するだけでは勿体無い街なので時間が許せば立ち寄ってもらいたいと思いました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 航空会社
- 中国国際航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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バスターミナルからレンヌ駅へ一度戻ってみます。念の為荷物預り所を探してみますがやっぱりありませんでした。澁澤龍彦はレンヌで荷物を預けたと滞欧日記に残していますが、現在の新しい駅にはありません。
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駅前のジャン・ジャンヴェイエ通りを進むと美しいアール・ヌーヴォーの建物がありました。荷物が無ければ近くまで行ってディティールを見たいほどでした。
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このアパートの建物は1931年に建てられ、アール・ヌーヴォーとアール・デコとマンサード様式の折衷といったデザインです。2階部分のモザイクのデザインが洒落ています。
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しばらく進むとヴィレーヌ川に出ました。ここまで来ると地球の歩き方の地図でどこにいるか分かり、大体の町の大きさが分かりました。駅に戻る時間を考えると少し急がないとならないと感じました。
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6世紀にアラン3世公爵によって街の城壁の外側に設けられたベネディクト会大修道院です。1670年にマグドレーヌ・ド・ラ・ファイエット執政官の命によって修道院の敷地の中に建設されたのがこのサン・ジョルジュ宮殿です。サン・ピエール大聖堂なども手掛けた17世紀のレンヌを代表するラヴァル派の建築家トゥガル・カリとピア・コルビノーの2人によって設計されました。
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街のあちこちに小さい公園がありました。ジャン・ジョレス通りのこの公園には水盤の中央にはミロのヴィーナスの頭像が置かれてありました。
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ジャン・ジョレス通りからエディート・カヴェル通りをまっすぐにブルターニュ高等法院へ向かっていくと…。
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高等法院の前のパルモン・ド・ブルターニュ広場にはサーカス小屋が架かっていました。こんな街中に移動サーカスが来るなんて羨ましいと言うか、フランスの文化の濃さを感じます。
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ブリアック通りに折れて、マリー広場に出ると、市庁舎とレンヌ歌劇場の建物がありました。歌劇場の前から見た市庁舎はとても立派な建物です。レンヌに最初の市庁舎が建設されたのは15世紀終わりでしたが、財政難から建物は質素で管理状態も悪かったそうです。新しい市庁舎の建築のために9年間限定で税金の引き上げを認められた町は1694年に市庁舎を再建しましたが、1720年の大火災によって被害を受けてしまいました。
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レンヌの町の再建を担ったのが当時最も著名な建築家であったジャック・ガブリエルでした。パリのロダン美術館として使われているペイレンヌ・ド・モラ邸などを設計したことなどで知られています。しかし完成間際の1742年に亡くなり、その後は息子のアンジュ・ジャック・ガブリエルが引継いで1743年に完成しました。
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アンジュ・ジャック・ガブリエルはその後コンコルド広場やヴェルサイユ宮殿内の小トリアノン宮殿などを手がけ、ルイ15世のお抱えの建築家としても有名です。残念ながら建物の内部は年に数日しか解放されていません。
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日本だったらこのベランダに人形を飾りたくなりますね。日本でもよく見掛ける縣崖菊です。
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日本と同じタイプの菊でした。こうやって見ると実に日本的です。
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市庁舎前から見たレンヌ歌劇場です。白亜のとても美しい建物は1830年にチャールズ・ミラルデにより建築され、正面のフランソワ・ラノによるミューズの彫刻とルモルダンによる天井画が見事だそうです。
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道路に描かれた自転車専用レーンの表示です。描いた市の道路管理の人の苦労が忍ばれます。
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シャンジャケ広場は旧市街の建物が並ぶエリアです。不思議なのは約5度くらい建物が曲がっていますが、窓の建具は全部地面と垂直に取り付けてあります。
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中世の趣が残るレンヌですが1720年の大火事によって街の大部分が焼失してしまいました。その時の火災から逃れた建築物群が現在の旧市街を形づくっています。大火の以降は美しい木組みをモルタルで覆ったそうです。その後近年になって元通りの美しい姿に戻されています。
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表から見ると建物は曲がっていますが内装はちゃんと水平垂直を基準に造られているのが分かります。そうでないと住んでいても気分が悪くなりますよね。
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広場に建つのは通りの名前の由来でもあるレンヌの市長だったジャン・ルペルディの像です。1839年に有名な彫刻家ピエール・ジャン・デビッド・ダンジェスが革命的な人物でレンヌの市長であるジャン・ルペルディの像を彫刻することを市に申し出ました。この申し出は受け入れられましたが実行されることはありませんでした。 1879年にルペルディが王室の命令を破棄したことを描いた像の建設が市議会によって決定されましたが、この計画も無に帰しました。
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最後に1883年の評議会はこの問題を再び取り上げられ、彫刻家エマニュエル・ドリヴェットによって作成されたレンヌの前市長の2メートルのブロンズ像を広場に配置することが決定され、1892年にこの場所に置かれました。第2次世界大戦中にドイツ兵によって溶かされてしまいましたが、1991年に再鋳造されて1994年に広場に再設置されました。
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広場を折れて木造建築の美しいルペルディ通りに入りました。15世紀から16世紀の民家や彫刻が施された貴族の館、不規則に並べられた石畳の道など、古くからの街の特徴を今なお留めています。
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川沿いの通りもそうでしたが、町中に花が美しく飾られています。10日ほど前に行ったナントにも似た雰囲気を感じました。ナントはフランス人が住みたいと思う街の1番だそうですが、レンヌは5番くらかなと勝手に思いました。
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上からセメントで固めた時代を潜り抜けた木造の建物は現代になって再評価されて誇らしげにも見えます。
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この建物はまるでカゴのように板が編み込まれたデザインです。たいていの建物は1階が商店になっていて、上の階が住宅になっているようです。
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店の商品を見るよりも建物のファサードが気になってしまう旧市街です。
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一体何年前からここに建っているのでしょうか。レンヌの旧市街は第2次世界大戦でもドイツ軍の攻撃を受けずに古い建物が残ったそうです。
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素朴な彫刻も魅力的です。これらの彫刻もモルタルで埋められていた時期があったのでしょうか?
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この建物はほとんど真っ直ぐな線が無くなっています。何故崩れないのかが不思議なくらいです。ここはル・メディテラネというレバノン料理のレストランで、レバノンは1941年にキリスト教徒を保護する名目でフランスがシリアから独立させた国なので関係が深いからでしょうか。トゥールの公園に巨大なレバノン杉が植えられてあったのもそんな理由でしょう。
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道路の幅と建物の上部の軒と軒の間隔は明らかに違います。たぶん半分くらいしかないみたいです。イタリアのピサの斜塔を見ても倒れそうな気がしませんでしたが、この町の建物は地震の多い日本に住む者からは脅威に感じます。
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表通り側と脇道側のデザインも違うのが面白いです。元々は筋違で建物の強度を強めるものだったのでしょうが、これだけ歪むということは役目を果たしていないようです。
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このような建築は「ハーフティンバー様式」といい、ハーフは半分でティンバーは丸太とか木材とかいった意味です。ハーフティンバーというのは、建築工法の手法のことで、様式としては16世紀イギリスのチューダー様式と関係があります。
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この当時のヨーロッパでは木材も貴重であったと思われ、細い木を組み合わせて強度を確保している工夫が感じられます。
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ロワール渓谷のトゥールにも同じような建物がありましたが、あちらは木の隙間を煉瓦で埋めていましたが、似ているようで地方性が感じられます。
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個人的にはこの家が一番好きなデザインでした。
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縦横の比率や色遣いが好みです。細かい彫刻が組み込まれているのも魅力的です。
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幾つかの教会にも行ってみましたがどこも閉まっていました。一番大きなサン・ピエール大聖堂を見て観光は終わりです。そろそろ駅に戻らないと列車の時間が迫っています。
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駅の手前のカフェで飲み物とホットサンドを買い込んで駅に向かいます。この頃には2人分の重たい荷物を1人で担いでしたので、肩が痛くなっていました。
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レンヌを出発してパリ方向に進むにつれて天気が良くなってきました。帰りの列車はシャルルドゴール空港行のようで、とても混んでいました。我々はモンパルナス駅に行くので途中で乗り換えです。
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乗換駅はル・マンです。24時間耐久レースで有名なサーキットのあるル・マンです。乗り換えなのでコンポストゥーラの打刻を忘れずに新しいチケットで列車を待ちます。レンヌからモンパルナス間だけプレムスの割引切符が取れませんでした。
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日が暮れる前にモンパルナスに帰り着きました。ほんの2日いなかっただけですが懐かしい感じがします。モンパルナスタワーとエールフランスの空港バス。明日あのバスに乗るのだと思うと旅の終わりを感じます。
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