2010/07/19 - 2010/07/19
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中国の風景さん
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長坂坡公園
当時、魏の曹操は、荊州を攻めるために50万人という大群を従えて南下しました。弱小軍団の劉備は勝ち目のない戦いと知って、家族や一般市民を連れて南へ南へと撤退しました。しかし曹操の猛追は激しく、とうとう劉備陣営の背後に迫ってきました。多くの兵隊や家族は殺され、みなちりぢりになってしまいました。劉備はここで妻子を置き去りにして逃走してしまうのですが、そうしたなか、さっそうと騎馬にまたがって現れたのが趙雲でした。趙雲は勇敢に敵陣のなかに入って、あっというまに劉備の子の「阿斗」を救いだし、そのあとも劉備の妻の甘夫人を守りながら孤軍奮闘し、一人で50人あまりの武将をけちらし敵を震え上がらせたと伝えられています。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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長阪坡を中心に関陵、玉泉寺へ行けます。
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宜昌から高速バスで当陽へ移動。20元。市の中心部にあった当陽市客運站は郊外へ移転した。まだ新かった。
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小型バスが四路線市内を結んでいる。
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前は長坂坡にバスターミナルがありました。名前が残っています。玉泉寺や関陵に行くのに便利です。長坂坡公園は目の前です。
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バス停の側のホテル、名前も良いのでここに泊りました。シャワー、トイレ、扇風機付き、30元
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当陽市のど真ん中に来ると、ロータリーの中央に5mぐらいの高さの、片手に槍を持ち懐には自殺した糜夫人から託された劉備の跡取り息子の「阿斗」を抱え馬に乗った「趙雲像」が、威厳を持って道行く人々を見下ろすように佇んでいる。
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その傍らには長坂坡(ちょうはんは)公園の入り口があり、中にはいると趙雲の字(あざな)を冠した「子龍閣」という建物や、劉備の子・阿斗を抱えて疾駆する趙雲の騎馬像、勇渾な筆致の「長坂雄風」と刻まれた石碑があり、その壮絶な戦いを物語っていました。
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1934年に長坂坡古戦場址に公園が造られてからは市民が気軽に訪れる事の出来る憩いの場となった。現在のように数多くの楼閣が立ち並ぶようになったのは、79年ごろからである。
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趙雲の字(あざな)を冠した「子龍閣」ここから当陽の街並が一望出来ます。
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子龍閣の中には若い趙雲の像があります。
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趙雲の雄姿を称えた碑が並んでいます。
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長坂坡では張飛も長阪橋の上で曹操軍を撃退した。
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趙雲の活躍を称えた石碑。
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趙雲の活躍を記念して、明の時代の1576年(万暦四)長阪雄風の石碑が建てられた。
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敵陣の中、単騎で敵を蹴散らし、「阿斗」を救いだす名場面。
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公園には多くの像がならんでいます。「阿斗」を救いだして疾駆する名場面。
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名前の表示がありません。
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「阿斗」を救いだし、劉備に渡す。劉備は有能な将軍を無くす所だったと「阿斗」を放り出す。
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敵の曹操の像があるのが良い。
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関羽を祀っている。
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関帝廟はどこでも大切に祀られている。
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ロータリーの真ん中にある石碑。
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昔は一面の櫟林(くぬぎばやし)だったそうですが、今はゆるやかな坂にそって賑やかな商店街がならんでいました。
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前は公園の入口だったみたいですが、今は民家になっています。 -
当陽市の中心街となる長阪坡公園から、西北に1km行った所にある小さなレンガ造りの橋が太子橋だ。あまり知られてないので後ろの太子賓館を目指していくと良い。
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石碑。ここは、劉備玄徳の第二夫人の糜夫人が阿斗(後の劉禅公嗣)を抱いて身を隠したとされる橋である。
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石碑。阿斗を救った趙雲子龍は、この橋の上で雲霞のように迫る曹操軍を相手に、奮戦したといわれている。 -
橋自体は、三mにも満たない小さなものである。その下には、もともと疎水が流れ込んでいたともいわれるが、年月が流れて川の流れは土砂に埋もれてしまったようだ。現在もこの橋も整備され、柵に囲まれて綺麗に保存されている。
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太子橋の横の道を突き当たり、右に廻りこんだ民家の間の小さな公園です。太子橋の近くにあるこの井戸は、伝えられる所によると、阿斗を趙雲に託した糜夫人が身を投げたとされるところ。
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かつては井戸のかたわらに糜后祠(娘娘廟)があったが、現存しない。
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現在周辺が整備されており、井戸は囲いで覆われている。
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市内バスが火車站と汽車站を結んでいる。まだ新しい。
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当陽火車站を出て荊当公路を下ると、張翼徳横矛処がある。
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ここは張飛が一騎で曹操軍を一時的に追い返した場所である。
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自殺した糜夫人の像が道路脇に建っている。
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周倉の一般的な人物像は『演義』の影響が大半であり、陳寿が記した歴史書の三国志には周倉の名前は一切記載されておらず、この事が架空の人物とされる事の論拠となっている。
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関羽の側近としてあまりにも有名なため、史実上の人物かどうか定かでもないのに関わらず、湖北省当陽県麦城村(当陽市南東30km)には墓が建立された、
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関帝廟には関平と共に関羽の従者として祭られている。中国や華僑の居住地では、現在でも信仰の対象とされている。
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当陽市客運站で河溶行(6元)に乗り、車掌さんに周倉墓の行きたいと言えば墓の前で降ろしてくれる。墓の手前、右側に夫人像が見える。
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麦城へは(両河の街)周倉墓の手前の民泰油脂(写真)の向かい、39の写真の前の道を2km入った所にある。バイタクも無いので歩くしかない。当陽からタクシーで来る方が楽かも。
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麦城への道は畑の中、周りに何も無い。道も聞けない。
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脇の道に入れば泥んこ道で酷い目にあった。
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少し建物が見えて来た。この辺の地名が麦城です。
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更に麦城址を探して聞きまわるが何も出てこない。
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この家の前を入った所に、小高い丘があり石碑があると言う。
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荊州を守る関羽は、曹操と孫権の両軍を腹背にうけて麦城(湖北省当陽)に敗走し、孫権の軍に捕えられて殺された。
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半日掛けてたどり着いたが、麦城跡の石碑ではありません。小高い丘も畑となり麦城跡は何もないのでしょう。地名のみ残っています。
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麦城は遠い割りに得るものは無いのでお勧め出来ません。
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