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上海、青島、武漢に続き大連の租界です。1898年に帝政ロシアの租借地になり街造りが始まる。1905年日露戦争に勝った日本が引き続き街造りを進めた。大連は日本が中国への侵略の玄関口で満州鉄道により長春,ハルピンへと内陸部に延ばしていった。1931年に満州事変後ラストエンペラーの溥儀を担いで傀儡国家の満州国を建国し1945年の第二次世界大戦終戦まで実質統治していた。今でも大連の街はたいへん綺麗です。元の市長が英国留学で得た街造りの大切さを強力に進めた為でアカシヤ並木、道路の広さ、建物の統一、いたる所に花壇があり、また北京の共産党幹部の避暑地でもあります。先見の明のあった元市長は今北京で共産党の幹部に成っています。<br />

大連の大連満州鉄道・建物・アジア号

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2009/06/13 - 2009/06/13

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旅行記グループ 大連・旅順の旅

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中国の風景

中国の風景さん

上海、青島、武漢に続き大連の租界です。1898年に帝政ロシアの租借地になり街造りが始まる。1905年日露戦争に勝った日本が引き続き街造りを進めた。大連は日本が中国への侵略の玄関口で満州鉄道により長春,ハルピンへと内陸部に延ばしていった。1931年に満州事変後ラストエンペラーの溥儀を担いで傀儡国家の満州国を建国し1945年の第二次世界大戦終戦まで実質統治していた。今でも大連の街はたいへん綺麗です。元の市長が英国留学で得た街造りの大切さを強力に進めた為でアカシヤ並木、道路の広さ、建物の統一、いたる所に花壇があり、また北京の共産党幹部の避暑地でもあります。先見の明のあった元市長は今北京で共産党の幹部に成っています。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
グルメ
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
交通手段
鉄道 高速・路線バス
旅行の手配内容
個別手配
  • 満鉄は単に鉄道だけではなく、鉄道付属地の経営もやりました。撫順炭鉱やヤマトホテルはその代表的なものです。<br /><br />

    満鉄は単に鉄道だけではなく、鉄道付属地の経営もやりました。撫順炭鉱やヤマトホテルはその代表的なものです。

  • マンホールの蓋の中央に描かれているのが満鉄の社章です。それはアルファベットのMとレールの断面を組み合わせて作られています。蓋が沢山あるので探して下さい。<br />

    マンホールの蓋の中央に描かれているのが満鉄の社章です。それはアルファベットのMとレールの断面を組み合わせて作られています。蓋が沢山あるので探して下さい。

  • 亜細亜号機関車は今駅裏の倉庫に保管されています。オープンは午後の4時半まででしたが、閉館時間を延ばして貰い見る事が出来ました。当日 空港到着後、直行しました。<br /><br />

    亜細亜号機関車は今駅裏の倉庫に保管されています。オープンは午後の4時半まででしたが、閉館時間を延ばして貰い見る事が出来ました。当日 空港到着後、直行しました。

  • 日本の技術で造った当時最高速で最大の蒸気機関車、大連駅の車庫で見る事が出来る。動輪の高さが2mもある。南満州鉄道の一押しの機関車です。<br />

    日本の技術で造った当時最高速で最大の蒸気機関車、大連駅の車庫で見る事が出来る。動輪の高さが2mもある。南満州鉄道の一押しの機関車です。

  • あじあ号(あじあごう、特急「あじあ」)は、日本の資本・技術で経営されていた南満州鉄道が、1934年(昭和9年)から1943年(昭和18年)まで大連駅 - 哈爾濱(ハルビン)駅間の約950kmを、連京線・京浜線経由で運行していた特急列車である。ときに超特急とも呼ばれた。<br />

    あじあ号(あじあごう、特急「あじあ」)は、日本の資本・技術で経営されていた南満州鉄道が、1934年(昭和9年)から1943年(昭和18年)まで大連駅 - 哈爾濱(ハルビン)駅間の約950kmを、連京線・京浜線経由で運行していた特急列車である。ときに超特急とも呼ばれた。

  • 列車は流線形のパシナ形蒸気機関車と専用固定編成の豪華客車で構成される。そのほとんどすべてが、 日本の技術によって設計・製作されており、当時の日本の鉄道技術水準を示すものとして重要である。<br />

    列車は流線形のパシナ形蒸気機関車と専用固定編成の豪華客車で構成される。そのほとんどすべてが、 日本の技術によって設計・製作されており、当時の日本の鉄道技術水準を示すものとして重要である。

  • 機関車 全長 25.675m 全幅 3.362m 全高 4.8m 動輪直径 2m ,<br />運転整備重量 203.31t 軸重 23.94t 最高速度 130km/h <br />出力 2400馬力 編成 列車全長 174m(7両編成) 定員 276名 <br />

    機関車 全長 25.675m 全幅 3.362m 全高 4.8m 動輪直径 2m ,
    運転整備重量 203.31t 軸重 23.94t 最高速度 130km/h
    出力 2400馬力 編成 列車全長 174m(7両編成) 定員 276名

  • 1933年(昭和8年)から1934年(昭和9年)にかけて、比較的短期間で開発が進められた。「キング・オブ・ロコモティブ」として知られた設計責任者・吉野信太郎は、アメリカン・ロコモティブ社に2年半も留学。帰国後の1927年(昭和2年)に「パシコ」形を設計し、その後は満鉄機関車のほとんどを手がけた。<br />

    1933年(昭和8年)から1934年(昭和9年)にかけて、比較的短期間で開発が進められた。「キング・オブ・ロコモティブ」として知られた設計責任者・吉野信太郎は、アメリカン・ロコモティブ社に2年半も留学。帰国後の1927年(昭和2年)に「パシコ」形を設計し、その後は満鉄機関車のほとんどを手がけた。

  • 1932年(昭和7年)の満州国成立当時、黄海に突出した港湾都市大連と、首都新京との間は南満州鉄道連京線によって結ばれており、大連港を発着する日本への定期船と連絡していた。<br />

    1932年(昭和7年)の満州国成立当時、黄海に突出した港湾都市大連と、首都新京との間は南満州鉄道連京線によって結ばれており、大連港を発着する日本への定期船と連絡していた。

  • 当時特急列車を牽引して大連から長春、ハルピン(距離950km)へと走っていました。その最後尾には展望車が着いていました。

    当時特急列車を牽引して大連から長春、ハルピン(距離950km)へと走っていました。その最後尾には展望車が着いていました。

  • <br /><br />『満洲日日新聞』(大連 : 満洲日日新聞社)<br /> 出版期間:1907.11.3〜1927.10.31。 <br />



    『満洲日日新聞』(大連 : 満洲日日新聞社)
    出版期間:1907.11.3〜1927.10.31。

  • 1927年10月「遼東新報」(大連)と合併、「満洲日報」(大連)となる。現在は大連日報社、現在再開発工事で無くなりました。<br />

    1927年10月「遼東新報」(大連)と合併、「満洲日報」(大連)となる。現在は大連日報社、現在再開発工事で無くなりました。

  • 大連市安陽路街2号(和平大戯院)、「二人輪」は男女二人が歌ったり踊ったりするショーなのだそうですが、今は中国の漫才という感じで、笑い話と歌と雑技が一緒になったショーです。<br />

    大連市安陽路街2号(和平大戯院)、「二人輪」は男女二人が歌ったり踊ったりするショーなのだそうですが、今は中国の漫才という感じで、笑い話と歌と雑技が一緒になったショーです。

  • 満鉄旧本社のすぐ目前にあるピンク色の壁をした建物は満鉄が1912年に建設、1914年完成の満鉄図書館です。<br />

    満鉄旧本社のすぐ目前にあるピンク色の壁をした建物は満鉄が1912年に建設、1914年完成の満鉄図書館です。

  • 現在は大連図書館日本文献資料館として一部現役で使用されているようです。(新館が完成し移転したため現在は分館。)<br /><br />

    現在は大連図書館日本文献資料館として一部現役で使用されているようです。(新館が完成し移転したため現在は分館。)

  • 大連新世界百貨店(旧浪速町)<br />

    大連新世界百貨店(旧浪速町)

  • 上海路からみた天津街、夕方になると大勢の人々が買い物に集まる。<br /><br />

    上海路からみた天津街、夕方になると大勢の人々が買い物に集まる。

  • ラマダホテルの脇から始まる天津街。<br />

    ラマダホテルの脇から始まる天津街。

  • <br />日本占領時の旧浪速町,昔からの繁華街。<br />


    日本占領時の旧浪速町,昔からの繁華街。

  • ガイドブックにも掲載されないのですが、青泥洼橋の中山路に面した最も人通りが多い通りにピンク色の外壁でひときわ目を引く女性向けファッションビル大連秋林女店。1935年に三越のデパートとして建てられたものです。現在も現役で活躍中です。<br />

    ガイドブックにも掲載されないのですが、青泥洼橋の中山路に面した最も人通りが多い通りにピンク色の外壁でひときわ目を引く女性向けファッションビル大連秋林女店。1935年に三越のデパートとして建てられたものです。現在も現役で活躍中です。

  • 1930年に93室のホテルとして開業した遼東ホテルは庶民派のホテルとして活躍。旧ヤマトホテルも徒歩圏内です。1階には当時から百貨店があり、現在も商店が入っています。ま最上階は後から増設されたものです。(レストラン)。<br />

    1930年に93室のホテルとして開業した遼東ホテルは庶民派のホテルとして活躍。旧ヤマトホテルも徒歩圏内です。1階には当時から百貨店があり、現在も商店が入っています。ま最上階は後から増設されたものです。(レストラン)。

  • 豚インフルエンザの関係で大連に到着した飛行機内で体温を測ります。中国南方航空<br />

    豚インフルエンザの関係で大連に到着した飛行機内で体温を測ります。中国南方航空

  • 新しい空港です。市の中心部から近く、中山広場まで30元です。<br /><br />

    新しい空港です。市の中心部から近く、中山広場まで30元です。

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