パリ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
今回のパリ滞在での旅のテーマは、 <br /><br />1. 画家が描いた風景を見に行く!<br />1. パリで中世にタイムスリップ!<br />1. ノエルの町を楽しむ!<br /><br />今回の旅行記は、パリで中世にタイムスリップ!<br />の気分で見て歩いた 建築文化財博物館 編です。 <br /><br />【 建築文化財博物館 Cite de l&#39;architecture et du patrimoine 】 は、以前のフランス文化財博物館の場所(シャイヨー宮)に構想13年工事5年をかけて、2007年9月にオープンした博物館。<br /><br />0階は、フランスのロマネスク?ゴシック建築のムラージュ(鋳型)コレクションがあります。 ( * 鋳型による複製の造形は ” ムラージュ Moulages ” と呼ばれ、フランスには16世紀にすでにその技術があり、1794年には、ルーヴル美術館にムラージュ工房も作られているそうです。 ) 2階は、近現代建築のギャラリーでコルビジェのユニテ・ダビタシオンの実物大展示などがあり、また2階の端には、圧巻のフレスコ画の実物大の再現コーナーがあります。 また1階には、図書室があり、この図書室の閲覧室の天井に、世界遺産サン・サヴァン・シュル・ガルタンプ教会のフレスコ画の複製があります。<br /><br />ここ建築文化財博物館は、フランス建築史の流れを追って見ることにより(大都会パリにいながら)壮大な時空の旅が出来てしまう場所だなぁと感じました。 特に、2階の実物大フレスコ画再現のコーナーの窓からは、エッフェル塔がくっきり見え、反対側には精巧な中世のフレスコ画があって、そこで 「 振り返る 」 だけで、中世と現代を行き来できるような不思議な感覚は、とてもおもしろかったです。 <br /><br />Cite de l&#39;architecture et du patrimoine<br />1, place du Trocadero et du 11 novembre<br />75116 PARIS FRANCE ( Palais de Chaillot )<br />TEL: +33 (0)1 58 51 52 00<br />開館: 11:00 - 19:00 ( 木曜 11:00 - 21:00 )<br />休館日: 火曜、1/1、5/1、7/14、12/25<br />入館料: 常設8EUR( 第一日曜日無料 )<br />web: http://www.citechaillot.fr/

■中世にタイムスリップ! 建築文化財博物館 Cite de l'architecture et du patrimoine

32いいね!

2008/12/04 - 2008/12/07

1936位(同エリア16385件中)

旅行記グループ 中世美術を巡る旅

18

143

wiz

wiz さん

今回のパリ滞在での旅のテーマは、

1. 画家が描いた風景を見に行く!
1. パリで中世にタイムスリップ!
1. ノエルの町を楽しむ!

今回の旅行記は、パリで中世にタイムスリップ!
の気分で見て歩いた 建築文化財博物館 編です。 

【 建築文化財博物館 Cite de l'architecture et du patrimoine 】 は、以前のフランス文化財博物館の場所(シャイヨー宮)に構想13年工事5年をかけて、2007年9月にオープンした博物館。

0階は、フランスのロマネスク?ゴシック建築のムラージュ(鋳型)コレクションがあります。 ( * 鋳型による複製の造形は ” ムラージュ Moulages ” と呼ばれ、フランスには16世紀にすでにその技術があり、1794年には、ルーヴル美術館にムラージュ工房も作られているそうです。 ) 2階は、近現代建築のギャラリーでコルビジェのユニテ・ダビタシオンの実物大展示などがあり、また2階の端には、圧巻のフレスコ画の実物大の再現コーナーがあります。 また1階には、図書室があり、この図書室の閲覧室の天井に、世界遺産サン・サヴァン・シュル・ガルタンプ教会のフレスコ画の複製があります。

ここ建築文化財博物館は、フランス建築史の流れを追って見ることにより(大都会パリにいながら)壮大な時空の旅が出来てしまう場所だなぁと感じました。 特に、2階の実物大フレスコ画再現のコーナーの窓からは、エッフェル塔がくっきり見え、反対側には精巧な中世のフレスコ画があって、そこで 「 振り返る 」 だけで、中世と現代を行き来できるような不思議な感覚は、とてもおもしろかったです。 

Cite de l'architecture et du patrimoine
1, place du Trocadero et du 11 novembre
75116 PARIS FRANCE ( Palais de Chaillot )
TEL: +33 (0)1 58 51 52 00
開館: 11:00 - 19:00 ( 木曜 11:00 - 21:00 )
休館日: 火曜、1/1、5/1、7/14、12/25
入館料: 常設8EUR( 第一日曜日無料 )
web: http://www.citechaillot.fr/

旅行の満足度
4.5

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  • まずは、上空からの建築文化財博物館。<br /><br />エッフェル塔がよく見えるスポット、<br />シャイヨー宮(Palais de Chaillot)の中に、<br />2007年9月、建築文化財博物館がオープンしました。

    まずは、上空からの建築文化財博物館。

    エッフェル塔がよく見えるスポット、
    シャイヨー宮(Palais de Chaillot)の中に、
    2007年9月、建築文化財博物館がオープンしました。

  • これは、建築文化財博物館の全体図。<br /><br />青の部分が、フランス建築博物館(0,2,3階)<br />紫の部分が、図書室(1階)<br /><br />地下階は、特別展の展示。<br /><br />私の目的は、フランス中世の芸術を巡ることでしたが、私のような目的の方は、 ” ピンク色の線で囲んだ部分 □ ” を廻ると良いと思います。<br /><br />建築文化財博物館には、1週間のパリ滞在中に2回訪問しました。 1回目は21時まで開館している木曜日に。 2回目は、第一日曜日(入場無料の日)再度訪問しました(19時まで)。 <br /><br />2回目は、1回目に行く時間がなくなってしまったサン・サヴァン・シュル・ガルタンプ教会の天井壁画の復元などがある図書室をメインに、再度ひととおり中世部門をまわりました。

    これは、建築文化財博物館の全体図。

    青の部分が、フランス建築博物館(0,2,3階)
    紫の部分が、図書室(1階)

    地下階は、特別展の展示。

    私の目的は、フランス中世の芸術を巡ることでしたが、私のような目的の方は、 ” ピンク色の線で囲んだ部分 □ ” を廻ると良いと思います。

    建築文化財博物館には、1週間のパリ滞在中に2回訪問しました。 1回目は21時まで開館している木曜日に。 2回目は、第一日曜日(入場無料の日)再度訪問しました(19時まで)。 

    2回目は、1回目に行く時間がなくなってしまったサン・サヴァン・シュル・ガルタンプ教会の天井壁画の復元などがある図書室をメインに、再度ひととおり中世部門をまわりました。

  • ピンク色の線で囲んだ部分が<br />中世建築(芸術)部分で、<br />3階(壁画)、2階(壁画)<br />1階(図書室に壁画)となっています。<br /><br />2階の線で囲まれていない部分は、<br />コルビジェなどの近現代建築のギャラリー。

    ピンク色の線で囲んだ部分が
    中世建築(芸術)部分で、
    3階(壁画)、2階(壁画)
    1階(図書室に壁画)となっています。

    2階の線で囲まれていない部分は、
    コルビジェなどの近現代建築のギャラリー。

  • 0階(日本式1階)<br />まずは、この部分が<br />中世建築(芸術)ファン必見のコーナーです。<br /><br />私は、特にロマネスク部門を見たかったので<br />1〜5の展示室に時間をかけて見学しました。<br /><br />1 ROMAN LANGUEDOC<br /> (ラングドック地方ロマネスク)<br />2 ROMAN POITOU SAINTONGE<br /> (ポアトゥー/サントンジュ地方ロマネスク)<br />3 ROMAN AUVERGNE<br /> (オーヴェルニュ地方ロマネスク)<br />4 ROMAN PROVENCE<br /> (プロヴァンス地方ロマネスク)<br />5 ROMAN BOURGOGNE<br /> (ブルゴーニュ地方ロマネスク)<br />6 EARLY GOTHIC ART (初期ゴシック)<br />7 HIGH GOTHIC ART (盛期ゴシック)<br />8 FLAMBOYANT GOTHIC<br /> (フランボワイヤン・ゴシック)<br />9 CIVILIAN AND MILITARY ARCHITECTURE<br />10 ELEMENTS OF ARCHITECTURE (建築要素)<br />11 RENAISSANCE (ルネサンス)<br />12 ARCHITECTURE OF 17th〜18th CENTURIES

    0階(日本式1階)
    まずは、この部分が
    中世建築(芸術)ファン必見のコーナーです。

    私は、特にロマネスク部門を見たかったので
    1〜5の展示室に時間をかけて見学しました。

    1 ROMAN LANGUEDOC
     (ラングドック地方ロマネスク)
    2 ROMAN POITOU SAINTONGE
     (ポアトゥー/サントンジュ地方ロマネスク)
    3 ROMAN AUVERGNE
     (オーヴェルニュ地方ロマネスク)
    4 ROMAN PROVENCE
     (プロヴァンス地方ロマネスク)
    5 ROMAN BOURGOGNE
     (ブルゴーニュ地方ロマネスク)
    6 EARLY GOTHIC ART (初期ゴシック)
    7 HIGH GOTHIC ART (盛期ゴシック)
    8 FLAMBOYANT GOTHIC
     (フランボワイヤン・ゴシック)
    9 CIVILIAN AND MILITARY ARCHITECTURE
    10 ELEMENTS OF ARCHITECTURE (建築要素)
    11 RENAISSANCE (ルネサンス)
    12 ARCHITECTURE OF 17th〜18th CENTURIES

  • 地下階は、特別展などの展示。

    地下階は、特別展などの展示。

  • 建築文化財博物館 リーフレット(英語)

    建築文化財博物館 リーフレット(英語)

  • (参考・地図)<br />赤 トゥールーズ Toulouse (Midi-Pyrenees)<br />黄 モアサック Moissac (Midi-Pyrenees)<br />黄 スイヤック Souillac (Midi-Pyrenees)<br />緑 ボーリュー Beaulieu-sur-Dordogne (Limousin)<br />黄 カレナック Carennac (Midi-Pyrenees)<br />水 コンク Conques (Midi-Pyrenees)<br />紫 オータン Autun (Bourgogne) <br />紫 ヴェズレー Vezelay (Bourgogne)<br />青 オーネー Aulnay-de-Saintonge (Poitou-Charentes)<br />青 サント Saintes (Poitou-Charentes)<br />*ベルゼ=ラ=ヴィル Berze-la-Ville (Bourgogne) <br />*カオール Cahors (Midi-Pyrenees) <br />*タヴァン Tavant (Centre)<br />*サン=サヴァン Saint-Savin (Poitou-Charentes)

    (参考・地図)
    赤 トゥールーズ Toulouse (Midi-Pyrenees)
    黄 モアサック Moissac (Midi-Pyrenees)
    黄 スイヤック Souillac (Midi-Pyrenees)
    緑 ボーリュー Beaulieu-sur-Dordogne (Limousin)
    黄 カレナック Carennac (Midi-Pyrenees)
    水 コンク Conques (Midi-Pyrenees)
    紫 オータン Autun (Bourgogne)
    紫 ヴェズレー Vezelay (Bourgogne)
    青 オーネー Aulnay-de-Saintonge (Poitou-Charentes)
    青 サント Saintes (Poitou-Charentes)
    *ベルゼ=ラ=ヴィル Berze-la-Ville (Bourgogne)
    *カオール Cahors (Midi-Pyrenees)
    *タヴァン Tavant (Centre)
    *サン=サヴァン Saint-Savin (Poitou-Charentes)

  • 第1回目の訪問 ( 木曜日 21:00迄 )<br /><br />この日は、マルリー・ル・ロワ〜ルヴシエンヌ〜ポール・マルリー〜サン・ジェルマン・アン・レーと、イル・ド・フランス内をあちこち廻った後、 (ギャラリー・ラファイエットで買ったお寿司でまったりした後、) メトロに乗って、こちら 建築文化財博物館 のある シャイヨー宮 へやってきました。<br /><br />ロマネスク・ゴシック部門を丁寧に見て回ったのは、第1回目訪問の際で、この旅行記に載せた写真は、ほとんどこの第1回目訪問の際に撮ったものです。

    第1回目の訪問 ( 木曜日 21:00迄 )

    この日は、マルリー・ル・ロワ〜ルヴシエンヌ〜ポール・マルリー〜サン・ジェルマン・アン・レーと、イル・ド・フランス内をあちこち廻った後、 (ギャラリー・ラファイエットで買ったお寿司でまったりした後、) メトロに乗って、こちら 建築文化財博物館 のある シャイヨー宮 へやってきました。

    ロマネスク・ゴシック部門を丁寧に見て回ったのは、第1回目訪問の際で、この旅行記に載せた写真は、ほとんどこの第1回目訪問の際に撮ったものです。

    シャイヨー宮 城・宮殿

    ロマネスク・ゴシック建築ファンなら是非! 建築文化財博物館(シャイヨー宮内) by wiz さん
  • 建築文化財博物館 のある シャイヨー宮 に着いたら、ちょうど エッフェル塔 のシャンパンフラッシュの時間(正時)が過ぎたばかりでした。<br /><br />少しエッフェル塔の夜景を写真におさめたら、すぐに博物館の中へ入りました。

    建築文化財博物館 のある シャイヨー宮 に着いたら、ちょうど エッフェル塔 のシャンパンフラッシュの時間(正時)が過ぎたばかりでした。

    少しエッフェル塔の夜景を写真におさめたら、すぐに博物館の中へ入りました。

    エッフェル塔 建造物

  • 昼間あちこちを廻った後に、一旦ホテルでお寿司を食べ、メトロでこの写真(博物館入口)を撮ったのが18:23。<br /><br />21時まで開館している木曜日をねらってやってきました。(しかし、20:45に展示室を出なければならない。 通常19時までの開館曜日は18:45に出なければならない。)

    昼間あちこちを廻った後に、一旦ホテルでお寿司を食べ、メトロでこの写真(博物館入口)を撮ったのが18:23。

    21時まで開館している木曜日をねらってやってきました。(しかし、20:45に展示室を出なければならない。 通常19時までの開館曜日は18:45に出なければならない。)

  • まずは、0階(地上階)の 中世芸術部門 へ。<br /><br />入ってすぐに、「 モアサックのサン・ピエール教会のタンパン 」 が目に入りました。<br /><br />博物館の中全体を見終わった後に考えてみても、一番はじめに目に入ったこの場所がやはり一番印象的な場所だったと思います。<br /><br />博物館の中に入って一番目立つべき場所に、この 「 モアサックのサン・ピエール教会のタンパン 」 が置いてあるということは、このタンパンが、フランスのロマネスク建築(芸術)が花開いていく過程でいかに大きな位置をしめているか、を物語っているように感じました。<br /><br />後に、エミール・マール「ロマネスクの図像学」を読んだり、図書館で大きな美術全集を借りて読んだりするうちに、実際に、モアサックの芸術が、ロマネスク芸術を語る上で大きな存在であることがよく分かりました。 <br /><br />※ 次の写真からは、 説明版→作品 の順に載せています。 展示室の暗い場所に置かれたものは、ブレている写真もありますが、自分の記録用ということもあり、あえて載せておくことにします。 ※

    まずは、0階(地上階)の 中世芸術部門 へ。

    入ってすぐに、「 モアサックのサン・ピエール教会のタンパン 」 が目に入りました。

    博物館の中全体を見終わった後に考えてみても、一番はじめに目に入ったこの場所がやはり一番印象的な場所だったと思います。

    博物館の中に入って一番目立つべき場所に、この 「 モアサックのサン・ピエール教会のタンパン 」 が置いてあるということは、このタンパンが、フランスのロマネスク建築(芸術)が花開いていく過程でいかに大きな位置をしめているか、を物語っているように感じました。

    後に、エミール・マール「ロマネスクの図像学」を読んだり、図書館で大きな美術全集を借りて読んだりするうちに、実際に、モアサックの芸術が、ロマネスク芸術を語る上で大きな存在であることがよく分かりました。 

    ※ 次の写真からは、 説明版→作品 の順に載せています。 展示室の暗い場所に置かれたものは、ブレている写真もありますが、自分の記録用ということもあり、あえて載せておくことにします。 ※

    建築 文化財博物館 博物館・美術館・ギャラリー

  • ■1 ROMAN LANGUEDOC<br />  (ラングドック地方ロマネスク)<br /><br />トゥールーズ/ラ・ドラード修道院<br />TOULOUSE (Haute-Garonne, Midi-Pyrenees) <br />Eglise priorale Notre-Dame de la Daurade<br />Chapiteaux du cloitre<br />1. La cene 1115-1130<br />2. Scenes de la Passion<br />3. La Pentecote<br />4. L&#39;histoire de Job 1180-1196<br />http://fr.wikipedia.org/wiki/Basilique_de_la_Daurade<br /><br />彫刻は十一世紀に南フランスで復活した。 トゥールーズのラ・ドラード修道院の最古の彫刻は柱頭彫刻は、1065年から1080年の間に制作されている。 実際、ラ・ドラードがクリュニー修道会に帰属したのはまさに1065年であり、そしてクリュニーの偉大な修道院長ユーグは、1080年にはすでにこの修道院の諸建築物を再建し、回廊の修復を終わっていたのだ。 1080年から少し後、このトゥールーズの彫刻家たちがモアサックに招かれ、その修道院回廊にラ・ドラードの柱頭彫刻のいくつかを再現している。 モアサックには、後に見るように、別の流れを汲む他の彫刻家たちも来ていた。 (「ロマネスクの図像学」上P17)

    ■1 ROMAN LANGUEDOC
      (ラングドック地方ロマネスク)

    トゥールーズ/ラ・ドラード修道院
    TOULOUSE (Haute-Garonne, Midi-Pyrenees)
    Eglise priorale Notre-Dame de la Daurade
    Chapiteaux du cloitre
    1. La cene 1115-1130
    2. Scenes de la Passion
    3. La Pentecote
    4. L'histoire de Job 1180-1196
    http://fr.wikipedia.org/wiki/Basilique_de_la_Daurade

    彫刻は十一世紀に南フランスで復活した。 トゥールーズのラ・ドラード修道院の最古の彫刻は柱頭彫刻は、1065年から1080年の間に制作されている。 実際、ラ・ドラードがクリュニー修道会に帰属したのはまさに1065年であり、そしてクリュニーの偉大な修道院長ユーグは、1080年にはすでにこの修道院の諸建築物を再建し、回廊の修復を終わっていたのだ。 1080年から少し後、このトゥールーズの彫刻家たちがモアサックに招かれ、その修道院回廊にラ・ドラードの柱頭彫刻のいくつかを再現している。 モアサックには、後に見るように、別の流れを汲む他の彫刻家たちも来ていた。 (「ロマネスクの図像学」上P17)

  • トゥールーズ/ラ・ドラード修道院<br />TOULOUSE (Haute-Garonne, Midi-Pyrenees) <br />Eglise priorale Notre-Dame de la Daurade<br />Chapiteaux du cloitre<br />2. Scenes de la Passion<br /><br />回廊 柱頭彫刻<br />2. 「 イエス・キリストの就縛 」<br /><br />ゲッセマネの園での「イエスの就縛」の図像もまた、こうしたビザンティンの影響の他の例証を与えてくれる。 フランスの芸術家たちがこの図像を知ったのはそのビザンティン形式によってなのだからである。 (略) これはまさにトゥールーズの美術館に保存されているラ・ドラードの柱頭彫刻の一つに見られるのと同じ構図である。 ビザンティンのオリジナルでのようにユダは左から来ていて、接吻による合図とともにイエスは捕えられる。 (略) トゥールーズの美術館の柱頭に刻まれているこの場面は、よりいっそう激しい調子でシャルトルの西正面扉口の柱頭彫刻に再現されている。 (「ロマネスクの図像学」上P153-156)

    トゥールーズ/ラ・ドラード修道院
    TOULOUSE (Haute-Garonne, Midi-Pyrenees)
    Eglise priorale Notre-Dame de la Daurade
    Chapiteaux du cloitre
    2. Scenes de la Passion

    回廊 柱頭彫刻
    2. 「 イエス・キリストの就縛 」

    ゲッセマネの園での「イエスの就縛」の図像もまた、こうしたビザンティンの影響の他の例証を与えてくれる。 フランスの芸術家たちがこの図像を知ったのはそのビザンティン形式によってなのだからである。 (略) これはまさにトゥールーズの美術館に保存されているラ・ドラードの柱頭彫刻の一つに見られるのと同じ構図である。 ビザンティンのオリジナルでのようにユダは左から来ていて、接吻による合図とともにイエスは捕えられる。 (略) トゥールーズの美術館の柱頭に刻まれているこの場面は、よりいっそう激しい調子でシャルトルの西正面扉口の柱頭彫刻に再現されている。 (「ロマネスクの図像学」上P153-156)

  • トゥールーズ/サン・セルナン教会堂<br />Toulouse (Haute-Garonne, Midi-Pyrenees) <br />Basilique Saint-Sernin<br />Porte de la facade sud, dite &lt;&lt;porte Miegeville&gt;&gt;<br />Vers 1115<br />http://fr.wikipedia.org/wiki/Basilique_Saint-Sernin_de_Toulouse

    トゥールーズ/サン・セルナン教会堂
    Toulouse (Haute-Garonne, Midi-Pyrenees)
    Basilique Saint-Sernin
    Porte de la facade sud, dite <<porte Miegeville>>
    Vers 1115
    http://fr.wikipedia.org/wiki/Basilique_Saint-Sernin_de_Toulouse

  • トゥールーズ/サン・セルナン教会堂<br />Toulouse (Haute-Garonne, Midi-Pyrenees) <br />Basilique Saint-Sernin<br />Porte de la facade sud, dite &lt;&lt;porte Miegeville&gt;&gt;<br />Vers 1115<br /><br />南扉口 &lt;&lt;ミエジュヴィル門&gt;&gt;<br />「 キリスト昇天 」  1115年頃<br /><br />南フランスの芸術家たちは扉口の第二の型を創出した。( ※ 第一の型は次に紹介するモアサックの型 )  今度そのタンパンを飾るのは「キリストの昇天」である。 このような主題は「聖ヨハネの幻視」ほど崇高ではないし、神の永遠性を表現してもいないが、その代わりに凱旋的な性格を持っている。 そのキリストは生と死を乗り越えた後の、まさに神としての性格を鮮明にしたキリストである。 芸術家たちはそこにタンパンの形にぴったり合う構図を見いだした。 使徒たちはまぐさ石の端から端まで列をなし、その両手を彼らの主の方に挙げているが、その頭上では、キリストと天使たちが半円の空間を完全に埋めつくしている。 ある扉口を飾る最古の「昇天」図はこのように表現されている。 それはトゥールーズのサン・セルナン教会の「昇天」図である。 そのタンパンはキリストと天使たちが空を舞っているようにはとても感じられない。 この最初の試みはスペインでしか、レオンのサン・イシドロ教会の扉口でしか模倣されなかったが、その表現はたいへん重苦しくなってしまっている。 トゥールーズではあまりうまくいかなかったものが、カオールではもっとうまくいっている。( http://fr.wikipedia.org/wiki/Cath%C3%A9drale_Saint-%C3%89tienne_de_Cahors ) ( → アングレーム , → シャルトル西正面左扉口 , → エタンプ , → モンソー・レトアール , → アンズィ・ル・デュック ) (「ロマネスクの図像学」下P250)

    トゥールーズ/サン・セルナン教会堂
    Toulouse (Haute-Garonne, Midi-Pyrenees)
    Basilique Saint-Sernin
    Porte de la facade sud, dite <<porte Miegeville>>
    Vers 1115

    南扉口 <<ミエジュヴィル門>>
    「 キリスト昇天 」  1115年頃

    南フランスの芸術家たちは扉口の第二の型を創出した。( ※ 第一の型は次に紹介するモアサックの型 )  今度そのタンパンを飾るのは「キリストの昇天」である。 このような主題は「聖ヨハネの幻視」ほど崇高ではないし、神の永遠性を表現してもいないが、その代わりに凱旋的な性格を持っている。 そのキリストは生と死を乗り越えた後の、まさに神としての性格を鮮明にしたキリストである。 芸術家たちはそこにタンパンの形にぴったり合う構図を見いだした。 使徒たちはまぐさ石の端から端まで列をなし、その両手を彼らの主の方に挙げているが、その頭上では、キリストと天使たちが半円の空間を完全に埋めつくしている。 ある扉口を飾る最古の「昇天」図はこのように表現されている。 それはトゥールーズのサン・セルナン教会の「昇天」図である。 そのタンパンはキリストと天使たちが空を舞っているようにはとても感じられない。 この最初の試みはスペインでしか、レオンのサン・イシドロ教会の扉口でしか模倣されなかったが、その表現はたいへん重苦しくなってしまっている。 トゥールーズではあまりうまくいかなかったものが、カオールではもっとうまくいっている。( http://fr.wikipedia.org/wiki/Cath%C3%A9drale_Saint-%C3%89tienne_de_Cahors ) ( → アングレーム , → シャルトル西正面左扉口 , → エタンプ , → モンソー・レトアール , → アンズィ・ル・デュック ) (「ロマネスクの図像学」下P250)

  • モアサック/サン・ピエール修道院教会<br />Moissac(Tarn-et-Garonne, Midi-Pyrenees) <br />Eglise abbatiale Saint-Pierre<br />Portail<br />L&#39;apparition du Chirist au jour du Jugement dernier<br />Vers 1120-1130<br />http://fr.wikipedia.org/wiki/Abbaye_Saint-Pierre_de_Moissac

    モアサック/サン・ピエール修道院教会
    Moissac(Tarn-et-Garonne, Midi-Pyrenees)
    Eglise abbatiale Saint-Pierre
    Portail
    L'apparition du Chirist au jour du Jugement dernier
    Vers 1120-1130
    http://fr.wikipedia.org/wiki/Abbaye_Saint-Pierre_de_Moissac

  • モアサック/サン・ピエール修道院教会<br />Moissac(Tarn-et-Garonne, Midi-Pyrenees) <br />Eglise abbatiale Saint-Pierre<br />Portail<br />L&#39;apparition du Chirist au jour du Jugement dernier<br />Vers 1120-1130<br /><br />《 モワサック南扉口図像配置 》<br />タンパン「キリストの再臨(荘厳のキリスト)」<br />側柱左「聖ペテロ」側柱右「イザヤ」<br />中央柱左「聖パウロ」中央柱右「エレミア」<br />扉口左下「淫乱と悪魔」「吝嗇」<br />扉口左上「金持ちと哀れなラザロの寓話」<br />http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/27123363/<br />扉口右下「受胎告知」「ご訪問」<br />扉口右中「聖誕」「マギの礼拝」<br />扉口右上「神殿奉献」「エジプト逃避」「偶像の墜落」<br /><br />霊感と神聖をこれほど見事に可視化した作例はモワサックをおいてほかにない。 (ロマネスクの教会堂/河出書房新社)<br /><br />フランスで誕生した見事なタンパンは、言うまでもなくロマネスク教会の美の一つをなしている。 人びとの視線はまずそこに向かう。 タンパンは信者を瞑想に誘い、日々の低次な想念から引き離し、聖所に入る心の準備を整えさせる。 その扉口を通る前に、信者はすでに別世界の空気を吸っているのである。 聖人たちを従えた「荘厳の聖母」で飾られたある扉口にはこう記されている。 「ここに入る者よ。 視線を高き方に向けよ。」 このように、ロマネスクの彫刻家たちは、この半円形の石の中にいくつもの理念を凝縮させようとしたのであった。<br /><br />タンパン彫刻を創り出した南フランスの芸術家たちは、一つの難問を解決しなければならなかった。 半円の中に人物たちをどう配置すればよいのかという問題である。 そのためには、中央に置かれた大きな彫像が他のすべての彫像を圧倒することが不可欠のように思われる。 それゆえ、タンパンには栄光と勝利の場面を刻み込む必要があった。 つまり、それは荘厳なるものを表現するよう運命づけられていたのである。<br /><br />そのことを南フランスの彫刻家たちはたいへんよく承知していた。 彼らは扉口の三つの型を創り出したが、そのどれもが、この荘厳さという性格を備えている。 ☆ 第一の型は モアサックの型で、『黙示録』のキリストを表現している ( http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/15514952/ )。 ☆☆ 第二は トゥールーズのサン・セルナン教会のもので、昇天するキリストを表現している ( http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/15514039/ )。 ☆☆☆ 第三は ボーリューのもので、人びとを裁くために出現したキリストを表現している ( http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/15514035/ )。 (「ロマネスクの図像学」下P223-224)

    モアサック/サン・ピエール修道院教会
    Moissac(Tarn-et-Garonne, Midi-Pyrenees)
    Eglise abbatiale Saint-Pierre
    Portail
    L'apparition du Chirist au jour du Jugement dernier
    Vers 1120-1130

    《 モワサック南扉口図像配置 》
    タンパン「キリストの再臨(荘厳のキリスト)」
    側柱左「聖ペテロ」側柱右「イザヤ」
    中央柱左「聖パウロ」中央柱右「エレミア」
    扉口左下「淫乱と悪魔」「吝嗇」
    扉口左上「金持ちと哀れなラザロの寓話」
    http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/27123363/
    扉口右下「受胎告知」「ご訪問」
    扉口右中「聖誕」「マギの礼拝」
    扉口右上「神殿奉献」「エジプト逃避」「偶像の墜落」

    霊感と神聖をこれほど見事に可視化した作例はモワサックをおいてほかにない。 (ロマネスクの教会堂/河出書房新社)

    フランスで誕生した見事なタンパンは、言うまでもなくロマネスク教会の美の一つをなしている。 人びとの視線はまずそこに向かう。 タンパンは信者を瞑想に誘い、日々の低次な想念から引き離し、聖所に入る心の準備を整えさせる。 その扉口を通る前に、信者はすでに別世界の空気を吸っているのである。 聖人たちを従えた「荘厳の聖母」で飾られたある扉口にはこう記されている。 「ここに入る者よ。 視線を高き方に向けよ。」 このように、ロマネスクの彫刻家たちは、この半円形の石の中にいくつもの理念を凝縮させようとしたのであった。

    タンパン彫刻を創り出した南フランスの芸術家たちは、一つの難問を解決しなければならなかった。 半円の中に人物たちをどう配置すればよいのかという問題である。 そのためには、中央に置かれた大きな彫像が他のすべての彫像を圧倒することが不可欠のように思われる。 それゆえ、タンパンには栄光と勝利の場面を刻み込む必要があった。 つまり、それは荘厳なるものを表現するよう運命づけられていたのである。

    そのことを南フランスの彫刻家たちはたいへんよく承知していた。 彼らは扉口の三つの型を創り出したが、そのどれもが、この荘厳さという性格を備えている。 ☆ 第一の型は モアサックの型で、『黙示録』のキリストを表現している ( http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/15514952/ )。 ☆☆ 第二は トゥールーズのサン・セルナン教会のもので、昇天するキリストを表現している ( http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/15514039/ )。 ☆☆☆ 第三は ボーリューのもので、人びとを裁くために出現したキリストを表現している ( http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/15514035/ )。 (「ロマネスクの図像学」下P223-224)

  • モアサック/サン・ピエール修道院教会<br />Moissac(Tarn-et-Garonne, Midi-Pyrenees) <br />Eglise abbatiale Saint-Pierre<br />Portail<br />L&#39;apparition du Chirist au jour du Jugement dernier<br />Vers 1120-1130<br /><br />南扉口のタンパン<br />(もとは西正面にあったが修復の際移された)<br />「 荘厳のキリスト 」 1120-30年<br /><br />天使や神獣に囲まれたキリストを福音書記者と天使と24人の長老たちが見上げる。 黙示録は、この世の終末ではなく将来の救済のしるしと考えられていた。<br /><br />モワサックはトゥールーズの北西のタルン川とガロンヌ川が交わる高台に位置する人口1万人あまりの小さな町。 フランスで一番美しい(中庭の)回廊があり、その柱頭彫刻 とタンパンはロマネスク彫刻の頂点と称されている。

    モアサック/サン・ピエール修道院教会
    Moissac(Tarn-et-Garonne, Midi-Pyrenees)
    Eglise abbatiale Saint-Pierre
    Portail
    L'apparition du Chirist au jour du Jugement dernier
    Vers 1120-1130

    南扉口のタンパン
    (もとは西正面にあったが修復の際移された)
    「 荘厳のキリスト 」 1120-30年

    天使や神獣に囲まれたキリストを福音書記者と天使と24人の長老たちが見上げる。 黙示録は、この世の終末ではなく将来の救済のしるしと考えられていた。

    モワサックはトゥールーズの北西のタルン川とガロンヌ川が交わる高台に位置する人口1万人あまりの小さな町。 フランスで一番美しい(中庭の)回廊があり、その柱頭彫刻 とタンパンはロマネスク彫刻の頂点と称されている。

  • モアサック/サン・ピエール修道院教会<br />Moissac(Tarn-et-Garonne, Midi-Pyrenees) <br />Eglise abbatiale Saint-Pierre<br />Portail<br />L&#39;apparition du Chirist au jour du Jugement dernier<br />Vers 1120-1130<br /><br />モアサックの驚嘆すべきタンパンは、「黙示録」の四つの生き物(「ヨハネ黙示録」のキリスト再臨の場面で、その玉座を取りまいている人、鷲、獅子、牡牛の四動物。 四人の福音史家をそれぞれ象徴するとかんがえられてきた)に囲まれた「荘厳のキリスト」を表現している。 その周囲には「黙示録」の二十四人の長老が杯とヴィオール(古い弦楽器)を持ち、王冠をかぶって玉座に坐している。 それはまさに聖ヨハネに現れたとおりの人の子の姿である。 (「ロマネスクの図像学」上P20)

    モアサック/サン・ピエール修道院教会
    Moissac(Tarn-et-Garonne, Midi-Pyrenees)
    Eglise abbatiale Saint-Pierre
    Portail
    L'apparition du Chirist au jour du Jugement dernier
    Vers 1120-1130

    モアサックの驚嘆すべきタンパンは、「黙示録」の四つの生き物(「ヨハネ黙示録」のキリスト再臨の場面で、その玉座を取りまいている人、鷲、獅子、牡牛の四動物。 四人の福音史家をそれぞれ象徴するとかんがえられてきた)に囲まれた「荘厳のキリスト」を表現している。 その周囲には「黙示録」の二十四人の長老が杯とヴィオール(古い弦楽器)を持ち、王冠をかぶって玉座に坐している。 それはまさに聖ヨハネに現れたとおりの人の子の姿である。 (「ロマネスクの図像学」上P20)

  • モアサック/サン・ピエール修道院教会<br />Moissac(Tarn-et-Garonne, Midi-Pyrenees) <br />Eglise abbatiale Saint-Pierre<br /><br />南扉口右上<br /><br />「 エジプト逃避 」

    モアサック/サン・ピエール修道院教会
    Moissac(Tarn-et-Garonne, Midi-Pyrenees)
    Eglise abbatiale Saint-Pierre

    南扉口右上

    「 エジプト逃避 」

  • モアサック/サン・ピエール修道院教会<br />Moissac(Tarn-et-Garonne, Midi-Pyrenees) <br />Eglise abbatiale Saint-Pierre<br /><br />南扉口(右側下)<br />「 受胎告知 」

    モアサック/サン・ピエール修道院教会
    Moissac(Tarn-et-Garonne, Midi-Pyrenees)
    Eglise abbatiale Saint-Pierre

    南扉口(右側下)
    「 受胎告知 」

  • モアサック/サン・ピエール修道院教会<br />Moissac(Tarn-et-Garonne, Midi-Pyrenees) <br />Eglise abbatiale Saint-Pierre<br /><br />「 預言者エレミア像 」 1115-30年頃<br /><br />中央柱東面に、上から獅子2組分の高さを占めて、その陰に隠れるように預言者エレミアが立つ。 彼と対をなすのは、東側柱の預言者イザヤである。 預言のなかで神の子の到来を説いたイザヤは、東側壁アーチ内の「受胎告知」や「マギの礼拝」と対応し、エジプトの神殿の破壊を予言したエレミア(エレミア書 43:13)のほうは最上部のフリーズの「エジプト逃避」や「偶像の落下」と対応している。<br /><br />脚を交差させたエレミアの前身は縦に細長く引き伸ばされているが、えぐれた曲線の突出部に合わせて、頭、肘と腰、膝、爪先がアクセントを付けており、柱の長方形枠にうまく適応し、流れるような神と長い髭、憂いのある瞳で、音を少し傾け、ほとんど石の中に溶け込んでしまいそうな風情である。 エレミアの像ができるまでの経過をたどるなら、まず側壁の聖ペテロに始まる。 次に福音書記者聖マタイが、ヨハネの鷲の体の動きと釣り合わせるために振り返りつつ脚は交差させるという少々無理な姿勢をとる。 すぐそばのすらりとした天使を経て、最後に優雅に、また精神的な深さへと推し進めたこのエレミア像がモワサック芸術の最高峰に達したといえよう。 スイヤックの脚を交差させたイザヤ(銘あり)( http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/15515060/ )も同じ工房の作に違いない。 二十四長老の小さな座像などでは包帯を巻いたような衣襞であるが、この大きな像では襞は細かい二重線で刻まれる。 丁寧に節目の入った頭髪や髭、襟飾りや王冠の装飾の繊細な彫り、とくにすらりとした体つき、交脚、爪先で立って踊るような身振りがラングドック彫刻の特徴である。 (世界美術大全集 8 ロマネスク 小学館)

    モアサック/サン・ピエール修道院教会
    Moissac(Tarn-et-Garonne, Midi-Pyrenees)
    Eglise abbatiale Saint-Pierre

    「 預言者エレミア像 」 1115-30年頃

    中央柱東面に、上から獅子2組分の高さを占めて、その陰に隠れるように預言者エレミアが立つ。 彼と対をなすのは、東側柱の預言者イザヤである。 預言のなかで神の子の到来を説いたイザヤは、東側壁アーチ内の「受胎告知」や「マギの礼拝」と対応し、エジプトの神殿の破壊を予言したエレミア(エレミア書 43:13)のほうは最上部のフリーズの「エジプト逃避」や「偶像の落下」と対応している。

    脚を交差させたエレミアの前身は縦に細長く引き伸ばされているが、えぐれた曲線の突出部に合わせて、頭、肘と腰、膝、爪先がアクセントを付けており、柱の長方形枠にうまく適応し、流れるような神と長い髭、憂いのある瞳で、音を少し傾け、ほとんど石の中に溶け込んでしまいそうな風情である。 エレミアの像ができるまでの経過をたどるなら、まず側壁の聖ペテロに始まる。 次に福音書記者聖マタイが、ヨハネの鷲の体の動きと釣り合わせるために振り返りつつ脚は交差させるという少々無理な姿勢をとる。 すぐそばのすらりとした天使を経て、最後に優雅に、また精神的な深さへと推し進めたこのエレミア像がモワサック芸術の最高峰に達したといえよう。 スイヤックの脚を交差させたイザヤ(銘あり)( http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/15515060/ )も同じ工房の作に違いない。 二十四長老の小さな座像などでは包帯を巻いたような衣襞であるが、この大きな像では襞は細かい二重線で刻まれる。 丁寧に節目の入った頭髪や髭、襟飾りや王冠の装飾の繊細な彫り、とくにすらりとした体つき、交脚、爪先で立って踊るような身振りがラングドック彫刻の特徴である。 (世界美術大全集 8 ロマネスク 小学館)

  • スイヤック/サント・マリー修道院教会<br />Souillac (Lot, Midi-Pyrenees)<br />Eglise abbatiale Sainte-Marie<br />Hauts-reliefs places au revers de la facade occidentale<br />1. Le &lt;&lt;miracle de Theophile&gt;&gt;<br />2. Isaie

    スイヤック/サント・マリー修道院教会
    Souillac (Lot, Midi-Pyrenees)
    Eglise abbatiale Sainte-Marie
    Hauts-reliefs places au revers de la facade occidentale
    1. Le <<miracle de Theophile>>
    2. Isaie

  • スイヤック/サント・マリー修道院教会<br />Souillac (Lot, Midi-Pyrenees)<br />Eglise abbatiale Sainte-Marie<br />Hauts-reliefs places au revers de la facade occidentale<br />2. Isaie<br /> <br />2. 「 踊るイザヤ像 」<br /><br />モワサックMoissacの北東、ドルドーニュ川上流の町スーイヤックSouillacには、12世紀のサント・マリー修道院Abbatiale Ste.Marieがある。 この修道院には見事なロマネスクの柱頭彫刻がいくつもあるが、なかでも有名なのが「イザヤ像」。 両手を聖書に載せたイザヤが醸し出す威厳と、優れた芸術性は、見る者を圧倒する。 その姿から「踊るイザヤ像」と呼ばれるこの像は、モワサックの「エレミア像」 ( http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/15515059/ ) との類似性が指摘される。

    スイヤック/サント・マリー修道院教会
    Souillac (Lot, Midi-Pyrenees)
    Eglise abbatiale Sainte-Marie
    Hauts-reliefs places au revers de la facade occidentale
    2. Isaie
     
    2. 「 踊るイザヤ像 」

    モワサックMoissacの北東、ドルドーニュ川上流の町スーイヤックSouillacには、12世紀のサント・マリー修道院Abbatiale Ste.Marieがある。 この修道院には見事なロマネスクの柱頭彫刻がいくつもあるが、なかでも有名なのが「イザヤ像」。 両手を聖書に載せたイザヤが醸し出す威厳と、優れた芸術性は、見る者を圧倒する。 その姿から「踊るイザヤ像」と呼ばれるこの像は、モワサックの「エレミア像」 ( http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/15515059/ ) との類似性が指摘される。

  • スイヤック/サント・マリー修道院教会<br />Souillac (Lot, Midi-Pyrenees)<br />Eglise abbatiale Sainte-Marie<br />Hauts-reliefs places au revers de la facade occidentale<br />1. Le &lt;&lt;miracle de Theophile&gt;&gt;<br /><br />1. 「 テオフィロスの奇跡 」<br /><br />両側に立っている聖人は<br />右 = 聖ペテロ<br />左 = 聖ブノワ

    スイヤック/サント・マリー修道院教会
    Souillac (Lot, Midi-Pyrenees)
    Eglise abbatiale Sainte-Marie
    Hauts-reliefs places au revers de la facade occidentale
    1. Le <<miracle de Theophile>>

    1. 「 テオフィロスの奇跡 」

    両側に立っている聖人は
    右 = 聖ペテロ
    左 = 聖ブノワ

  • スイヤック/サント・マリー修道院教会<br />Souillac (Lot, Midi-Pyrenees)<br />Eglise abbatiale Sainte-Marie<br />Hauts-reliefs places au revers de la facade occidentale<br />1. Le &lt;&lt;miracle de Theophile&gt;&gt;<br /><br />1. 「 テオフィロスの奇跡 」<br /><br />スイヤックの修道院扉口は破壊されてしまったが、その断片は教会の内側に保存されている。 このタンパンは大きな浮彫によって充たされていて、その浮彫は聖母の最も有名な奇跡の一つ、テオフィロスの奇跡を物語っている。 助祭テオフィロスは自分が仕える司教の地位を奪うことを決意し、悪魔と談合する。 悪魔は助祭にある文書を示すが、そこには権力や財産と引き換えに助祭がその魂を悪魔に売りわたす約束が記されていた。 取引は成立し、テオフィロスは悪魔の「手下」になった。 そして、家臣がするように、その合わせた両手を新しい主君の前に差し出し、その両手を主君は自分の両手で握っている。 それは正確に表現された封建的臣従礼の場面である。 こうして権力者とはなったが良心の呵責に苛まれるテオフィロスは、祈りながら眠りに落ちる。 聖母は彼の苦悩を哀れみ、天使に伴われて天から降り、彼女が悪魔から取り上げた文書をテオフィロスの手にまさに委ねようとしている。 これこそ、13世紀にはたいへん有名になるあの 聖母の奇跡 を最初に表現した作品 である。 (「ロマネスクの図像学」下P308)

    スイヤック/サント・マリー修道院教会
    Souillac (Lot, Midi-Pyrenees)
    Eglise abbatiale Sainte-Marie
    Hauts-reliefs places au revers de la facade occidentale
    1. Le <<miracle de Theophile>>

    1. 「 テオフィロスの奇跡 」

    スイヤックの修道院扉口は破壊されてしまったが、その断片は教会の内側に保存されている。 このタンパンは大きな浮彫によって充たされていて、その浮彫は聖母の最も有名な奇跡の一つ、テオフィロスの奇跡を物語っている。 助祭テオフィロスは自分が仕える司教の地位を奪うことを決意し、悪魔と談合する。 悪魔は助祭にある文書を示すが、そこには権力や財産と引き換えに助祭がその魂を悪魔に売りわたす約束が記されていた。 取引は成立し、テオフィロスは悪魔の「手下」になった。 そして、家臣がするように、その合わせた両手を新しい主君の前に差し出し、その両手を主君は自分の両手で握っている。 それは正確に表現された封建的臣従礼の場面である。 こうして権力者とはなったが良心の呵責に苛まれるテオフィロスは、祈りながら眠りに落ちる。 聖母は彼の苦悩を哀れみ、天使に伴われて天から降り、彼女が悪魔から取り上げた文書をテオフィロスの手にまさに委ねようとしている。 これこそ、13世紀にはたいへん有名になるあの 聖母の奇跡 を最初に表現した作品 である。 (「ロマネスクの図像学」下P308)

  • スイヤック/サント・マリー修道院教会<br />SOUILLAC (Lot, Midi-Pyrenees) <br />Eglise abbatiale Sainte-Marie<br />Trumeau place au revers de la facade occidentale<br />Vers 1140<br />http://fr.wikipedia.org/wiki/Souillac

    スイヤック/サント・マリー修道院教会
    SOUILLAC (Lot, Midi-Pyrenees)
    Eglise abbatiale Sainte-Marie
    Trumeau place au revers de la facade occidentale
    Vers 1140
    http://fr.wikipedia.org/wiki/Souillac

  • スイヤック/サント・マリー修道院教会<br />SOUILLAC (Lot, Midi-Pyrenees) <br />Eglise abbatiale Sainte-Marie<br />Trumeau place au revers de la facade occidentale<br />Vers 1140<br /><br />西正面 中央柱<br />「 アブラハムの犠牲 」

    スイヤック/サント・マリー修道院教会
    SOUILLAC (Lot, Midi-Pyrenees)
    Eglise abbatiale Sainte-Marie
    Trumeau place au revers de la facade occidentale
    Vers 1140

    西正面 中央柱
    「 アブラハムの犠牲 」

  • スイヤック/サント・マリー修道院教会<br />SOUILLAC (Lot, Midi-Pyrenees) <br />Eglise abbatiale Sainte-Marie<br />Trumeau place au revers de la facade occidentale<br />Vers 1140<br /><br />12世紀南フランス彫刻の最も特異な例の一つであるスイヤックの教会(ロット県)扉口の中央柱であり、そこには折り重なって互いにむさぼり喰い合う鳥や獣たちが彫られている。 略。 兎に襲いかかる犬やチータ、魚にくちばしを立てる水鳥。 こうした数々のオリエント的図柄を、芸術家は独特な一つの全体にまとめ上げているのだ。 略。 スイヤックの中央柱の彫刻家は、リモージュ写本そのものではないにしても、少なくともこれと似た系統の写本を知っていたことは確かだ、ということではないだろうか。 このすぐれた彫刻家は、模倣しつつも、動物たちをより巧みにもつ合わせ、より巧妙にまとめ上げたのである。 (「ロマネスクの図像学」上P40,42)

    スイヤック/サント・マリー修道院教会
    SOUILLAC (Lot, Midi-Pyrenees)
    Eglise abbatiale Sainte-Marie
    Trumeau place au revers de la facade occidentale
    Vers 1140

    12世紀南フランス彫刻の最も特異な例の一つであるスイヤックの教会(ロット県)扉口の中央柱であり、そこには折り重なって互いにむさぼり喰い合う鳥や獣たちが彫られている。 略。 兎に襲いかかる犬やチータ、魚にくちばしを立てる水鳥。 こうした数々のオリエント的図柄を、芸術家は独特な一つの全体にまとめ上げているのだ。 略。 スイヤックの中央柱の彫刻家は、リモージュ写本そのものではないにしても、少なくともこれと似た系統の写本を知っていたことは確かだ、ということではないだろうか。 このすぐれた彫刻家は、模倣しつつも、動物たちをより巧みにもつ合わせ、より巧妙にまとめ上げたのである。 (「ロマネスクの図像学」上P40,42)

  • ボーリュー・シュル・ドルドーニュ<br />/サン・ピエール修道院教会<br />Beaulieu-sur-Dordogne (Correze, Limousin) <br />Eglise abbatiale Saint-Pierre<br />1. Tympan<br /> L&#39;apparition du Christ lors de la seconde parousie<br />2. Trumeau du portail sud<br />Vers 1130-1140<br />http://fr.wikipedia.org/wiki/Abbatiale_de_Beaulieu-sur-Dordogne<br /><br />モニュメンタルな大彫刻が誕生したのが十一世紀の南西フランスにおいてであったことは、まず疑いない。 この地域のクリュニー系の諸修道院がおそらくその揺藍となったのである。 トゥールーズのラ・ドラードにおいて、またモアサックにおいて、われわれはまさしくこの大芸術の誕生の瞬間に立ち会っていると感ずるのであるが、この二つの修道院はまさにクリュニー大修道院の娘修道院なのである。 いずれにせよ、彫刻が広まっていったのが主としてクリュニー系修道院を媒介としてであったことは確実である。 事実、モアサック芸術は、ボーリュー、カレナック、スイヤックにその伝播の跡をとどめているが、これらは三つともクリュニーの娘修道院なのだ。 (「ロマネスクの図像学」上P10)

    ボーリュー・シュル・ドルドーニュ
    /サン・ピエール修道院教会
    Beaulieu-sur-Dordogne (Correze, Limousin)
    Eglise abbatiale Saint-Pierre
    1. Tympan
     L'apparition du Christ lors de la seconde parousie
    2. Trumeau du portail sud
    Vers 1130-1140
    http://fr.wikipedia.org/wiki/Abbatiale_de_Beaulieu-sur-Dordogne

    モニュメンタルな大彫刻が誕生したのが十一世紀の南西フランスにおいてであったことは、まず疑いない。 この地域のクリュニー系の諸修道院がおそらくその揺藍となったのである。 トゥールーズのラ・ドラードにおいて、またモアサックにおいて、われわれはまさしくこの大芸術の誕生の瞬間に立ち会っていると感ずるのであるが、この二つの修道院はまさにクリュニー大修道院の娘修道院なのである。 いずれにせよ、彫刻が広まっていったのが主としてクリュニー系修道院を媒介としてであったことは確実である。 事実、モアサック芸術は、ボーリュー、カレナック、スイヤックにその伝播の跡をとどめているが、これらは三つともクリュニーの娘修道院なのだ。 (「ロマネスクの図像学」上P10)

  • ボーリュー・シュル・ドルドーニュ<br />/サン・ピエール修道院教会<br />Beaulieu-sur-Dordogne (Correze, Limousin) <br />Eglise abbatiale Saint-Pierre<br />1. Tympan<br /> L&#39;apparition du Christ lors de la seconde parousie<br />Vers 1130-1140<br /><br />1. 南扉口 タンパン<br />「 (最後の審判の日に)再臨するキリスト 」<br /><br />南フランスの芸術家たちは、長期にわたって生きつづけることになる 三つ目の型 を創り出した。 彼らはあるタンパンに、それはボーリューのタンパンだが、「最後の審判」の図像を刻んだのである。 彼らはごく自然にその主題へと引き寄せられていった。 モアサックではすでに、玉座に坐る「聖ヨハネの幻視」のキリストが「最後の審判」を思い起こさせ、その右に刻まれた「悪しき金持ちの却罰」がその印象をさらに強めていた。 四つの生き物たちに囲まれたキリストが、十二世紀の芸術家たちによって時に審判者としてのキリストと見なされたことは疑いえないであろう。 その証拠として、アルルのサン・トロフィーム教会の西正面やサンティヤゴ・デ・コンポステーラの「栄光の門」では、「黙示録のキリスト」(第一の型・モアサック) が「天国」と「地獄」の表現を伴っているのである。 「昇天のキリスト」(第二の型・トゥールーズ) はといえば、アングレームとサン・ポール・ド・ヴァラックスでは天上に登ってゆくのではなく、人びとの裁きに天上から降りてくるかのようである。 「最後の審判」(第三の型・ボーリュー) の理念は、したがって、芸術家たちが創り出したすべての偉大な作品の中に含まれていたように思える。<br /><br />われわれがモニュメンタルな芸術の中で「最後の審判」にはじめて出会うのは、ボーリュー(コレーズ県)においてである。 そこではラッパを吹き鳴らし、死者たちが石棺の蓋を持ち上げ、キリストは使徒たちを伴い、「受難」の刑具に囲まれて天上に現われている。 地獄は二つのまぐさ石に刻まれている。 モアサックのものによく似た丸い花形の装飾を背景に、罪人たちをむさぼり食う怪物たちが浮かび上がっている。 非常に獰猛な容貌のグリフォンと体が三つある長いドラゴンの近くには、黙示録の七つの頭を持つ猛獣や、翼のあるライオンや、ダニエルの幻視に現われる熊が認められる。 ベアトゥスの『黙示録注解』の影響がここでも感じられる。 ボーリューの「最後の審判」における表現上の特徴の一つは大きな十字架の出現であり、二人の天使たちに支えられて、キリストの背後の空中にその姿を見せている。 以下略。 (「ロマネスクの図像学」下P265-266)

    ボーリュー・シュル・ドルドーニュ
    /サン・ピエール修道院教会
    Beaulieu-sur-Dordogne (Correze, Limousin)
    Eglise abbatiale Saint-Pierre
    1. Tympan
     L'apparition du Christ lors de la seconde parousie
    Vers 1130-1140

    1. 南扉口 タンパン
    「 (最後の審判の日に)再臨するキリスト 」

    南フランスの芸術家たちは、長期にわたって生きつづけることになる 三つ目の型 を創り出した。 彼らはあるタンパンに、それはボーリューのタンパンだが、「最後の審判」の図像を刻んだのである。 彼らはごく自然にその主題へと引き寄せられていった。 モアサックではすでに、玉座に坐る「聖ヨハネの幻視」のキリストが「最後の審判」を思い起こさせ、その右に刻まれた「悪しき金持ちの却罰」がその印象をさらに強めていた。 四つの生き物たちに囲まれたキリストが、十二世紀の芸術家たちによって時に審判者としてのキリストと見なされたことは疑いえないであろう。 その証拠として、アルルのサン・トロフィーム教会の西正面やサンティヤゴ・デ・コンポステーラの「栄光の門」では、「黙示録のキリスト」(第一の型・モアサック) が「天国」と「地獄」の表現を伴っているのである。 「昇天のキリスト」(第二の型・トゥールーズ) はといえば、アングレームとサン・ポール・ド・ヴァラックスでは天上に登ってゆくのではなく、人びとの裁きに天上から降りてくるかのようである。 「最後の審判」(第三の型・ボーリュー) の理念は、したがって、芸術家たちが創り出したすべての偉大な作品の中に含まれていたように思える。

    われわれがモニュメンタルな芸術の中で「最後の審判」にはじめて出会うのは、ボーリュー(コレーズ県)においてである。 そこではラッパを吹き鳴らし、死者たちが石棺の蓋を持ち上げ、キリストは使徒たちを伴い、「受難」の刑具に囲まれて天上に現われている。 地獄は二つのまぐさ石に刻まれている。 モアサックのものによく似た丸い花形の装飾を背景に、罪人たちをむさぼり食う怪物たちが浮かび上がっている。 非常に獰猛な容貌のグリフォンと体が三つある長いドラゴンの近くには、黙示録の七つの頭を持つ猛獣や、翼のあるライオンや、ダニエルの幻視に現われる熊が認められる。 ベアトゥスの『黙示録注解』の影響がここでも感じられる。 ボーリューの「最後の審判」における表現上の特徴の一つは大きな十字架の出現であり、二人の天使たちに支えられて、キリストの背後の空中にその姿を見せている。 以下略。 (「ロマネスクの図像学」下P265-266)

  • (参考)<br /><br />上: ボーリュー<br />下: サン・ドニ<br /><br />サン・ドニ(パリ近郊)の「最後の審判」図は、一見してコレーズ県ボーリューの教会の「最後の審判」図の模倣のように思える。 キリスト像ただそれだけでも、二つの作品の類縁性を証拠立てるのに十分である。 ボーリューでも、サン・ドニ同様、キリストは人びとの前に大きく両手を広げて姿を現している。 彼は最後の日に十字架の上で取った姿勢をふたたび取っているのである。 この大きな身振りはこれ以外には例がない。 もう数年後になると、キリストは両腕を開き、自分の傷を見せるだけで満足しているのだ。 もう少し細かい点を見てみると、ボーリュー同様、サン・ドニでもキリストの左腕は布で覆われ、右腕はむき出しである。 また天に現われる十字架も二つのタンパンにおいで同じである。 その柱はいずれも先端が扇状に広がり、交差部には円弧が描かれている。 両方のタンパンは同じ構成要素からなっている。 イエス・キリストの傍らに坐る使徒たち、トランペットを吹き鳴らす天使、そして蘇る死者たちまで同じなのである。 ただ、サン・ドニでは構成がいっそう秩序だてられている。 混乱にある厳密さがとって代わる。 芸術家はシンメトリーの効果を発見したのだ。 彼は中央のキリストと十字架を中心として構図を整えている。 こうして、ボーリューではまだ幾分雑然としていた思想が、サン・ドニではさらに明確なものとなっているのである。<br /><br />ボーリューとサン・ドニをつなぐ密接な類縁性はすでに知られていた。 ボーリューの彫刻家がモアサックの扉口を知っていた証拠を多くの中から一つ選ぶとすれば、それは彼がそこの美しい薔薇形装飾を模倣していることであろう。 ボーリューの芸術家はまたモアサックの芸術であったのだ。<br /><br />そういうわけであるから、今や(サン・ドニ大修道院長)シュジェールが南フランスから彫刻家たちを呼び寄せたと断言しても差支えはなかろう。 彼はあの芸術家グループ、ラングドック地方とアキテーヌ地方を歩き回り、トゥールーズからモアサックへ、モアサックからボーリューへ、ボーリューからスイヤックへと渡り歩いたあのグループを呼び寄せたのである。 <br /><br />南フランスの彫刻を施した扉口の制作年代については、いっこうに結論が出ないまま長いこと議論がなされてきたし、今もなおされているが、今後はボーリューの扉口が1140年以前の作だということだけは断言できるだろう。 なぜならその時点でその扉口はすでにサン・ドニで模倣されていたからである。 (「ロマネスクの図像学」上P267-268)

    (参考)

    上: ボーリュー
    下: サン・ドニ

    サン・ドニ(パリ近郊)の「最後の審判」図は、一見してコレーズ県ボーリューの教会の「最後の審判」図の模倣のように思える。 キリスト像ただそれだけでも、二つの作品の類縁性を証拠立てるのに十分である。 ボーリューでも、サン・ドニ同様、キリストは人びとの前に大きく両手を広げて姿を現している。 彼は最後の日に十字架の上で取った姿勢をふたたび取っているのである。 この大きな身振りはこれ以外には例がない。 もう数年後になると、キリストは両腕を開き、自分の傷を見せるだけで満足しているのだ。 もう少し細かい点を見てみると、ボーリュー同様、サン・ドニでもキリストの左腕は布で覆われ、右腕はむき出しである。 また天に現われる十字架も二つのタンパンにおいで同じである。 その柱はいずれも先端が扇状に広がり、交差部には円弧が描かれている。 両方のタンパンは同じ構成要素からなっている。 イエス・キリストの傍らに坐る使徒たち、トランペットを吹き鳴らす天使、そして蘇る死者たちまで同じなのである。 ただ、サン・ドニでは構成がいっそう秩序だてられている。 混乱にある厳密さがとって代わる。 芸術家はシンメトリーの効果を発見したのだ。 彼は中央のキリストと十字架を中心として構図を整えている。 こうして、ボーリューではまだ幾分雑然としていた思想が、サン・ドニではさらに明確なものとなっているのである。

    ボーリューとサン・ドニをつなぐ密接な類縁性はすでに知られていた。 ボーリューの彫刻家がモアサックの扉口を知っていた証拠を多くの中から一つ選ぶとすれば、それは彼がそこの美しい薔薇形装飾を模倣していることであろう。 ボーリューの芸術家はまたモアサックの芸術であったのだ。

    そういうわけであるから、今や(サン・ドニ大修道院長)シュジェールが南フランスから彫刻家たちを呼び寄せたと断言しても差支えはなかろう。 彼はあの芸術家グループ、ラングドック地方とアキテーヌ地方を歩き回り、トゥールーズからモアサックへ、モアサックからボーリューへ、ボーリューからスイヤックへと渡り歩いたあのグループを呼び寄せたのである。 

    南フランスの彫刻を施した扉口の制作年代については、いっこうに結論が出ないまま長いこと議論がなされてきたし、今もなおされているが、今後はボーリューの扉口が1140年以前の作だということだけは断言できるだろう。 なぜならその時点でその扉口はすでにサン・ドニで模倣されていたからである。 (「ロマネスクの図像学」上P267-268)

  • ボーリュー・シュル・ドルドーニュ<br />/サン・ピエール修道院教会<br />Beaulieu-sur-Dordogne (Correze, Limousin) <br />Eglise abbatiale Saint-Pierre<br />2. Trumeau du portail sud<br />Vers 1130-1140<br /><br />2. 南扉口トリュモー

    ボーリュー・シュル・ドルドーニュ
    /サン・ピエール修道院教会
    Beaulieu-sur-Dordogne (Correze, Limousin)
    Eglise abbatiale Saint-Pierre
    2. Trumeau du portail sud
    Vers 1130-1140

    2. 南扉口トリュモー

  • ボーリュー・シュル・ドルドーニュ<br />/サン・ピエール修道院教会<br />Beaulieu-sur-Dordogne (Correze, Limousin) <br />Eglise abbatiale Saint-Pierre<br />2. Trumeau du portail sud<br />Vers 1130-1140<br /><br />2. 南扉口トリュモー

    ボーリュー・シュル・ドルドーニュ
    /サン・ピエール修道院教会
    Beaulieu-sur-Dordogne (Correze, Limousin)
    Eglise abbatiale Saint-Pierre
    2. Trumeau du portail sud
    Vers 1130-1140

    2. 南扉口トリュモー

  • カレナック/サン・ピエール教会<br />Carennac (Lot, Midi-Pyrenees) <br />Eglise Saint-Pierre<br />Portail de la facade occidentale<br />Le Christ en majeste entoure des apotres<br />Vers 1150<br />http://fr.wikipedia.org/wiki/Carennac<br /><br />

    カレナック/サン・ピエール教会
    Carennac (Lot, Midi-Pyrenees)
    Eglise Saint-Pierre
    Portail de la facade occidentale
    Le Christ en majeste entoure des apotres
    Vers 1150
    http://fr.wikipedia.org/wiki/Carennac

  • カレナック/サン・ピエール教会<br />Carennac (Lot, Midi-Pyrenees) <br />Eglise Saint-Pierre<br />Portail de la facade occidentale<br />Le Christ en majeste entoure des apotres<br />Vers 1150<br /><br />西正面 タンパン<br />「 荘厳のキリストと使徒たち 」

    カレナック/サン・ピエール教会
    Carennac (Lot, Midi-Pyrenees)
    Eglise Saint-Pierre
    Portail de la facade occidentale
    Le Christ en majeste entoure des apotres
    Vers 1150

    西正面 タンパン
    「 荘厳のキリストと使徒たち 」

  • (参考)<br /> 上: モアサック 荘厳のキリストと24人の長老たち<br />http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/15514952/<br />中上: カレナック 荘厳のキリストと使徒たち<br />http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/15513955/<br />中下: オーネー 黙示録の長老たち<br />http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/15516384/<br /> 下: シャルトル 荘厳のキリストと使徒たち<br />http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/15516500/<br /><br />モアサックのタンパンの最初の模作はカレナック(ロット県)に見られる。 カレナックの扉口とモアサックの扉口の類似性は一目瞭然である。 その構図は同じで、四つの生き物たちえお伴った大きなキリストがタンパンの中央に陣取っている。 モアサックでのように、キリストを取り巻く人物たちは、半円の空間全体を充たすためにそれぞれ一定の間隔をおいて並んでいる。 モアサック同様、タンパンはただ一枚の石材に刻まれているのではなく、いくつかの組み合わされた断片からなっている。 モアサックの襞付きのリボンまでもがそこには再現されている。 しかし、摸作は原作には遠く及ばない。 壮大な幻視は固い幾何学的な線の中に閉じ込められているし、神秘的な長老たちは使徒たちに置き換えられているのである。 <br /><br />フランスの中部と西部の諸地方にとりわけ広まったのは、モアサックで生まれた「黙示録の長老たち」の主題であった。 ポアトゥー地方とサントンジュ地方の十二世紀の教会にもこの長老たちはしばしば登場する。 これらの地方にはタンパンがない。 それゆえ「荘厳のキリスト」のための場所はない。 しかし、弧帯の一つが「黙示録の長老たち」で飾られていることがある。 サントンジュ地方のオーネー、サントなどがそうである。<br /><br />「黙示録」の主題は北の諸地方に徐々に広まっていったわけではない。 十二世紀前半、その主題はフランス北部のある扉口に突然に現れた。 南フランス芸術の王領へのこの突然の出現は容易に説明できる。 1135年頃、(サン・ドニ大修道院長)シュジェールはコレーズ県ボーリューの扉口を彫刻した南フランスの芸術家たちをサン・ドニ(パリ近郊)に呼びよせた。 そのうちの何人かはカレナックの扉口で、またモアサックの扉口でさえ働いたことがあったにちがいない。 この芸術家たちがサン・ドニの中央扉口で模倣したのはボーリューの「最後の審判」であるが、モアサックの「黙示録の幻視」も忘れられてはいなかった。 それゆえ、彼らは孤帯にヴィオールと杯を手にした「黙示録の長老たち」を表現したのである。<br /><br />1145年頃、サン・ドニでの仕事がいったん終了すると、シュジェールによって集められた芸術家たちはシャルトルへと移動した。 あの驚嘆すべき西正面が生まれたのはその時である。 ( →ル・マン → ブールジュ) 以下略。<br /><br />驚くべきことに、南フランスは、みずからが創り出した「荘厳のキリスト」を逆にシャルトルから取り入れた。 アルルの西正面の彫刻群とシャルトルの西正面の彫刻群が類似していることは、ずっと以前から指摘されてきた。 以下略。<br /><br />以上、モアサックの芸術家たちが創り出した作品がどんなに強い生命力と豊かな未来をもっていたかを見てきたわけだが、この作品は南フランスの芸術家ばかりでなく北フランスの芸術家たちにも影響を与えたのであった。 以下略。 (「ロマネスクの図像学」上P226,229,233)

    (参考)
     上: モアサック 荘厳のキリストと24人の長老たち
    http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/15514952/
    中上: カレナック 荘厳のキリストと使徒たち
    http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/15513955/
    中下: オーネー 黙示録の長老たち
    http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/15516384/
     下: シャルトル 荘厳のキリストと使徒たち
    http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/15516500/

    モアサックのタンパンの最初の模作はカレナック(ロット県)に見られる。 カレナックの扉口とモアサックの扉口の類似性は一目瞭然である。 その構図は同じで、四つの生き物たちえお伴った大きなキリストがタンパンの中央に陣取っている。 モアサックでのように、キリストを取り巻く人物たちは、半円の空間全体を充たすためにそれぞれ一定の間隔をおいて並んでいる。 モアサック同様、タンパンはただ一枚の石材に刻まれているのではなく、いくつかの組み合わされた断片からなっている。 モアサックの襞付きのリボンまでもがそこには再現されている。 しかし、摸作は原作には遠く及ばない。 壮大な幻視は固い幾何学的な線の中に閉じ込められているし、神秘的な長老たちは使徒たちに置き換えられているのである。 

    フランスの中部と西部の諸地方にとりわけ広まったのは、モアサックで生まれた「黙示録の長老たち」の主題であった。 ポアトゥー地方とサントンジュ地方の十二世紀の教会にもこの長老たちはしばしば登場する。 これらの地方にはタンパンがない。 それゆえ「荘厳のキリスト」のための場所はない。 しかし、弧帯の一つが「黙示録の長老たち」で飾られていることがある。 サントンジュ地方のオーネー、サントなどがそうである。

    「黙示録」の主題は北の諸地方に徐々に広まっていったわけではない。 十二世紀前半、その主題はフランス北部のある扉口に突然に現れた。 南フランス芸術の王領へのこの突然の出現は容易に説明できる。 1135年頃、(サン・ドニ大修道院長)シュジェールはコレーズ県ボーリューの扉口を彫刻した南フランスの芸術家たちをサン・ドニ(パリ近郊)に呼びよせた。 そのうちの何人かはカレナックの扉口で、またモアサックの扉口でさえ働いたことがあったにちがいない。 この芸術家たちがサン・ドニの中央扉口で模倣したのはボーリューの「最後の審判」であるが、モアサックの「黙示録の幻視」も忘れられてはいなかった。 それゆえ、彼らは孤帯にヴィオールと杯を手にした「黙示録の長老たち」を表現したのである。

    1145年頃、サン・ドニでの仕事がいったん終了すると、シュジェールによって集められた芸術家たちはシャルトルへと移動した。 あの驚嘆すべき西正面が生まれたのはその時である。 ( →ル・マン → ブールジュ) 以下略。

    驚くべきことに、南フランスは、みずからが創り出した「荘厳のキリスト」を逆にシャルトルから取り入れた。 アルルの西正面の彫刻群とシャルトルの西正面の彫刻群が類似していることは、ずっと以前から指摘されてきた。 以下略。

    以上、モアサックの芸術家たちが創り出した作品がどんなに強い生命力と豊かな未来をもっていたかを見てきたわけだが、この作品は南フランスの芸術家ばかりでなく北フランスの芸術家たちにも影響を与えたのであった。 以下略。 (「ロマネスクの図像学」上P226,229,233)

  • (参考)<br />エミール・マールによる ここまでのまとめ<br /><br />上: 第一の型  モアサックの型<br /> (『黙示録』のキリストを表現)<br />中: 第二の型  トゥールーズの型 <br /> (『昇天するキリスト』を表現)<br />下: 第三の型  ボーリューの型<br /> (人びとを裁くために出現したキリストを表現<br />  『最後の審判』)<br /><br />フランスで誕生した見事なタンパンは、言うまでもなくロマネスク教会の美の一つをなしている。 人びとの視線はまずそこに向かう。 タンパンは信者を瞑想に誘い、日々の低次な想念から引き離し、聖所に入る心の準備を整えさせる。 その扉口を通る前に、信者はすでに別世界の空気を吸っているのである。 聖人たちを従えた「荘厳の聖母」で飾られたある扉口にはこう記されている。 「ここに入る者よ。 視線を高き方に向けよ。」 このように、ロマネスクの彫刻家たちは、この半円形の石の中にいくつもの理念を凝縮させようとしたのであった。<br /><br />タンパン彫刻を創り出した南フランスの芸術家たちは、一つの難問を解決しなければならなかった。 半円の中に人物たちをどう配置すればよいのかという問題である。 そのためには、中央に置かれた大きな彫像が他のすべての彫像を圧倒することが不可欠のように思われる。 それゆえ、タンパンには栄光と勝利の場面を刻み込む必要があった。 つまり、それは荘厳なるものを表現するよう運命づけられていたのである。<br /><br />そのことを南フランスの彫刻家たちはたいへんよく承知していた。 彼らは扉口の三つの型を創り出したが、そのどれもが、この荘厳さという性格を備えている。 ☆ 第一の型は モアサックの型で、『黙示録』のキリストを表現している ( http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/15514952/ )。 ☆☆ 第二は トゥールーズのサン・セルナン教会のもので、昇天するキリストを表現している ( http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/15514039/ )。 ☆☆☆ 第三は ボーリューのもので、人びとを裁くために出現したキリストを表現している ( http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/15514035/ )。 (「ロマネスクの図像学」下P223-224)

    (参考)
    エミール・マールによる ここまでのまとめ

    上: 第一の型  モアサックの型
     (『黙示録』のキリストを表現)
    中: 第二の型  トゥールーズの型 
     (『昇天するキリスト』を表現)
    下: 第三の型  ボーリューの型
     (人びとを裁くために出現したキリストを表現
      『最後の審判』)

    フランスで誕生した見事なタンパンは、言うまでもなくロマネスク教会の美の一つをなしている。 人びとの視線はまずそこに向かう。 タンパンは信者を瞑想に誘い、日々の低次な想念から引き離し、聖所に入る心の準備を整えさせる。 その扉口を通る前に、信者はすでに別世界の空気を吸っているのである。 聖人たちを従えた「荘厳の聖母」で飾られたある扉口にはこう記されている。 「ここに入る者よ。 視線を高き方に向けよ。」 このように、ロマネスクの彫刻家たちは、この半円形の石の中にいくつもの理念を凝縮させようとしたのであった。

    タンパン彫刻を創り出した南フランスの芸術家たちは、一つの難問を解決しなければならなかった。 半円の中に人物たちをどう配置すればよいのかという問題である。 そのためには、中央に置かれた大きな彫像が他のすべての彫像を圧倒することが不可欠のように思われる。 それゆえ、タンパンには栄光と勝利の場面を刻み込む必要があった。 つまり、それは荘厳なるものを表現するよう運命づけられていたのである。

    そのことを南フランスの彫刻家たちはたいへんよく承知していた。 彼らは扉口の三つの型を創り出したが、そのどれもが、この荘厳さという性格を備えている。 ☆ 第一の型は モアサックの型で、『黙示録』のキリストを表現している ( http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/15514952/ )。 ☆☆ 第二は トゥールーズのサン・セルナン教会のもので、昇天するキリストを表現している ( http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/15514039/ )。 ☆☆☆ 第三は ボーリューのもので、人びとを裁くために出現したキリストを表現している ( http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/15514035/ )。 (「ロマネスクの図像学」下P223-224)

  • コンク/サント・フォア教会<br />Conques(Aveyron, Midi-Pyrenees) <br />Eglise abbatiale Sainte-Foy<br />Tympan du portail de la facade occidentale<br />Le Jugement dernier 

    コンク/サント・フォア教会
    Conques(Aveyron, Midi-Pyrenees)
    Eglise abbatiale Sainte-Foy
    Tympan du portail de la facade occidentale
    Le Jugement dernier 

  • コンク/サント・フォア教会<br />Conques(Aveyron, Midi-Pyrenees) <br />Eglise abbatiale Sainte-Foy<br />Tympan du portail de la facade occidentale<br />Le Jugement dernier<br /><br />西正面タンパン<br />「 最後の審判 」 12世紀初頭-1130年頃<br /><br />向かって左側(キリストから見て右側)が天国、向かって右側(キリストから見て左側)が地獄。 キリストの足元では大天使ミカエルと悪魔がにらみあい、魂の軽量を計っている。<br /><br />十字架を抱えるふたりの天使が手にする槍(左)と釘(右)は、イエスの受難を象徴する道具。<br /><br />◆『マタイ伝』には、《最後の審判》について、次のように記されている。<br /><br />「人の子が栄光の中にすべての御使いたちを従えて来るとき、彼はその栄光の座につくであろう。 そして、すべての国民をその前に集めて、羊飼が羊とやぎとを分けるように、彼らをより分け、羊を右に、やぎを左におくであろう。 <br /><br />そのとき、王は ” 右 ” にいる人々に言うであろう、『わたしの父に祝福された人たちよ。 さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国に受けつぎなさい』(中略)<br /><br />それから、 ” 左 ” にいる人々にも言うであろう、『のろわれた者どもよ、わたしを離れて、悪魔とその使たちとのために用意されている永遠の火にはいってしまえ。 あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせず、かわいていたときに飲ませず、旅人であったときに宿を貸さず、裸であったときに着せず、また病気のときや、獄にいたときに、わたしを尋ねてくれなかったからである』」 (『マタイ伝』25章31-43節)<br /><br />このように、聖書の中では、キリストは右側にいる人々を祝福し、左側にいる人々を地獄に送ろうとしているのである。 (「黒い聖母と悪魔の謎/馬杉宗夫著」より)<br /><br />◆ヨーロッパ言語においては、左は悪い方向を意味している。 ラテン語では左はsinistraであるが、その形容詞にあたるsinisterは「左の」という意味と同時に「不吉な、悪い」という意味になる。 ラテン語系のイタリア語でも、形容詞sinistroは「左の、左側の」の意味と同時に、「不吉な、悪い、忌わしい」などの意味になり、スペイン語でもsiniestro,traは「左の」と同時に「邪悪な、不幸な、不吉な」という意味になる。 これがフランス語になるとsinistreは、本来の「左の」という意味が失われ、「不吉な」という意味だけが残っている。 英語でもleft-handedは「左利きの」という意味と同時に「不信実な、腹黒い」と悪い意味になっているのである。<br /><br />その反対に、英語で「右、右手」にあたるrightは、「正しさ、正義、権利」などと良い意味になる。 フランス語でも「右」にあたるdroitは、同じ綴りで「正しい、権利、法律」などの意味を持っている。 ヨーロッパ言語では、古来、言語的には「左は悪い方向」であり、「右は良い方向」だったのである。 (「黒い聖母と悪魔の謎/馬杉宗夫著」より)

    コンク/サント・フォア教会
    Conques(Aveyron, Midi-Pyrenees)
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    西正面タンパン
    「 最後の審判 」 12世紀初頭-1130年頃

    向かって左側(キリストから見て右側)が天国、向かって右側(キリストから見て左側)が地獄。 キリストの足元では大天使ミカエルと悪魔がにらみあい、魂の軽量を計っている。

    十字架を抱えるふたりの天使が手にする槍(左)と釘(右)は、イエスの受難を象徴する道具。

    ◆『マタイ伝』には、《最後の審判》について、次のように記されている。

    「人の子が栄光の中にすべての御使いたちを従えて来るとき、彼はその栄光の座につくであろう。 そして、すべての国民をその前に集めて、羊飼が羊とやぎとを分けるように、彼らをより分け、羊を右に、やぎを左におくであろう。 

    そのとき、王は ” 右 ” にいる人々に言うであろう、『わたしの父に祝福された人たちよ。 さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国に受けつぎなさい』(中略)

    それから、 ” 左 ” にいる人々にも言うであろう、『のろわれた者どもよ、わたしを離れて、悪魔とその使たちとのために用意されている永遠の火にはいってしまえ。 あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせず、かわいていたときに飲ませず、旅人であったときに宿を貸さず、裸であったときに着せず、また病気のときや、獄にいたときに、わたしを尋ねてくれなかったからである』」 (『マタイ伝』25章31-43節)

    このように、聖書の中では、キリストは右側にいる人々を祝福し、左側にいる人々を地獄に送ろうとしているのである。 (「黒い聖母と悪魔の謎/馬杉宗夫著」より)

    ◆ヨーロッパ言語においては、左は悪い方向を意味している。 ラテン語では左はsinistraであるが、その形容詞にあたるsinisterは「左の」という意味と同時に「不吉な、悪い」という意味になる。 ラテン語系のイタリア語でも、形容詞sinistroは「左の、左側の」の意味と同時に、「不吉な、悪い、忌わしい」などの意味になり、スペイン語でもsiniestro,traは「左の」と同時に「邪悪な、不幸な、不吉な」という意味になる。 これがフランス語になるとsinistreは、本来の「左の」という意味が失われ、「不吉な」という意味だけが残っている。 英語でもleft-handedは「左利きの」という意味と同時に「不信実な、腹黒い」と悪い意味になっているのである。

    その反対に、英語で「右、右手」にあたるrightは、「正しさ、正義、権利」などと良い意味になる。 フランス語でも「右」にあたるdroitは、同じ綴りで「正しい、権利、法律」などの意味を持っている。 ヨーロッパ言語では、古来、言語的には「左は悪い方向」であり、「右は良い方向」だったのである。 (「黒い聖母と悪魔の謎/馬杉宗夫著」より)

  • コンク/サント・フォア教会<br />Conques(Aveyron, Midi-Pyrenees) <br />Eglise abbatiale Sainte-Foy<br />Tympan du portail de la facade occidentale<br />Le Jugement dernier<br /><br />「 最後の審判 」 地獄の部分<br /><br />地獄の堕天使ルシフェル。<br />男女の淫欲。<br />財布を下げた首吊り男。<br /><br />肋骨を横縞状に彫り出すのがコンクの石工の作風。

    コンク/サント・フォア教会
    Conques(Aveyron, Midi-Pyrenees)
    Eglise abbatiale Sainte-Foy
    Tympan du portail de la facade occidentale
    Le Jugement dernier

    「 最後の審判 」 地獄の部分

    地獄の堕天使ルシフェル。
    男女の淫欲。
    財布を下げた首吊り男。

    肋骨を横縞状に彫り出すのがコンクの石工の作風。

  • コンク/サント・フォア教会<br />Conques(Aveyron, Midi-Pyrenees) <br />Eglise abbatiale Sainte-Foy<br />Tympan du portail de la facade occidentale<br />Le Jugement dernier<br /><br />「 最後の審判 」<br /><br />天国にいるサント・フォアの姿。 神の手の前で眠る彼女の後ろ、柱間の梁にぶらさがっているのは囚人の足枷で、聖女のの奇跡によって冤罪が晴れ、牢獄から解放された人々が感謝の印に捧げたもの。

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    Le Jugement dernier

    「 最後の審判 」

    天国にいるサント・フォアの姿。 神の手の前で眠る彼女の後ろ、柱間の梁にぶらさがっているのは囚人の足枷で、聖女のの奇跡によって冤罪が晴れ、牢獄から解放された人々が感謝の印に捧げたもの。

  • コンク/サント・フォア教会<br />Conques (Aveyron, Midi-Pyrenees) <br />Eglise abbatiale Sainte-Foy<br />Hauts-reliefs du bras nord du transept<br />1. Isaie<br />2. L&#39;annonciation<br />3. Sait Jean-Baptiste<br />Vers 1125-1135<br />http://fr.wikipedia.org/wiki/Abbatiale_Sainte-Foy_de_Conques<br /><br />北トランセプトのレリーフ 1125-35年頃<br />1. イザヤ<br />2. 受胎告知<br />3. 洗礼者ヨハネ

    コンク/サント・フォア教会
    Conques (Aveyron, Midi-Pyrenees)
    Eglise abbatiale Sainte-Foy
    Hauts-reliefs du bras nord du transept
    1. Isaie
    2. L'annonciation
    3. Sait Jean-Baptiste
    Vers 1125-1135
    http://fr.wikipedia.org/wiki/Abbatiale_Sainte-Foy_de_Conques

    北トランセプトのレリーフ 1125-35年頃
    1. イザヤ
    2. 受胎告知
    3. 洗礼者ヨハネ

  • コンク/サント・フォア教会<br />Conques (Aveyron, Midi-Pyrenees) <br />Eglise abbatiale Sainte-Foy<br />Hauts-reliefs du bras nord du transept<br />2. L&#39;annonciation<br />Vers 1125-1135<br /><br />北トランセプトのレリーフ 1125-35年頃<br />2. 受胎告知

    コンク/サント・フォア教会
    Conques (Aveyron, Midi-Pyrenees)
    Eglise abbatiale Sainte-Foy
    Hauts-reliefs du bras nord du transept
    2. L'annonciation
    Vers 1125-1135

    北トランセプトのレリーフ 1125-35年頃
    2. 受胎告知

  • コンク/サント・フォア教会<br />Conques (Aveyron, Midi-Pyrenees) <br />Eglise abbatiale Sainte-Foy<br />Hauts-reliefs du bras nord du transept<br />2. L&#39;annonciation<br />Vers 1125-1135<br /><br />北トランセプトのレリーフ 1125-35年頃<br />2. 受胎告知

    コンク/サント・フォア教会
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    Hauts-reliefs du bras nord du transept
    2. L'annonciation
    Vers 1125-1135

    北トランセプトのレリーフ 1125-35年頃
    2. 受胎告知

  • コンク/サント・フォア教会<br />Conques (Aveyron, Midi-Pyrenees) <br />Eglise abbatiale Sainte-Foy<br />Hauts-reliefs du bras nord du transept<br />2. L&#39;annonciation<br />Vers 1125-1135<br /><br />北トランセプトのレリーフ 1125-35年頃<br />2. 受胎告知

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    2. L'annonciation
    Vers 1125-1135

    北トランセプトのレリーフ 1125-35年頃
    2. 受胎告知

  • コンク/サント・フォア教会<br />Conques (Aveyron, Midi-Pyrenees) <br />Eglise abbatiale Sainte-Foy<br />Hauts-reliefs du bras nord du transept<br />1. Isaie<br />Vers 1125-1135<br /><br />北トランセプトのレリーフ<br />1. 「 預言者イザヤ 」<br /><br />イザヤIsaiahは、四大預言者の1人(他の3人はエレミヤ、エゼキエル、ダニエル)。(旧約聖書)イザヤのキリスト教美術における位置は、主として次の2つの有名な預言に由来している。<br /><br />1つは「Ecce virgo concipiet et pariet filium(乙女が身籠って男の子を産む)イザヤ書7:14」で、これは彼の巻物の銘文として表されることがあり、また【美術においてイザヤが受胎告知の主題と結び付けられる】根拠とされる。<br /><br />もう1つの預言「エッサイの株から1つの芽が出11:1」は、イザヤ自身もその中に含まれる「エッサイの木」の像の起源となっており、イザヤは持物である木の枝を持った姿で表されることもある。<br /><br />彼の通常の持物は 書物 または 巻物 である。

    コンク/サント・フォア教会
    Conques (Aveyron, Midi-Pyrenees)
    Eglise abbatiale Sainte-Foy
    Hauts-reliefs du bras nord du transept
    1. Isaie
    Vers 1125-1135

    北トランセプトのレリーフ
    1. 「 預言者イザヤ 」

    イザヤIsaiahは、四大預言者の1人(他の3人はエレミヤ、エゼキエル、ダニエル)。(旧約聖書)イザヤのキリスト教美術における位置は、主として次の2つの有名な預言に由来している。

    1つは「Ecce virgo concipiet et pariet filium(乙女が身籠って男の子を産む)イザヤ書7:14」で、これは彼の巻物の銘文として表されることがあり、また【美術においてイザヤが受胎告知の主題と結び付けられる】根拠とされる。

    もう1つの預言「エッサイの株から1つの芽が出11:1」は、イザヤ自身もその中に含まれる「エッサイの木」の像の起源となっており、イザヤは持物である木の枝を持った姿で表されることもある。

    彼の通常の持物は 書物 または 巻物 である。

  • コンク/サント・フォア教会<br />Conques (Aveyron, Midi-Pyrenees) <br />Eglise abbatiale Sainte-Foy<br />Hauts-reliefs du bras nord du transept<br />3. Sait Jean-Baptiste<br />Vers 1125-1135<br /><br />北トランセプトのレリーフ<br />3. 「 洗礼者ヨハネ 」<br /><br />洗礼者ヨハネ。 多くの場合、やせ衰えて髪は乱れ、動物の毛衣をまとい、腰に革帯を締めている。 子羊と、それに付帯する ” Ecce Agnus Dei ” の銘文は、「ヨハネ福音書」(新約聖書)にある「ヨハネは イエスが歩いておられるのに 目をとめて言った、『見よ、神の子羊』1:36」の一節に由来する。(向かって右に ” Ecce Agnus Dei ”が見える。)

    コンク/サント・フォア教会
    Conques (Aveyron, Midi-Pyrenees)
    Eglise abbatiale Sainte-Foy
    Hauts-reliefs du bras nord du transept
    3. Sait Jean-Baptiste
    Vers 1125-1135

    北トランセプトのレリーフ
    3. 「 洗礼者ヨハネ 」

    洗礼者ヨハネ。 多くの場合、やせ衰えて髪は乱れ、動物の毛衣をまとい、腰に革帯を締めている。 子羊と、それに付帯する ” Ecce Agnus Dei ” の銘文は、「ヨハネ福音書」(新約聖書)にある「ヨハネは イエスが歩いておられるのに 目をとめて言った、『見よ、神の子羊』1:36」の一節に由来する。(向かって右に ” Ecce Agnus Dei ”が見える。)

  • ■5 ROMAN BOURGOGNE<br />  (ブルゴーニュ地方ロマネスク)<br /><br />オータン/サン・ラザール大聖堂<br />Autun(Saone-et-Loire, Bourgogne) <br />Cathedrale Saint-Lazare<br />Tympan du poetail de la facade &lt;&lt;occidentale&gt;&gt;<br />Le Jugement dernier<br />Vers 1125-1135<br />http://fr.wikipedia.org/wiki/Cath%C3%A9drale_Saint-Lazare_d%27Autun<br /><br />サン・ラザール大聖堂は、ローマ時代の城壁に囲まれたオータンの街の南側にある。 建物自体は12世紀前半の建立だが、15世紀に尖塔ほか外観の大部分をゴシック様式に改修した。<br /><br />西正面入口の壁を飾るロマネスク期のタンパンと柱頭彫刻が有名。 後に載せているヴェズレーとともにブルゴーニュ産タンパンの二大傑作。

    ■5 ROMAN BOURGOGNE
      (ブルゴーニュ地方ロマネスク)

    オータン/サン・ラザール大聖堂
    Autun(Saone-et-Loire, Bourgogne)
    Cathedrale Saint-Lazare
    Tympan du poetail de la facade <<occidentale>>
    Le Jugement dernier
    Vers 1125-1135
    http://fr.wikipedia.org/wiki/Cath%C3%A9drale_Saint-Lazare_d%27Autun

    サン・ラザール大聖堂は、ローマ時代の城壁に囲まれたオータンの街の南側にある。 建物自体は12世紀前半の建立だが、15世紀に尖塔ほか外観の大部分をゴシック様式に改修した。

    西正面入口の壁を飾るロマネスク期のタンパンと柱頭彫刻が有名。 後に載せているヴェズレーとともにブルゴーニュ産タンパンの二大傑作。

  • オータン/サン・ラザール大聖堂<br />Autun(Saone-et-Loire, Bourgogne) <br />Cathedrale Saint-Lazare<br />Tympan du poetail de la facade &lt;&lt;occidentale&gt;&gt;<br />Le Jugement dernier<br />Vers 1125-1135<br /><br />西正面 タンパン<br />「 最後の審判 」 1125-1135年頃<br /><br />オータンのタンパンは12世紀のものにしては珍しく作者名が判明している。 キリストの足元に「GISLEBERTUS HOCFECIT(ジルベールこれを作る)」と刻まれていて、「イヴの誘惑」のレリーフも彼による作品と云われている。<br /><br />中央に巨大なラグビー・ボールのような形をした光背(全身を包む光)に囲まれたキリスト。 キリストの向かって右には天秤があり、死者の魂を天使と悪魔が奪い合う。 キリストの左では、聖母マリアが人類を代表してキリストに慈悲を乞い、彼女の下では、使徒たちが陪審員として審判に臨む。 使徒の左端には、天国の鍵を託された聖ペテロがいて、一人の魂を天国へと導いている。 天国はアーチ形の窓が開いた宮殿のように描かれ、そこからすでに天国へ入った人たちの顔がのぞく。 (フランス ロマネスクを巡る旅/新潮社)

    オータン/サン・ラザール大聖堂
    Autun(Saone-et-Loire, Bourgogne)
    Cathedrale Saint-Lazare
    Tympan du poetail de la facade <<occidentale>>
    Le Jugement dernier
    Vers 1125-1135

    西正面 タンパン
    「 最後の審判 」 1125-1135年頃

    オータンのタンパンは12世紀のものにしては珍しく作者名が判明している。 キリストの足元に「GISLEBERTUS HOCFECIT(ジルベールこれを作る)」と刻まれていて、「イヴの誘惑」のレリーフも彼による作品と云われている。

    中央に巨大なラグビー・ボールのような形をした光背(全身を包む光)に囲まれたキリスト。 キリストの向かって右には天秤があり、死者の魂を天使と悪魔が奪い合う。 キリストの左では、聖母マリアが人類を代表してキリストに慈悲を乞い、彼女の下では、使徒たちが陪審員として審判に臨む。 使徒の左端には、天国の鍵を託された聖ペテロがいて、一人の魂を天国へと導いている。 天国はアーチ形の窓が開いた宮殿のように描かれ、そこからすでに天国へ入った人たちの顔がのぞく。 (フランス ロマネスクを巡る旅/新潮社)

  • オータン/サン・ラザール大聖堂<br />Autun(Saone-et-Loire, Bourgogne) <br />Cathedrale Saint-Lazare<br />Tympan du poetail de la facade &lt;&lt;occidentale&gt;&gt;<br />Le Jugement dernier<br />Vers 1125-1135<br /><br />西正面 タンパン<br />「 最後の審判 」

    オータン/サン・ラザール大聖堂
    Autun(Saone-et-Loire, Bourgogne)
    Cathedrale Saint-Lazare
    Tympan du poetail de la facade <<occidentale>>
    Le Jugement dernier
    Vers 1125-1135

    西正面 タンパン
    「 最後の審判 」

  • オータン/サン・ラザール大聖堂<br />Autun(Saone-et-Loire, Bourgogne) Vers 1125-1135<br />Cathedrale Saint-Lazare<br />Tympan du poetail de la facade &lt;&lt;occidentale&gt;&gt;<br />Le Jugement dernier<br /><br />西正面 タンパン<br />「 最後の審判 」

    オータン/サン・ラザール大聖堂
    Autun(Saone-et-Loire, Bourgogne) Vers 1125-1135
    Cathedrale Saint-Lazare
    Tympan du poetail de la facade <<occidentale>>
    Le Jugement dernier

    西正面 タンパン
    「 最後の審判 」

  • オータン/サン・ラザール大聖堂<br />Autun(Saone-et-Loire, Bourgogne) <br />Cathedrale Saint-Lazare<br /><br />「 イヴ(エヴァ)の誘惑 」 1120-1135年<br /><br />これは12世紀に作られ、オータンのサン・ラザール大聖堂の北扉口を飾っていたもの。 現在はロラン美術館(オータン)にある。<br /><br />禁断の実を食べてしまい罪を知ったイヴ、アダムを禁断の世界へ導いてしまうイヴ。 記録によればアダムと顔を寄せ合っていたという。

    オータン/サン・ラザール大聖堂
    Autun(Saone-et-Loire, Bourgogne)
    Cathedrale Saint-Lazare

    「 イヴ(エヴァ)の誘惑 」 1120-1135年

    これは12世紀に作られ、オータンのサン・ラザール大聖堂の北扉口を飾っていたもの。 現在はロラン美術館(オータン)にある。

    禁断の実を食べてしまい罪を知ったイヴ、アダムを禁断の世界へ導いてしまうイヴ。 記録によればアダムと顔を寄せ合っていたという。

  • オータン/サン・ラザール大聖堂<br /><br />柱頭彫刻<br />「 エジプト逃避 」

    オータン/サン・ラザール大聖堂

    柱頭彫刻
    「 エジプト逃避 」

  • オータン/サン・ラザール大聖堂<br />Autun(Saone-et-Loire, Bourgogne) <br />Cathedrale Saint-Lazare<br />Chapiteaux de la nef<br />1. Le corps de saint Vinvent protege par deux oiseux<br />2. Daniel dans la fosse aux lions<br />3. La lapidation de saint Etienne<br />4. L&#39;apparition a Marie Madeleine<br />5. La seconde Tentation du Christ<br />Premiere moitie du XII siecle

    オータン/サン・ラザール大聖堂
    Autun(Saone-et-Loire, Bourgogne)
    Cathedrale Saint-Lazare
    Chapiteaux de la nef
    1. Le corps de saint Vinvent protege par deux oiseux
    2. Daniel dans la fosse aux lions
    3. La lapidation de saint Etienne
    4. L'apparition a Marie Madeleine
    5. La seconde Tentation du Christ
    Premiere moitie du XII siecle

  • オータン/サン・ラザール大聖堂<br />Autun(Saone-et-Loire, Bourgogne) <br />Cathedrale Saint-Lazare<br />Chapiteaux de la nef<br />1. Le corps de saint Vinvent protege par deux oiseux<br />2. Daniel dans la fosse aux lions<br />3. La lapidation de saint Etienne<br />4. L&#39;apparition a Marie Madeleine<br />5. La seconde Tentation du Christ<br />Premiere moitie du XII siecle<br /><br />身廊 柱頭彫刻 12世紀初頭<br />http://bit.ly/19N0knF<br /><br />1. 大鴉に守られる聖ヴァンサン《聖ウィンケンティウス》(右上)<br />2. 獅子の穴のダニエル(真ん中)<br />http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/27123409/<br />3. 聖エチエンヌ《聖ステパノ》の石打ち(左上)<br />4. マグダラのマリアの前に現われたキリスト(左下)<br />5. キリストの誘惑(右下)<br /><br />1. 葡萄栽培家・葡萄酒造りの守護聖人。 大鴉はこの聖者が野獣の餌食として投げ出された時に彼の命を守った鳥を示す。<br /><br />3. 仏語では聖エチエンヌ(サンテティエンヌ)、独語でシュテファン、英語では聖スティーブン、西語で聖エステバンは、聖ステパノ(ステファノ)(?〜35年) のこと。 使徒たちが選んだ7人の助祭のうち、最初に名前があげられているギリシャ語を話すユダヤ人。 非常に有能な助祭として人々の信望を集め、また際立った弁舌の才を持つ熱心な説教者でもあったが、そのためユダヤ教徒の怒りと敵意を買い、《キリスト教最初の殉教者》 となった。 ステファノの処刑に賛同した人々の中にサウロ、後の聖パウロがいた。 石打ちの刑で頭を狙われて殉教したため、頭痛の際に祈願する守護聖人となっている。 石にちなんで石工と建築労働者、最初の助祭だったことから助祭の守護聖人。

    オータン/サン・ラザール大聖堂
    Autun(Saone-et-Loire, Bourgogne)
    Cathedrale Saint-Lazare
    Chapiteaux de la nef
    1. Le corps de saint Vinvent protege par deux oiseux
    2. Daniel dans la fosse aux lions
    3. La lapidation de saint Etienne
    4. L'apparition a Marie Madeleine
    5. La seconde Tentation du Christ
    Premiere moitie du XII siecle

    身廊 柱頭彫刻 12世紀初頭
    http://bit.ly/19N0knF

    1. 大鴉に守られる聖ヴァンサン《聖ウィンケンティウス》(右上)
    2. 獅子の穴のダニエル(真ん中)
    http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/27123409/
    3. 聖エチエンヌ《聖ステパノ》の石打ち(左上)
    4. マグダラのマリアの前に現われたキリスト(左下)
    5. キリストの誘惑(右下)

    1. 葡萄栽培家・葡萄酒造りの守護聖人。 大鴉はこの聖者が野獣の餌食として投げ出された時に彼の命を守った鳥を示す。

    3. 仏語では聖エチエンヌ(サンテティエンヌ)、独語でシュテファン、英語では聖スティーブン、西語で聖エステバンは、聖ステパノ(ステファノ)(?〜35年) のこと。 使徒たちが選んだ7人の助祭のうち、最初に名前があげられているギリシャ語を話すユダヤ人。 非常に有能な助祭として人々の信望を集め、また際立った弁舌の才を持つ熱心な説教者でもあったが、そのためユダヤ教徒の怒りと敵意を買い、《キリスト教最初の殉教者》 となった。 ステファノの処刑に賛同した人々の中にサウロ、後の聖パウロがいた。 石打ちの刑で頭を狙われて殉教したため、頭痛の際に祈願する守護聖人となっている。 石にちなんで石工と建築労働者、最初の助祭だったことから助祭の守護聖人。

  • ヴェズレー/サント・マドレーヌ・バジリカ聖堂<br />Vezelay(Yonne, Bourgogne) <br />Eglise de la Madeleine <br />Portail central du narthex<br />de la facade occidentale<br />Vers 1125-1130<br />http://fr.wikipedia.org/wiki/Basilique_Sainte-Marie-Madeleine_de_V%C3%A9zelay<br /><br />キリスト昇天の10日後におきた「聖霊降臨」の場面。 この日、エルサレムにつどった弟子たちの上に「炎のような舌」があらわれ、ひとりひとりの上にとどまった。 一同は聖霊にみたされたように感じ、さまざまな国の言葉でキリストの福音を語り始めた。 ここに描かれているのは、イエスの教えを伝道するキリスト教会が誕生した、まさにその瞬間。<br /><br />ロマネスク時代は聖遺物崇拝が盛んで、大きな聖堂が建ったのはそれが《聖遺物をおさめる箱》でもあった。 サント・マリーマドレーヌ、その名の通りマグダラのマリアの遺骸を安置する聖地として12世紀に栄華を極めた。 参拝客によって潤沢な資金が集められ、その資金によって、ロマネスク彫刻の白眉とされるタンパンや数々の柱頭彫刻で聖堂を飾ることができた。

    ヴェズレー/サント・マドレーヌ・バジリカ聖堂
    Vezelay(Yonne, Bourgogne)
    Eglise de la Madeleine
    Portail central du narthex
    de la facade occidentale
    Vers 1125-1130
    http://fr.wikipedia.org/wiki/Basilique_Sainte-Marie-Madeleine_de_V%C3%A9zelay

    キリスト昇天の10日後におきた「聖霊降臨」の場面。 この日、エルサレムにつどった弟子たちの上に「炎のような舌」があらわれ、ひとりひとりの上にとどまった。 一同は聖霊にみたされたように感じ、さまざまな国の言葉でキリストの福音を語り始めた。 ここに描かれているのは、イエスの教えを伝道するキリスト教会が誕生した、まさにその瞬間。

    ロマネスク時代は聖遺物崇拝が盛んで、大きな聖堂が建ったのはそれが《聖遺物をおさめる箱》でもあった。 サント・マリーマドレーヌ、その名の通りマグダラのマリアの遺骸を安置する聖地として12世紀に栄華を極めた。 参拝客によって潤沢な資金が集められ、その資金によって、ロマネスク彫刻の白眉とされるタンパンや数々の柱頭彫刻で聖堂を飾ることができた。

  • ヴェズレー/サント・マドレーヌ・バジリカ聖堂<br />Vezelay(Yonne, Bourgogne) <br />Eglise de la Madeleine <br />Portail central du narthex<br />de la facade occidentale<br />Vers 1125-1130<br /><br />西正面のタンパン<br />「 聖霊降臨 」 1125-30年頃<br />http://4travel.jp/traveler/mojo/album/10722520/<br /><br />ヴェズレーの繁栄は11世紀半ばに始まるマグダラのマリアの聖遺物崇拝によってもたらされたが、ブルゴーニュ彫刻の白眉であり、ロマネスク彫刻の頂点を画する身廊部の西扉口の彫刻は、その繁栄の絶頂期に起こった1120年の火災の後のものである。 この3連扉口形式は、後のゴシック大聖堂の扉口の先駆をなし、総合的図像プログラムに基づいている。<br /><br />巨大なキリストは、可視的存在でなく霊的存在であることを感じさせ、その広げられた手の指先から光線のように霊気が動揺する使徒たちの頭上に降り注いでいる。 聖堂形の玉座に座するキリストは上半身の正面性に対し下半身をプロフィールで捉える異例の像である。 略。 テュンパヌムを囲むアーチには、 黄道十二宮 と 月暦 その他 からなる 29個 のメダイヨンが並び、中央のキリストが全宇宙の時間と空間を統治するパントクラトール Le Christ pantocrator であることを示唆している。 そして、すべては最も外側の、生命の表象たる植物文のアーチで括られる。 ( 世界美術大全集 8 ロマネスク 小学館 )

    ヴェズレー/サント・マドレーヌ・バジリカ聖堂
    Vezelay(Yonne, Bourgogne)
    Eglise de la Madeleine
    Portail central du narthex
    de la facade occidentale
    Vers 1125-1130

    西正面のタンパン
    「 聖霊降臨 」 1125-30年頃
    http://4travel.jp/traveler/mojo/album/10722520/

    ヴェズレーの繁栄は11世紀半ばに始まるマグダラのマリアの聖遺物崇拝によってもたらされたが、ブルゴーニュ彫刻の白眉であり、ロマネスク彫刻の頂点を画する身廊部の西扉口の彫刻は、その繁栄の絶頂期に起こった1120年の火災の後のものである。 この3連扉口形式は、後のゴシック大聖堂の扉口の先駆をなし、総合的図像プログラムに基づいている。

    巨大なキリストは、可視的存在でなく霊的存在であることを感じさせ、その広げられた手の指先から光線のように霊気が動揺する使徒たちの頭上に降り注いでいる。 聖堂形の玉座に座するキリストは上半身の正面性に対し下半身をプロフィールで捉える異例の像である。 略。 テュンパヌムを囲むアーチには、 黄道十二宮 と 月暦 その他 からなる 29個 のメダイヨンが並び、中央のキリストが全宇宙の時間と空間を統治するパントクラトール Le Christ pantocrator であることを示唆している。 そして、すべては最も外側の、生命の表象たる植物文のアーチで括られる。 ( 世界美術大全集 8 ロマネスク 小学館 )

  • ベルゼ・ラ・ヴィル<br />Berze-la-Ville(Saone-et-Loire, Bourgogne) <br />Chapelle de l&#39;ancien prieure<br />dite &lt;&lt;Chapelle des Moines&gt;&gt;<br />Abside  Fin du XI siecle<br />Traditie legis, martyre de saint Blaise, martyre de saint Laurent, saints et saintes (Debut du XII siecle)<br />http://fr.wikipedia.org/wiki/Chapelle_des_moines_de_Berz%C3%A9-la-Ville

    ベルゼ・ラ・ヴィル
    Berze-la-Ville(Saone-et-Loire, Bourgogne)
    Chapelle de l'ancien prieure
    dite <<Chapelle des Moines>>
    Abside  Fin du XI siecle
    Traditie legis, martyre de saint Blaise, martyre de saint Laurent, saints et saintes (Debut du XII siecle)
    http://fr.wikipedia.org/wiki/Chapelle_des_moines_de_Berz%C3%A9-la-Ville

  • ベルゼ・ラ・ヴィル礼拝堂<br />Berze-la-Ville(Saone-et-Loire, Bourgogne) <br />Chapelle de l&#39;ancien prieure<br />dite &lt;&lt;Chapelle des Moines&gt;&gt;<br />Abside  Fin du XI siecle<br />Traditie legis, martyre de saint Blaise, martyre de saint Laurent, saints et saintes (Debut du XII siecle)<br /><br />アプシス壁画  12世紀初頭<br /><br />クリュニー大修道院から12キロばかりの静かな自然のなかに建てられたこの修道士の住館は、最盛期のクリュニー大修道院院長ユーグの愛した休息の場であったという。 その単廊色礼拝堂クリュプタには、フランス・ロマネスク壁画には稀な青地に光沢のある絵肌でビザンティン風画法の見事な壁画が残っており、当時のキリスト教世界最大を誇ったクリュニー修道院の壁画を偲ぶ手がかりとなっている。 オークル赤と黄、朱赤、紺碧、煙黒、鉛白、茶、さらに白の上に赤を重ねてバラ色の肌を、赤に青を重ねて紫の衣を表現するなどして複雑で華やかな色調を駆使し、肉付けや構図によって空間を暗示し、ハイライトを加えて洗練された視覚的な効果をあげるなど画期的な作品である。<br /><br />祭室ヴォールトには、ビザンティンの図像伝統に属する「律法の授与」が描かれている。 アーチ頂点から神の手が現れ、青地に星を散らしたマンドルラの中に白い衣に紫紅色のマントをつけた巨大な「栄光のキリスト」が座し、両脇には、ペテロとパウロを線等に使徒たちのグループがいる。 キリストは左手でペテロに律法を与え、右手でパウロを祝福している。 キリストの足元の空間には、ひときわ小さく殉教聖人たちが配されている。 人物の顔にはそれぞれ異なる個性がみられるが、衣の細かい流動的な襞は、抽象的な梨形や三角形を形成しつつヴォリュームを暗示している。<br /><br />画法やデッサン、肉付け、色彩、図像、衣装にビザンティン、イタリア、オットー朝などの多様な源泉が関与しているが、それらを巧みに総合して独自の完成度の高い創造的作品に結晶化させた巨匠の存在が感じられる。 聖ユーグの下でのクリュニーの国際的芸術交流を彷彿させる最盛期の作品であろう。 (世界美術大全集 8 ロマネスク 小学館)

    ベルゼ・ラ・ヴィル礼拝堂
    Berze-la-Ville(Saone-et-Loire, Bourgogne)
    Chapelle de l'ancien prieure
    dite <<Chapelle des Moines>>
    Abside  Fin du XI siecle
    Traditie legis, martyre de saint Blaise, martyre de saint Laurent, saints et saintes (Debut du XII siecle)

    アプシス壁画  12世紀初頭

    クリュニー大修道院から12キロばかりの静かな自然のなかに建てられたこの修道士の住館は、最盛期のクリュニー大修道院院長ユーグの愛した休息の場であったという。 その単廊色礼拝堂クリュプタには、フランス・ロマネスク壁画には稀な青地に光沢のある絵肌でビザンティン風画法の見事な壁画が残っており、当時のキリスト教世界最大を誇ったクリュニー修道院の壁画を偲ぶ手がかりとなっている。 オークル赤と黄、朱赤、紺碧、煙黒、鉛白、茶、さらに白の上に赤を重ねてバラ色の肌を、赤に青を重ねて紫の衣を表現するなどして複雑で華やかな色調を駆使し、肉付けや構図によって空間を暗示し、ハイライトを加えて洗練された視覚的な効果をあげるなど画期的な作品である。

    祭室ヴォールトには、ビザンティンの図像伝統に属する「律法の授与」が描かれている。 アーチ頂点から神の手が現れ、青地に星を散らしたマンドルラの中に白い衣に紫紅色のマントをつけた巨大な「栄光のキリスト」が座し、両脇には、ペテロとパウロを線等に使徒たちのグループがいる。 キリストは左手でペテロに律法を与え、右手でパウロを祝福している。 キリストの足元の空間には、ひときわ小さく殉教聖人たちが配されている。 人物の顔にはそれぞれ異なる個性がみられるが、衣の細かい流動的な襞は、抽象的な梨形や三角形を形成しつつヴォリュームを暗示している。

    画法やデッサン、肉付け、色彩、図像、衣装にビザンティン、イタリア、オットー朝などの多様な源泉が関与しているが、それらを巧みに総合して独自の完成度の高い創造的作品に結晶化させた巨匠の存在が感じられる。 聖ユーグの下でのクリュニーの国際的芸術交流を彷彿させる最盛期の作品であろう。 (世界美術大全集 8 ロマネスク 小学館)

  • 冒頭の館内図でも分かるように、(シャイヨー宮内にある)建築文化財博物館内は 【セーヌ川沿い(エッフェル塔側)】 と 【メトロ・トロカデロ駅側】 に分かれています。<br /><br />【メトロ・トロカデロ駅側】 のロマネスクコーナーがエントランスから唾がっているので、はじめにそちらの展示室から見学(ラングドック地方ロマネスク、ブルゴーニュ地方ロマネスク)。 その後、エッフェル塔が見える 【セーヌ川沿い】 のロマネスクコーナー に移動しました。<br /><br /> 【セーヌ川沿い】 の展示室は、【メトロ・トロカデロ駅側】 の展示室の壁の赤(ピンク)とは違い、すっきりと白色の壁でした。<br /><br />この写真は、<br />【セーヌ川沿い】 展示室 を撮影したものです。<br />■2 ROMAN POITOU SAINTONGE 展示室<br />  (ポアトゥー/サントンジュ地方ロマネスク)<br />■3 ROMAN AUVERGNE 展示室<br />  (オーヴェルニュ地方ロマネスク)<br />■4 ROMAN PROVENCE 展示室<br />  (プロヴァンス地方ロマネスク)

    冒頭の館内図でも分かるように、(シャイヨー宮内にある)建築文化財博物館内は 【セーヌ川沿い(エッフェル塔側)】 と 【メトロ・トロカデロ駅側】 に分かれています。

    【メトロ・トロカデロ駅側】 のロマネスクコーナーがエントランスから唾がっているので、はじめにそちらの展示室から見学(ラングドック地方ロマネスク、ブルゴーニュ地方ロマネスク)。 その後、エッフェル塔が見える 【セーヌ川沿い】 のロマネスクコーナー に移動しました。

     【セーヌ川沿い】 の展示室は、【メトロ・トロカデロ駅側】 の展示室の壁の赤(ピンク)とは違い、すっきりと白色の壁でした。

    この写真は、
    【セーヌ川沿い】 展示室 を撮影したものです。
    ■2 ROMAN POITOU SAINTONGE 展示室
      (ポアトゥー/サントンジュ地方ロマネスク)
    ■3 ROMAN AUVERGNE 展示室
      (オーヴェルニュ地方ロマネスク)
    ■4 ROMAN PROVENCE 展示室
      (プロヴァンス地方ロマネスク)

  • 【 セーヌ川沿い 】 の展示室は、大きな窓がたくさんあるのでエッフェル塔がよく見えました。<br /><br />ここで、ちょうど正時になったので、エッフェル塔のシャンパンフラッシュタイムとなりました。 (展示品が写りこんでいますが。)

    【 セーヌ川沿い 】 の展示室は、大きな窓がたくさんあるのでエッフェル塔がよく見えました。

    ここで、ちょうど正時になったので、エッフェル塔のシャンパンフラッシュタイムとなりました。 (展示品が写りこんでいますが。)

  • 建築文化財博物館0階(日本式1階)から見るエッフェル塔

    建築文化財博物館0階(日本式1階)から見るエッフェル塔

  • ■2 ROMAN POITOU SAINTONGE<br />  (ポアトゥー/サントンジュ地方ロマネスク)<br /><br />オルネー・ドゥ・サントンジュ/サン・ピエール教会<br />AULNAY-DE-SAINTONGE<br />(Charente-Maritime, Poitou-Charentes)<br />Eglise Saint-Pierre<br />Portail du bras sud du transept<br />Milieu du XII siecle<br />http://fr.wikipedia.org/wiki/%C3%89glise_Saint-Pierre-de-la-Tour_d%27Aulnay<br /><br />ポアトゥー・シャラント地方シャラント・マリティーム県(Charente-Maritime)(県庁所在地は大西洋岸のラ・ロシェル)オルネー AULNAYという町にある サン・ピエール教会 のポルタイユ。<br /><br />ポワティエに近いサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路の宿所のひとつ、華やかな彫刻のオルネーのこの教会は、現在は糸杉の点在する墓地の背後にひっそりと立っていて訪れる人は少ない。

    ■2 ROMAN POITOU SAINTONGE
      (ポアトゥー/サントンジュ地方ロマネスク)

    オルネー・ドゥ・サントンジュ/サン・ピエール教会
    AULNAY-DE-SAINTONGE
    (Charente-Maritime, Poitou-Charentes)
    Eglise Saint-Pierre
    Portail du bras sud du transept
    Milieu du XII siecle
    http://fr.wikipedia.org/wiki/%C3%89glise_Saint-Pierre-de-la-Tour_d%27Aulnay

    ポアトゥー・シャラント地方シャラント・マリティーム県(Charente-Maritime)(県庁所在地は大西洋岸のラ・ロシェル)オルネー AULNAYという町にある サン・ピエール教会 のポルタイユ。

    ポワティエに近いサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路の宿所のひとつ、華やかな彫刻のオルネーのこの教会は、現在は糸杉の点在する墓地の背後にひっそりと立っていて訪れる人は少ない。

  • オルネー・ドゥ・サントンジュ/サン・ピエール教会<br />AULNAY-DE-SAINTONGE<br />(Charente-Maritime, Poitou-Charentes)<br />Eglise Saint-Pierre<br />Portail du bras sud du transept<br />Milieu du XII siecle<br /><br />南翼廊 ポルタイユ 12世紀半ば<br /><br />この聖堂は修道院にも司教区にも属さない、サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路の参詣地の聖堂として建てられた。 ファサードの上階の「コンスタンティヌス帝騎馬像」は失われたが、聖堂はかつて巡礼者たちが目にしたであろうその姿がほぼそのまま残されている。 西部フランスで最も傑出した建物とされるのは、その建物のもつ力強い表現形態と造形装飾の豊かさによってである。  <br /><br />聖堂の完成は1170年頃と考えられる。 三つの扉口が西側に並び、中央の迫石層の浮彫りは「プシコマキア」を示し、左扉口のティンパヌムは「キリストと聖ペテロ、パウロ、右扉口のそれは「聖ペテロの磔刑」を表している。 南側の翼廊の入口にも見事な浮彫りのある迫石層があり、「二十四長老」などが表されている。 聖堂はフランス西南部に、とりわけポワトゥー地方によくみられる身廊と側廊の高さが同じ広間式構成をとっている。 身廊の天井の尖塔アーチによるヴォールトと横断アーチの尖塔はクリュニーからの影響を示している。 一方、巡礼聖堂によくみられる放射状礼拝堂をここでは扱わず、サントンジュ地方の伝統を守って、周歩廊をもたない、両翼廊に小祭室を設けた、1祭室の内陣を形成していて、巡礼聖堂としては変わった形をしている。 ファサード装飾、建築構造ともに類似した例として、シヴレーのサン・ニコラ聖堂や、ポワティエのノートル・ダム・ラ・グランド参事会聖堂が挙げられる。 (世界美術大全集 8 ロマネスク 小学館)<br /><br />このオーネー(オルネー)のサン・ピエール教会堂の例のように、特に、フランス西部サントンジュ地方の教会堂には タンパンのない 扉口も多い。

    オルネー・ドゥ・サントンジュ/サン・ピエール教会
    AULNAY-DE-SAINTONGE
    (Charente-Maritime, Poitou-Charentes)
    Eglise Saint-Pierre
    Portail du bras sud du transept
    Milieu du XII siecle

    南翼廊 ポルタイユ 12世紀半ば

    この聖堂は修道院にも司教区にも属さない、サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路の参詣地の聖堂として建てられた。 ファサードの上階の「コンスタンティヌス帝騎馬像」は失われたが、聖堂はかつて巡礼者たちが目にしたであろうその姿がほぼそのまま残されている。 西部フランスで最も傑出した建物とされるのは、その建物のもつ力強い表現形態と造形装飾の豊かさによってである。  

    聖堂の完成は1170年頃と考えられる。 三つの扉口が西側に並び、中央の迫石層の浮彫りは「プシコマキア」を示し、左扉口のティンパヌムは「キリストと聖ペテロ、パウロ、右扉口のそれは「聖ペテロの磔刑」を表している。 南側の翼廊の入口にも見事な浮彫りのある迫石層があり、「二十四長老」などが表されている。 聖堂はフランス西南部に、とりわけポワトゥー地方によくみられる身廊と側廊の高さが同じ広間式構成をとっている。 身廊の天井の尖塔アーチによるヴォールトと横断アーチの尖塔はクリュニーからの影響を示している。 一方、巡礼聖堂によくみられる放射状礼拝堂をここでは扱わず、サントンジュ地方の伝統を守って、周歩廊をもたない、両翼廊に小祭室を設けた、1祭室の内陣を形成していて、巡礼聖堂としては変わった形をしている。 ファサード装飾、建築構造ともに類似した例として、シヴレーのサン・ニコラ聖堂や、ポワティエのノートル・ダム・ラ・グランド参事会聖堂が挙げられる。 (世界美術大全集 8 ロマネスク 小学館)

    このオーネー(オルネー)のサン・ピエール教会堂の例のように、特に、フランス西部サントンジュ地方の教会堂には タンパンのない 扉口も多い。

  • サント/女子修道院<br />SAINTES (Charente-Maritime, Poitou-Charentes)<br />Eglise abbatiale<br />Portail de la fasade occidentale<br />Vers 1120-1130<br />http://fr.wikipedia.org/wiki/Abbaye_aux_Dames_de_Saintes<br /><br />上の オーネー AULNAY と同じく、ポアトゥー・シャラント地方シャラント・マリティーム県(Charente-Maritime)(県庁所在地は大西洋岸のラ・ロシェル)の サント SAINTES という町にある女子修道院の西正面のポルタイユ。

    サント/女子修道院
    SAINTES (Charente-Maritime, Poitou-Charentes)
    Eglise abbatiale
    Portail de la fasade occidentale
    Vers 1120-1130
    http://fr.wikipedia.org/wiki/Abbaye_aux_Dames_de_Saintes

    上の オーネー AULNAY と同じく、ポアトゥー・シャラント地方シャラント・マリティーム県(Charente-Maritime)(県庁所在地は大西洋岸のラ・ロシェル)の サント SAINTES という町にある女子修道院の西正面のポルタイユ。

  • サント/女子修道院<br />SAINTES (Charente-Maritime, Poitou-Charentes)<br />Eglise abbatiale<br />Portail de la fasade occidentale<br />Vers 1120-1130<br /><br />西正面ファサード 1120-1130年頃<br /><br />[ Abbaye aux Dames de Saintes ]<br />http://www.abbayeauxdames.org/fr/abbaye_aux_dames/monument-visite/1128690248323

    サント/女子修道院
    SAINTES (Charente-Maritime, Poitou-Charentes)
    Eglise abbatiale
    Portail de la fasade occidentale
    Vers 1120-1130

    西正面ファサード 1120-1130年頃

    [ Abbaye aux Dames de Saintes ]
    http://www.abbayeauxdames.org/fr/abbaye_aux_dames/monument-visite/1128690248323

  • ■3 ROMAN AUVERGNE<br />  (オーヴェルニュ地方ロマネスク)<br /><br />イド/サン・ジョルジュ教会<br />YDES(Cantal, Auvergne)<br />Haut-relief du mur lateral nord du porche occidental<br />L&#39;Annonciation<br />Milieu du XII siecle<br />http://fr.wikipedia.org/wiki/%C3%89glise_Saint-Georges_d%27Ydes-Bourg

    ■3 ROMAN AUVERGNE
      (オーヴェルニュ地方ロマネスク)

    イド/サン・ジョルジュ教会
    YDES(Cantal, Auvergne)
    Haut-relief du mur lateral nord du porche occidental
    L'Annonciation
    Milieu du XII siecle
    http://fr.wikipedia.org/wiki/%C3%89glise_Saint-Georges_d%27Ydes-Bourg

  • イド/サン・ジョルジュ教会<br />YDES(Cantal, Auvergne)<br />Haut-relief du mur lateral nord du porche occidental<br />L&#39;Annonciation<br />Milieu du XII siecle<br /><br />「 受胎告知 」 12世紀中頃

    イド/サン・ジョルジュ教会
    YDES(Cantal, Auvergne)
    Haut-relief du mur lateral nord du porche occidental
    L'Annonciation
    Milieu du XII siecle

    「 受胎告知 」 12世紀中頃

  • ■6 EARLY GOTHIC ART<br />  (初期ゴシック)<br /><br />シャルトル/ノートルダム大聖堂<br />CHARTRES(Eure-et-Loir, Centre)<br />Cathedrale Notre-Dame<br />Portail central, dit &lt;&lt;portail royal&gt;&gt;,<br />de la facade occidentale<br />Christ en majeste<br />1145-1155<br />http://fr.wikipedia.org/wiki/Cath%C3%A9drale_Notre-Dame_de_Chartres

    ■6 EARLY GOTHIC ART
      (初期ゴシック)

    シャルトル/ノートルダム大聖堂
    CHARTRES(Eure-et-Loir, Centre)
    Cathedrale Notre-Dame
    Portail central, dit <<portail royal>>,
    de la facade occidentale
    Christ en majeste
    1145-1155
    http://fr.wikipedia.org/wiki/Cath%C3%A9drale_Notre-Dame_de_Chartres

  • シャルトル/ノートルダム大聖堂<br />CHARTRES(Eure-et-Loir, Centre)<br />Cathedrale Notre-Dame<br />Portail central, dit &lt;&lt;portail royal&gt;&gt;,<br />de la facade occidentale<br />Christ en majeste<br />1145-1155<br /><br />西側中央扉口 &lt;&lt;諸王の入口&gt;&gt;<br />「 荘厳のキリスト 」 1145-1155年頃<br /><br />アーモンド形光背 mandorla = 昇天の際にキリストが乗る雲を表すものであったが、やがて一種の「栄光」もしくは後光、、つまり神秘存在から発する光として使用されるようになった。<br /><br />ゴシック彫刻では、タンパンはむしろ(ロマネスクより)小さくなり、飾りアーチがそれを何重にも重なる天空の宇宙的な広がり を表現している。<br /><br />ところで、ここ 【西正面】の彫刻 は、【南北扉口】の彫刻(13世紀)より古く、12世紀半ばにつくられていて、まだ ロマネスクとゴシックの端境期 のもの。<br /><br />中世の図像: 配置、構成、シンメトリー、数などが非常な重要性を持っている。 教会の方位はそれぞれ方位を持つ。 【 建物は、教会の先端が正確に東方、つまり春分と秋分の日に太陽が空に昇る方向を指し示すように配さなければならない。 】 夜と寒さの領域である 北側 は多く 旧約聖書 にあてられ、太陽に暖められ満ち溢れる光を浴びる 南面 は 新約聖書 にあてられる(例外はある)。 【 右側は敬うべき人びとに与えられる場所 】となっていた。 イエスが使徒の中央に描かれる時、位格が第一の聖ペトロは主の右側の位置を占める。 同様にして、「磔刑」や「最後の審判」の場面では、聖母はイエス・キリストの右に立ち、聖ヨハネは左に立っている。 同様にして、【 高い場所は低い場所よりも尊敬されるべきもの 】と見なされた。 黙示録の四つの生き物に囲まれた「荘厳のキリスト」像の構成で、四人の福音史家である四つの生き物は、その荘厳の度合いによって格づけされていた。 生き物は本性の高度な順に、人、鷲、獅子、牡牛の順に位置づけられた。 それをタンパンのキリストのまわりに配置する時は、高い場所と右側が与えるそれぞれの尊厳の程度を考慮しなければならなかった。 シャルトルのタンパンでは、翼のある人間(聖マタイ)がキリストの右側に置かれ、鷲(聖ヨハネ)はその左側に、獅子(聖マルコ)は下部の右側、牡牛(聖ルカ)はその左側に置かれるようになった。 (「ゴシックの図像学」上P31-32,P75)

    シャルトル/ノートルダム大聖堂
    CHARTRES(Eure-et-Loir, Centre)
    Cathedrale Notre-Dame
    Portail central, dit <<portail royal>>,
    de la facade occidentale
    Christ en majeste
    1145-1155

    西側中央扉口 <<諸王の入口>>
    「 荘厳のキリスト 」 1145-1155年頃

    アーモンド形光背 mandorla = 昇天の際にキリストが乗る雲を表すものであったが、やがて一種の「栄光」もしくは後光、、つまり神秘存在から発する光として使用されるようになった。

    ゴシック彫刻では、タンパンはむしろ(ロマネスクより)小さくなり、飾りアーチがそれを何重にも重なる天空の宇宙的な広がり を表現している。

    ところで、ここ 【西正面】の彫刻 は、【南北扉口】の彫刻(13世紀)より古く、12世紀半ばにつくられていて、まだ ロマネスクとゴシックの端境期 のもの。

    中世の図像: 配置、構成、シンメトリー、数などが非常な重要性を持っている。 教会の方位はそれぞれ方位を持つ。 【 建物は、教会の先端が正確に東方、つまり春分と秋分の日に太陽が空に昇る方向を指し示すように配さなければならない。 】 夜と寒さの領域である 北側 は多く 旧約聖書 にあてられ、太陽に暖められ満ち溢れる光を浴びる 南面 は 新約聖書 にあてられる(例外はある)。 【 右側は敬うべき人びとに与えられる場所 】となっていた。 イエスが使徒の中央に描かれる時、位格が第一の聖ペトロは主の右側の位置を占める。 同様にして、「磔刑」や「最後の審判」の場面では、聖母はイエス・キリストの右に立ち、聖ヨハネは左に立っている。 同様にして、【 高い場所は低い場所よりも尊敬されるべきもの 】と見なされた。 黙示録の四つの生き物に囲まれた「荘厳のキリスト」像の構成で、四人の福音史家である四つの生き物は、その荘厳の度合いによって格づけされていた。 生き物は本性の高度な順に、人、鷲、獅子、牡牛の順に位置づけられた。 それをタンパンのキリストのまわりに配置する時は、高い場所と右側が与えるそれぞれの尊厳の程度を考慮しなければならなかった。 シャルトルのタンパンでは、翼のある人間(聖マタイ)がキリストの右側に置かれ、鷲(聖ヨハネ)はその左側に、獅子(聖マルコ)は下部の右側、牡牛(聖ルカ)はその左側に置かれるようになった。 (「ゴシックの図像学」上P31-32,P75)

  • シャルトル/ノートルダム大聖堂<br />CHARTRES(Eure-et-Loir, Centre)<br />Cathedrale Notre-Dame<br />Tympan du portail<br />du bras nord du transept<br />Le Jugement dernier<br />1210-1215<br />http://fr.wikipedia.org/wiki/Cath%C3%A9drale_Notre-Dame_de_Chartres

    シャルトル/ノートルダム大聖堂
    CHARTRES(Eure-et-Loir, Centre)
    Cathedrale Notre-Dame
    Tympan du portail
    du bras nord du transept
    Le Jugement dernier
    1210-1215
    http://fr.wikipedia.org/wiki/Cath%C3%A9drale_Notre-Dame_de_Chartres

  • シャルトル/ノートルダム大聖堂<br />CHARTRES(Eure-et-Loir, Centre)<br />Cathedrale Notre-Dame<br />Tympan du portail<br /> du bras nord du transept<br />Le Jugement dernier<br />1210-1215<br /><br />北扉口 タンパン<br />「 最後の審判 」 1210-1215年  

    シャルトル/ノートルダム大聖堂
    CHARTRES(Eure-et-Loir, Centre)
    Cathedrale Notre-Dame
    Tympan du portail
    du bras nord du transept
    Le Jugement dernier
    1210-1215

    北扉口 タンパン
    「 最後の審判 」 1210-1215年  

  • シャルトル/ノートルダム大聖堂<br />CHARTRES(Eure-et-Loir, Centre)<br />Cathedrale Notre-Dame<br />Statues d&#39;ebrasement du portail est<br />du bras nord du transept<br />La Visitation<br />Vers 1220<br />http://fr.wikipedia.org/wiki/Cath%C3%A9drale_Notre-Dame_de_Chartres

    シャルトル/ノートルダム大聖堂
    CHARTRES(Eure-et-Loir, Centre)
    Cathedrale Notre-Dame
    Statues d'ebrasement du portail est
    du bras nord du transept
    La Visitation
    Vers 1220
    http://fr.wikipedia.org/wiki/Cath%C3%A9drale_Notre-Dame_de_Chartres

  • シャルトル/ノートルダム大聖堂<br />CHARTRES(Eure-et-Loir, Centre)<br />Cathedrale Notre-Dame<br />Statues d&#39;ebrasement du portail est<br />du bras nord du transept<br />La Visitation<br />Vers 1220<br /><br />北側 トランセプト 1220年頃<br />「 聖母のエリサベツ訪問 」<br /><br />受胎告知の直後、聖母マリアは従姉のエリサベツを訪ねるが、これはルカ福音書1:36-56に述べられている。 この訪問は、互いに喜ばしいものであった。 聖母マリアは子供を宿したばかりであり、エリサベツは長い不妊の時期の後、すでに妊娠して6ケ月を経ていたからである(やがて生まれるのが洗礼者ヨハネ)。<br /><br />燃える柴 に立つ聖母: 中世の教会においては、燃えているのになくならない柴は、キリストを産みながらも処女性を保った聖母マリアの象徴とされた。 ( 燃える柴: 出エジプト記3:1-10 http://bit.ly/19w5Yj2 )

    シャルトル/ノートルダム大聖堂
    CHARTRES(Eure-et-Loir, Centre)
    Cathedrale Notre-Dame
    Statues d'ebrasement du portail est
    du bras nord du transept
    La Visitation
    Vers 1220

    北側 トランセプト 1220年頃
    「 聖母のエリサベツ訪問 」

    受胎告知の直後、聖母マリアは従姉のエリサベツを訪ねるが、これはルカ福音書1:36-56に述べられている。 この訪問は、互いに喜ばしいものであった。 聖母マリアは子供を宿したばかりであり、エリサベツは長い不妊の時期の後、すでに妊娠して6ケ月を経ていたからである(やがて生まれるのが洗礼者ヨハネ)。

    燃える柴 に立つ聖母: 中世の教会においては、燃えているのになくならない柴は、キリストを産みながらも処女性を保った聖母マリアの象徴とされた。 ( 燃える柴: 出エジプト記3:1-10 http://bit.ly/19w5Yj2

  • ■7 HIGH GOTHIC ART<br />  (盛期ゴシック)<br /><br />ストラスブール/ノートルダム大聖堂<br />STRASBOURG (Bas-Rhin, Alsace)<br />Cathedrale Notre-Dame<br />Pilier du bras sud du transept, dit &lt;&lt;pilier des Anges&gt;&gt; ou &lt;&lt;pilier du Jugement dernier&gt;&gt;<br />1230<br />http://fr.wikipedia.org/wiki/Cath%C3%A9drale_Notre-Dame_de_Strasbourg

    ■7 HIGH GOTHIC ART
      (盛期ゴシック)

    ストラスブール/ノートルダム大聖堂
    STRASBOURG (Bas-Rhin, Alsace)
    Cathedrale Notre-Dame
    Pilier du bras sud du transept, dit <<pilier des Anges>> ou <<pilier du Jugement dernier>>
    1230
    http://fr.wikipedia.org/wiki/Cath%C3%A9drale_Notre-Dame_de_Strasbourg

  • ストラスブール/ノートルダム大聖堂<br />STRASBOURG (Bas-Rhin, Alsace)<br />Cathedrale Notre-Dame<br />Pilier du bras sud du transept, dit &lt;&lt;pilier des Anges&gt;&gt; ou &lt;&lt;pilier du Jugement dernier&gt;&gt;<br />1230 <br /><br />「天使たちの柱」または「最後の審判の柱」<br />いわれる 南トランセプト 橋脚柱 1230年<br /> 

    ストラスブール/ノートルダム大聖堂
    STRASBOURG (Bas-Rhin, Alsace)
    Cathedrale Notre-Dame
    Pilier du bras sud du transept, dit <<pilier des Anges>> ou <<pilier du Jugement dernier>>
    1230

    「天使たちの柱」または「最後の審判の柱」
    いわれる 南トランセプト 橋脚柱 1230年
     

  • ストラスブール/ノートルダム大聖堂<br />STRASBOURG (Bas-Rhin, Alsace)<br />Cathedrale Notre-Dame<br />Pilier du bras sud du transept, dit &lt;&lt;pilier des Anges&gt;&gt; ou &lt;&lt;pilier du Jugement dernier&gt;&gt;<br />1230 <br /><br />「天使たちの柱」または「最後の審判の柱」<br />いわれる 南トランセプト 橋脚柱 1230年

    ストラスブール/ノートルダム大聖堂
    STRASBOURG (Bas-Rhin, Alsace)
    Cathedrale Notre-Dame
    Pilier du bras sud du transept, dit <<pilier des Anges>> ou <<pilier du Jugement dernier>>
    1230

    「天使たちの柱」または「最後の審判の柱」
    いわれる 南トランセプト 橋脚柱 1230年

  • パリ/ノートルダム大聖堂<br />PARIS<br />Cathedrale Notre-Dame<br />Tympan du portail dubras sud du trancept<br />Scenes de la vie de saint Etienne<br />Bas-reliefs du portail du bras sud du transept<br />Vers 1240<br />http://fr.wikipedia.org/wiki/Cath%C3%A9drale_Notre-Dame_de_Paris

    パリ/ノートルダム大聖堂
    PARIS
    Cathedrale Notre-Dame
    Tympan du portail dubras sud du trancept
    Scenes de la vie de saint Etienne
    Bas-reliefs du portail du bras sud du transept
    Vers 1240
    http://fr.wikipedia.org/wiki/Cath%C3%A9drale_Notre-Dame_de_Paris

  • パリ/ノートルダム大聖堂<br />PARIS<br />Cathedrale Notre-Dame<br />Tympan du portail dubras sud du trancept<br />Scenes de la vie de saint Etienne<br />Bas-reliefs du portail du bras sud du transept<br />Vers 1240<br /><br />南扉口 タンパン 1240年頃<br />「 聖エティエンヌ(ステパノ)の生涯 」<br />(石打ちの刑にあったステパノが上段左に見られる。)

    パリ/ノートルダム大聖堂
    PARIS
    Cathedrale Notre-Dame
    Tympan du portail dubras sud du trancept
    Scenes de la vie de saint Etienne
    Bas-reliefs du portail du bras sud du transept
    Vers 1240

    南扉口 タンパン 1240年頃
    「 聖エティエンヌ(ステパノ)の生涯 」
    (石打ちの刑にあったステパノが上段左に見られる。)

  • ランス/ノートルダム大聖堂<br />REIMS (Marne, Champagne-Ardenne)<br />Cathedrale Notre-Dame<br />Statue d&#39;ebrasement du portail nord de la facade occidentale<br />L&#39;ange au sourire<br />Vers 1230<br /><br />ゴシック様式の典型といわれる大聖堂。 ここで歴代26人の王の戴冠式が行われた。 シャガール製作のステンドグラスがある。

    ランス/ノートルダム大聖堂
    REIMS (Marne, Champagne-Ardenne)
    Cathedrale Notre-Dame
    Statue d'ebrasement du portail nord de la facade occidentale
    L'ange au sourire
    Vers 1230

    ゴシック様式の典型といわれる大聖堂。 ここで歴代26人の王の戴冠式が行われた。 シャガール製作のステンドグラスがある。

  • ランス/ノートルダム大聖堂<br />REIMS (Marne, Champagne-Ardenne)<br />Cathedrale Notre-Dame<br />Statue d&#39;ebrasement du portail nord de la facade occidentale<br />L&#39;ange au sourire<br />Vers 1230<br /><br />西正面 北扉口 彫像 1230年頃<br />「 微笑みの天使 」<br /><br />ランス大聖堂のファサードを飾る有名な「 微笑みの天使 」は、第一次世界大戦で壊されてしまったが、大戦前に作られていた博物館の 鋳造複製 が、復元に大きな役割を果たした。

    ランス/ノートルダム大聖堂
    REIMS (Marne, Champagne-Ardenne)
    Cathedrale Notre-Dame
    Statue d'ebrasement du portail nord de la facade occidentale
    L'ange au sourire
    Vers 1230

    西正面 北扉口 彫像 1230年頃
    「 微笑みの天使 」

    ランス大聖堂のファサードを飾る有名な「 微笑みの天使 」は、第一次世界大戦で壊されてしまったが、大戦前に作られていた博物館の 鋳造複製 が、復元に大きな役割を果たした。

  • アミアン/ノートルダム大聖堂<br />Amiens (Somme, Picardie)<br />Cathedrale Notre-Dame<br />Portail du bras sud du transept, dit &lt;&lt;porte Saint-Honore&gt;&gt;<br />La &lt;&lt;Vierge Doree&gt;&gt;<br />Milieu du XIII siecle<br />http://fr.wikipedia.org/wiki/Cath%C3%A9drale_Notre-Dame_d&#39;Amiens<br /><br />アミアンのノートルダムは、着工は1220年頃、技術の進歩により、約70年で完成したため、様式にばらつきがないのが特徴。 当時のステンドグラスの多くが失われているので堂内は明るい。 フランスのゴシックの中では最大規模(天井高42m、全長145m)を誇る。

    アミアン/ノートルダム大聖堂
    Amiens (Somme, Picardie)
    Cathedrale Notre-Dame
    Portail du bras sud du transept, dit <<porte Saint-Honore>>
    La <<Vierge Doree>>
    Milieu du XIII siecle
    http://fr.wikipedia.org/wiki/Cath%C3%A9drale_Notre-Dame_d'Amiens

    アミアンのノートルダムは、着工は1220年頃、技術の進歩により、約70年で完成したため、様式にばらつきがないのが特徴。 当時のステンドグラスの多くが失われているので堂内は明るい。 フランスのゴシックの中では最大規模(天井高42m、全長145m)を誇る。

  • アミアン/ノートルダム大聖堂<br />Amiens (Somme, Picardie)<br />Cathedrale Notre-Dame<br />Portail du bras sud du transept, dit &lt;&lt;porte Saint-Honore&gt;&gt;<br />La &lt;&lt;Vierge Doree&gt;&gt;<br />Milieu du XIII siecle<br /><br />南トランセプト ポルタイユ(聖オノレの門)<br />「 黄金の聖母 」 13世紀中頃<br /><br />聖オノレは6世紀アミアンの司教で、1060年、彼の遺骨をもって祈願したところ雨が降ったので人気聖人となった。 人気はパリに及びその名前を冠した教会が建てられ、その名が今日のサン=トノレ通りに残っている。<br /><br />向こう側の展示室が セーヌ川沿い の展示室( 先に載せたシャルトルなど 初期ゴシック の展示室 )で、写真に見える大きな窓からエッフェル塔がよく見えました。

    アミアン/ノートルダム大聖堂
    Amiens (Somme, Picardie)
    Cathedrale Notre-Dame
    Portail du bras sud du transept, dit <<porte Saint-Honore>>
    La <<Vierge Doree>>
    Milieu du XIII siecle

    南トランセプト ポルタイユ(聖オノレの門)
    「 黄金の聖母 」 13世紀中頃

    聖オノレは6世紀アミアンの司教で、1060年、彼の遺骨をもって祈願したところ雨が降ったので人気聖人となった。 人気はパリに及びその名前を冠した教会が建てられ、その名が今日のサン=トノレ通りに残っている。

    向こう側の展示室が セーヌ川沿い の展示室( 先に載せたシャルトルなど 初期ゴシック の展示室 )で、写真に見える大きな窓からエッフェル塔がよく見えました。

  • ボルドー/サン・タンドレ大聖堂(聖アンドレ大聖堂)<br />Bordeaux (Gironde, Aquitaine)<br />Cathedrale Saint-Andre<br />1. Statue de l&#39;ebrasement droit du portail royal<br />  Saint Jaques<br />2. Statue de l&#39;ebrasement gauche du portail royal<br />  Apotre<br />Vers 1250<br />http://fr.wikipedia.org/wiki/Cath%C3%A9drale_Saint-Andr%C3%A9_de_Bordeaux<br /><br />ガロンヌ川河口に位置する港町。 ボルドーワインの産地として世界的に有名。 ボルドーでは、3ヶ所がフランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路のモニュメントとして1998年に世界遺産に登録されている。<br />* サン・タンドレ大聖堂 <br />* サン・スラン大寺院 <br />* サン・ミッシェル大寺院

    ボルドー/サン・タンドレ大聖堂(聖アンドレ大聖堂)
    Bordeaux (Gironde, Aquitaine)
    Cathedrale Saint-Andre
    1. Statue de l'ebrasement droit du portail royal
      Saint Jaques
    2. Statue de l'ebrasement gauche du portail royal
      Apotre
    Vers 1250
    http://fr.wikipedia.org/wiki/Cath%C3%A9drale_Saint-Andr%C3%A9_de_Bordeaux

    ガロンヌ川河口に位置する港町。 ボルドーワインの産地として世界的に有名。 ボルドーでは、3ヶ所がフランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路のモニュメントとして1998年に世界遺産に登録されている。
    * サン・タンドレ大聖堂
    * サン・スラン大寺院
    * サン・ミッシェル大寺院

  • ボルドー/サン・タンドレ大聖堂(聖アンドレ大聖堂)<br />Bordeaux (Gironde, Aquitaine)<br />Cathedrale Saint-Andre<br />1. Statue de l&#39;ebrasement droit du portail royal<br />  Saint Jaques<br /><br />1. 聖ヤコブ(サン・ジャック)の彫像 1250年頃<br /><br />サン・ジャックとは、キリストの12使徒のひとり聖ヤコブのこと。 伝道中に殉教した聖人を祀る大聖堂がスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラに建てられて以来、多くの巡礼者たちがこの地を目指すようになった。 フランスでは4つの出発地から道が続いていてピレネーを越えてひとつになる。<br /><br />サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼道 《 (パリから)トゥールの道/(ヴェズレーから)サン・レオナールの道/(ル・ピュイから)ル・ピュイの道/(アルルから)サン・ジルの道 》 の街道筋には、ロマネスク様式の教会堂が多数建てられ、中世美術にも大きな影響を与えた。 街道の特定区間と巡礼路沿いの文化遺産は、1998年世界遺産に登録された。 ボルドーはトゥールの道上にあたる。

    ボルドー/サン・タンドレ大聖堂(聖アンドレ大聖堂)
    Bordeaux (Gironde, Aquitaine)
    Cathedrale Saint-Andre
    1. Statue de l'ebrasement droit du portail royal
      Saint Jaques

    1. 聖ヤコブ(サン・ジャック)の彫像 1250年頃

    サン・ジャックとは、キリストの12使徒のひとり聖ヤコブのこと。 伝道中に殉教した聖人を祀る大聖堂がスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラに建てられて以来、多くの巡礼者たちがこの地を目指すようになった。 フランスでは4つの出発地から道が続いていてピレネーを越えてひとつになる。

    サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼道 《 (パリから)トゥールの道/(ヴェズレーから)サン・レオナールの道/(ル・ピュイから)ル・ピュイの道/(アルルから)サン・ジルの道 》 の街道筋には、ロマネスク様式の教会堂が多数建てられ、中世美術にも大きな影響を与えた。 街道の特定区間と巡礼路沿いの文化遺産は、1998年世界遺産に登録された。 ボルドーはトゥールの道上にあたる。

  • ボルドー/サン・タンドレ大聖堂(聖アンドレ大聖堂)<br />Bordeaux (Gironde, Aquitaine)<br />Cathedrale Saint-Andre<br />1. Statue de l&#39;ebrasement droit du portail royal<br />  Saint Jaques<br /><br />1. 聖ヤコブ(サン・ジャック)の彫像 1250年頃<br /><br />聖ヤコブのシンボルのホタテ貝。

    ボルドー/サン・タンドレ大聖堂(聖アンドレ大聖堂)
    Bordeaux (Gironde, Aquitaine)
    Cathedrale Saint-Andre
    1. Statue de l'ebrasement droit du portail royal
      Saint Jaques

    1. 聖ヤコブ(サン・ジャック)の彫像 1250年頃

    聖ヤコブのシンボルのホタテ貝。

  • ディジョン/シャンモル修道院<br />DIJON (Cote-d&#39;Or, Bourgogne)<br />Chartreuse de Champmol  1391-1394<br />http://fr.wikipedia.org/wiki/Chartreuse_de_Champmol<br />1 et 3 Ebrasements et statues du portail <br />1. Philippe le Hardi (1342-1404) et saint Jean-Baptiste<br />3. Marguerite de Frandre (1350-1405) et sainte Catherine d&#39;Alexandrie<br />2. Trumeau du portail<br />  Vierge a l&#39;Enfant<br /><br />シャンモル修道院(Charteuse de Champmol)はディジョン郊外に位置するカルトジオ会の修道院。 現在のディジョンはフランス中部の都市だが、15世紀はブルゴーニュ公国の首都だった。 シャンモル修道院はブルゴーニュ公フィリップ2世(フィリップ豪胆公)がヴァロワ=ブルゴーニュ公爵家の墓所として1383年に建設し、フランス革命のさなかに接収されるまで歴代ブルゴーニュ公爵の墓が置かれていた。 「悪評高き壮大な浪費」といわれるほど、数々の美術品が惜しみなく使われており、後世に修道院から散逸したそれらの美術品のコレクションは依然として当時の芸術を理解するための非常に重要な遺産となっている。 シャンモル修道院は設立されたときにはディジョンの都市城門の外に位置したが、現在の行政区画ではディジョン市内にある。 シャンモル修道院はシトー会大修道院、歴代フランス王家の墓所であるサン=ドニ大聖堂など、他の王朝の墓所となる寺院に対抗して建設された。 (wikipedia)

    ディジョン/シャンモル修道院
    DIJON (Cote-d'Or, Bourgogne)
    Chartreuse de Champmol  1391-1394
    http://fr.wikipedia.org/wiki/Chartreuse_de_Champmol
    1 et 3 Ebrasements et statues du portail
    1. Philippe le Hardi (1342-1404) et saint Jean-Baptiste
    3. Marguerite de Frandre (1350-1405) et sainte Catherine d'Alexandrie
    2. Trumeau du portail
      Vierge a l'Enfant

    シャンモル修道院(Charteuse de Champmol)はディジョン郊外に位置するカルトジオ会の修道院。 現在のディジョンはフランス中部の都市だが、15世紀はブルゴーニュ公国の首都だった。 シャンモル修道院はブルゴーニュ公フィリップ2世(フィリップ豪胆公)がヴァロワ=ブルゴーニュ公爵家の墓所として1383年に建設し、フランス革命のさなかに接収されるまで歴代ブルゴーニュ公爵の墓が置かれていた。 「悪評高き壮大な浪費」といわれるほど、数々の美術品が惜しみなく使われており、後世に修道院から散逸したそれらの美術品のコレクションは依然として当時の芸術を理解するための非常に重要な遺産となっている。 シャンモル修道院は設立されたときにはディジョンの都市城門の外に位置したが、現在の行政区画ではディジョン市内にある。 シャンモル修道院はシトー会大修道院、歴代フランス王家の墓所であるサン=ドニ大聖堂など、他の王朝の墓所となる寺院に対抗して建設された。 (wikipedia)

  • ディジョン/シャンモル修道院<br />DIJON (Cote-d&#39;Or, Bourgogne)<br />Chartreuse de Champmol  1391-1394<br /><br />(左から)<br />1. ブルゴーニュ公フィリップ2世<br />  (豪胆公)(1342-1404) と 洗礼者ヨハネ<br />2. 聖母子<br />3. マルグリット3世(フランドル女伯)<br />  (1350-1405) と 聖カトリーヌ(カタリナ)<br /><br />【 フィリップ 】 は1342年にポントワーズで生まれた。 「豪胆公」(le Hardi)と呼ばれる。 若くから武勇に優れ、ポワティエの戦いでも最後まで父王のそばで奮戦した。 1360年に親王領(appanage)としてトゥーレーヌ公に叙されたが、1363年にそれに代わってフィリップ1世の死去後父ジャン2世が継承したブルゴーニュ公領を与えられた。 さらに、1369年6月19日に兄シャルル5世がフランドルの反乱を抑えるため、 【 フランドル伯ルイ2世の娘マルグリット3世 】 とフィリップを結婚させたため、フランドル、アルトワ、ブルゴーニュの各伯領を領有し、ヨーロッパで最も裕福な領土を有する大貴族となった。 1390年にはシャロレー伯領を獲得し、この伯位はブルゴーニュ公の相続人に与えられるようになった。 (wikipedia)

    ディジョン/シャンモル修道院
    DIJON (Cote-d'Or, Bourgogne)
    Chartreuse de Champmol  1391-1394

    (左から)
    1. ブルゴーニュ公フィリップ2世
      (豪胆公)(1342-1404) と 洗礼者ヨハネ
    2. 聖母子
    3. マルグリット3世(フランドル女伯)
      (1350-1405) と 聖カトリーヌ(カタリナ)

    【 フィリップ 】 は1342年にポントワーズで生まれた。 「豪胆公」(le Hardi)と呼ばれる。 若くから武勇に優れ、ポワティエの戦いでも最後まで父王のそばで奮戦した。 1360年に親王領(appanage)としてトゥーレーヌ公に叙されたが、1363年にそれに代わってフィリップ1世の死去後父ジャン2世が継承したブルゴーニュ公領を与えられた。 さらに、1369年6月19日に兄シャルル5世がフランドルの反乱を抑えるため、 【 フランドル伯ルイ2世の娘マルグリット3世 】 とフィリップを結婚させたため、フランドル、アルトワ、ブルゴーニュの各伯領を領有し、ヨーロッパで最も裕福な領土を有する大貴族となった。 1390年にはシャロレー伯領を獲得し、この伯位はブルゴーニュ公の相続人に与えられるようになった。 (wikipedia)

  • ディジョン/シャンモル修道院<br />DIJON (Cote-d&#39;Or, Bourgogne)<br />Chartreuse de Champmol<br />Pleurants du tombeau de Philippe le Hardi (1342-1404)<br />http://fr.wikipedia.org/wiki/Chartreuse_de_Champmol<br /><br /> 

    ディジョン/シャンモル修道院
    DIJON (Cote-d'Or, Bourgogne)
    Chartreuse de Champmol
    Pleurants du tombeau de Philippe le Hardi (1342-1404)
    http://fr.wikipedia.org/wiki/Chartreuse_de_Champmol

     

  • ディジョン/シャンモル修道院<br />DIJON (Cote-d&#39;Or, Bourgogne)<br />Chartreuse de Champmol<br />Pleurants du tombeau de Philippe le Hardi (1342-1404)<br /><br />「 ブルゴーニュ公フィリップ2世<br />  (豪胆公)(1342-1404)の墓の泣き男 」<br /><br />泣き男つまり葬儀の参列者は、ふつう死者の親族を表現している。 彼らは僧服によく似た、頭巾のついた大きな黒いマントの喪服を着ている。 【 この主題は15世紀初めに、シャンモル修道院に建立されたフィリップ2世豪胆公の墓(ディジョン美術館所蔵)において、クラウス・スリューテルの手で見事に表現された。】 この作品が、葬礼美術における泣き男の流行の端緒となった。 ( ルーヴル美術館HP 「フィリップ・ポーの墓」 説明より http://bit.ly/16AfyBc )

    ディジョン/シャンモル修道院
    DIJON (Cote-d'Or, Bourgogne)
    Chartreuse de Champmol
    Pleurants du tombeau de Philippe le Hardi (1342-1404)

    「 ブルゴーニュ公フィリップ2世
      (豪胆公)(1342-1404)の墓の泣き男 」

    泣き男つまり葬儀の参列者は、ふつう死者の親族を表現している。 彼らは僧服によく似た、頭巾のついた大きな黒いマントの喪服を着ている。 【 この主題は15世紀初めに、シャンモル修道院に建立されたフィリップ2世豪胆公の墓(ディジョン美術館所蔵)において、クラウス・スリューテルの手で見事に表現された。】 この作品が、葬礼美術における泣き男の流行の端緒となった。 ( ルーヴル美術館HP 「フィリップ・ポーの墓」 説明より http://bit.ly/16AfyBc )

  • サン・ニコラ・レ・シトー/修道院<br />SAINT-NICOLAS-LES-CITEAUX<br />(Cote-d&#39;Or, Bourgogne)<br />Abbaye<br />Pleurants du tombeau de Philippe Pot (1428-1493), grand senechal de Bougogne<br />Fin du XV siecle<br />http://fr.wikipedia.org/wiki/Abbaye_de_C%C3%AEteaux

    サン・ニコラ・レ・シトー/修道院
    SAINT-NICOLAS-LES-CITEAUX
    (Cote-d'Or, Bourgogne)
    Abbaye
    Pleurants du tombeau de Philippe Pot (1428-1493), grand senechal de Bougogne
    Fin du XV siecle
    http://fr.wikipedia.org/wiki/Abbaye_de_C%C3%AEteaux

  • サン・ニコラ・レ・シトー/修道院<br />SAINT-NICOLAS-LES-CITEAUX<br />(Cote-d&#39;Or, Bourgogne)<br />Abbaye<br />Pleurants du tombeau de Philippe Pot (1428-1493), grand senechal de Bougogne<br />Fin du XV siecle<br /><br />「ブルゴーニュ公の家令フィリップ・ポー<br />(1428−1493)の墓 」 の泣き男 15世紀後半<br /><br />シトー修道院 <br />サン・ジャン・バティスト礼拝堂に由来<br /><br />ブルゴーニュ公の家令で金羊毛騎士団の騎士だったフィリップ・ポーは、自分の名づけ親であるブルゴーニュ公フィリップ3世善良公、次いでその子息シャルル勇胆公に仕えた。その後フランス国王ルイ11世に仕えると、王はポーを侍従として遇し、ブルゴーニュの総督と呼び、そして聖ミカエル騎士団の騎士にした。ポーは続くシャルル8世からも寵を得た。 当時の習慣に従い、ポーは生前に墓を注文したと思われる。<br /><br />ブルゴーニュ公の家令フィリップ・ポーの墓は、モニュメンタルで表現性に富み、見る者に強い印象を与える。 黒いマントをまとった泣き男たちの<br />どっしりした像は、墓碑の重さに身をかがめながら重い足取りで進んでいくように見え、想像力をかきたてる。 これは葬儀をまざまざと思い起こさせると同時に、有力者を讃えるものでもある。 この一族の系譜は紋章によって示されている。 ( ルーヴル美術館HP 「フィリップ・ポーの墓」説明より http://bit.ly/16AfyBc )

    サン・ニコラ・レ・シトー/修道院
    SAINT-NICOLAS-LES-CITEAUX
    (Cote-d'Or, Bourgogne)
    Abbaye
    Pleurants du tombeau de Philippe Pot (1428-1493), grand senechal de Bougogne
    Fin du XV siecle

    「ブルゴーニュ公の家令フィリップ・ポー
    (1428−1493)の墓 」 の泣き男 15世紀後半

    シトー修道院 
    サン・ジャン・バティスト礼拝堂に由来

    ブルゴーニュ公の家令で金羊毛騎士団の騎士だったフィリップ・ポーは、自分の名づけ親であるブルゴーニュ公フィリップ3世善良公、次いでその子息シャルル勇胆公に仕えた。その後フランス国王ルイ11世に仕えると、王はポーを侍従として遇し、ブルゴーニュの総督と呼び、そして聖ミカエル騎士団の騎士にした。ポーは続くシャルル8世からも寵を得た。 当時の習慣に従い、ポーは生前に墓を注文したと思われる。

    ブルゴーニュ公の家令フィリップ・ポーの墓は、モニュメンタルで表現性に富み、見る者に強い印象を与える。 黒いマントをまとった泣き男たちの
    どっしりした像は、墓碑の重さに身をかがめながら重い足取りで進んでいくように見え、想像力をかきたてる。 これは葬儀をまざまざと思い起こさせると同時に、有力者を讃えるものでもある。 この一族の系譜は紋章によって示されている。 ( ルーヴル美術館HP 「フィリップ・ポーの墓」説明より http://bit.ly/16AfyBc )

  • ブールジュ/サンテティエンヌ大聖堂<br />BOURGES(Cher, Centre)<br />Cathedrale Saint-Etienne<br />Gisant du duc Jean de Berry<br />http://fr.wikipedia.org/wiki/Cath%C3%A9drale_Saint-%C3%89tienne_de_Bourges

    ブールジュ/サンテティエンヌ大聖堂
    BOURGES(Cher, Centre)
    Cathedrale Saint-Etienne
    Gisant du duc Jean de Berry
    http://fr.wikipedia.org/wiki/Cath%C3%A9drale_Saint-%C3%89tienne_de_Bourges

  • ブールジュ/サンテティエンヌ大聖堂<br />BOURGES(Cher, Centre)<br />Cathedrale Saint-Etienne<br />Gisant du duc Jean de Berry<br />http://fr.wikipedia.org/wiki/Cath%C3%A9drale_Saint-%C3%89tienne_de_Bourges<br /><br />ベリー公ジャン1世の墓<br /><br />フランス国王シャルル5世とブルゴーニュ公フィリップ豪胆公の兄弟であるベリー公のためにブールジュに建立された墓。<br /><br />中世フランスの王族ベリー公ジャン1世は、華麗な装飾写本 『 ベリー公のいとも豪華なる時祷書(Les Tres Riches Heures du Duc de Berry) 』 (シャンティイ城・コンデ美術館所蔵)を、ランブール兄弟に注文したことで知られる。<br /><br />( 文芸保護に貢献した君主の墓 ) 1404年ベリー公は、自分の墓所をブールジュの宮殿内にあるサント・シャペルに建立することを決めた。 墓は、大理石板の上の横臥像と、基部を飾る小アーケード下の40人の泣き男からなる。 作業期間は2期に渡った。 <br /><br />( ブルゴーニュの葬礼美術の影響 ) 泣き男をともなう墓は、早くも13世紀末に現れた。 死者の親族を表すこの小像は、葬送行列の折にかぶる頭巾のついた、 大きな喪服のマントにすっぽりと身を包んでいる。 しかしこの種の記念建造物は、15世紀に飛躍的な発展を遂げる。 ブルゴーニュ美術が大きな成功を収めた影響であり、その例としては、クラウス・スリューテルによってシャンモル修道院に作られた 《フィリップ2世豪胆公の墓》 (ディジョン美術館所蔵) が挙げられる。 これは丸彫りによるもので、見事な存在感のある泣き男が行進していくように見える。 ブールジュで第2期に制作された泣き男群は、この表現力に富んだ規模の大きな作品に着想を得ている。 ( ルーヴル美術館HP 「ベリー公ジャン・ド・フランスの墓の装飾」説明より http://bit.ly/1eQtysQ )

    ブールジュ/サンテティエンヌ大聖堂
    BOURGES(Cher, Centre)
    Cathedrale Saint-Etienne
    Gisant du duc Jean de Berry
    http://fr.wikipedia.org/wiki/Cath%C3%A9drale_Saint-%C3%89tienne_de_Bourges

    ベリー公ジャン1世の墓

    フランス国王シャルル5世とブルゴーニュ公フィリップ豪胆公の兄弟であるベリー公のためにブールジュに建立された墓。

    中世フランスの王族ベリー公ジャン1世は、華麗な装飾写本 『 ベリー公のいとも豪華なる時祷書(Les Tres Riches Heures du Duc de Berry) 』 (シャンティイ城・コンデ美術館所蔵)を、ランブール兄弟に注文したことで知られる。

    ( 文芸保護に貢献した君主の墓 ) 1404年ベリー公は、自分の墓所をブールジュの宮殿内にあるサント・シャペルに建立することを決めた。 墓は、大理石板の上の横臥像と、基部を飾る小アーケード下の40人の泣き男からなる。 作業期間は2期に渡った。 

    ( ブルゴーニュの葬礼美術の影響 ) 泣き男をともなう墓は、早くも13世紀末に現れた。 死者の親族を表すこの小像は、葬送行列の折にかぶる頭巾のついた、 大きな喪服のマントにすっぽりと身を包んでいる。 しかしこの種の記念建造物は、15世紀に飛躍的な発展を遂げる。 ブルゴーニュ美術が大きな成功を収めた影響であり、その例としては、クラウス・スリューテルによってシャンモル修道院に作られた 《フィリップ2世豪胆公の墓》 (ディジョン美術館所蔵) が挙げられる。 これは丸彫りによるもので、見事な存在感のある泣き男が行進していくように見える。 ブールジュで第2期に制作された泣き男群は、この表現力に富んだ規模の大きな作品に着想を得ている。 ( ルーヴル美術館HP 「ベリー公ジャン・ド・フランスの墓の装飾」説明より http://bit.ly/1eQtysQ )

  • ディジョン/旧会計室<br />DIJON (Cote-d&#39;Or, Bourgogne)<br />Ancienne Chambre des Comptes <br />Haut-relief<br />Deux Anges<br />Debut du XV siecle

    ディジョン/旧会計室
    DIJON (Cote-d'Or, Bourgogne)
    Ancienne Chambre des Comptes
    Haut-relief
    Deux Anges
    Debut du XV siecle

  • ディジョン/旧会計室<br />DIJON (Cote-d&#39;Or, Bourgogne)<br />Ancienne Chambre des Comptes <br />Haut-relief<br />Deux Anges<br />Debut du XV siecle<br /><br />ディジョン旧会計室 のレリーフ<br />「 2人の天使 」 15世紀初頭

    ディジョン/旧会計室
    DIJON (Cote-d'Or, Bourgogne)
    Ancienne Chambre des Comptes
    Haut-relief
    Deux Anges
    Debut du XV siecle

    ディジョン旧会計室 のレリーフ
    「 2人の天使 」 15世紀初頭

  • ■8 FLAMBOYANT GOTHIC<br />  (フランボワイヤン・ゴシック)<br /><br />アヴィオット/ノートルダム大聖堂<br />Avioth (Meuse, Lorraine)<br />Basilique Notre-Dame <br />Chapelle des Monts, dite la 《Recevresse》<br />http://fr.wikipedia.org/wiki/Basilique_Notre-Dame_d&#39;Avioth

    ■8 FLAMBOYANT GOTHIC
      (フランボワイヤン・ゴシック)

    アヴィオット/ノートルダム大聖堂
    Avioth (Meuse, Lorraine)
    Basilique Notre-Dame
    Chapelle des Monts, dite la 《Recevresse》
    http://fr.wikipedia.org/wiki/Basilique_Notre-Dame_d'Avioth

  • アヴィオット/ノートルダム大聖堂<br />Avioth (Meuse, Lorraine)<br />Basilique Notre-Dame <br />Chapelle des Monts, dite la 《Recevresse》<br /><br />これは、上の説明版の写真の左側(ノートルダム大聖堂の前)に写っている、山の礼拝堂(Chapelle des Monts)(通称《Recevresse》。 フランボワイヤン・ゴシック様式のこの傑作は、奇跡の像(la statue miraculeuse)が発見されたところに建てられた可能性が高い、とのこと。 (wikipedia)

    アヴィオット/ノートルダム大聖堂
    Avioth (Meuse, Lorraine)
    Basilique Notre-Dame
    Chapelle des Monts, dite la 《Recevresse》

    これは、上の説明版の写真の左側(ノートルダム大聖堂の前)に写っている、山の礼拝堂(Chapelle des Monts)(通称《Recevresse》。 フランボワイヤン・ゴシック様式のこの傑作は、奇跡の像(la statue miraculeuse)が発見されたところに建てられた可能性が高い、とのこと。 (wikipedia)

  • ルーアン/ノートルダム大聖堂<br />ROUEN (Seine-Maritime, Haute-Normandie)<br />Cathedrale Notre-Dame<br />Portail nord de la facade occidentale, dit &lt;&lt;Portail Saint-Jean&gt;&gt;<br />Fin du XII siecle<br />debut du XIII siecle<br />http://fr.wikipedia.org/wiki/Cath%C3%A9drale_Notre-Dame_de_Rouen<br /><br />ルーアンのノートルダム大聖堂は、ルーアンの歴史地区の中心に聳え立つ堂々とした風格の大聖堂。 11世紀のロマネスク様式の土台の上に12世紀から建てられ、完成するまでに数百年の年月を要した。 画家クロード・モネに描かれたことにより不朽の建築となった。

    ルーアン/ノートルダム大聖堂
    ROUEN (Seine-Maritime, Haute-Normandie)
    Cathedrale Notre-Dame
    Portail nord de la facade occidentale, dit <<Portail Saint-Jean>>
    Fin du XII siecle
    debut du XIII siecle
    http://fr.wikipedia.org/wiki/Cath%C3%A9drale_Notre-Dame_de_Rouen

    ルーアンのノートルダム大聖堂は、ルーアンの歴史地区の中心に聳え立つ堂々とした風格の大聖堂。 11世紀のロマネスク様式の土台の上に12世紀から建てられ、完成するまでに数百年の年月を要した。 画家クロード・モネに描かれたことにより不朽の建築となった。

  • ルーアン/ノートルダム大聖堂<br />ROUEN (Seine-Maritime, Haute-Normandie)<br />Cathedrale Notre-Dame<br />Portail nord de la facade occidentale, dit &lt;&lt;Portail Saint-Jean&gt;&gt;<br />Fin du XII siecle<br />debut du XIII siecle<br /><br />西正面(北扉口) 12世紀後半-13世紀初頭<br />「 サン・ジャンのポルタイユ 」

    ルーアン/ノートルダム大聖堂
    ROUEN (Seine-Maritime, Haute-Normandie)
    Cathedrale Notre-Dame
    Portail nord de la facade occidentale, dit <<Portail Saint-Jean>>
    Fin du XII siecle
    debut du XIII siecle

    西正面(北扉口) 12世紀後半-13世紀初頭
    「 サン・ジャンのポルタイユ 」

  • ルーアン/サン・マクルー教会<br />ROUEN (Seine-Maritime, Haute-Normandie)<br />Eglise Saint-Maclou<br />Escalier des orgues (ancien escalier du jube)<br />1519-1520<br />http://fr.wikipedia.org/wiki/%C3%89glise_Saint-Maclou_de_Rouen

    ルーアン/サン・マクルー教会
    ROUEN (Seine-Maritime, Haute-Normandie)
    Eglise Saint-Maclou
    Escalier des orgues (ancien escalier du jube)
    1519-1520
    http://fr.wikipedia.org/wiki/%C3%89glise_Saint-Maclou_de_Rouen

  • ルーアン/サン・マクルー教会<br />ROUEN (Seine-Maritime, Haute-Normandie)<br />Eglise Saint-Maclou<br />Escalier des orgues (ancien escalier du jube)<br />1519-1520

    ルーアン/サン・マクルー教会
    ROUEN (Seine-Maritime, Haute-Normandie)
    Eglise Saint-Maclou
    Escalier des orgues (ancien escalier du jube)
    1519-1520

  • ボーヴェ/サン・ピエール大聖堂<br />Beauvais(Oise, Picardie)<br />Cathedrale Saint-Pierre<br />Portail du bras sud du transept<br />Premiere moitie XVI siecle<br /><br />ボーヴェのサン・ピエール大聖堂は、天井高48mはゴシック教会最大。 天井が二度も崩落し、巨大な内陣に小さな外陣が添えられた形で完成。 これを最後にゴシックの高さ競争は終焉を迎えた。

    ボーヴェ/サン・ピエール大聖堂
    Beauvais(Oise, Picardie)
    Cathedrale Saint-Pierre
    Portail du bras sud du transept
    Premiere moitie XVI siecle

    ボーヴェのサン・ピエール大聖堂は、天井高48mはゴシック教会最大。 天井が二度も崩落し、巨大な内陣に小さな外陣が添えられた形で完成。 これを最後にゴシックの高さ競争は終焉を迎えた。

  • ボーヴェ/サン・ピエール大聖堂<br />Beauvais(Oise, Picardie)<br />Cathedrale Saint-Pierre<br />Portail du bras sud du transept<br />Premiere moitie XVI siecle<br /><br />南トランセプト ポルタイユ<br /><br /><br />〜  ゴシック教会  〜<br />サン・ドニ: 着工1140年頃/天井高24m<br />パリ: 着工1163年頃/天井高32m<br />ストラスブール:着工1176年頃/天井高32m<br />シャルトル: 着工1194年頃/天井高34m<br />ランス: 着工1211年頃/天井高38m<br />アミアン: 着工1220年頃/天井高42m<br />ボーヴェ: 着工1247年頃/天井高48m

    ボーヴェ/サン・ピエール大聖堂
    Beauvais(Oise, Picardie)
    Cathedrale Saint-Pierre
    Portail du bras sud du transept
    Premiere moitie XVI siecle

    南トランセプト ポルタイユ


    〜  ゴシック教会  〜
    サン・ドニ: 着工1140年頃/天井高24m
    パリ: 着工1163年頃/天井高32m
    ストラスブール:着工1176年頃/天井高32m
    シャルトル: 着工1194年頃/天井高34m
    ランス: 着工1211年頃/天井高38m
    アミアン: 着工1220年頃/天井高42m
    ボーヴェ: 着工1247年頃/天井高48m

  • アルビ/サント・セシル大聖堂<br />Albi (Tarn, Midi-Pyrenees)<br />Cathedrale Sainte-Cecile<br />http://fr.wikipedia.org/wiki/Cath%C3%A9drale_Sainte-C%C3%A9cile_d&#39;Albi<br /><br />1 et 2 Dais et statuettes de la cloture du coeur<br />  Anges<br />3. Contrefort droit de la porte de la cloture du coeur<br />  Le prophete Michee<br />Fin du XV siecle<br /><br />画家ロートレックの故郷。 ロートレック美術館もある町アルビ Albi。 サント・セシル大聖堂は1282年に着工、教会の威容を示す必要から高さ40mもの壁をもつ要塞のような姿に作られた。<br /><br />仏語でサント・セシル(Sainte Cecile)、英語で聖セシリア、伊語で聖チェチリアは聖カエキリアのこと。 音楽家、詩人の守護聖女。

    アルビ/サント・セシル大聖堂
    Albi (Tarn, Midi-Pyrenees)
    Cathedrale Sainte-Cecile
    http://fr.wikipedia.org/wiki/Cath%C3%A9drale_Sainte-C%C3%A9cile_d'Albi

    1 et 2 Dais et statuettes de la cloture du coeur
      Anges
    3. Contrefort droit de la porte de la cloture du coeur
      Le prophete Michee
    Fin du XV siecle

    画家ロートレックの故郷。 ロートレック美術館もある町アルビ Albi。 サント・セシル大聖堂は1282年に着工、教会の威容を示す必要から高さ40mもの壁をもつ要塞のような姿に作られた。

    仏語でサント・セシル(Sainte Cecile)、英語で聖セシリア、伊語で聖チェチリアは聖カエキリアのこと。 音楽家、詩人の守護聖女。

  • アルビ/サント・セシル大聖堂<br />Albi (Tarn, Midi-Pyrenees)<br />Cathedrale Sainte-Cecile<br />1 et 2 Dais et statuettes de la cloture du coeur<br />  Anges<br />3. Contrefort droit de la porte de la cloture du coeur<br />  Le prophete Michee<br />Fin du XV siecle<br /><br />1.2. 「 天使 」 の像<br />3. 「 預言者ミカ 」 の像<br /><br />預言者ミカ南ユダ王国の預言者で、旧約聖書の『ミカ書』の著者。 ミヘイとも。 モレシュトの人。 伝記は不詳である。 ユダの王、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代、すなわち紀元前9世紀から紀元前8世紀頃に預言活動を行った。 この時期にはイスラエル王国は滅び、その民は離散していたが、ミカは離散していたイスラエルの帰還を預言した。 またメシアがベツレヘムから出ることを預言した。 この預言の解釈はいくつかあるが、キリスト教ではイエスのベツレヘム降誕を預言したと解釈される。

    アルビ/サント・セシル大聖堂
    Albi (Tarn, Midi-Pyrenees)
    Cathedrale Sainte-Cecile
    1 et 2 Dais et statuettes de la cloture du coeur
      Anges
    3. Contrefort droit de la porte de la cloture du coeur
      Le prophete Michee
    Fin du XV siecle

    1.2. 「 天使 」 の像
    3. 「 預言者ミカ 」 の像

    預言者ミカ南ユダ王国の預言者で、旧約聖書の『ミカ書』の著者。 ミヘイとも。 モレシュトの人。 伝記は不詳である。 ユダの王、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代、すなわち紀元前9世紀から紀元前8世紀頃に預言活動を行った。 この時期にはイスラエル王国は滅び、その民は離散していたが、ミカは離散していたイスラエルの帰還を預言した。 またメシアがベツレヘムから出ることを預言した。 この預言の解釈はいくつかあるが、キリスト教ではイエスのベツレヘム降誕を預言したと解釈される。

  • ■10 ELEMENTS OF ARCHITECTURE<br />   (建築要素)<br /><br />サン・ミエル/サンテティエンヌ教会<br />SAINT-MIHIEL (Meuse, Lorraine)<br />Eglise Saint-Etienne<br />Enfeu, bas-cote sud<br />La Mise au tombeau du Christ <br />1554-1564<br />http://fr.wikipedia.org/wiki/%C3%89glise_Saint-%C3%89tienne_de_Saint-Mihiel

    ■10 ELEMENTS OF ARCHITECTURE
       (建築要素)

    サン・ミエル/サンテティエンヌ教会
    SAINT-MIHIEL (Meuse, Lorraine)
    Eglise Saint-Etienne
    Enfeu, bas-cote sud
    La Mise au tombeau du Christ
    1554-1564
    http://fr.wikipedia.org/wiki/%C3%89glise_Saint-%C3%89tienne_de_Saint-Mihiel

  • サン・ミエル/サンテティエンヌ教会<br />SAINT-MIHIEL (Meuse, Lorraine)<br />Eglise Saint-Etienne<br />Enfeu, bas-cote sud<br />La Mise au tombeau du Christ <br />1554-1564<br />http://fr.wikipedia.org/wiki/%C3%89glise_Saint-%C3%89tienne_de_Saint-Mihiel<br /><br /> 「 キリストの埋葬 」<br /><br />リジェ・リシエ Ligier Richier (Saint-Mihiel,v.1500-Geneve,1567) による彫刻作品。<br /><br />(キリストの埋葬) アリマタヤのヨセフ Joseph d&#39;Arimathie は、位階の点でも年齢の点でも伝統的に ニコデモ Nicodeme より上とされていたために、布の頭の方を持ち、一方身なりの粗末なニコデモは遺骸の足の方を持っている。 (彼らの位置が逆になっていることもある。) 聖母マリア la Vierge 、使徒ヨハネ Saint-Jean は遺骸の傍らに立っている。 マグダラのマリア Marie-Madeleine は、キリストの両足を抱きかかえていることがあるが、この足こそはキリストの生前に彼女が懺悔のしるしとして香油を塗ったものである(ルカ福音書7:36-50)。 この作品で茨の冠を持っているのは 聖女ヴェロニカ Veronique。

    サン・ミエル/サンテティエンヌ教会
    SAINT-MIHIEL (Meuse, Lorraine)
    Eglise Saint-Etienne
    Enfeu, bas-cote sud
    La Mise au tombeau du Christ
    1554-1564
    http://fr.wikipedia.org/wiki/%C3%89glise_Saint-%C3%89tienne_de_Saint-Mihiel

     「 キリストの埋葬 」

    リジェ・リシエ Ligier Richier (Saint-Mihiel,v.1500-Geneve,1567) による彫刻作品。

    (キリストの埋葬) アリマタヤのヨセフ Joseph d'Arimathie は、位階の点でも年齢の点でも伝統的に ニコデモ Nicodeme より上とされていたために、布の頭の方を持ち、一方身なりの粗末なニコデモは遺骸の足の方を持っている。 (彼らの位置が逆になっていることもある。) 聖母マリア la Vierge 、使徒ヨハネ Saint-Jean は遺骸の傍らに立っている。 マグダラのマリア Marie-Madeleine は、キリストの両足を抱きかかえていることがあるが、この足こそはキリストの生前に彼女が懺悔のしるしとして香油を塗ったものである(ルカ福音書7:36-50)。 この作品で茨の冠を持っているのは 聖女ヴェロニカ Veronique。

  • モンリュソン/ノートルダム<br />MONTLUCON (Allier, Auvergne)<br />Eglise Notre-Dame<br />Groupe statuaire<br />Pieta<br />Fin du XV siecle<br />http://fr.wikipedia.org/wiki/%C3%89glise_Notre-Dame_de_Montlu%C3%A7on<br /><br />モンリュソンはオーヴェルニュ地域圏アリエ県の郡庁所在地。 モンリュソンは、中世に、シェール川の曲がり目に突き立った地形が防衛上の観点から評価され、建造された都市。<br /><br />モンリュソンのノートルダム教会は、15世紀にブルボン公ルイ2世により再建された。 12世紀に遡る部分もある。

    モンリュソン/ノートルダム
    MONTLUCON (Allier, Auvergne)
    Eglise Notre-Dame
    Groupe statuaire
    Pieta
    Fin du XV siecle
    http://fr.wikipedia.org/wiki/%C3%89glise_Notre-Dame_de_Montlu%C3%A7on

    モンリュソンはオーヴェルニュ地域圏アリエ県の郡庁所在地。 モンリュソンは、中世に、シェール川の曲がり目に突き立った地形が防衛上の観点から評価され、建造された都市。

    モンリュソンのノートルダム教会は、15世紀にブルボン公ルイ2世により再建された。 12世紀に遡る部分もある。

  • モンリュソン/ノートルダム<br />MONTLUCON (Allier, Auvergne)<br />Eglise Notre-Dame<br />Groupe statuaire<br />Pieta<br />Fin du XV siecle<br /><br />「 ピエタ 」 15世紀後半

    モンリュソン/ノートルダム
    MONTLUCON (Allier, Auvergne)
    Eglise Notre-Dame
    Groupe statuaire
    Pieta
    Fin du XV siecle

    「 ピエタ 」 15世紀後半

  • ■11  RENAISSANCE (ルネサンス)<br /><br />リモージュ/サンテティエンヌ大聖堂<br />LIMOGES (Haute-Vienne, Limousin)<br />Cathedrale Saint-Etienne<br />Jube<br />1533-1536<br />http://fr.wikipedia.org/wiki/Cath%C3%A9drale_Saint-%C3%89tienne_de_Limoges<br /><br />リモージュ(Limoges)は、フランスの中部に位置する都市で、リムーザン地域圏の首府、オート=ヴィエンヌ県の県庁所在地。 磁器であるリモージュ焼の生産で知られる。 地名の語源はケルト系部族のレモウィケス族(Lemovices)に由来する。<br /><br />リモージュの起源は、ヴィエンヌ川ほとりの小さな村がローマ都市となった、およそ2000年前であった。 この時期はガリア・アクィタニアの一部で、3世紀に聖マルシアルがこの地域に宣教し、キリスト教化した。 この聖人に対する崇敬は世紀を超え、9世紀にはサン=マルシアル修道院がその墓の上に建設された。 このために、サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路が整備されると、ヴェズレーを基点とするヴェズレーの道(リモージュの道とも)に組み込まれて大いに繁栄した。 (wikipedia)

    ■11  RENAISSANCE (ルネサンス)

    リモージュ/サンテティエンヌ大聖堂
    LIMOGES (Haute-Vienne, Limousin)
    Cathedrale Saint-Etienne
    Jube
    1533-1536
    http://fr.wikipedia.org/wiki/Cath%C3%A9drale_Saint-%C3%89tienne_de_Limoges

    リモージュ(Limoges)は、フランスの中部に位置する都市で、リムーザン地域圏の首府、オート=ヴィエンヌ県の県庁所在地。 磁器であるリモージュ焼の生産で知られる。 地名の語源はケルト系部族のレモウィケス族(Lemovices)に由来する。

    リモージュの起源は、ヴィエンヌ川ほとりの小さな村がローマ都市となった、およそ2000年前であった。 この時期はガリア・アクィタニアの一部で、3世紀に聖マルシアルがこの地域に宣教し、キリスト教化した。 この聖人に対する崇敬は世紀を超え、9世紀にはサン=マルシアル修道院がその墓の上に建設された。 このために、サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路が整備されると、ヴェズレーを基点とするヴェズレーの道(リモージュの道とも)に組み込まれて大いに繁栄した。 (wikipedia)

  • リモージュ/サンテティエンヌ大聖堂<br />LIMOGES (Haute-Vienne, Limousin)<br />Cathedrale Saint-Etienne<br />Jube<br />1533-1536<br /><br />ジュベ (内陣仕切り)<br /><br />13世紀に、シテ地区にサン=テティエンヌ大聖堂の建設が開始された。 この大聖堂は断続的に工事が継続され、最終的に1888年に完成した。 その間、1862年には「歴史的記念建造物(monument historique)」にも指定されている。

    リモージュ/サンテティエンヌ大聖堂
    LIMOGES (Haute-Vienne, Limousin)
    Cathedrale Saint-Etienne
    Jube
    1533-1536

    ジュベ (内陣仕切り)

    13世紀に、シテ地区にサン=テティエンヌ大聖堂の建設が開始された。 この大聖堂は断続的に工事が継続され、最終的に1888年に完成した。 その間、1862年には「歴史的記念建造物(monument historique)」にも指定されている。

  • ルーアン/大時計門<br />Rouen (Seine-Maritime, Haute-Normandie)<br />Le Gros Horloge<br />Arche de la porte du Gros Horloge<br />Debut du XVI siecle<br />http://fr.wikipedia.org/wiki/Gros-Horloge<br /><br />ルーアンの大時計門は、ゴシック様式の鐘楼とルネッサンス様式のアーチ、古典様式の噴水が組み合わされた大時計は、街の最初の鐘を設置するために作られた。 大時計は14世紀から1928年まで動いていたヨーロッパで最も古いものの一つだった。

    ルーアン/大時計門
    Rouen (Seine-Maritime, Haute-Normandie)
    Le Gros Horloge
    Arche de la porte du Gros Horloge
    Debut du XVI siecle
    http://fr.wikipedia.org/wiki/Gros-Horloge

    ルーアンの大時計門は、ゴシック様式の鐘楼とルネッサンス様式のアーチ、古典様式の噴水が組み合わされた大時計は、街の最初の鐘を設置するために作られた。 大時計は14世紀から1928年まで動いていたヨーロッパで最も古いものの一つだった。

  • ルーアン/大時計門<br />Rouen (Seine-Maritime, Haute-Normandie)<br />Le Gros Horloge<br />Arche de la porte du Gros Horloge<br />Debut du XVI siecle<br /><br />大時計門のアーチ

    ルーアン/大時計門
    Rouen (Seine-Maritime, Haute-Normandie)
    Le Gros Horloge
    Arche de la porte du Gros Horloge
    Debut du XVI siecle

    大時計門のアーチ

  • ルーアン/大時計門<br />Rouen (Seine-Maritime, Haute-Normandie)<br />Le Gros Horloge<br />Arche de la porte du Gros Horloge<br />Debut du XVI siecle<br /><br />大時計門のアーチ下のレリーフ

    ルーアン/大時計門
    Rouen (Seine-Maritime, Haute-Normandie)
    Le Gros Horloge
    Arche de la porte du Gros Horloge
    Debut du XVI siecle

    大時計門のアーチ下のレリーフ

  • ルーアン/ノートルダム大聖堂<br />ROUEN (Seine-Maritime, Haute-Normandie)<br />Tombeau situe dans la chapelle de la Vierge<br />Louis de Breze<br />1536-1544<br />http://fr.wikipedia.org/wiki/Cath%C3%A9drale_de_Rouen#La_chapelle_de_la_Vierge

    ルーアン/ノートルダム大聖堂
    ROUEN (Seine-Maritime, Haute-Normandie)
    Tombeau situe dans la chapelle de la Vierge
    Louis de Breze
    1536-1544
    http://fr.wikipedia.org/wiki/Cath%C3%A9drale_de_Rouen#La_chapelle_de_la_Vierge

  • ルーアン/ノートルダム大聖堂<br />ROUEN (Seine-Maritime, Haute-Normandie)<br />Tombeau situe dans la chapelle de la Vierge<br />Louis de Breze<br />1536-1544<br /><br />ノートルダム大聖堂 聖母の礼拝堂<br />ルイ・ド・ブレゼ の墓<br />(馬にまたがっている)<br /><br />聖母の礼拝堂(Chapelle de la Vierge)は、ルーアンのノートルダム大聖堂の一番奥(東)に位置する礼拝堂。 ルイ・ド・ブレゼと、彼の祖父母(ピエール・ド・ブレゼ侯 Pierre de Breze とジャンヌ Jeanne du Bec-Crespin)とともに眠っている。

    ルーアン/ノートルダム大聖堂
    ROUEN (Seine-Maritime, Haute-Normandie)
    Tombeau situe dans la chapelle de la Vierge
    Louis de Breze
    1536-1544

    ノートルダム大聖堂 聖母の礼拝堂
    ルイ・ド・ブレゼ の墓
    (馬にまたがっている)

    聖母の礼拝堂(Chapelle de la Vierge)は、ルーアンのノートルダム大聖堂の一番奥(東)に位置する礼拝堂。 ルイ・ド・ブレゼと、彼の祖父母(ピエール・ド・ブレゼ侯 Pierre de Breze とジャンヌ Jeanne du Bec-Crespin)とともに眠っている。

  • カーン/エスコヴィル館<br />CAEN (Calvados, Basse-Normandie)<br />Hotel d&#39;Escoville<br />Trumeau separant les fenetres de la cour d&#39;honneur<br />David brabdissant la tete de Goliath<br />Premiere moitie du XVI siecle<br />http://fr.wikipedia.org/wiki/H%C3%B4tel_d&#39;Escoville<br /><br />カーン(カン)はフランスの北西部に位置する都市で、バス=ノルマンディー地域圏の首府であり、カルヴァドス県の県庁所在地。 <br /><br />カンの街は、ノルマン人によって、オルヌ川とオドン川の合流する位置に作られた城壁に囲まれた島だった。 ギヨーム征服王最愛の地で、王はここに1つの城と2つの修道院(男子修道院、女子修道院)を建てた。 1204年ノルマンディーがフィリップ・オーギュストによって征服された後、英国軍が1346年、1417年〜1450年に戻り、この地を占領した。 ギヨーム征服王の地は、第2次世界大戦の時にも大きな犠牲を払った。 1944年7月9日に開放されたカンの戦いは2ヶ月にも及んだ。 カンの街は修復された歴史建造物の周囲中心に再開発が行われた。<br /><br />エスコヴィル館 (Hotel d&#39;escoville) は、カンの観光案内所の建物になっている。 カンの初期ルネッサンス建築の一例。

    カーン/エスコヴィル館
    CAEN (Calvados, Basse-Normandie)
    Hotel d'Escoville
    Trumeau separant les fenetres de la cour d'honneur
    David brabdissant la tete de Goliath
    Premiere moitie du XVI siecle
    http://fr.wikipedia.org/wiki/H%C3%B4tel_d'Escoville

    カーン(カン)はフランスの北西部に位置する都市で、バス=ノルマンディー地域圏の首府であり、カルヴァドス県の県庁所在地。 

    カンの街は、ノルマン人によって、オルヌ川とオドン川の合流する位置に作られた城壁に囲まれた島だった。 ギヨーム征服王最愛の地で、王はここに1つの城と2つの修道院(男子修道院、女子修道院)を建てた。 1204年ノルマンディーがフィリップ・オーギュストによって征服された後、英国軍が1346年、1417年〜1450年に戻り、この地を占領した。 ギヨーム征服王の地は、第2次世界大戦の時にも大きな犠牲を払った。 1944年7月9日に開放されたカンの戦いは2ヶ月にも及んだ。 カンの街は修復された歴史建造物の周囲中心に再開発が行われた。

    エスコヴィル館 (Hotel d'escoville) は、カンの観光案内所の建物になっている。 カンの初期ルネッサンス建築の一例。

  • カーン/エスコヴィル館<br />CAEN (Calvados, Basse-Normandie)<br />Hotel d&#39;Escoville<br />Trumeau separant les fenetres de la cour d&#39;honneur<br />David brabdissant la tete de Goliath<br />Premiere moitie du XVI siecle<br /><br />「 ゴリアテの首をもつダヴィデ 」<br />16世紀前半<br /><br />(ダヴィデの凱旋) ダヴィデが戦いから戻ると、イスラエル人の女たちは歌い、踊り、楽器を奏でて迎え、彼を称えて言った。 「サウルは千を撃ち殺し、ダヴィデは万を撃ち殺した。」 ダヴィデは、ゴリアテの首を携えた姿で、あるいは時にこれを剣や槍の先に高くかざした姿で描かれる。 地上で女たちに囲まれている場合や、馬にまたがっている場合もあり、また古代ローマ風の凱旋車の上に立ち、凱旋行進を行うこともある。 この逸話はキリストのエルサレム入城の余型として見做された。 (サムエル記上 18:6-7)

    カーン/エスコヴィル館
    CAEN (Calvados, Basse-Normandie)
    Hotel d'Escoville
    Trumeau separant les fenetres de la cour d'honneur
    David brabdissant la tete de Goliath
    Premiere moitie du XVI siecle

    「 ゴリアテの首をもつダヴィデ 」
    16世紀前半

    (ダヴィデの凱旋) ダヴィデが戦いから戻ると、イスラエル人の女たちは歌い、踊り、楽器を奏でて迎え、彼を称えて言った。 「サウルは千を撃ち殺し、ダヴィデは万を撃ち殺した。」 ダヴィデは、ゴリアテの首を携えた姿で、あるいは時にこれを剣や槍の先に高くかざした姿で描かれる。 地上で女たちに囲まれている場合や、馬にまたがっている場合もあり、また古代ローマ風の凱旋車の上に立ち、凱旋行進を行うこともある。 この逸話はキリストのエルサレム入城の余型として見做された。 (サムエル記上 18:6-7)

  • 建築文化財博物館の窓から見るエッフェル塔<br /><br />今回、パリ滞在中に2回訪問した建築文化財博物館でしたが、2回とも訪問時間が夕方以降になってしまったので (1回目:木曜日21時まで夜間見学可能日、18:30〜20:30頃)、(2回目:第一日曜日入場無料の日、18:00〜19:00頃)、 いつも博物館の窓からはライトアップされたエッフェル塔を見ることができました。

    建築文化財博物館の窓から見るエッフェル塔

    今回、パリ滞在中に2回訪問した建築文化財博物館でしたが、2回とも訪問時間が夕方以降になってしまったので (1回目:木曜日21時まで夜間見学可能日、18:30〜20:30頃)、(2回目:第一日曜日入場無料の日、18:00〜19:00頃)、 いつも博物館の窓からはライトアップされたエッフェル塔を見ることができました。

  • 2階(日本式3階)に上がり、足早に<br /><br />■ 近現代建築  を見学。<br /><br />( ここに、コルビジェのユニテ・ダビタシオンの<br /> 実物大展示があって見所となっています。<br /> 私も入ってみましたが撮影はしませんでした。<br /> その他、近現代建築の模型なども多かったです。<br /> *オーギュスト・ペレの「パリ16区フランクリン<br />  通りのアパートメント(1903-04)」<br /> *「メゾン・ドゥ・ラジオ・フランス(1952-63)」<br /> *「新大蔵省(1982-89)」 など )<br /><br />その後、<br /><br />■ フレスコ画 展示室 に移動しました。<br /><br />この展示室のセーヌ川沿いの窓からはとても大きく(間近に)エッフェル塔を見ることができました。 眺望の良い場所なので長椅子が置いてありました。

    2階(日本式3階)に上がり、足早に

    ■ 近現代建築  を見学。

    ( ここに、コルビジェのユニテ・ダビタシオンの
     実物大展示があって見所となっています。
     私も入ってみましたが撮影はしませんでした。
     その他、近現代建築の模型なども多かったです。
     *オーギュスト・ペレの「パリ16区フランクリン
      通りのアパートメント(1903-04)」
     *「メゾン・ドゥ・ラジオ・フランス(1952-63)」
     *「新大蔵省(1982-89)」 など )

    その後、

    ■ フレスコ画 展示室 に移動しました。

    この展示室のセーヌ川沿いの窓からはとても大きく(間近に)エッフェル塔を見ることができました。 眺望の良い場所なので長椅子が置いてありました。

  • この展示室まで来ると<br />見学者がほとんどいませんでした。<br /><br /><br />■2・3階(日本式3・4階) フレスコ壁画<br /><br />ル・プティ=ケヴィイー/礼拝堂<br />Le Petit-Quevilly<br />(Seine-Maritime, Haute-Normandie)<br />Chapelle du Petit Quevilly<br />http://fr.wikipedia.org/wiki/Chapelle_Saint-Julien_(Le_Petit-Quevilly)

    この展示室まで来ると
    見学者がほとんどいませんでした。


    ■2・3階(日本式3・4階) フレスコ壁画

    ル・プティ=ケヴィイー/礼拝堂
    Le Petit-Quevilly
    (Seine-Maritime, Haute-Normandie)
    Chapelle du Petit Quevilly
    http://fr.wikipedia.org/wiki/Chapelle_Saint-Julien_(Le_Petit-Quevilly)

  • カオール/サンテティエンヌ大聖堂<br />フレスコ画 12世紀<br />CAHORS (Lot, Midi-Pyrenees) <br />Coupole occidentale de la cathedrale de Cahors<br />http://fr.wikipedia.org/wiki/Cath%C3%A9drale_Saint-%C3%89tienne_de_Cahors<br /><br />カオール(Cahors)はフランス南部、ミディ=ピレネー地域圏の都市。 ロット県の県庁所在地。 市内にはロット川が流れている。 市内のサン=テティエンヌ大聖堂と、ロット川にかかるヴァラントレ橋は、世界遺産「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」の一部として登録されている。<br /><br />フランス南西部アキテーヌ地方周辺には、外陣に【ドーム】を架けた単廊式のロマネスクの教会堂が約60棟残っている。 規模はさまざまだが、有名なものは、ペリグー、カオール、ソリニャック、スイヤック、アングレーム、フォントゥヴローに見られ、ペリグーのサンテティエンヌ、カオールのサンテティエンヌが1100年頃で最も早い例。 カオールのサン・テティエンヌ大聖堂は直径18m、高さ32mというフランス最大のドームが特徴で、片方にフレスコ画が描かれている。

    カオール/サンテティエンヌ大聖堂
    フレスコ画 12世紀
    CAHORS (Lot, Midi-Pyrenees)
    Coupole occidentale de la cathedrale de Cahors
    http://fr.wikipedia.org/wiki/Cath%C3%A9drale_Saint-%C3%89tienne_de_Cahors

    カオール(Cahors)はフランス南部、ミディ=ピレネー地域圏の都市。 ロット県の県庁所在地。 市内にはロット川が流れている。 市内のサン=テティエンヌ大聖堂と、ロット川にかかるヴァラントレ橋は、世界遺産「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」の一部として登録されている。

    フランス南西部アキテーヌ地方周辺には、外陣に【ドーム】を架けた単廊式のロマネスクの教会堂が約60棟残っている。 規模はさまざまだが、有名なものは、ペリグー、カオール、ソリニャック、スイヤック、アングレーム、フォントゥヴローに見られ、ペリグーのサンテティエンヌ、カオールのサンテティエンヌが1100年頃で最も早い例。 カオールのサン・テティエンヌ大聖堂は直径18m、高さ32mというフランス最大のドームが特徴で、片方にフレスコ画が描かれている。

  • モンモリヨン/ノートルダム教会のクリュプタ<br />Montmorillon (Vienne, Poitou-Charentes)<br />Crypte de l&#39;eglise Notre-Dame<br />http://fr.wikipedia.org/wiki/Montmorillon<br /><br />モンモリヨンは、ポワティエの南東50km、リモージュの90km北西に位置する。 ガルタンプ川がコミューン内を横断する。TERポワティエ=リモージュの路線が通る。 モンモリヨンの名に由来するのがモンモリロナイト(モンモリロン石)。 中世のモンモリヨンには城があった。 ノートルダム教会近くの崖の上にあったが、現在は何の痕跡もとどめていない。 モンモリヨンのノートルダム教会には、12世紀のアレクサンドリアのカタリナの戴冠を描いた美しいフレスコ画と納骨堂がある。 ユグノー戦争時、内部を守るため頑強な壁が設けられた。 (wikipedia)

    モンモリヨン/ノートルダム教会のクリュプタ
    Montmorillon (Vienne, Poitou-Charentes)
    Crypte de l'eglise Notre-Dame
    http://fr.wikipedia.org/wiki/Montmorillon

    モンモリヨンは、ポワティエの南東50km、リモージュの90km北西に位置する。 ガルタンプ川がコミューン内を横断する。TERポワティエ=リモージュの路線が通る。 モンモリヨンの名に由来するのがモンモリロナイト(モンモリロン石)。 中世のモンモリヨンには城があった。 ノートルダム教会近くの崖の上にあったが、現在は何の痕跡もとどめていない。 モンモリヨンのノートルダム教会には、12世紀のアレクサンドリアのカタリナの戴冠を描いた美しいフレスコ画と納骨堂がある。 ユグノー戦争時、内部を守るため頑強な壁が設けられた。 (wikipedia)

  • モントワール=シュル=ル=ロワール<br />/サン・ジル礼拝堂 壁画<br />Montoire-sur-le-Loir (Loir-et-Cher,Centre)<br />Abside sud du prieure Saint-Gilles<br />http://fr.wikipedia.org/wiki/Montoire-sur-le-Loir<br /><br />「 栄光のキリスト 」  1125年-50年<br /><br />ロワールの支流小ロワール川沿岸には一群のロマネスク壁画が残っているが、このベネディクト派修道院サン・カレに属する旧支院聖堂もその一つである。 壁画は三葉形アプシスおよび各祭室入口や内陣入口アーチに残っている。 三葉祭室はともに「栄光のキリスト」で占められているが、中央祭室のそれがフランス固有の白地タイプであるのに対し、南北の祭室では様式がビザンティン風の青地である。 この中央祭室のキリストは世界を象る(かたどる)円盤に腰を下ろし、上半身は赤白黄の色帯に連珠を伴うマンドルラをまとう。 輝くような白地は、蒼穹(そうきゅう)の青に対して天の光輝を象徴し、モザイクの金地に匹敵する。 この白地を背景にして、天使たちが福音書記者の象徴とともに芽吹く大地の上を軽やかに舞っている。 白、赤、黄、灰青、緑の5色に色彩は限られているが、小さく豪奢なキリストの手足、エレガントな天使たちのシルエット、緑の縁取りを示す衣の曲線などは洗練された新しい息吹がこのメーヌ地方で発達していたことを示している。 おそらくル・マンやヴァンドームの12世紀第2四半期の絵ガラスや写本画にも多くを負っていると考えられる。 アーチには、白地に「神の子羊」が6枚の翼を翻すセラピムにかしずかれて臨在している。 (世界美術大全集 8 ロマネスク 小学館)

    モントワール=シュル=ル=ロワール
    /サン・ジル礼拝堂 壁画
    Montoire-sur-le-Loir (Loir-et-Cher,Centre)
    Abside sud du prieure Saint-Gilles
    http://fr.wikipedia.org/wiki/Montoire-sur-le-Loir

    「 栄光のキリスト 」  1125年-50年

    ロワールの支流小ロワール川沿岸には一群のロマネスク壁画が残っているが、このベネディクト派修道院サン・カレに属する旧支院聖堂もその一つである。 壁画は三葉形アプシスおよび各祭室入口や内陣入口アーチに残っている。 三葉祭室はともに「栄光のキリスト」で占められているが、中央祭室のそれがフランス固有の白地タイプであるのに対し、南北の祭室では様式がビザンティン風の青地である。 この中央祭室のキリストは世界を象る(かたどる)円盤に腰を下ろし、上半身は赤白黄の色帯に連珠を伴うマンドルラをまとう。 輝くような白地は、蒼穹(そうきゅう)の青に対して天の光輝を象徴し、モザイクの金地に匹敵する。 この白地を背景にして、天使たちが福音書記者の象徴とともに芽吹く大地の上を軽やかに舞っている。 白、赤、黄、灰青、緑の5色に色彩は限られているが、小さく豪奢なキリストの手足、エレガントな天使たちのシルエット、緑の縁取りを示す衣の曲線などは洗練された新しい息吹がこのメーヌ地方で発達していたことを示している。 おそらくル・マンやヴァンドームの12世紀第2四半期の絵ガラスや写本画にも多くを負っていると考えられる。 アーチには、白地に「神の子羊」が6枚の翼を翻すセラピムにかしずかれて臨在している。 (世界美術大全集 8 ロマネスク 小学館)

  • タヴァン/サン・ニコラ教会<br />Tavant (Indre-et-Loire, Centre)<br />Crypte de l&#39;eglise Romane Saint-Nicolas de Tavant<br />XII siecle<br />http://fr.wikipedia.org/wiki/Tavant<br /><br />クリュプタ壁画  1150年頃<br /><br />マルムティエ修道院の支院であるサン・ニコラ小修道院クリュプタは三廊式で、身廊の交差ヴォールトにまとまった壁画装飾がある。 ヴォールト中央を走るイリュージョニスティックな帯模様が祭室奥壁の「栄光のキリスト」のマンドルラへとつながり、白地の交差ヴォールトの稜線部分が赤、黄2色の平行帯によって大まかに区画されている。 それぞれの扇形の湾曲面には「十字架降下」(ここだけ色帯背景)、「黄泉下り」「堕罪」「プシコマキア」などがココに配されている。 すべては超越的光を洗わず白地に浮遊するように描かれている。 ポワティエ周辺やロワール周辺のカロリング朝の伝統に基づく白地壁画群の一端をなすが、赤、黄、緑などで限られた色彩による素早い筆法の素描は独自の強い個性を感じさせ、ロマネスク盛期の表現主義を代表する作品となっている。 (世界美術大全集 8 ロマネスク 小学館)<br /><br />※ロマネスクの壁画はスペインやイタリアにも多いが、フランスではロワール川の両岸とその支流を含む地域に優れた作品を見ることができる。<br />◆ノアン・ヴィック Eglise de Nohant-Vic (Indre,Centre)<br />◆ポワティエ Baptistere de Poitiers (Vienne,Poitou-Charentes) <br />◆サン=シェフ Chapelle haute de l&#39;eglise abbatiale de Saint-Chef(Isere,Rhone-Alpes)<br />◆オセール/サンテティエンヌ大聖堂 Crypte de la cathedrale Saint-Etienne d&#39;Auxerre (Yonne, Bourgogne)<br />◆ル・ピュイ=アン=ヴレ/大聖堂 Transept nord, cathedrale du Puy-en-Velay (Haute-Loire, Auvergne)<br />◆ヴィルヌーヴ・レ・ザヴィニョン/シャルトルーズ修道院 Mur est de la chapelle Saint-Jean,Chartreuse du Val-de-Benediction, Villeneuve-les-Avignon (Gard, Languedoc-Roussillon)<br />◆グレジエ Chapelle du chateau de Pimpean a Grezille (Maine-et-Loire, Pays de la Loire)<br />◆エンヌザ Eglise Saint-Victor-et-Sainte-Couronne a Ennezat (Puy-de-Dome,Auvergne)<br />◆ディセ Chapelle du chateau de Dissay(Vienne,Poitou-Charentes)<br />◆ル・ピュイ=アン=ヴレ Librairie du chapitre, cathedrale du Puy-en-Velay (Haute-Loire,Auvergne)<br />◆アンジェ Arcade du cloitre de l&#39;ancienne abbaye d&#39;Angers (Maine et Loire,Pays de la Loire) <br />◆ケルナスクレダン Eglise de Kernascleden (Morbihan,Bretagne)

    タヴァン/サン・ニコラ教会
    Tavant (Indre-et-Loire, Centre)
    Crypte de l'eglise Romane Saint-Nicolas de Tavant
    XII siecle
    http://fr.wikipedia.org/wiki/Tavant

    クリュプタ壁画  1150年頃

    マルムティエ修道院の支院であるサン・ニコラ小修道院クリュプタは三廊式で、身廊の交差ヴォールトにまとまった壁画装飾がある。 ヴォールト中央を走るイリュージョニスティックな帯模様が祭室奥壁の「栄光のキリスト」のマンドルラへとつながり、白地の交差ヴォールトの稜線部分が赤、黄2色の平行帯によって大まかに区画されている。 それぞれの扇形の湾曲面には「十字架降下」(ここだけ色帯背景)、「黄泉下り」「堕罪」「プシコマキア」などがココに配されている。 すべては超越的光を洗わず白地に浮遊するように描かれている。 ポワティエ周辺やロワール周辺のカロリング朝の伝統に基づく白地壁画群の一端をなすが、赤、黄、緑などで限られた色彩による素早い筆法の素描は独自の強い個性を感じさせ、ロマネスク盛期の表現主義を代表する作品となっている。 (世界美術大全集 8 ロマネスク 小学館)

    ※ロマネスクの壁画はスペインやイタリアにも多いが、フランスではロワール川の両岸とその支流を含む地域に優れた作品を見ることができる。
    ◆ノアン・ヴィック Eglise de Nohant-Vic (Indre,Centre)
    ◆ポワティエ Baptistere de Poitiers (Vienne,Poitou-Charentes)
    ◆サン=シェフ Chapelle haute de l'eglise abbatiale de Saint-Chef(Isere,Rhone-Alpes)
    ◆オセール/サンテティエンヌ大聖堂 Crypte de la cathedrale Saint-Etienne d'Auxerre (Yonne, Bourgogne)
    ◆ル・ピュイ=アン=ヴレ/大聖堂 Transept nord, cathedrale du Puy-en-Velay (Haute-Loire, Auvergne)
    ◆ヴィルヌーヴ・レ・ザヴィニョン/シャルトルーズ修道院 Mur est de la chapelle Saint-Jean,Chartreuse du Val-de-Benediction, Villeneuve-les-Avignon (Gard, Languedoc-Roussillon)
    ◆グレジエ Chapelle du chateau de Pimpean a Grezille (Maine-et-Loire, Pays de la Loire)
    ◆エンヌザ Eglise Saint-Victor-et-Sainte-Couronne a Ennezat (Puy-de-Dome,Auvergne)
    ◆ディセ Chapelle du chateau de Dissay(Vienne,Poitou-Charentes)
    ◆ル・ピュイ=アン=ヴレ Librairie du chapitre, cathedrale du Puy-en-Velay (Haute-Loire,Auvergne)
    ◆アンジェ Arcade du cloitre de l'ancienne abbaye d'Angers (Maine et Loire,Pays de la Loire)
    ◆ケルナスクレダン Eglise de Kernascleden (Morbihan,Bretagne)

  • 第2回目の訪問 ( 第一日曜日入場無料の日 19:00迄 )<br /><br />上の写真までが、第1回目の訪問(木曜日のみ21時まで開館の日に見学。)の際に撮影した写真です。 この写真以降は、第2回目の訪問(第一日曜日入場無料の日)の際に撮影した写真です。<br /><br />1回目の訪問で、1階(日本式2階)にある 図書室 の見学時間がなくなってしまったため、もう1度訪問しました。 <br /><br /><br />■ 1階(日本式2階) 図書室<br /><br />ル・ピュイ=アン=ヴレ/ノートルダム大聖堂<br />LE PUY-EN-VELAY (Haute-Loire, Auvergne)<br />Cathedrale Notre-Dame<br />Ancienne salle capitulaire, dite &lt;&lt;salle des Morts&gt;&gt;<br />Crucifixion <br />Premiere motie du XIII siecle<br />http://fr.wikipedia.org/wiki/Cath%C3%A9drale_Notre-Dame-de-l&#39;Annonciation_du_Puy-en-Velay

    第2回目の訪問 ( 第一日曜日入場無料の日 19:00迄 )

    上の写真までが、第1回目の訪問(木曜日のみ21時まで開館の日に見学。)の際に撮影した写真です。 この写真以降は、第2回目の訪問(第一日曜日入場無料の日)の際に撮影した写真です。

    1回目の訪問で、1階(日本式2階)にある 図書室 の見学時間がなくなってしまったため、もう1度訪問しました。 


    ■ 1階(日本式2階) 図書室

    ル・ピュイ=アン=ヴレ/ノートルダム大聖堂
    LE PUY-EN-VELAY (Haute-Loire, Auvergne)
    Cathedrale Notre-Dame
    Ancienne salle capitulaire, dite <<salle des Morts>>
    Crucifixion
    Premiere motie du XIII siecle
    http://fr.wikipedia.org/wiki/Cath%C3%A9drale_Notre-Dame-de-l'Annonciation_du_Puy-en-Velay

  • ル・ピュイ=アン=ヴレ/ノートルダム大聖堂<br />LE PUY-EN-VELAY (Haute-Loire, Auvergne)<br />Cathedrale Notre-Dame<br />Ancienne salle capitulaire, dite &lt;&lt;salle des Morts&gt;&gt;<br />Crucifixion <br />Premiere motie du XIII siecle<br /><br />旧参事会室 &lt;&lt;死の部屋&gt;&gt;<br />「 キリストの磔刑 」 13世紀前半

    ル・ピュイ=アン=ヴレ/ノートルダム大聖堂
    LE PUY-EN-VELAY (Haute-Loire, Auvergne)
    Cathedrale Notre-Dame
    Ancienne salle capitulaire, dite <<salle des Morts>>
    Crucifixion
    Premiere motie du XIII siecle

    旧参事会室 <<死の部屋>>
    「 キリストの磔刑 」 13世紀前半

  • 図書室の見所は、ここサン・サヴァン教会堂の天井壁画の復元がある部分です。 しかし、図書室なので普通に勉強中の方がいらっしゃるので邪魔にならないように写真は最低限にとどめ、静かに見学しました。<br /><br />サン=サヴァン・シュル・ガルタンプ修道院付属教会<br />仏:Abbaye de Saint-Savin-sur-Gartempe<br />英:Abbey Church of Saint-Savin sur Gartempe<br />http://www.abbaye-saint-savin.fr/<br />http://fr.wikipedia.org/wiki/Abbaye_de_Saint-Savin-sur-Gartempe<br /><br />ポワティエから40kmほど離れたガルタンプ川のほとりの小さな町、サン・サヴァンのサン・サヴァン教会堂。 小さな放射状礼拝堂を備え、周歩廊に囲まれた内陣は典型的なロマネスク聖堂建築を示し、広間式聖堂の身廊は横断アーチがないため、それを利用して天井一杯に描かれた「旧約聖書」の物語を展開させたヴォールト天井は圧巻。 玄関間に「黙示録」、階上廊に「受難と復活」の諸場面が描かれていて、その絵画様式の質と量において他の追随を許さないといわれている。<br /><br />※ 伝承では、5世紀にブレスキアのサン・サヴァン(聖サウィヌス)が、ガルタンプ川のほとりの(シュル・ガルタンプ)この地(サン・サヴァン)で、殉教した。

    図書室の見所は、ここサン・サヴァン教会堂の天井壁画の復元がある部分です。 しかし、図書室なので普通に勉強中の方がいらっしゃるので邪魔にならないように写真は最低限にとどめ、静かに見学しました。

    サン=サヴァン・シュル・ガルタンプ修道院付属教会
    仏:Abbaye de Saint-Savin-sur-Gartempe
    英:Abbey Church of Saint-Savin sur Gartempe
    http://www.abbaye-saint-savin.fr/
    http://fr.wikipedia.org/wiki/Abbaye_de_Saint-Savin-sur-Gartempe

    ポワティエから40kmほど離れたガルタンプ川のほとりの小さな町、サン・サヴァンのサン・サヴァン教会堂。 小さな放射状礼拝堂を備え、周歩廊に囲まれた内陣は典型的なロマネスク聖堂建築を示し、広間式聖堂の身廊は横断アーチがないため、それを利用して天井一杯に描かれた「旧約聖書」の物語を展開させたヴォールト天井は圧巻。 玄関間に「黙示録」、階上廊に「受難と復活」の諸場面が描かれていて、その絵画様式の質と量において他の追随を許さないといわれている。

    ※ 伝承では、5世紀にブレスキアのサン・サヴァン(聖サウィヌス)が、ガルタンプ川のほとりの(シュル・ガルタンプ)この地(サン・サヴァン)で、殉教した。

  • サン=サヴァン・シュル・ガルタンプ修道院付属教会<br />Abbaye de Saint-Savin-sur-Gartempe<br /><br />玄関間 (ナルテックス) の壁画<br />「 黙示録のキリスト 」<br /><br />サン=サヴァン・シュル・ガルタンプ修道院付属教会は、フランスのヴィエンヌ県の都市サン=サヴァンにある中世以来の教会堂。 保存状態の良好なロマネスク期の壁画36点が現存していることで知られ、ユネスコの世界遺産にも登録されている。 当初の登録名は 「サン=サヴァン・シュル・ガルタンプ教会(Church of Saint-Savin sur Gartempe)」 だったが、2006年により正確な現在の登録名になった。

    サン=サヴァン・シュル・ガルタンプ修道院付属教会
    Abbaye de Saint-Savin-sur-Gartempe

    玄関間 (ナルテックス) の壁画
    「 黙示録のキリスト 」

    サン=サヴァン・シュル・ガルタンプ修道院付属教会は、フランスのヴィエンヌ県の都市サン=サヴァンにある中世以来の教会堂。 保存状態の良好なロマネスク期の壁画36点が現存していることで知られ、ユネスコの世界遺産にも登録されている。 当初の登録名は 「サン=サヴァン・シュル・ガルタンプ教会(Church of Saint-Savin sur Gartempe)」 だったが、2006年により正確な現在の登録名になった。

  • サン=サヴァン・シュル・ガルタンプ修道院付属教会<br />Abbaye de Saint-Savin-sur-Gartempe<br />Arche de Noe, voute de la nef<br /><br />身廊トンネルヴォールト部分の壁画<br />「 ノアの方舟 」 <br /><br />身廊トンネルヴォールトには旧約聖書の創世記から天地創造、アダムとエヴァ、カインとアベル、ノア、ヨセフ、出エジプトの話が数巻の絵巻を一挙にひもといたような一大パノラマとなって展開する。 (ロマネスクの教会堂/河出書房新社)

    サン=サヴァン・シュル・ガルタンプ修道院付属教会
    Abbaye de Saint-Savin-sur-Gartempe
    Arche de Noe, voute de la nef

    身廊トンネルヴォールト部分の壁画
    「 ノアの方舟 」 

    身廊トンネルヴォールトには旧約聖書の創世記から天地創造、アダムとエヴァ、カインとアベル、ノア、ヨセフ、出エジプトの話が数巻の絵巻を一挙にひもといたような一大パノラマとなって展開する。 (ロマネスクの教会堂/河出書房新社)

  • サン=サヴァン・シュル・ガルタンプ修道院付属教会<br />Abbaye de Saint-Savin-sur-Gartempe<br /><br />サン・サヴァン・シュール・ガルタンプ<br />サン・サヴァン修道院聖堂 身廊天井画 <br />12世紀初頭<br /><br />西側入口から三つの横断アーチが付けられ、三つの柱間をなし、残り三分の二ほどはいわゆるトンネル・ヴォールトになっている。ただし、その中間に描かれた模様装飾による横断アーチがあり、もう二つの不規則な柱間を形成している。 物語は「天地創造と楽園追放」に始まり、「ノアの物語」「バベルの塔」「アブラハムの物語」「ヨセフの物語」そして「モーセの物語」で終わる一大絵巻を展開している。 

    サン=サヴァン・シュル・ガルタンプ修道院付属教会
    Abbaye de Saint-Savin-sur-Gartempe

    サン・サヴァン・シュール・ガルタンプ
    サン・サヴァン修道院聖堂 身廊天井画 
    12世紀初頭

    西側入口から三つの横断アーチが付けられ、三つの柱間をなし、残り三分の二ほどはいわゆるトンネル・ヴォールトになっている。ただし、その中間に描かれた模様装飾による横断アーチがあり、もう二つの不規則な柱間を形成している。 物語は「天地創造と楽園追放」に始まり、「ノアの物語」「バベルの塔」「アブラハムの物語」「ヨセフの物語」そして「モーセの物語」で終わる一大絵巻を展開している。 

  • (参考.1)<br /><br />青● 天地創造から人類の祖先たちの地上の生活<br />     ↓<br />紫● ノアの物語<br />     ↓<br />    バベルの塔<br />     ↓<br />黄● アブラハムの物語<br />     ↓<br />白● ヨセフの物語<br />     ↓<br />赤● モーセの物語

    (参考.1)

    青● 天地創造から人類の祖先たちの地上の生活
         ↓
    紫● ノアの物語
         ↓
        バベルの塔
         ↓
    黄● アブラハムの物語
         ↓
    白● ヨセフの物語
         ↓
    赤● モーセの物語

  • (参考.2)<br /><br />青● 天地創造から人類の祖先たちの地上の生活<br />     ↓<br />紫● ノアの物語<br />     ↓<br />    バベルの塔<br />     ↓<br />黄● アブラハムの物語<br />     ↓<br />白● ヨセフの物語<br />     ↓<br />赤● モーセの物語

    (参考.2)

    青● 天地創造から人類の祖先たちの地上の生活
         ↓
    紫● ノアの物語
         ↓
        バベルの塔
         ↓
    黄● アブラハムの物語
         ↓
    白● ヨセフの物語
         ↓
    赤● モーセの物語

  • (参考.3)<br /><br />青● 天地創造から人類の祖先たちの地上の生活<br />     ↓<br />紫● ノアの物語<br />     ↓<br />    バベルの塔<br />     ↓<br />黄● アブラハムの物語<br />     ↓<br />白● ヨセフの物語<br />     ↓<br />赤● モーセの物語

    (参考.3)

    青● 天地創造から人類の祖先たちの地上の生活
         ↓
    紫● ノアの物語
         ↓
        バベルの塔
         ↓
    黄● アブラハムの物語
         ↓
    白● ヨセフの物語
         ↓
    赤● モーセの物語

  • この旅行記には、(説明版も含め)140枚ほどの写真を載せましたが、これでもまだまだ他に見足りない部分がありました。<br /><br />建築文化財博物館を出た後は、再びエッフェル塔のライトアップを眺めました。

    この旅行記には、(説明版も含め)140枚ほどの写真を載せましたが、これでもまだまだ他に見足りない部分がありました。

    建築文化財博物館を出た後は、再びエッフェル塔のライトアップを眺めました。

  • いつかほんものを見に行ける日が来ますように。

    いつかほんものを見に行ける日が来ますように。

    エッフェル塔 建造物

  • 建築文化財博物館の入っているシャイヨー宮の建物(左)もライトアップされ輝いていました。<br /><br /><br />■中世にタイムスリップ! 建築文化財博物館<br /><br />    Cite de l&#39;architecture et du patrimoine<br /><br /><br />             la Fin<br /><br />

    建築文化財博物館の入っているシャイヨー宮の建物(左)もライトアップされ輝いていました。


    ■中世にタイムスリップ! 建築文化財博物館

        Cite de l'architecture et du patrimoine


                 la Fin

    シャイヨー宮 城・宮殿

    ロマネスク・ゴシック建築ファンなら是非! 建築文化財博物館(シャイヨー宮内) by wiz さん
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この旅行記へのコメント (18)

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  • コクリコさん 2012/11/18 18:11:45
    これテオフイルの奇跡です〜
    wizさん、

    この彫刻はスーイヤックのサント・マリー修道院教会の「テオフィルの奇跡」です。
    両側に立っている聖人は右が聖ペテロで、左は今話題沸騰の聖ブノワです♪

    モワサックのコーナーも見ました!
    wizさんの所ちゃんと見ていればわかったのにね〜
    「受胎告知」の聖母マリアの顔、やはり磨耗していますね。

    カオールのサン・テテイエンヌ大聖堂の天井画の写真はないのですね。
    私の「建築文化財博物館」の旅行記にも写真撮り忘れたのかありませんでした(^^;)

    wiz

    wiz さん からの返信 2012/11/18 19:11:17
    RE: カオールの・・
    > カオールのサン・テテイエンヌ大聖堂の天井画の写真はないのですね。
    > 私の「建築文化財博物館」の旅行記にも写真撮り忘れたのかありませんでした(^^;)

    コクリコさん〜Bonsoir〜!

    今、ちょっとパソコンの前に来たので、この部分だけ先に^^;
    (またあとでゆっくり書きます〜!)

    コクリコさん〜! この写真って、
    カオールのサン・テティエンヌ聖堂の天井画で間違いないですよね〜?!?!
    (本人はそう思って撮ってました〜(*^^*))
    http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/15518516/

    コクリコ

    コクリコさん からの返信 2012/11/18 19:34:26
    RE: RE: カオールの・・

    > コクリコさん〜! この写真って、
    > カオールのサン・テティエンヌ聖堂の天井画で間違いないですよね〜?!?!
    > (本人はそう思って撮ってました〜(*^^*))
    > http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/15518516/

    わー、ごめんなさーい。
    これそうです!
    先ほど何回も見たのに天井画の数枚見られなかったのです。

    私が写した本物の天井画はもっと薄くて高い所にあるのでこんなに鮮やかに写っていませんでした。

    wiz

    wiz さん からの返信 2012/11/18 20:05:34
    スーイヤック!テオフィルの奇跡!

    きゃ〜〜〜コクリコさん!

    私、モワサックと間違えて書いていたんですね〜!!!
    今、「 * コクリコさん、ありがとうございます!」
    とともに、コメント直しておきました〜^^;

    例の詳しいブログの方のところにも書いてあるみたいなので
    ちょっと読んで見たいと思います〜♪

    コクリコさんもこれから旅行記アップですかね〜?
    頑張ってください〜!!! ありがとうございました〜!!!
    (はずかしい〜!博物館の中・・どれがどの看板か見難いところあったんですよね^^; )

      wiz

    wiz

    wiz さん からの返信 2012/11/18 21:22:27
    RE: これテオフイルの奇跡です〜
    > wizさん、
    >
    > この彫刻はスーイヤックのサント・マリー修道院教会の「テオフィルの奇跡」です。
    > 両側に立っている聖人は右が聖ペテロで、左は今話題沸騰の聖ブノワです♪

    コクリコさん〜!

    詳しいブログの方のは拝見したのですが・・
    他にもなにかないかなぁ?と思って探したら
    とりあえず「バースデイ・セイント」だと2月4日ですね〜。
    聖ヴェロニカの説明が多くて聖テオフィルの説明が少ない・・^^;

    wikipediaでやっと「テオフィルの奇跡」みつけました〜。
    (でも短い^^; 英語の方が説明長いみたいです^^;)
    St. Theophile d'Adana
    http://fr.wikipedia.org/wiki/Th%C3%A9ophile_d%27Adana (仏)
    http://en.wikipedia.org/wiki/Theophilus_of_Adana (英)
    Le Miracle de Theophile
    http://fr.wikipedia.org/wiki/Miracle_de_Th%C3%A9ophile (仏)


    コクリコ

    コクリコさん からの返信 2012/11/19 22:52:13
    RE: モワサックの写真

    > wizさんの所ちゃんと見ていればわかったのにね〜
    > 「受胎告知」の聖母マリアの顔、やはり磨耗していますね。

    モワサックの「受胎告知」「エリザベト訪問」「マギ」の部分の写真、夫が撮った写真の方が全体的で見やすいので入れ替えました。
    この写真ならwizさんの建築文化財博物館の旅行記の写真の説明がわかりやすいですよね。
  • コクリコさん 2012/08/01 17:25:31
    建築文化財博物館旅行記、、、再度!
    wizさん、

    建築文化財博物館の旅行記また見に来ました。
    というのも16日からフランスに行くのですが、念願のトゥールーズ、モワサック、スーイヤック、そしてパリに戻る途中リモージュに行きます。
    自分の建築文化財博物館(建築・文化遺産都市)の旅行記も見ておさらいしたのですが、wizさんのも見なくてはと思って大正解。
    wizさんの写真は部分写真と全体写真の両方があるのでとってもわかりやすいです。
    それに、私の旅行記にはなかったリモージュのサンテティエンヌ教会のジュべもwizさんの旅行記にあったのですね(wizさんの旅行記以前も拝見したのにすっかり忘れていました)。
    リモージュのジュべ、しっかりメモしました。
    ありがとうございました。
    モワサックは町自体はあまり趣がないらしいですがサン・ピエール教会に入ってしまえばこっちのものですよね。
    今回は旅程の都合でコンクへは行けませんが、コンクへ泊まればバスで行けそうなのでいつかチャレンジです・・・バスは一日1本あるそうですね。

    wizさん、いっぱい心にためて意を決して出発されるのはまだでしょうか?

    wiz

    wiz さん からの返信 2012/08/01 23:12:13
    RE: Bon Voyage〜〜〜☆
    コクリコさん〜〜〜Bonsoir♪

    16日からフランスの旅が始まるんですね〜!!
    わぁ〜〜〜いいですね〜〜〜!!! 
    建築文化財博物館に入って一番初めに目に入る
    モワサックのタンパンは本当に、本当に、印象的でしたよね〜!!
    私もこの旅行記を作成しながら、一番(行きたくて)列車で行き易いのは、
    空路トゥールーズに入り、モワサック、スーイヤック、アルビ、
    カオール等々周辺を見て廻ることだなぁと考えていましたが・・
    (美しい村も素敵な地域だし、困ってしまいますよね・・(*^^*))

    博物館では、ロマネスクのコーナーだけでもすごい見応えでしたもんね〜。
    リモージュの辺りではもう頭の中が大変になっていましたよね^^;

    私はいつになることやら・・ですが!コクリコさんはもうすぐなんですね。
    うらやましい〜〜〜♪ 旅行記楽しみにしています!!

    Bon Voyage〜〜〜☆


    コクリコ

    コクリコさん からの返信 2012/08/02 22:09:28
    RE: RE: Bon Voyage〜〜〜☆
    こんばんは〜

    > 博物館では、ロマネスクのコーナーだけでもすごい見応えでしたもんね〜。
    > リモージュの辺りではもう頭の中が大変になっていましたよね^^;

    本当に、博物館では入り口からクラクラしてしまいましたよね。
    どこをどう見て、どう写真撮ってよいかわからないほど気持ちが高揚してしまって。。。好きな人にはたまらない博物館でした。

    ゴシックのコーナーに入る前に頭が疲れてしまいました。
    しばらく時を置いて、いつか一人で見学したいです。

  • コクリコさん 2009/03/25 16:09:41
    大作完成ですね!
    wizさん、長らくのご無沙汰でした。

    「建築文化遺産都市」の旅行記堪能しました!
    私の同じ旅行記と比べ、物凄い差がありますが、トラックバックさせていただきますね。
    そして私の旅行記でwizさんの作品の紹介もさせていただきます。
    というのも、私の旅行記では完成度が低すぎなんですもの。

    さてと、、、入ったとたん興奮の坩堝だったでしょ?
    私も入るまでは「どうかなぁ・・・」と思っていたのですが、赤い展示場の真正面にモワサックのサン・ピエール教会のタンパンが目に飛び込んできた瞬間、あわわ・・・とどうしてよいやらわからなくなってしまいました。
    それで、写真も、どこをどう撮ったら良いのかわからなくなってしまい、ブレながらもやたら撮ってしまいました。

    数ヶ月たった今またあらためてwizさんの旅行記の解説を読み、感動を新たにしています。
    本物を見る方が良いことは確かですが、wizさんもおっしゃるように、特にロマネスクの教会堂は不便なところにあるし、有名な作品の比較ができるのも良いですね。

    コンクのサント・フォワ、パリで先に見ちゃいましたね!
    私もそうだわ〜本物より先にパリで見ちゃったわ。
    オータンは現地で先に見られましたが(^^;)
    オータンやモワサックは交通の便が他の地より良いので行けそうですよね。

    サン・サヴァン・シュル・ガルタンの天井画を見せてくださりありがとうございました。
    良い雰囲気の図書館ですね。図書館の雰囲気がとても素敵に伝わってくる写真です。
    そして2階の異空間に迷い込んでしまったような展示室、写真撮影可でしたか?
    私が行った時は2階は撮影不可だったのですよ。一部まだ工事中みたいだったし。
    もう一度じっくり見学したいなあ。

    ロマネスク、惹かれますよね〜。
    柱頭彫刻なども、なんだかもうお馴染みのシーンが多くてワクワクしますよね。
    wizさんは聖者の歳時記を手にいれたのでさらに親しみがわくことでしょう♪
    某氏が「wizさん、とうとう傑作完成させたなぁ」と感心していました(^^)

    wiz

    wiz さん からの返信 2009/03/28 19:09:58
    RE: 大作完成ですね!
    コクリコさん、こんばんは〜。
    レスが遅れてしまってすいません!!
    トラックバックと投票と紹介まで・・・ありがとうございます♪

    > 「建築文化遺産都市」の旅行記堪能しました!
    > というのも、私の旅行記では完成度が低すぎなんですもの。

    いやいや!コクリコさんの旅行記が・・・
    そんなわけないじゃないですか〜!!
    旅行前にコクリコさんのを見ていたら
    これは行かなくっちゃ!〜となったんですから♪

    > さてと、、、入ったとたん興奮の坩堝だったでしょ?
    > 私も入るまでは「どうかなぁ・・・」と思っていたのですが、赤い展示場の真正面にモワサックのサン・ピエール教会のタンパンが目に飛び込んできた瞬間、あわわ・・・とどうしてよいやらわからなくなってしまいました。
    > それで、写真も、どこをどう撮ったら良いのかわからなくなってしまい、ブレながらもやたら撮ってしまいました。

    もう〜!ほんとに・・・同感です!!
    モワサックのタンパンいい場所にありましたよね〜☆
    この部屋は【ラングドック地方のロマネスク】と名付けられていたけれど
    (実際は、ミディ・ピレネー辺りも含まれているけれど・・・)
    この部屋と奥のオータンとヴェズレーのタンパンがあった
    【ブルゴーニュ地方のロマネスク】の部屋・・・はっきり云って
    この2つの部屋 だけで相当時間かかって見ていました〜私(笑)
    モワサックのは、タンパンだけではなく中央柱周りや
    扉口廻りの見所でもある彫刻/レリーフも
    しっかり見られて素晴らしかったですよね!

    > オータンやモワサックは交通の便が他の地より良いので行けそうですよね。

    この旅行記を書いているのと同時に
    ついついここは簡単に行けそうだなとか
    頭の中で計画立てはじめしてしまいましたよ〜!!
    とりあえず欧州系航空会社で乗り換えて
    トゥールーズまで飛んで、そこから電車で行ける
    ロマネスク教会は・・・? とかそんな風に(笑)
    でもこの旅行記も一応書き終えて美術館の旅行記を書いていたら
    今度はイタリアルネサンスに興味がいっていたりして・・・
    でも、いつかロマネスク巡りで
    ミディ・ピレネー辺り、ブルゴーニュ辺りは是非行きたいです♪

    ところで、15Cのブルゴーニュ公国の領土って凄かったんですね!!
    この建築文化財博物館やルーヴル美術館で見た
    フィリップ・ポーの墓やシャンモル修道院について・・・調べたり、
    ウィーン美術史美術館のコレクションにフランドルのものが
    多かったりして(こっちは、ハプスブルク家の歴史の関係で・・・)
    見ているうちに、初期フランドル美術モードに入ったりもしていて(笑)
    ガイドブックを見ていて(ブルゴーニュの)ボーヌの
    オテル・デューに、フランドルの画家ウェイデンの「最後の審判」
    があるのも、自然なことなのだなぁ〜と妙に納得してしまいました。。。

    > サン・サヴァン・シュル・ガルタンの天井画を見せてくださりありがとうございました。
    > 良い雰囲気の図書館ですね。図書館の雰囲気がとても素敵に伝わってくる写真です。
    > そして2階の異空間に迷い込んでしまったような展示室、写真撮影可でしたか?
    > 私が行った時は2階は撮影不可だったのですよ。一部まだ工事中みたいだったし。
    > もう一度じっくり見学したいなあ。

    コクリコさんが上階の写真撮影のことについて書いていたから
    私もダメなのかなぁ?と思いながらいたんですけど、
    特に写真×の表示もなかったし、美術館の人がいるところで試しに
    写真を撮って見ても何も云われなかったので
    良いのかなぁ?という感じでした(笑)
    図書館の方は、私が見たくて入りたい・・・とお願いしていたら
    隣に私と同じように見たい男性がいてちょうど一緒に入りました。
    写真に写っているとおり、さすがにフツーに閲覧室になっているので
    ここはバシバシ写真を撮れる雰囲気ではなかったので
    写真はちょっと遠慮して静かに見なくちゃという気持ちになりました(笑)
    私も・・・もう一度じっくり見学したいです!!

    > wizさんは聖者の歳時記を手にいれたのでさらに親しみがわくことでしょう♪

    聖人暦・・・バースデイ・セイント、
    何か気になった時にちょくちょく見ていますよ〜!!
    美術館の旅行記の話題でpulseraさんと話していたら
    彼女も気になって購入しちゃったそうです♪

    > 某氏が「wizさん、とうとう傑作完成させたなぁ」と感心していました(^^)

    いやいや・・・恐れ多いです〜(汗)
    今読み返すとまだあのことも書きたい!とか沢山出てきて・・・。
    でも嬉しい言葉を、ほんとうにありがとうございます☆

    wiz

    wiz

    wiz さん からの返信 2009/03/30 22:51:50
    RE: サン・サヴァン・・・
    コクリコさ〜ん!
    今、NHKで「世界遺産への招待状」
    っていう新しい番組(月曜22:00〜)
    をチラっと見ていたら、最後に来週の予告が出たんですけれど、
    来週はフランスで多分・・・?!
    サン・サヴァンらしき教会?の映像が映っていました!!
    モンサンミシェルとリヨンは言葉に出して予告していたんですけれど・・・
    あの教会は・・・、多分サン・サヴァンだったと思います〜。
    (ほんとに一瞬だった・・・。。。)

    来週が楽しみです〜♪

    wiz

    wiz さん からの返信 2009/03/30 23:03:14
    RE: RE: サン・サヴァン・・・
    多分・・・と書いていたけれど
    やっぱりサン・サヴァンでした〜♪ (今確かめました・・・汗)
    http://www.nhk.or.jp/sekaiisan/invitation/index.html

    やったぁ〜! ますます楽しみ!!

    コクリコ

    コクリコさん からの返信 2009/03/30 23:16:21
    ありがとう!
    wizさん、こんばんは。

    > やっぱりサン・サヴァンでした〜♪ (今確かめました・・・汗)
    > http://www.nhk.or.jp/sekaiisan/invitation/index.html

    わー、ありがとうございます。
    「世界遺産への招待状」が始まったのは知っていましたが、今夜はアエーズロックだったっけ?・・・だったので見ていなかったのです。
    さすがwizさん、情報収集が早いわ〜。
    テレビの画像からとはいえ本物のサン・サヴァンが見られるとは嬉しいです。
    予約しなきゃ。

    > やったぁ〜!すます楽しみ!!

    ではお休みなさーい。

    wiz

    wiz さん からの返信 2009/03/31 00:11:03
    RE: ありがとう!
    > 「世界遺産への招待状」が始まったのは知っていましたが、今夜はアエーズロックだったっけ?・・・だったので見ていなかったのです。
    > さすがwizさん、情報収集が早いわ〜。
    > テレビの画像からとはいえ本物のサン・サヴァンが見られるとは嬉しいです。
    > 予約しなきゃ。

    いえいえ〜(笑)
    私も今日はお風呂上りで途中から見たのですが
    たしか来週第2回目がフランス(モンサンミシェル)なのは
    どこかで見ていたので来週の予告出ないかなぁ〜と
    最後をチェックしました(苦笑)
    前にwebを見たときはたしか第1回目(オーストラリア)しか
    載っていなかったけれど、今日見たら
    来週のフランス(サン・サヴァンも♪)載っていましたね〜!!
    私も映像とはいえ・・・ 楽しみです。 同じく・・・予約しなくちゃ。
  • 真@tokyoさん 2009/01/29 20:37:27
    パリの何処にありますか
    wizさん
    こんにちは

    建築好きの真@tokyoです。
    このタイトルに飛びつきました。
    これからどのような旅行記となるか楽しみにお待ちしています。

    ところで、建築文化財博物館とはどのあたりにありますか。
    将来のパリ行きの参考にいたしますのでご教示ください。

    よろしくお願いいたします。

    wiz

    wiz さん からの返信 2009/01/29 22:35:24
    RE: パリの何処にありますか
    真@tokyoさん、
    こんばんは〜お久しぶりです。
    (トラベラーネームをvoodooからwizに
    変えたのですが覚えていらっしゃいますか・・・?)

    建築文化財博物館Cite de l'architecture et du patrimoineは、
    以前のフランス文化財博物館の場所に(=シャイヨー宮)
    構想13年工事5年をかけて、2007年9月にオープンしたそうです。
    私は、下記のミュゼ・ド・フランス風に「建築文化財博物館」と書きましたが、
    http://www.museesdefrance.org/museum/special/backnumber/0801/special01.html
    在日フランス大使館では、「建築・文化遺産都市」
    他には「建築遺産博物館」(ハヤクー)など日本語訳が色々のようです。

    一応下記がオフィシャルサイトで、
    http://www.citechaillot.fr/
    このあたりでコレクションが少し見られます。
    http://www.citechaillot.fr/musee/les_collections/les_moulages.php

    1階はフランスのロマネスク〜ゴシック建築など、
    2階は近代建築のギャラリーで
    コルビジェのユニテ・ダビタシオンの実物大展示などや、
    フレスコ画のギャラリー、
    中2階のような場所に図書室があったりしました。
    また2階のフレスコ画のギャラリーからは
    とてもきれいにエッフェル塔を見下ろすことができました!
    http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/15083290/

    wiz

    真@tokyo

    真@tokyoさん からの返信 2009/01/29 23:20:44
    RE: パリの何処にありますか
    wizさん
    ありがとうございました。
    シャイヨー宮は好きなとところであの周辺はペレの縄張りということで、毎回よく歩いています。

    博物館の紹介 これは知らなかった。
    1月がルネッサンスでしたね。
    最近、近代よりさかのぼってルネッサンスまで来ています。
    パリのバロックもイタリアほどは崩していないので、日本人には受けが良いと思います。また行ってみたいです。

    改名のことは気がつかず失礼しました。

    またお世話になりますが教えてくださいね。

    よろしく

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