2012/10/05 - 2012/10/05
7位(同エリア45件中)
wiz さん
■ロマネスク芸術の至宝 (1)
サント・マドレーヌ・バジリカ聖堂 外観 / 拝廊 編
すべての彫刻を鮮明に写すことは困難でしたが、
”旅の記録”としてここに残しておきたいと思います。
こちらの旅行記も、次の旅行記「身廊/側廊」編も、
あえて、あまり個人的な感想を入れず、
彫刻と対応するエピソードを書く形式としました。
感想その他については、最後に記しておきました。
La Basilique Sainte-Marie-Madeleine de Vezelay
http://www.basiliquedevezelay.org/
参考:
(A) 世界美術大全集 8 ロマネスク 小学館
(B) 西洋美術解読事典 河出書房新社
(C) ミシュラン・グリーン・ガイド フランス
”Vezelay ” Editions La Pierre d'angle
”The Basilica of Saint Mary Magdalen” Editoins Premier Chapitre
他 wikipedia, wikisource 等々
- 旅行の満足度
- 5.0
-
サント=マドレーヌ大聖堂 (Basilique Sainte-Madelaine) は、フランスの町ヴェズレーの中心的な丘の上にあるバシリカ式教会堂。
この教会と丘は、1979年にユネスコの世界遺産に登録された(登録名は「ヴェズレーの教会と丘」)。
” サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路 ” の始点のひとつという歴史的重要性もさることながら、大聖堂のティンパヌムはロマネスク彫刻の傑作として知られている。 -
フランスの ” サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路 ”
フランス からは、巡礼の中心地であった都市を拠点として4つの道がピレネー山脈に向かっている。
◆トゥールの道(fr) la via Turonensis
パリ 〜 オルレアン 〜 トゥール 〜 ポワティエ 〜 オルネー 〜 サント 〜 ボルドー 〜 オスタバ=アスム *
◆リモージュの道 la via Lemovicensis,
(ヴェズレーの道、サン・レオナールの道)(fr)
ヴェズレー(fr) 〜 ラ・シャリテ・シュル・ロワール 〜 ブールジュ/ヌヴェール 〜 サン=レオナール=ド=ノブラ(fr) 〜 リモージュ 〜 ペリグー 〜 オスタバ=アスム *
◆ル・ピュイの道(fr) la via Podiensis
ル・ピュイ 〜 コンク 〜 フィジャック 〜 モワサック〜 オスタバ=アスム *
◆トゥールーズの道(サン・ジルの道)(fr) la via Tolosane
アルル 〜 サン=ジル(fr) 〜 モンペリエ 〜 サン=ギレム=ル=デゼール 〜 トゥールーズ 〜 オロロン=サント=マリー
トゥールの道、リモージュの道、ル・ピュイの道の3つは、オスタバ=アスム * で合流し、サン=ジャン=ピエ=ド=ポルを通ってピレネー山脈のイバニェタ峠(fr)に向かう。
トゥールーズの道は、オロロン=サント=マリー(オロロン)からソンポルト峠に向かう。 (wikipediaより) -
聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラへの道しるべ
”帆立貝 ”
聖堂が見えたところで足元を見ると、
ちゃんと、コキーユ・サンジャック。
フランス語のサン・ジャックは、
スペイン語ではサン・ティアゴ(聖ヤコブ)。
このように町の通りに埋め込まれている
”帆立貝 ”の文様は、
聖地 サンティアゴ・デ・コンポステーラへの道しるべ。
巡礼道はここから遠く、ピレネー山脈を越えてスペインへと続き、ヴェズレーから国境を越え、イベリア半島北西部に続きます。 この道も 「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」 として世界遺産に登録されています。 -
~ サント・マドレーヌ・バジリカ聖堂の歴史 ~
(ヴェズレーはモルヴァン地方の北部、キュール川 la Cure の谷にのぞむ丘の上の、趣のある村である。 旅行者にはとくに、素晴らしいバジリカ聖堂のある村として知られている。 昔、この丘の上にはケルト人の要塞があった。(C) )
861年にヴェズレーの丘の上にベネディクト会士たちが建立した。 その際に、修道士の一人がマグダラのマリア(サント=マドレーヌ)の聖遺物を持ち帰るためにプロヴァンス地方のサン=マクシマンに派遣された。
878年には、この初期カロリング様式の教会は、ローマ教皇ヨハネス8世によって、現存する地下納骨堂ともどもマグダラのマリアに捧げられた。 ジョフロワ修道院長 (l'abbe Geoffroy) はマグダラのマリアの聖遺物を公開し、それが様々な奇跡を起こしたとされる。 これによって、巡礼者が押し寄せ、ひいてはサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路に組み込まれることになったのである。
こうした評価は村を都市へと発展させる原動力となった。 巡礼者たちは引きもきらず、その中にはブルゴーニュ公ユーグ2世(1084年)や、イングランド王リチャード1世(1190年に第3回十字軍遠征に先立って)、フランス王ルイ9世(1248年)なども含まれることとなる。
アルトー修道院長 (l'abbe Artaud) は、1096年から1104年に内陣も翼廊も新築した。 ただし、この新築にかかる費用の負担に反発した住民たちが暴動を起こし(1106年)、この時にアルトーは殺された。 なお、この時点では身廊はカロリング様式のままだったが、1120年7月25日に1127人の犠牲者を出した大火災に見舞われたことで、身廊も建て直された(1138年に完成)。 なお、今に残る正面扉上の美しいティンパヌムが彫られたのもこの頃のことである(1125年 - 1130年)。・・ -
・・1146年の復活祭の日(3月31日)に、クレルヴォーのベルナルドゥスは、丘の北斜面にて第二次十字軍を派遣すべきであると説いた。 また、1166年にはカンタベリー大司教トマス・ベケットが、この教会で、イングランド王ヘンリー2世の破門を宣告した。
教会の人気は、1279年にヴェズレーへ持ち去られたはずの聖遺物と称するものがサン=マクシマン(サント=ボーム山地の洞窟)で発見されたことで、凋落の一途をたどった。
この教会は1162年にはクリュニー修道院から分離し、オータン司教からフランス王の監督下に移っていたが、1217年にはフランシスコ会に引き取られ、1537年に還俗した。
1569年にはユグノーによる略奪を受けた。 その後、1790年にはフランス革命の中で小教区の一教会となった。 この頃、教会参事会室だけは良好な状態で保たれた(現在も付属のチャペルとして残存している)ものの、ほかは建材調達のための石切り場と化し、自慢のティンパヌムも酷い有様だった。 1819年には サン=ミシェル塔 La tour Saint-Michel ( * この写真) に落雷があった。
こうした度重なる損壊に対し、(「歴史的建造物」の視察官をしていた作家)プロスペル・メリメの発案に従って、ウジェーヌ・ヴィオレ=ル=デュックに再建が委ねられた(1840年)。 この再建工事は1876年に完成し、1912年に再び巡礼の拠点となった。(wikipediaより) -
サント・マドレーヌ・バジリカ聖堂
西ファサード
La facade occidentale
http://bit.ly/TmXjnz
聖母マリア(左)
キリスト(中央)
マグダラのマリア(右) -
サント・マドレーヌ・バジリカ聖堂
西ファサード
La facade occidentale
http://bit.ly/TmXjnz
6聖人 (左から右)
聖ヨハネ(使徒、福音記者)、聖アンデレ、洗礼者ヨハネ
聖ペテロ、聖パウロ、(アニアンの)聖ベネディクトゥス -
サント・マドレーヌ・バジリカ聖堂 西ファサード
6聖人のうち 左3聖人 (左から右)
聖ヨハネ(使徒/福音記者)、聖アンデレ、洗礼者ヨハネ
Saint Jean l'Evangeliste, Saint Andre, Jean le Baptiste -
サント・マドレーヌ・バジリカ聖堂 西ファサード
6聖人のうち 右3聖人 (左から右)
聖ペテロ、聖パウロ、(アニアンの)聖ベネディクトゥス
Saint Pierre, Saint Paul, Saint Benoit d'Aniane -
サント・マドレーヌ・バジリカ聖堂 西ファサード
中央タンパン 「最後の審判」は、
19世紀、ヴィオレ・ル・デュクによるもの。
”ロマネスク彫刻の白眉” といわれる 彫刻 は、
これから入る、 ナルテックスのもの(旅行記後半)
と、聖堂内の 柱頭彫刻 (別旅行記)です。 -
ブルゴーニュ地方は、西と北からはノルマン人が、東からはハンガリー人がヨーロッパを荒らしていた10世紀頃にも ” 平和 ” を保つことができた。
ロワール川とソーヌ川に挟まれたこの平野は多くの ” 修道士たちの逃げ場所 ” でもあった。
ロワール川が大西洋に注ぐ河口に近い、ノワールムティエの島にいた修道士たちが長い放浪の末、彼らの守護聖人フィリベールの聖遺物とともにたどり着いたのがトゥルニュであった。
また、アキテーヌ公ギヨームがアキテーヌ(大西洋に面するフランス南西部の地域圏)ではなく、わざわざ ブルゴーニュ地方 に 修道院改革の環境づくり を求めたのも、この地が ” 平和 と 安定 ” を保証していたからである。(A) -
聖堂西正面(ファサード)を撮影後・・
実際には、聖堂内へ入り、ナルテックス(拝廊)のタンパン彫刻や、身廊/側廊の柱頭彫刻など堪能しました。
その後、聖堂のまわりを見てまわったのですが、旅行記の構成の都合上、聖堂外まわりの写真を先に載せておきます。 -
サント・マドレーヌ・バジリカ聖堂 南側
-
振り返ると(南側を見ると)
美しいブルゴーニュの風景が目に飛びこんできます。 -
サント・マドレーヌ・バジリカ聖堂 東側
レヨナン様式の礼拝堂のある見事な出来ばえの後陣 と、
サン=タントワーヌ塔 la tour Saint-Antoine -
聖堂の南側を歩くと、
キュール川流域の美しい風景が望める”テラス”。 -
ヴェズレーはモルヴァン地方の北部、
キュール川 la Cure の谷にのぞむ丘の上の 趣のある村。
昔、この丘の上には ”ケルト人の要塞” があったそう。
聖堂内のロマネスク彫刻を十分に堪能した後は、この ”要塞” に沿った道を歩きながら、ヴェズレーの丘をくだり、ブドウ畑越しに丘の上の聖堂を眺めました。 この様子については、 ヴェズレー旅行記 「 快晴秋空のヴェズレーの丘でミニハイキング♪ 」 で書いています。
http://4travel.jp/traveler/mojo/album/10715668/ -
テラスから望むサン・ペールの村の風景
-
美しいブルゴーニュの風景、
そして、美味しい空気を味わうひととき。 -
(写真の順番が時系列純と前後していますが、実際には)
聖堂西正面→ 聖堂内→ 聖堂まわり→ 聖堂裏テラス
とまわり、この場所から、
”ケルトの要塞跡”を下りながら、
ミニハイキング♪に出かけたのですが・・
この旅行記は、「ロマネスク彫刻 編」なので、
この後は(聖堂内)
”ロ マ ネ ス ク 彫 刻” に 徹 し ま す!! -
(聖堂内へ入る前に、分かりやすいように・・)
サント・マドレーヌ・バジリカ聖堂 彫刻配置図
この旅行記では、
聖堂の外観、西ファサード(西正面)や、
ナルテックス(拝廊/玄関の間) = A〜G
をまとめています。
http://4travel.jp/traveler/mojo/album/10722520/
次の旅行記では、
聖堂内、身廊/側廊の柱頭彫刻 = 1〜10
をまとめています。
http://4travel.jp/traveler/mojo/album/10722521/ -
イチオシ
A ナルテックス 中央 1125年頃 ★★★★★
Le portail central du narthex
サント=マドレーヌ・バジリカ教会
(Basilique Ste-Madeleine)
1096年から1104年にかけて建てられ、1120年には火災に遭ったが、すぐに再建された。 外観で注目されるのは、堂々たるロマネスク様式の身廊(13世紀に一列に並ぶアルク=ブーダンの控え壁がつけられた)、サン=タントワーヌの塔、レヨナン様式の礼拝堂のある見事な出来ばえの後陣(テラスからはキュール川流域の眺望が得られる)である。
ナルテックス(1140〜1160)の薄闇のなかにある、中央正面入口のタンパン(1125年頃)は、オータン(ブルゴーニュ地方、ディジョン南西の町)の聖堂のタンパンより古い。 このタンパンには、使徒たちに恩寵を伝え布教の旅に送り出すキリストの姿が描かれている。 画面の不均衡さによって、象徴的な構成がかえって引き立っている。
人間離れした背丈のキリストが、栄光につつまれて、力を恵み与える大きな両手を広げている。 長い脚はキリストを世俗の些事から遠く引き離している。 一種の逆遠近法が用いられて、前景の使徒たち、さらに異教徒たちはごく小さく描かれている。 まぐさとメダイヨン(円形、楕円形の装飾モチーフ)を占める使徒たちやその他の人物の仕草に、また、使徒たちが今まさに伝道の旅に送り出されようとしている時の、聖霊の息吹に煽られた襞のついた鉄の衣には、彫刻家の才能がはっきりと表れている。
10の梁間からなるロマネスク様式の身廊は1120年から1135年にかけて再建されたもので、その広さと明るさは異例である。
半円形のアーチの列廊、階上席も見せかけのトリフォリウムもないこと、多色の建築素材、壁面埋めこみの円柱(付け柱ではなく)、そしてとくに、内部空間の主要部分を覆う交差ボールトといった点に、ブルゴーニュ地方の独創性が表れている。
主な装飾は柱の上の1106年以降に彫刻がほどこされた一連の柱頭である。 彫刻の主題は新・旧約聖書、聖者たちの生涯、教訓話、寓意的だが装飾的な動物図像などで、オータンの聖堂の様式を予告する動きと才気が表れている。
ゴチック様式の壮麗な内陣(1185〜1215)には、イール=ド=フランスとサンスの影響が見られるようだ。(C) -
A ナルテックス 中央
ヴェズレーの繁栄は11世紀半ばに始まるマグダラのマリアの聖遺物崇拝によってもたらされたが、ブルゴーニュ彫刻の白眉であり、ロマネスク彫刻の頂点を画する身廊部の西扉口の彫刻は、その繁栄の絶頂期に起こった1120年の火災の後のものである。 この3連扉口形式は、後のゴシック大聖堂の扉口の先駆をなし、総合的図像プログラムに基づいている。
ひときわ大きい中央のテュンパヌム(タンパン)は、両脇扉口で啓示されたキリストの救済の教義を宣べ伝える「教会」が表されている。 中央には、「マルコによる福音書(16章」「ヨハネによる福音書」(17章)に基づく世界宣教の使命を使徒たちに託される場面であるが、「使徒言行録」に基づく昇天後の「聖霊降臨」(2章)を総合した図像とみるべきだろう。
巨大なキリストは、可視的存在でなく霊的存在であることを感じさせ、その広げられた手の指先から光線のように霊気が動揺する使徒たちの頭上に降り注いでいる。 聖堂形の玉座に座するキリストは上半身の正面性に対し下半身をプロフィールで捉える異例の像である。
左右にペテロを筆頭に互いに重なり合う弟子たちの群像がある。 動揺する姿態、表情豊かな大ぶりの手、霊気に巻き上げられる震える衣襞(いへき)が、この瞬間の超自然の啓示を露わにする。(A) -
A ナルテックス 中央
ヴェズレーのテュンパヌム(タンパン)やショーヴィニーの柱頭は、地上に循環する「時」を表す黄道十二宮や月暦とともに、グロテスクな人間や怪物を宣教すべき地の果ての住人として示している。 だが、怪物たちの棲まう辺境とは、インドであろうとアイルランドの北西の海賊の島であろうと、人々にとっては冥府の入口が潜む豊穣の楽園の地として夢見られていたのである。
死と再生、交替と革新のモメントは、常に祝祭的世界観と結びつく。 「時」のモメントと結びついていた異教の豊穣の儀礼も、教会の祝祭に取り込まれた。 降誕祭が夏至の、聖ヨハネ祭が夏至の祝祭と合流したことは周知のごとくである。 また、楽師、踊り子、アクロバット acrobate 、猿回し、熊使いなど周縁的人物のテーマは、こうした民衆の祝祭に伴うものであるが、これらがロマネスク聖堂を飾っているという実情は、「愚者の祭り」のような民衆的・カーニヴァル的祭りが聖堂内部で行われていたこととも関係しよう。(A)
* ”「時」のモメントと結びついていた異教の豊穣の儀礼も、教会の祝祭に取り込まれた”・・ こういうのが面白いですよね〜。 この写真でもキリストの真上に「 アクロバット acrobate 曲芸師 」のレリーフがみられますね。 -
イチオシ
A ナルテックス 中央
Le Christ en gloire
巨大なキリストは、可視的存在でなく霊的存在であることを感じさせ、その広げられた手の指先から光線のように霊気が動揺する使徒たちの頭上に降り注いでいる。 聖堂形の玉座に座するキリストは上半身の正面性に対し下半身をプロフィール profil で捉える異例の像である。(A)
* やっぱりヴェズレーといえば、このキリストですね。 こうやって見上げると彫刻の凸凹も分かりやすい・・ 右手の下に空間があることまで確認できますね。 -
A ナルテックス 中央 左部分
左右にペテロを筆頭に互いに重なり合う弟子たちの群像がある。 動揺する姿態、表情豊かな大ぶりの手、霊気に巻き上げられる震える衣襞(いへき)が、この瞬間の超自然の啓示を露わにする。(A) -
A ナルテックス 中央 左部分
”十二使徒” Les apotres
* 他の使徒たちと並んで描かれる場合、聖ペテロの位置は上座、つまりキリストの隣であり (B) 、聖ペテロ固有の事物は ”鍵 ” なので、この写真の一番右(=キリストの右隣り)が聖ペテロだと思います。 よく見ると、”鍵”を持っているのが分かります。
* ペテロへの天国の階段の授与
http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/18126824/
* 聖パウロの回心
http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/18126787/ -
A ナルテックス 中央 右部分
”十二使徒” Les apotres -
A ナルテックス 中央 右部分
左右にペテロを筆頭に互いに重なり合う弟子たちの群像がある。 動揺する姿態、表情豊かな大ぶりの手、霊気に巻き上げられる震える衣襞(いへき)が、この瞬間の超自然の啓示を露わにする。(A) -
A ナルテックス 中央
書記する2人の使徒
Deux apotres ecrivant
ユダヤ人
Le peuple juif
カッパドキア人
Les Cappadociens
半円に沿って並べられた箱の中や水平のまぐさ石に世界の民族を配置するという独創的解決が示される。 箱の中には、 ”犬頭人 les Cynocephales (Indiens) ” 、 ”高い靴を履きポロの道具らしきものを持つ男たち Les Armeniens ” や ”握手している渦巻き鼻の男女 Les Ethiopiens ” などがいる。 セビーリャの聖イシドルスらによって伝承されたこれらの地の果ての民族にも善き福音が伝えられ、だれもが驚き話し合っている。 それぞれの人物は、箱ごとに異なる重心をもって扱われ、プロポーションも空間への人物の充填の仕方で異なる。(A) -
A ナルテックス 中央
アラブ人とインド人(犬頭人◆ ”キュノケパロイ”)
Les Arabes et les Cynocephales (Indiens) -
A ナルテックス 中央
エチオピア人
Les Ethiopiens
”握手している渦巻き鼻の男女” -
A ナルテックス 中央
フリギア人
Les peuples de Phrygie
野蛮人とビザンチウム人
un barbare et un Byzantin
アルメニア人
Les Armeniens **
”高い靴を履きポロの道具らしきものを持つ男たち”
半円に沿って並べられた箱の中や水平のまぐさ石に世界の民族を配置するという独創的解決が示される。 箱の中には、 ”犬頭人 les Cynocephales (Indiens) ” 、 ”高い靴を履きポロの道具らしきものを持つ男たち Les Armeniens ** ” や ”握手している渦巻き鼻の男女 Les Ethiopiens ” などがいる。 セビーリャの聖イシドルスらによって伝承されたこれらの地の果ての民族にも善き福音が伝えられ、だれもが驚き話し合っている。 それぞれの人物は、箱ごとに異なる重心をもって扱われ、プロポーションも空間への人物の充填の仕方で異なる。(A) -
イチオシ
A ナルテックス 中央
アーキヴォルト(飾りアーチ)部分
テュンパヌムを囲むアーチには、 黄道十二宮 と 月暦 その他 からなる 29個 のメダイヨンが並び、中央のキリストが全宇宙の時間と空間を統治するパントクラトール Le Christ pantocrator であることを示唆している。 そして、すべては最も外側の、生命の表象たる植物文のアーチで括られる。(A)
- 黄道十二宮(1〜12) と
十二ケ月の労働/月暦(1〜12の間)
1 1月 みずがめ座 Le Verseau
2 2月 うお座 Les Poissons
3 3月 おひつじ座 Le Belier
4 4月 おひつじ座 Le Taureau
5 5月 ふたご座 Les Gemeaux
6 6月 かに座 Le Cancer
7 7月 しし座 Le Lion
8 8月 おとめ座 La Vierge
9 9月 てんびん座 La Balance
10 10月 さそり座 Le Scorpion
11 11月 いて座 Le Sagittaire
12 12月 やぎ座 Le Capricorne
a 鶴 Une grue
b 犬 Un chien
c 曲芸師 Un acrobate
d セイレーン Une sirene
※ 1〜12の間 には「小麦の脱穀」や「葡萄の収穫」など、
十二ケ月の労働/月暦 が示されています。
- タンパンの外枠の8つの箱部分
A 書記する2人の使徒
Deux apotres ecrivant
B ユダヤ人
Le peuple juif
C カッパドキア人
Les Cappadociens
D アラビア人とインド人
Les Arabes et les Cynocephales(Indiens)
E エチオピア人
Les Ethiopiens
F フリギア人
Les peuples de Phrygie
G 野蛮人とビザンチウム人
Un barbare et un Byzantin
H アルメニア人
Les Armeniens -
A ナルテックス 中央
5月(ふたご座)
6月(かに座)
アラブ人とインド人(犬頭人 ”キュノケパロイ”) -
A ナルテックス 中央
アーキヴォルト(飾りアーチ)部分
8月(おとめ座)
9月(てんびん座)
10月(さそり座)
エチオピア人 ”握手している渦巻き鼻の男女”
フリギア人 -
A ナルテックス 中央 まぐさ(ラントー)左部分
水平まぐさ(ラントー)部にも、異教徒たちが列をなしている。 ” 犠牲の牛を引く人々 (1) ”、” 梯子を使って馬に乗ろうとするピグミー (2) ”、” 大耳族 (3) ”などがみられる。
まぐさ石のほぼ中央に聖ペテロと聖パウロがひときわ長大な姿で立ち、これら世界の民族への宣教を統括している。(A) -
A ナルテックス 中央 まぐさ(ラントー)右部分
水平まぐさ(ラントー)部にも、異教徒たちが列をなしている。 ” 犠牲の牛を引く人々 (1) ”、” 梯子を使って馬に乗ろうとするピグミー (2) ”、” 大耳族 (3) ”などがみられる。
まぐさ石のほぼ中央に聖ペテロと聖パウロがひときわ長大な姿で立ち、これら世界の民族への宣教を統括している。(A)( * この写真の一番左/ラントーの高さからはみ出ている2人) -
A ナルテックス 中央部分と中央柱(トリュモー)
巨大なキリストは、可視的存在でなく霊的存在であることを感じさせ、その広げられた手の指先から光線のように霊気が動揺する使徒たちの頭上に降り注いでいる。 聖堂形の玉座に座するキリストは上半身の正面性に対し下半身をプロフィール profil で捉える異例の像である。
中央柱にはキリストの先導者である洗礼者聖ヨハネが円盤の中の贖罪の子羊を指さして立っている。 それは、ロマネスクの彫像における洗礼者聖ヨハネ像の開始を告げると同時に、サン・ドニの人像円柱の予型でもある。(A) -
A ナルテックス 中央 中央柱(トリュモー)
”洗礼者ヨハネ”
Sur le trumeau : Saint Jean-Baptiste
中央柱にはキリストの先導者である洗礼者聖ヨハネが円盤の中の贖罪の子羊を指さして立っている。 それは、ロマネスクの彫像における洗礼者聖ヨハネ像の開始を告げると同時に、サン・ドニの人像円柱の予型でもある。(A)
* (洗礼者ヨハネによる)キリストの洗礼
http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/18126823/ -
A ナルテックス 中央 ポルタイユ 右
側柱で使徒たちが対話している右手の組は、またもやペテロとパウロで、ローマ教会の存在が強調されている。(A)
下は、
”聖ペテロと聖パウロ”
その上(ラントー部分)は、
”スキタイの大耳人(パノティイ)” -
A ナルテックス 中央 ポルタイユ 右
”聖ペテロと聖パウロ”
Sur le piedroit de droite : Saint Pierre et Saint Paul
* 左が聖ペテロだと思います。よく見ると、タンパン内、ラントー部と同じくアトリビュートの ”鍵”を持っているので・・。 -
A ナルテックス 中央
教会の役割を描くことも欠かせない。 ”聖ペテロと聖パウロ”はテュンパヌム(タンパン)内部や周辺壁に常に現われる。
何よりも教会の権威をキリスト教教義と結びつけて明瞭に印象づけるのはヴェズレーのサント・マドレーヌ修道院聖堂の3連扉口であろう。 中央扉口には「世界宣教の召命」が表され、教会の権威が象徴される。 巨大なキリストの両掌から霊気が動揺する使徒たちの頭上に降り注いでおり、その周辺には彼らが宣教すべき世界の民族が描かれる。
テュンパヌム全体は宇宙的時間「黄道十二宮」と人間的時間「月暦」で枠取られており、神の権威が全世界の時間空間に及ぶ様が表明されている。
( http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/27136004/ )
教会の権威は、”聖ペテロと聖パウロ”がテュンパヌム(タンパン)内、中央柱の洗礼者聖ヨハネの脇(* キリストの左足元、写真ではキリストの右下)、側柱( * 上の写真)と3回も描かれることによって強調されている。
左右の小扉口に表されるのは神の子の訪れと勝利、
すなわち、南は”神の化肉”にかかわるエピソード
( http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/27159505/ )、
北の”復活”にかかわるエピソード
( http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/27159506/ )である。
キリストの巨大さ、位階的遠近法、中心の不動の観念などが、神と人間の分離と距離を際立たせ、衣の抽象的グラフィスムは出来事の超自然性をいっそう強調している。(A) -
A ナルテックス 中央
ナルテックス(拝廊)中央タンパンを十分鑑賞した後は、
(中央から見て)左右のタンパンと柱頭彫刻を鑑賞します。 -
もう1度・・
サント・マドレーヌ・バジリカ聖堂 彫刻配置図
ナルテックス(拝廊/玄関の間)= A〜G
ここまで、Aを見てきたので、
この後は、B〜Gを見ていきます。 -
B ナルテックス 南
”キリストの受肉 Incarnation に関わるエピソード” -
B ナルテックス 南 タンパン
Tympan sud ★★★★★
”キリストの受肉 Incarnation に関わるエピソード”
マギの礼拝
Adoration des mages
the Wise men's Adoration
受胎告知、マリアのエリザベツ訪問、キリスト降誕
L'Annonciation, La Visitation, La Nativite
the Annunciation, the Visitation, the Nativity
* このあたりは絵画でもおなじみの主題ですね。 -
B ナルテックス 南 タンパン Tympan sud
マギの礼拝
Adoration des mages
the Wise men's Adoration -
B ナルテックス 南 タンパン Tympan sud
受胎告知
L'Annonciation
the Annunciation
マリアのエリザベツ訪問
La Visitation
the Visitation -
B ナルテックス 南 タンパン Tympan sud
キリスト降誕
La Nativite
the Nativity
* エミール・マールによれば、この「降誕」のような構図(狭い半円の中に、幼子、横たわる聖母、一人の産婆、手を頬に当てる聖ヨセフ、さらに、洞窟の上には天使がいて、左からは羊飼いたちが近づいてくる)は、フランスではここヴェズレーにしかないそうです。 これはオリエント芸術を源とする構図のようですが、フランスは次第にもっと単純な「降誕」の構図( 例: シャルトル http://bit.ly/17F2OD0 )を編み出していったそうです。 「やがて成就された神秘から注意をそらされるような細部は完全に消え去ってゆくのだ。(エミール・マール)」 -
C ナルテックス 北 タンパン
Tympan nord ★★★★★
”キリスト復活 Resurrection に関わるエピソード”
キリストの昇天
または 使徒たちの前に現れたキリスト(復活)
Ascension
ou l'une des apparitions du Christ aux Apotres
Ascension
or one of Christ's appearances to the apostles
エマオへの巡礼(旅)中キリストに出会う2人の弟子たち
les disciples, sur la route d'Emmaus
the Disciples, on the road to Emmaus
キリストに気付く弟子たち ( パンを裂いた時 ** )
recognising Christ after his Resurrection
reconnaissant Christ apres la resurrection
エルサレムに戻る弟子たち
les disciples retournent a Jerusalem a pied
the Disciples return to Jerusalem on foot
エマオ(Emmaus)は新約聖書のルカの福音書(24章13〜35節)に登場する地名であり、「温かい井戸」という意味がある。
エルサレムから11km離れたところにあり、クレオパともう一人の弟子が旅をしていたときに、復活したイエス・キリストが現れた町である。
イエスは復活後にエマオに途中の道で、クレオパに近づいて、彼らと語りながら歩いた。 そして、食事の招待を受けて、感謝して パンを裂いた時 ** にそれが、イエスだと分かったが、その時イエスは見えなくなった。
エマオ http://bit.ly/VORp2Z -
キリストの昇天
または 使徒たちの前に現れたキリスト(復活)
Ascension
ou l'une des apparitions du Christ aux Apotres
Ascension
or one of Christ's appearances to the apostles -
エマオへの巡礼(旅)中キリストに出会う2人の弟子たち
les disciples, sur la route d'Emmaus
the Disciples, on the road to Emmaus -
キリストに気付く弟子たち ( パンを裂いた時 ** )
reconnaissant Christ apres la resurrection
recognising Christ after his Resurrection
エルサレムに戻る弟子たち
les disciples retournent a Jerusalem a pied
the Disciples return to Jerusalem on foot
エマオ(Emmaus)は新約聖書のルカの福音書(24章13〜35節)に登場する地名であり、「温かい井戸」という意味がある。
エルサレムから11km離れたところにあり、クレオパともう一人の弟子が旅をしていたときに、復活したイエス・キリストが現れた町である。
イエスは復活後にエマオに途中の道で、クレオパに近づいて、彼らと語りながら歩いた。 そして、食事の招待を受けて、感謝して パンを裂いた時 ** にそれが、イエスだと分かったが、その時イエスは見えなくなった。 -
B ナルテックス 南 ポルタイユ Le portail sud
福音を伝える天使 ★★★★★
Ange a l'olifant
The Angel with his horn
* ユーモラスな天使像ですよね(*^^*) ・・残念ながら、このあたりは(写真でも写っていますが)木の枠で補強?されている感じでした。 -
ナルテックス (南D西面)
(異教徒の改宗を)祈る聖ペテロと聖パウロ ★★★★★
Le priere de saint Pierre et saint Paul
Saint Peter and Saint Paul praying for the pegan' conversion -
ナルテックス (南E西面)
ヨセフとポテパルの妻
Joseph et la femme de Putiphar
( アブラハム → イサク → ヤコブ → ヨセフ ) ヨセフ(Joseph)は、『旧約聖書』の「創世記」に登場する、イスラエル人を大飢饉から救った人物。 ユダヤ民族の長ヤコブの子で、母はラケル。 ヨセフの波乱万丈の生涯は6世紀以降のキリスト教美術において、とりわけ説話的連作の形で取り上げられてきた。 中世の教会は彼の生涯の様々な逸話をキリストの生涯の予型と見做した。
ポテパルの妻(創世記39:7-20) ファラオ(パロ)の侍衛長ポテパルはイシマエル人からヨセフを買い、自分の家の執事とした。 ポテパルの妻は「ヨセフに目をつけて言った、『わたしと寝なさい』」。 彼女はなおもせがむが彼は拒絶した。 ある日2人だけになると、彼女は彼の着物を掴んで自分と寝るように求める。 その際ヨセフは大慌てで逃げたので彼女の手に着物を残してきてしまった。 ポテパルが帰宅すると、妻は屈辱を受けた復習に、奪った着物を証拠にあげてヨセフが自分を犯そうとしたと訴える。 ヨセフはただちに投獄される。(B)
* 創世記第39章より
http://bit.ly/SWqCzw
39:10
彼女は毎日ヨセフに言い寄ったけれども、ヨセフは聞きいれず、彼女と寝なかった。また共にいなかった。
39:11
ある日ヨセフが務をするために家にはいった時、家の者がひとりもそこにいなかったので、
39:12
彼女はヨセフの着物を捕えて、「わたしと寝なさい」と言った。ヨセフは着物を彼女の手に残して外にのがれ出た。
39:13
彼女はヨセフが着物を自分の手に残して外にのがれたのを見て、
39:14
その家の者どもを呼び、彼らに告げて言った、「主人がわたしたちの所に連れてきたヘブルびとは、わたしたちに戯れます。彼はわたしと寝ようとして、わたしの所にはいったので、わたしは大声で叫びました。
39:15
彼はわたしが声をあげて叫ぶのを聞くと、着物をわたしの所に残して外にのがれ出ました」。 -
ナルテックス (北F西面)
洗礼者ヨハネ伝 ”洗礼を施すヨハネ” **
Histoire de saint Jean-Baptiste
洗礼者(聖)ヨハネ バプテスマのヨハネともいう。 キリストの先駆者または「使者」とされる。 旧約と新約をつなぐ役割を果たす。 旧約の預言者の末尾に位置すると同時に、彼の物語が語られている新約聖書の諸聖人の筆頭に立つと考えられる。 彼はエルサレムにある主の宮の祭司ザカリヤと、聖母マリアの血縁にあたるエリザベツ( → エリザベツのマリア訪問 http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/27191601/ )との間に生まれた。 説教師であった彼は、荒野で禁欲的生活を送った。 深く罪を悔い改めたいという気持から、彼のもとにやって来る人々すべてに、ヨルダン川の水でバプテスマ(洗礼)を施した。 キリストの洗礼の際には、鳩の姿をした聖霊が天から舞い降りるのが見られた。 領主ヘロデ・アンテパス(大ヘロデの息子)の手で獄に繋がれ、やがてヘロデがその継女サロメにした無分別な約束がもとで処刑された。 ヨハネを描くには次の2通りの方法がある。 (1)聖家族の諸場面で幼児キリストと一緒に幼児ヨハネを描く。 (2)成人してからのヨハネ。 多くの場合、やせ衰えて髪は乱れ、動物の毛皮をまとい、腰に皮帯を締めている。(B) -
ナルテックス (北F西面)
洗礼者ヨハネ伝 ”洗礼者聖ヨハネの斬首” **
Histoire de saint Jean-Baptiste
- 美術で描かれるヨハネの生涯 - (B)
ザカリヤへの告知)
聖ヨハネの誕生と命名
荒野の洗礼者ヨハネ
群衆に向かって説教するヨハネ
人々に洗礼を施すヨハネ) **
ヘロデを呵責する聖ヨハネ
ヘロデの宴会;サロメの舞
洗礼者聖ヨハネの斬首 **
洗礼者ヨハネの首をヘロデヤに渡すサロメ
洗礼者ヨハネの遺骨の焼却 -
ナルテックス (北F北面)
ダビデ王を叱責する預言者ナタン ★★★★★
Les reproches de Nathan a David
Nathan blaming David
・・バト・シェバはヒッタイト人ウリヤの妻であったが、後に ダビデの妻 となり、 ダビデ の跡を継いでイスラエル王国の王となった ソロモン を産んだ。
ダビデがバト・シェバに言い寄る物語はサムエル記・下・第11章で言及され、歴代誌では省略されている。 物語はダビデが王宮の屋上を散歩している時、水浴中のウリヤの妻バト・シェバに目を留めた事を伝えている。 ダビデはすぐに彼女を呼び寄せ、関係を持ち妊娠させた。
ダビデは自らの罪を隠そうとし、ウリヤを妻バト・シェバと性交させ、子供が自分のものだと考えることを期待して、ウリヤを戦闘中の軍から呼び戻した。 ウリヤは戦闘中の兵士を律する古来よりの習わしに背く事を望まず、自宅のベッドで寝るよりも王宮の兵士たちと共に滞在する事を選んだ。
ウリヤ自身がバト・シェバを妊娠させたと信じ込ませようとする試みが不首尾に終わった後、王は彼の将軍ヨアブ (Joab) にウリヤを激戦の最中に見捨て、敵陣に置き去りにするよう命令を与えた。 皮肉にも、ダビデはウリヤに彼自身の死を命ずる書状を持って行かせた。 ウリヤの死後、ダビデは未亡人となったバト・シェバを妻に迎えた。
サムエル記によると、主は”ダビデ”の行動に怒り、王を叱責するために ”預言者ナタン” を遣わせた。 預言者は貧しい隣人から1匹の小羊を奪った金持ちの寓話を話し、不正な行為に対する王の激しい怒りを起こさせた後、これをダビデのバト・シェバに対する行為に例えた(サムエル記・下・第12章1-6節 * )。 王はすぐに自らの罪を懺悔して、心からの悔悟を表明した。 ダビデとバト・シェバの子供は重病に罹り、出生後わずか数日で他界した。 王はこれを自らに対する罰として受け入れた。
ナタンもまた、ダビデの家が姦淫と謀殺のために呪われ不安定になっている事に気付いていた。 数年後ダビデが寵愛した息子の1人アブサロムが反乱を起こし、王国を内戦状態に陥れた。 ナタンの預言通り、新らしい王である事を明確に示すため、アブサロムは人前で父の側室のうちの10人と性交をした。 これは他の男性の妻を奪い取ったダビデの行為に対して、神が与えた10倍の罰と見なす事ができる。
ダビデの老年期、バト・シェバは生存するダビデの最年長の息子アドニヤ (Adonijah) の代わりに彼女の息子ソロモンの王位継承を確実なものとした。(列王記・上・第1章11-31節)。
バト・シェバ http://bit.ly/U6DfUC
* サムエル記下第12章 http://bit.ly/RrCvvf
(南5南面)ライオンと戦うダビデ 24
http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/27123366/
(北4北面)ダヴィデとゴリアテ 50
http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/27124160/
(北5北面)ダビデの息子アブサロムの死 53
http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/27185848
(北7東面)サウル王の殺人者を処刑(するダビデ) 60
http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/27124224/ -
ナルテックス (北F東面)
子供を蘇らせる聖ベネディクトゥス ★★★★★
Saint Benoit ressuscite un enfant
Saint Benedict resurrecting a child
西欧における修道生活の創始者聖ベネディクトゥス Benoit de Nursie。 彼はイタリアのカンパーニア地方に接する有名なモンテ・カッシーノの山頂に修道院を建て、そこで543年に没して、妹の聖スコラティカのそばに埋葬された。 その37年後の580年にロンバルド族が南イタリアに侵入し、修道院は破壊された。 モンテ・カッシーノは廃墟と化し、75年のあいだ聖人の墓は忘れ去られていたが、ル・マン(フランス)司教の何人かの修道士とともにイタリアを旅していたフルリー Fleury の修道士エギュルフはその墓を探し出そうと決心した。 一人の老人が、聖人と聖女が埋葬されている場所で毎晩光が輝くということを彼に教えてくれた。 事実、エギュルフとその仲間は、神秘な光が指し示す場所に二体の遺骨を発見し、それをガリアに運んだのである。 聖女スコラティカの遺骨はル・マン司教に与えられ、聖ベネディクトゥスの遺骨の方はフルリー修道院の最も貴重な秘宝となった。 その後、この修道院は名前を変えて、サン・ブノワ・シュル・ロワール Saint-Benoit-sur-Loire と呼ばれるようになった。
聖ベネディクトゥスは彼の遺骸が(オルレアン司教区の)フルリー大修道院に移送されてから後は、もうガリアの聖人と見なされるようになっていた。
* (この柱頭彫刻は)生き返った子どもの奇跡が描かれている。 聖ベネディクトゥスは亡骸に手をのばし、父親は鍬の柄に肘をついて、片手を頬にあてて奇跡を待っている。 (ロマネスクの図像学・上/国書刊行会より) -
ナルテックス (北F南面)
プロヴァンスの王女の前に現れたマグダラのマリア
L'apparition de Sainte Marie-Madeleine a la princesse Provence
* ノリ・メ・タンゲレ(我に触れるな)
http://4travel.jp/traveler/mojo/album/10421376/ -
ナルテックス (北G北面)
ライオンを打ちのめすサムソン
Samson terrassant le lion
サムソンは、旧約聖書の士師の1人。
ライオンを退治するサムソン(士師記14:5-9) ヘラクレスと同じく、サムソンもライオンを素手で殺すことによってその超人的な力を示した。 普通は膝か足でライオンの背中を押さえて跨った姿で表され、両手で上下の顎を掴んで引き裂こうとしている。 敵と一対一の闘いは本質的に象徴的意味付けをされがちな主題であり、この場合も、中世の教会によって悪魔に対するキリストの闘いと解釈された。(B)
* 士師記第14章より
http://bit.ly/ROLpmi
14:5
かくてサムソンは父母と共にテムナに下って行った。彼がテムナのぶどう畑に着くと、一頭の若い しし がほえたけって彼に向かってきた。
14:6
時に主の霊が激しく彼に臨んだので、彼はあたかも子やぎを裂くようにその しし を裂いたが、手にはなんの武器も持っていなかった。しかしサムソンはそのしたことを父にも母にも告げなかった。
14:7
サムソンは下って行って女と話し合ったが、女はサムソンの心にかなった。
14:8
日がたって後、サムソンは彼女をめとろうとして帰ったが、道を転じて、かの しし のしかばねを見ると、 しし のからだに、はちの群れと、蜜があった。
14:9
彼はそれをかきあつめ、手にとって歩きながら食べ、父母のもとに帰って、彼らに与えたので、彼らもそれを食べた。しかし、 しし のからだからその蜜をかきあつめたことは彼らに告げなかった。 -
タンパンや柱頭彫刻に夢中になりナルテックス全体の雰囲気を撮るのを忘れてしまったので、これはフランス語版案内書の写真より。
ナルテックス(拝廊/玄関の間)は、このように聖堂の身廊へ入る前の空間になります。 -
こちらの写真もフランス語版案内書より
実際には、私たちがこのようにキリストを正面から撮るのはほぼ不可能ですよね・・ 修復用の足場がある状態だとか、とにかくキリストと同じ高さから撮れるのは、さすが案内書です。
しかし、彫刻の凹凸の感じは、自分で撮影したキリストを大きく見上げる写真(表紙の写真)の方が、出ているのではないかなぁと思います。
■□■□■ 感 想 ■□■□■
こちらの旅行記も、次の旅行記「身廊/側廊」編も、あえて、あまり個人的な感想を入れず作成しましたが、ここで、この旅行記に載せている部分の感想を。
◎やはり、ナルテックス部分に関して言えば、なんと言っても中央タンパンに尽きると思います。 ヴェズレーに行ったなら、やはり第一にこのタンパンの部分を(できれば、事前予習を少しだけでもしていった上で)よく観察するのがおもしろいと思います(*^^)v
◎アーキヴォルト部分の黄道十二宮や月暦もひとつひとつをみつけていく作業がとてもおもしろいのですが、肉眼では少し大変な感じかもしれません。
◎もちろん、聖堂裏のテラスから見渡すブルゴーニュの風景は必見です♪
・・ところで、旅行記中同じ文章が何度か登場しているところがあったかと思いますが、分かりやすいようにわざとそうしておきました。 ご了承を (*^^*)
それでは、次の旅行記、
■ロマネスク芸術の至宝 (2)
サント・マドレーヌ・バジリカ聖堂 外観/拝廊 編
http://4travel.jp/traveler/mojo/album/10722521/
につづきます。
次の旅行記でも、あくまで彫刻の写真が中心ではありますが、事前準備のことや、(聖堂内で購入できる)案内書などの情報も含めて書いています。
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この旅行記へのコメント (4)
-
- ヴェラnonnaさん 2017/03/02 23:30:23
- まさに フランス ロマネスクの 至宝ですね〜
- wizさん
こんばんは。
お正月早々に ヴェズレーに訪問しました。
巡礼地の出発地点の1つ、サント・マドレーヌ・バシリカ聖堂と
村の 雰囲気を 味わって見たかったからですが
聖堂内部の身廊手前に 区切られた 空間、拝廊部だけでも 見上げながらの 撮影
しんどかったです。
光量不足で ピントは合わず なかなか シャンとした 写真が撮れなかった。
wizさん、綺麗に取られていますね。
それに すごい 学習をなさって この聖堂に挑まれたんですね〜〜
集中力と 理解力と、それに 根気に 脱帽です。
1シリーズを 読むだけでも 最後まで 読み切れません。
ぼちぼち 自分の拙い写真と 見比べながら 読み返していきます。
聖堂の 後陣を 外から見れなかったのが 残念。
美しいフォルムを しているんですね!
地下にある マグダラのマリアの聖遺物が 祭られている礼拝室に たまたま
入れたのは ラッキーでした。
では また 訪問させて頂きます。
ヴェラnonna
- wiz さん からの返信 2017/03/03 06:52:44
- RE: フランス ロマネスクの
- ヴェラnonnaさん、Bonjour!
こちらにもありがとうございます。
そうなんです、この時は、かなり事前学習をして行って、旅行記をつくる際にも再度ロマネスクの本を見たりしながら書いたので、気合入りすぎ位ですね・・ 自分でも、今、再度、これを書くことはできるかなぁと思えるほどで・・ ^^;
ヴェラnonnnaさん、セルミゼルの駅から大変だったのですね・・ 私はちょうど1日1本のバスに合わせられたけれど・・。 帰りにオーセールに寄られることになったのは良かったですね!
ヴェラnonnnaさんが書かれていた、4番のChapelle de la Cordelleの方には歩いていっていないので( 次回旅行記? )楽しみにしています。 ちなみに、私はヴェラnonnnaさんが載せられていた地図の右側を歩きました(そちらの方が南側で陽が当って明るかったから)・・。
クリプトは一時(去年か一昨年)工事か何かで入れなかったみたいですね~。
聖堂の後陣側に周囲の風景を見渡せるテラスがあるのですが行かれなかったですか・・? 残念です。。。
wiz
-
- dankeさん 2014/10/17 23:19:50
- ヴィオレ・ル・デュク
- wizさん
ヴィオレ・ル・デュクの名前を見て嬉しくなり書いています。パリのノートルダムのあの怪物さんたちを見てきた直後で、この建築家はすごいなあと思っていたところでした。イタリアで勉強したそうですね、なるほど、とても面白い発想の建築です。
wizさんの旅行記はとても内容が濃く教養的なので、ゆっくり読ませて頂いています。フランス語のいい勉強にもなります。
- wiz さん からの返信 2014/10/18 21:58:24
- RE:
- dankeさん、こちらにもありがとうございます。
ヴィオレ・ル・デュクは、中世建築の修復をたくさんしているので、あちこちで目にする名前ですよね。
この旅行記は、訪問した後の情熱がないと書けない旅行記ですね〜。 ^ ^; 我ながらそう思います。 今だと書けないかも。 私も旅行記を書きながら勉強しているところが多々あります!
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