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<br />■ロマネスク芸術の至宝 (1)<br /> サント・マドレーヌ・バジリカ聖堂 外観 / 拝廊 編<br /><br />すべての彫刻を鮮明に写すことは困難でしたが、<br />”旅の記録”としてここに残しておきたいと思います。<br /><br />こちらの旅行記も、次の旅行記「身廊/側廊」編も、<br />あえて、あまり個人的な感想を入れず、 <br />彫刻と対応するエピソードを書く形式としました。<br />感想その他については、最後に記しておきました。  <br /><br />La Basilique Sainte-Marie-Madeleine de Vezelay<br />http://www.basiliquedevezelay.org/<br /><br />参考:<br />(A) 世界美術大全集 8 ロマネスク 小学館<br />(B) 西洋美術解読事典 河出書房新社<br />(C) ミシュラン・グリーン・ガイド フランス <br />”Vezelay ” Editions La Pierre d&#x27;angle<br />”The Basilica of Saint Mary Magdalen” Editoins Premier Chapitre<br />他 wikipedia, wikisource 等々

■ロマネスク芸術の至宝 (1) サント・マドレーヌ・バジリカ聖堂 外観/拝廊 編 Vezelay, France

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2012/10/05 - 2012/10/05

4位(同エリア39件中)

    65


    ■ロマネスク芸術の至宝 (1)
     サント・マドレーヌ・バジリカ聖堂 外観 / 拝廊 編

    すべての彫刻を鮮明に写すことは困難でしたが、
    ”旅の記録”としてここに残しておきたいと思います。

    こちらの旅行記も、次の旅行記「身廊/側廊」編も、
    あえて、あまり個人的な感想を入れず、 
    彫刻と対応するエピソードを書く形式としました。
    感想その他については、最後に記しておきました。  

    La Basilique Sainte-Marie-Madeleine de Vezelay
    http://www.basiliquedevezelay.org/

    参考:
    (A) 世界美術大全集 8 ロマネスク 小学館
    (B) 西洋美術解読事典 河出書房新社
    (C) ミシュラン・グリーン・ガイド フランス 
    ”Vezelay ” Editions La Pierre d'angle
    ”The Basilica of Saint Mary Magdalen” Editoins Premier Chapitre
    他 wikipedia, wikisource 等々

    旅行の満足度
    5.0

    PR

    • サント=マドレーヌ大聖堂 (Basilique Sainte-Madelaine) は、フランスの町ヴェズレーの中心的な丘の上にあるバシリカ式教会堂。 <br /><br />この教会と丘は、1979年にユネスコの世界遺産に登録された(登録名は「ヴェズレーの教会と丘」)。  <br /><br />” サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路 ” の始点のひとつという歴史的重要性もさることながら、大聖堂のティンパヌムはロマネスク彫刻の傑作として知られている。

      サント=マドレーヌ大聖堂 (Basilique Sainte-Madelaine) は、フランスの町ヴェズレーの中心的な丘の上にあるバシリカ式教会堂。 

      この教会と丘は、1979年にユネスコの世界遺産に登録された(登録名は「ヴェズレーの教会と丘」)。  

      ” サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路 ” の始点のひとつという歴史的重要性もさることながら、大聖堂のティンパヌムはロマネスク彫刻の傑作として知られている。

    • フランスの ” サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路 ”<br /><br />フランス からは、巡礼の中心地であった都市を拠点として4つの道がピレネー山脈に向かっている。<br /><br />◆トゥールの道(fr) la via Turonensis<br />パリ 〜 オルレアン 〜 トゥール 〜 ポワティエ 〜 オルネー 〜 サント 〜 ボルドー 〜 オスタバ=アスム *<br /><br />◆リモージュの道 la via Lemovicensis,<br /> (ヴェズレーの道、サン・レオナールの道)(fr)<br />ヴェズレー(fr) 〜 ラ・シャリテ・シュル・ロワール 〜 ブールジュ/ヌヴェール 〜 サン=レオナール=ド=ノブラ(fr) 〜 リモージュ 〜 ペリグー 〜 オスタバ=アスム *<br /><br />◆ル・ピュイの道(fr) la via Podiensis<br />ル・ピュイ 〜 コンク 〜 フィジャック 〜 モワサック〜 オスタバ=アスム *<br /><br />◆トゥールーズの道(サン・ジルの道)(fr) la via Tolosane<br />アルル 〜 サン=ジル(fr) 〜 モンペリエ 〜 サン=ギレム=ル=デゼール 〜 トゥールーズ 〜 オロロン=サント=マリー<br /><br />トゥールの道、リモージュの道、ル・ピュイの道の3つは、オスタバ=アスム * で合流し、サン=ジャン=ピエ=ド=ポルを通ってピレネー山脈のイバニェタ峠(fr)に向かう。 <br /><br />トゥールーズの道は、オロロン=サント=マリー(オロロン)からソンポルト峠に向かう。 (wikipediaより)

      フランスの ” サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路 ”

      フランス からは、巡礼の中心地であった都市を拠点として4つの道がピレネー山脈に向かっている。

      ◆トゥールの道(fr) la via Turonensis
      パリ 〜 オルレアン 〜 トゥール 〜 ポワティエ 〜 オルネー 〜 サント 〜 ボルドー 〜 オスタバ=アスム *

      ◆リモージュの道 la via Lemovicensis,
       (ヴェズレーの道、サン・レオナールの道)(fr)
      ヴェズレー(fr) 〜 ラ・シャリテ・シュル・ロワール 〜 ブールジュ/ヌヴェール 〜 サン=レオナール=ド=ノブラ(fr) 〜 リモージュ 〜 ペリグー 〜 オスタバ=アスム *

      ◆ル・ピュイの道(fr) la via Podiensis
      ル・ピュイ 〜 コンク 〜 フィジャック 〜 モワサック〜 オスタバ=アスム *

      ◆トゥールーズの道(サン・ジルの道)(fr) la via Tolosane
      アルル 〜 サン=ジル(fr) 〜 モンペリエ 〜 サン=ギレム=ル=デゼール 〜 トゥールーズ 〜 オロロン=サント=マリー

      トゥールの道、リモージュの道、ル・ピュイの道の3つは、オスタバ=アスム * で合流し、サン=ジャン=ピエ=ド=ポルを通ってピレネー山脈のイバニェタ峠(fr)に向かう。 

      トゥールーズの道は、オロロン=サント=マリー(オロロン)からソンポルト峠に向かう。 (wikipediaより)

    • 聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラへの道しるべ<br />”帆立貝 ”<br /><br />聖堂が見えたところで足元を見ると、<br />ちゃんと、コキーユ・サンジャック。<br /><br />フランス語のサン・ジャックは、<br />スペイン語ではサン・ティアゴ(聖ヤコブ)。<br /><br />このように町の通りに埋め込まれている<br />”帆立貝 ”の文様は、 <br />聖地 サンティアゴ・デ・コンポステーラへの道しるべ。<br /><br />巡礼道はここから遠く、ピレネー山脈を越えてスペインへと続き、ヴェズレーから国境を越え、イベリア半島北西部に続きます。 この道も 「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」 として世界遺産に登録されています。

      聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラへの道しるべ
      ”帆立貝 ”

      聖堂が見えたところで足元を見ると、
      ちゃんと、コキーユ・サンジャック。

      フランス語のサン・ジャックは、
      スペイン語ではサン・ティアゴ(聖ヤコブ)。

      このように町の通りに埋め込まれている
      ”帆立貝 ”の文様は、
      聖地 サンティアゴ・デ・コンポステーラへの道しるべ。

      巡礼道はここから遠く、ピレネー山脈を越えてスペインへと続き、ヴェズレーから国境を越え、イベリア半島北西部に続きます。 この道も 「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」 として世界遺産に登録されています。

    •  〜 サント・マドレーヌ・バジリカ聖堂の歴史 〜<br /><br />(ヴェズレーはモルヴァン地方の北部、キュール川 la Cure の谷にのぞむ丘の上の、趣のある村である。 旅行者にはとくに、素晴らしいバジリカ聖堂のある村として知られている。 昔、この丘の上にはケルト人の要塞があった。(C) )<br /><br />861年にヴェズレーの丘の上にベネディクト会士たちが建立した。 その際に、修道士の一人がマグダラのマリア(サント=マドレーヌ)の聖遺物を持ち帰るためにプロヴァンス地方のサン=マクシマンに派遣された。<br /><br />878年には、この初期カロリング様式の教会は、ローマ教皇ヨハネス8世によって、現存する地下納骨堂ともどもマグダラのマリアに捧げられた。 ジョフロワ修道院長 (l&#x27;abbe Geoffroy) はマグダラのマリアの聖遺物を公開し、それが様々な奇跡を起こしたとされる。 これによって、巡礼者が押し寄せ、ひいてはサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路に組み込まれることになったのである。<br /><br />こうした評価は村を都市へと発展させる原動力となった。 巡礼者たちは引きもきらず、その中にはブルゴーニュ公ユーグ2世(1084年)や、イングランド王リチャード1世(1190年に第3回十字軍遠征に先立って)、フランス王ルイ9世(1248年)なども含まれることとなる。<br /><br />アルトー修道院長 (l&#x27;abbe Artaud) は、1096年から1104年に内陣も翼廊も新築した。 ただし、この新築にかかる費用の負担に反発した住民たちが暴動を起こし(1106年)、この時にアルトーは殺された。 なお、この時点では身廊はカロリング様式のままだったが、1120年7月25日に1127人の犠牲者を出した大火災に見舞われたことで、身廊も建て直された(1138年に完成)。 なお、今に残る正面扉上の美しいティンパヌムが彫られたのもこの頃のことである(1125年 - 1130年)。・・

       〜 サント・マドレーヌ・バジリカ聖堂の歴史 〜

      (ヴェズレーはモルヴァン地方の北部、キュール川 la Cure の谷にのぞむ丘の上の、趣のある村である。 旅行者にはとくに、素晴らしいバジリカ聖堂のある村として知られている。 昔、この丘の上にはケルト人の要塞があった。(C) )

      861年にヴェズレーの丘の上にベネディクト会士たちが建立した。 その際に、修道士の一人がマグダラのマリア(サント=マドレーヌ)の聖遺物を持ち帰るためにプロヴァンス地方のサン=マクシマンに派遣された。

      878年には、この初期カロリング様式の教会は、ローマ教皇ヨハネス8世によって、現存する地下納骨堂ともどもマグダラのマリアに捧げられた。 ジョフロワ修道院長 (l'abbe Geoffroy) はマグダラのマリアの聖遺物を公開し、それが様々な奇跡を起こしたとされる。 これによって、巡礼者が押し寄せ、ひいてはサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路に組み込まれることになったのである。

      こうした評価は村を都市へと発展させる原動力となった。 巡礼者たちは引きもきらず、その中にはブルゴーニュ公ユーグ2世(1084年)や、イングランド王リチャード1世(1190年に第3回十字軍遠征に先立って)、フランス王ルイ9世(1248年)なども含まれることとなる。

      アルトー修道院長 (l'abbe Artaud) は、1096年から1104年に内陣も翼廊も新築した。 ただし、この新築にかかる費用の負担に反発した住民たちが暴動を起こし(1106年)、この時にアルトーは殺された。 なお、この時点では身廊はカロリング様式のままだったが、1120年7月25日に1127人の犠牲者を出した大火災に見舞われたことで、身廊も建て直された(1138年に完成)。 なお、今に残る正面扉上の美しいティンパヌムが彫られたのもこの頃のことである(1125年 - 1130年)。・・

    • ・・1146年の復活祭の日(3月31日)に、クレルヴォーのベルナルドゥスは、丘の北斜面にて第二次十字軍を派遣すべきであると説いた。 また、1166年にはカンタベリー大司教トマス・ベケットが、この教会で、イングランド王ヘンリー2世の破門を宣告した。<br /><br />教会の人気は、1279年にヴェズレーへ持ち去られたはずの聖遺物と称するものがサン=マクシマン(サント=ボーム山地の洞窟)で発見されたことで、凋落の一途をたどった。<br /><br />この教会は1162年にはクリュニー修道院から分離し、オータン司教からフランス王の監督下に移っていたが、1217年にはフランシスコ会に引き取られ、1537年に還俗した。<br /><br />1569年にはユグノーによる略奪を受けた。 その後、1790年にはフランス革命の中で小教区の一教会となった。 この頃、教会参事会室だけは良好な状態で保たれた(現在も付属のチャペルとして残存している)ものの、ほかは建材調達のための石切り場と化し、自慢のティンパヌムも酷い有様だった。 1819年には サン=ミシェル塔 La tour Saint-Michel ( * この写真) に落雷があった。<br /><br />こうした度重なる損壊に対し、(「歴史的建造物」の視察官をしていた作家)プロスペル・メリメの発案に従って、ウジェーヌ・ヴィオレ=ル=デュックに再建が委ねられた(1840年)。 この再建工事は1876年に完成し、1912年に再び巡礼の拠点となった。(wikipediaより)

      ・・1146年の復活祭の日(3月31日)に、クレルヴォーのベルナルドゥスは、丘の北斜面にて第二次十字軍を派遣すべきであると説いた。 また、1166年にはカンタベリー大司教トマス・ベケットが、この教会で、イングランド王ヘンリー2世の破門を宣告した。

      教会の人気は、1279年にヴェズレーへ持ち去られたはずの聖遺物と称するものがサン=マクシマン(サント=ボーム山地の洞窟)で発見されたことで、凋落の一途をたどった。

      この教会は1162年にはクリュニー修道院から分離し、オータン司教からフランス王の監督下に移っていたが、1217年にはフランシスコ会に引き取られ、1537年に還俗した。

      1569年にはユグノーによる略奪を受けた。 その後、1790年にはフランス革命の中で小教区の一教会となった。 この頃、教会参事会室だけは良好な状態で保たれた(現在も付属のチャペルとして残存している)ものの、ほかは建材調達のための石切り場と化し、自慢のティンパヌムも酷い有様だった。 1819年には サン=ミシェル塔 La tour Saint-Michel ( * この写真) に落雷があった。

      こうした度重なる損壊に対し、(「歴史的建造物」の視察官をしていた作家)プロスペル・メリメの発案に従って、ウジェーヌ・ヴィオレ=ル=デュックに再建が委ねられた(1840年)。 この再建工事は1876年に完成し、1912年に再び巡礼の拠点となった。(wikipediaより)

    • サント・マドレーヌ・バジリカ聖堂<br /><br />西ファサード <br />La facade occidentale<br />http://bit.ly/TmXjnz<br /><br />聖母マリア(左)<br />キリスト(中央)<br />マグダラのマリア(右)<br /><br />

      サント・マドレーヌ・バジリカ聖堂

      西ファサード 
      La facade occidentale
      http://bit.ly/TmXjnz

      聖母マリア(左)
      キリスト(中央)
      マグダラのマリア(右)

    • サント・マドレーヌ・バジリカ聖堂<br /><br />西ファサード <br />La facade occidentale<br />http://bit.ly/TmXjnz<br /><br />6聖人 (左から右)<br /><br />聖ヨハネ(使徒、福音記者)、聖アンデレ、洗礼者ヨハネ<br /><br />聖ペテロ、聖パウロ、(アニアンの)聖ベネディクトゥス

      サント・マドレーヌ・バジリカ聖堂

      西ファサード 
      La facade occidentale
      http://bit.ly/TmXjnz

      6聖人 (左から右)

      聖ヨハネ(使徒、福音記者)、聖アンデレ、洗礼者ヨハネ

      聖ペテロ、聖パウロ、(アニアンの)聖ベネディクトゥス

    • サント・マドレーヌ・バジリカ聖堂 西ファサード<br /><br />6聖人のうち 左3聖人 (左から右) <br /><br />聖ヨハネ(使徒/福音記者)、聖アンデレ、洗礼者ヨハネ<br /><br />Saint Jean l&#x27;Evangeliste, Saint Andre, Jean le Baptiste

      サント・マドレーヌ・バジリカ聖堂 西ファサード

      6聖人のうち 左3聖人 (左から右) 

      聖ヨハネ(使徒/福音記者)、聖アンデレ、洗礼者ヨハネ

      Saint Jean l'Evangeliste, Saint Andre, Jean le Baptiste

    • サント・マドレーヌ・バジリカ聖堂 西ファサード<br /><br />6聖人のうち 右3聖人 (左から右)<br /><br />聖ペテロ、聖パウロ、(アニアンの)聖ベネディクトゥス<br /><br />Saint Pierre, Saint Paul, Saint Benoit d&#x27;Aniane

      サント・マドレーヌ・バジリカ聖堂 西ファサード

      6聖人のうち 右3聖人 (左から右)

      聖ペテロ、聖パウロ、(アニアンの)聖ベネディクトゥス

      Saint Pierre, Saint Paul, Saint Benoit d'Aniane

    • サント・マドレーヌ・バジリカ聖堂 西ファサード <br /><br />中央タンパン 「最後の審判」は、<br />19世紀、ヴィオレ・ル・デュクによるもの。<br /><br />”ロマネスク彫刻の白眉” といわれる 彫刻 は、<br />これから入る、 ナルテックスのもの(旅行記後半)<br />と、聖堂内の 柱頭彫刻 (別旅行記)です。

      サント・マドレーヌ・バジリカ聖堂 西ファサード 

      中央タンパン 「最後の審判」は、
      19世紀、ヴィオレ・ル・デュクによるもの。

      ”ロマネスク彫刻の白眉” といわれる 彫刻 は、
      これから入る、 ナルテックスのもの(旅行記後半)
      と、聖堂内の 柱頭彫刻 (別旅行記)です。

    • ブルゴーニュ地方は、西と北からはノルマン人が、東からはハンガリー人がヨーロッパを荒らしていた10世紀頃にも ” 平和 ” を保つことができた。 <br /><br />ロワール川とソーヌ川に挟まれたこの平野は多くの ” 修道士たちの逃げ場所 ” でもあった。 <br /><br />ロワール川が大西洋に注ぐ河口に近い、ノワールムティエの島にいた修道士たちが長い放浪の末、彼らの守護聖人フィリベールの聖遺物とともにたどり着いたのがトゥルニュであった。 <br /><br />また、アキテーヌ公ギヨームがアキテーヌ(大西洋に面するフランス南西部の地域圏)ではなく、わざわざ ブルゴーニュ地方 に 修道院改革の環境づくり を求めたのも、この地が ” 平和 と 安定 ” を保証していたからである。(A)

      ブルゴーニュ地方は、西と北からはノルマン人が、東からはハンガリー人がヨーロッパを荒らしていた10世紀頃にも ” 平和 ” を保つことができた。 

      ロワール川とソーヌ川に挟まれたこの平野は多くの ” 修道士たちの逃げ場所 ” でもあった。 

      ロワール川が大西洋に注ぐ河口に近い、ノワールムティエの島にいた修道士たちが長い放浪の末、彼らの守護聖人フィリベールの聖遺物とともにたどり着いたのがトゥルニュであった。 

      また、アキテーヌ公ギヨームがアキテーヌ(大西洋に面するフランス南西部の地域圏)ではなく、わざわざ ブルゴーニュ地方 に 修道院改革の環境づくり を求めたのも、この地が ” 平和 と 安定 ” を保証していたからである。(A)

    • 聖堂西正面(ファサード)を撮影後・・<br /><br />実際には、聖堂内へ入り、ナルテックス(拝廊)のタンパン彫刻や、身廊/側廊の柱頭彫刻など堪能しました。<br /><br />その後、聖堂のまわりを見てまわったのですが、旅行記の構成の都合上、聖堂外まわりの写真を先に載せておきます。

      聖堂西正面(ファサード)を撮影後・・

      実際には、聖堂内へ入り、ナルテックス(拝廊)のタンパン彫刻や、身廊/側廊の柱頭彫刻など堪能しました。

      その後、聖堂のまわりを見てまわったのですが、旅行記の構成の都合上、聖堂外まわりの写真を先に載せておきます。

    • サント・マドレーヌ・バジリカ聖堂 南側

      サント・マドレーヌ・バジリカ聖堂 南側

    • 振り返ると(南側を見ると)<br /><br />美しいブルゴーニュの風景が目に飛びこんできます。

      振り返ると(南側を見ると)

      美しいブルゴーニュの風景が目に飛びこんできます。

    • サント・マドレーヌ・バジリカ聖堂 東側<br /><br />レヨナン様式の礼拝堂のある見事な出来ばえの後陣 と、<br /><br />サン=タントワーヌ塔 la tour Saint-Antoine<br /><br />

      サント・マドレーヌ・バジリカ聖堂 東側

      レヨナン様式の礼拝堂のある見事な出来ばえの後陣 と、

      サン=タントワーヌ塔 la tour Saint-Antoine

    • 聖堂の南側を歩くと、<br /><br />キュール川流域の美しい風景が望める”テラス”。

      聖堂の南側を歩くと、

      キュール川流域の美しい風景が望める”テラス”。

    • ヴェズレーはモルヴァン地方の北部、<br />キュール川 la Cure の谷にのぞむ丘の上の 趣のある村。<br /><br />昔、この丘の上には ”ケルト人の要塞” があったそう。<br /><br />聖堂内のロマネスク彫刻を十分に堪能した後は、この ”要塞” に沿った道を歩きながら、ヴェズレーの丘をくだり、ブドウ畑越しに丘の上の聖堂を眺めました。 この様子については、 ヴェズレー旅行記 「 快晴秋空のヴェズレーの丘でミニハイキング♪  」 で書いています。 <br />http://4travel.jp/traveler/mojo/album/10715668/

      ヴェズレーはモルヴァン地方の北部、
      キュール川 la Cure の谷にのぞむ丘の上の 趣のある村。

      昔、この丘の上には ”ケルト人の要塞” があったそう。

      聖堂内のロマネスク彫刻を十分に堪能した後は、この ”要塞” に沿った道を歩きながら、ヴェズレーの丘をくだり、ブドウ畑越しに丘の上の聖堂を眺めました。 この様子については、 ヴェズレー旅行記 「 快晴秋空のヴェズレーの丘でミニハイキング♪  」 で書いています。 
      http://4travel.jp/traveler/mojo/album/10715668/

    • テラスから望むサン・ペールの村の風景

      テラスから望むサン・ペールの村の風景

    • 美しいブルゴーニュの風景、<br /><br />そして、美味しい空気を味わうひととき。

      美しいブルゴーニュの風景、

      そして、美味しい空気を味わうひととき。

    • (写真の順番が時系列純と前後していますが、実際には)<br /><br />聖堂西正面→ 聖堂内→ 聖堂まわり→ 聖堂裏テラス<br /><br />とまわり、この場所から、<br /><br />”ケルトの要塞跡”を下りながら、<br /><br />ミニハイキング♪に出かけたのですが・・<br /><br /><br />この旅行記は、「ロマネスク彫刻 編」なので、<br /><br />この後は(聖堂内) <br /><br />”ロ マ ネ ス ク 彫 刻” に 徹 し ま す!!

      (写真の順番が時系列純と前後していますが、実際には)

      聖堂西正面→ 聖堂内→ 聖堂まわり→ 聖堂裏テラス

      とまわり、この場所から、

      ”ケルトの要塞跡”を下りながら、

      ミニハイキング♪に出かけたのですが・・


      この旅行記は、「ロマネスク彫刻 編」なので、

      この後は(聖堂内)

      ”ロ マ ネ ス ク 彫 刻” に 徹 し ま す!!

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      • by ヴェラnonna さん 2017/03/02 23:30:23
        まさに フランス ロマネスクの 至宝ですね〜
        wizさん

        こんばんは。

        お正月早々に ヴェズレーに訪問しました。

        巡礼地の出発地点の1つ、サント・マドレーヌ・バシリカ聖堂と
        村の 雰囲気を 味わって見たかったからですが
        聖堂内部の身廊手前に 区切られた 空間、拝廊部だけでも 見上げながらの 撮影
        しんどかったです。

        光量不足で ピントは合わず なかなか シャンとした 写真が撮れなかった。

        wizさん、綺麗に取られていますね。

        それに すごい 学習をなさって この聖堂に挑まれたんですね〜〜

        集中力と 理解力と、それに 根気に 脱帽です。

        1シリーズを 読むだけでも 最後まで 読み切れません。

        ぼちぼち 自分の拙い写真と 見比べながら 読み返していきます。

        聖堂の 後陣を 外から見れなかったのが 残念。

        美しいフォルムを しているんですね!

        地下にある マグダラのマリアの聖遺物が 祭られている礼拝室に たまたま
        入れたのは ラッキーでした。

        では また 訪問させて頂きます。

        ヴェラnonna 

        wiz

        by wiz さん 2017/03/03 06:52:44
        RE: フランス ロマネスクの
        ヴェラnonnaさん、Bonjour!

        こちらにもありがとうございます。

        そうなんです、この時は、かなり事前学習をして行って、旅行記をつくる際にも再度ロマネスクの本を見たりしながら書いたので、気合入りすぎ位ですね・・ 自分でも、今、再度、これを書くことはできるかなぁと思えるほどで・・ ^^;

        ヴェラnonnnaさん、セルミゼルの駅から大変だったのですね・・ 私はちょうど1日1本のバスに合わせられたけれど・・。 帰りにオーセールに寄られることになったのは良かったですね!

        ヴェラnonnnaさんが書かれていた、4番のChapelle de la Cordelleの方には歩いていっていないので( 次回旅行記? )楽しみにしています。 ちなみに、私はヴェラnonnnaさんが載せられていた地図の右側を歩きました(そちらの方が南側で陽が当って明るかったから)・・。

        クリプトは一時(去年か一昨年)工事か何かで入れなかったみたいですね~。

        聖堂の後陣側に周囲の風景を見渡せるテラスがあるのですが行かれなかったですか・・? 残念です。。。

           wiz
      • by danke さん 2014/10/17 23:19:50
        ヴィオレ・ル・デュク
        wizさん

        ヴィオレ・ル・デュクの名前を見て嬉しくなり書いています。パリのノートルダムのあの怪物さんたちを見てきた直後で、この建築家はすごいなあと思っていたところでした。イタリアで勉強したそうですね、なるほど、とても面白い発想の建築です。

        wizさんの旅行記はとても内容が濃く教養的なので、ゆっくり読ませて頂いています。フランス語のいい勉強にもなります。


        wiz

        by wiz さん 2014/10/18 21:58:24
        RE:
        dankeさん、こちらにもありがとうございます。

        ヴィオレ・ル・デュクは、中世建築の修復をたくさんしているので、あちこちで目にする名前ですよね。

        この旅行記は、訪問した後の情熱がないと書けない旅行記ですね〜。 ^ ^; 我ながらそう思います。 今だと書けないかも。 私も旅行記を書きながら勉強しているところが多々あります!

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