2014/10/11 - 2014/10/11
1位(同エリア17件中)
wiz さん
パリの初代司教でフランスの国民的聖人となった聖ドニ。
ドニは、3世紀、パリのモンマルトルで斬首されたが、
斬首された後も切られた自らの頭部を腕に抱え北に歩いた。
そのドニが力尽きたところ、それが、 サン・ドニ (パリの北約10km)。
聖ドニ崇拝を受けながら、サン・ドニ修道院は王権と運命を共にしていく。
(7世紀以降、数名を除きルイ18世まで歴代フランス王の墓所となる。)
またここは、中世、ロマネスク美術全盛となる頃、
”ゴシック美術(建築)” という 新しい美の誕生の地 となった。
・・ 現在のサン・ドニの町は治安のあまりよくはないですが、
フランス史、美術史、建築史などの点から見ても興味深いところです。
そんなわけで、今回も歴史に思いを馳せながら、美に焦点をおきつつ
(ロマネスク、ゴシック、墓碑美術の変遷など) 見ていきたいと思います!
◎◎◎ サン・ドニ/サン・ドニバジリカ大聖堂の略史 ◎◎◎
◆1-2C-----ローマ人の町カトラクス(Catolacus)があった。
◆3C-----イタリアからやってきた7人の宣教師団が、ガリアにキリスト教の教えを広めるためルテティア(パリの古名)へ辿りつく。 宣教師団の中には、パリ市の初代司教でフランスの国民的聖人となる ドニ がいた。 ドニは同志である司祭リュスティック、助祭エルテールと共にシテ島(パリ)に暮らす。
◆250頃-----ドニは多くの人々を改宗させたために異教の僧侶の怒りを買い、ドルイドの聖地であったと思われるパリ近郊の最も高い丘(モンマルトル)で斬首刑に処せられる。 ドニは斬首された後も切られた自らの頭部を腕に抱えたまま、北に数キロメートル歩き続けカトラクスの村(現サン・ドニ)に着いたところで倒れ絶命す。 信仰あついひとりの女性カトゥラが3人の殉教者(ドニ、リュスティック、エルーテール)を埋葬し、そこに単純なモニュメント(小礼拝堂)を建てる。
◆475頃-----ジュヌヴィエーヴ(のちにパリの守護聖女)は敬愛を寄せる ドニ と2人の弟子たちのために 礼拝堂 を建てる発願をした。 [サン・ドニの第一聖堂] 【 * パリが蛮族の魔手から救われたのも聖ドニのとりなしの助力があったと考えられた。】
◆630-----聖なる殉教者たちへの尊崇の念があつかった ダゴベルト(ダゴベール)1世 が [ベネディクト派の修道院 サン・ドニ修道院] を創立。
◆639-----ダゴベルト1世、フランス歴代国王のうちで初めて サン・ドニ修道院 に埋葬される。 こののち数名を除き ルイ18世 まで歴代のフランス王が葬られる習わしとなる。
◆7C-----メロヴィング朝の王たちは、(聖ドニの殉教記念日)10月9日に始まる秋の定期市 Foire d'automne を設ける。
◆750頃・・・・・ピピン(ペパン)短躯王 により [次の聖堂 殉教者納骨堂] が建てられる。
◆775-----次のシャルルマーニュ王の代に 聖堂 の完成を祝い献堂式があげられる。
◆9C-----あい次ぐノルマン人の侵入によりこの 修道院 も荒らされ、略奪され、打ち捨てられていく。
◆10C-----歴代修道院長は建て直しに努力したが、時代の混乱の中で修道院経営に精一杯の状態。
◆1091-----貧しい家庭の出のシュジェール Suger de Saint-Denis(1081-1151)が10歳の時 サン・ドニ修道院 に入れられる。
◆1094-----シュジェール はここで1094年に将来の ルイ6世(肥満王/1080-1137) に出会い学友として過ごす。 シュジェール はカロリング朝期の会堂が悲惨な状態にあるのを見て心を痛めていた。
◆1109-----修道院のきも煎りで 「ランディ」 と称される定期市 Foire du Lendit が催されるようになる。 ( * 毎年パリ大学の面々は、一団となってランディの定期市へ出かけ羊皮紙を仕入れた。)
◆1122-----シュジェール、41歳で サン・ドニ修道院 の院長になる。
◆1136-----最初のゴシック建築の聖堂であるとされる [サン・ドニ修道院聖堂] の建設を開始。
◆1140-----修道院聖堂 の 玄関廊(ナルテックス) が完成、つづいて 後陣 の礎石がおかれる。
◆1144-----修道院聖堂 の 内陣 と 祭室 の建設をみる。 【 * 強い政治的影響力を持ったサン・ドニ大修道院長の シュジェール が修道院を、あとに ゴシック芸術 とよばれる建築の傑作へと変える。 新技術として用いられたバラ窓やリブボールトなどにより建物内部が色彩あふれる光で満たされるようになる。】 【 * シュジェール は、学友である ルイ6世(在位1108-37) 及びその子 ルイ7世(在位1137-80)) の2代にわたり政治顧問として仕える。 ルイ7世 に対しては、教育係を務めるとともに、ルイ7世 が第2回十字軍に出征して不在中の1147年?49年にかけてはその摂政を務めた。】
◆1144.6.11-----祭壇を神に捧げる儀式が行われ、フランス国王 ルイ7世 とその妃 アリエノール・ダキテーヌ(のちに離婚、イギリス王と再婚) もこれに列席する。
◆13C-----ルイ9世(聖王ルイ) 治下の工事で、ピエール・ド・モントルイユにより現在の内部空間となる(レヨナン・ゴシック様式)。
◆1260-----ルイ9世(聖王ルイ) 、自分より前に王位についた諸王の像をつくらせる。
◆1277-----聖堂で ルイ9世(聖王ルイ) の埋葬が行われる。
◆14C-----シャルル5世、1380年に死んだ ベルトラン・デュ・ゲクラン を聖堂に埋葬。
◆15C-----サン・ドニは、アルマニャック派とブルゴーニュ派の内戦時に両派が奪取を繰り返す地となる。
◆1429.8.26-----ジャンヌ・ダルク、サン・ドニ修道院聖堂に到着(・・・・・パリ攻囲に向かう)。
◆1435-----サン・ドニを占領したイングランド軍は、聖堂の金銀や聖器を持ち去る。
◆1593.7.25-----アンリ4世、サン・ドニ修道院聖堂で司祭の祝福を受けてカトリックに改宗。
”Paris vaut bien une messe” (パリはミサを捧げるに値する都市である)
・
・
◆18C-----フランス革命
◆1793-----新政府によってサン・ドニは改名させられ、フランシアードと呼ばれた(-1800)。 執政政府は、聖堂に埋葬されている 王族の墓 の 破壊 を命じる。
◆19C-----ヴィオレ・ル・デュク による修復。
◆1966-----大聖堂 となる。
◆2012-15-----バジリカ大聖堂、西ファサード修復。
Basilique cathedrale de Saint-Denis
http://saint-denis.monuments-nationaux.fr/fr/
参考文献は・・
フランス 歴史の旅 朝日選書
ロマネスクの図像学 国書刊行会
ゴシックの図像学 国書刊行会
ゴシック美術 サン・ドニからの旅立ち 八坂書房 etc.
- 旅行の満足度
- 4.0
PR
-
今朝は、朝一番にパリ北郊の町サン・ドニに向かいます!
大聖堂の中のクリプトなどの有料エリアには、午前10時から入場できるので、(大聖堂の外観まわりの写真を先に撮影したいため)9時半を目指し出発しました。
サン・ミッシェル・ノートル・ダム Saint-Michel - Notre-Dame
(RER C)
アンヴァリッド乗換 Invalides
(METRO 13)
バジリック・ドゥ・サン・ドニ Basilique de Saint-Denis
メトロ13号線 バジリック・ドゥ・サン・ドニ で下車するとZONE2の扱いの切符でOKなのですが、RERやバスやトラムを使うとZONE3の切符が必要なので注意が必要です。 以下の、RATPのサイトで時刻表/ルート検索すると各交通機関によるZONE(料金)の違いが分かります。
www.ratp.fr/itineraires/fr/ratp/recherche-avancee -
ここで、(歴史を)地理的にイメージするのにちょうど良い地図を1枚を。
表紙の冒頭や略史で書いていましたが・・ ドニはパリの中心、セーヌ川の中州の ”シテ島” に暮らし、 ”モンマルトル” で斧で斬首され殉教し、その斬首された自分の頭部を持ったままそのまま約10km北の ”(現在の)サン・ドニ” の町へ辿りつき、そこで倒れ命尽きました。
また、表紙の略史の7Cと1109に 定期市 Foire のことも書いていましたが、 ”ランディ Lendit” と称される定期市は(サン・ドニの)町南部の平野で催されるようになっていたそうです。
この定期市は、600年間にわたって、全ヨーロッパに広く知られた有名なもので、千をこえる木造の小屋が建てられ、商人たちが集まったそう。 また、ランディでは祭礼も催され、そこからもたらされる収入のすべては修道院へおさめられ、その一定額が聖堂再建のために積み立てられ、また聖ドニの遺徳を慕ってくる巡礼者たちの寄進もあったそうです。
ちなみに、パリから延びている道は(現在もあります) ”サン・ドニ通り Rue Saint-Denis”。 ≪ ・・・・・ 中世のパリでは国王がパリに出入りする場合は必ずこの道を通り、また北のサン・ドニ(Saint-Denis)の墓への巡礼のルートに当たり ’都大路’ といったところだった。 当時は巡礼ルートというところから沿道には礼拝堂など宗教的建物が多く、無縁墓地も近くにあるといった具合いで宗教色が支配的だった。 『セーヌのほとり/廣済堂出版』 ≫
* 写真は、 『フランス 歴史の旅/朝日選書』 に掲載の地図です。 -
というわけで、無事、メトロ13号線
バジリック・ドゥ・サン・ドニ Basilique de Saint-Denis 駅に到着!
(9時21分)
現在のサン・ドニの町は治安が悪いということなので一応気をつけて歩きます。
メトロの駅から大聖堂まで3〜5分程度なので目的地が駅から近いのは便利。 -
左に曲がると・・ すぐに大聖堂が目に入ります!
-
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis
事前に調べていましたが、やっぱり西ファサードは改修中・・。
あの隠れている部分が見たいのに!
改修終了は2015年6月予定のようですが、どうなるでしょうか・・?
それと、クチコミにも書いたのですが、大聖堂内の王家の墓所などの有料エリアに入る場合、訪問日にちゃんと見学できるか確認しておいた方が良いと思います。 通常開いているだろう日に、特別閉められる日がたまにあるようで、今回の私の当初の訪問予定日も、この特別閉めらめる日にあたっていたので訪問を1日ずらしました。 下記サイトに情報が載っています(英語版もありますが仏語版が詳しいです)。
http://saint-denis.monuments-nationaux.fr/fr/サン ドニ バジリカ大聖堂 寺院・教会
-
こちらは、画家 ユトリロ が描いた サン・ドニの大聖堂 です。
-
大聖堂前の広場 ”ヴィクトル・ユゴー広場” をぐるっと撮影。
-
ヴィクトル・ユゴー広場 Place Victor Hugo
-
ヴィクトル・ユゴー広場 Place Victor Hugo
-
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis
残念!
西ファサードの中央に、12世紀の大修道院長(修道院付属教会だった、
現在は大聖堂)シュジェールの新しい美の精神が表明されているのに!
愚かなる心は、物質を通し真実に達し、
沈める心は、真の光を見て再び起き上がる
≪ここで述べられている 「愚かなる心は、物質を通し真実に達し」という文章は、新しいゴシック美術を予告する美意識を表明していることで注目される。 すなわち、前時代のロマネスク美術を通して貫いてきた美意識は、 「美は物質的な魂の中に求めてはならない」 という聖アウグスティヌスの言葉であった。 物質的な魂とは、自然や外観を形造っている要素である。 それゆえ、ロマネスク美術においては、自然や人間の外観をありのままに写し出すことは否定された。 いわゆる写実主義(自然主義)は、美術の領域から消滅していたのである。 それが今や、物質的な魂を通して、すなわち、自然や人間の外観を通して美を表現しようとする態度が、シュジェールの言葉とともに美術史上に現れたのである。 サン・ドニで新たに表明されているのは、それまで否定されていた自然主義(写実主義)的表現方法の復活である。 『ゴシック美術/八坂書房』 ≫サン ドニ バジリカ大聖堂 寺院・教会
-
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis
西正面ポルタイユ 左側扉口
とにかく改装中なので仕方がないので見れる部分だけでも見ていくことにします!
ところで・・、 ここ西ファサードの3つの扉口彫刻は、1771年に破壊され、1840年に新たに手直しされたそうです。 しかし、《最後の審判》を表した ”中央扉口彫刻” は、修復されながらも、なお12世紀彫刻の多くの部分を残していて、”右側扉口彫刻” は、12世紀プログラム(主題)をそのまま受け継いでいる、とのこと。 そして、ここ、 ”左側扉口” は、シュジェールが作らせたモザイクによるタンパンがあったそうですが、その主題は不明、二層ある孤帯の外側の彫刻は12世紀の部分を残しているそうです(タンパンは19世紀制作)。 -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis
西正面ポルタイユ 左側扉口
「黄道十二宮(十二星座)」
扉口左 (この写真)
(下から): 水瓶座、魚座、雄羊座、雄牛座、乙女座(双子座となる所)
扉口右 (今日は改装中で見れない)
(上から): 双子座(乙女座となる所)、天秤座、蠍座、射手座、山羊座
※蟹座と獅子座は欠け十星座のみ。 -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis
西正面ポルタイユ 左側扉口
「雄牛座」 -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis
西正面ポルタイユ 左側扉口
「聖ドニと弟子の殉教」
http://bit.ly/1cJUkES
(リンク先はwikipedia画像ですが改修前と後の汚れの差が明らかです。)
3枚上の写真で書いたように、今日唯一見れたここ左側扉口のタンパンは、現在は、 「聖ドニと弟子の殉教(19世紀)」 になっていますが・・ 修道院長シュジェール(1081-1151)によれば、ここだけ例外的に、 ”モザイク” によって制作されている、と述べられているようなのですが、その主題については語っていないそうです。
書くと長くなるので、細かいことは省略しますが、とにかく色々な要素を鑑みると、 ここ サン・ドニ の 西正面左側 に、かつて 《聖母戴冠》 の ”モザイク” のタンパンがあったのでは? という研究がされているようです。
もしここに 《聖母戴冠》 があったならば、(最も古いとされている) サンリス の 《聖母戴冠》 より古いものがあった、ということになり・・ つまり、この点が美術史家たちにとっては 重要 なところです。 -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis
西正面ポルタイユ 左側扉口
気になる彫刻などを撮っておきたいと思います。
こちらは・・
昨日見てきたポワチエの「二人の老人の争い」を思い出させるような感じ?!
http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=38547114
サン・ドニの方がアクロバティックかな!
(主題が違うかもしれないけれど!) -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis
西正面ポルタイユ 左側扉口
ロマネスク的。
ついつい・・(ゴシックより前の)ロマネスク的なものを撮ってしまいます。 -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis
西正面ポルタイユ 左側扉口
ここで注目したいのは、右下の彫刻です。
足を ”組んで(X型に交差させて)” います!
これは、まさしくフランス南西部地方のロマネスク彫刻の伝統です!
http://bit.ly/1bZGehG
修道院長シュジェールは、1135年頃、ボーリューの扉口(ロマネスク)を彫刻した南フランスの芸術家たちをサン・ドニに呼び寄せています。 ≪そのうちの何人かはカレナックの扉口で、またモワサックの扉口でさえ働いたことがあったにちがいない。 1145年頃、サン・ドニでの仕事がいったん終了すると、シュジェールによって集められた芸術家たちはシャルトルへと移動した。 『ロマネスクの図像学/エミール・マール/国書刊行会』≫
この特徴的な足の組み方を見ていると、フランス南西部から芸術家たちがほんとうにやってきたんだ・・ そんなことを想像するのも楽しいです。
ゴシックの誕生、初期ゴシック・・ などと言われるサン・ドニ大聖堂ですが、ロマネスク的なものも見れるのがおもしろいところ。 -
まとめ?!
これは私が手書きで書いていった西と北のポルタイユの彫刻の配置図です。
西正面ポルタイユの配置(現在)は・・
左: 聖ドニと弟子の殉教、黄道十二宮(天上界)
http://bit.ly/1FsE34g
中央: 最後の審判(仏南西部ボーリューの影響)、賢き乙女と愚かな女たち
http://bit.ly/1PPXrrh
右: 聖ドニの最後の聖体拝受、月々の仕事(地上界)
http://bit.ly/1JSskK0 -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis
いったん、内部に入ってみました!
ここは10時前にも入場可能エリアです。サン ドニ バジリカ大聖堂 寺院・教会
-
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis
身廊のトランセプト直前あたりまでは中(無料エリア)に進んでいけます。
このあたりは、13世紀、ルイ9世(聖王ルイ)の治下で、建築家ピエール・ド・モントルイユによってつくられた部分で、レヨナン・ゴシック様式といいます。
レヨナン(レイヨナン)式という名称は、薔薇窓やステンドグラスの窓を通し、 ”放射状=レヨナンを描きながら光が拡散しているように見える” ことに由来しているようです。
ピエール・ド・モントルイユ Pierre de Montreuil は、ステンドグラスが美しいことで有名なパリの サント・シャペル Saint Chapelle の建築家です。 -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis
少しズームアップで1枚!
下奥(東)に見えるのが、シュジェールの周歩廊。
シュジェールの周歩廊の下にクリプトがあります。 -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis
クリプトなどの有料エリアへの入場可能時間10時までに外観を撮っておきたいので、いったん外に出ました。
西正面から出て、大聖堂の北側にまわります・・。 -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis
北トランセプト
大聖堂の北側は緑のある公園のようなスペースになっています。
1793年、国民公会は 「サン・ドニ教会にある王たちの忌わしい霊廟を破壊する」 という決議をおこないましたが・・、 (国民公会委員が、地下納骨堂に入った時、ルイ13世の口ひげはそのまま残っていたり、ルイ14世の顔は真っ黒だったり、ルイ15世の遺骸は腐敗がすすんでいてひどい悪臭だったり・・ なにごとにも動じないロベスピエールはアンリ4世の遺骸と対面し、王のあごひげをむしりとって自分のチョッキのポケットに入れたとか・・) その時、王たちの遺骸は大聖堂の北側の共同墓地に投げ入れられたそうで・・。 王たちの遺骸は王政復古期に共同墓地から掘り返され、生石灰でていねいにつつまれ、ふたたびクリプトに埋葬されたそうです・・。 -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis
北ポルタイユ ”ヴァロワ家の扉口”
「聖ドニの殉教」 -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis
北ポルタイユ ”ヴァロワ家の扉口”
「聖ドニの殉教」
≪ 聖ドニは、パリの初代司教で、フランス王家の保護聖人として王家とともにその栄光が増していた。 修道院長シュジェールは、聖堂扉口を、一聖人のために捧げた最初の人であった。 『ゴシック美術/八坂書房』 ≫ -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis
北ポルタイユ ”ヴァロワ家の扉口”
「聖ドニの殉教」
タンパン:
・死刑執行人は斧をふりあげ、聖ドニは跪きながら切り落とされた自分の首を持っている。
・その後ろには、他の死刑執行人が棍棒を持って立っている。
・その両側には、二人の弟子司祭のリュスティック(ルスティクス)、助祭のエルテール(エレリテリウス)との殉教の場面が展開している。 -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis
北ポルタイユ ”ヴァロワ家の扉口”
「聖ドニの殉教」
まぐさ石(左):
・聖ドニと二人の弟子が首にロープを巻かれ、パリ総督フェセンニウスの前に導かれている。 彼はキリスト教弾圧のため、ローマからパリに派遣されたのである。
・彼の前で跪いている女性は、貴族の女性ダルティアで、彼女の夫リスビウスがこの3人の魔法使いによってだまされたと訴えている。 -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis
北ポルタイユ ”ヴァロワ家の扉口”
「聖ドニの殉教」
まぐさ石(中央): 聖ドニの鞭打ちの刑 -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis
北ポルタイユ ”ヴァロワ家の扉口”
「聖ドニの殉教」
まぐさ石(右):
・聖ドニと彼の二人の弟子との牢獄の中での最後の《聖体拝受》
・牢の前に降りたったキリストは手に聖体のパンを持ち、聖ドニに授けている。
・彼らの上では、二人の天使が香を持ちながら飛翔している。
・右端には、盾を持った二人の兵士が立っている。 -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis
北ポルタイユ ”ヴァロワ家の扉口”
「聖ドニの殉教」
下から見上げるように撮ると迫力が増してちょっとこわいかも・・。 -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis
北ポルタイユ ”ヴァロワ家の扉口”
左端の側壁の人像は、
”竪琴を持ったライオンの上に立つ ダヴィデ” とされているようです。
≪ ダヴィデは旧約聖書の詩篇の作者として考えられていたため、音楽を象徴する楽器を持って表現されて、8世紀以来、ダヴィデは、しばしば竪琴を持って表現され、中世において、音楽の守護聖徒となっていた。 『ゴシック美術/八坂書房』 ≫ -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis
北側からもう1度写真を撮り、そろそろ有料エリアに向かいたいと思います。 -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis
(改修中の)西正面ポルタイユ 右扉口を通った時に、
改修に関することが書かれている説明版に西ファサードのイラストがありました。
Basilique de Saint-Denis, restauration de la facade (改修状況の動画)
http://www.dailymotion.com/video/x2mn6oj -
Entree de l'empereur Charles IV a Saint-Denis
『 サン・ドニの大聖堂へ入る神聖ローマ皇帝カール4世と、出迎えの聖職者たち 』
15世紀の画家、ジャン・フーケ(1455-1460頃作) のこんな絵がありました!
右側が大聖堂の入口ですね。
ジャン・フーケは 『フランス王シャルル7世の肖像 1450年頃』 なども描いています。 -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis
10時から入場可能のクリプトなどの有料エリアへ入るため、入場券売場のある南側へ。
(10時7分)
こちら向きだと空が青かった! -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis
大聖堂南側のチケット売場で チケット 7.5EUR/人 を購入して、中に入ります。
真ん中の2つは、入場時にもらったリーフレット(1枚は日本語)。 -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis
南側にあった扉・・ あまりおもしろくないけれど・・一応1枚撮影。 -
14世紀のサン・ドニ修道院教会(及びその周辺) の模型がありました!
-
もう少しズームアップで! 14世紀のサン・ドニ修道院附属教会(現在はバジリカ大聖堂)。
-
フランソワ1世(在位:1515-47)とクロード・ド・フランス
Tombeau de Francois Ier de France et de Claude de France
有料エリアへの入口を入ると、すぐにフランソワ1世の霊廟が目に入ります。
◎◎◎
≪ サン・ドニには、歴代国王のほか、王妃たち、王子たち、デュ・ゲクランのような王館への偉大な奉仕者たちの墓が見いだされる。 14世紀以降、国王の遺骸に防腐処置を施すさい、心臓、内臓、遺体それぞれの記念碑が作られ、同一の場所には置かれなかった。 サン・ドニが受け入れたのは彼らの遺体である。 『ミシュラン・ガイド』 ≫
大革命以後、お墓はからになってしまいましたが、それでもここでは、
墓碑 (埋葬/墳墓/葬礼/葬祭) 彫刻芸術の変遷を辿ることができます。
この種の芸術としては、例えば、ルーヴル美術館内にある
「ブルゴーニュ公の家令フィリップ・ポー(1428−93)の墓」 は有名ですよね。
サン・ドニの大聖堂にある墓碑彫刻は・・
・初期の横臥像(クロヴィス)は、ただ平墓石に横たわっている。
・実物に似せようという配慮が最初にみられるのは、
1285年のフィリップ豪胆王の像で、
さらに14世紀半ばになると、しばしば王侯貴族そっくりの肖像
(シャルル5世像/1350年)が本人の存命中に制作されるようになる。
・ルネッサンス時代には、横臥像に代わって、豪著をきわめたものである
ことも珍しくない霊廟や、凝ったポーズの彫像がつくられた。
(※かなり立派なので、その分横たわる像も位置が高く像の写真は撮りにくい。)
・・ と、このような墓碑美術の変遷を辿ることができます。
◎◎◎
この写真は、フランス最初のルネサンス君主であるフランソワ1世の墓。 かなり大規模で豪著なものです。 フランソワ1世とクロード・フランスと3人の子供のための墓碑は、1547年のマリニャーノの戦いの勝利者が大きな凱旋門に表され、ルネッサンス期に古代文明が再考されたことを証言している、のだそうです。
墓碑全体が上下2段に分かれ、上段では国王と国費が礼服をまといひざまずき、下段では死者たちが硬直した屍として表現されています。
ヴァロワ朝第9代のフランス王(在位:1515年 - 1547年)フランソワ1世は、イタリアを巡ってハプスブルク家のカール5世と争いました。
また、1546年には、ルーヴル宮(現ルーヴル美術館)をルネサンス様式の壮麗な建物への改築を決定しました。 フランソワ1世が収集した美術品、例えばレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」などが、ルーヴル美術コレクションの中核となっていきました。 -
シャルル5世(在位:1364-80)とジャンヌ・ド・ブルボン
Gisant de Charles V et Jeanne de Bourbon
こちらは本人そっくりという
シャルル5世とその妃ジャンヌ・ド・ブルボンの横臥像。
佐藤賢一著 『双頭の鷲』 で、名将ベルトラン・デュ・ゲクランとともに描かれていた王です。 ベルトラン・デュ・ゲクランの横臥像もすぐ奥にあるのに撮り忘れてしまいました。 -
シャルル5世(在位:1364-80)
Gisant de Charles V
本人そっくりというシャルル5世の横臥像。
百年戦争のさなか、1356年のポワチエの戦いに敗れた父がイングランドに捕囚の身となったため、王太子のまま摂政として困難な国政を担当しました。 税金の父。
フランス・ヴァロワ朝第3代の王(在位:1364年 - 1380年)、賢明王(ル・サージュ、le Sage)、本好きの王でした。
また、シャルル5世は、ルーヴル城を改修し、要塞のイメージが強かったルーヴルを、規模は従来のままで華やかな城館(シャトー)へと造り替えました(現ルーヴル美術館)。
14世紀中以降、重要な地位を占める人物達は生前から自分の墓碑を制作させるようになった。 -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis
ルイ16世(在位:1774-92)とマリー・アントワネットの祈りの像
Monuments funeraires (non leurs tombes) de Louis XVI et Marie-Antoinette
1793年、国民公会が、歴代王家の墓所であったサン・ドニ大聖堂の霊廟の取り壊しを決定。 遺体は、すべて掘り出され、共同墓地に投げ込まれたため、その後の王政復古期に再び埋葬し直そうとした時、誰が誰だか判別がつかなく、その後全員一緒に葬られたそうですが(王の納骨室)・・ 現在、聖堂内に並べられている墓石は、当時の破損をまぬがれたものなのだそうです。
ユベール・ロベール作
1793年10月、サン・ドニ大聖堂、 王の廟堂 への冒涜
”La violation des caveaux des rois
dans la basilique de Saint-Denis en octobre 1793”
Musee Carnavalet
http://bit.ly/1JMk0xz
この ルイ16世(在位:1774-92)とマリー・アントワネットの像に関しては、墓石ではなく、祈りの像、とされているもの。
ルイ16世とマリー・アントワネットは、マドレーヌ墓地(現在、贖罪礼拝堂がある)に埋葬されていたので、革命の暴挙に巻き込まれず、王政復古時代に、サン・ドニに遺骸が運ばれたそうです。
この後の写真で、クリプト(地下聖堂)を載せていますが、その中の 『ブルボン家の地下納骨所』 に、ルイ18世と、(マドレーヌ墓地から移させた)ルイ16世とマリー・アントワネットの遺骸がまつられています。 -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis
戦時中に王軍が掲げた軍旗の複製
《 Montjoie Saint-Denis ! 》 -
上: アンリ2世(在位:1547-59)とカトリーヌ・ド・メディシス
Gisants de Henri II et Catherine de Medicis
下: アンリ2世(在位:1547-59)とカトリーヌ・ド・メディシス
Tombeau de Henri II et Catherine de Medicis
アンリ2世 と カトリーヌ・ド・メディシス の横臥像(上)と 霊廟(下) は、
フランソワ1世(霊廟)やシャルル5世(横臥像)の反対側(北)にあります。
カトリーヌ・ド・メディシスが世を去ったのは、アンリ2世の死の30年後であったので、夫の墓碑を建てる時間は十分にあったそうですが・・
カトリーヌは、伝統に従って表現された夫や自分自身の姿を見て、恐怖のあまり気を失ったそうです ( 下: プリマティッチョによる )。 そこで ”新しい像” を注文しました ( 上: ジェルマン・ピロンによる )。
ルネサンス期のフィレンツェ(イタリア)のメディチ家からやってきたカトリーヌ・ド・メディシスはサン・バルテルミー事件などでも有名ですが、佐藤賢一著作ですと 『黒王妃』 で描かれています。 彼女は、フランスの食文化を発展させたことでも知られています。
ところで、下の写真は、フランソワ1世のような大きな霊廟のスタイルなのですが、2人の横たわる像を撮るのは位置が高くて大変でした。 これはやっと撮れた写真の中の1枚。 -
アンリ2世(在位:1547-59)とカトリーヌ・ド・メディシス
Tombeau de Henri II et Catherine de Medicis
上の写真下(大きな霊廟)を反対側からズームで撮った写真です。
こちらが、カトリーヌが、伝統に従って表現された夫や自分自身の姿を見て、 ”恐怖のあまり気を失った” といわれる像。
頭部をのけぞらせた死せる王の姿態は胸を打ちます。 -
カトリーヌ・ド・メディシス
Gisants Catherine de Medicis
こちらが、 ” 眠りが死にとって変わった ” という 新しい像。
豊満な若い肢体をさらす上の(写真の)カトリーヌと違い、老いた彼女の姿が印象的。
隣りのアンリ2世も目を閉じ祈る姿の横臥像(2枚上の写真上)。 -
ジャン2世(在位:1350-64)とフィリップ6世(在位:1328-50)
Gisants de Jean II le Bon (a gauche) et de Philippe VI (a droite)
先ほど、シャルル5世の横臥像で、「(シャルル5世は) 百年戦争のさなか、1356年のポワチエの戦いに敗れた父がイングランドに捕囚の身となったため、王太子のまま摂政として困難な国政を担当した。」 と書きましたが、その父とは、この写真左の ジャン2世 Jean II le Bon (善良王、ヴァロワ朝第2代フランス王)。
ルーヴル美術館の中世絵画部門にある 「 ジャン2世の肖像 Jean II le Bon (1319 - 1364), roi de France, Avant 1350 」 は、フランスの板絵のはじまりで、フランス絵画最古の肖像画、横顔を描いたものではヨーロッパに現存する最も古い作品、といわれています。
http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=15557221 -
ルイ12世(在位:1498-1515)とアンヌ・ド・ブルターニュ
Monument funeraire de Louis XII et Anne de Bretagne
ルイ12世は、ヴァロワ朝第8代のフランス王。 シャルル5世の曾孫で 「民衆の父 le Pere du Peuple」。 1498年に即位したルイ12世(在位:1498-1515)には男子がなかったため、サリカ法により従甥に当たるフランソワ1世(在位:1515-47)が王位継承者とされました。
佐藤賢一著 『王妃の離婚』 では、ルイ12世と(1番目の王妃)ジャンヌ・ド・フランスの結婚無効裁判の顛末を題材として描かれていました。 -
クロヴィス1世 (在位481-511)
Gisant de Clovis Ier
ルネサンス以前の墓碑彫刻・・ ただ平墓石に横たわっている・・初期の横臥像の例。
「クロヴィス1世の横臥像」 クロヴィス1世の像は、周歩廊に配置されています。
13世紀に、ルイ9世(聖王ルイ)が、自分より前に王位についた諸王の像をつくらせたというので、その時につくられたものでしょうか。
クロヴィス1世の遺領は、フランク人特有の財産均等分割相続の習慣に従い、4人の息子テウデリク、クロドメール、キルデベルト、クロタールに分割されました。 フランス人の伝統によれば・・ パリに都したクロヴィス1世はフランス王国の基礎を築いた最初のフランス王、でありました。 メロヴィング朝フランク王国の初代国王(在位481-511)。
クロヴィスは一夫多妻制の生活を送っていたそうですが、妻の1人であった王妃クロティルドの影響で、カトリックに改宗し保護したのでガリアでの布教活動に大きな貢献があった、といわれています。
・クロヴィスの洗礼
http://bit.ly/1PSAqUL
クロヴィス王の遺骸はおそらく現アンリ4世高等学校(サント・ジュヌヴィエーヴ修道院 Abbaye Sainte-Genevieve de Paris) にあるだろうとされているようです。 いつか発掘されるかも? -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis
シュジェールの周歩廊 (大聖堂の東端)
大聖堂の東端には、フランス王たちの横臥像も並べられていますが、 ”シュジェールの周歩廊” の建築(1140-44年)と、修道院長シュジェールの時代の12世紀のステンドグラスも見どころです。
この周歩廊の真下に、クリプト(地下礼拝堂、納骨室)があり、殉教者の聖ドニ、聖リュスティック、聖エルテールの墓所、ブルボン家の地下納骨所、ブルボン朝の礼拝堂などがあります。
以下の動画は英語ですが、映像を見ていると、ロマネスクの半円アーチから、ゴシックの尖塔アーチになることで、力のかかる方向が変わり、より細い柱で上昇感のある空間が実現できるようになり、また窓を広くすることも可能になったことで、ステンドグラス美術が(ゴシック期に入るに従い)興隆していく・・ という感じが分かると思います。
Birth of the Gothic, Abbot Suger
and the ambulatory in the Basilica of St. Denis, 1140-44
https://youtu.be/2EciWH-1ya4
サン・ドニ(周歩廊)から、12世紀後半以降 大聖堂(ゴシック)の時代 へ変わっていきます。
サン・ドニバジリカ大聖堂(1140-)
ノワイヨン・ノートルダム大聖堂(1150-)
ラン・ノートルダム大聖堂(1160-)
パリ・ノートルダム大聖堂(1163-) <世界遺産>
シャルトル・ノートルダム大聖堂(1194-) <世界遺産>
ランス・ノートルダム大聖堂(1211-) <世界遺産>
アミアン・ノートルダム大聖堂(1220-) <世界遺産>
ボーヴェ・サン・ピエール大聖堂(1272-) -
先に載せたポルタイユ彫刻とともにステンドグラスの配置も手書きで書いていきました!
黄色の蛍光ペンで囲んであるところが12世紀のステンドグラスです。
(※ ステンドグラス は13世紀以降のものが多く12世紀のものは貴重。)
シャルトルの大聖堂詣でのきっかけは、シャルトルの旅行記でも書いたように、中世美術の碩学エミール・マールの著書でかなり多くの例が(ゴシックはもちろん、ロマネスクにも)出ていたので、これはちゃんと見ておかないと・・ と思ったことがきっかけでしたが、 ここサン・ドニの大聖堂も同じ理由があったからでした。 サン・ドニ大聖堂の ”シュジェールの周歩廊のステンドグラス” (この写真の配置がある大聖堂の東端) の図像や、西正面中央の ”最後の審判”(ボーリューからの影響)、また、修道院長シュジェールの 新しい精神 や 美術 への影響などが、かなり書かれてあったので、これはちゃんと見ておきたいな・・ となったわけであります。
12世紀のステンドグラスに関して参考にした本は・・
『ロマネスクの図像学/国書刊行会』
『ゴシック美術/八坂書房』
参考にしたwebは・・
http://bit.ly/1Pt2kf9 -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis
シュジェールの周歩廊 放射状祭室
Chapelle saint Cucuphas
「エゼキエルの窓 visions d'Ezechiel」 -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis
シュジェールの周歩廊 放射状祭室
Chapelle saint Cucuphas
「エゼキエルの窓」
”ダウ印を描く預言者” エゼキエル書9:2-6
≪ エミール・マール 『ロマネスクの図像学』 上P237 ≫ -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis
シュジェールの周歩廊 放射状祭室
Chapelle de la Vierge
「エッサイの樹 L'Arbre de Jesse」
(下から上へ)
エッサイ(ダヴィデ王の父)
ユダヤ民族の王
ユダヤ民族の王
ユダヤ民族の王
聖母
7羽の聖霊の鳩に囲まれたキリスト -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis
シュジェールの周歩廊 放射状祭室
Chapelle de la Vierge
「エッサイの樹」
”エッサイ (ダヴィデ王の父)”
この図像がシャルトルに影響を与えたそうです。
https://goo.gl/GWcbJJ
≪ エミール・マール 『ロマネスクの図像学』 上P255 ≫ -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis
シュジェールの周歩廊 放射状祭室
Chapelle de la Vierge
「エッサイの樹」 の右側に表現された シュジェール修道院長
( シュジェール = ラテン語で スゲリウス SUGERIUS ) -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis
シュジェールの周歩廊 放射状祭室
Chapelle de la Vierge
「キリスト幼年期の物語 L'Enfance du Christ」
( 中央 : 下から上へ )
受胎告知 ( 足元に シュジェール )
降誕
マギ
エジプト逃避
神殿での少年イエス
聖母の死 -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis
シュジェールの周歩廊 放射状祭室
Chapelle de la Vierge
「キリスト幼年期の物語」
左: 御訪問
中: 受胎告知 ( 聖母の足元に跪く シュジェール )
右: ヨセフと天使 -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis
シュジェールの周歩廊 放射状祭室
Chapelle de la Vierge
左: 「キリスト幼年期の物語」
右: 「エッサイの樹」 -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis
シュジェールの周歩廊 放射状祭室
Chapelle saint Peregrin
「アレゴリーの窓 (聖パウロの隠喩の窓) Allegories de saint Paul 」
(下から上へ)
エクレシアとシナゴーグの間に立つキリスト
キリスト教の教義がモーセ(旧約)のヴェールを取り除く
神秘の粉ひき器
ライオン(ユダヤ)と子羊(キリスト) 全能なる神によって封印された聖書が開かれる
契約の櫃の上に立てられた十字架上のキリスト
(十字架がアミナダブの戦車の上にそびえ立つ) -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis
シュジェールの周歩廊 放射状祭室
Chapelle saint Peregrin
「アレゴリーの窓 (聖パウロの隠喩の窓)」
エクレシアとシナゴーグのあいだに立つキリスト(七羽の聖霊の鳩)
le christ entre l'eglise et la synagogue
・エクレシア: キリスト教会を擬人化している
・シナゴーグ(ラテン語でシナゴーガ): ユダヤ教会を擬人化している
シナゴーグ( ラテン語では シナゴーガ SINAGOGA )とは ユダヤ教会 を意味し、 エクレシア ECLESIA ( Le mot a donné en français ”église” ) は キリスト教会 を意味している。 エクレシアが持つ聖杯はキリストの血を受けたものであり、十字架はキリスト自身の象徴である。 彼女がかぶる王冠は、キリスト教会の勝利・栄光を与えるもの。 シナゴーガが左手に持つ板状のものは、モーセがシナイ山で受け取った十戒表で、右手に持つ折れた槍は、キリスト教会に対する敗北を意味している。
≪ エミール・マール 『ロマネスクの図像学』 上P251 ≫ -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis
シュジェールの周歩廊 放射状祭室
Chapelle saint Peregrin
「モーセの生涯の窓 vie de Moise」
(下から上へ)
かごの中にモーセを見つけるファラオの娘
萌える芝の中でモーセに現れる神
騎兵とともに海(紅海)に沈んでいるファラオ
シナイ山で十戒表を受け取るモーセ
青銅の蛇を上げているモーセ
≪ エミール・マール 『ロマネスクの図像学』 上P237 ≫ -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis
シュジェールの周歩廊 放射状祭室
Chapelle saint Peregrin
左: 「モーセの生涯の窓」
右: 「アレゴリーの窓 (聖パウロの隠喩の窓) 」 -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis
シュジェールの周歩廊 放射状祭室
「グリフォンの窓 vitrail aux griffons」 -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis
シュジェールの周歩廊 放射状祭室
「グリフォンの窓」
エミール・マールによれば ≪ (この図像は)オリエントの織物からインスピレーションを得たものではないか・・サンスの布地を飾る円の中に閉じ込められたグリフォンとそっくりなのだ・・。 『ロマネスクの図像学』 下P174 ≫ -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis
内陣(東)から身廊(西)を撮影。
身廊の柵のあるあたりまでは無料で入られますが、王たちの横臥像がある側廊やこちら側(内陣、周歩廊、クリプト)が有料になっています。 -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis クリプト
クリプト(地下礼拝堂)に下りてきました。 -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis クリプト
地下周歩廊では 「聖ベネディクトゥスの物語」 などの柱頭彫刻があるようで・・
ヴェズレーでも聖ベネディクトゥスの柱頭彫刻がありましたが・・ どれがどれだか・・。 -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis クリプト
ロマネスクの柱頭で見たことのあるようなあれこれを撮ってみました。
ゴシックになるともっと写実的な表現に変わってゆきます。
ロマネスクだと、ちょっと 不格好で 奇怪な 形体のおもしろさもあります。 -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis クリプト
「 考古学的納骨室 」
聖ドニ、聖リュスティック、聖エルテールの墓所 -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis クリプト
左: 「ブルボン家の地下納骨所」 イルドゥアンの礼拝堂 Chapelle d'Hildouin
右: 「ブルボン朝の礼拝堂 (ルイ17世の心臓)」
ここに、ルイ18世と、(マドレーヌ墓地から移させた)ルイ16世とマリー・アントワネットの遺骸がまつられています。 ルイ17世(ルイ・シャルル)は、ルイ16世と王妃マリー・アントワネットの次男で、タンプル塔に幽閉されましたが、生存説があったり謎がある人物です。
http://www.tombes-sepultures.com/crbst_256.html
* イルドゥアンは、パウロによって弟子となった人と、「偽ディオニシウス文書」の著者と、ガリアに福音を伝えた人・・ ” 3人のドニ ” をひとりにまとめ上げた9世紀のサン・ドニ修道院長。
以下の動画はフランス語ですが、王の横臥像や霊廟の墓群、地下礼拝堂(納骨所)など、大聖堂の空間的な雰囲気がよく分かると思います。
SEPULCRA REGUM (Necropole royale)
https://youtu.be/BP1Cgt6K9bo -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis
クリプト 地下周歩廊 -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis
クリプト(地下礼拝堂)から地上の大聖堂の方へ戻ります。 -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis
聖フィルマン礼拝堂 Chapelle saint Firmen
12世紀のモザイク
手前: 「祈りを捧げる修道士像 〜アルベリクス〜」
奥 : 「葡萄酒を造る人」 (10月の暦をあらわす、本来12ケ月分のうちの1月)
http://www.saint-denis.culture.fr/fr/3_5a_foires.htm
http://www.medart.pitt.edu/image/France/St-denis/mosaic/SDenis-Mosaics.html -
サン・ドニバジリカ大聖堂 Basilique cathedrale de Saint-Denis
(11時4分)
最後に西正面からの写真を撮って、次はモンマルトルに向かいたいと思います! -
メトロを乗継ぎ、モンマルトル(パリ)に到着 !
いつものように、メトロ12号線 (写真の上のMマーク)
ラマルク・コーランクール駅 Lamarck - Caulaincourt で下車しました !
この駅には、かるく20人位入れる大きなエレベーターがあるのですが、今日はモンマルトルのブドウ収穫祭開催中の土曜の昼間ということもあり、エレベーターがいっぱいいっぱいでした。 大きなエレベーターに自分たちだけ、という寂しい時もよくあるのですが。
これから、(写真の中の赤で囲んだ)
サン・ドニ像 のある シュザンヌ・ビュイッソン小公園 、
(聖ドニの)殉教記念礼拝堂(マルチリウム・ドゥ・サン・ドニ)
などを通りながら、少しばかりモンマルトル散策をしようと思います。
ところで・・ いつ気付いたのか忘れてしまいましたが・・
そういえば、今回の旅の出発日がちょうど 聖ドニの記念日(10月9日) でした。
今回のパリ滞在では、偶然にも ?! 聖ドニゆかりの地巡り となりました。
* 写真は、 『フランス 歴史の旅/田辺保著/朝日選書』 に掲載の地図です。 -
(サン・ドニ像 や 殉教記念礼拝堂 へ行く前に、寄り道・・)
モンマルトルのブドウ畑 Clos Montmartre に到着 !
(11時46分)
今回のパリ滞在は、モンマルトルのブドウ収穫祭の10月第2週末にあたっていたので(この日10h30-12hに行われていた葡萄畑でのイベント Le traditionnel Ban des Vendanges に間に合うか?と思い)、12時前までに!・・ という予定でここへやってきました。
葡萄畑の前にいる人々は、パレードにも参加する面々です。
黒いマントに赤いマフラーのアリスティード・ブリュアン風衣装は、
”モンマルトル共和国 La Republique de Montmartre ” の方です!
今日の夕方は(ブドウ収穫祭のイベントである)パレードを見て、
http://4travel.jp/travelogue/10941384
夜は(ブドウ収穫祭のイベントである)花火を見る予定です。
http://4travel.jp/travelogue/10941604
ところで・・ サン・ドニで、あんなに暗かった空から陽がさしてきています!
よかった! このまま晴れていれば・・お天気は大丈夫そう!
それでは・・ モンマルトル散歩をはじめましょう・・!!!
http://4travel.jp/travelogue/10770989
Allons-y!モンマルトルのブドウ畑 散歩・街歩き
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
中世美術を巡る旅
-
前の旅行記
幻想的な動物, 鳥獣文, 植物文, 唐草文, 組紐文・・ ロマネスク美術館へようこそ! Poitiers, ...
2014/10/10~
ポワティエ
-
次の旅行記
カルヌーテース Carnutes の聖なる地を歩く・・ La vieille ville de Chartr...
2014/10/12~
シャルトル
-
大晦日のパリ ノートルダムとサント・シャペル 中世の美とステンドグラス
2006/12/31~
パリ
-
■中世にタイムスリップ! ルーヴル美術館 Musee du Louvre
2008/12/03~
パリ
-
■中世にタイムスリップ! 建築文化財博物館 Cite de l'architecture et du pat...
2008/12/04~
パリ
-
■中世にタイムスリップ! クリュニー中世美術館 Musee de Cluny
2008/12/07~
パリ
-
快晴秋空 の ヴェズレーの丘 で ミニハイキング♪ Vezelay, France
2012/10/05~
ヴェズレー
-
■ロマネスク芸術の至宝 (1) サント・マドレーヌ・バジリカ聖堂 外観/拝廊 編 Vezelay, Fran...
2012/10/05~
ヴェズレー
-
■ロマネスク芸術の至宝 (2) サント・マドレーヌ・バジリカ聖堂 身廊/側廊 編 Vezelay, Fran...
2012/10/05~
ヴェズレー
-
クラン川に囲まれた高台に築かれた古都 ポワチエにて ロマネスク三昧! Poitiers capitale r...
2014/10/10~
ポワティエ
-
幻想的な動物, 鳥獣文, 植物文, 唐草文, 組紐文・・ ロマネスク美術館へようこそ! Poitiers, ...
2014/10/10~
ポワティエ
-
聖ドニが力尽き 歴代フランス王が埋葬され シュジェールが新しい美を生みだした地・・ Saint-Denis,...
2014/10/11~
サン=ドニ
-
カルヌーテース Carnutes の聖なる地を歩く・・ La vieille ville de Chartr...
2014/10/12~
シャルトル
旅行記グループをもっと見る
この旅行記へのコメント (20)
-
- コクリコさん 2015/06/04 12:12:55
- サン・ドニバジリカ聖堂
- wizさん、
これは素晴らしい旅行記ですね、読ませる旅行記ですよ!
サンドニ聖堂には10年前に行ったきりですが、当時は知らなかったこと(きっと当時は興味がなかったのでしょう)や見落としなどもあり、また機会があったら行ってみたいものです。
治安が悪いとはいえ、駅から近いのでそれほど治安の悪さは感じずに行けるしね。
ここは、wizさんが書かれているようにフランスの歴史、建築、美術(彫刻やステンドグラス)の宝庫なので、好きな人にはたまらない聖地ですよね!
>この写真(サン・ドニ)をコクリコさんに見てもらいたかったんですけど・・
http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=38656106
右下の ”足を交差させている浮彫彫刻” を見ていると、エミール・マールも写真を載せていた、コクリコさんもトゥールーズの美術館で撮られていた例の彫刻
http://bit.ly/1bZGehG
を思い出しませんか・・? 12Cのサン・ドニ修道院長シュジェ(シュジェール)が南フランスの芸術家をサン・ドニに呼び寄せた・・とマール本にも書かれていますが・・、 この彫刻を見ていると、まさに南フランスの伝統が再度サン・ドニで造形されたように見えてきて・・ そんなことを思いながら写真を撮っていました! ^ ^;
トゥールーズのオーギュスタン美術館やモワサック、スーイヤックで見てきた、足が交差している聖人像ね♪
シュジェが南西フランスの彫刻家たちを呼び寄せたのですね〜
サン・ドニの院長に呼び寄せられた芸術家たちは張り切って彼らの技術を新しい聖堂に施したのですね。
遥か昔の遥かな旅、彼らの意気込みがサン・ドニの傑作になったなんて。
ももんがあまんさんの掲示板でwizさんとももんがあまんさんが話していた偉大なる「3大ワンパターン」もミディー・ピレネーから始まったのですね。
サン・ドニ完成後、シャルトルに向かったなんてワクワクするじゃありませんか!
wizさんの写真の北ポルタイユの「ヴァロア」扉口の『サン・ドニの殉教』良いですね。
まだロマネスクの面影が残っていて素朴で。。。まっ、彼らは「今日からロマネスクはおしまいにしてゴシックだぞ」なんて思って作ってるわけじゃないからね〜(^^)
たくさん本を読まれて、それを消化して書き込まれた旅行記作成するのは大変だったと思います。
でもきちんと書いておくと忘れないのですよね。
- wiz さん からの返信 2015/06/04 22:00:46
- RE: サン・ドニバジリカ聖堂
- コクリコさん、Bonsoir!
> サンドニ聖堂には10年前に行ったきりですが、当時は知らなかったこと(きっと当時は興味がなかったのでしょう)や見落としなどもあり、また機会があったら行ってみたいものです。
> 治安が悪いとはいえ、駅から近いのでそれほど治安の悪さは感じずに行けるしね。
> ここは、wizさんが書かれているようにフランスの歴史、建築、美術(彫刻やステンドグラス)の宝庫なので、好きな人にはたまらない聖地ですよね!
たしかに・・! 駅から近いのはいいですよね! 今だからこの旅行記が書けましたが、もし10年前ならきっと書けなかったと思います^ ^; 今回の訪問は、やはり、エミール・マールの本(特にロマネスクの図像学)による影響がかなり大きかったです!
> トゥールーズのオーギュスタン美術館やモワサック、スーイヤックで見てきた、足が交差している聖人像ね♪
> シュジェが南西フランスの彫刻家たちを呼び寄せたのですね〜
> サン・ドニの院長に呼び寄せられた芸術家たちは張り切って彼らの技術を新しい聖堂に施したのですね。
モワサックのエレミア像や、スーイヤックのイザヤ像は、よりスラリとしているけれど、オーギュスタン美術館のが丸みがあって近い感じがしました〜! ところで、今、アンリ・フォションの本を読んでますが・・やっぱりマールの方が読んでいて楽しいですね〜。
> サン・ドニ完成後、シャルトルに向かったなんてワクワクするじゃありませんか!
そうなんです〜♪ そのマールのワクワクする記述に影響され^ ^; 今回、サン・ドニとシャルトルをよく見ようと決心したのでした♪ コクリコさん、今、「ロマネスクの図像学」手元にありますか〜? ” 1135年頃、シュジェールはコレーズ県ボーリューの扉口を彫刻した南フランスの芸術家たちをサン・ドニに呼び寄せた・・。 ・・1145年頃、サン・ドニでの仕事が終了すると、シュジェールによって集められた芸術家たちはシャルトルへ移動した・・ ” 等々は、下巻のP229あたりに書いてありま〜す。 主だったいくつかの主題の中でも、それぞれ違った造形があって、それを比べてみるのが楽しいですよね〜!
> wizさんの写真の北ポルタイユの「ヴァロア」扉口の『サン・ドニの殉教』良いですね。
これを見たらサン・ドニさんに関する伝説は忘れないわ〜、という画ですよね! ^ ^; ちなみに、 ” Denis de Paris ” のwikipediaフランス語版にも、この『サン・ドニの殉教』の写真が載っていました〜!
サン・ドニの西正面ファサードは、今年6月位(つまり今頃)にリノベーション終了予定とどこかで見たのですが・・ どうでしょうか。。 西正面中央の最後の審判がボーリューの影響というのでじっくり見たかったのですが!
wiz
- wiz さん からの返信 2015/06/05 23:14:11
- RE: 放送大学の・・
- コクリコさん、Bonsoir!
たびたびすいません・・^ ^;
実は、今、思い出して、去年だったか録画していた放送大学の番組を見ていました。 「芸術史と芸術理論(’10)」という番組の第4回、第5回、第6回なのですが・・
http://www.ouj.ac.jp/kamoku/detail/1110918/
第4回 ロマネスク美術−超越のプラトン主義− に、
・モワサック(サン・ピエール教会と回廊)
・セナンク修道院(プロヴァンスの三姉妹)
・シルヴァカーヌ修道院(プロヴァンスの三姉妹)
・ル・トロネ修道院(プロヴァンスの三姉妹)
・トゥールーズ(サン・セルナン教会)
第5回 ロマネスク美術−輪廻転生のプラトン主義− に、
・ポワチエ(ノートルダム・ラ・グランド教会)
・ショーヴィニー(サン・ピエール教会)
・サン・サヴァン修道院付属教会
・アルル(サン・トロフィーム教会)
・ヴェズレー(サント・マドレーヌ教会)
・トゥールーズ(オーギュスタン美術館)
第6回 ゴシック美術−内在のアリストテレス主義− に、
・トゥールーズ(ドミニコ会<ジャコバン>修道会付属聖堂)
・サン・ドニ 大聖堂
・アミアン 大聖堂
・シャンティイ城 美術館
でのロケがされていて、映像教材になっているのです。
それで、今年放送があるのか調べたら、今年度第1期(4/1〜7/21)の放送は毎日曜にあったみたいなのですが、今もう第9回くらいになっているみたいで・・
でも、夏に、集中放送があって、第4回、第5回、第6回は、8/25(金)、8/26(土)に放送されるようです。
http://www.ouj.ac.jp/hp/bangumi/nenkan/bangumi_1/h27/pdf/bangumihyo.pdf
もし、コクリコさんの妹さんなど、テレビの放送大学を見れる環境にある方がいたら、ちょうどコクリコさんが帰国後に見れるくらい?! かなぁと思いまして、一応、ご連絡してみました♪ (しかも、コクリコさんが今夏行かれれば、コクリコさんはこの放送の中の場所にほとんど行かれてることになると思うので、余計総復習になりそうな内容だと思うのです〜!)
今、サン・ドニまで見なおしたので、これから、続きのアミアンからを見たいと思いま〜す!
wiz
- コクリコさん からの返信 2015/06/05 23:20:33
- RE: RE: サン・ドニバジリカ聖堂
- こんばんは!
> ところで、今、アンリ・フォションの本を読んでますが・・やっぱりマールの方が読んでいて楽しいですね〜。
すごーい。
wizさん、ロマネスクの専門家になりそう〜
アンリ・フォションの本は読んでないけれど、マールの本の方が文学的要素があるのかしら。
翻訳者の違いでだけではないのですよね?
>コクリコさん、今、「ロマネスクの図像学」手元にありますか〜? ” 1135年頃、シュジェールはコレーズ県ボーリューの扉口を彫刻した南フランスの芸術家たちをサン・ドニに呼び寄せた・・。 ・・1145年頃、サン・ドニでの仕事が終了すると、シュジェールによって集められた芸術家たちはシャルトルへ移動した・・ ” 等々は、下巻のP229あたりに書いてありま〜す。 主だったいくつかの主題の中でも、それぞれ違った造形があって、それを比べてみるのが楽しいですよね〜!
また借りてきましたよ〜
借りたり返したりするのが面倒になったので、先ほどアマゾンにマールの「ロマネスク の図像学』上下注文してしまいました!
ちょっと高い(でも古本だから安くなってるわよ)と言っても本だからそう思うので、考えてみたら2冊でTシャツ2,3枚分なのよね〜毎夏Tシャツ2,3枚買うけどひと夏でへらへらになっちゃうこと考えたら安いかも(^^)
229ページ読みました!
教えてくださってありがとう。
ページめくっていたら、ル・ピュイのサン・ピエール礼拝堂の扉口にモワサックで生まれた「黙示録の長老たち」がいるなんて書いてある!(P.226)
サン・ピエール礼拝堂の「なかばアラブ的」(モザイクっぽいからかしら?)な扉口の写真撮ったんだけど、どこに黙示録の長老たちがいるんだう?
あの大きな顔だけの人(二人いる)かしら???
知ってたらしっかり撮ったのになぁ・・・やっぱりマール本借りたり返したりしているとあまり読めないよね。
クレルモンもボーヴェもこんな調子だわ〜(><)
> サン・ドニの西正面ファサードは、今年6月位(つまり今頃)にリノベーション終了予定とどこかで見たのですが・・ どうでしょうか。。 西正面中央の最後の審判がボーリューの影響というのでじっくり見たかったのですが!
wizさん、ボーリュー行きたがっていましたよね!
モワサックやボーリューはロマネスクの原点だから行けたら行きたいでしょう〜
1週間位お休みがとれると良いですね。
モワサックのタンパンの「荘厳のキリストと使途たち」ですが、私の旅行記の写真は小さくて見難かったでしょう。
ももんがあさん、しっかり撮ってきてくれるかな。
- コクリコさん からの返信 2015/06/05 23:25:41
- RE: RE: 放送大学の・・
- wizさん、連絡ありがとう〜
> それで、今年放送があるのか調べたら、今年度第1期(4/1〜7/21)の放送は毎日曜にあったみたいなのですが、今もう第9回くらいになっているみたいで・・
>
> でも、夏に、集中放送があって、第4回、第5回、第6回は、8/25(金)、8/26(土)に放送されるようです。
> http://www.ouj.ac.jp/hp/bangumi/nenkan/bangumi_1/h27/pdf/bangumihyo.pdf
>
> もし、コクリコさんの妹さんなど、テレビの放送大学を見れる環境にある方がいたら、ちょうどコクリコさんが帰国後に見れるくらい?! かなぁと思いまして、一応、ご連絡してみました♪ (しかも、コクリコさんが今夏行かれれば、コクリコさんはこの放送の中の場所にほとんど行かれてることになると思うので、余計総復習になりそうな内容だと思うのです〜!)
>
> 今、サン・ドニまで見なおしたので、これから、続きのアミアンからを見たいと思いま〜す!
放送大学だけは見られるのよ〜
予約しておこうかしら。
最近放送大学全然チェックしてなかった!
- wiz さん からの返信 2015/06/05 23:44:35
- RE: RE: RE: サン・ドニバジリカ聖堂
- コクリコさん、今、同時に書いていましたかね?! ^ ^
ありがとうございま〜す!
「ロマネスクの図像学」 とうとう購入ですね!!! 私も、同じでした・・図書館から何度も借りたり返したりするのがめんどくさくなってきてついに購入という流れでした・・! (今では黄色の蛍光ペンでマーカーして付箋してやりたい放題です。) ^ ^; 今は、借りてきて見てくださったんですね・・ありがとうございます!
今、パラとめくったところ(下巻のP79)に、クレルモンのノートルダム・デュ・ポールの写真があって見たいなぁと思いながら見ています^ ^ そういえば、饗庭さん著のフランス・ロマネスク(山川出版社)にもけっこう詳しく載ってましたよね〜。 コクリコさんのクレルモンも見たいです!
マールが書いていた、トゥールーズ、モワサック、ボーリューの3つの型のことは、なんとなく、ももんがあまんさんのところに書いたんですけど、書いた後わりとすぐにスケジュールを変えて行くことにした! ということになっていたので聞いた時はビックリしました! ^ ^; 特に、ボーリューが公共交通機関だとたいへんなのでももんがあまんさんの写真楽しみです〜。 (はじめに行かれるようなことおっしゃってたので、今頃現地滞在中だったりして!・・)
放送大学は見れるんですね〜〜〜! 良かったです〜〜〜!!
多少かみごたえのある内容ですが、映像があるので見ていて楽しいです♪
(私も集中放送の時にもう1度チェックしようと思います!)
wiz
- wiz さん からの返信 2015/06/06 00:12:20
- RE: (正) 9/25,9/26でした!
> > でも、夏に、集中放送があって、第4回、第5回、第6回は、8/25(金)、8/26(土)に放送されるようです。
> 放送大学だけは見られるのよ〜
> 予約しておこうかしら。
> 最近放送大学全然チェックしてなかった!
コクリコさん、私、頭の中では9月だったんですけど、8月と書いていました・・間違い! 正しくは、9/25,9/26ですね!
http://www.ouj.ac.jp/hp/bangumi/nenkan/bangumi_1/h27/pdf/bangumihyo.pdf
(→ 番組表の P6 )
- コクリコさん からの返信 2015/06/06 12:24:03
- RE: RE: (正) 9/25,9/26でした!
- wizさん、連絡ありがとうございます!
やはりマーカーで線ひいたり、付箋つけないと、あの本ではどこ読んだかわからなくなってしまいますよね。
それも買った一因です!
> 私、頭の中では9月だったんですけど、8月と書いていました・・間違い! 正しくは、9/25,9/26ですね!
>
> http://www.ouj.ac.jp/hp/bangumi/nenkan/bangumi_1/h27/pdf/bangumihyo.pdf
> (→ 番組表の P6 )
16:45〜18:15ですよね?
テレビられるけれど録画もしておきたいです!
ポワテイエは宿泊するから良いけれどショーヴィニー、サン・サヴァン はどうかバスがちゃんと運行してくれて行けますように〜
後でテレビ見て「しまった(><)」って思うこと多いですが、まっ二度楽しめるから良いか〜
>今、パラとめくったところ(下巻のP79)に、クレルモンのノートルダム・デュ・ポールの写真があって見たいなぁと思いながら見ています^ ^ そういえば、饗庭さん著のフランス・ロマネスク(山川出版社)にもけっこう詳しく載ってましたよね〜。 コクリコさんのクレルモンも見たいです!
クレルモンはねえ・・・以前書いたかもしれないけれど、柱頭が高くて薄暗いので写真あまり撮れていないです。
がっかり。ももんがあまんさんの旅行記、見に行ってみようかな。
私より良く撮れてるかもしれない。
でもwizさんの期待さている彫刻撮ってなかったりして〜(^^;)
皆さん、後でwizさんに聞かれて「ありゃ〜撮ってなーい」ですもんね。
>マールが書いていた、トゥールーズ、モワサック、ボーリューの3つの型のことは、なんとなく、ももんがあまんさんのところに書いたんですけど、書いた後わりとすぐにスケジュールを変えて行くことにした! ということになっていたので聞いた時はビックリしました! ^ ^; 特に、ボーリューが公共交通機関だとたいへんなのでももんがあまんさんの写真楽しみです〜。 (はじめに行かれるようなことおっしゃってたので、今頃現地滞在中だったりして!・・)
ももんがあまんさんがスケジュール変更した件には私も「いいぞいいぞ」とほくそ笑みました!
フランス・アルプス方面はスイスに行った時に寄れば良いですものね(なーんて無責任な発言)。
- wiz さん からの返信 2015/06/06 14:13:38
- RE: RE: RE: (正) 9/25,9/26でした!
- コクリコさん、Bonjour!
先日の・・
> ページめくっていたら、ル・ピュイのサン・ピエール礼拝堂の扉口にモワサックで生まれた「黙示録の長老たち」がいるなんて書いてある!(P.226)
> サン・ピエール礼拝堂の「なかばアラブ的」(モザイクっぽいからかしら?)な扉口の写真撮ったんだけど、どこに黙示録の長老たちがいるんだう?
> あの大きな顔だけの人(二人いる)かしら???
> 知ってたらしっかり撮ったのになぁ・・・やっぱりマール本借りたり返したりしているとあまり読めないよね。
P226見ました!
サン・ピエールはサン・ミシェルの書き間違いと思いますが・・^ ^;
・・とりあえず、「chapelle saint-michel d'aiguilhe au puy-en-velay」で調べてみたら、次のサイトをみつけました(英語)!
http://www.sacred-destinations.com/france/le-puy-st-michael-chapel/photos/xti_5676
これによると、珍しい3つ葉のアーチ内のレリーフの中央は ”AGNUS DEI” と文字で示された 「 神の子羊 」 、両側2つのアーチにそれぞれ 「 黙示録の4長老 」 が示されている・・ のように書かれているので・・、 マールが書いているのは、おそらく、(なかばアラブ的な扉口=多弁系アーチの)左右のアーチの長老たち(8人)のことじゃないですかね〜〜〜。
wikiの方が光があたって写真が見易かったです!
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/6c/Aiguilhe_-_Chapelle_St-Michel_-_JPG3.jpg
> 16:45〜18:15ですよね?
> テレビられるけれど録画もしておきたいです!
そうです! 45分の番組なので、全部見るとすると・・初日は、16:45〜17:30が第1回、2日目からは16:45〜17:30、17:30〜18:15の2回ずつ、9/23(水)〜9/30(水)の間に集中放送、全15回。 そのうち、ロマネスク美術とゴシック美術は、9/25(金)、9/26(土)の第4回〜第6回のようです。 コクリコさん、放送大学は録画はできないのですか・・? 我が家はハードディスクに入れることしかできず(だから満杯になってロックしていなかったものは前の方から消えていく・・)、DVDに吐き出す機器をいまだ持っていないので、さすがに困りはじめて、どうしようかなぁというところなのですが・・!
wiz
- コクリコさん からの返信 2015/06/06 16:07:07
- RE: RE: RE: RE: (正) 9/25,9/26でした!
- wizさーん、
今、wizさんに返事書いていたら消えてしまいました〜ショック。
> サン・ピエールはサン・ミシェルの書き間違いと思いますが・・^ ^;
書き間違えました〜はい、サン・ミシェル礼拝堂です。
> これによると、珍しい3つ葉のアーチ内のレリーフの中央は ”AGNUS DEI” と文字で示された 「 神の子羊 」 、両側2つのアーチにそれぞれ 「 黙示録の4長老 」 が示されている・・ のように書かれているので・・、 マールが書いているのは、おそらく、(なかばアラブ的な扉口=多弁系アーチの)左右のアーチの長老たち(8人)のことじゃないですかね〜〜〜。
ありがとうございます!
バッチリですよ〜私の写真の方が見易いと思います(^^)v
> コクリコさん、放送大学は録画はできないのですか・・?
デジタルになる前は録画できてたのですが、その後は放送大学の録画したことないのでできるかどうかはわかりません。
>今、パラとめくったところ(下巻のP79)に、クレルモンのノートルダム・デュ・ポールの写真があって見たいなぁと思いながら見ています^ ^ そういえば、饗庭さん著のフランス・ロマネスク(山川出版社)にもけっこう詳しく載ってましたよね〜。 コクリコさんのクレルモンも見たいです!
そう、あの内陣の柱頭彫刻が高すぎ、暗すぎでクセモノなのです。
「アダムとイブ、蛇 原罪」「エリザベート訪問」は旅行記にUP可な写真が撮れました。
「プシコマキア」の写真が見あたらないわ、残念。
あとは何だかわからないもの・・・調べればわかるでしょうけど。
南扉口タンパンの「東方の博士の聖母礼拝」は撮ってありまーす。
思い出してみるとクレルモンも良い町でした。
- wiz さん からの返信 2015/06/06 23:18:39
- RE: たのしみ!
- コクリコさん、Bonsoir!
> wizさーん、
> 今、wizさんに返事書いていたら消えてしまいました〜ショック。
わぁ〜。
こういう時ってたまにありますよね・・ショック分かります!
> はい、サン・ミシェル礼拝堂です。
> バッチリですよ〜私の写真の方が見易いと思います(^^)v
わぁ〜い。 楽しみに待ってま〜す♪
> そう、あの内陣の柱頭彫刻が高すぎ、暗すぎでクセモノなのです。
> 「アダムとイブ、蛇 原罪」「エリザベート訪問」は旅行記にUP可な写真が撮れました。
> 「プシコマキア」の写真が見あたらないわ、残念。
> あとは何だかわからないもの・・・調べればわかるでしょうけど。
> 南扉口タンパンの「東方の博士の聖母礼拝」は撮ってありまーす。
クレルモンも楽しみにしてます〜♪
私も、ポワチエで、けっこうあちこち暗くてぶれぶれになったんですけど、暗いと撮りにくいですよね〜。 ポワチエのサン・ティレール・ル・グラン教会の(マール本にも載ってる)「聖イレールの死」の柱頭彫刻・・ すごく位置が高くて暗くて撮りにくかったです! コクリコさんもトライしてみてください〜!
> 思い出してみるとクレルモンも良い町でした。
おぉ〜こういうのが聞きたかった〜!
ラ・ロシェル〜イル・ド・レまでパリから日帰りしたんだから、クレルモンだけならパリから日帰りできるかも・・(INTERCITESで片道約3時間半)・・なんて、ちょっと考えたりしてます^ ^;
そういえば、マール本は、とってもおもしろいんだけど、壁画(サン・サヴァンとか)のことはあまり書かれてないですよね〜。
wiz
- コクリコさん からの返信 2015/06/07 16:04:43
- RE: RE: たのしみ!
> ラ・ロシェル〜イル・ド・レまでパリから日帰りしたんだから、クレルモンだけならパリから日帰りできるかも・・(INTERCITESで片道約3時間半)・・なんて、ちょっと考えたりしてます^ ^;
去年パリ・ベルシー駅発7時の列車に乗ってクレルモン・フェラン着10時28分。
駅から中心地まで10分ちょっと歩きました。
駅前からバスがあるのだけれど去年は駅前の工事していたのでバス停の場所が移動してました。
駅前ホテルに泊まったから荷物はホテルに置いてからバス待つより歩いて中心地へ行きました。
見所はノートルダム・ド・ラプシオン大聖堂とノートルダム・デュ・ポール聖堂だけだからパリから日帰り可ですね!
> そういえば、マール本は、とってもおもしろいんだけど、壁画(サン・サヴァンとか)のことはあまり書かれてないですよね〜。
そうなのよね。
そうそう、もう今日『ロマネスクの図像学』上・下届きました!
去年もでしたが今年も双眼鏡は必需品ですね。
- wiz さん からの返信 2015/06/07 20:25:08
- RE: RE: RE: たのしみ!
- コクリコさん、Bonsoir!
> 去年パリ・ベルシー駅発7時の列車に乗ってクレルモン・フェラン着10時28分。
> 駅から中心地まで10分ちょっと歩きました。
ありがとうございます〜♪ 駅前工事のこととか、バスのこととか、クチコミでちょっと拝見してました! 検索すると、Directだと、7時のあと9時だから、7時なら朝ちょっと頑張らないと! と言っても、クレルモンの他にもいろいろ行きたいところがあって困ります^ ^;
> そうなのよね。
> そうそう、もう今日『ロマネスクの図像学』上・下届きました!
お〜! 早かったですね! これで、マーカーし放題ですね♪ 私も図書館で借りていた時は何度も読んでいたけれど、購入した後はマーカーするので、一目で自分が見たいところに目がいくので頭に入りやすくなりました。 サン・サヴァンの天井壁画の配置は 『 黒い聖母と悪魔の謎 』 にわりと細かく書かれてましたよね!
今、例のメリュジーヌを読んでいます。 今半分くらいのところですが・・ ポワチエやラ・ロシェル、アリエノール・ダキテーヌやイスの伝説が出てきたり・・ なんだかどこかで聞いたことのあるような伝説や伝承や神話とキリスト教が混ざったような感じ! < ジュアン・ダラス メリュジーヌ物語(P24) >、 < メリュジーヌ物語はケルト起源であろう(P33) >、 < 建設者メリュジーヌ(P57) >、 < 息子たちの異常(P68) > という項おもしろいですね! ”ベリー公のいとも豪華なる時祷書(3月)” を見るのもより楽しくなりそうです♪
wiz
- wiz さん からの返信 2015/06/07 22:27:26
- RE: ポワチエの円形劇場 etc...!
- コクリコさん・・たびたび・・
今、ちょっとだんだん飛ばし読み中ですが・・^ ^;
< メリュジーヌの建設事業(P152) > に
ポワチエの円形劇場、ポワチエの闘技場、
< 豊穣と破壊の女神(P158) > に
カルナック、ブーブレー山、古跡ビブラクト
・・ の文字がありますね! 楽しい♪
-
- yukibxさん 2015/06/03 08:21:58
- ルイ17世の小さな心臓の写真
- WIZさん、再びこんにちわ。
サン・ドニ バジリカ、修道院の旅行記は大変勉強になりました。
ここまで書かれるトラベラーは例外的です。
実はサン・ドニ バジリカには行った事がないのです。
しかし数年前にフランソワーズ・シャンデルナゴール作のルイ17世についての歴史小説を
読んだ時、悲劇的な一生を送らされたルイ17世の心臓があらたにブルボン家の王太子として
葬られ、ビジターも見る事ができる、ときいて、サンドニに行かなければとずっと思ったいました。
WIZ さんの撮られた写真を拡大したりして、ながめました。
また、WIZさんの他の旅行記を拝読させていただくのを楽しみにしています。
では、快適な初夏を楽しまれますように。
yukibx
- wiz さん からの返信 2015/06/03 17:36:36
- RE: ルイ17世の小さな心臓の写真
- yukibxさん、Bonjour!
サン・ドニ編も拝見して頂きありがとうございます。
たしかに、サン・ドニは大聖堂が見所のメインだから、歴史本(私の場合、中世美術本も・・)などを見たりして、行きたい気持ちが高まってこないと、パリから近くても(治安もイマイチだし)なかなか行かないですよね・・。
> しかし数年前にフランソワーズ・シャンデルナゴール作のルイ17世についての歴史小説を読んだ時、悲劇的な一生を送らされたルイ17世の心臓があらたにブルボン家の王太子として葬られ、ビジターも見る事ができる、ときいて、サンドニに行かなければとずっと思ったいました。
> WIZさんの撮られた写真を拡大したりして、ながめました。
実は、ルイ17世の心臓のあたりだけの写真も撮ったのですが・・はじめは載せようかなぁとも思ったのですが、考え直し、ここでは全体像だけにしておきました。。 2000年4月に ルイ17世と思われる遺体と心臓 が DNA鑑定 され、2004年6月にようやくルイ17世のものと判定され、フランス王家の墓があるサン・ドニ大聖堂に埋葬された・・ という経緯のようですけど・・ いろいろ謎はありますよね。。
先日は、ローランの碑・・の後、ミディ・ピレネーやバスクでの素敵なお写真など拝見しました! ロマネスク美術(教会)を見にミディ・ピレネーやオーヴェルニュに行きたいのですが・・ なかなか日数が取れず・・。 yukibxさんのような過ごし方をしてみたい!と拝見しつつ・・ やはりいざ旅行となれば、おそらく忙しないトラベラーになりそうです!!
wiz
-
- マリアンヌさん 2015/05/22 00:37:20
- 美しいステンドグラス☆
- こんばんわ、wizさん。
いつも内容の濃い旅行記をありがとうございます。
聖ドニのお話、サン・ドニ聖堂の歴史、楽しく読ませていただきました。
分厚い美術書から抜粋した読みやすいものになっていて
助かります。
西正面ポルタイユ左側扉口の二人の老人の争い、柱頭、黄道十二宮、いいですねぇ。聖ドニの殉教ってホント自分で首持ってますね。タンパン解説いただくと物語がわかって面白いです。
歴代王たちの霊廟、すごいですね。
ルイ16世は若い時、それも美化してる?カトリーヌ・メディシスの逸話はうけました。新しいほうはちょっとリアル過ぎるように感じます。
メロヴィング朝のクロヴィスまであるんですね。
昨秋、北東イタリアに行ったとき、行けなかったのですが、ゴリツィアという街のスロベニア側(ベルリンと同様東西分割になった街)にブルボン王朝最後のシャルル10世の霊廟がある修道院があると知りました。
確かプチサンド二とか…
ステンドグラス、古い絵柄と色彩が素晴らしいですね。
ピックアップされたエッサイの樹の部分、好きです。
クリプトの雰囲気も素敵、柱頭が楽しい。
それにしてもwizさん、このあとモンマルトルに行かれたのですね。
綿密な計画、行動力、マネできな〜い!
続編、読ませていただきますね!
マリアンヌ
- wiz さん からの返信 2015/05/22 12:40:04
- RE: Merci☆
- マリアンヌさん、いつもありがとうございます !
1793年に国民公会が歴代王家の墓所であったサン・ドニ大聖堂の霊廟の取り壊しを決定し、遺体は、すべて掘り出され、共同墓地に投げ込まれたため、その後の王政復古期に再び埋葬し直そうとした時、誰が誰だか判別がつかなかったらしく、その後全員一緒に葬られたそうなんですが(王の納骨室)・・ 現在、聖堂内に並べられている墓石は、当時の破損をまぬがれたものなのだそうです。
幸い ?! ・・ ルイ16世とマリー・アントワネットは、マドレーヌ墓地(現在、贖罪礼拝堂がある)に埋葬されていたので、革命の暴挙に巻き込まれず、王政復古時代に、サン・ドニに遺骸が運ばれたそうです・・。
写真に写したルイ16世とマリー・アントワネットの祈りの像は、墓石ではないそうです。 ( ミシュランのガイドとサン・ドニでもらったリーフレットによれば ”祈りの像”、 wikipediaだと ”慰霊碑” となっていました・・。 2人の遺骸が帰還した際にルイ18世によって注文され、1830年頃に完成したものだそうです。 )
http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=38662046
クリプトの写真の中の、ブルボン家の地下納骨所 に、ルイ18世と、(マドレーヌ墓地から移させた)ルイ16世とマリー・アントワネットの遺骸がまつられている、そうです・・。 (私の写真はルイ18世の部分に焦点があっていますが・・)
http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=38665215
カトリーヌ・ド・メディシスは、 ”新しい像” が眠るように美しい姿の像(霊廟)、 ”はじめ” につくられたのが本人が気を失ったといわれる像(横臥像)で・・ はじめは伝統に従ってつくられた・・ということは、本人に似せて、ということだと思うので・・ マリアンヌさんがおっしゃるとおり、間違いなく?! これがリアルなんでしょうね〜〜〜。 ほんとうに違いすぎますよね・・ でも、これを見比べるのをちょっと楽しみ?! にしていました〜。 ^ ^;
表紙のステンドグラスは、この聖堂における重要人物シュジェールも(ステンドグラスの中に)入っているし、たくさんあるステンドグラスの中でも本などでもよくとりあげられる部分なので、表紙に決めました ! ^ ^
聖ドニの殉教のタンパンは、見ると忘れない・・ ですよね。。。
ノヴァ・ゴリツァ、wikiで確認しました! フランス革命の時、イギリスに亡命、その後、王家の新しい受け入れ先になったオーストリアに向かったわけですね〜。 ノヴァ・ゴリツァは、ハプスブルク君主国の領土だったわけですね。 マリアンヌさんのトリエステを見て、私も、トリエステといえばハプスブルク・・ という連想をしていました。 それと、ハプスブルク関連の本などでも見たことがあったけれど、マリアンヌさんのミラマーレ城もとっても美しかった ! メキシコから帰ってこなかったマキシミリアン・・マネが描いていますよね。。。
そういえば、図書館にリクエスト中だった「小説フランス革命」が入ったんですよ〜! 取りに行ってきたので読んでいこうと思います。
wiz
- wiz さん からの返信 2015/05/23 10:16:29
- RE: 訂正・・
- マリアンヌさん、おはようございます!
なんと私、間違いをしていました。
アンリ2世とカトリーヌ・ド・メディシスの像なんですけど・・ ”眠りが死にとって変わった” という新しい像は、はじめ書いていたのと逆でした。 写真のコメント訂正しておきました。。
それとルイ16世とマリー・アントワネットのところにもマリアンヌさんとのこの掲示板でのやりとりを追加で書き足しておきました。 大変失礼いたしました ! ^ ^;
wiz
- マリアンヌさん からの返信 2015/05/24 00:28:24
- RE: RE: 訂正・・
- wizさん、こんばんわ。
ご丁寧にいろいろ教えていただきありがとうございます。
アンリ2世とカトリーヌ・ド・メディシスの像、確かに新旧ではまったく感じが異なりますよね。
カトリーヌ・メディシス、はるばるイタリアから嫁ぎ、薬やの娘と蔑まれり
子供がなかなかできなかったり、サン・バルテルミーの虐殺や…
想像つかないほどの劇的な人生ですよね。
そしてさすがフランス革命、国民公会は王たちの遺骸を遺棄しちゃったんですねぇ。アンシャンレジームを打壊すってことですからね。
カトリックなど既存の宗教も否定してしまったのだし。
私もやっとフランス革命の?革命の終焉が届きました。
ロベスピエールやサンジュストの処刑まで見届けます。
私のささやかな旅にもイイねをありがとうございました。
ミラマーレ城のマクシミリアンは本当の父はナポレオンの息子だったのでは?という説もあり、そうなるとナポレオンの孫。(見た目も兄のフィリップヨーゼフとはずい分違う気も…)
では、また。
マリアンヌ
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 中世美術を巡る旅
20
78