2006/12/31 - 2006/12/31
2205位(同エリア16626件中)
wiz さん
12/31(日) Saint-Sylvestre
大晦日の朝、
パリ発祥の地・シテ島で ” 中世の美 ” に出会える
ノートルダム大聖堂 と サント・シャペル へ向かいました。
教会堂の内外で見ることのできる
中世の芸術やステンドグラスを堪能しました。
ノートルダム大聖堂ではちょうど大晦日の朝のミサに遭遇しました。
ノートルダム大聖堂 Cathedrale Notre-Dame de Paris
http://www.notredamedeparis.fr/
サント・シャペル Sainte Chapelle
http://sainte-chapelle.monuments-nationaux.fr/
参考:
「 芸術新潮2006年3月号 パリ 中世の美と出会う五日間 」 ○
「 中世の聖なる空間を読む 大聖堂のコスモロジー 」 馬杉宗夫 ☆
「 ゴシックの図像学 」 エミール・マール ◇
- 旅行の満足度
- 5.0
-
リュテス通り Rue de Lutece
※ パリの名前の由来となった「パリシイ族の集落ルテティア(リュテス Lutece)」の名前が付けられた通り。
メトロ・シテ駅を降り、地上に出ると、この写真のように、すぐに最高裁判所の建物とサント・シャペルの塔が見えます。
まずは、最高裁判所に取り囲まれるように残っている サント・シャペル へ向かいます。
(2008年12月撮影)裁判所 (パリ) 建造物
-
(参考)
『ベリー公のいとも豪華なる時祷書(6月)』
(シャンティイ城コンデ美術館蔵)
1416年にベリー公のために編纂された祈祷書兼月暦。
コンシェルジュリーとサント・シャペルの塔(右)を含む シテ島 が、 6月 の頁に描かれています。
※ パリの起源は、シテ島である。 セーヌ川に浮かぶこの船形の島に最初に住み着いたのは、ケルトの諸部族で、2千年以上昔のことだ。 パリの名前の由来となったパリシイ族は、このとき住み着いた部族のひとつである。
セーヌ川の中洲シテ島は古くからセーヌ川の渡河点であり、紀元前3世紀ごろからパリシイ族の集落ルテティアがあった。 紀元前1世紀、ガリア戦争の結果ルテティアはローマ支配下に入った。 ローマ時代のルテティアはシテ島からセーヌ左岸にかけて広がっており、円形劇場(闘技場)や公衆浴場などが築かれた。 現在でも5区に円形劇場の遺跡が残っている。 しかしローマが衰退すると左岸の市街地は放棄され、シテ島のみを範囲とする城塞都市になった。 このころからルテティアに代わり「パリ」と呼ばれるようになった。 -
(参考)
『1223年のパリ』
ノートルダム大聖堂(右●)の建造開始が1163年。
サント・シャペル(左●)は1241年に計画され、1248年に献堂された。
※ 1223年時点では、ノートルダム大聖堂しか建っていないですが、位置関係を分かりやすくするため●印を入れました。 -
サント・シャペルを見上げる。
この 窓 に、有名な ステンドグラス があります。 -
12/31(日)、大晦日の朝一番は、シテ島の有名な2つの教会巡りからスタート。
まずは、9時オープンだと思って向かったサント・シャペルへ。 少しホテルを出遅れてしまったけれど、都合よく大晦日は9:30オープンでした。
到着したら、まだ開いていなかったので、サント・シャペルのある最高裁判所敷地内へ入り、外観の写真を撮ったりしながらオープンを待つことにしました。
サント・シャペルのバラ窓のある西正面は工事中で、足場などが取り付けられている状態でした。 残念。 -
サント・シャペル 下部礼拝堂
大晦日の朝、オープンと同時に入場。 カルト・ミュゼ(現在のミュージアムパス)を持っていたのでスイスイ入場できました。 朝一番だったので人もそれほどいませんでした。
入ってすぐ左(写真左)にある物販スペースでお土産のポストカードなども購入できます。 -
サント・シャペルの礼拝堂は、 ” 上下2層 ” に分かれていて、下層部は王家の使用人のためのもの。 壁が厚く、窓も小さい。 派手な彩色は19世紀に施されたものだそうです。 ○
王家の使用人用のサント・シャペル下層部は、低いリブ・ヴォールト(アーチを描いた天井)を列柱が支える堅固な造り。
青紫と赤の彩色も印象的。
クリスマスツリーとプレゼント箱がかわいらしい。 -
サント・シャペル下層部のステンドグラス
下層部はほんとに目立った大きい窓がなくこれは入口近くにあった小さめのステンドグラス。 -
サント・シャペルの上下層を行き来する狭い階段を上ります。
-
上層にあがってくると、
その空間は物凄い光の渦で満たされていました。
※ 聖王ルイが聖堂を建てた動機は、手に入れた聖遺物22点をまつるためで、内陣の櫓みたいなところ壇上になっているところに飾られていたが、 聖遺物の大半は革命のときに市庁舎前の広場で焼かれ、助かったのはイエスの荊冠と十字架だったが、その後ノートルダムの蔵品になった。
つまりいまのサント・シャペルは、教会としてはからっぽの聖遺物箱。 しかし、ステンドグラスに関しては約3分の2が当時のもの(1248年完成)である。 ○ -
(参考)
サント・シャペル 上部礼拝堂 ステンドグラス配置図
窓は聖書を描きだしたもので、旧約・新約聖書の書く場面が示されている。
・創世記 (破損が激しく、86枚中7枚が原画)
・出エジプト記 (保存状態がよく、121枚中92枚が原画)
・民数記 (97枚中70枚が原画)
・申命記 (青の色が特に明るく美しい。65枚中53枚が原画):ヨシュア記
・士師記 (64枚中26枚が原画)
・イザヤ書 (24枚中18枚が原画)とエッサイの系図
・福音書著者ヨハネと幼少のキリスト
・キリスト受難 (54枚中42枚が原画)
・洗者ヨハネ(16場面中10枚が原画)と ダニエル書(15場面中12枚が原画)
・エゼキエル書 (黄色の色彩が多い。28枚中17枚が原画)
・エレミヤ書 (25枚中19枚が原画)とトビア書 (25枚中16枚が原画)
・ユディット書とヨブ記 (56枚中37枚が原画)
・エステル書 (125枚中91枚が原画)
・列王記 (121枚中86枚が原画)
・キリスト受難の聖遺物の歴史 (聖遺物がパリに運ばれ、サント・シャペルに収められる経緯を描く。最も保存状態が悪く、67枚中26枚が原画)
・バラ窓: 黙示録 (保存状態は比較的いい)
(以上、参考:「街物語パリ」1995年10月1日2刷発行)
【見学ポイント】
●バラ窓 (西)
●キリスト受難の窓 (東)
●聖遺物の歴史の窓
●使徒の像 -
サント・シャペル 上部礼拝堂
※ サント・シャペル ( Sainte chapelle )とは「聖なる礼拝堂」という意味で、フランスのパリ中心部、シテ島にあるゴシック建築の教会堂。 ゴシック建築が最も輝かしい時期の頂点ともいえる傑作。 パリ最古のステンドグラス( Les Vitraux )で知られる教会。
ルイ9世が、コンスタンティノーブルの皇帝から買い求めたキリストの聖遺物、荊の冠や十字架の木片などを納めるために造らせた礼拝堂で、1248年完成。 ○
写真の正面(東)に礼拝堂全体のステンドグラスの中でも最高傑作とされる●「キリスト受難のステンドグラス」 があり、最後の晩餐、十字架を担うキリスト、茨の戴冠、などが描かれていますが、写真撮影は最も難しい場所だと思います。 -
ひとつひとつをよく見るには双眼鏡が必要です。
-
身廊の四つ葉装飾
「 聖セバスティアヌスの殉教 」
( * 創世記のステンドグラスの下)
※ 側壁の100の柱頭には、それぞれに異なった葉模様がつけられている。 アーケード状装飾の施された隅柱には四葉飾り枠が設けられ、天使たちが42の殉教の場面を語っている。 -
●柱の12使徒像のうちの「聖小ヤコブ像」
(( 写真がぶれていてすいません。 ))
サントシャペル内の柱の前に立つゴシック彫刻の使徒像(教会の支柱、という意味があるそうです。)は、実は13世紀フランスを代表するものだそうで、彩色は19世紀。
堂内の彩色は19世紀半ばのもので、中世当時にわりと忠実な修復のようです。 ○
( * 民数記のステンドグラスの右下)
※ 礼拝堂内の添え柱には、12使徒の立像が飾られている。 中でも最高傑作とされるのが、この「聖小ヤコブ像」。 衣服などのリアルな造形と使徒の生き生きとした表情は、13世紀中期の美術の特徴を示す。 -
●聖遺物の歴史のステンドグラスから
「 荊冠をしめすパリ司教 」(右)
「 玉座に置かれた荊冠 」(右)
1243-48年
(( 写真がぶれていてすいません。 ))
□で囲んだ部分(右): パリの人々に荊冠(緑色の輪)をしめすパリ司教と(右上)と、玉座に置かれた荊冠(右下)。 同時代の事蹟を描くのはこの窓だけだそうです。 ○
□で囲んだ部分(左): 当時の王国の境界であったセーヌ支流川沿いの町サンスに入る聖遺物(左上)。 聖遺物を肩にして運ぶ2人の男のうち、左のマントに王冠をかぶっているのが聖王ルイ(左上)。 馬に乗せられてベネツィアに向かう聖遺物(左下)。
※ 15のガラス窓には、1113の場面によって、創世記からキリスト復活までの人類の歴史が描かれている。 14のガラス窓には聖書のエピソードが描かれ、左から右方向へ、下方から上方へ進んでいく。
※ キリスト受難の聖遺物を物語るガラス窓(この写真のステンドグラス) は唯一、ブーストロフェードン法で読む(左から右、右から左と蛇行しながら、下方から上方に向かう読み取り法)ように配置されている。 ランセット窓の低部には、聖ヘレナによるエルサレムでの聖遺物の発見から、フランス王国への到着までが語られている。 -
●聖遺物の歴史のステンドグラス
上の写真を広角で撮った1枚。
右の上の方に(上の写真の)「 荊冠をしめすパリ司教 」「 玉座に置かれた荊冠 」があります。 -
(私はオープンと同時に入りましたが) だんだんと人が入ってきたので早く入って良かったと思いました。
-
※ 光への願望の頂点は、パリ市内にあるサント・シャペル礼拝堂において達せられた。 シテ島の中の裁判所(パレ・ド・ジュスティス)に接続して建つこの礼拝堂は、聖ルイ王(ルイ9世)が、イスタンブールから持ち帰ったキリストの茨の冠と、真の十字架の断片を祀るために建てられ、多分建築家ピエール・ド・モントルイユがその任にあたった(1243-48)。 礼拝堂は、上下二層にされているが、特に注目されるのは上院である。
狭い螺旋階段を昇り、上院にたどり着くや、神秘的な光の波がわれわれを襲ってくる。 ☆ -
※ 15ある壁面は全部窓に開放され、まさに壁面が光の壁になっている。
これほど直接的に、神の属性である光を、これほど独創的に表現した芸術があるであろうか。 神を信じない人に、これほどまでに、キリストを介在とした運命共同体というような意識を与える芸術があるであろうか。
それを演じているのは、ステンドグラスである。 ステンドグラスは、物質的な光を、多彩色の色ガラスを通すことにより、神秘的な光に変える。 十二世紀のサン・ドニ内陣部や、シャルトル大聖堂西正面三連窓に見られるすんだ青と赤の対比は、ここでは、より深い青と赤の対比になり、その両者が混じり合い、紫に近い雰囲気を作っている。
たしかにキリスト伝や聖人伝などの具体的な主題がそこに表現されている。 しかし、その主題の識別は必要でない。 必要なのは神秘的な光との直接的体験である。 その体験を通して、霊感に打たれたかのような衝撃がわれわれを襲ってくるのである。 ☆
□で囲んだ部分: 「エゼキエルの召命」( * エゼキエル書のステンドグラスより) 4頭の人面の動物と車輪が現われ、神から下された巻物を食べたエゼキエルは預言者となる。 この大窓のステンドグラスには黄色が多く使われ、華々しい色彩効果をあげている。 -
この写真は、上の写真と同じ場所を少し広角で撮ったもの。 一番左が、 洗礼者ヨハネのステンドグラス で、櫓のちょうど下に 「キリストの洗礼」 と思われるステンドグラスが見られます。
※ ステンドグラスは、それ自身では光を発しない。 そこに天から光がさし込むことによって、光り輝くのである。
人間のみでは、成就されない芸術。 天のみが、ステンドグラスに秘められた色彩を目覚めさせ、それに輝かしき生命を与えるのである。 「そは、サファイアとエメラルドをもてエルサレムは建てられ、その城壁は善き宝石もて、その塔のほとりでとは、純金をもて築かるべし(トビト書十三章十六節)。 まさに、トビトが抱いていた天上のエルサレムのイメージである。
ゴシックの建築家たちは、『ヨハネ黙示録』に記された「透明なガラスのような純金」でできた、天上の都の光輝を表現したのである。 まさに「神の国」「天上のエルサレム」にふさわしい多彩色の光にみちた神秘的空間が、サント・シャペルで実現されているのである。 ☆サントシャペル 寺院・教会
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同じステンドグラスでも光が直接当たる部分とそれ以外では、ずいぶん違う色に見える。
違う時間帯、違う季節に来るとまた別の表情を見ることが出来そうです。
□で囲んだ部分: 「ホロフェルネス軍」( * ユディト書とヨブ記のステンドグラスより) アッシリアの将軍ホロフェルネスの軍を描く。 下の行進の先頭に立つホロフェルネスは、ユダヤの美女ユディトに欺かれて首を切られるエピソードで有名。 -
サント・シャペル 西のバラ窓
外側から見ると、残念ながら工事の足場が取り付けられていた西のバラ窓側。
(朝なので) こちらに光が当たっている時間ではないけれど、少し暗い照明とともに浮かびあがるバラ窓もまた美しかった。
南北のそれぞれの壁面前には椅子が並べられていて、座ってゆっくりとステンドグラスを見渡し、眺めることができます。 -
サント・シャペル 西のバラ窓
● 西のバラ窓はヨハネの預言書である黙示録を表していて、内陣の主軸ステンドグラスのキリスト受難の正面に、象徴的に配されている。 バラ窓の中央には、終末期に生存者と死者の審判のために戻ってきた、後光に包まれたキリストが描かれている。
□で囲んだ部分: 「第4のラッパ」( * 西のバラ窓より) フランボワイヤン様式の バラ窓 は保存状態もよく、 『黙示録』 の物語が描かていれる。 □で囲んだ部分 は第4のラッパを吹き鳴らす天使像。 ラッパで損なわれる月、星、太陽の色彩も鮮やか。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%99%E7%A4%BA%E9%8C%B2%E3%81%AE%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%91%E5%90%B9%E3%81%8D (黙示録のラッパ吹き)
12世紀の中頃から、ゴシック建築の発展とともに バラ窓 はさらに精巧な様式へと進化して、そのサイズも大きくなっていった。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%A9%E7%AA%93 (バラ窓) -
※ フランス革命期、サント・シャペルは行政の事務所として使われ、窓は巨大な整理棚で隠されていた。
その美しさはほとんど忘れ去られていたため、たまたま破壊から免れたが、クワイヤの聖歌隊席や内陣障壁は破壊され、尖塔は引き下ろされ、遺物は散逸してしまった。
19世紀になるとル・デュクがサント・シャペルを修復した。 -
ゴシック様式 Gothic Architecture の極致 ともいえる 圧倒的なステンドグラスの世界。
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壁を最小限に切り詰め、鳥かごのような構造にし、その骨組みを輝くステンドグラスが埋め尽くしています。
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「神秘的な光との直接的体験」 ができたように思いました。
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サント・シャペルを出て、次は、ノートルダム大聖堂へ向かいます。
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サント・シャペル Sainte-Chapelle と
最高裁判所 Palais de justice を振り返って。 -
サント・シャペルからノートルダム大聖堂へ
(2008年12月撮影) -
サント・シャペルとノートルダム大聖堂は近いので、サント・シャペルを出て、まもなくすると、すぐにノートルダム大聖堂に到着します。
パリ・ノートルダム大聖堂
Cathedrale Notre-Dame de Paris
パリで最も重要な宗教建築であり、ゴシック芸術の最高傑作のひとつ。
寺院がある場所は、はるか昔から敬虔な祈りの場だった。 ノートルダムの敷地は、ローマ時代にはユピテル神域であったが、ローマ崩壊後、キリスト教徒はこの地にバシリカを建設した。
現在の巨大なゴシック寺院は、1163年頃から建築が始まり、200年近くかけて完成したもの。
聖アンナのポルタイユの上2段にはこの寺院で最古の彫刻がある。
●3つのポルタイユ(門)の脇の彫像は、左(聖エチエンヌ Diacre saint Etienne)、中左(エクレシア Allegorie de l'Eglise)、中右(シナゴーグ Allegorie de la Synagogue)、右(聖ドニ Saint Denis)。
ノートルダム寺院 略年表
・1163 このころ、司教モーリス・ド・シュリーが寺院に着工( → 2013年は着工から 850周年記念)
・1239 聖王ルイ、聖遺物の茨冠( → サント・シャペル)をノートルダムに一時安置
・1302 フィリップ4世、歴史上初の三部会をここで開催
・1345 寺院ほぼ完成
・1431.12.16 ヘンリー6世の戴冠式
・1572.8.17 後のアンリ4世とマルグリット・ド・ヴァロアの結婚式( → 6日後サン・バルテルミの虐殺)
・1789 フランス革命
・1804.12.2 ナポレオンの戴冠式
・1831 ヴィクトル・ユーゴー「ノートルダム・ド・パリ」出版( ” 中世においては、人間の考える重要なことはすべて石の上に刻まれた ” )(→ * )
・1845 ( * →)修復開始( → ヴィオレ・ル・デュク)
・1864 修復完了 -
●ノートルダム大聖堂 西正面
※ 三つの扉口を飾る彫刻がわれわれの目をひく。 これら三つの扉口彫刻は同時的に制作されたものはなく、 ゴシック彫刻史 の 三つの段階 に対応している。 ☆
(2008年12月撮影) -
(参考)
ノートルダム大聖堂 配置図
※ 向かって ●右側 、「聖アンナの扉口」 彫刻がいちばん古く、初期ゴシック時代の十二世紀中頃に遡る。 なお前時代のロマネスクの伝統を残す半円アーチのティンパヌム(タンパン)には、二人の天使に囲まれた《聖母子》像が君臨している。 その左右には、時の司教モーリス・ド・シュリーの立像と、跪く若きルイ7世とが表現されている(注:最近では聖ジェルマンとフランス王チルドベールであるとする説がある)。 その下のまぐさの部分には、《聖マリア伝》(12世紀)、さらにその下層のまぐさには、聖母の母《聖アンナ伝》(13世紀)が刻まれている。
●左側 扉口には、聖母崇拝の高まりを反映した、ゴシック時代の典型的な主題 《聖母戴冠》 が現われている。 サンリス大聖堂から芽生えた主題である。 時代はすでに盛期ゴシックに入り、静かで荘厳な古典的ゴシック彫刻が完成されている。 聖母マリアは、死後天上で栄光の象徴である冠を天使からさずかっている。 その下には、マリアの死と被昇天とが、安定した左右相称的な構図のもとに表現されている。 まさに、相重な盛期ゴシック彫刻の誕生なのである(1210年頃)。
●中央 扉口は 《最後の審判》 である。 ここでは新しい様式が芽生えている。 審判者キリストの顔や受難の道具を持つ天使たちの表情には、独特の情感表現がある。 比例関係も、古典期のそれよりも少し長くすんなりとしている。 いわゆる1250年代から60年代に現われる、新たな人間的な情感表現である(その下の地獄と天国へ行く人々は、19世紀の修復部分)。
三つの扉口の下の円柱の上に立つ大彫刻は、残念ながらフランス革命時に破壊され、十九世紀の建築家ヴィオレ・ル・デュックによる修復部分で、当時の面影をとどめていない。 歴史上の無謀な破壊行為である。
しかし、三つの扉口のティンパヌム(タンパン)に残された彫刻のみは、当時の面影をとどめ、ここだけで、
●初期ゴシック彫刻(右側)、
●古典的盛期ゴシック(左側)、
●洗練度を増す盛期ゴシック彫刻の後半期(中央)
という、三つの段階をたどることができるのである。 ☆
【見学ポイント】 (位置/方角は完成年代順)
●右●左●中央 西側ファサード3つの門
●内陣障壁(北、南)
●バラ窓(西、北、南)
●飛梁(フライングバットレス) -
●右「聖アンナのポルタイユ」
Le portail Sainte-Anne
http://fr.wikipedia.org/wiki/Cath%C3%A9drale_Notre-Dame_de_Paris#Le_portail_Sainte-Anne
※ 向かって右側、「聖アンナの扉口」彫刻がいちばん古く、初期ゴシック時代の十二世紀中頃に遡る。
なお前時代のロマネスクの伝統を残す半円アーチのティンパヌム(タンパン)には、二人の天使に囲まれた《聖母子》像が君臨している。 その左右には、時の司教モーリス・ド・シュリーの立像と、跪く若きルイ7世とが表現されている(注:最近では聖ジェルマンとフランス王チルドベールであるとする説がある)。
その下のまぐさの部分には、《聖マリア伝》(12世紀)、さらにその下層のまぐさには、聖母の母《聖アンナ伝》(13世紀)が刻まれている。 ☆
中央柱は、「聖マルセル像」。 竜を退治してパリを救ったという5世紀のパリ司教。 足元には竜がいる。 (修復されている。 オリジナルはクリュニー美術館にある。) -
●右「聖アンナのポルタイユ」
Le portail Sainte-Anne
タンパン tympanum
マリアの母アンナと父ヨアキムの物語(下段) /《聖アンナ伝》(13世紀)
キリスト降誕(中段)/《聖マリア伝》(12世紀)
中心に聖母子像(上段) -
●右「聖アンナのポルタイユ」
Le portail Sainte-Anne
右扉口 タンパン tympanum
「受胎告知」 と
「聖母のエリザベート訪問」 の場面
《聖マリア伝》
1160年頃
ノートルダムのほかの彫刻が13世紀前半なのに対して、ここは12世紀半ば。 人物の動きが少ないのはまだロマネスクの風を残しており、ロマネスクとゴシックの端境期のもの。 ○ -
●左「聖母マリアのポルタイユ」
Le portail de la Vierge
1210-20年頃
http://fr.wikipedia.org/wiki/Cath%C3%A9drale_Notre-Dame_de_Paris#Le_portail_de_la_Vierge
※ 左側扉口には、聖母崇拝の高まりを反映した、ゴシック時代の典型的な主題《聖母戴冠》が現われている。 サンリス大聖堂から芽生えた主題である。
時代はすでに盛期ゴシックに入り、静かで荘厳な古典的ゴシック彫刻が完成されている。
聖母マリアは、死後天上で栄光の象徴である冠を天使からさずかっている。
その下には、マリアの死と被昇天とが、安定した左右相称的な構図のもとに表現されている。 まさに、相重な盛期ゴシック彫刻の誕生なのである(1210年頃)。 ☆
中央柱下は、「アダムとイヴ」 -
●左「聖母マリアのポルタイユ」
Le portail de la Vierge
1210-20年頃
タンパン tympanum
永眠したマリアをキリストが迎えに来て
(中段)
昇天したマリアに戴冠させる場面
(上段)
聖母の死から復活、天上世界での戴冠が描かれる。 下段は契約の櫃を中央に置いた司教や王。 中段は2人の天使が死の床の聖母を持ち上げる死と復活の場面。 上段は天上で戴冠し、キリストから祝福される聖母。 ( → 天上から天使が現われて彼女の頭に冠を置いている。「聖母の戴冠」の新しい形式。 この新しい定型は、四半世紀上ものあいだ支配した。 ◇ ) -
●左「聖母マリアのポルタイユ」
Le portail de la Vierge
Les quatre grandes statues du piedroit de gauche du portail de la Vierge refaites au XIXe siecle representent un roi non identifie et saint Denis decapite, portant sa tete et entoure de deux anges.
「聖母マリアのポルタイユ」の左側の人像(扉口の下の円柱の上に立つ大彫刻)は、(名前が明らかにされていない)王と、斬首された頭部を持って、2人の天使に支えられている聖ドニ(パリとフランスの守護聖人;写真右から2番目)。
Les grandes statues du piedroit de droite du portail de la Vierge representent saint Jean-Baptiste, saint Etienne, sainte Genevieve et le Pape Sylvestre. Elles ont aussi ete refaites au XIXe siecle. Remarquez a gauche, pres du vantail les bas-reliefs representant des signes du zodiaque et des travaux des mois. Ils datent du debut du XIIIe siecle.
「聖母マリアのポルタイユ」の右側の人像(扉口の下の円柱の上に立つ大彫刻)は、(洗礼者聖ヨハネ、聖エチエンヌ、聖女ジュヌヴィエーヴ(パリの守護聖女)、聖シルヴェストル。
今日は、大晦日という日ですが、フランスではこの日を、la Saint-Sylvestre(サン・シルヴェストル)と言います。 サン・シルヴェストル(?-335)が亡くなった日で、初期の聖人の中で殉教者でない人物のひとり。 激しい迫害時代が終わったあと、聖メルキデス(聖メルティアディス)のあとを襲って第33代教皇となった聖人。 貧しい人々の救済のために慈善事業にも力を尽くした。 -
●中央「最後の審判のポルタイユ」
Le portail du Jugement Dernier
Le portail du Jugement Dernier
http://fr.wikipedia.org/wiki/Cath%C3%A9drale_Notre-Dame_de_Paris#Le_portail_du_Jugement_Dernier
※ 中央扉口は《最後の審判》である。 ここでは新しい様式が芽生えている。 審判者キリストの顔や受難の道具を持つ天使たちの表情には、独特の情感表現がある。 比例関係も、古典期のそれよりも少し長くすんなりとしている。 いわゆる1250年代から60年代に現われる、新たな人間的な情感表現である(その下の地獄と天国へ行く人々は、19世紀の修復部分)。 ☆
《最後の審判》では、天使ミカエルと悪魔によって天秤に掛けられ天国行き [左] と 地獄行き [右] に分けられている。 天国側の側柱には 5人の賢い乙女(les vierges sages) 、地獄側の側柱には 5人の愚かな乙女(les vierges folles) の姿が示されている。 ◇
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以下参考: (注) ” 左 ” ” 右 ” とはわれわれから見ての左右ではなく、審判者キリストから見ての左右となる。
◆『マタイ伝』には、《最後の審判》について、次のように記されている。
「人の子が栄光の中にすべての御使いたちを従えて来るとき、彼はその栄光の座につくであろう。 そして、すべての国民をその前に集めて、羊飼が羊とやぎとを分けるように、彼らをより分け、羊を右に、やぎを左におくであろう。
そのとき、王は ” 右 ” にいる人々に言うであろう、『わたしの父に祝福された人たちよ。 さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国に受けつぎなさい』(中略)
それから、 ” 左 ” にいる人々にも言うであろう、『のろわれた者どもよ、わたしを離れて、悪魔とその使たちとのために用意されている永遠の火にはいってしまえ。 あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせず、かわいていたときに飲ませず、旅人であったときに宿を貸さず、裸であったときに着せず、また病気のときや、獄にいたときに、わたしを尋ねてくれなかったからである』」 (『マタイ伝』25章31-43節)
このように、聖書の中では、キリストは右側にいる人々を祝福し、左側にいる人々を地獄に送ろうとしているのである。
◆ヨーロッパ言語においては、左は悪い方向を意味している。 ラテン語では左はsinistraであるが、その形容詞にあたるsinisterは「左の」という意味と同時に「不吉な、悪い」という意味になる。 ラテン語系のイタリア語でも、形容詞sinistroは「左の、左側の」の意味と同時に、「不吉な、悪い、忌わしい」などの意味になり、スペイン語でもsiniestro,traは「左の」と同時に「邪悪な、不幸な、不吉な」という意味になる。 これがフランス語になるとsinistreは、本来の「左の」という意味が失われ、「不吉な」という意味だけが残っている。 英語でもleft-handedは「左利きの」という意味と同時に「不信実な、腹黒い」と悪い意味になっているのである。
その反対に、英語で「右、右手」にあたるrightは、「正しさ、正義、権利」などと良い意味になる。 フランス語でも「右」にあたるdroitは、同じ綴りで「正しい、権利、法律」などの意味を持っている。 ヨーロッパ言語では、古来、言語的には「左は悪い方向」であり、「右は良い方向」だったのである。(以上、「黒い聖母と悪魔の謎/馬杉宗夫著」より)
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●中央「最後の審判のポルタイユ」
Le portail du Jugement Dernier
タンパン tympanum
上段中央は最後の審判者キリスト(両側に立つ2人天使は「受難」の刑具を持っており、跪いた聖ヨハネと聖母が両側を埋めている。)、中段は死者の魂を天秤にかけて裁く場面、下段は復活の場面。
すべての死者がよみがえり (下段)
天使ミカエルと悪魔によって天秤に掛けられ
天国行き [左] と 地獄行き [右] に
に分けられる場面 (中段)
キリストが両手を広げて十字架の傷痕を示している。
両側にひざまづいているのは、
聖母マリア [左] とヨハネ [右] (上段)
□ で囲まれている彫像は、アブラハムの懐(の義人の魂)(=天国)。 -
●中央ポルタイユ 側壁下方部 ”左”
「 美徳と悪徳 」 1210-30年頃
(内側から) ◇
信仰と偶像崇拝(La foi et l'idolatrie)
希望と絶望(L'esperance et le desespoir)
愛と貪欲(La charite et l'avarice)
貞潔と淫蕩(La chastete et la luxure)
賢明と愚行(La prudence et la folie)
謙遜と傲慢(L'humilite et l'orgueil)
中央扉口の足もとに、円形の悪徳図が左右に6つずつ、その上に美徳図があり、上下に対になっている。 ◇
Statues du piedroit de gauche : les Apotres saint Barthelemy, saint Simon, saint Jacques le Mineur, saint Andre, saint Jean et saint Pierre.
「最後の審判のポルタイユ」の左側の人像(扉口の下の円柱の上に立つ大彫刻)は、(左から右へ/外側から内側へ)聖バルトロマイ、聖(熱心党の)シモン、聖(アルファイの子の)ヤコブ、聖アンデレ、聖(使徒)ヨハネ、聖ペトロ。 -
●中央ポルタイユ 側壁下方部 ”右”
「 美徳と悪徳 」 1210-30年頃
(内側から) ◇
剛毅と臆病(La force et la lachete)
忍耐と憤怒(La patience et la colere)
穏和と冷酷(La douceur et la Durete)
和合と不和(La concorde et la discorde)
従順と反抗(L'obeissance et la desobeissance)
堅忍と移り気(La perseverance et l'inconstance)
□ で囲んだ部分の左: 黙示録の ”騎士”<死> (目隠しをした「死」が馬の背に体を屈め、馬の尻に屍体をのせて走っているが、これは今から始まろうとする一連の恐怖を予告する絶縁な像である。 ◇ )
□ で囲んだ部分: 黙示録の ”地獄”
Au piedroit de droite : saint Paul, saint Jacques le Majeur, saint Thomas, saint Philippe, saint Jude et saint Matthieu.
「最後の審判のポルタイユ」の右側の人像(扉口の下の円柱の上に立つ大彫刻)は、(左から右へ/内側から外側へ)聖パウロ、聖(ゼベダイの子)ヤコブ、聖トマス、聖フィリポ、聖タダイ(ユダ)、聖マタイ。 -
●中央ポルタイユ ”左右” 側壁下方部
「 美徳と悪徳 」 まとめ ◇
( Des vices et des vertus )
写真上: 中央ポルタイユ 側壁 ”左”
(内側から)
信仰と偶像崇拝(La foi et l'idolatrie)
希望と絶望(L'esperance et le desespoir)
愛と貪欲(La charite et l'avarice)
貞潔と淫蕩(La chastete et la luxure)
賢明と愚行(La prudence et la folie)
謙遜と傲慢(L'humilite et l'orgueil)
写真下: 中央ポルタイユ 側壁 ”右”
(内側から)
剛毅と臆病(La force et la lachete)
忍耐と憤怒(La patience et la colere)
穏和と冷酷(La douceur et la Durete)
和合と不和(La concorde et la discorde)
従順と反抗(L'obeissance et la desobeissance)
堅忍と移り気(La perseverance et l'inconstance)
日本語訳参考:
「ゴシックの図像学」下P188 ◇
仏語参考:
http://architecture.relig.free.fr/male13e.htm -
●中央ポルタイユ 側壁 ”右”
上: 剛毅 La Force(美徳)
下: 臆病 La Lachete(悪徳)
1210-30年頃 -
中央ポルタイユをもう1度見上げて1枚。
中央ポルタイユの両側の彫像は「エクレシア」(左) と 「シナゴーグ」(右)。
ストラスブールのものが有名だと思っていたのですが、パリにもありました。
Le Portail du Jugement - De part et d’autre, les representations de l’Eglise (a gauche) et de la Synagogue (a droite). http://www.notredamedeparis.fr/spip.php?page=document&id_document=231&id_article=42 -
王のギャラリー と 西のバラ窓
《王のギャラリー》には、それぞれ王冠をかぶった人物が立っている。 その数は28人にもおよぶ。
※ これらの人物は、18世紀には、フランスの歴代の王を表現したものだと考えられていた。 それゆえ、1789年に勃発したフランス革命時に、これらの像は破壊された。 現在そこにある像は19世紀に復元されたもので、残念ながらゴシック時代のものではない。
しかし、最近の1977年4月、パリ市内の銀行の工事中に、石棺の中に入れられた彩色もあざやかな36個もの彫刻の断片が発見されたのである。 それは、ノートルダム大聖堂の、破壊された彫刻の断片であった。 その中に《王のギャラリー》の像と思われる21個の王冠をかぶった頭部があったのである。 28体のうち21体の頭部が発見されたことは、美術史上の大変な出来事だったのである。 それも偶然銀行の工事中に、地中から見つかったのである。
その頭部は平均65センチメートルくらいの大きさであり、髪には黄色、口元には赤色、目元には黒色、頬にはピンク色などの色彩が見られ、大聖堂を飾っていた中世の石彫にも彩色されていた証拠を提供した。 現在、これらの頭部は、パリ市内の クリュニー(中世)美術館 に保管され、人々に、13世紀初頭彫刻の生々しい姿を伝えているのである。
これらの個々の人物が誰を表現し、その全体はどんなイデーを表明しているのかという問題には、二つの対立する論があった。 一つは前述したように、フランスの歴代の王とする説であり、他の一つは、キリストの祖先にあたるユダヤの王たちとする説である。 ☆ -
※ 12世紀中頃以来、すなわちフランス王家の修道院サン・ドニ修道院長シュジェール以来、彼らが求めていたのは、フランス王権と教会権との共存一致というイデーであった。 実際、修道院長シュジェールは、ルイ7世が十字軍に出かけた時、フランス王家の摂政をかねていたのである。
福音書記者マタイがあげたキリストの祖先の28人のうち15人のみが王であった (*) のに、パリのノートルダム大聖堂では、他の人物にも王の容貌を与えることにより、単に、それらの像が、旧約聖書中のキリストの祖先にあたる人物という側面だけでなく、フランス王権という側面をも強調したのであろう。 ☆
* イエス・キリストの系図を最初に記した福音書記者マタイによると、ダヴィデ王の父エッザイからキリストの父ヨセフまで、28人の人物を列挙している。 しかし、そのうち15人のみが王であった(マタイ伝1章6-16節)。 しかし、福音書の中でも統一がなく、ルカ伝によるとエッサイからヨセフまで42人とされている(ルカ伝3章23-38節)。 -
ノートルダム西正面 右扉口
「聖アンナのポルタイユ」
木製扉の鋳鉄細工 13世紀
西正面ファサードの彫刻群を堪能した後は、ノートルダム大聖堂の中へ入ってみます。
ここ「右扉口」はまさにノートルダムへの入口で、ゾロゾロと並びながらなにげなく通り過ぎるところです。
中央と左の扉口のものは19世紀の複製というのに対し、この右扉口だけは13世紀のものと古い、のだそうです。
唐草に巻かれる怪鳥たち。
唐草文様は ” 楽園のしるし ” ○ -
ノートルダム西正面右扉口
「聖アンナのポルタイユ」
木製扉の鋳鉄細工 13世紀
(2008年12月撮影) -
ノートルダム西正面右扉口
「聖アンナのポルタイユ」
木製扉の鋳鉄細工 13世紀
(2008年12月撮影) -
ノートルダム大聖堂
ちょうど入ったら大晦日の朝のミサ中で、荘厳な雰囲気。ノートルダム大聖堂 寺院・教会
-
12世紀、フランス北部で建築ブームが興り、ゴシックの聖堂は ”より高く” ”より大きく” ”より豪華に” と建てられていった。
サン・ドニ教会 着工1140年頃/天井高24m
パリ・ノートルダム大聖堂 1163年頃/32m
ストラスブール大聖堂 1176年頃/32m
シャルトル大聖堂 1194年頃/34m
ランス大聖堂 1211年頃/38m
アミアン大聖堂 1220年頃/42m
ボーヴェ・サン・ピエール大聖堂 1247年頃/48m -
ミサをしているので、これ以上真ん中 (身廊 Nef) を歩いていくことはできません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BA%AB%E5%BB%8A (身廊) -
ノートルダム大聖堂 北側側廊にて
北側側廊から順に → 後陣(東側) → 南側側廊 → 西側正面入口 と、見てまわります。 -
南北のバラ窓の見えるトランセプト Transept (翼廊) まで来ました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BF%BC%E5%BB%8A (翼廊) -
ノートルダム大聖堂 大晦日のミサ
(左上に見えるのが、南のバラ窓)
青い服の女性の歌声が教会中に響いていました。 -
Cloture du choeur nord
●内陣障壁
「ベツレヘムでの幼児虐殺」
「エジプトへの逃避」 の場面
14世紀前半 (彩色は19世紀)
これは、北側の内陣障壁で、このあたりのレリーフ(浮彫)は、オリジナルのままで大変貴重なものだそうです。 ○
一番右は、(12月なので)クリスマスの飾りだったと思います。 -
Cloture du choeur nord
2年後(2008年)の同じ時期にノートルダム大聖堂を訪問したら、この写真のように、内陣障壁の「キリストの生涯」の彫刻の部分とクレッシュが一体となるように、光の演出が行われていました。 (左から右へ順に灯りが照らされ最後に全部が照らされたり、バックライトが照らされたりしていました。)
●内陣障壁 北側
内陣障壁北側にあるこれらの彫刻は14世紀前半、1300-1318頃にPierre de Chellesによって彫られたもので当時のオリジナルが飾られている。 ここでは、イエス・キリストの「幼少時代」「公的生涯」「受難」の場面が示されている。
(左から右)
- la Visitation : 御訪問
- Annonce aux bergers par l’ange ; 羊飼いへのお告げ
- la Nativite ; キリスト降誕
- Adoration des mages ; マギ(東方三博士)の礼拝
- le Massacre des Innocents ; ベツレヘムの嬰児虐殺
- la Fuite en Egypte ; エジプトへの逃避
- la Presentation de Jesus au temple ; 神殿への奉献
- Jesus au milieu des docteurs de la Loi ; (Luc 2, 41-52) イエスと博士たち
- le bapteme du Christ dans le Jourdain ; イエスの洗礼
- les Noces de Cana, premier miracle de Jesus ; カナの婚宴(キリストの初めの奇跡)
- Entree du Christ e Jerusalem ; エルサレム入城(枝の主日)
- la Cene representant le dernier repas ; 最後の晩餐
- le Lavement des pieds des apotres par Jesus au soir du Jeudi Saint ; 弟子の足を洗う(聖木曜日)
- la priere du Christ au Jardin des Oliviers avant le debut de sa Passion ; ゲッセマネの園のキリスト(オリーブ山上の祈り)
(2008年12月撮影) -
クレッシュ
クリスマス(12月)の頃、大聖堂では、キリスト降誕のシーン(仏語でクレッシュ)の飾りが置かれています。
2006年12月はこのような感じで、上の写真(2008年12月)のような光の演出はありませんでした。 こちらの方が落ち着いて見られる感じがします。 -
ノートルダム大聖堂 西のバラ窓
ミサをしていたので、西のバラ窓は非常に撮りにくかったです。 この写真は、聖堂の一番東側から望遠で撮ったもので、私のコンデジではこれが限界でした。 下記wikipediaの写真を拡大してみてもパイプオルガンの影になっているバラ窓の下の部分はよく見えませんでした。
http://fr.wikipedia.org/wiki/Cath%C3%A9drale_Notre-Dame_de_Paris#La_rosace_ouest
●西のバラ窓 ノートルダムの3つのバラ窓の中でも最も古く、1210年から1215年頃に完成した。 直径は9.6mで、中央のメダイヨン(円形模様)には玉座に着く聖母子が描かれている。 これを取り巻いて3層の同心円状メダイヨンが配されているが、一番内側の第1層に描かれているのは 12人の預言者たち 。 第2層と第3層は放射線状に24組の対になっていて、上部分には 12の美徳 (外側) と 悪徳 が、下半分には 12の季節折々の労働(外側) と その星座 が描かれている。
12の美徳と悪徳に関しては、大聖堂西正面中央ポルタイユの下の彫刻でもありましたね。 -
西側正面入口から最も遠い東側に位置する礼拝堂
「 Chapelle du Saint-Sacrement 」 -
ノートルダム大聖堂 建造の経緯
1163〜1177 内陣の建造(1182奉献)
1180〜 身廊(五廊式)の建造
1196 司教モーリス・ド・シュリー死去、西側の梁間を除き、ほぼ完成
1200〜 後継者ユード・ド・シュリーによる、西正面ファサードの建造
1220 「王のギャラリー」の層まで
1225 バラ窓の層まで
1240 北塔(高さ地上63m)
1250 南塔、全面完成
1345 大聖堂ほぼ完成 -
-
Cloture du choeur sud
●内陣障壁 南側
Pierre de Chellesが北側内陣障壁を作った後、Jean Ravyが南側にも内陣障壁を置き、北側障壁の物語のつづきをつくった(これはかなり珍しいもの)。 1351年に完成したが、18世紀初頭に破壊された。
(左から右へ)
- a Marie-Madeleine qui ne le reconnait pas tout de suite et le prend pour un jardinier ; イエスとマグダラのマリア(ノリ・メ・ダンゲレ われに触るな)
- aux Saintes Femmes qui furent les premieres e se rendre au tombeau le surlendemain de sa mort ; キリストの墓を訪れる聖女たち
- a Pierre et Jean, conformement a la tradition de saint Paul << apparu a Pierre puis aux douze ; (ヨハネとペトロは墓に到着し、まずペトロが墓に入って、その中でイエスが復活したことを知る。)洞窟での聖ペトロへの出現 ◇
- aux disciples a Emmaus ou deux de ses disciples le reconnaissent a la facon dont il fractionne le pain ; エマオの弟子たち
- au Cenacle au soir de Paques ; 復活祭夜の出現
- a Thomas l’apotre incredule ; 聖トマスの懐疑(不信)
- au bord du lac de Tiberiade ou les apotres realisent une peche miraculeuse ; 奇跡の漁り
- en Galilee ou il les envoie en mission ; 使徒たちに使命を与えるキリスト
- au jour de l’Ascension, dernier repas de Jesus avant que ne cesse les apparitions ; キリスト昇天の日、最後の晩餐の部屋に集まった使徒たち -
ノートルダム大聖堂 南側トランセプト(翼廊)
-
ノートルダム 北のバラ窓
(南側トランセプトより)
北のバラ窓は、( http://fr.wikipedia.org/wiki/Cath%C3%A9drale_Notre-Dame_de_Paris#Le_croisillon_nord_et_sa_rosace )聖母子像を中心にして旧約の預言者や王を配し、
南のバラ窓は、( http://fr.wikipedia.org/wiki/Cath%C3%A9drale_Notre-Dame_de_Paris#Le_croisillon_sud_et_sa_rosace )世の終わりに現れる黙示録のキリストの周囲に使徒や聖人たちが集まっている場面、を描いていて、
キリストの 最初 と 最後 が照応している。 ○
●北のバラ窓 1255年頃に完成。 北向きのため、全体に白いガラスを使って明るさを増す工夫がされていて、その光の造形は「喪の華」とも形容されている。 旧約聖書による「聖母頒讃」がテーマで、聖母子を中心に、内側第1層のメダイヨンには15人の預言者、第2層には王と士師、第3層には大司祭と王が描かれる。
●南のバラ窓 ノートルダムの3つのバラ窓の最後を飾り、1258年頃に着工、1260年頃には完成。 非常に華やかな色彩をもち、レヨナント様式(唐草、アラベスクなどの文様を放射状に配する)のバラ窓の究極的な作品と言われる。 中央の黙示録のキリストから放射状に4層のメダイヨンが配され、第1層には使徒、聖者、殉教者、王、第2層に使徒と聖者、第3層に殉教者、聖マタイの物語など、第4層にさまざまなシンボルをもつ天使などが描かれる。( http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/30823876/ ) -
大晦日、朝のミサが終わりました。
-
南西側 側廊にて
-
-
ノートルダム大聖堂 からの風景
(2008年12月撮影)シテ島 旧市街・古い町並み
-
ノートルダム大聖堂
大聖堂の北側とガルグイユ(怪獣形の排水口) -
ノートルダム大聖堂 北扉口タンパン
-
ノートルダム大聖堂 北扉口タンパン
「聖テオフィルス伝」
1250年頃
(参考)
http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/15514954/
※ 浮彫は聖母の最も有名な奇跡の一つ、テオフィロスの奇跡を物語っている。 助祭テオフィロスは自分が仕える司教の地位を奪うことを決意し、悪魔と談合する。 悪魔は助祭にある文書を示すが、そこには権力や財産と引き換えに助祭がその魂を悪魔に売りわたす約束が記されていた。 取引は成立し、テオフィロスは悪魔の「手下」になった。 そして、家臣がするように、その合わせた両手を新しい主君の前に差し出し、その両手を主君は自分の両手で握っている。 それは正確に表現された封建的臣従礼の場面である。 こうして権力者とはなったが良心の呵責に苛まれるテオフィロスは、祈りながら眠りに落ちる。 聖母は彼の苦悩を哀れみ、天使に伴われて天から降り、彼女が悪魔から取り上げた文書をテオフィロスの手にまさに委ねようとしている。 (「ロマネスクの図像学」下P308) -
ノートルダム大聖堂 北扉口
「人形や怪鳥の浮彫」
1250年頃
こういう文様は東方の織物を模したものだそうです。
中世のヨーロッパにとって世界の中心はエルサレムで、さらに東方のインドには理想のキリスト教国があるらしいといった辺境の民の東方へのあこがれのなごりなのだそうです。 ○ -
ノートルダム大聖堂
1240年完成の北塔(高さ地上63m)とガルグイユ -
ジャン23世広場 Square Jean XXIII にて
ゴシック建築の特徴のひとつでもある●フライング・バットレス(Arcs-boutants 飛梁)が望める後陣(Le chevet)の姿。
教会の外側に張った飛梁=フライング・バットレス と呼ばれる構造の発明によって、壁で支える代わりにこれが外側から建物を支えるので壁を薄くしてステンドグラスを多用できるようになった。
西正面とはまったく違う顔のノートルダム大聖堂。ジャン23世公園 広場・公園
-
-
シテ島・シャントル通り から見えるより ノートルダム大聖堂 の尖塔。
『 シテ島は19世紀、知事オスマンのパリ大改造で民家がほとんど姿を消したが、この通りの周辺は開発をのがれ、中世の面影を残している 』 のだそうです。 ○ -
ノートルダム大聖堂 南側の風景
(カルチェ・ラタン側からの風景)
●南扉口タンパン(1258-1270)には「聖エティエンヌ(ステファノ)」の殉教に捧げられている。 ( http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/15516646/ )
(新しい大聖堂 'ノートルダム大聖堂 ' を建てたとき、聖母のバジリカ聖堂に隣り合った、おそらくそれと同じくらい古い時代にさかのぼる ' サン・テティエンヌ教会 Cathedrale Saint-Etienne de Paris ' ( http://fr.wikipedia.org/wiki/Cath%C3%A9drale_Saint-%C3%89tienne_de_Paris ) を撤去せざるを得なかった。 13世紀の芸術家たちは、サン・テティエンヌ教会のあったまさにその場所に建てられたノートルダム大聖堂の南扉口のタンパンの素晴らしい浮彫を、聖テティエンヌ(ステファノ)の殉教に捧げた。 ◇ )
(2008年12月撮影) -
ノートルダム大聖堂 南側の風景とセーヌ川
(2008年12月撮影) -
ノートルダム大聖堂を見終わったのは正午前
メトロ シテ駅から
オランジュリー美術館 (コンコルド広場) へ向かいました。
その後、オルセー美術館 も見学。
(※ 夕方から夜はシャンゼリゼ通り、エッフェル塔で大晦日の雰囲気を楽しみました。 )シテ駅 駅
-
そして、 大晦日、夕方。
またノートルダム大聖堂に戻ってきました。
…… 世界遺産 「パリのセーヌ河岸」 ……
「パリのセーヌ河岸」は、フランスにあるユネスコ世界遺産のひとつ。 首都パリを流れるセーヌ川の川岸のうち、シュリー橋からイエナ橋までのおよそ8kmほどが登録対象となっている。 これには、中州であるシテ島とサン・ルイ島、および区域内に架かる橋も含まれている。
・登録対象
【セーヌ右岸】
マレ地区(オテル・ド・ロアン、オテル・ラモワニョン)
パリ市庁舎
ルーブル宮殿(現在はルーブル美術館)
チュイルリー庭園
コンコルド広場
マドレーヌ寺院
シャンゼリゼ通り
グラン・パレ、プティ・パレ
シャイヨー宮
【セーヌ左岸】
オルセー美術館
ブルボン宮殿
アンヴァリッド
シャン・ド・マルス公園
エッフェル塔
【シテ島】
ノートルダム大聖堂 ◆
パレ・ド・ジュスティス(裁判所)
サント・シャペル ◆
コンシェルジュリー
【サン・ルイ島】
ランベール邸、ローザン邸
サン=ルイ=アン=リル教会
【区画内の主な橋】
ポンヌフ
アレクサンドル3世橋
・登録基準
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。
(1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
(2) ある期間を通じてまたはある文化圏において建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
(4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。 -
Youtubeを見ていたらおもしろいものがありました。
●Paris 3D: a Tour of the City Through the Ages
http://youtu.be/-64kHmCJGMA (3D映像全体を通してパリの成り立ちが要約され分かりやすいです。 中世時代は、ノートルダム/ルーヴル建造あたりで見られます。)
00:00 ガリア時代のパリ
01:30 ローマ時代のパリ
04:10 ノートルダム建造
07:05 ルーヴル建造
09:55 バスティーユ
11:00 エッフェル塔とパリ万博
●Paris au Moyen Age (中世のパリ)
http://youtu.be/Gz2_BatjU2s -
大聖堂 や クリスマスツリー の灯りが、だんだんと輝きはじめました。
-
ポストカードのガルグイユ。
夕暮れ時、パリの街とエッフェル塔も見えて。
ノートルダム大聖堂上からの風景。 -
ノートルダム大聖堂、夜景。
パリ、大晦日。
” 中世の美 ” を味わう
サント・シャペルとノートルダム 編 でした。
新たなことが分かると
ますます奥深く楽しめ興味は尽きないですね。
la Fin
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この旅行記へのコメント (30)
-
- panthere ☆ ノートル パリさん 2014/11/19 04:52:16
- お礼
- WIZさん
はじめまして。
ご投票ありがとうございました。
WIZさんの旅行記を見ていたら、良く知っているNOTRE DAMEも細かい解説付きで、驚きました! これだけ調べるのも大変かと思いました。
しかし、素晴らしい解説有難うございました! とても楽しめました!
今後共、WIZさんのフランスの解説、興味深く拝見していきたいと思っています。
どうぞ、宜しくお願いします。
PANTHERE
- wiz さん からの返信 2014/11/19 08:25:22
- RE: こちらこそ!
- panthereさん、
こちらこそ旅行記を見て頂きありがとうございます!
panthereさんはパリ(もしくはその近郊?)にお住まいなのかしら?
普通の旅行者では見れないところを見させて頂き楽しく拝見致しました。
私は先月パリに行ってきたのですが今はまたずっと寒くなりましたよね。
でも、これからはノエルの時期で街も美しくなり寒いけれど楽しいですよね。
フラワーアレンジもいつも以上に華やかになりそうですね!
それでは・・また旅行記を楽しみにしていますね〜!
wiz
-
- dankeさん 2014/10/22 01:03:42
- 最後の審判のポルタイユの
- wizさん Bonjour!
最後の審判のポルタイユの説明、引用文献の部分も含めてとても興味深く拝見しました。特に数ヶ国語にわたる右と左の定義の比較なんてとても面白かったです。ちょっと自分のノートルダムの写真を見直しみたら最後の審判のポルタイユが写っていましたけれど、勿論その意味を知って見るのといないで見るのでは全然違いますね。
サント・シャペルはぜひ行きたいです。ステンドグラスのうち何枚がオリジナルかも書かれていてwizさんはさすがですね、度肝を抜かれました。ありがとうございました。
- wiz さん からの返信 2014/10/23 21:24:53
- RE: 最後の審判のポルタイユの
- dankeさん、
これはなかなか気合いを入れないと読めない旅行記にようこそ! ^ ^;
右と左の意味は、「黒い聖母と悪魔の謎/馬杉宗夫著」を読んで、はぁ〜なるほど! と思った部分で、これを覚えれば、『最後の審判』の場面で、必ず、審判者キリストの右手に天国がある、ということを忘れない、と自分で思ったので書いた部分でした!
” 英語で「右、右手」にあたるrightは、「正しさ、正義、権利」などと良い意味になる。 フランス語でも「右」にあたるdroitは、同じ綴りで「正しい、権利、法律」などの意味を持っている。 ” 左の意味を覚えなくても、この右の意味が分かっていれば、もう頭に入りますもんね!
dankeさん、来年ブルゴーニュを旅される時、教会のタンパンに『最後の審判』があると思うので、是非注目してみてくださいね〜。
ステンドグラスの原画の枚数なんて、本で読んだものですよ〜。
気合いがある時は、がんばって書ける内容の旅行記なのでした。
(ヴェズレーの彫刻に関する2つの旅行記も^ ^;)
-
- コクリコさん 2013/10/23 16:30:22
- ガリア〜パリ万博
- wizさん、
面白いYouTubeの紹介ありがとう!
夫が帰ってきたら見せようっと、喜びそうだわ!
wizさんGuedelonゲドロンって聞いたことある?
今回ブルゴーニュのM氏に車で連れて行っていただいたのですが、
中世の方法で中世のお城を構築しているの。
まず森を開拓し畑を耕し、家畜を飼って。
イラクサを裂いて干してロープを造り、土を焼いてレンガを作るところから始めているのでお城の完成は2025年になる予定です。
造っている人たちもその道のプロフェッショナルや学者。
作業着も中世の服装という徹底ぶり。
『コクリコは写真撮ってメモばかりしているね」と笑われたけれど、旅行記に上手くできるかどうか。
イギリス、ドイツ、オランダからツアーでたくさん見学しにくるらしいわ。
各国のテレビ局も。
見学料、放映料がそのままお城構築のための寄付金になっているようです。
何年か前にNHKの教育テレビで見たことがあるのですよ(その番組は中世のカテドラルの番組だったような気がします。イギリスBBCのだったかも)
短いけれどブログ見つけました。
http://euro.typepad.jp/blog/2011/08/guedelon.html
不便な場所にあるので車がないとなかなか行けそうにありませんが、オーセールから車で30分だそうです。
私の心を一番キュンと締め付けたのは、家畜として飼われていた豚。
豚って昔はあんなに野生的だったんだ、ステキな豚ちゃん♪って一目ぼれ。
日本の農家の豚小屋に詰め込まれた肌色の豚が哀れに思えました。
- wiz さん からの返信 2013/10/23 21:49:06
- RE: ガリア〜パリ万博
- > wizさん、
> 面白いYouTubeの紹介ありがとう!
> 夫が帰ってきたら見せようっと、喜びそうだわ!
コクリコさん、みつけてくれたんですね〜〜〜♪
このYoutube、めちゃくちゃおもしろいですよね(*^^)v
わたしもみつけた時3回くらい繰返しみちゃいました。
今も見直してみました。 パリのガリア時代から万博まで、
壮大な旅が10分ちょっとでできる感じがたまらないですよね。
旦那様も喜んでいただけそうでうれしいです。
2番目の動画は、冒頭で彩色されたノートルダムの王のギャラリーがおもしろいなぁと思って(実際彩色はあったみたいですよね。) それからノートルダムの前があんな風に家でいっぱいだった感じがおもしろいなと思ったので貼っておきました。
> wizさんGuedelonゲドロンって聞いたことある?
> 今回ブルゴーニュのM氏に車で連れて行っていただいたのですが、
> 中世の方法で中世のお城を構築しているの。
> まず森を開拓し畑を耕し、家畜を飼って。
> イラクサを裂いて干してロープを造り、土を焼いてレンガを作るところから始めているのでお城の完成は2025年になる予定です。
Guedelonゲドロンに関するブログ見てみました〜。
euro tourさんのブログ、たまに見ていました!
コクリコさん今回行かれたんですね〜。
Guedelonゲドロンという名前はさっぱり記憶にないですが、
なんとなくこんなところを見たことあるような・・?
毎朝NHKのBSの6時から10分か15分くらいFrance2(前日20時のニュース)のニュースダイジェストがあるのですが、それを録画してなるべく毎日見ているのですが、週末になると、ニュース以外の情報も混じっていたりして、それで見たような感じもするのですが、記憶が定かではありません^ ^; 2日前くらいにSNCFのTGVの販売率?だったかが前年に比べ落ち込んでいるというニュースがありましたよ〜。
先月、このFrance2ニュース内で、オラドゥール・シュル・グラヌ(Oradour-sur-Glane)という町が出てきて、どこかな?と調べたら映画『追想 Le vieux fusil』で使われた町だったのが印象的でした。
話がそれてしまいましたが、コクリコさんのゲドロンの旅行記(ステキな豚ちゃん♪)楽しみに待っていま〜す♪ Trouvilleも見た〜い♪
wiz
- wiz さん からの返信 2013/10/24 08:56:37
- Guedelon @France2!
- コクリコさん〜、おはようございます。
Guedelon France2 で検索してみたら、
今年の6月に5日間特集で放送されたらしい?です。
下記URLで5日分、少しづつFrance2の動画が貼られていました。
http://culturebox.francetvinfo.fr/feuilleton-les-batisseurs-de-guedelon-15-137187
子供たちの社会科見学?に良さそうですね〜(3/5)。
BSでFrance2のニュースを使っているから
NHK教育の番組もFrance2の映像が元かもしれませんね!
wiz
- コクリコさん からの返信 2013/10/24 22:34:35
- RE: Guedelon @France2!
- こんばんは!
> Guedelon France2 で検索してみたら、
> 今年の6月に5日間特集で放送されたらしい?です。
> 下記URLで5日分、少しづつFrance2の動画が貼られていました。
> http://culturebox.francetvinfo.fr/feuilleton-les-batisseurs-de-guedelon-15-137187
> 子供たちの社会科見学?に良さそうですね〜(3/5)。
> BSでFrance2のニュースを使っているから
> NHK教育の番組もFrance2の映像が元かもしれませんね!
家で録画してあったのでちょっと見てみました。
2011年にNHK教育テレビで放映されていた「地球ドラマチック」という番組の一つ『大聖堂 ゴシック建築の科学』でした。
その中にゲドロンでの作業が紹介されていて、見てみたいな〜と思っていたら偶然連れて行ってくれたんですよ。
豚も魅力的でしたが中世の衣装をつけて作業している男性たちもステキ♪でした。あの衣装格好良いわね!!!
>先月、このFrance2ニュース内で、オラドゥール・シュル・グラヌ(Oradour-sur-Glane)という町が出てきて、どこかな?と調べたら映画『追想 Le vieux fusil』で使われた町だったのが印象的でした。
ドイツ兵により村人全員皆殺しにされた村ですよね。
先月新聞で読みました。
ドイツの大統領が戦後初めて訪問したのでしたよね。
『追想』という映画の題名聞いたことがあるなぁ、と思っていたら全然違う映画でした。
これも『黒い聖母〜』と一緒にアマゾンで注文しようかしら。
- wiz さん からの返信 2013/10/24 22:53:38
- RE: ロベール・アンリコ!
- コクリコさん、こんばんは〜。
> ドイツ兵により村人全員皆殺しにされた村ですよね。
> 先月新聞で読みました。
> ドイツの大統領が戦後初めて訪問したのでしたよね。
そうそう、そこです〜。
http://www.afpbb.com/articles/-/2966270?pid=11291029
> 『追想』という映画の題名聞いたことがあるなぁ、と思っていたら全然違う映画でした。
> これも『黒い聖母〜』と一緒にアマゾンで注文しようかしら。
追想はこれなんですけど・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%BD%E6%83%B3_(1975%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB)
ロベール・アンリコは冒険者たちの監督でしたね〜。
黒い聖母〜はamazonの中古でたしか安いので私もそこから買いました(*^^)v
- wiz さん からの返信 2013/10/24 22:59:38
- RE: 追想!
- コクリコさん!
追想、ここで見れそうです♪
http://video.fc2.com/content/20130123AcXDHdFr/
- コクリコさん からの返信 2013/10/24 23:11:37
- RE: RE: ロベール・アンリコ!
> 追想はこれなんですけど・・
> http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%BD%E6%83%B3_(1975%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB)
> ロベール・アンリコは冒険者たちの監督でしたね〜。
そうそう、こちらを注文しようかと夫と話していたのです。
『冒険者たち』の監督ですよね!
wizさんはもう既に観ましたか?
日本語の題名がなんだかメロドラマ風ですね(^^;)
日本語の題名の方が良い場合もあるけれど、これは原題の方が良いなぁ。
> 黒い聖母〜はamazonの中古でたしか安いので私もそこから買いました(*^^)v
wizさんに笑われそうだけど、amazonのパスワード設定しても毎回×で、また新たに設定しなおさなければならなくなってしまうのよ。
なぜかしら?
明日また試みてみます。
- コクリコさん からの返信 2013/10/26 09:28:23
- RE: RE: RE: ロベール・アンリコ!
- おはようございます!
> ロベール・アンリコは冒険者たちの監督でしたね〜。
音楽も「冒険者たち」と同じ人でしたね(36歳で亡くなったとか)。
オープニングに流れていた音楽が妙に懐かしいと思っていたらやはりでした。
FC2動画の登録もしました。
> 黒い聖母〜はamazonの中古でたしか安いので私もそこから買いました(*^^)v
昨日注文しました〜22円だったかな。送料のほうが高い。
-
- コクリコさん 2013/10/23 15:42:11
- ここにあったのですね!
- wizさん、
パリのノートルダムでシナゴーグとエクレシアを探すのは大変かと思っていましたが、ここにいらしたのですね。
扉口はいつも観光客で混んでいて、ただ漠然と見上げるだけだったのですが、きちんと見るとちゃんとあるべきものはある、ですね。
次回ノートルダムの前を通ったらオペラグラスで見なくては!
サント・シャペルトノートルダムをちゃんと見ようと思ったらふたつで1日がかりになってしまいそう〜
エミール・マールの図像学ゴシックとロマネスクそれぞれ上下あるでしょ!
4冊購入したのですか?!
中古でも高いでしょ。
しょっちゅう図書館で借りたり返したりする作業は大変なので手元にあったらと思いますが、なかなか手がでなくて。
wizさんは毎日がんばって働いていらっしゃるから自分の心へのご褒美ですね♪
ゴシックの図像学読んでいたら、やはりまたシャルトルに行きたいと思います。
以前行ったことのあるアミアンやランスも。
ランスのシナゴーグは大聖堂ではなくトー宮殿にあるそうですよね。
ランスの大聖堂というと「微笑みの天使」が主役ですからね〜シナゴーグまでは気がつかなかったわ。
ロマネスクの素朴な彫刻はもちろん大好きですがゴシックの彫刻の面白さもまたありますよね。
その時代の流行なども興味深いです。
『賢い乙女と愚かな乙女』『悪徳と美徳』も時代の流行、求めていたものと思うと面白いです。
ゴシックの時代になると彫刻は素晴らしく高度になりますよね。
どこかに書いたかもしれませんが、急にルネサンスの素晴らしい彫刻が花開くのではなく、既に土台があったということですね。
- wiz さん からの返信 2013/10/23 21:27:27
- RE: 分かりやすいところですよね!
- コクリコさん、こんばんは〜!
Oh la la〜! 私も、先日、ランスのトー宮殿のシナゴーグの写真を見たんですよ〜! コクリコさんが以前ストラスブールのシナゴーグ像の話のときに、『 ゴシックを仰ぐ旅(とんぼの本) 』 のことおっしゃってたけれど、あれに載ってますよね〜。 私は、そのとんぼの本の大元の 『 芸術新潮 2002年8月号 フランスの歓び 』 を持ってるんですけれど、それを見ていたら目にとまりました。 『 ゴシックを仰ぐ旅(とんぼの本) 』 を刊行する際に、芸術新潮 2002年8月号 のゴシックの部分にストラスブールが付けくわえられたみたいですね。
たしか、コクリコさんにも以前お話していたと思うのですが、この間、『 黒い聖母と悪魔の謎 / 馬杉宗夫著 』を読みなおしたんですけれど、やっぱりこの本おもしろくて分かりやすいです。 コクリコさんも是非とも〜!!! タイトルは?かもしれませんが、中身はおもしろいです。
” エクレシアとシナゴーグ(ラテン語:シナゴーガ) ”の部分も分かりやすかったです。 シャロン・シュル・マルヌというところのステンドグラスもかなり興味深いです。 本の内容の方は、例えばこんな感じです。
【 われわれが注目するのは、シナゴーガ(ユダヤ教会)の表現が美術史上に登場し、さらにそれを擬人化した女性像に、キリストを死に追いやった罪を負わせるようになった時代は、まさにユダヤ人虐殺が行われ、第三回(1179)、第四回(1215)ラテラノ公会議で、彼らに対する差別を明確に打ち出した時代と対応していることである。 また13世紀ゴシック大聖堂に出現するシナゴーガも、ランス大聖堂、ストラスブール大聖堂、バンベルク大聖堂などと、ユダヤ人が多く居住していた地域と一致していることも偶然ではない。 われわれは、擬人化された《シナゴーガ》の表現のなかに、異端児されたユダヤ教徒たちの置かれていた当時の状況や、その待遇の変化の跡を見ることができるのである。 】
(そして、このエクレシアとシナゴーグって、ヴェズレーの柱頭彫刻にも全然違うかたちで表されているけれど、実は同じ主題であって、全部繋がるとおもしろいです。 モーセがヴェールで覆ったものが・・http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/27123307/ )
他にも、【 ゴールの地がキリスト教化された以降も、ケルトのドリュイド教の信仰(自然崇拝)が根強く残っていた 】という説明の箇所もおもしろいです。 シャルトル(=聖水崇拝のあった場所)、ル・ピュイ(=巨石(聖石)崇拝に結びついた地)、”黒い聖母” 像のある場所(ケルト民族のドリュイド教時代の聖水、聖石崇拝があった場所)などなど。
その他、私は去年ヴェズレーのことでかなり色々頭に入っていることも多いので、その中で印象的だった聖人、トゥールの聖マルタン、聖ベネディクトゥス(サン・ブノワ)についてもこの本にもよく書いてあり、おもしろいです。 サン・サヴァンの天井画についてもかなり分かりやすいです。 おまけに本の最後は、クリュニー美術館の一角獣のタピスリーです〜。
コクリコさん、もしこの本まだでしたら是非おすすめです!!!
エミール・マールの本は、たしかに文章を読む醍醐味があってそこが驚異的におもしろいのですが、後で、あれ?どこに書いてあったかなぁ?なんてこともありますよね。 その点、新書の本だと軽くて読みやすくおまけに要所をまとめてある感じで気軽に読めて良いところもありますよね^ ^;
なんか、本の紹介みたいになってしまいましたが、おもしろいので、まだでしたら是非〜♪
あ! パリの大聖堂の最後の審判の下(側柱)にも ”賢い乙女と愚かな乙女” ( http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/30830813/ )ありましたよ〜。
ブールジュの大聖堂で分かりやすくタンパンにあった、アブラハムの懐の義人の魂(天国)( http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/11716253/ )とか、大鍋(地獄)も、パリのノートルダムにもあったなんて、『 ゴシックの図像学 』 を見て気付きました^ ^;
『 ゴシックの図像学 』 にはパリの大聖堂のこともかなり書いてあったので、旅行記再編集の際、パリに関係する部分を全部拾い読みしたのですが、それだけでも色々なことが網羅されていておもしろかったです。 元々、昔の写真をなんとなく見ていたところからはじまったのですが、昔の写真を見直すということもやってみるもんですね〜。
私も、シャルトルをちゃんと見に行きたいです! 去年、シャルトルに行こうと思って調べていたら、たしか工事中だったのでやめたのですが(その時は西正面の工事は終わり、たしか内陣あたりに幕が掛けられてるとかでした。)、今はだいぶ工事も終わってきたみたいですよね。 シュジェール修道院長の思いを感じに、サン・ドニの(特に)ステンドグラスの象徴的なメダイヨンの数々もちゃんと見たいと思いました。
中世を知るとルネサンスに向かう過程がよく分かってきてとてもおもしろいですね。
なんだか長々となってしまいすいません^ ^;
wiz
-
- Giraudさん 2007/01/24 22:55:55
- おひさしぶりです。
- おひさしぶりです。
voodooさんのフランス・ゴシック旅行記、拝見させていただきました。
写真がきれいに(プロ並に)撮れていて、すごいですね。
しかも細部の彫刻とかの写真も多くて、何度見ても楽しめそうです。
私のほうは、年末にスペインに行ったので、
その旅行記をこれからぼちぼちupしていこうと思ってます。
(ものすごいスローペースになると思いますが・・・)
これからもよろしくお願いします。
- wiz さん からの返信 2007/01/24 23:42:48
- RE: Giraudさん!!
- 今、Giraudさんの旅行記のUP情報が入ったんで
ちょうど遊びに行ってて「トレド編」に書き込んできましたよー!
もうーー私Giraudさんファンです^^; ツボです、私の!!
いやーこれからのスペイン編もとっても楽しみです!
ノートルダムとサント・シャペル編ご覧下さりありがとうございます!
今回、私も4泊6日と短い旅で、
ロンドンへの日帰りユーロスターチケットが安く予約できたのもあり、
(↑ほんとはフランス郊外に行こうとフランス国鉄webを検索してたんです)
フランス郊外などには行けず、それなら当たり前の見所だけれど
ノートルダムとサント・シャペルをちゃんと見よう!と思い
こんな感じになりました〜!
またちょくちょく遊びに行きまーす♪
-
- 美本 りんとさん 2007/01/22 23:06:10
- ステキ過ぎ☆
- あまりにもキレイなので、ここにコメントを残そうとして、
どこかに行っちゃってました(笑)
ホントに綺麗です・・・
あたしサント・シャペル行けなかったので、もう感激!
こんなに美しいんですね。
いいなぁ。。。こんなキレイに写真撮る腕があって。
ロンドンも満喫されてますねぇ。
またパリに行きたくなります。
- wiz さん からの返信 2007/01/22 23:58:09
- RE: ステキ過ぎ☆
- りんとさん、
戻ってきてありがとーです^^(笑)♪
いやいや^^;サント・シャペルの両脇には手すりがあるので
行った際にはそれを大いに利用して台がわりに
じーっと固まって撮れば大丈夫〜!
私も三脚とか基本的に持ち歩いていないので
絶えずどこかに台がわりになるものがないか探してますよー!
今度パリ再訪の際は是非!
きっと、りんとさんも気に入ると思います☆
-
- コクリコさん 2007/01/21 19:17:28
- 綺麗!
- voodooさん、先ほどはご訪問ありがとうございました!
すでに私がUPし終わった所を先に見させていただきますo(^^)o
と、言ってもサント・シャペルは旅行記の題名になっていないし、パリ・ノ−トルダム大聖堂は外観だけですが(^^;)
うーん、暮れから年越しのパリは体験していないので行ってみたいなぁという思いしきり。
ノートルダムの前の大きなクリスマスツリー見たい!
そして厳かな雰囲気も味わいたいです。
バラ窓やステンドグラスよくぶれずに写せましたね。
うっとりしますよ。絵葉書買わなくて良いくらいです。
サント・シャペルも私の写真はイマイチだなぁと恥ずかしいです。
タンパンに描かれた聖書の物語りや、人像柱の聖者たちや、足許の鬼や、季節の行事のレリーフも細かく見て行くと興味がつきないですよね。
voodooさんの勉強家ぶりには脱帽です♪
もうこうなると調べるのが楽しくなるでしょ〜ルンルン♪
私は事情があって最近はフランスばかりですが、voodooさんが挙げていらしたカテドラルで行ったことがあるのは、シャルトル、アミアン、ランス、ブールジュ、サン・ドニ、ストラスブールなどです。
4トラにUPしてあるのもあり、ないものあり。
デジカメのない時に行ったのはUPしていないし、手に終えない(サン・ドニに葬られている王たちを調べるのが大変でf^^)のはUPしていません。
voodooさんにまかせますっ(*^^*)
- wiz さん からの返信 2007/01/21 20:52:55
- RE: 綺麗!
- コクリコさん、ようこそ!
4Tに載せたブレやすいところ・夜景での写真は、
大部分はなにかしら(手摺とか街灯の台とかいろいろ・・)
"台"になるものをみつけて撮ったのが多いです(^^ゞ
サント・シャペルもノートルダムのバラ窓なども!
さすがに手持ちのものと比べると出来がだいぶ違ってますぅ(汗)
ほんとにじっくり見てるときりがないですよねぇ・・・
なので、この旅行記では主に参考図書に頼った感じになりました!
>私は事情があって最近はフランスばかりですが、
>voodooさんが挙げていらしたカテドラルで行ったことがあるのは、
>シャルトル、アミアン、ランス、ブールジュ、サン・ドニ、
>ストラスブールなどです。
うぅー・・・次回滞在では、少しずつコクリコさん見習い
ゴシック建築教会巡りか、画家ゆかりの地を織り交ぜていきたいです〜!
イメトレのためにも^^ 遊びに行きまーす♪
-
- まゆままさん 2007/01/20 15:17:56
- @唐草文様@
- vodooさんこんにちは〜!
ノートルダムの扉の鉄細工、文様といい色合いといい、いい感じですよね〜
唐草文様、得体の知れない装飾私も大好きです〜
一時期、装飾文字のカリグラフィーにはまって習ってたことあるんですけど
文字にも装飾的な美しさがありますよね、中世の写本に使われていたゴシック体とかいいですよー
文字に唐草が巻きついてたりもするんですがvoodooさんも好きそう〜だと思います〜
明かりで照らされたほんのり明るいサントシャペル内部もステキですね〜
教会の細部のレリーフなども興味深いです〜
ロンドン編も!
青い空に建物が映えますね〜
おじさんの口から勢いよく吐き出される噴水もイカしています!
一転して夕暮れのリージェントストリートの写真の色、すごくきれいですー!!
ほんとに不思議な空の色してますよね。
ナショナルギャラリーへも行けてうらやましい〜!
めちゃ充実の日帰り旅ですよね〜!
- wiz さん からの返信 2007/01/20 16:56:43
- RE: @唐草文様@
- まゆままさん、まいど^^〜こんにちは!
>ノートルダムの扉の鉄細工、文様といい色合いといい、いい感じですよね〜
>唐草文様、得体の知れない装飾私も大好きです〜
まゆままさんは習い事までしたんですねー!
私も今回この扉細工の文様の写真を本で見て、(この写真のコメントで書いたように)小学校のころ版画の題材で装飾本の中からアラベスク文様を選んで彫ったのを思い出したのでした。そう考えると小学校の頃からそういう好みは芽生えていたのかなぁなどと思ったりしました^^;
今回の旅行前には偶然本屋さんで、300円くらいの小さい「世界装飾図」なんてコンパクトにまとまった本にも出会い(即買い!)、織物・彫刻・陶器・金銀宝飾細工・写本装飾・ステンドグラス・寄木細工・銅版画・装丁・モザイク・タイルなどなどの工芸美術をざっと眺めて楽しんだりしていましたぁ〜(^O^) そういうのを通して見ると、さらに行ってみたいなと思うところが増えてしまいます^^;
↑こういう本も見ていて楽しいですよね〜!クリムトの絵が好きなのは(クリムトのところでまゆままさんも書いてくれたけれど)装飾的な文様の背景に装飾的に交じり合う絵の感じが好きなんだと思っています♪ ちなみにクリムトのお父様はボヘミア出身の銅板彫刻師であり金細工師なので、クリムトに影響与えただろうし、それがまた私の好みにマッチングしたのかなぁ〜と・・、それでもって壁画装飾なんかにもされたりするとその建物自体にも興味が沸き〜建物の様式も気になっちゃう、という・・・^^♪
まゆままさんみたいに習うとまたどんどんはまっちゃいそう!
・・・中世の写本に使われていたゴシック体 > 見てみなくちゃ!!
>ロンドン編も!
>青い空に建物が映えますね〜
>おじさんの口から勢いよく吐き出される噴水もイカしています!
噴水を見てまゆままさんのローマの噴水総集編^^思い出しましたよ・・!
そうそう雨のリージェントストリートのあたりでのデジカメ画像・・、
ほんとに、あっちを見て撮ったのとこっちを見て撮ったのとで
色合いが違ってて・・・、薄紫がかった色、ピンク色、
PCで画像を見てさらに、おもしろーい、って見てました(^^ゞ
ナショナル・ギャラリーはじめロンドンでは無料で入れる美術館など多いから
滞在していれば何度でも行き直すことができそうですよねー!
西欧ーーってものにがっつり漬かったので^^;
今度は、東洋がミックスしたものorイスラムミックスな・・ところ見たいです♪
- まゆままさん からの返信 2007/01/20 23:44:49
- RE: @唐草文様@
- 結構昔からの好みって変わらないものですよねー。
でもアラベスク文様を選んで彫る小学生ってなかなか渋いですよね・・
世界装飾図ですか〜どんなのか興味深いですね・・でも300円はちょっと安くないですか?古本??
>クリムトの絵が好きなのは(クリムトのところでまゆままさんも書いてくれ>たけれど)装飾的な文様の背景に装飾的に交じり合う絵の感じが好きなんだ>と思っています♪ ちなみにクリムトのお父様はボヘミア出身の銅板彫刻>師であり金細工師なので、クリムトに影響与えただろうし、それがまた私>の好みにマッチングしたのかなぁ〜と・・、それでもって壁画装飾なんかに>もされたりするとその建物自体にも興味が沸き〜建物の様式も気になっち>ゃう、という・・・^^♪
ほんとに、好きなものからいろいろ興味が枝分かれしていくのは楽しいですよね〜
たまに収集がつかなくなっちゃいますが・・(苦笑)
>西欧ーーってものにがっつり漬かったので^^;
>今度は、東洋がミックスしたものorイスラムミックスな・・ところ見たいで>す♪
ほんとにvoodooさんの旅行記でヨーロッパの雰囲気をどっぷり楽しませてもらいましたよ〜!
私も東洋と西洋が混ざり合った雰囲気、好きですね〜
昔初ヨーロッパのイタリアへ行く前にトルコへ行ったことがあるんですが
まさにイスラームの装飾芸術に魅せられ、そしてイスラム寺院のモスクを見たかったからなんです〜
今度そのトルコ編を製作しようと写真取り込み作業中です・・
古い話で恐縮ですが〜又出来上がれば覗きにきてくださいー
ではでは、おやすみなさ〜い。
- wiz さん からの返信 2007/01/21 00:11:32
- RE: RE: @唐草文様@
- えーー!
まゆままさん、是非トルコ編UPお待ちしております^^
実は、今、お安いトルコツアーが非常に多くて
ツアーでざらっと廻っちゃおうかとも考えたりしていて^^;
そぉーなんですよねぇー、イスラムや東洋×西洋ミックス、
の方が、私も好きだと思ってます、今回の旅で(実は)なおさらかも・・
ブダペストで見た教会内部の幾何学模様とかもかなり好きだし、
やはり中欧(東欧)は気になります・・、
今、次に行きたいかなというのはスペイン・ポルトガルかトルコかも・・
「世界装飾図」、ほんとに単行本(ペーパーバック)で、
オーギュスト・ラシネという人のマール社発行です。
Racinet ラシネの代表作「世界装飾図集成 L’ornement polychrome 全2巻」
という原著が素晴らしいらしいけれど、それが
縦41cm×横31cm×厚さ7cm×重量2巻で13kgなんですって。
それの超ダイジェスト版・破格の兼価発行となったらしいですよ。
紀伊国屋とか本屋さんの「装飾」コーナーにも売ってました!
安いので、見かけたら、買っても良いかと思います^^;(笑)
- wiz さん からの返信 2007/01/21 00:20:57
- RE: RE: @唐草文様@
- >文字にも装飾的な美しさがありますよね
↑そうそう〜^^
アラベスク文様を彫った渋い小学生?(笑)でしたが、
そのときの参考本にたしか装飾文字もあって・・
装飾文字も大好きで、そんな凝った装飾文字の真似をするのも好きでした♡
- まゆままさん からの返信 2007/01/21 20:12:32
- RE: @唐草文様@
- 今日図書館で同じくA.ラシネの世界装飾図集成?〜?ていうの見つけましたよ〜
13キロもないのでこれは中型でしょうか・・
?に結構興味深い装飾図があったので思わず借りてしまいました!
見入ってしまいますよね〜
何かに利用できないものかと考えてしまいました・・
カリグラフィーをやってたらこの本かなり参考になりそうです〜
voodooさん、トルコ、計画に入ってましたかー
トルコいいです!おすすめです〜
イスタンブール以外も行かれるならツアーの方が便利で安いかもしれませんよね〜
- wiz さん からの返信 2007/01/21 20:39:35
- RE: 「世界装飾図集成」
- まゆままさん、素早い!
そうーですねー、これこそ図書館だと
買わないで大きい本ヴァージョンで見れますよね^^;
違えてました!多分それのこと(4冊)です!
「世界装飾図集成」は原著が1869−1873年にフランスで発行され
(〜Aラシネは19世紀のフランスの有名デザイナーなんですね・・)
それが2冊で13Kgみたいで、日本では4分冊で編集発行と書いてありました・・
紹介文を読んでいると大きい本で見たいんですよねーー!
私も図書館のぞいてみまーす、あるかなぁ・・・(^^ゞ
P.S.カリグラフィー・スクール、ネット検索してしまいました。
装飾文字ってなにげなく見ているもののなかでもあったりしますよね・・
*そーなんです、初、なんでツアーでもいいかと
なにせ・・トルコツアー安いです!!
- まゆままさん からの返信 2007/01/21 21:37:37
- RE: @唐草文様@
- ついでに同じ棚にあった本で
ケルト美術の第一人者の鶴岡真弓が書いた
”「装飾」の美術文明史-ヨーロッパ・ケルト、イスラームから日本へ”
という本、パラパラと見たらよさそうだったので借りてきてちょっと読んでたんですがかなり面白そうですよ〜。
voodooさん、タイムリーかも・・ですよ・・
NHK教育テレビで放送された「人間大学」の講義内容を元に書き下ろされた本なので文様や装飾、東洋と西洋の装飾のつながりなどいろんな題材を元に(クリムトやモローも出てきてました)結構分かりやすく興味そそる内容です〜
今から続き読もうと思ってます〜
- wiz さん からの返信 2007/01/21 21:47:58
- RE: RE: @唐草文様@
- >鶴岡真弓が書いた
>”「装飾」の美術文明史-ヨーロッパ・ケルト、イスラームから日本へ”
クリムトやモローも出てきたですってーー!!
ううぅぅぅーーーそれは見たい♪
実は金曜にスペインとトルコの本借りに
図書館行ったのに、なぜか休みで(涙);
はやいとこ、図書館か本屋へ行かねば!!
って同じ本見つけられるかしら・・・^^;
情報ありがとうございます♡
- wiz さん からの返信 2007/01/21 21:57:58
- RE:
- ついでに自分のためにも^^(笑)?
すいません、ちょっと貼っておきます(amazon)・・・
オーギュスト・ラシネ氏
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-url/250-7266780-1865862?%5Fencoding=UTF8&search-type=ss&index=books-jp&field-author=%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%AE%E3%83%A5%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%8D
鶴岡真弓氏
http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_ss_gw/250-6291105-8754659?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&url=search-alias%3Daps&field-keywords=%92%DF%89%AA%90%5E%8B%7C&Go.x=10&Go.y=9
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旅行記グループ 中世美術を巡る旅
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