1960/07/03 - 1960/07/06
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Berg Heilさん
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大学卒業の翌年、独身を楽しんでいた時代。この年は空梅雨だったのか快晴に恵まれ、穂高に行ってみたくなって身延線で甲府乗換え松本へ新宿発の夜行列車で。学生時代と違ってのんびりムードの単独行、涸沢の朋文堂のヒュッテで1泊 奥穂高から吊り尾根を通って前穂高、岳沢(ダケサワ)を上高地へ。もちろん当時は岳沢には山小屋は無かった。 1960年は例の第一次安保闘争の年。(お若い方には当時の社会情勢わからないかも?)
1961年には高校の友人3人と奥穂高へ。1962年には山岳部同期の友人2人と高校時代の友人5人を引き連れて8人で横尾にテントを張り、蝶ヶ岳へ、翌日は奥穂高へ登るつもりが大雨、ずぶぬれになりながら穂高は諦め上高地へ、その夜は浅間温泉泊りとなった。2張りのテントなどの荷物はほとんど山岳部OB3人で担ぎ、他の者達は空身同然での山登りとなった。 これが独身時代北アルプスへの最後の山行。
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奥穂山頂から北望 この頃からオリンパスOM1を使いだした。その後OM2を追加購入 1996年 オリンパスL3(ED/35-180)を購入する迄 この2台を長年愛用した。
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前穂高山頂から奥穂高を望む、岳沢側からガスが上がってきた。
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奥穂山頂から 槍・穂高の縦走路と先に槍ヶ岳。右側の雪のある谷が涸沢 左の谷が飛騨側 その尾根一つ先の北穂高岳直下が滝谷、穂高最高の岩場で 人は「鳥も通わぬ滝谷」と云った。当時滝谷には 真ん中が空洞にになった「めがね」と云われた岩があったがその後の台風で崩壊した由。
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奥穂への登山途中からの前穂高
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涸沢のもう一つの小屋 涸沢小屋
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奥穂高山頂 居合わせた登山者にシャッターを押して頂いた。一人旅は自分の写真が少ない。
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前穂高山頂 夏山の縦走には麦藁帽子が定番だった。
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帝国ホテル 若者にはとても敷居が高かった。一度だけコーヒーを飲んだ事が。
大学4回生の9月、前穂高の奥又白谷の岩場で後輩が遭難、その時は帝国ホテルの名物管理人 木村殖(しげる)さんには大変お世話になり、裏の管理人宿舎に宿泊させて頂いた。氏には「上高地の大将」/S44年実業の日本社:という著作がある。昭和9年には山の宮様」と云われた秩父宮ご夫妻(昭和天皇の次弟)を岳沢に案内している。 -
当時の朋文堂ヒュッテ(マウンテンガイドブック?から S30)
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