1956/07/23 - 1956/08/13
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Berg Heilさん
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夏の合宿 剣岳の真砂沢に基地を設け、一週間滞在して上級生はそれぞれのパーティーに分かれて剣岳の岩場の各ルートにアタック、新人は上級生から雪渓で山の基本であるグリセード(雪上での降下とスリップした時のピッケルを使っての滑落防止)の訓練を受ける。そして剣の岩場を歩き回る。 参加部員30名。
剣岳の定地合宿が終了後、4パーティーに分かれて、北アルプスを縦走する。我々のパーティーは剣岳から黒部川に下り、欅平から白馬岳に登り、後立山連峰を南下、五竜岳 鹿島槍ヶ岳 針の木岳 蓮華岳を越し、烏帽子岳から更に裏銀座コースを双六岳に到り、抜戸岳、笠ヶ岳から錫杖岳を右手に見て蒲田温泉に下山しした。 蓮華岳付近でコマクサの群生があり、更に所々には濃い霧の中、黒百合が咲いていたのが記憶に残っている。
縦走中、鹿島槍のキレットから船窪小屋下まで雨天の連続で、この間写真がない。
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剣岳へは黒部川に沿って、トロッコ電車で宇奈月から欅平へ、関西電力の黒部専用鉄道のトロッコに便乗、高熱トンネルを抜け、阿曾原へ、それからは仙人谷を登っていく。
仙人の池から見た目的の剣岳、ここが最高のカメラスポット。
剣合宿から縦走へ移る時、この道を下ったのだがこの付近で 歌人であり、詩人であり 「日本野鳥の会」を創設された中西悟堂さん一行と出会った。後年 野鳥の会の支部が結成された時、悟堂先生が見えられ、歌集にサインを頂き、更に軽井沢の探鳥会でご指導頂いたのは良い思いでである。そのうち仕事も忙しくなり野鳥の会本部での揉め事(全共闘時代)などあってすっかり会とは疎遠になってしまった。戦前の機関紙「野鳥」のほとんどを30年程前、古本屋で見つけ即座に購入、同誌の復刻版と共に大事に所持している。 -
源次郎尾根から見る、八ッ峰と長次郎谷の雪渓。この雪渓上部でグリセードの訓練をする。
おそらく現在のどこの大学山岳部も部員不足でこんな大規模な合宿、山行は不可能であろう。 -
八ッ峰 八ッの峰からなり、こう呼ばれている。初登攀は1923年 尾根は新人の絶好の岩場の訓練場。
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右のピークが第?峰、窪んだところが?・?のキレットでここを境に上半 下半に分かれる。長次郎谷側の岸壁は難易様々なロッククライミング・ルートがある。
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八つ峰 源次郎尾根の上部から。
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八ッ峰にある「クレオパトラ・ニードル」の岩場、中央にほんの少しだけ登攀中の小生の右手が見える。
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難易度の高い?峰Dフェイス。
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八ッ峰上部 ? ? ?峰
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源次郎尾根 背後は剣岳本峰 右側が長次郎谷 その背後が八ッ峰 正面は源次郎尾根第?峰 左の谷は平蔵谷。この第?峰からは剣山頂へ行くに、かなりの懸垂下降(アプザイレン)しなければならないの場所がある。 新人のアプザイレンには格好の場所。
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左:平蔵谷雪渓 正面:剣山頂 源次郎尾根から撮影。
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平蔵谷雪渓と「天狗の鼻岩」(向こう側の尾根の上部)
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合宿中 時には息抜きにハイキングをする。
このときは真砂沢のベースキャンプからハシゴ谷乗越を越えて「内蔵助平」へハイキング。
現在では黒部ダムから内蔵助谷を遡って行くしっかりした登山ルートがあるらしいが、当時はほとんど標識もなく、わずかな踏跡程度だった記憶がある。
何でもここには佐々内蔵助成政が埋蔵金を埋めたとの伝説があり、後年 その埋蔵金を探し来ようではないかと冗談を言ったものである。 この地はまさに「剣の奥の院」の感があった。 -
内蔵助平 皆んな若かったし、危険な場所で無いから髪の毛もふさふさして、のんびりした良い顔している。 今では古希過ぎた爺さん。その後ヒマラヤやアンデスへ行った者も!!
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一週間に渡る剣岳の合宿を終了 各5〜6人のパーティーに分かれて縦走に移る。
黒部の欅平から祖母谷を登り清水岳(ショウズ)から白馬岳へ。
白馬から遥かに 戸隠山 火打山 長姫山を見る。 -
白馬岳
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白馬山頂から南方 杓子岳 白馬鑓ヶ岳 この峰を越えて笠が岳迄の縦走が始まる。 剣岳をスタートして13日間の縦走が始まる。(この間雨天の為2日停滞・夏の縦走は激しい荒天でない限りリーダーの判断で行動する)
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五竜岳 後立連峰では鹿島槍と並んで貫禄充分の山である。唐松岳付近から撮影。
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爺ヶ岳 雨天の中 ちょっとした晴れ間があって撮影、五竜から切り立った険しい山道で鹿島槍とキレットを越えて爺/針の木/蓮華/船窪/烏帽子 迄雨天の連続で写真が取れなかった。 この間 鹿島槍の南の布引岳付近と棒小屋沢乗越のテントでは雨が激しくそれぞれ丸一日停滞した。
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どの付近からの写真か記憶が無いが、おそらく東沢乗越付近からと思われる。遥か向こうに白馬鑓 天狗の大下り 不帰 唐松 大黒岳が見える。
あの峰々を縦走してきた。 -
後立連峰から東方を眺める。
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東沢乗越で昼食の大休止。 左手に赤牛岳 向こうに立山。
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黒部川源流に設営。黒部の最初の一滴は岩の間からチョロチョロ出ている。この付近でアザミの新芽を摘み味噌汁にい入れた。長い山行で新鮮な野菜、すなわち「緑」が欲しくなる。
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6:00 黒部源流のキャンプサイトから双六小屋へ 槍方面に行くコースと別れ、抜戸岳 笠ヶ岳へ。黒部源流のキャンプ・サイトから笠まで6時間 笠を正午に出発してクリヤ谷を下降 錫杖岳の下を通り、蒲田温泉に着いたのは16:00 若かったから かなり早いピッチで下山、しかし この下りが本当に長かった記憶がある。
現在は笠と抜戸の間から笠新道があるらしいし、笠ヶ岳山荘もあるらしい。
笠ヶ岳下で小休止。 後年 他のパーティーはここでキャンプを張った時、熊に会っている。 -
笠ヶ岳山頂
ここから下った蒲田温泉は実にひなびた川沿いの温泉で、川原の露天風呂に入り(確か夕立だった?)長い合宿でついた垢を落とす。ただ何度体を洗っても体を拭くときまだまだ垢がポロポロと落ちてくる。これでは山男は女の子にもてるわけがない!!
宿は時代劇に出てくるような屋根に石の乗った建物であった。 1996年 西穂高へ登りに行った時、この地を訪れたがすっかり様子が変わり、泊った宿の名前も記憶に無く どの付近だったのかまったく見当がつかなかった。
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