2016/06/05 - 2016/06/05
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chiaki-kさん
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オシフィエンチムはポーランド南部の田舎町で、1939年、ナチス・ドイツがポーランドの西半分を占領した当時の人口は12000人ほど。占領に伴いナチスに反抗する大量のポーランド人の逮捕者が出たが、既存刑務所では収容しきれなくなってきていた為、翌年、SS最高司令官ハインリッヒ・ヒムラーはオシフェンチムにあったポーランド軍の兵舎を転用、強制収容所として使うこととした。それ以後、オシフィエンチムはドイツ語読みでアウシュヴィッツと呼ばれるようになった。
やがて、ヨーロッパのほとんどがナチスの占領下となると、ポーランド人、チェコ人、ロシア人、そしてユダヤ人などが収容されるようになり、被収容者の増加に対処するため、3kmほど離れた場所にビルケナウ第2強制収容所が造られる。そして、アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所は、ナチスの言う「ユダヤ人問題最終解決」に向けた絶滅収容所へと変貌していく。
写真はアウシュヴィッツ第2収容所となった、ビルケナウ強制収容所に現存する引込み線。この冷たく光るレールの上を、気が遠くなるほど大勢の人々を乗せた貨車が何台も通過したのだ。
2024/03/05 一部修正
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 航空会社
- フィンランド航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
-
6/5
午前中にクラクフでの観光を終え、A4号線を西へ進む。前方に稲妻が何度か光ったと思ったら、モーレツな雨が降ってきた。夕立のようだが、この旅行初めての本格的な降雨。 -
やがて雨は小降りとなり、Oswiecim (本当は少し違う) の文字が入った標識が見えてきた。
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オシフィエンチム駅。これがポーランド語のスペル。
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オシフィエンチム市の現在の人口は43000人ほど。昔はオシフィエンチム公国の首都だったこともあり。町の郊外に工業団地を有し、化学、皮革、農具製造などが行われる小工業都市である。駅前にカルフール発見。
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クラクフから約1時間で、アウシュヴィッツ博物館に到着。駐車場は平日でもあり空いていた。
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でも、バスや乗用車から降りてきた見学客が次第に集まってくると、この通り。
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アウシュヴィッツ博物館は入場無料。ただし、団体の場合、教育係と呼ばれるツアーガイドさんを付けることが必須で、こちらは有料。個人の場合も各国語によるツアー参加が推奨されている。
なお、写真右側の女性が我々の教育係。博物館に、ただ1人いる日本人ガイドの中谷さんが良かったのだが、他のグループに付いてしまったらしい。ちょっと残念。 -
A4サイズ以上のバッグやリュックは持ち込み禁止。厳重なセキュリティーを抜けて、すこし歩くと見えてきたのは、あの有名な門。
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アウシュヴィッツ第1強制収容所正門。
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ARBEIT MACHT FREI ”働けば自由になれる”とは、被収容者にかすかな望みを抱かせることにより、看守よりはるかに多い被収容者の暴動を押さえる効果を狙ったものと思われる。
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二重に設置された鉄条網には・・・
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220vの電流が流されていた。
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前述したとおり、元々ここはポーランド軍の兵舎だったが、時間とともに拡大されていった。
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1940年6月14日、最初に収容されたのは728人のポーランド人政治犯(ナチスに抵抗した人々)。その中に数人のユダヤ人もいた。時間の経過とともにチェコ人政治犯、ロマ、ユダヤ人、そしてソ連軍捕虜などにより収容者は2万人近くにふくれあがり、ビルケナウ第2収容所が建設されるようになった。
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4号棟へ入館する。
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ナチス占領地から続々とアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所へユダヤ人などが送り込まれた。
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ガイドさんが指さしているのがアウシュヴィッツ第1収容所。鉄道の左側にある巨大な収容所はビルケナウ第2収容所で、別名、絶滅収容所。なお、赤で表示された建物はガス室で、第1収容所には1カ所、第2収容所には4カ所、そして第2収容所の外にも2カ所あった。
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焼却炉で焼いた後に残った人間の灰。これはほんの一部で、いまでも収容所周辺の池や川などに大量に堆積しているらしい。
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写真展示場。この中から何枚かピックアップ。
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戦争中、各地に造られたユダヤ人ゲットーなどから、かき集められたユダヤ人などは、窓の無い貨車に詰め込まれ、続々と収容所に送り込まれた。
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貨車から降ろされた人々は、まず男女に分けられた後、ドイツ人医師などにより選別を受けた。その結果「価値無し」とされた者(女、子供、老人、障害があったり、病弱な者など)はガス室へ直行させられた。従ってガス室へ直行した者の記録は残っていない。
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列車に乗る前、一つだけ持っていくように言われた手荷物は、全てここで捨てさせられた。そして、これらの荷物は全てチェックされ、金目の物はベルリンへ送られた。
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この生々しい写真は、レジスタンスの撮影したもので、焼却炉での焼却が間に合わなくなった死体を野積みして焼いているシーン。
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ビルケナウ収容所にある引込み線の終点に造られた2棟のガス室。
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さらに右奥にも2棟造られた。
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このガス室には1度に約3000人の人々が、シャワーを浴びると言われ、衣服を脱がされてから詰め込まれた。下に設計図があるが建物はT字型をしており、T字のIの部分がガス室。−字部分は右側が写真にある焼却炉、左側が半地下構造の更衣室のようなものだったらしい。ガス室は地下構造物なので地上には換気口が見えるだけだったようだ。なお、証拠隠滅のため、ソ連軍の解放直前にガス室は爆破された。
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ガス室の換気口からはチクロンBという青酸系の殺虫剤が入れられ、ガス室内の人々を毒殺、20分から30分後にゾンダーコマンドと呼ばれる死体処理班により、死体はエレベーターで焼却炉のある階へ揚げられ、焼却された。焼却後、残った灰は近くの池や川に捨てられたという。なお、ゾンダーコマンドは被収容者から選ばれ、秘密保持の為、半年後には全員入れ替えられた(殺された)ようだ。
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チクロンBを投げ入れられたガス室は阿鼻叫喚の地獄絵図だったことが想像される。
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解放後、発見されたチクロンBの空き缶の山。なお、ドイツのデゲッシュ社にはアウシュビッツ収容所などへの納品書が残っており、アウシュビッツには20トンのチクロンBが納入されている。
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これも解放後、発見された被収容者から奪った眼鏡の山。
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義足の山。一体何のために残したのだろう。
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食器の山。
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靴やカバンの山。
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カバンには、いつか戻れるかも知れないという一縷の望みを抱かせるため、住所や名前を書かせた。その他、女性の髪の毛もあったが、さすがに撮影禁止だった。
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7号棟は被収容者の日常生活を再現した棟。このようにコンクリートの床にマットが敷かれたのは良いほうで・・・
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わらの場合もあった。なお、元々ポーランド兵士の宿舎だったので、暖房設備はあったのだが、使用されたことは無かったという。
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トイレはこんな感じ。
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これは洗濯室とのこと。
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これはカポの部屋。ナチスは被収容者から犯罪歴のある者を選び、同じ被収容者を監督する係(カポ)にして、このように待遇の良い部屋や食事を与え、被収容者同士が反目しあうように仕向けたのだ。なお、カポに選ばれた者も、最後は殺された。
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11号棟は懲罰棟。この鉄格子の奥には・・・
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脱走者が出たことの見せしめに同室から10人の被収容者がランダムに選ばれ、餓死刑が行われた部屋があった。花束は1人の囚人の身代わりとして、ここで死んだコルベ神父を追悼するもの。なお、コルベ神父はヨハネ・パウロ2世により聖人に列せられている。
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10号棟と11号棟の間にある死の壁へ。
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これは銃殺刑が行われた死の壁。意外と小さい。
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隣の10号棟の窓には目隠しが施されているが、銃声は隠しようがない。むしろ心理的な圧迫を被収容者に与えたことだろう。
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死者を悼む花が絶えない。ちなみにアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所はイスラエルの学生に課せられた修学旅行のコースとなっている。
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見せしめの為、集団絞首刑が行われた絞首台が残っている。
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1947年4月2日、ポーランド最高人民裁判所で初代所長ルドルフ・フェルデナント・ヘスは死刑判決を受け、16日にアウシュヴィッツで絞首刑が執行された。写真は今も残されている、そのときの絞首台。
*ニュルンベルク裁判で死刑判決を受けたのはナチス副総統だったルドルフ・ヴァンター・リヒャルト・ヘスで別人。同姓同名のため、筆者も間違えた。 -
アウシュヴィッツというとガス室が有名なのだが、第1収容所にその第1号が再現されている。
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ビルケナウ第2収容所にあったものより小さく、1年ほど使われた後は倉庫となっていたらしい。
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チクロンBが投下された換気口。
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再現された焼却炉。
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このような絶望的な状況の中でも脱走者は少なからず存在する。脱出した人数は約300~400人程度だが、最終的に成功した脱走者数は、約150名であるとされている。成功した背景にはレジスタンスの協力があったとされているが、一番脱走者が多かったのは第3強制収容所だった。第3強制収容所については下記をお読みください。
アウシュヴィッツにはアウシュヴィッツ第1強制収容所、ビルケナウ第2強制収容所のほかオシフィエンチムから6kmほどクラクフ寄りにモノヴィッツ第3強制収容所も造られた。これは戦争遂行の為、ドイツを代表する イーゲー・ファルベン社(化学)、クルップ社(重工業)、シーメンス社(重電産業)といった大企業の製造プラントや、関連する企業の工場が強制収容された土地に建てられ、そこで強制労働をさせる被収容者を収容する目的で造られた。
毎日これらの企業で強制労働させられる被収容者は数が多く、監視の目が十分届かなかったため、脱走者が多く出たと思われる。なお、これらの企業は連合軍の爆撃目標となり、さらにはソ連軍の破壊によりほとんど何も残っていない。また、モノヴィッツ第3強制収容所自体も壊されてしまった為、世界遺産には登録されていない。 -
アウシュヴィッツ第1強制収容所を見学後、バスにてビルケナウ第2強制収容所へ向かう。沿道は戦後、あるいは最近建てられたと思われるオシフィエンチム市民の家やアパートが見える。
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ナチスがやって来た当時は人口12000人ほどの田舎町だったが、町及び周りの8村の住民は強制退去させられ、1200の家屋は取り壊され、その跡に強制収容所が建設された。なお、当時、町民の60%はユダヤ人であり、クラクフなど各方面のゲットーへ送り込まれた。
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駐車場到着。駐車場からは、あの有名な死の門が見える。なお、ビルケナウも、元々はブジェジンカという名の村だったが、ドイツ語読みのビルケナウに変えられてしまった。
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ビルケナウ第2強制収容所に到着。写真は中央監視塔の外側なのだが、映画「シンドラーのリスト」に登場したアウシュヴィッツに列車が着くシーンは、内部での撮影許可が下りなかった為、ここで撮影されたとのこと。
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入場は写真左側の出入り口から。中央の列車が入った門はフェンスで閉じられている。
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ガイドさんの粋な計らいで、何と中央監視塔に登ることができた。
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監視塔から見た引込み線。3本に別れた先に死の選別を行ったプラットホームが見える。
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テレ端で撮影。引込み線が終わる場所の両側にあるのが破壊されたガス室の跡。右側の引込み線に貨車が1台ポツンと置かれている。後で行ってみよう。
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右側はこんな感じ。面積は東京ドーム約37個分。ピーク時は9万人が収容された巨大な収容所だったことが解る。
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左側。なお、これらの建物は殆どが復元された物。
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収容所の模型がここにもあった。なお、右上の収容所を離れた場所にあるのは赤い家、白い家と呼ばれた6・7番目のガス室のあった場所を示している。
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収容所外の引き込み線はこの道で途切れているが、Google の航空写真を見れば、この先の線路のあった場所がハッキリと解る。
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被収容者の共同トイレ。1号収容所より遙かに悪い。
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もともと湿地帯だったので舗装は難しく、室内は土間のまま。
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暖房らしきものは一応あるのだが、殆ど使われなかったようだ。
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馬小屋の方がまし。
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粗末なカイコ棚に被収容者が詰め込まれていた。
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引込み線から死の門を望む。
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死の選別が行われたプラットホーム。
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ポツンと一両だけ置かれた貨車のところまで来た。
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よく見ると窓らしいものもあるのだが、完全にふさがれている。暑い中、寒い中、こんな貨車で何日もかけて、殺される為に、ここまで運ばれて来たのだ。
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1923年、D.W.V という会社で造られた貨車らしい。
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収容所のブロックを別ける道路には、厳重な鉄条網が張り巡らされている。
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1944年10月7日、特別労働班(ゾンダーコマンド)の反乱により、SS隊員などが殺害され、焼却炉が爆破される。すでに敗色が濃厚となっていたナチスはガス室の使用をあきらめる。
1945年1月17日、ソ連軍が近づいてきたので、ナチスは書類を焼却、ガス室を完全に爆破して証拠隠滅を計る。そして被収容者の移送を開始するが、鉄道は爆撃等で破壊されており、交通手段は徒歩しか無かった為、それは「死の行進」となり、大勢の被収容者が死亡する。この時、歩くことが困難とされた、7500人は放置され、1月27日に収容所を解放したソ連軍に救助される。 -
写真は2008年に訪れた岐阜県八百津町にある「杉原千畝記念館・山荘」の庭に咲いていたアンネのバラ。なお、救助された7500人の中にアンネ・フランクの父、オットー・フランクもいた。
下記参考資料の中にあった、生き残った被収容者の言葉が印象的だったので、これを掲載して、この章を終わりとします。
「このような悪事を働くのは人間しかいない。しかし、それを防ぐことが出来るのも、やはり人間しかいない。」
参考資料 「アウシュヴィッツ・ビルケナウ その歴史と今」:アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館出版部・編 and Wikipedia 一部参照 -
アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所の見学を終え、クラクフへ戻ったのは19:00頃。今日は夕食の付かない日だったので、Auchan でお土産と一緒に適当な食料品を買い、部屋食とした。
これで「2016年 バルト3国&ポーランド旅行記7:オシフィェンチム」は終了です。気の滅入る旅行記を最後までご覧いただきありがとうございました。
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この旅行記へのコメント (4)
-
- mistralさん 2016/10/18 08:01:34
- 同じ目的地の旅行記に。
- chiaki-kさん
mistralと申します。
同じ目的地でしたアウシュヴィッツの旅行記に
投票をいただきまして、ありがとうございました。
旅の前に一度拝見させていただいてました。
写真の数々に圧倒された記憶があります。
私はといえば、
現地では博物館のガイドさんの中谷さんの
お話に心が動かされ
又、展示品にはカメラを向けることができず
chiaki-kさんの旅行記とは違うもの
になっているように思いました。
それぞれの感じる所によって、旅行記も
また変わってくるのですね。
過去に起こった事を学ぶ場所であると同時に
ここで亡くなった方々に対して
深い祈りを捧げるところでもあります
との中谷さんの言葉が今でも心に残っています。
そのお話のおかげか?
静かな気持ちで見学ができたように思います。
見学が出来て良かったと思っています。
バルト三国も回られたようですね。
ほかの旅行記も拝見させていただきます。
今後ともよろしくお願い致します。
mistral
- chiaki-kさん からの返信 2016/10/19 19:18:07
- 人間とはなにかを学ぶ場所ですね
- ・
mistralさん、こんにちは。
いつも、ありがとうございます。
>旅の前に一度拝見させていただいてました。
何かの参考になったなら、とても嬉しいです。
> それぞれの感じる所によって、旅行記も
> また変わってくるのですね。
旅行前に、可能な限りの情報を仕入れすぎて
冷静な目で展示物を見ている自分に驚きました。
それよりmistralさんの撮影された
クレマトリウム跡のほうが畏怖を感じます。
まさにここで何十万人の人々が虫のように
抹殺されたんですから・・・
(私も行きたかったんですがツアーの為
時間が無く行けませんでした)
> 現地では博物館のガイドさんの中谷さんの
> お話に心が動かされ・・・
mistralさんのブログ中の中谷さんの言葉で
「ある条件のもとでは、いつでも起こりうること
で決して特殊なケースとは言えないということ。」
という言葉が、とても気になりました。
・ソ連・スターリン時代のシベリア収容所
・カンボジア・ポルポト時代のツールスレン刑務所
・アフリカ各国で発生した部族間戦争
・シリア・IS支配下に置かれた街・・・
など、人間が人間として扱われない事例は
70年以上経った現在でも起こっていますね。
およそこの世界に存在する生命体の中で人間ほど
解析できない生き物はいないと思います。
人間の持つ恐怖の面、コルベ神父のような善の面
人間とは両方の面を併せ持つ生き物なのだと
いうことを学ぶのに最適な場所であったと私は
思っています。
では、また。
chiaki-k
-
- わんぱく大将さん 2016/07/04 08:58:59
- 一人も、二人も同じ
- chiaki-kさん
ご無沙汰してました。 歳いくと、悪いところがでてきまして。
ガステルガチェの旅行記も見ていただいたようで。
ポーランドには未だ、行ったことがないのですが。
最後に仰ったように、私も旅行記を拝見しながら、人が人を裁く、何の権利があるのか?と。 一人殺すも、2人、100人も同じ。ごみを焼く感覚になっていくのでしょうか? 同じ人間なのに、神にもオ二になれる、それが人間なんだと思うと、ぞっとします。
大将
- chiaki-kさん からの返信 2016/07/05 08:06:38
- こんにちは
- ・
大将さん、こんにちは。
ポーランド旅行記に”いいね”をありがとうございます。
キリスト教世界からは「悪魔」とされているヒトラーですが
本人は「神」だと思っていたらしい、ふしがあります。
世界中に存在する生命体の中で一番、不可解で、解析できない
存在、それが人間ではないでしょうか。
アウシュヴィッツについては事前の情報収集をやりすぎて、
しごく冷静な目で、施設内を見学してる自分に驚きました。
「行きはよいよい、帰りは怖い。いつ、バスは来るねん?
−San Juan de Gaztelugatxe (Bakio)」編、拝見しました。
手首の痛いところ、いつもの長編、お疲れ様でした。
*San Juan de Gaztelugatxe はもちろん未到地ですが、
すごい場所に礼拝堂を建てるもんですね。
*Santillana del Mar 良い感じの村ですね。
ちょっと行ってみたい。
*ゲルニカはマドリーで、そして大塚国際美術館でも
見ましたが、これは陶版画でしょうか。
北スペイン、行ってみたいです。
では、また。
chiaki-k
コメントを投稿する前に
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