ねこにゃんさんのクチコミ(91ページ)全2,914件
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投稿日 2013年07月26日
総合評価:4.0
野崎まいりでおなじみの野崎観音のすぐそにあるのが大東市立野崎まいり公園です。公園には、天井が吹き抜けで、民家蔵風にあしらった多目的ホールはセミナーや集会などに
京町家(数寄屋)風の和室も有ります。その他休憩する所やトイレ、その他、誰でも使用することが出来ます。- 旅行時期
- 2013年07月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.0
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一生に一度は見るべき 迫力満点 周囲が暗いので非常に綺麗です
投稿日 2013年01月08日
総合評価:5.0
毎年8月17日行われる熊野花火大会。 まず行くまでが大変です。山道が大好きって人は大丈夫です。
国道42号線は・・・大渋滞です。名古屋方面などからは早めに出発しないと着いたころに終わっていた、なんで話もあります。
見所
海上自爆
全速力で走る2隻の船から、点火した花火をつぎつぎと投げ入れ、海上で半円形の花を咲かせます。 観客の目の前で花火の火の粉が全速力で走る船を追いかけるように開く様子はスリル満点です。
三尺玉海上自爆
400m沖合いに浮かべた鉄骨製のイカダに、重さ250kgの三尺玉を設置してそのまま爆発させます。 直径600mに広がる半円形の美しさをお楽しみください。
なんせ周りが暗いので大変綺麗です。花火が近くで爆発するので音が凄い迫力で聞こえます。- 旅行時期
- 2010年08月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 3.0
- 山道をクネクネ 国道42号は大渋滞
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 催し物の規模:
- 5.0
- 雰囲気:
- 5.0
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投稿日 2013年07月25日
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投稿日 2013年07月25日
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菅原道真が上陸した淀川の岸を「牛まわし」と名付け菅公の遺跡として言い伝えられています
投稿日 2013年07月25日
総合評価:4.5
菅原天満宮は菅原道真公を祭神とし、寛永)年間(1624~44年)、この地が開発されたときに勧請されたそうです。代々の言い伝えでは延喜元年(901年)に菅原道真が大宰府へ左遷され淀川を船で下る途中、当地摂津の国、二重新家村住民の出迎えを受けて上陸され、逆川の土堤から東を眺めて京の名残を惜しまれた由緒ある土地であるとされているそうです。そして菅原道真が上陸した淀川の岸を「牛まわし」と名付け菅公の遺跡として言い伝えられています。「菅公ゆかりの地、牛まわし」と刻んだ碑が、正面石段の左下にあります。
- 旅行時期
- 2013年07月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2013年07月25日
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投稿日 2013年07月25日
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投稿日 2013年07月25日
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投稿日 2013年07月25日
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大化の改新以降、幹線道路に30里(約16キロメートル)ごとに設けられた施設
投稿日 2013年07月25日
総合評価:4.0
駅(駅家)とは、大化の改新以降、幹線道路に30里(約16キロメートル)ごとに設けられた施設で、馬など旅に必要なものを備えていました。この桜井の地にも「駅」があったといわれますが、実態はよくわかっていないそうです。延元元年(1336年)、足利尊氏の大軍を迎え撃つため、京都を出発して兵庫に向かった楠木正成が、途中、桜井の宿(駅)で子の正行に遺訓を残して河内に帰らせたと、『太平記』に記されているそうです。この伝承は「桜井の別れ」として後世の人びとに広く知られ、絵・詩・歌などの題材として取り上げられました。桜井駅跡は、明治期から昭和10年代にかけて逐次整備され、石碑の建設や敷地拡張などが行われました。大正10年3月には国史跡に指定されています。敷地内には楠公父子の石像や多くの石碑が建ち、クスノキの木が生い茂っています
- 旅行時期
- 2013年06月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2013年07月25日
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投稿日 2013年07月25日
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投稿日 2013年07月24日
総合評価:4.0
いわふね自然の森スポーツ・文化センターは交野市の施設で林間学習ができる施設が整った所です。バーベーキュウの施設が整っていますので手軽にバーベーキュウを楽しむことができます。またキャンプができる施設やバンガローの宿泊施設も完備されています。ただ駐車場に止めれる台数が少ないのが難点です。
- 旅行時期
- 2013年07月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2013年07月24日
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投稿日 2013年07月24日
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投稿日 2013年07月24日
総合評価:3.5
旧沢上江村の鎮守社で、草創は不明、平安後期、後白河法皇が生母待賢門院の菩提寺である母恩寺に行幸したときに、鎮護の神社として創建されたと伝えられています。
天照大神・応神天皇・宇賀御魂神など十五の神を合祀したのでもとは「十五神社」と称していましたが、昭和18年に「都島神社」と改称しそうです。社殿は太平洋戦争末期の空襲で焼失し、昭和24年に再建されました。境内に嘉元2年(1304)銘の石造三重宝篋印塔(ほうきょういんとう)があり、類例が少なく、かつ市内最古の石造建造物として大阪府の有形文化財に指定されているそうです。- 旅行時期
- 2013年07月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2013年07月24日
総合評価:3.5
大阪市内を流れる大川(旧淀川)の左岸、桜之宮公園のほど近くに鎮座しています。由緒書によれば、大阪城の守護社として豊臣氏、徳川氏から尊崇を受けており、古くから信仰されていた神社でありました。JR大阪環状線の「桜之宮駅」や「桜之宮公園」などの地名の元になっています。神社自体はさほど大きくはありません。境内には桜が植えられており、春には満開の花が社殿を彩ります。 お祀りされているのは天照皇大神、八幡大神、仁徳天皇が祀られています。
- 旅行時期
- 2013年07月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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水無瀬川は万葉集以来しばしば歌に詠まれた名所、すなわち歌枕である
投稿日 2013年07月24日
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投稿日 2013年07月24日
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投稿日 2013年07月24日























