大化の改新以降、幹線道路に30里(約16キロメートル)ごとに設けられた施設
- 4.0
- 旅行時期:2013/06(約13年前)
-
-
by ねこにゃんさん(男性)
高槻・島本 クチコミ:59件
駅(駅家)とは、大化の改新以降、幹線道路に30里(約16キロメートル)ごとに設けられた施設で、馬など旅に必要なものを備えていました。この桜井の地にも「駅」があったといわれますが、実態はよくわかっていないそうです。延元元年(1336年)、足利尊氏の大軍を迎え撃つため、京都を出発して兵庫に向かった楠木正成が、途中、桜井の宿(駅)で子の正行に遺訓を残して河内に帰らせたと、『太平記』に記されているそうです。この伝承は「桜井の別れ」として後世の人びとに広く知られ、絵・詩・歌などの題材として取り上げられました。桜井駅跡は、明治期から昭和10年代にかけて逐次整備され、石碑の建設や敷地拡張などが行われました。大正10年3月には国史跡に指定されています。敷地内には楠公父子の石像や多くの石碑が建ち、クスノキの木が生い茂っています
- 施設の満足度
-
4.0
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2013/07/25
いいね!:0票
利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する