風来坊之介さんのクチコミ(4ページ)全2,655件
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- 基本情報
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投稿日 2020年02月06日
総合評価:3.5
中央区築地3丁目にある築地本願寺を訪ねた折境内で見たものの一つが この 森孫右衛門墓 で、正門を入った右手 (南西) 方向に墓碑や石碑などが沢山並んでいる中間辺りに設置のベンチの左手 (西門側) にあり、四角い台座に笠が載った四角い塔身で説明板があるので分かると思います。
その説明板を見ると、
この石塔は、文久元年 (1861) に子孫と親族が建立した供養塔である。
摂津国佃村 (現在の大阪市西淀川区佃) の孫右衛門が、二代将軍徳川秀忠の時に漁猟の許可とともに33人の漁師が将軍の食膳に供する魚を献上した。
また、佃島の成り立ちとともに森家が代々にわたって、佃島の名主を務めてきた。
ことなどとともに、この供養塔は、佃島の歴史を後世に語り伝える貴重な銘文が刻まれた石塔であることから、中央区民文化財に登録されている。
ことも記されています。
ところで、供養塔の側面を覗いたものの刻まれた銘文は見えるが、恥ずかしながら内容があまり読み取れませんでした。
この 森孫右衛門墓 は、供養塔の銘文が読み取り難くても、説明板に直ぐ近くの佃島の歴史などについていろいろ記されているのでご覧になっては如何でしょう。- 旅行時期
- 2020年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 地下鉄・築地駅出入口1から右手の歩道を左手方向に50m位進んだ左手の正門を入り一寸行って右手に30m位進んだ右手です
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 供養塔などを見ている間近くを通る人は時折いるが皆素通りしていました
- バリアフリー:
- 4.0
- 供養塔や説明板の直ぐ前は小石が敷かれているがその前の通路は整備されているので大丈夫です
- 見ごたえ:
- 3.5
- 四角い台座に笠が載った四角い供養塔で側面に銘文が刻まれていることが分かり歴史を感じます
-
投稿日 2020年02月06日
総合評価:4.0
中央区築地3丁目にある築地本願寺を訪ねた折境内で見たものの一つが この 陸上交通殉難者追悼之碑 で、正門を入った右手 (南西) 方向に石碑や墓碑などが沢山並んでいる奥の方 (西門側) にあり、真ん中に大きな石柱が建ち、左手に和歌が、右手に碑文が刻まれているので分かり易いです。
碑文を見ると、
この追悼碑を建設し、いつ果てるともない交通事故の絶滅を多くの人々にうったえ、交通事故絶滅の礎としたい。
ことが伝わってきます。
また、右手前にある小さな石碑を見ると、
昭和44年に、陸上交通殉難者追悼碑建設会の名誉会長 三笠宮崇仁親王 と役員の方々が、この追悼碑に寄せられた國民有志の数々の善意に対しての心からの感謝の意を表している。
ことが分かります。
この 陸上交通殉難者追悼之碑 を見ると、交通事故のないように自らも気を付けたいとともに一日も早く絶滅して欲しいと願うところです。
車を運転する方を初め多くの方々が、この 陸上交通殉難者追悼之碑 をご覧になることをお勧めします。- 旅行時期
- 2020年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 地下鉄・築地駅出入口1から右手の歩道を左手方向に50m位進んだ左手の正門を入り一寸行って右手に50m位進んだ右手です
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 石碑などを見ている間近くを通る人は時折いるがチラッと見て通り過ぎていました
- バリアフリー:
- 4.0
- 前の通路は整備されているので良いが石碑に近付くのには石畳なので気を付けましょう
- 見ごたえ:
- 4.0
- 立派な石碑で交通事故絶滅の願いが伝わってきます
-
投稿日 2020年02月04日
総合評価:3.0
中央区築地3丁目にある築地本願寺を訪ねた折境内で見たものの一つが この 酒井抱一の墓 で、正門を入った右手 (南西) 方向に墓碑や石碑などが沢山並んでいる手前の方に建つ大きな石碑の左手 (西門側) にあり、四角い台座に塔身が卵形で説明板があるので分かると思います。
その説明板を見ると、
酒井抱一 (1761~1828) は、名門酒井雅楽頭家の姫路藩主酒井忠仰の次男として生まれ、寛政9年 (1797)、37歳で西本願寺文如上人に随い出家し「等覺院文詮暉真」と称した。
また、尾形光琳の画風に傾倒し、琳派の画風に諸派の技法を取り入れた独特な作風を確立して粋で瀟洒な江戸琳派を完成させ、多くの作品を残し文政11年 (1828)に亡くなり、築地本願寺に葬られた。
ことなどが記されており、江戸後期の画家だったことが窺えるとともにここ築地本願寺に墓碑がある理由が分かります。
この 酒井抱一の墓 は、昭和30年に東京都指定旧跡になっており、並んでいる中央の卵型の墓碑を見ると、「等覺院文詮墓」と彫られているのでご覧になっては如何でしょう。- 旅行時期
- 2020年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 地下鉄・築地駅出入口1から右手の歩道を左手方向に50m位進んだ左手の正門を入り一寸行って右手に10数m進んだ右手です
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 墓碑などを見ている間近くを通る人は時折いるが皆素通りしていました
- バリアフリー:
- 4.0
- 墓碑や説明板の直ぐ前は小石が敷かれているがその前の通路は整備されているので大丈夫です
- 見ごたえ:
- 3.0
- 四角い台座に塔身が卵形の墓碑に歴史を感じます
-
投稿日 2020年02月04日
総合評価:3.5
中央区築地3丁目にある築地本願寺を訪ねた折境内で見たものの一つが この 間新六供養塔 で、正門を入った右手 (南西) 方向に墓碑や石碑などが沢山並んでいる奥の方 (西門側) にあり、供養塔は大きくないが左手に説明板が立ててあるので分かると思います。
その説明板を見ると、
間新六光風 (1680~1703) は赤穂藩主浅野家臣間光延の次男として生まれ、父と兄とともに元禄15年12月 (1703年1月) の赤穂事件に加わり、翌年切腹し、ここ築地本願寺に葬られた。
現在の供養塔は、火災により焼失したものを天保5年 (1834) に羽佐間宗玄が再建したもの。
とのことなどが記され、供養塔の法名の左右には、葬られた日と思われる日付と「間新六墓」と刻まれています。
この 間新六供養塔 は、再建されたものとはいえ、180年以上が経ち歴史を感じます。
また、昭和30年に東京都指定旧跡になっています。
間新六の供養塔は、泉岳寺にもある とのことだが、ここ築地本願寺にあるこの供養塔もご覧になっては如何でしょう。- 旅行時期
- 2020年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 地下鉄・築地駅出入口1から右手の歩道を左手方向に50m位進んだ左手の正門を入り一寸行って右手に4,50m進んだ右手です
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 供養塔などを見ている間近くを通る人は時折いるが皆素通りしていました
- バリアフリー:
- 4.0
- 供養塔や説明板の直ぐ前は小石が敷かれているがその前の通路は整備されているので大丈夫です
- 見ごたえ:
- 3.5
- 大きくはないが歴史を感じる供養塔です
-
投稿日 2020年01月31日
総合評価:3.5
中央区築地3丁目にある築地本願寺を訪ねた折境内で見たものの一つが この 土生玄碩墓 で、正門を入った右手方向に墓碑や石碑などが沢山並んでいる中間辺りにある背の高い「土生玄碩先生之碑」の左手です。
墓標の右手にある説明板を見ると、
土生玄碩 (1762~1848) は江戸時代後期の眼科医で、文化7年 (1810) 奥医師を拝命し同13年法眼に叙され、文化5年には12代将軍徳川家慶の眼疾を治療した。
文政12年 (1829)、シーボルト事件に連座し、改易となり、江戸を追放された。
嘉永元年 (1848)、87歳で死去し、土生家の菩提寺である築地本願寺中眞龍寺に葬られたが、昭和3年 (1928) 区画整理のため改葬された。
ことなどが記され、著書もある腕の良い眼科医だったことが分かる と思うのでご覧になっては如何でしょう。
なお、墓標には「桑翁土生君之墓」とあり、昭和30年に東京都指定旧跡になってる とのことです。- 旅行時期
- 2020年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 地下鉄・築地駅出入口1から右手の歩道を左手方向に50m位進んだ左手の正門を入り一寸行って右手に20m位進んだ右手です
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 墓標などを見ている間近くを通る人は時折いるが皆素通りしていました
- バリアフリー:
- 4.0
- 墓標や説明板の直ぐ前は小石が敷かれているがその前の通路は整備されているので大丈夫です
- 見ごたえ:
- 3.5
- 真ん中辺りを修理したと思われる程々の大きさの墓標をよく見ると「桑翁土生君之墓」と彫られているのが分かります
-
投稿日 2020年01月31日
総合評価:3.5
中央区築地3丁目にある築地本願寺を訪ねた折境内で見たものの一つが この 台湾物故者の霊 の石碑で、正門を入ると右手の突き当りの右手前に、正門の右手 (晴海通り) 方向にある西門から入ると左手に建ててあります。
「台湾物故者の霊」と彫られた御影石の台の上に、真ん丸の大きな御影石が載せられ、共にとても綺麗なので分かり易いです。
左手前にある説明板「台湾物故者遺骨安置所建設の由来」によると、
太平洋戦争敗戦後、台湾各地に放置されていた日本人物故者の墓地は、昭和32~36年に整理され、台北、台中、高雄の三か所に日本人遺骨安置所がつくられ、1万3千余人の遺骨が納められた。
その後、これら全員の分骨を故国に持ち帰ることができ、昭和38年「台湾物故者慰霊塔建設会」により、本願寺築地別院 (当時) に遺骨安置所が建設された。
などとともに、境内整備に伴い、現在、遺骨は合同墓に納められている。
とのことです。
これを見ると、太平洋戦争敗戦後、苦労した関係者の努力が窺える と思うのでご覧になっては如何でしょう。
なお、この石碑がとても綺麗に見えるのは、境内整理に伴い新しくされたのでは と思います。- 旅行時期
- 2020年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 西門には地下鉄・築地駅出入口1から右手の歩道を左手(晴海通り)方向に1分半位行った左手です
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 石碑などを見ている間近くを通る人は時折いるがチラッと見て通り過ぎていました
- バリアフリー:
- 3.5
- 西門からだとやや上りで石碑に近付くのには小石が敷いてあるので気を付けましょう
- 見ごたえ:
- 3.5
- 太平洋戦争敗戦後苦労した関係者の努力が窺える石碑です
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投稿日 2020年01月28日
総合評価:4.0
中央区築地3丁目にある築地本願寺を訪ねた折境内で見たものの一つが この 親鸞聖人像 で、正門を入ると右手の突き当りに、正門の右手 (晴海通り) 方向にある西門から入ると真正面に建ててあります。
像は、背丈程はあると思われる高い基台に乗るとても大きな立姿で菅笠を深く被り、右手に杖を、左手に数珠を持ち、眼光鋭くきりりとしたご尊顔をしてぃます。
像の左手前にある説明板を見ると、
浄土真宗本願寺派の宗祖・親鸞聖人の、誕生と幼少期、比叡山での修行、吉水での法然聖人との出遇い、結婚と越後流罪、関東伝道と『教行信証』の執筆、再び京都へ
の6期間に分けて、京都にてご誕生から90歳で往生の素懐を遂げられる生涯が、簡潔に記されているのでいろいろ知ることが出来ます。
が、気になったのは、説明板をゆっくり読んでいると像を見に来る方が時折だがいて、写真を撮ったり説明板を見るのに邪魔になることでした。
この 親鸞聖人像 は、左手後方に本堂が見え、親鸞聖人の生涯が簡潔に記された説明板があるのでご覧になることをお勧めします。- 旅行時期
- 2020年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 西門には地下鉄・築地駅出入口1から右手の歩道を左手(晴海通り)方向に1分半位行った左手です
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 像の近くにいる間見に来る方が時折いる位でした
- バリアフリー:
- 3.5
- 西門からだとやや上りで像の前は石畳なので気を付けましょう
- 見ごたえ:
- 4.0
- 高い基台に乗るとても大きな立像です
-
投稿日 2020年01月28日
総合評価:5.0
中央区築地界隈を散策の折最初に訪ねたのがここ 築地本願寺 で、江戸時代初期の元和3年 (1617) の創建だが現在の本堂などは、昭和9年 (1934) に再建された浄土真宗本願寺派 (京都西本願寺) の直轄寺院 とのことです。
正門前に立ち驚いたのは、写真などで見たことがあるとは言え目の当たりにして、これ程立派で素晴らしい本堂と仏教の寺院とは思えないような造りだったことです。
真正面の大階段を上がり本堂に入ってまた驚いたのは、内陣は広く仏教の寺院のようだが、外陣は更に広くて中央部にパイプ椅子が、両側には固定椅子が並べられ参詣者が自由に休めるようになっていて、天井の造りや背中側の上にパイプオルガンがあったりと仏教の寺院とは思えませんでした。
また。本堂の左手にインフォメーションセンターがあり、中にはお洒落なカフェやオフィシャルショップなどが並び、寺院の境内とは思えないようなところです。
更に右手には、駐車場やベンチのある芝生広場があり、親鸞聖人像や石碑などがあるので一休みしたり、いろいろ見ることが出来ます。
ここ 築地本願寺 は、非常に素晴らしいとともに本堂と門柱 (正門・北門・南門)、石塀が重要文化財に指定されており、いろいろ見るものがあるところで、地下鉄駅の目の前でもあるので是非訪れることをお勧めします。- 旅行時期
- 2020年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 地下鉄・築地駅出入口1を地上に出た正面に「築地本願寺 地下鉄連絡口」があり出入口1から右手の歩道を左手方向に50m位行った左手が正門です
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 訪ねた折はカフェには結構いたが本堂などは広いためかそれ程混んでいるようには感じませんでした
- バリアフリー:
- 4.0
- 全般に良く整備されており本堂は2階だがエレベーターがあるので心配ないです
- 見ごたえ:
- 5.0
- 本堂の内外とも仏教の寺院とは思えない素晴らしいところです
-
投稿日 2020年01月28日
総合評価:3.0
中央区新川界隈を散策の帰りに寄り道したのが、昔からある商店街 と聞いているこの 八丁堀すずらん通り で、新大橋通りの1本西 (東京駅) 側をほぼ並行している通りです。
この通りは、八丁堀の北側の1丁目から南側の3丁目に掛けて真っ直ぐに延びる商店街で300m位続いている とのことだが、歩いたのは、北側の1丁目付近の100m位でした。
100m位しか歩いていないので一概には言えないが、店屋さんがあることはあるが所どころにしか見当たらず、殆どがビルなので商店街と言うよりはビル街と言った感じでした。
今回が初めてなので昔のことは分からないが、遠くに人影が見える位で寂しい通りでした。- 旅行時期
- 2019年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 行くところにもよると思うが地下鉄・八丁堀駅出入口A5を出て直ぐ左手の細い通りを進み1分とは掛からず出た左右(南北)の通りが鈴らん通りです
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 遠くに人影が見える位で車も走っていませんでした
- バリアフリー:
- 4.0
- 両側に歩道があり整備されているので心配ないです
- 見ごたえ:
- 3.0
- 所どころに店屋さんがある普通のビル街では と思います
-
投稿日 2020年01月25日
総合評価:3.5
中央区新川界隈を散策していて亀島橋を通った折、立ち寄った一つがここ 堀部安兵衛武庸之碑 で、亀島川に架かる橋の一つである亀島橋の北西詰手前の一寸した広場の植え込みにあり、自然石の形をしていて結構大きいです。
碑文を見ると、句読点などがないのでやや読み難いが、
19歳で江戸へ出て堀内道場に入門し、22歳で玉木一刀斎道場師範になり、25歳で叔父菅野六郎左右衛門之仇討をし、33歳で赤穂義士の一人として吉良邸に乱入仇討して、34歳で生涯を閉じた。
ことなどが簡潔に刻まれています。
ところで、この石碑が何故ここにあるのか分からないところもあるが、剣客として、また、赤穂義士の一人として知られている堀部安兵衛の生涯が、簡潔に刻まれている石碑では と思います。
近くを通られた折などにご覧になっては如何でしょう。- 旅行時期
- 2019年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 地下鉄・八丁堀駅出入口A4を出てそのまま進み八丁堀交差点を渡り右折して5,60m行ったところが北西詰なので出入口A4から歩いて2分弱です
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 一寸した広場にいる間前の歩道をたまに通る人はいるが皆素通りしていました
- バリアフリー:
- 3.5
- 一寸した広場はほぼ平坦なので良いが出入口の殆どに段差があるので気を付けましょう
- 見ごたえ:
- 3.5
- やや読み難いが堀部安兵衛武庸の生涯などが簡潔に刻まれています
-
投稿日 2020年01月25日
総合評価:3.5
中央区新川界隈を散策していて亀島橋を通った折、立ち寄った一つがこの 芭蕉句碑 (亀島橋) で、亀島川に架かる橋の一つである亀島橋の南西詰手前の一寸した植え込みにあり、背が低く丸味を帯びています。
この 句碑 には、「菊の花 咲くや石屋の 石の間」とともに、見難いが詠んだ場所や芭蕉の年齢などが刻まれており、八丁堀を詠んだ句 とのことです。
この植え込みには、後ろに「銀座の柳四世」が、左手に「この地に移住し功績を伝えられる人物」の説明板があるので、背が低い 芭蕉句碑 (亀島橋) を見落とさないようにして欲しい と思っています。
近くを通られた折などに、見落とさないよう注意してご覧になっては如何でしょう。- 旅行時期
- 2019年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 地下鉄・八丁堀駅出入口A4を出てそのまま進み八丁堀交差点の手前を右折して5,60m行ったところが南西詰なので出入口A4から歩いて1分半位です
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 植え込み近くにいる間たまに通る人はいるが句碑などを誰も見ませんでした
- バリアフリー:
- 4.0
- 植え込みの前は若干傾斜しているが整備されているので心配ないです
- 見ごたえ:
- 3.5
- 刻まれた句が非常に分かり易い句碑です
-
投稿日 2020年01月07日
総合評価:4.0
中央区新川界隈を散策の折渡ったのがここ 豊海橋 で、日本橋川に架かる橋の一つで隅田川に流れ込むところです。
この橋は、日本橋川に架かる橋とは思えない白く綺麗に塗装された鉄橋のような橋です。
南西詰にある石碑の「豊海橋」のプレートを見ると、
元禄11年 (1698) に初めて架けられ、その後何回となく架け替えられて現在の橋は、震災復興事業により昭和2年 (1927) に復興局が架設したもので、梯子を横にしたようなこの形は、名橋永代橋との均衡を保つようにデザインされた。
ことや橋梁の諸元などが分かり、
「日本橋川に架かる橋 (豊海橋から一石橋)」のプレートを見ると、
ここ豊海橋から一石橋までの架かっている場所が分かる地図とともに日本橋川についての説明があり、
いろいろ知ることが出来ます。
ここ 豊海橋 は、名橋永代橋からあまり離れていないので近くにこられた折などに、眺めたり渡ってみることをお勧めします。
なお、今回渡ったのは、地下鉄・茅場町駅からいろいろ見ながらだったが、地下鉄・水天宮前駅からの方が近いです。- 旅行時期
- 2019年12月
- アクセス:
- 3.5
- 地下鉄・茅場町駅出入口4bを出てそのまま永代通りを7分半位進み永代橋西交差点手前を左折して1分弱行ったところが南西詰です
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 橋を眺めたり渡ったリしている間たまに渡る人がいる位でした
- バリアフリー:
- 4.0
- 若干の傾斜があるがよく整備されているので心配ないです
- 見ごたえ:
- 4.0
- 白く綺麗に塗装された橋梁とともに南西詰にある石碑を見るといろいろ知ることが出来ます
-
投稿日 2020年01月16日
総合評価:4.0
中央区新川界隈を散策の折通ったのがここ 亀島橋 で、亀島川に架かる橋の一つで八重洲通りを渡しています。
この橋は、片側2車線で親柱に付いている照明燈が古風な感じがし、欄干を見ると、橋名に因んででしょう亀を模したような飾りになっているのに興味が湧いてきます。
北東詰にある2002年 (平成14年) 6月の中央区土木部の解説板を見ると、
1699年 (元禄12年) ころ架橋されたと考えられる。
1923年 (大正12年) 関東大震災で被害を受け、1929年 (昭和4年) に鋼上路アーチ橋として復興されたが、戦時中の物資不足を補うため高欄等が供出された。
今回の架け替えに当たり、当時のデザインを生かしつつ、地域のシンボルとして21世紀に誇れる橋とした。
ことや橋名の由来とともに江戸時代と現在の様子が載っていて、現在の橋は、当時のデザインを生かしつつ2002年 (平成14年) に架け替えられたことが分かります。
また、この解説板には、橋の諸元や当時の船の絵が付いた「御船手組 (将監河岸)」と「河村瑞賢」についても載っているので、橋の親柱や欄干などとともにご覧になることをお勧めします。
なお、この橋が「鋼上路アーチ橋」と言われても分かり難いが、離れたところから見ると道路の下が、アーチ形の鋼鉄で支えられていることが分かるので機会をみてご覧になっては如何でしょう。- 旅行時期
- 2019年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 地下鉄・八丁堀駅出入口A4を出てそのまま進み八丁堀交差点の手前を右折して5,60m行ったところが南西詰なので出入口A4から歩いて1分半位です
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 橋付近にいる間たまに渡る人がいる位でした
- バリアフリー:
- 4.0
- 若干の傾斜はあるが歩道も結構広く良く整備されているので心配ないです
- 見ごたえ:
- 4.0
- 現在の橋はそれ程経っていないが歴史を感じいろいろ載っている解説板があるのでとても助かります
-
投稿日 2020年01月16日
総合評価:3.5
中央区新川界隈を散策の帰りにJR八丁堀駅方面に向かう折、立ち寄った一つがここ 徳船稲荷神社 で、亀島川に架かる橋の一つである南高橋の北西詰の直ぐ近くで亀島川を背にして祀られています。
手入れが行き届き小ぢんまりした境内 (?) に説明板があるので見ると、「新川二丁目越一町会崇敬会」が立てたもののようで、小さな社にこのような説明板があるのは珍しいのでは と思います。
その説明板には、稲荷神社の由緒などが記されており、中央大橋の架橋のため平成3年からここに祀られていることが分かります。
境内 (?) の隣りには、珍しい形の腰掛 (?) があり一休みも出来そうなので、近くを通られた折などに立ち寄ってみては如何でしょう。- 旅行時期
- 2019年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- JR八丁堀駅出入口B4を出て正面の信号を渡り左手に行き最初のT字路を右折して進み最初の信号手前を右折し20m位行った右手なので徒歩4分弱です
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 稲荷神社付近にいる間誰も見掛けませんでした
- バリアフリー:
- 4.0
- 若干の傾斜があるものの付近は良く整備されているので大丈夫です
- 見ごたえ:
- 3.5
- 亀島川を背にしているので明るく感じる小さな社です
-
投稿日 2020年01月14日
総合評価:4.5
中央区新川界隈を散策の帰りにJR八丁堀駅方面に向かう折渡ったのがここ 南高橋 で、亀島川に架かる橋の一つで隅田川に流れ込む近くにあり、直ぐの下流 (南東側) に亀島川水門が見えます。
この 南高橋 は、北東 (新川2丁目) 側から見ても反対の南西 (湊1丁目) 側から見ても、小振りだが門形で奥行きとともに中央上部に右書きの橋名板があり歴史を感じる立派なトラス橋です。
南西詰にある説明板と直ぐ前の一寸した広場にある石碑を見ると、
創架年代は、昭和6年 (1931) に起工、同7年3月に竣工。
を初め、南高橋が架けられる経緯や橋梁の歴史とともに全国でも非常に古く、中央区民有形文化財に登録されている。
ことなどが記されておりとても役立ちます。
また、一寸した広場にある石碑には、説明板と同じようなこととともに、平成28年 (2016) に、土木学会選奨土木遺産として認定されたことや橋梁の諸元なども記されています。
ここ 南高橋 は、小振りだが何処から見ても立派なトラス橋で、説明板と石碑を見るといろいろ分かるので橋とともにご覧になることをお勧めします。
なお、余談だが、亀島川水門は、耐震補強工事をしていました。- 旅行時期
- 2019年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- JR八丁堀駅出入口B4を出て正面の信号を渡りそのまま進み2分少々行った十字路を左折して道なりに進み大通りに出た左手が南西詰なので4分弱です
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 橋付近にいる間たまに渡る人がいる位で車も通らず静かなところでした
- バリアフリー:
- 4.0
- 若干の傾斜はあるが歩道などが良く整備されているので大丈夫です
- 見ごたえ:
- 4.5
- 小振りだが何処から見ても歴史を感じる立派なトラス橋で説明板などがありとても役立ちます
-
投稿日 2020年01月14日
総合評価:3.5
中央区新川界隈を散策の帰りにJR八丁堀駅方面に向かう折、立ち寄った一つがこの 江戸港発祥の地碑 で、亀島川が隅田川に流れ込むところの北東側にある隅田川テラスの出入口前の一寸した広場にあります。
この 江戸港発祥の地碑 は、隅田川テラスの北西端の階段を上がって下りた左手の植え込みに、石碑の上に金色で目立つ錨を載せているので直ぐ分かります。
正面の碑文を見ると、
慶長年間江戸幕府が、この地に江戸湊を築港し水運の中心地として江戸の経済を支えていた。
昭和11年まで、伊豆七島など諸国への航路の出発点として、にぎわった。
ことが記され、左側面に、
東京京橋ライオンズクラブが、結成35周年記念に平成11年1月吉日に建立。
したことが記されています。
ところで、周りを見渡してもビルなどが建ち並び、ここに江戸港があったことなど想像も出来なくなっているが、この 江戸港発祥の地碑 があるお陰で歴史の一端が窺えます。
場所が、新川2丁目の南端近くで隅田川テラスの出入口前の一寸した広場にあるので、隅田川テラスを散策の折などにご覧になっては如何でしょう。- 旅行時期
- 2019年12月
- アクセス:
- 4.0
- JR八丁堀駅出入口B4を出て正面の信号を渡り左手に行き最初のT字路を右折して進み信号の右手前方のビルを過ぎた階段の上なので歩いて4分半位です
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 立ち寄った折は誰もおらず寂しい位のところでした
- バリアフリー:
- 2.0
- 北東側の通りからも南西側の隅田川テラスからも階段を上がったところなので結構大変でした
- 見ごたえ:
- 3.5
- 離れたところからでも金色の錨が良く見え江戸港だったことを伝えているように思えます
-
投稿日 2020年01月12日
総合評価:3.5
中央区新川界隈を散策していて隅田川右 (西) 岸の川沿いを下流方向に行く折、中央大橋辺りで気が付いたのがこの 一等水準点交無号 で、中央大橋の北西詰近くの階段を下りて左手奥 (川方向) に一寸行った右手角の植え込みにあります。
先ず気が付いたのが説明板で、右手に赤字で「水準点」とあり手前に囲いもなく五つの石が綺麗に並べてあります。
その説明板を見ると、やや難しかったが、
水準点とは、精密に測られた高さの基準点で、各種測量の基準や地殻変動の検出に利用されている。
ことを初め、日本の高さの基準の決め方や水準点の設置場所、水準点番号「交無号」の由来など。
また、この水準点は、平成18年にこの地に移転された。
ことなどが分かります。
この水準点は、歴史があり重要なことは分かるものの幾度となく移転されているようで、移転しても基準が違ってこないのか とか、基準点の設置方法が分からないので何とも言えないが、地盤沈下などで基準が変わってこないのか など心配になるところです。
この 一等水準点交無号 は、ここで大丈夫? と心配になるようなところにあるが、機会があればご覧になっては如何でしょう。- 旅行時期
- 2019年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- JR八丁堀駅出入口B4を出て正面の信号を渡り左手(東方向)に2分位進んだ新川二丁目交差点手前を右折して4分少々の中央大橋北西詰の下辺りです
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 訪ねた折は近くに誰もおらずひっそりしていました
- バリアフリー:
- 3.0
- 付近は平坦なのと中央大橋への上り坂手前からほぼ平坦な脇道からも来れるのであまり心配ない と思います
- 見ごたえ:
- 3.5
- 説明板を見て歴史があり重要なことは分かるもののここで大丈夫? と心配になるようなところです
-
投稿日 2020年01月12日
総合評価:3.5
中央区新川界隈を散策していて中央大橋の上流 (北東) 側の歩道を佃島方向に行く折、中間辺りで気が付いたのがこの メッセンジャー像 で、斜張橋の主塔の橋台からせり出したところに建ててあります。
この像は、上流を向いているので背中しか見えないが川側の手摺沿いにあるレリーフに像の正面や説明が載っています。
そのレリーフと中央区観光協会特派員ブログなどを併せてみると、
このブロンズ像は、東京都とパリ市並びにこの隅田川とパリを流れるセーヌ川をつなぐ友好を記念して、92年にパリ市から東京都に寄贈された。
また、オシップ・ザッキンの作品で大作の一つに数えられ、海外に船を派遣するフランスの守護神を表し、パリ市の紋章にも描かれている帆船を思わせる船を抱いている。
ことなどが分かります。
とは言うものの、レリーフに載っている像の正面を見ても小さくて良く分からないのや、像の正面に近付けないのが残念だが、同じような像が、山梨県北杜市にある「清春芸術村」に展示されている とのことなので機会をみて行きたいと思っています。
この メッセンジャー像 は、残念ながら正面には近付けないが、橋上からは後姿が、上流側にある新川公園などからは横姿が見え、また、橋上にはレリーフがあり永代橋や東京スカイツリーなども見えるので一緒にご覧になっては如何でしょう。- 旅行時期
- 2019年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- JR八丁堀駅出入口B4を出て正面の信号を渡り左手(東方向)に2分位進み新川二丁目交差点を渡り右折して4分半位行った中央大橋中間辺りの左手です
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 近くを時折行き来する人はいるが皆素通りしていました
- バリアフリー:
- 3.0
- 橋上の歩道や新川公園などの遊歩道はよく整備されているので良いがこの間を行き来するのには階段や坂があるので大変では と思います
- 見ごたえ:
- 3.5
- 像の正面や説明が載っているレリーフがあるものの後姿しか見れないのが残念なところです
-
隅田川に架かる兜の鍬形をイメージした主塔の素晴らしい斜張橋です
投稿日 2020年01月11日
総合評価:4.0
中央区新川界隈を散策の折訪ねた一つがここ 中央大橋 で、八重洲通りが渡る隅田川に架かり、中央区新川2丁目と佃1・2丁目を結んでいる主塔の2本の角柱が斜めに大空に伸びている素晴らしい斜張橋です。
この 中央大橋 は、主塔が塔頂部で繋がりやや広がりながら更に伸び、繋がったところから四方に8本ずつの太いケーブルで橋桁を支えているハープ形をしています。
訪ねたのが、上流側右 (西) 岸にある新川公園 (北) 方向からだったので、北東詰の親柱の背中側に「平成5年3月完成」とあるのに気付き、未だそんなに新しい橋か と思いインターネットの「道路WEB」を見たところ、
平成5年8月開通で、優雅にカーブを描く橋桁を「兜の鍬形」をイメージした塔から伸びたワイヤーロープが支えている。
ことなどが記されているので改めて眺めると、橋桁が途中で緩くカーブしていることが分かり、主塔の頂部が「兜の鍬形」のように見えてきます。
ここ 中央大橋 は、橋桁が途中でカーブしている珍しい橋では と思うとともに、斜張橋の主塔頂部が「兜の鍬形」をイメージしている とのことなので訪ねてみることをお勧めします。
なお、今回訪ねたのは、地下鉄・茅場町駅からいろいろ見ながらなので時間が掛かったが、JR八丁堀駅出入口B4からだと南東方向に歩いて6分少々と近いです。- 旅行時期
- 2019年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- JR八丁堀駅出入口B4を出て正面の信号を渡り左手(東方向)に2分位進んだ新川二丁目交差点手前を右折して4分少々行ったところが北西詰です
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 訪ねた折は時折渡る人がいる位でした
- バリアフリー:
- 4.0
- やや傾斜があるが歩道が広くよく整備されているので大丈夫です
- 見ごたえ:
- 4.0
- 歩道から見上げる兜の鍬形をイメージした主塔も離れて見るハープ形の姿も素晴らしい斜張橋です
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投稿日 2020年01月11日
総合評価:3.0
中央区新川界隈を散策の折訪ねた永代橋から上流に見えるのがこの 隅田川大橋 で、二層になっているのが珍しく、ここから離れているようだが行ってみることにした。
この橋は、隅田川に架かり中央区日本橋箱崎町と江東区佐賀1・2丁目を結んでいます。
隅田川右 (西) 岸を続いている隅田川テラスを通り、どうなっているのかと思いながら橋上に着いたが、上を高速道路が走っているので圧迫感があり、歩道は広いもののこれと言って見るものがないようで実用第一の橋では と思ったところです。
歩道途中の高速道路の橋脚に歴史がありそうな「隅田川大橋」との結構大きなプレートがあり、見難いが何とか読んでみると、
昭和59年のもので殆どが両岸の説明が刻まれ、最後の方に、
この橋は、昭和54年 (1979) 10月に完成し、隅田川15橋の中では、形も役割も特異な橋となることであろう。
などとあり、まだ新しい橋だったこととともに、隅田川15橋の中で形も役割も特異な橋となることは、当初から分かっていたことが窺えます。
二層になっていて珍しいのでわざわざ来てみたが、これと言って見るものがない実用第一の橋のように思え、いささか残念な橋でした。- 旅行時期
- 2019年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 地下鉄・水天宮前駅出入口2を出てそのまま首都高速下沿いの歩道を3分位進んだ突き当りが南西詰の橋下です
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 橋上にいる間誰とも会わず寂しいところでした
- バリアフリー:
- 2.0
- 南西詰の場合だが橋上の歩道はほぼ平坦なので良いが歩道に上がるのに階段かスロープなので結構大変でした
- 見ごたえ:
- 3.0
- これと言って見るものもないようだが二層の珍しい橋では と思います





























































































