江戸後期の画家だった酒井抱一の墓です
- 3.0
- 旅行時期:2020/01(約6年前)
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by 風来坊之介さん(男性)
築地 クチコミ:58件
中央区築地3丁目にある築地本願寺を訪ねた折境内で見たものの一つが この 酒井抱一の墓 で、正門を入った右手 (南西) 方向に墓碑や石碑などが沢山並んでいる手前の方に建つ大きな石碑の左手 (西門側) にあり、四角い台座に塔身が卵形で説明板があるので分かると思います。
その説明板を見ると、
酒井抱一 (1761~1828) は、名門酒井雅楽頭家の姫路藩主酒井忠仰の次男として生まれ、寛政9年 (1797)、37歳で西本願寺文如上人に随い出家し「等覺院文詮暉真」と称した。
また、尾形光琳の画風に傾倒し、琳派の画風に諸派の技法を取り入れた独特な作風を確立して粋で瀟洒な江戸琳派を完成させ、多くの作品を残し文政11年 (1828)に亡くなり、築地本願寺に葬られた。
ことなどが記されており、江戸後期の画家だったことが窺えるとともにここ築地本願寺に墓碑がある理由が分かります。
この 酒井抱一の墓 は、昭和30年に東京都指定旧跡になっており、並んでいる中央の卵型の墓碑を見ると、「等覺院文詮墓」と彫られているのでご覧になっては如何でしょう。
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 地下鉄・築地駅出入口1から右手の歩道を左手方向に50m位進んだ左手の正門を入り一寸行って右手に10数m進んだ右手です
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 墓碑などを見ている間近くを通る人は時折いるが皆素通りしていました
- バリアフリー:
- 4.0
- 墓碑や説明板の直ぐ前は小石が敷かれているがその前の通路は整備されているので大丈夫です
- 見ごたえ:
- 3.0
- 四角い台座に塔身が卵形の墓碑に歴史を感じます
クチコミ投稿日:2020/02/04
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