聖さんのクチコミ(3ページ)全402件
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投稿日 2020年05月13日
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投稿日 2020年05月13日
総合評価:3.0
1714年にアントーニオ・マリアベーキの全蔵書約3万点が寄贈された事に始まる図書館です。
1737年にはフィレンツェで著作が出版されるごとに1部納本される制度が定められ、
1743年にはトスカーナ大公国全土の出版物が
1870年以降は法に基づいてイタリア国内で公刊された全ての印刷物が納められるようになりました。
アルノ川沿いに立つ姿は歴史あるフィレンツェの知と文化の門番のような印象を受けましたが、
実は1966年のアルノ川の氾濫で地下書庫には甚大な被害が出たそうです。
ん?ひょっとして、コレ、図書館の立地としてアカンやつ?- 旅行時期
- 2019年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
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投稿日 2020年05月13日
総合評価:3.0
1534〜37年にアントーニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョーヴァネの設計で建てられた要塞です。
フィレンツェの南の丘にある ヴェルヴェデーレ要塞のヴェルヴェデーレが「美しい眺め」の意なら、
フィレンツェ北西にあるバッソ要塞のバッソは「低い」 の意。
大砲が発明されてから、それに対応する為に低めで厚い壁になっています。
正式名はフィレンツェの守護聖人の名から 「サン・ジョヴァンニ・バッティスタ要塞」
北海道・函館にある五稜郭と同じ稜堡式城郭との事で、
ジョットの鐘楼に登れば雪の結晶のような星形の外周の形がわかるかなと期待しましたが、メディチ家礼拝堂のクーポラと中央市場の屋根の間の先にファエンツァ門とその付属の物見台(?)が埋もれているように見えるだけでした。- 旅行時期
- 2019年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
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投稿日 2020年05月01日
総合評価:3.0
フィレンツェ生まれで「神曲」を書いたダンテが
生涯愛し続け「神曲」にも登場させている女性ベアトリーチェと出会いひと目惚れした教会です。
しかし二人は結ばれず、それぞれが別の異性と結婚したのもこの教会。
ダンテは結婚後、妻とはうまくいかず別居。
ベアトリーチェも24歳の若さで亡くなり、この教会にお墓があります。
教会内のベアトリーチェのお墓のそばには籠がおかれており、
その籠に恋の悩みを解決してほしいと祈りの手紙を入れるとご利益があると言われています。- 旅行時期
- 2019年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
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投稿日 2020年05月01日
旧サンタ マリア デリ アンジェリ礼拝堂 (ブルネッレスキのロトンダ) フィレンツェ
総合評価:3.0
元はサンタ・マリア・デリ・アンジェリ修道院の片隅にあった小礼拝堂で、
ブルネッレスキの設計によることから「ブルネッレスキのロトンダ(円形建築物)」とも呼ばれています。
8角形のクーポラを16角で支えている設計のが肝らしいので、
上から見て見ようとしたのですが、
ジョットの鐘楼からでは障害物もありイマイイチでした。
現在は大学の施設に転用されているそうです。- 旅行時期
- 2019年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
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投稿日 2020年04月24日
総合評価:3.5
「ベルヴェデーレ」はイタリア語で「美しい眺め」の意
なので、この要塞に限らず、オーストリアのベルヴェデーレ宮殿等
「ベルヴェデーレ」の名の付く施設は各地にそこそこ有るように思います。
フィレンツェのベルヴェデーレ要塞は1500年代末にフェルディナンド大公1世の要請で建て建てられた要塞です。
ピッティ宮とはボーボリ庭園を挟んで秘密の通路でつながっていて、
戦時下や疫病が蔓延した際の避難場所、又は、メディチ家の財宝の保管場所としての役割も果たしていたそうです。
ベルヴェデーレ要塞とピッティ宮を同じフレームに納めた写真を撮っていなかったのが悔やまれますが、
ヴァザーリの回廊がヴェッキオ宮を起点に ウフィツィ美術館→ベッキオ橋→ピッティ宮を経て、秘密通路でピッティ宮→ベルヴェデーレ要塞へと繋がっているかと思うと、
意図せずヴェッキオ宮とベルヴェデーレ要塞と言う終始点を1枚に収めた写真を撮っていた分だけ、私GJ!- 旅行時期
- 2019年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 2.5
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投稿日 2020年04月24日
総合評価:3.5
私の中でサンタ・マリア・ノヴェッラ教会と並んで、正面からと側面からの印象ががらりと変わる教会という覚え方をされてしまった教会。
ジョットの鐘楼からだと、赤茶色の街の中で白い大理石を基調としたファサードは存在感がありました。
サンタ・クローチェ教会は1385年に完成したフランシスコ会の教会で、
大理石を用いたファサードは1857年から1863年にかけて
ユダヤ人のニコロ・マタスにより設計され後付けされたものとの事。
ファサード両脇の小三角形には十字架を挟んで
A(アルファ=α)とΩ(オメガ)が記されており、
聖書ではAとΩは万物の最初と最後を意味し、
永遠の存在者である神とイエスを指すそうです。- 旅行時期
- 2019年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
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投稿日 2020年04月23日
総合評価:3.0
現在サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の建っている場所には、
サンタ・レパラータ教会が建っていました。
その教会の遺構がドゥオーモの地下に残っていて有料で見学できるようになっています。
見学の入口はドゥオーモ内の大時計に向かって左側に階段があるので降りていってください。
床のモザイクがけっこう残っていて、特に孔雀の意匠が印象に残りました。
ドゥオーモ建設時に埋め立てたのでしょうが勿体ないと思いました。- 旅行時期
- 2019年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.5
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 展示内容:
- 3.0
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投稿日 2020年04月23日
総合評価:3.0
ガリレオ・ガリレイ縁の地としてはピサのイメージが強かったのですが、
幼少の頃に家族でフィレンツェに引っ越していたり、
コジモ2世の家庭教師を請け負った事があったり、
木星の衛星を発見して「メディチ家の星」と名づけたり、
晩年はフィレンツェ郊外で没していて(←↓この二つは知ってた)
サンタ・クローチェ教会に葬られていているのも納得のフィレンツェと縁の強い人物だった事を知るきっかけになった博物館でした。
ガリレオ自作の望遠教やガリレオの指と歯が展示されていますが、
メディチ家が途絶えたあと、トスカーナ公国を継承したオーストリアのロレーヌ家の科学コレクションが元のようで、2010年まで科学史研究所博物館と言う名称でした。- 旅行時期
- 2019年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
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投稿日 2020年04月23日
総合評価:3.0
ミケランジェロ広場とはまた違った角度でフィレンツェの街を見下ろせるスポットです。
世界遺産に登録されているメディチ家の別荘のひとつがあります。
行きはサンタ・マリア・ノヴェッラ駅前から終点まで、
帰りはサンマルコ広場で下車予定で、
片道それぞれ7番のバス(ATAF)で30分ほどと行く気満々で下調べもし、
メディチ家の別荘見学は要予約なので出国前から諦めた分、
あわよくばバスの90分有効券1枚で往復できないかと計画していましたが、
あいにく天気も悪く、期待する眺望も望めないだろうと断念してしまいました。
とりあえず下調べしておいたおかげか、ジョットの鐘楼からフィエーゾレの町は識別できたので妥協。
※交通の要衝であるサンタ・マリア・ノヴェッラ駅前はいわずもがな、
サンマルコ広場にもタバッキがあったので、
開店している時間帯であればバスの乗車券購入は可能だと思われます
サンマルコ広場バス停の電光掲示板周辺には券売機はなかったように思う※- 旅行時期
- 2019年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 半日
- 景観:
- 4.0
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投稿日 2020年04月22日
総合評価:3.0
フィレンツェは「フィレンツェ歴史地区」として1982年に既にユネスコの世界遺産に登録されていましたが、
2013年に更に「トスカーナ地方のメディチ家の邸宅群と庭園群」としてメディチ家ゆかりの12の館と2つの庭園の14ヶ所が登録されました。
それらのうちピッティ宮の後方に広がる「ボーボリ庭園」も含まれ、フィレンツェ観光にきたのなら一番アクセスしやすい構成遺産ではないでしょうか。
また「ヴィッラ・メディチェア・ア・フィエーゾレ」もフィレンツェからバス1本で行きやすいので見学を検討しましたが、グループのみ予約にて見学可との事だったので断念しました。
ただ、ジョットの鐘楼からズームするとけっこう建物側面が見えたので
せめてもの慰めと次回の目標になりました。(判別がついたのは事前予習の賜物もあるのだろうけど…)- 旅行時期
- 2019年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 半日
- アクセス:
- 3.0
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投稿日 2020年04月22日
総合評価:3.0
メディチ家の菩提寺に相当するサン・ロレンツォ教会付属のラウレンツィアーナ図書館はメディチ家出身の法王クレメンス7世が一族の蔵書を1カ所に集める為に作らせたものです。
見どころはミケランジェロが設計した優美な曲線とシンプルさを同時に湛えた玄関ホールの階段や88台あると言う書見台の並ぶ閲覧室です。
当時は本自体、美術品で表紙等の装丁は個人で特注するような高価なもので、いくつか開いた状態で展示されたりしていますが、
トリニティ・カレッジ図書館(アイルランド)やザンクト・ガレン修道院図書館(スイス)
みたいな趣きのある本の圧倒的書棚の空間と言うわけではないです。- 旅行時期
- 2019年01月
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0
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投稿日 2020年04月22日
総合評価:3.0
ヴェッキオ宮殿の外壁にはかつてトスカーナ大公国の共和国に加盟していた都市の紋章が、ずらりと並んでいます。
コレ、外壁に直接描かれてるのかと思っていたら、
窓だったのだと現地を訪れて初めて気づきました。
中世の歩廊はその紋章の上段の部分を指すのだと思います。
出っ張った構造になっているところをみると、
下にいる攻撃者に向かって岩石や熱湯、熱した油等を落とす出し狭間なんでしょうけど、
下のシニョーリア広場にある美術品を考えると
これらの防御機能が使用された事あるんだろうか…- 旅行時期
- 2019年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
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投稿日 2020年04月22日
Complesso di San Firenze フィレンツェ
総合評価:3.0
『ダ・ヴィンチ・コード』で有名になった小説ラングドン教授シリーズ4作目『インフェルノ』の舞台巡りとして、冒頭に出てくるバディア・フィオレンティーナ教会(の鐘楼)周辺を散策時に通りがかりました。
ローマで有名ドコロの教会等を巡った時に白壁な外観のバロック建築を多く見たせいか薄茶系の壁のバロック様式のファザードがちょっと新鮮にうつりました。
また、バロックの流行った頃にはフィレンツェのメディチ家の全盛は既に過ぎ去ろうとしていた頃&それ以前の様式で街が成り立ってしまっていたので、フィレンツェ内でも異質に感じられるのか印象に残ります。
ファザードは1749年に作られたもので、作成当時2軒並びであった教会(と修道院)を内包させ統一感を持たせたものになったようです。- 旅行時期
- 2019年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0
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投稿日 2020年04月22日
総合評価:3.0
ジョットの鐘楼の斜め向かいの角地にやたらと装飾の凝った開廊があり、
ぼんやりとドゥオーモ前の一等地でなければもっと注目されただろうにと思ったのを覚えています。
帰国後に調べたら現在は美術館として中に入れるそうで、鐘楼やドォーモ、洗礼堂に目が行きがちで、まともな写真を取っておかなかったのと合わせて悔やまれます。
もともとはフィレンツェの貧民・窮民救済に尽力していた慈善団体「ミゼリコルディア大信徒会」が使っていた建物で、
その後、1425年に「ビガッロ隊」という孤児救済の宗教団体に引き継がれたそうです。- 旅行時期
- 2019年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0
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投稿日 2020年04月22日
総合評価:3.0
メディチ家が執政所にしていたヴェッキオ宮や現ウフィツィ美術館から
ヴェッキオ橋上階を通して、居城としていたピッティ宮殿までを繋いだヴァザーリの回廊は
このサンタ・フェリチタ教会をも経由しています。
メディチ家の面々は教会正面入口から入ることなしに一度も外を歩くことなく2階のバルコニーから礼拝できていたとの事。
ジョットの鐘楼からでもこの教会の判別はつきましたが、
ヴェッキオ宮のアルノルフォの塔から見たらヴァザーリの回廊が繋がってる全景を見れるのではと思いました。
今は教会の鐘楼になっている塔は13世紀の神聖ローマ皇帝とローマ教皇の対立時代に皇帝派についたファイファンティ家(Fifanti)縁のものとの事。
ヴェッキオ橋を渡ってピッティ宮に向かう際のグイッチャルディーニ通りに面して、一般人向けの教会入口がありますが、簡素なのに加えて、手前に広場があってやや窪んだ奥まったところにある立地なので、見落とさないよう注意です。- 旅行時期
- 2019年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0
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投稿日 2020年04月22日
総合評価:3.0
13世紀末にアルノルフォ・デ・カンビオにより建設が始まったフィレンツェの城壁。
1324年にこのサン・ニコロ門が城壁に増築され、
アルノ川対岸のゼッカ塔とともにアルノ川要塞を構成していたそうです。
その後、他の城門が低く改修されていくなか、
サン・ニコロ門は当時のままの高さで残っているおかげか、
ジョットの鐘楼からでもパルジェッロ国立博物館の塔とサンタクローチェ教会の間、
国立中央図書館の向こう側に3階層構造の塔になっているのが判別できる程度には見えました。- 旅行時期
- 2019年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 2.5
- コストパフォーマンス:
- 3.0
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投稿日 2020年04月22日
総合評価:3.5
共和国広場の大アーチ門を抜けた西側にある一区画を占めるような建物は、
銀行家フィリッポ=ストロッツィがメディチ家に対抗して街一番の邸宅を建てようとしたものです。
中世の密接した住宅事情の中で15軒分の建物を買収して用地確保しただだけに、上から見ると存在感や重量感を感じました。
1489年頃に建築が始まり2年後の1491年にフィリッポ氏死亡、
建築は1538年のストロッツィ家の亡命で終わり、政敵であったメディチ家に没収されてしまいます。
なので南側のファサードが未完。
同じくメディチ家に対抗して建てようとしたピッティ宮がストロッツィ宮より前の1457年着工、1472年ルカ・ピッティの死去により中止、
1550年頃からメディチ家の宮殿として建築再開ですから、
フィリッポさん、ピッティと同じ轍を踏んだなぁと言う印象を受けてしまいました。
ちなみにメディチ家はピッティ宮を改修する際に中庭はストロッツィ宮殿が入る大きさと言う注文をだしたそうな。- 旅行時期
- 2019年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0
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投稿日 2020年04月22日
総合評価:3.0
サンタ・マリア・ノヴェッラ教会の東側にある広場と呼ぶには微妙に雑多な敷地です。
(サンタ・マリア・ノヴェッラ教会前の広場が整備されてるだけによけいに…ロータリーっぽさが際立つ)
ウニタ・イタリアーナ広場は日本語に訳すと「イタリア統一広場」
イタリア統一戦争の戦没者を追悼する記念碑が聳え立っています。
ホテルへの帰途中に遭遇して、グランドホテルバリョーニ前に回り込んで、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会を背景に記念碑の写真を撮影した方が絵になるかなと思いつつ、
サンタ・マリア・ノヴェッラ教会で買いこんだローズ水や石鹸が意外に重くて、別にこだわらなくてもいいやとなげやりにシャッターを切った思い出。
今にして思えば慰霊碑に対して敬意がなかったと反省。- 旅行時期
- 2019年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.5
- 景観:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
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投稿日 2020年04月17日
サンタ マリア デル カルミネ教会 (ブランカッチ礼拝堂) フィレンツェ
総合評価:3.0
ジョット・ディ・ボンドーネによって開かれたイタリア・ルネッサンスへの扉は
夭逝の画家マザッチョにより決定的となったと言われています。
そのジョットがフィレンツェの中心地に設計したジョットの鐘楼から、
科学的に遠近法を取り入れた初めての人と評価されるマザッチョが残したブランカッチ礼拝堂(聖三位一体)のあるサンタ・マリア・デル・カルミネ教会が見れ、
二重の意味で伝播と遠近について考えさせられる教会だなと思いました。- 旅行時期
- 2018年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0

























