Decoさんへのコメント一覧(32ページ)全654件
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気配の存在
Decoさん、おはようございます。人の営みの跡は、なかなか消えるものではないと、貴旅行記を拝見して、再認識。丹念に歩かれて、目を留められていることに、私は惹きつけられました。大人の歩きの醍醐味。物を知る楽しさ。ああ、確かにこの尾根道を重い足取りで行き来する人々が見えます。
この社宅のお写真を掲載してくださってうれしいです。串本のある地区を歩いたことを思い出しました。豪壮なお屋敷保存も大事ですが、このような社会の底辺を支えた人々の暮らしが垣間見える建物こそ大切と思うのです。今の私につながっているのですから。Re: 気配の存在
mom Kさん 、こんにちは。
お褒めのお言葉をいただき、恐縮です。私もmom Kさんの、自分の足で歩いて、感じ、観察し、考える旅行記に惹かれています。
藩政期に採炭された場所は、たいてい大正期に終わっており、既に百年。その痕跡を探すことは困難ですが、おっしゃるようにかつて多くの人が働き、動き、生活の場があったのです。私の旅行記をご覧いただいて、当時のことを想像していただけるのは、本当に嬉しいことです。
社宅跡は、遠景のみに留めようと思いましたが、まだ棟番号が付いた昔の建物が残っていることを知り、どうしても見てみたくなり、あまり時間がなかったのですが行きました。当時の社会を支えていた産業で働いていた人々の生活が営まれていた建物。炭鉱や他の三井系の企業の社宅が殆ど見られない今、あの建物を見られて本当に良かったです。
今からみれば質素な建物ですが、当時(1950~60年代)は普通で、社宅があることで生活も助かったと思います。
当時社宅に住んでいた人々の中には、社宅がなくなって再開発されても、同じ場所や近くの場所に家を建てて住んだりする人も少なからずいるようで、やっぱり長年暮らしていた土地に愛着があるのではないかと思います。
mom Kさんのコメントに力づけられ、また自分で意識していた以上に深く旅行記の内容を感じ取っていただいたき、ありがとうございます。
Deco2023年09月29日14時35分 返信する -
日本人と石炭
Decoさま、おはようございます。
旅行記を篤と拝見させて頂きました。
日本人は幕末に至るまで石炭の利用法が全く解らず、明治初期ですら石炭の実物に接したのは鉄道か煉瓦製造関係者だけだったものが、燃料としての利用価値を知り急速に広まったものでした。
筑豊地域炭鉱は八幡製鐡所向けだったのに対し、大牟田荒尾地区の石炭最大利用は鉄道関係だった様で、大東亜戦争中は連合軍捕虜を駆使し石炭堀に明け暮れさせた事実も残っております。
戦後も、三井財閥グループ社長会で三井炭鉱は最前列席を与えられたものが段々後ろに下がる様になり閉山時には最後部列席だったそうです。
大牟田に於ける三井財閥の残滓は三井銀行の名残で三井住友銀行支店が残っている事です。
何もかも昔の面影だけになってしまいました。
横浜臨海公園Re: 日本人と石炭
横浜臨海公園さま、こんばんは。
江戸時代の石炭、瀬戸内の製塩、また瓦の製造などに使用されていたそうですが、その本当の力はおっしゃる通り、燃料としての使用で発揮されるもので、西洋近代技術の源になった力ですね。
炭鉱(三井鉱山)は、かつては銀行、物産と並ぶ三井の稼ぎ頭でしたが、1950年代末からのエネルギー革命で急激に凋落しました。既に1970年代、大牟田における三井系企業の中の存在感は三井化学(当時は三井東圧化学)の方が大きかったように感じています。
炭鉱の衰退は時代の流れの中で避けられなかったと思いますが、三池争議後の旧労と新労の対立は、労組だけでなく会社そのものの力をさらに減じてしまったように思えます。働く人同士がいがみ合うようでは、会社としての発展は考えられないのではないかと思います。
三井住友銀行の周辺の町はすっかり寂しくなりましたが、銀行は今もクラシカルな佇まいを、昔も今も変わらず見せています。
Deco2023年09月25日19時37分 返信する拝復
Decoさま、こんにちは。
早速の御返事を賜りまして、誠に有難うございまいた。
兎に角、労働組合の抗争は近親憎悪に繋がり、憎しみのぶつけ合いに均しい状態が会社の業績を更にスパイラル状に悪化させたのは事実だと思います。
同じ事が国鉄末期にもあり、東日本は会社側が強い姿勢で臨んだ為に終息安定しましたが、西日本や北海道などは現在でも騒動の尾を引いていると言って過言でなない状況です。
連合軍捕虜収容所として使用されていた時代で、終戦後に当時の朝鮮人看守数名が捕虜虐待の容疑で進駐軍に逮捕され、B級裁判で絞首刑判決を受け執行されております。
横浜臨海公園
2023年09月26日12時42分 返信する -
龍湖瀬エリア!!
Decoさん
こんばんは(^^)
三池炭鉱は長年三井一社が独占して採掘していたのですね!
写真を拝見しますと龍湖瀬エリアも凄く奥深い谷間で藪を進んで険しく見えます!
所どころ、石組や石造物を見ますと石炭を運んでいた痕跡が見えますね。社もあったようですね!
Decoさんの三池炭鉱への歴史探索のこだわりが感じますよ(^^♪
周辺にも笹谷坑、芋谷坑、長谷坑があったのですね!
笹谷には三潴県監獄拘禁場があって過酷な囚人労働からすると、考えられないほど大らかな環境のようですね!
順照寺には合葬之碑があって囚人の人々を手厚く供養されているのを拝見しますと心が落ち着きます!
たしか巨人軍の原監督も生まれは大牟田でしたね!
龍湖瀬も静かな土地ですが石炭全盛時は賑やかだったでしょうね(^^♪
ma-yuRe: 龍湖瀬エリア!!
ma-yuさん、おはようございます (=^・^=)
三池炭鉱の三井一社の独占だった…まさしくここが三池炭鉱の特徴、筑豊や他の地域と異なるところです。だからあれだけ大々的に開発され、炭鉱鉄道や三池港も建設されたのだと思います。
初期の炭鉱は人出不足で、囚人労働に依存していました。それは危険で過酷、刑務所での待遇も酷かったようです。
それから考えると笹谷の拘禁場は考えられないほど大らか。多分、労働によって罪を償うという意味あいだったのだと思います。
龍湖瀬坑跡は貴重な史跡ですが、御覧のように藪というか、木が生えていて…どんどん崩れていくのではないかと思います。見ておいて良かったです。お社は…炭鉱は危険な労働ですから、昔からの坑にも設けられていたのでしょうね。
合葬の碑は、派手な施設ではありませんが、多分順照寺の方が掃除や手入れをされているのだと思います。私もあのお花をみてほっとする思いでした。
原監督は公的には神奈川の出身ということになっていますが、大牟田のご出身。当時この地は三池争議や炭じん爆発で非常に厳しく悲しいイメージがありました。多分、ご家族がそのことを考えられてのことだったのだと思います。
龍湖瀬も、以前紹介した小野家の平野山も、今は山々に囲まれた静かな住宅街になっています。採炭が終わったのも百年前、その後社宅が建てられ、それも再開発されました。だから龍湖瀬に木造社宅が残っているのはとても貴重に思えました。
マニアックな旅行記を丁寧に読んでコメントをいただき、ありがとうございました(#^^#)
Deco2023年09月25日05時00分 返信する -
磊庭とは
Decoさん おはようございます。
最後まで御覧いただきありがとうございました。
と、ご挨拶のあとに、しっかり、もひとつ旅行記があったので、持ったグラスを落とすほどびっくりしました。 と、すこしオーバーなリアクションになりました。
磊と言う字は読めなくても意味はわかりますよね。きっと石がたくさん転がっていることを指すのだろうと。
辞書で調べたら、そのとおりでした。らい と読んで、豪放磊落、ごうほうらいらくと言う言葉は知っていましたが、磊はむずかしいですよね。こちらは心の広い意味があるそうです。
蛇のお墓は初めて聞きました。蛇は見るからに好きにはなれませんが、生きとし生けるもの、意味なく排斥してはいけないですね。昔の人の優しい心を見た気がしました。
売り上げの一番少ない道の駅、誰でも行ってみたいし、応援したくなりますね。
大ハードカレー、味はどうなんでしょうか、おいしいというイメージは湧きませんね(笑)。
ガラスの巨大な温室跡、一生懸命に考えましたが、アイディアがうかびません。
夏には暑くて、冬寒い、これじゃ私の家と同じじゃないですか、アイディアが浮かばないのも当然です。
pedaruRe: 磊庭とは
pedaruさん、こんばんは。
旅行記の構成ですが、かなり強引に二つの旅行記を繋いでしまいました。
個人的に、道の駅の苦境と、社長さん&スタッフの皆さんの奮闘を見て、応援したくなったのですが、単独で旅行記にするには写真などが足りずに、あじさい旅行記にくっつけて…実は公開する際にかなり迷いましたが、早く出すことで少しでも応援できればと思いました。
磊…漢字変換が難しいだろうとネット上からコピペしたのですが、pedaruさんがおっしゃるように”豪放磊落”の磊の字でしたね。ちょっと変わったお庭でしたが、不思議と広がりを感じて癒されるお庭でした。
蛇の墓ですが、当地には龍神伝説、水神伝説があり、蛇は水や農業の神様…なのだそうです。私も蛇は大の苦手ですが、自然と共にあった昔の人には大切な存在だったのかも知れません。
大ハードカレー、確かに美味しいというよりハードなイメージ(笑)
でも、赤牛のスジ肉がたっぷり入っているそうなので、美味しいのではないかと思います。
ガラスの巨大温室。あの広さにあの天井の高さ…難しいですね。
歴代の指定管理業者も、利用方法を模索していたと思いますが、やっぱり難しかったのでしょうね。改修しようにもお金がかかりますし。
夏暑く冬寒い…実は私の家も(泣) 今時の断熱の効いた家が羨ましいです(^^ゞ
Deco2023年09月18日19時18分 返信する -
紫陽花でひんやり~.。o○
Decoさん
こんにちは!
(昨日旅行記を拝見してたのに、いいね!を押し忘れて戻って参りました)
昨日は東京も朝から蒸し暑かったですが、紫陽花の写真でひんやりさせて頂きました。
磊庭(すみません読めないのでコピペです)の山肌にポツポツと咲く紫陽花と緑の風景がとっても素敵!です。
日本ならではの美しさですね。
え、これ古代の落石なんですか?!
境内の紫陽花の小路も素敵!
青が多いのですね。ホントに涼しげに見えます。
石像さんも蛇のお墓も、紫陽花がとってもお似合い☆です。
「道の駅おおむた 花ぷらす館」の社長さん、インパクトありますね。
社長さんがカレーのコスプレで毎日店頭に立つと、売り上げがド~ンと伸びる様な気がしますが…。
蜂蜜は透き通っていて、みかんの蜜というのが興味をそそられます。
こんにゃくもプリプリして美味しそう(^-^)
近くにあればぜひ買いに行きたい、と思いました(^_^)v
こたまま
Re: 紫陽花でひんやり~.。o○
こたままさん、こんばんは。
本当に…今年は暑い。いや熱い!
九月に入って朝晩涼しくなったと思っていたら、今日はまた朝から暑い!
…で、磊庭は”らくてい”ということです…すいません。私も漢字変換ができなさそうなので、他からコピペして旅行記に入れ込みました(^^ゞ
あのお庭はちょっと不思議な感じでした。
山麓の山肌、竹林の下に落石がたくさんあって、その周囲に紫陽花や木々が配置されていて。人工のような自然のような。それでいて不思議な開放感がありました。
石像も蛇のお墓も、適度に古びて、そこが良い感じでした。
花ぷらす館の社長さん、この旅行記の写真でもインパクトがありますが、テレビで見たときは、その比ではなくて、キョーレツでした…
あのコスプレ、短期的にはお客さんが引いてしまいそうな気もしますが、長期的には話題を呼んで集客&売上アップに貢献するかなと思います。
テレビの中でも、小さい子供がコスプレの社長さんと記念撮影している場面がありましたから。私が行った時は普通の服で、ちょっと安心した半面、コスプレを見られなかった無念さもありました…(笑)
蜂蜜は早速パンに塗って食べたら、爽やかな甘さで美味しかったです(#^^#)
Deco2023年09月16日19時58分 返信する -
紫陽花とお寺は、、
こんばんは!Decoさん!
紫陽花は、
いつ見ても、いいです。
なんで、こんなにひかれるのでしょうね、
私達、日本人のDNAに組み込まれて
いるんでしょうか…
大牟田では、あまり無い?紫陽花寺なんですね。
定林寺と磊庭。
あまり作り込まず、自然のままに、
しかし、きちんと手をかけている雰囲気が
伝わります。
薄紫、赤紫、清楚な白の紫陽花。
心奪われます。
タイミングよく、ご覧になれてラッキー!!ですね!
お庭に紫陽花があるんですか?すごいー、
綺麗に咲かせていらっしゃいます(*^^*)サスガ
なんと!
不人気ランキングの道の駅…
しかし、ダイ・ハード(笑)死ぬもんか!と、
社長さんの、キャラだちすごい( ̄O ̄)
温室、もったいないですね。
高さがあるから、、ロッククライミングの
施設とか、なが~いブランコとか?
植物や動物を入れるよりは、
維持費はかからないかもですね(  ̄▽ ̄)
頑張ってほしいなあ!
ありがとうございました!!
コトラ
Re: 紫陽花とお寺は、、
マダム、おはようございます。
定林寺の紫陽花は、昨年も取り上げて、見てくださった方には申し訳ないとも思いましたが、お庭も見ることができたし、旅行記にしました。
磊庭は…今まで紫陽花を見るだけで、なかなか奥のお庭まではいかなかったのですが、今年は見られてラッキーでした。
マダムがおっしゃるように”作りこまない”お庭で、あの落石に紫陽花に周囲の緑には、はっとしました。私の写真では伝わりにくいのですが、山の斜面で広がりと自然の美しさを感じられて心癒されました。
大・ハード…あのコスプレは凄くて、最初は引くけど妙に気になって。これが社長さんの戦略なのかも。
あの温室は…私がよく行く玉名の花の館のようにガーデニング・カフェにすればと思いましたが、あのガラス張りと天井の高さでは難しそう。ロッククライミング、良いかも知れませんね。あの建物の特徴を逆に活かすアイデアがあれば…と思いますが、難しい~(^^ゞ
Deco2023年09月16日05時02分 返信する -
磊庭!!
Decoさん
こんにちは(^^)
定林寺は大牟田の有名なあじさいスポットですね!
私の好きな青のアジサイが多いように感じますが?
三池山の麓で自然に囲まれるお寺にはアジサイがお似合いですね!
また磊庭といわれる庭は古代の落石の跡にアジサイを!
大きな石にアジサイと林のコラボがステキで綺麗です!
タイミングよく見学出来て良かったですね(^^♪
また自宅のお庭のアジサイも立派で綺麗!
別の日に「道の駅おおむた 花ぷらす館」にも行かれたんですね! 福岡県内道の駅で9年連続売上最下位ですか!
「大・ハードカレー」のポスター、たしかに少し引いてしまいそう(汗
それにガラス張りの広いスペース、夏は暑く冬は寒くゆっくり買い物出来ませんよね(汗
立て替えも資金が・・・ですね!
ma-yuRe: 磊庭!!
ma-yuさん、こんばんは (=^・^=)
定林寺は、多分大牟田では数少ないあじさいのスポットです。
おっしゃるように、青のあじさいが多くて、その中にポツリポツリと赤いあじさいが見られます。
磊庭は、いわゆる庭園というよりも自然をそのまま活かしたお庭で、他のお庭とはちょっと違う癒され感がありました。
コロナであまり公開していないようですが、ちょうどタイミングが良くて見られてラッキーでした。
自宅のアジサイは、定林寺をアップした勢いで載せちゃいました(^^ゞ
花ぷらす館は、四年程前に指定管理業者が変わったのですが、ちょうどコロナが始まった時期と重なってしまって不運でした。あの温室風の部分だけでなくて、建物自体が変な風に区切られていて、広さだけでなく商品のレイアウトも難しそうです。
あのガラス張りに高い天井。冷暖房が追い付かないようで…開館時はガーデニングコーナーだったのですが、いつの間にかなにもなくなってしまって…。内側にもう一つ壁を作って断熱するとかしないと難しかな~と思ったりもします。
社長さんのコスプレ、取材したテレビのスタッフさんたちも圧倒されたようです…。だから普通の服の社長さんを見てちょっと安心したのですが、でもやっぱり心のどこかであのコスプレの実物を見たかったのだと思います。
Deco2023年09月15日19時49分 返信する -
定林寺のあじさいと磊庭
Decoさん こんにちは~♪
表紙にされてる紫陽花咲くお庭
素敵ですね~
残暑厳しい毎日に疲れ気味ですが
紫陽花に癒されてました・・・
こんな素敵なお寺さん
近くにあったらいいなと思いながら楽しませてもらいました
roko
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せめてなりたや、殿様に・・・
Decoさん、こんにちは。
こちらでは、傳吾様には及びもないが、せめてなりたや殿様になんですね・・・
6月に旅行した、山形県の酒田市では
本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様にでした。
酒田市での 北前船を中心とする本間家の栄華は
本当に計り知れず、今でも残っている本間邸などを見ると、
当時が偲ばれました。
三池炭鉱では、藤本傳吾さんなんですね。
昔の日本のお金持ちというのは、
貧しい人に分け与えることを忘れなかったような気がします。
横浜の三渓園を有する原三渓さんも、やはりそうでした。
しかし、今の世界のお金持ちは、
世界の富の80%以上を有しながら、
貧しい人に分け与えることなど全く考えていずに、
税金すら納めない方法を考えているという
不道徳な人が多いようです。
いつからそんな時代になってしまったのか解りませんけれど、
資本主義の行き着く先が貧富の差の拡大ですので、
やはりこれは何とかして止めないと、と思いますね。
SDGsと言いますけれども、
恩恵に預かっていない貧しい国の人々が
一番被害を受けていると言うのは心が痛みます。
ひとりの力では何もできないけれど、
もう少し世界が変わっていかなければと、最近は危機感を感じています。
yamayuri2001Re: せめてなりたや、殿様に・・・
yamayuri2001さん、こんばんは。
藤本傳吾家、柳河藩主をしのぐ富を築いたと言われていますが、採炭権を取り上げられて数年後には困窮してしまったそうです。
石炭長者としては三代に渡っていたのですが、古い旧家のお金持ちに比べれば現金以外の富の蓄積が少なく、俗な言葉でいえば「成り上がり」だったのかも知れません。採炭のみに依存した富だったのではないかと想像しています。多分、本間家と比べると富の蓄積はかなり少なかったのではないかと思います。
同じ三池の町には、恐らく平安時代から続く旧家があったそうで、いくつかの有力な家に別れ、それぞれに分家や親戚があり、一族としての繋がりが富を保持していたのかな、と思います。
傳吾が籠からお金をばら撒いた話は、いかにも石炭長者らしい派手な話ですが、経済的に苦しい人々は随分助けられたと思います。見方によっては”派手”な振る舞いですが、別の見方をすれば社会福祉的な側面もあったのかも知れません。
私は南米に滞在したことがあって、かの地は断続的に社会主義的な政権が生まれていますが、やっぱり社会主義的政策では経済的に豊かにならないように思います。ただ、社会主義的政権が誕生するにはそれだけの理由(貧富の差が激しいとか)があるのですよね…。
その一方でyamayuri2001さんがおっしゃるように世界の富の80%がごく一部の人々のものであるというのは、いびつな構造で、経済面のみならず温暖化であるとか環境面でもマイナスになっているのかもしれません。競争と一定の平等を並立させることが必要かと思いますが…このバランスを取るのが難しい、けどやっていかなければならないのでしょうね。
Deco2023年09月12日18時24分 返信する -
栄光から没落!!
Decoさん
こんにちは(^^)
今回は江戸時代後期で財を築いた藤本傳吾さんゆかりの場所を散策ですね!!
巨万の富を築いただけでなく困窮者を集めて採炭に従事させて地域の活性化にも貢献されたのですね!!
藤本傳吾邸跡地も今は街並みですが当時の邸宅は凄い御殿だったでしょうね!!
でも初代・藤本傳吾さんも放蕩により親族に追放、「天狗に」なったのかな?
藤本傳吾さんは三代まで続き、二代目は奢れることなく多くの人と交流があり、人当たりがよく好かれる人だった様ですね(^^)/
藤本傳吾の盗掘のエピソード、そして三代目は採炭権を召し上げられてしまいましたか!!
歴史にはあまり詳しくありませんが初代から三代目までの栄光から没落までの歴史が少し判りました。
勉強になりました。(^^♪
ma-yuRe: 栄光から没落!!
ma-yuさん、こんにちは (=^・^=)
藤本傳吾は藩政期の三池炭鉱に必ずと言ってよいほど言及される人物ですが、残っているエピソードも断片的で、今回そのエピソードが三代の中の誰の話だったのか、推察してみました…が、なかなか難しかったです。
初代は剛腕というのか、やり手というのか、かなりキワドイこともやっていたようです。女性関係も派手だったようですが、その一方で追放されて戻ってきたものの、二代目から帰宅を拒否されたとか…弱い部分もあったのかも知れません。藤本傳吾の派手なエピソードは、初代のお話のように思えます。
二代目は、私が想像するに、剛腕だけどハチャメチャな父親を反面教師として手堅く経営を拡大したように思えます。社会的にもソツのない人物だったようです。ただし盗掘のエピソードからして、ここぞというときは強引ともいえる手法を取る強さもあったと思います。
三代目は採炭権を取り上げられたということ以外、エピソードは伝わっていないのですが…初代や二代目に比べると経営者としては押しが弱かったのかな~とも思います。でも、没落しても息子(卓爾)を藩校に通わせたりして
いるので、学問好きだったのかも知れません。
初代から三代、そして卓爾と、まさに波乱万丈の一族でした。
…ただ、藤本傳吾家は確かにお金持ちでしたが、当時の三池の町には石炭関係の問屋だとか、百済王の子孫にして源実朝とも関わりがあったという名家もあったりして、こちらの方が目立たないけど強い経済力を持っていたのかも知れません。
藤本家のお屋敷は広壮で立派で、旅で三池の町を訪れた人びとは、藩主の御殿と間違ったそうです。そんなことも、三池藩主の怒りを買ったのかも知れません。
マニアックな旅行記を読んでいただき、コメントもいただきまして、ありがとうございます。
Deco2023年09月04日19時05分 返信する



