河南・太子の観光スポット ランキング
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3.36
評価詳細
- アクセス
- 3.57
- 景観
- 4.05
- 人混みの少なさ
- 3.60
- バリアフリー
- 2.29
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大阪─奈良の府県境を縦断する金剛葛城山系の主峰・金剛山(標高1125m)。山頂付近に葛木神社、修験道の祖・役行者が1300年余り前に開いたという転法輪寺がある。鎌倉時代末、楠木正成が立てこもって鎌倉幕府軍に抵抗した千早城跡も登山道近くにあり、その麗の金剛山登山口から千早本道を経て山上台地にある社務所へのルートが人気である。また、伏見林道からちはや園地(ちはや星と自然のミュージアムなど)に立ち寄りながら山頂に至るルートがあります。※2022年11月17日現在、金剛山ロープウェイは運休中
- アクセス
- 河内長野駅 より 南海バス「金剛山ロープウェイ前」行き乗車終点下車 、徒歩約70分
- 予算
- 【料金】 入山無料
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3.34
評価詳細
- アクセス
- 3.55
- 人混みの少なさ
- 4.50
- バリアフリー
- 2.81
- 見ごたえ
- 4.38
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新羅の征討、官位十二階の制定、十七条の憲法の公布、多くの寺院の建立など、聖徳太子ほどたくさんの事業をなしとげた人物は歴史上でも数少ない。叡福寺の北にある御廟の地は、太子が生前に選んだものといわれている。49歳で亡くなった太子とその前日にこの世を去った妃の膳部大郎女(かわしべのおおいらつめ)、さらに2ヶ月前に亡くなった母の穴穂部間人皇女(あなほべのはしひと)も同じ廟所に埋葬されたので、これを「三骨一廟」と呼んでいる。
満足度の高いクチコミ クチコミ一覧を見る静かに眠っているといった雰囲気があってとても爽やかです
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5.0
- 旅行時期: 2024/04
- by たびたび
聖徳太子御廟は、叡福寺の一番奥。一段高い場所にありました。三骨一廟とも呼ばれるのは、聖徳太子、太子の母である穴穂部間人皇女続きを読む
聖徳太子御廟は、叡福寺の一番奥。一段高い場所にありました。三骨一廟とも呼ばれるのは、聖徳太子、太子の母である穴穂部間人皇女、太子の妃である膳部菩岐々美郎女の三人が埋葬されているから。穴穂部間人皇女の前に聖徳太子と太子の妃が並ぶ廟窟内の図もありました。 聖徳太子は仏教を受け入れたというだけではなく、後世は聖徳太子そのものが信仰の対象となっていったのですが、ここではそうした匂いはほとんどない。静かに眠っているといった雰囲気があってとても爽やかです。
- アクセス
- その他 近鉄長野線「喜志駅」下車 金剛バスに乗り換え「上ノ太子」行に乗車 「太子前駅」下車徒歩すぐ
- 予算
- 【料金】 境内自由 寺宝館 200円
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-
3.33
評価詳細
- アクセス
- 2.70
- コスパ
- 3.90
- 人混みの少なさ
- 3.83
- 展示内容
- 4.13
- バリアフリー
- 4.00
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「近つ飛鳥風土記の丘」に建つ、古墳に関する博物館。日本の古代国家の形成や国際交流をさぐることができる。「日本古代国家の形成過程と国際交流をさぐる」をメインテーマとする古墳に関する博物館。「近つ飛鳥風土記の丘」全体を一望できるように設計され、また内部は、出土品が古墳の中に収められているかのように展示されている(安藤忠雄氏の設計)。展示物は、近つ飛鳥と国際交流/古代国家の源流/現代科学と文化遺産の3つのゾーンに分けられている。「近つ飛鳥と国際交流ゾーン」では、古墳時代?飛鳥時代/4世紀から7世紀に、一須賀(いちすか)古墳群から夥しい数が出土した剣や刀、金具、耳飾り、指輪などが。「古代国家の源流ゾーン」では、堅穴式石室や横穴式石室などが実物大で再現され、古墳のつくり方や内部などを説明。再現された築造当時の姿の「大仙陵古墳」の模型も。最後の「現代科学と文化遺産ゾーン」では、1978年に古市古墳群の三ツ塚古墳から出土した修羅とテコ棒をはじめ、水中遺跡の調査や地中レーダー探査、X線撮影など文化遺産を発掘に使用するさまざまな技術について説明。また、博物館では定期的に学芸員が案内・解説する周辺の文化財見学も実施し、野外の文化遺産と博物館の一体性を深める活動も展開しているそうだ。講座や講演、イベント各種なども行われている。
満足度の高いクチコミ クチコミ一覧を見る倭の五王と渡来文化
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4.0
- 旅行時期: 2024/04
- by たびたび
大阪府立近つ飛鳥博物館は、河内飛鳥、別名、近つ飛鳥の真ん中に建つ考古博物館。近つ飛鳥では、特に磯長谷は敏達天皇陵、用明天皇続きを読む
大阪府立近つ飛鳥博物館は、河内飛鳥、別名、近つ飛鳥の真ん中に建つ考古博物館。近つ飛鳥では、特に磯長谷は敏達天皇陵、用明天皇陵、推古天皇陵、孝徳天皇陵、聖徳太子廟があって王陵の谷とも。最初の「倭の五王と渡来文化」では、倭の五王の時代、5世紀の頃に朝鮮半島や中国大陸からもたらされた文化が咀嚼され、6世紀になって結実。その成果が横穴式石室など近つ飛鳥の遺跡に現れているという説明でした。 倭の五王は宋書に記された時代で5世紀。ヤマト政権の誕生ははっきりはしませんが、その前で4世紀のことと推定するのが自然です。日本に発生したヤマト政権は、邪馬台国のような大きなクニが進化したものと考えられていて、そうであるならば渡来文化を積極的に取り入れたことがヤマト政権につながるとも思えます。しかし、私はちょっと疑問。邪馬台国のような弥生時代のクニとヤマト政権は質的な違い、弥生時代と古墳時代の違いとも言っていいと思いますが、その違いは大きすぎて、文化を取り入れるといったレベルではないように感じます。やはり、そこには文化が伝わったことと合わせて、人の移動があったと考える方が自然。縄文時代が弥生時代に移行したのは弥生人の流入。弥生時代が古墳時代に移行したのも古墳人の流入。古墳人の流入の中にヤマト政権につながる一族が含まれていたのではないかと思うのです。その立場に立つと渡来文化は自分たちが持ち込んだ文化。それをベースにさらに渡来文化を取り入れていくということになって、まったく違う風景になってしまう。ヤマト政権を作った人々といわゆる渡来人は、単に渡来した時代が少しずれているだけ。古代の日本列島では絶え間なく、いろんな人々の流入があって、その中で時代が進んで行ったのではないか。「倭の五王と渡来文化」のように二つを対比させるような関係ではなかったのではないかというのが私の思いです。
- アクセス
- その他 近鉄長野線「喜志駅」より金剛バスに乗り換え「阪南ネオポリス行」終点下車
- 予算
- 【料金】 大人310円、高校生・大学生・65歳以上210円、中学生以下無料
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ピックアップ特集
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3.33
評価詳細
- アクセス
- 2.88
- 人混みの少なさ
- 3.63
- バリアフリー
- 1.71
- 見ごたえ
- 3.22
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鎌倉勢との戦いで下・上赤坂城が相次いで落城したのち、元弘3年(1333)、楠木正成が金剛山の険しい山腹(標高666m)のところに築城し、わずかな兵力で100日間龍城、鎌倉勢を釘付けにしたことが『太平記』などで伝えられている山城の跡。その間に、源義家(八幡太郎義家)を祖先とする河内源氏の一門・新田義貞らが鎌倉へ攻め込み、鎌倉幕府は滅亡。以降、千早城は元中9年(1392)、北朝方の畠山基国によって落城するまで、楠木家の根拠地として約60年間、使われていた。現在、千早城のあった跡地(国の史跡)には千早神社があり、正成・正行(まさつら)親子を祀っている。二の丸跡、三の丸跡なども付近にあり、さらにここから登山道を少し登ったところには「千早城跡五輪塔」が。地元では「首塚さん」と呼ばれ、正成や、その三男である正儀(まさのり)の供養塔と考えられているそうだ。
- アクセス
- 南海高野線「河内長野駅」 バス 南海バスに乗り換え「金剛山ロープウェイ行」に乗車 「金剛登山口」下車徒歩約30分
-
3.32
評価詳細
- アクセス
- 3.38
- 人混みの少なさ
- 3.63
- バリアフリー
- 3.83
- 見ごたえ
- 4.38
満足度の高いクチコミ クチコミ一覧を見る聖徳太子御廟を守護する寺
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4.5
- 旅行時期: 2024/04
- by たびたび
叡福寺は、聖徳太子御廟を守護する寺。聖徳太子は、生前、この地を自らの墓所とするよう定めたと伝わります。石段を上がって二天門続きを読む
叡福寺は、聖徳太子御廟を守護する寺。聖徳太子は、生前、この地を自らの墓所とするよう定めたと伝わります。石段を上がって二天門から境内に入るとすっきりとして、広々とした眺め。本堂である浄土堂と鐘楼が建っていても、一段高い場所にある聖徳太子御廟の視界を遮るものとはなっていないし、爽やかな風が通り過ぎていくような気分です。やはり中心は聖徳太子御廟であるという強いコンセプトが表れているように感じました。
- アクセス
- 上之太子(南大阪線)または喜志(長野線)からバス
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3.32
評価詳細
- アクセス
- 3.05
- 人混みの少なさ
- 4.00
- バリアフリー
- 2.67
- 見ごたえ
- 4.20
- 住所
- 大阪府南河内郡千早赤阪村
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3.32
評価詳細
- アクセス
- 3.14
- 人混みの少なさ
- 4.36
- バリアフリー
- 4.00
- 見ごたえ
- 3.58
満足度の高いクチコミ クチコミ一覧を見る遠くからでもその美しい姿がよく見えます
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5.0
- 旅行時期: 2024/04
- by たびたび
推古天皇 磯長山田稜は、太子町の市街南部の丘陵エリア。小高い場所にあって、遠くからでもその美しい姿がよく見えます。推古天皇続きを読む
推古天皇 磯長山田稜は、太子町の市街南部の丘陵エリア。小高い場所にあって、遠くからでもその美しい姿がよく見えます。推古天皇は、日本史上最初の女帝であり、摂政の聖徳太子と合わせて、飛鳥時代のもっとも安定した時代を築いたという印象が強いですね。 スタートは、先帝の崇峻天皇が蘇我馬子に暗殺されるという前代未聞の事件なのですが、ここからまったく違った結果を生むことに。ただ、その黄金期は当然蘇我一族の支えもあってのもの。その辺りは少し色眼鏡を取って考える必要もあるかと思います。
- アクセス
- 近鉄「喜志」からバス「御陵前」下車 南へ0.2km
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3.31
評価詳細
- アクセス
- 3.38
- 人混みの少なさ
- 4.33
- バリアフリー
- 2.50
- 見ごたえ
- 4.17
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葛城山麓にたたずむ役小角が開創したと伝えられる古刹です。西行法師終焉の地として知られ、境内に西行墳や本坊内に西行記念館があります。「願はくは花のしたにて春死なむ そのきさらぎの望月のころ」と詠んだ平安時代末期の歌人・西行がその歌の通り、桜の季節に生涯を閉じた地として知られています。葛城山の麓にあり、寺の周辺は桜の名所として知られ、天智天皇4年(665)役小角が開創、天平9年(737)行基が修行し、弘仁3年(812)空海が伽藍を一新したと伝えられています。畠山氏の兵火に遭い、一時は焦土と化しましたがその後、復興します。本堂その他の堂舎は再建され、現在に至ります。境内には西行の墳墓や西行堂、本坊の奥には、西行像や西行にまつわる絵画、書、資料などを集めた「西行記念館」があります。
- アクセス
- その他 近鉄長野線「富田林駅」より金剛バス③番のりば「河内」行に乗り、終点「河内」下車 約200m
- 予算
- 【料金】 本坊庭園拝観と西行記念館入館 大人500円/小人200円
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3.31
評価詳細
- アクセス
- 3.25
- コスパ
- 3.50
- 人混みの少なさ
- 3.25
- 展示内容
- 3.50
- バリアフリー
- 4.00
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日本最古の国道・竹内街道にちなんだ歴史を紹介する資料館。竹内街道(たけのうちかいどう)は、飛鳥時代につくられ、後に堺と奈良・当麻町を結ぶ全長約30kmに拡張された日本最古の「国道」。もともとは二上山で石器の材料とされたサヌカイトを採掘するための道だったものが、推古21年(613)に、難波の港から飛鳥の都をつなぐ官道として整備された。以降、仏教などの外国文化や外国からの使節がこの街道を通って都へ入った。710年に奈良の平城京へと都が遷された後は、聖徳太子信仰の高まりをうけて聖徳太子の眠る上ノ太子へ向かう人々に利用されたり、中世末には自治都市・堺と大和をつなぐ経済の道として、江戸時代には西国巡りなど庶民の寺社詣での道として、時代とともに役目を変えてきた。「竹内街道」という名称は、竹内峠での大改修が行われた明治時代につけられたもので、現在も多くの人が往来する。この竹内街道歴史資料館では、そんな竹内街道と太子町に関する歴史や民俗資料を、古代の「石の道」、飛鳥時代の「最古の道・大道」、それ以降の「太子信仰の道」、「庶民の道」という4つの時代とテーマにわけ紹介。マルチビジョンによる映像や、石器や土器、聖徳太子の絵や仏像などの展示も。
- アクセス
- その他 近鉄長野線「喜志駅」又は近鉄南大阪線「上ノ太子駅」より金剛バス「六枚橋」下車徒歩15分
- 予算
- 【料金】 一般200円、高大生100円、小中学生50円 ※特別展示期間中は入館料変更の場合あり
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3.31
評価詳細
- アクセス
- 3.00
- 人混みの少なさ
- 4.00
- バリアフリー
- 3.50
- 見ごたえ
- 3.38
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科長神社南側の小高い丘の上に、古くから小野妹子の墓と伝えられる小さな塚があります。妹子は、推古天皇の時代に遣隋使として、当時中国大陸にあった隋という大国に派遣された人物です。妹子が聖徳太子の守り本尊の如意輪観音の守護を託され、坊を建て、朝夕に仏前に花を供えたのが、池坊流の起こりになったとされることから、現在、塚は池坊によって管理されています。
満足度の高いクチコミ クチコミ一覧を見るそこらの古墳よりずっと立派なもの
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4.0
- 旅行時期: 2024/04
- by たびたび
小野妹子の墓は、太子町の歴史散策だと外せない場所のひとつですね。小野妹子は、聖徳太子により日本で初めて遣隋使として隋に派遣続きを読む
小野妹子の墓は、太子町の歴史散策だと外せない場所のひとつですね。小野妹子は、聖徳太子により日本で初めて遣隋使として隋に派遣された人物ですが、さすがに昔過ぎる。たぶん朽ちたようなことになっているのではないかと想像しましたが、小高い丘の上にあって、そこに続く石段とかの構えもなかなかたいしたもの。そこらの古墳よりずっと立派なものでした。 推古天皇陵や聖徳太子の廟所も太子町。それらと合わせて大事にされてきたということかなと思います。
- アクセス
- その他 近鉄河内長野線「喜志駅」から金剛バス「御陵前」下車
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宿公式サイトから予約できる大阪のホテルスポンサー提供
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3.31
評価詳細
- アクセス
- 2.92
- 人混みの少なさ
- 3.40
- バリアフリー
- 1.67
- 見ごたえ
- 3.70
- 住所
- 南河内郡千早赤阪村大字千早
-
3.30
評価詳細
- アクセス
- 3.33
- 人混みの少なさ
- 4.10
- バリアフリー
- 3.50
- 見ごたえ
- 3.42
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南北朝時代のヒーロー・楠木正成の誕生地。秀吉の時代に検地され、小さな社が祀られたが、後に大久保利通の奨めで石碑が建てられた。千早赤阪村郷土資料館のすぐ近く、楠木正成が誕生したと思われる地。正成(幼名:多聞丸)は永仁2年(1294)、現在の千早赤阪村水分山ノ井で誕生し、幼少の8?15才まで観心寺境内にある楠木家の菩提寺の「中院」で学問を習ったといわれる。当時は140年あまり続いた鎌倉幕府が衰え、政治を武士から天皇の手に戻そうという一大転機の時代。正成は元弘元年(1331)?元弘3年(1333)まで幕府勢と戦い、勝利を収め、功労者として後醍醐天皇より従五位下検非違使に任命されたが、建武3年(1336)、天皇を中心とした政治に反旗をひるがえした足利尊氏に湊川の戦いで破れ、自害した。そんな正成の功績を鑑み、文禄年間(1592?1596)、豊臣秀吉の命により、増田長盛がここを検地し土壇を築き、小さな社を祀ったのが始まりとされる。さらに明治8年(1874)、大久保利通の奨めによりここに碑が建てられた。毎年4月25日には「楠公祭」が行われているそうだ。
- アクセス
- 近鉄長野線「富田林駅」よりバス「千早赤阪村役場」下車 徒歩5分
- 予算
- 【料金】 無料
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-
3.30
評価詳細
- アクセス
- 3.10
- 人混みの少なさ
- 3.92
- バリアフリー
- 2.50
- 見ごたえ
- 3.70
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一須賀(いちすか)古墳群を整備・保存している史跡公園。6世紀後半頃の円墳が102基、内40基は石室内見学が可能。奈良の飛鳥は「遠つ飛鳥」といい、大阪・羽曳野市、太子町の二上山西側の山麓一帯を「近つ飛鳥」という。古代の近つ飛鳥一帯は、渡来人が持ち込んだ高い文化が栄えた地域で、周辺には6世紀以降の群集墳が広がっている。そのうちのひとつ、一須賀(いちすか)古墳群を史跡公園として整備・保存しているのが、大阪府立近つ飛鳥風土記の丘。約29haの園内に、直径15m前後の円墳が(一部方墳)102基、うち40基が横穴式石室のもので、石室の内部に入って見学も可能だ。これらの古墳群から夥しい数にのぼる出土品は、近くの近つ飛鳥博物館内で展示・紹介されている。博物館からは近つ飛鳥風土記の丘全体を一望できる。
- アクセス
- その他 近鉄長野線「喜志駅」より金剛山バスに乗り換え「阪南ネオポリス行」終点下車
- 予算
- 【料金】 無料
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-
3.30
評価詳細
- アクセス
- 3.50
- 人混みの少なさ
- 3.83
- バリアフリー
- 3.25
- 見ごたえ
- 4.17
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大阪の景色独り占め。金剛山の山頂付近にある展望台の下には、芝生で出来た公園があり、大勢の観光客がお弁当を広げてゆっくり過ごしている。展望台からは、天気の良い日になると金剛山を囲む三方の山と関西国際空港が見える。
- アクセス
- 南海高野線「河内長野駅」より南海バスに乗り換え「金剛山ロープウェイ前」下車 徒歩約70分
-
3.30
評価詳細
- アクセス
- 3.40
- コスパ
- 3.67
- 人混みの少なさ
- 3.50
- 展示内容
- 3.17
- バリアフリー
- 3.75
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昭和61年10月、村制30周年を記念して、開館しました。1階では、千早赤阪村内の古墳からの出土品、楠木正成ゆかりの品を展示しています。また、ジオラマの映像とナレーションにより千早赤阪村を紹介しています。2階では、昭和20年代まで千早赤阪村で盛んに行われていた、天然凍豆腐(高野豆腐)の道具や民族資料などを展示しています。
- アクセス
- 近鉄長野線「富田林駅」よりバスに乗り換え「千早赤阪村役場」下車 徒歩約10分
- 予算
- 【料金】 大人200円、小人100円(団体割引あり)
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-
3.30
評価詳細
- アクセス
- 3.00
- 人混みの少なさ
- 3.70
- バリアフリー
- 2.67
- 見ごたえ
- 3.30
- 営業時間
- 10:00-16:00 (ただし正午~午後1時は休憩)
-
3.30
評価詳細
- アクセス
- 2.70
- 人混みの少なさ
- 4.00
- バリアフリー
- 2.75
- 見ごたえ
- 3.30
- アクセス
- 近鉄「喜志」からバス「六枚橋」下車 東へ0.8km
-
3.30
評価詳細
- アクセス
- 2.89
- コスパ
- 3.06
- 人混みの少なさ
- 4.38
- 施設の快適度
- 2.56
- バリアフリー
- 2.10
- アトラクションの充実度
- 2.69
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緑あふれる金剛山麓のウエスタンスタイルのレジャースポット。乗馬が体験できるコーナー、羊、ヤギ、ロバ、ポニーなどとふれあえる放牧ふれあい広場やウサギなどの小動物と触れ合うコーナーでは、たくさんの動物たちが暮らしています。釣りや金魚すくい、スポーツ広場、牛の乳搾りや産みたての卵拾いなどの体験もできる。また、園内にはバーベキューのほか、天然温泉や宿泊可能なログハウスとコテージもあり、家族でゆっくり過ごせます。
- アクセス
- その他 近鉄長野線 富田林駅南口 より路線バス(金剛バス)でさくら坂1丁目バス停下車、徒歩約10分
- 予算
- 【料金】 大人(中学生以上)1,600円、小人(3歳以上)800円、ペット500円障害者割引:大人(中学生以上)900円、小人(3歳以上)500円
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-
3.28
評価詳細
- アクセス
- 3.00
- 人混みの少なさ
- 4.00
- バリアフリー
- 3.00
- 見ごたえ
- 3.50
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霊峰金剛山の総鎮守で、古来より付近18村の産土神であり、楠木氏の氏神でもある建水分神社(たけみくまりじんじゃ)。「水分神社」(すいぶんじんじゃ)とも呼ばれ、もともとは、崇神天皇5年(西暦前92)、金剛葛城の山麓に水神として奉祀されたのが始まりとされ、建武元年(1334)、後醍醐天皇の命により、楠木正成が社殿を現在地に移し、本殿、拝殿、鐘楼等を再営したと伝えられています。中世時代には、信長の河内国攻略によって境内が焼失、一時衰退しましたが、秀吉の寄進を受け復興し、現在に至っています。本殿は、桧皮葺きの三殿が渡り廊下で連結する全国唯一の様式で国の重要文化財です(一般参拝は拝殿まで)。摂社の「南木神社」(なぎじんじゃ)は、正成を奉祭する日本最古の神社で、現在の社殿は、昭和15年(1940)に建て替えられたものです。「南木」とは「楠」を2つに分けたとも、後醍醐天皇の御夢によるものともいわれています。
- アクセス
- 近鉄長野線「富田林駅」から、バスに乗り換え「水分」下車徒歩3分
-
3.27
評価詳細
- アクセス
- 3.17
- 人混みの少なさ
- 4.00
- バリアフリー
- 3.25
- 見ごたえ
- 3.33
- アクセス
- 近鉄南大阪線上ノ太子駅下車、金剛バス(喜志駅行)にて太子前下車左スグ。
- 休業日
-
なし
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- 1
- 2
※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性もあります。
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金剛山
- 3.36
- 自然・景勝地
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聖徳太子御廟
- 3.34
- 名所・史跡
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大阪府立近つ飛鳥博物館
- 3.33
- 美術館・博物館
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千早城跡
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- 名所・史跡
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叡福寺
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- 寺・神社・教会
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下赤坂の棚田
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- 名所・史跡
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推古天皇 磯長山田稜
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- 名所・史跡
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弘川寺
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- 寺・神社・教会
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竹内街道歴史資料館
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- 美術館・博物館
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小野妹子の墓
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- 名所・史跡
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千早神社
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- 寺・神社・教会
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楠公誕生地
- 3.3
- 名所・史跡
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大阪府立近つ飛鳥風土記の丘
- 3.3
- 公園・植物園
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金剛山展望台
- 3.3
- 名所・史跡
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千早赤阪村立郷土資料館
- 3.3
- 美術館・博物館
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大道旧山本家住宅
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孝徳天皇大阪磯長稜
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- 名所・史跡
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ワールド牧場
- 3.3
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建水分神社(たけみくまり神社)
- 3.28
- 寺・神社・教会
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西方院
- 3.27
- 寺・神社・教会
