NARA KINGYO MUSEUM 入場チケット
1,300円(税込)
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世界遺産大峯奥駈道のレートで、標高1,076mの名山。古くから聖地として開け、多くの史実を有し、また動植物も豊富です。 9合目には熊野三山の奥の院といわれる玉置神社があります。また朝早くには雲海を見ることができます。
雨上がりの今井町を散策しました。平日、八木西口駅で降りて蘓武橋を渡り、今井町にやってきました。今井町の観光資料の地図を片手に、有名な住宅や神社仏閣を訪ねました。重要伝統的建造物群保存地区に指定されている今井町は観光に力を入れていて、ボランティアガイドの方が要所にいて説明をしてくれました。時々車が通る他は、のんびり歩いていても危なく感じることはなかったです。食事を含めてゆっくり4時間滞在しました。静かな町なので、観光客の話し声も自然と小さくなっていました。豪商だった家の保存と住んでいる人々の防火対策に触れました。再訪したい町です。
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山と畑に挟まれた農道のような道を登っていくと畑側に明らかに人の手で加工された大石があります。これが鬼の雪隠。 反対側の山を少し上ったところには鬼の俎があります。 封土を失った古墳の石室の蓋石が鬼の雪隠、残った底石が鬼の俎ということらしい。 古墳はもともと双墓でもう一つの石室は割られて庭石にされていて、現在は橿原考古学研究所附属博物館で屋外展示されているとのことだったので、前日博物館で確認してきました。 蘇我氏の邸宅があった甘樫丘も近いので乙巳の変で誅殺された蘇我蝦夷・入鹿親子の墓が暴かれた跡ではないか、という人もいるそうで歴史のロマンを感じます。
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屋号を「細九」と称する金物問屋。建物は切妻造本瓦葺平入で、正面のみ、つし2階を設けている。後主屋の西北隅に、二間続きの「つのざしき」を増設し、さらに安政元年の大地震の翌年(1855年)には、つのざしきに接続して、西側に「ざしき」を建設し、床、棚、書院、風呂、便所も付属して、西側道路に門を開き、直接ざしきに通じるようになっている。
17世紀後半に建てられた、金物問屋を営んでいた方の住居です。増築を繰り返し広がっていった住居で、今井町の町家の発展していった過程がわかる建物です。2階の正面部分だけを高く造った“つし二階”や直角に取り付けられた煙出しが特徴の建物です。事前予約をしていなかったため内部の見学はできませんでしたが、外壁に取り付けられた虫籠窓は、下を見下ろすことが禁止されていた時代だったことから、飾り窓として設置されたのではと説明板には記されていました。他の商家同様、今井町によくマッチした建物です。
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国史跡・藤ノ木古墳のガイダンス機能を有した斑鳩文化財センターは、常設展では、国宝藤ノ木古墳出土品の主なもの60点の精巧なレプリカ(複製品)を中心に展示をしている。世界で類例のないほど優美な金銅製鞍金具の精緻な文様については、高さを低くした展示ケースで、間近に閲覧することが可能。また、貴重な文化財の保管や展示の可能な機能を備えた文化財の調査・研究及び情報発信の拠点施設となっている。
業平ゆかりの古寺で、小さな寺ながら藤原仏を蔵し、本堂の姿は優美。庭に発掘された石棺がある。【料金】 大人: 500円 特別展開催時:600円業平忌:700円(団体割引あり) 高校生: 300円 特別展開催時:400円業平忌:500円(団体割引あり) 中学生: 300円 特別展開催時:400円業平忌:500円(団体割引あり) 小学生: 200円 特別展開催時:300円業平忌:300円(団体割引あり)
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奈良のシンボル、若草山で行われる冬の代表的行事です。春日大社・興福寺・東大寺の神仏が習合し、先人の鎮魂と慰霊、奈良全体の防火、世界平安を祈願します。冬の古都の夜空を赤々と染め上げ、山全体が浮かび上がるさまは壮観です。
後醍醐天皇が足利尊氏に攻められ吉野山に逃れた際に皇居となった所。今は記念碑が立っている。
金峯山寺蔵王堂を参拝後、ふと目にした塔と桜の美しさに惹かれ、西側の階段を下り行ってみると…石柱に刻まれた吉野朝宮址の文字。後醍醐天皇が住まわれていた実城寺のあった地です。後に廃寺になったため建物はなにも残っていません。現在建っている三重塔である南朝妙法殿は南朝四帝の尊霊と先の大戦での戦没者追悼の施設として昭和33年に建てられたものです。
文徳天皇の皇后藤原明子が祈願し、清和天皇を安産したと伝えられ、現在も安産祈願の参詣人が多い。
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50年ほど前に神や月、星、人物群が描かれた彩色壁画が発見され、日本中に考古学ブームを起こした古墳です。7世紀から8世紀にかけて築かれたとのことです。直径23m、高さ5mと古墳としてはそれほど大きくはありませんが、1300年ほどの眠りから覚め、色彩壁画が見つかったことにロマン満ち溢れている古墳だと思います。地元の人が作物貯蔵用の穴を掘った際に切石が見つかり、絵画発見につながったそうです。見つけた方はさぞびっくりされたことでしょう。本物の壁画は公開されていませんが、実物そっくりに模写された壁画をすぐ近くに建つ壁画館で見ることができます。
山尾家は、「十市郡新堂村」より移住したと伝えられ、「新堂屋」の屋号で、幕末には、町年寄を勤めた大商家である。道路に面した広大な敷地に、主家をはじめ、主屋西側に座敷を接続し、その北側に内蔵を配し、主屋の東側には道路に沿って隠居所、東蔵が並んでいる。明治10年明治天皇の今井行幸に随行した木戸孝允卿が投宿した時に使用した調度品等。幕末や文書などを展示。
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場所は新薬師寺のすぐ横ですのでアクセスは新薬師寺同様あまり良いとは言えません。 JR奈良駅からバスに乗り破石町バス停で下車。 そこから歩くこと割とたくさんという感じでようやく到着します。 薬師寺の南門のすぐ横にあります。 806年(大同元年)に新薬師寺の鎮守として創建されたという歴史があるようです。 本殿は春日大社の本殿を移築したものらしく当時の部材もよく残っているのだとか。 なかなか由緒正しい神社ですね。
天智天皇の時(670年頃)に、この地に光を放つ三大石があり、掘ると弥勒三尊の石像が現れた。勅願により堂宇を建立し「石光寺」の名を賜り、役の小角が開山となり弥勒如来を本尊としてまつったのがはじまり。聖武天皇の時(750年頃)に、蓮糸曼荼羅を織った中将姫が、この寺の井戸で蓮糸を洗い五色に染め、桜の木にかけて乾かしたというので、この桜を「糸かけ桜」、井戸を「染の井」、またこの寺を「染寺」ともいう。春期は春ボタン・シャクヤクの時期、冬期は寒ボタン・早春の花(ろう梅、しだれ梅、寒咲あやめ等)の時期となっている。
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猿沢池からならまち地区へと散策していると「興善寺」がありました。金躰寺は白鳳年間の草創と伝えられ元興寺の別院でした。現在の本堂は寛永14年(1637)に建てられ本堂内には鎌倉時代中期に造られた本尊・阿弥陀如来立像を安置されているようです。見学することはできませんでしたが、毎年2月15日には釈迦八相涅槃図(江戸時代)を特別公開していますので是非時間とってご訪問くださいね。
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