世継稲荷神社
寺・神社・教会
3.32
クチコミ・評判
1~20件(全20件中)
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【築土神社】の本殿の脇に隠れるように鎮座している別のお社がこちらです。
- 3.0
- 旅行時期:2023/01(約3年前)
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築土神社境内に
- 3.5
- 旅行時期:2022/06(約4年前)
- 0
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橙(ダイダイ)の木があったから
- 3.0
- 旅行時期:2022/03(約4年前)
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こんな場所にお社を建てることができたと思わず感心
- 2.0
- 旅行時期:2022/03(約4年前)
- 0
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築木神社の境内にあります。
- 3.0
- 旅行時期:2021/01(約5年前)
- 0
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ビルの谷間にあり、本殿が窮屈そう
- 3.0
- 旅行時期:2020/02(約6年前)
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橙の木
- 3.5
- 旅行時期:2019/08(約6年前)
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子宝のご利益がある神社
- 3.5
- 旅行時期:2018/12(約7年前)
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二代将軍秀忠が参内したことで
- 3.5
- 旅行時期:2018/08(約7年前)
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ビルに囲まれた神社
- 3.5
- 旅行時期:2018/08(約7年前)
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子宝や後継者を願う人に参拝をお勧めします
- 3.5
- 旅行時期:2018/04(約8年前)
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世継稲荷神社は、580年前(嘉吉元年)に創設された、歴史の古い稲荷神社です。
- 3.5
- 旅行時期:2018/03(約8年前)
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世継稲荷神社は、580年前(嘉吉元年)に創設された、歴史の古い稲荷神社です。
田安郷にあったため田安稲荷と呼ばれていまし... 続きを読むたが、徳川家康が江戸幕府開府の巡視の際、境内に橙の木があったことから、橙を「代々」と掛けて、縁起が良いとされ、世継稲荷と呼ばれたと伝えられています。
江戸城改修に伴い牛込に移転していた築土神社が、戦火に見舞われため、世継稲荷が境内に筑土神社を受け入れ、現在に至っています。
江戸時代の切絵図を見ても、世継稲荷神社の敷地でありましたし、世継稲荷神社の方の歴史が古いのですが、現在の施設・敷地の形態上は、筑土神社が主体になっている感じを受けます。
あたかも、筑土神社の敷地の奥の隅に、世継稲荷神社が間借りしているような感覚です。
まさに、軒下を貸して、母屋を取られたような感じです。
因みに、江戸時代の絵地図における世継稲荷神社の配置は、現在の敷地の配置に似ています。
つまり、筑土神社が後から入ってきた配置になっています。
歴史の変遷の力を感じます。
その歴史の裏は、九段の現地に来ないと解らない経緯です。
現場確認が、いかに大事かを物語っています。 閉じる投稿日:2018/04/19
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真新しい社殿
- 3.5
- 旅行時期:2018/03(約8年前)
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九段から飯田橋界隈を散策した時に築土神社に参拝に行った時に立ち寄りました。中坂側にある道路に面した築土神社の鳥居から境内に... 続きを読む入り、奥へ進むと築土神社の社殿の横に案内表示があって、奥へ進むとこちらの社殿が現れます。最近再築されたのか社殿は真新しいです。しかしながらこの世継ぎ稲荷の歴史は古く、創建は1441年で500年以上の歴史がある稲荷神社で最初はこの地が田安郷という集落だったため、田安稲荷と称されていたが、その後徳川秀忠がこのこちらを参詣した際に、境内に橙の木があって、代々と同じ言葉から代々伝えるということから、「世継」ということで世継稲荷となったと言われています。 閉じる
投稿日:2018/03/21
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子宝や後継者を願う人々に信仰されている稲荷神社です
- 4.0
- 旅行時期:2017/12(約8年前)
- 0
倉稲魂命 (穀物の神) を祭神として、嘉吉元年 (1441) 飯田町 (現 九段坂~中坂付近) に創建された稲荷神社で、... 続きを読む当時はこの辺一帯を田安郷といったことから「田安稲荷」と称されていた。
その後、天正18年 (1590) 二代将軍徳川秀忠がこの地を巡覧し途中この社を参詣、橙の木があるのを見て、これが「代々」と同音であったことから「代々世を継ぎ栄える宮」と称賛し、それ以降「世継稲荷」と称されるようになった。
また、文久2年 (1862) 十四代将軍家茂の正妻・和宮が子宝を願って参詣し、現代も子宝や後継者を願う人々に信仰されている。
昭和20年 (1945) 戦災により社殿社宝等全焼。 昭和29年 (1954) 築土神社が当地に遷座するのに伴い社殿が再建された。
更に、平成6年 (1994) 築土神社社殿の老朽化に伴い社務所とともに大改築の一環として、世継稲荷社殿も改築された。
とのことです。
社殿右手前に「山本社司之碑」が目に留まり、よく見ると「総理大臣 鳩山一郎 書」と刻まれており、この碑が、戦災時御神体を守るため社殿とともに焼死した当時常駐の山本岸太郎氏の慰霊碑 と思われます。
また左脇には、今も神木として橙の木が植えられている とのことだが、樹木に疎く橙の木なのかどうか分からず残念でした。
場所は、築土神社社殿の右手に案内札があり、狭く薄暗い参道だが入って行った右手で、小ぢんまりしているが綺麗で立派な造りの社殿があります。
築土神社のお詣りの折などに、忘れずに併せてお詣りすることをお勧めします。 閉じる投稿日:2018/01/12
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二代将軍・徳川秀忠ゆかりの神社
- 3.5
- 旅行時期:2016/11(約9年前)
- 0
こちらの神社は、倉稲魂神を祭神として、
1441年(嘉吉元年)頃飯田町に創建された稲荷神社です。
田安神社の別名は、当... 続きを読む時はこの辺一帯を田安村と称したことに由来します。
「世継」という名前の由来は、二代将軍・徳川秀忠に依ります。
秀忠がこの神社に参内し「代々世を継ぎ栄える宮」と称賛したことから
「世継稲荷」と称されるようになったとのことです。
このような由来故に、現在でも子宝や後継者を願う人々の信仰を集めているとのことです。
現在の社殿は1994年(平成6年)5月に改築されたとのことで、比較的新しい建物です。
築土神社と比較するとこじんまりとした印象ですね。 閉じる投稿日:2018/11/25
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名前を着けたのは、2代将軍だそうです。
- 3.0
- 旅行時期:2016/07(約9年前)
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神社の中の小さな神社
- 3.0
- 旅行時期:2016/05(約10年前)
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築土神社の更に奥です
- 3.0
- 旅行時期:2016/01(約10年前)
- 0
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築土神社の奥にあります
- 3.5
- 旅行時期:2016/01(約10年前)
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九段下駅から徒歩1分です。1441年に九段坂あたりに創建されました。当時この辺一帯を田安郷といったことから田安稲荷と称され... 続きを読むました。1590年徳川家康が江戸入城の折、徳川秀忠がこの地を巡覧した時に田安稲荷を参詣しました。橙(だいだい)の木が境内にあるのを見て、「代々」と同音であったことから「代々世を継ぎ栄える宮」と称賛し、以来世継稲荷といわれるようになりました。その後武家屋敷に鎮座されたり、大火にあった後飯田町の鎮守として町人の信仰を集め一六稲荷と称され、子宝を願う和宮が参詣しました。1945年戦災で焼失しました。その後築土神社が当地に遷座するにともない世継稲荷社殿が再建されました。1994年に改築され神木として橙の木が植えられ、子宝や後継者を願う人々に親しまれてます。 閉じる
投稿日:2016/02/06
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築土神社の中にある神社です
- 3.0
- 旅行時期:2015/04(約11年前)
- 0
1件目~20件目を表示(全20件中)
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