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世継稲荷神社

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クチコミ・評判

1~20件(全20件中)

  • 地下鉄九段下駅そばの坂道の途中にある【築土神社】を見学しようとビルの間を細い道を境内に進むと、【築土神社】の本殿の脇に隠れ...  続きを読むるように鎮座している別のお社がありました。まさかこんな所にはないだろうと、疑心暗鬼になりながら石の参道を進んだ先に、なんとか見つけたのがこの【世継稲荷神社】です。ゲームであれば【築土神社】がレベル3,こちらになるとさらに難易度の高いレベル4になるかと。。。ただ、歴史は古く徳川秀忠公の時代から続くようで、お世継ぎを願い思いが名前に込められているとのことです。  閉じる

    投稿日:2023/03/12

  • 築土神社境内に

    • 3.5
    • 旅行時期:2022/06(約4年前)
    • 0

    九段下駅そば、築土神社境内にある神社です。ビル谷間かつ敷地が傾斜しているので、こんなところに?と思うような場所です。もとは...  続きを読む田安村といわれていたことから「田安稲荷」とも呼ばれていたそうですが、二代将軍秀忠が参内し「代々世を継ぎ栄える宮」と称賛して以降は「世継稲荷」となったそう。「世継稲荷」の方が参拝者が多そう。

      閉じる

    投稿日:2022/07/25

  • 橙(ダイダイ)の木があったから

    • 3.0
    • 旅行時期:2022/03(約4年前)
    • 0

    築土神社の境内社で流造の屋根が印象的です。徳川秀忠が訪れた際に橙(ダイダイ)の木があったことから「代々世を継ぎ栄える宮」と...  続きを読む称したのが由来だとか。現在も社殿の隣にちゃんと橙の木があって実がなっていますね。  閉じる

    投稿日:2023/01/04

  • 九段北にある築士神社に立ち寄った時に、神社の境内の奥に稲荷神社がありました。築士神社の社殿の裏側にあるので、案内板がなけれ...  続きを読むば気が付くことができない奥まった場所にある稲荷神社です。建物と建物の間に挟まれていて、よくこんな場所にお社を建てることができたと思わず感心してしまいました。
      閉じる

    投稿日:2022/04/11

  • 築木神社の境内にあります。

    • 3.0
    • 旅行時期:2021/01(約5年前)
    • 0

    この世継稲荷神社は地下鉄3線が重なる九段下駅から西にすぐの築木神社の境内の一角にあります。敷地の奥まった場所にあります。1...  続きを読む5世紀中ごろに創建された神社でこの地の守護神で近くのあった田安家の守護神でした。その後徳川秀忠がこの神社を参拝し世継ぎを祈願したので名前として残っているのです。願いをもとめて参拝者が訪れています。  閉じる

    投稿日:2021/03/02

  • ビルの谷間にあり、本殿が窮屈そう

    • 3.0
    • 旅行時期:2020/02(約6年前)
    • 0

    千代田区九段北1丁目の筑土神社境内に鎮座している稲荷神社です。嘉吉元年(1441年)の創建と伝えられています。代々世を継ぎ...  続きを読む栄える宮として信仰され続けているそうです。ビルの谷間にあり、本殿が窮屈そうでした。   閉じる

    投稿日:2022/07/02

  • 橙の木

    • 3.5
    • 旅行時期:2019/08(約6年前)
    • 0

    九段下駅を降りてすぐ、九段坂よりも1本北側にある中坂という坂道の真ん中付近に築土神社があり、その境内にある神社になります。...  続きを読む創建は1441年と今から600年ほど昔で、創建当初は田安稲荷とも呼ばれていたそうですが、徳川秀忠の時代に境内に橙の木があったことから、「橙」が「代々」となり、その意味から「代々世を継いでいく」ということで、今の名前になったようです。今では築土神社の境内社のような存在ですが、元々は世継稲荷神社の方が先にこの地にあったとのことです。なかなか面白い歴史で訪問できて良かったです。  閉じる

    投稿日:2020/03/19

  • 子宝のご利益がある神社

    • 3.5
    • 旅行時期:2018/12(約7年前)
    • 0

    もともと地名を取って田安稲荷と呼ばれていましたが、将軍秀忠が「代々世を継ぎ栄える宮」と称賛し、これ以降「世継稲荷」と呼ばれ...  続きを読むた信仰されたそうです。14代将軍家茂の正妻・和宮が子宝を願って参詣したこともあり、子宝を願う人たちに信仰されています。築土神社の影にひっそりと隠れていますが、霊験あらたかな神社でした。  閉じる

    投稿日:2018/12/27

  • 二代将軍秀忠が参内したことで

    • 3.5
    • 旅行時期:2018/08(約7年前)
    • 0

    世継稲荷神社は、築土神社の境内。
    倉稲魂神を祭神として、飯田町に創建された稲荷神社が始まりです。元々は「田安稲荷」と称さ...  続きを読むれていたところへ、二代将軍秀忠が参内したことで世継稲荷と称されるようになったもの。小さいですが、流れ造りに金の金具もちらり光っています。  閉じる

    投稿日:2018/10/10

  • ビルに囲まれた神社

    • 3.5
    • 旅行時期:2018/08(約7年前)
    • 0

    靖国神社に近い中坂を歩いていると通り沿いに鳥居が有りました。ビルの谷間の参道を進むと築土神社とその奥にこちらの代継神社が有...  続きを読むりました。歴史ある古い神社だそうですが拝殿はかなり新しいものでした。ビルの谷間の静かな神社でした。  閉じる

    投稿日:2018/09/22

  • 子宝や後継者を願う人に参拝をお勧めします

    • 3.5
    • 旅行時期:2018/04(約8年前)
    • 0

    東京メトロ九段下駅3B出口より目白通りを飯田橋方面に行き交差点左折すると中坂の途中に幟がありビルの谷間の山門を進むと築土神...  続きを読む社本殿の右側にある世継稲荷神社に歩いて3分ぐらいで着きます。世継稲荷神社は1590年徳川家康が江戸入城の際、徳川秀忠が参詣し橙(だいだい)の木が境内にあるのを見て「代々世を継ぎ栄える宮」と称賛し世継稲荷といわれるようになった歴史ある稲荷神社ですので子宝や後継者を願う人々に是非参拝をお勧めします。境内は清潔に維持されます。  閉じる

    投稿日:2018/04/10

  • 世継稲荷神社は、580年前(嘉吉元年)に創設された、歴史の古い稲荷神社です。
    田安郷にあったため田安稲荷と呼ばれていまし...  続きを読むたが、徳川家康が江戸幕府開府の巡視の際、境内に橙の木があったことから、橙を「代々」と掛けて、縁起が良いとされ、世継稲荷と呼ばれたと伝えられています。
    江戸城改修に伴い牛込に移転していた築土神社が、戦火に見舞われため、世継稲荷が境内に筑土神社を受け入れ、現在に至っています。

    江戸時代の切絵図を見ても、世継稲荷神社の敷地でありましたし、世継稲荷神社の方の歴史が古いのですが、現在の施設・敷地の形態上は、筑土神社が主体になっている感じを受けます。
    あたかも、筑土神社の敷地の奥の隅に、世継稲荷神社が間借りしているような感覚です。
    まさに、軒下を貸して、母屋を取られたような感じです。
    因みに、江戸時代の絵地図における世継稲荷神社の配置は、現在の敷地の配置に似ています。
    つまり、筑土神社が後から入ってきた配置になっています。
    歴史の変遷の力を感じます。
    その歴史の裏は、九段の現地に来ないと解らない経緯です。
    現場確認が、いかに大事かを物語っています。  閉じる

    投稿日:2018/04/19

  • 真新しい社殿

    • 3.5
    • 旅行時期:2018/03(約8年前)
    • 0

    九段から飯田橋界隈を散策した時に築土神社に参拝に行った時に立ち寄りました。中坂側にある道路に面した築土神社の鳥居から境内に...  続きを読む入り、奥へ進むと築土神社の社殿の横に案内表示があって、奥へ進むとこちらの社殿が現れます。最近再築されたのか社殿は真新しいです。しかしながらこの世継ぎ稲荷の歴史は古く、創建は1441年で500年以上の歴史がある稲荷神社で最初はこの地が田安郷という集落だったため、田安稲荷と称されていたが、その後徳川秀忠がこのこちらを参詣した際に、境内に橙の木があって、代々と同じ言葉から代々伝えるということから、「世継」ということで世継稲荷となったと言われています。  閉じる

    投稿日:2018/03/21

  •  倉稲魂命 (穀物の神) を祭神として、嘉吉元年 (1441) 飯田町 (現 九段坂~中坂付近) に創建された稲荷神社で、...  続きを読む当時はこの辺一帯を田安郷といったことから「田安稲荷」と称されていた。
     その後、天正18年 (1590) 二代将軍徳川秀忠がこの地を巡覧し途中この社を参詣、橙の木があるのを見て、これが「代々」と同音であったことから「代々世を継ぎ栄える宮」と称賛し、それ以降「世継稲荷」と称されるようになった。
     また、文久2年 (1862) 十四代将軍家茂の正妻・和宮が子宝を願って参詣し、現代も子宝や後継者を願う人々に信仰されている。
     昭和20年 (1945) 戦災により社殿社宝等全焼。 昭和29年 (1954) 築土神社が当地に遷座するのに伴い社殿が再建された。
     更に、平成6年 (1994) 築土神社社殿の老朽化に伴い社務所とともに大改築の一環として、世継稲荷社殿も改築された。
     とのことです。
     社殿右手前に「山本社司之碑」が目に留まり、よく見ると「総理大臣 鳩山一郎 書」と刻まれており、この碑が、戦災時御神体を守るため社殿とともに焼死した当時常駐の山本岸太郎氏の慰霊碑 と思われます。
     また左脇には、今も神木として橙の木が植えられている とのことだが、樹木に疎く橙の木なのかどうか分からず残念でした。
     場所は、築土神社社殿の右手に案内札があり、狭く薄暗い参道だが入って行った右手で、小ぢんまりしているが綺麗で立派な造りの社殿があります。
     築土神社のお詣りの折などに、忘れずに併せてお詣りすることをお勧めします。  閉じる

    投稿日:2018/01/12

  • 二代将軍・徳川秀忠ゆかりの神社

    • 3.5
    • 旅行時期:2016/11(約9年前)
    • 0

    こちらの神社は、倉稲魂神を祭神として、
    1441年(嘉吉元年)頃飯田町に創建された稲荷神社です。
    田安神社の別名は、当...  続きを読む時はこの辺一帯を田安村と称したことに由来します。
    「世継」という名前の由来は、二代将軍・徳川秀忠に依ります。
    秀忠がこの神社に参内し「代々世を継ぎ栄える宮」と称賛したことから
    「世継稲荷」と称されるようになったとのことです。
    このような由来故に、現在でも子宝や後継者を願う人々の信仰を集めているとのことです。
    現在の社殿は1994年(平成6年)5月に改築されたとのことで、比較的新しい建物です。
    築土神社と比較するとこじんまりとした印象ですね。  閉じる

    投稿日:2018/11/25

  • 名前を着けたのは、2代将軍だそうです。

    • 3.0
    • 旅行時期:2016/07(約9年前)
    • 0

    2代将軍、徳川秀忠が、江戸に入城した際に、立ち寄り参拝したそうです。境内にだいだいの木があったことから、それにちなんで、世...  続きを読む継ぎ稲荷神社と名付けられたようです。築土神社の本堂の前をとおり、少し奥まったところにある、歴史ある神社です。                                                                                                                                                                    閉じる

    投稿日:2016/07/30

  • 神社の中の小さな神社

    • 3.0
    • 旅行時期:2016/05(約10年前)
    • 0

    九段下の築土神社の境内の中にある小さな神社です。築土神社自体、元々小さな神社なので、さらにミニ版ということで、興味深い神社...  続きを読むです。
    二代将軍徳川秀忠が参内し、代々世を継ぎ栄える宮と称賛し、これ以降は世継稲荷と称されるようになったと伝えられています。それが転じて、現代は子宝を願う人達の参詣が多いようです。  閉じる

    投稿日:2016/06/05

  • 築土神社の更に奥です

    • 3.0
    • 旅行時期:2016/01(約10年前)
    • 0

    九段下交差点から徒歩数分、中坂に面して「築土神社」の鳥居が見えます。鳥居をくぐり、ビルの脇を奥に進むと社殿が現れます。
    ...  続きを読む「世継稲荷神社」は、更にその脇を奥に進んだところにあります。「左奥へ」と記された看板があるので迷う事はありませんでしたが、本殿のロケーションがとてもユニークに感じました。小ぶりな鳥居と祠が印象に残っています。  閉じる

    投稿日:2016/10/22

  • 築土神社の奥にあります

    • 3.5
    • 旅行時期:2016/01(約10年前)
    • 0

    九段下駅から徒歩1分です。1441年に九段坂あたりに創建されました。当時この辺一帯を田安郷といったことから田安稲荷と称され...  続きを読むました。1590年徳川家康が江戸入城の折、徳川秀忠がこの地を巡覧した時に田安稲荷を参詣しました。橙(だいだい)の木が境内にあるのを見て、「代々」と同音であったことから「代々世を継ぎ栄える宮」と称賛し、以来世継稲荷といわれるようになりました。その後武家屋敷に鎮座されたり、大火にあった後飯田町の鎮守として町人の信仰を集め一六稲荷と称され、子宝を願う和宮が参詣しました。1945年戦災で焼失しました。その後築土神社が当地に遷座するにともない世継稲荷社殿が再建されました。1994年に改築され神木として橙の木が植えられ、子宝や後継者を願う人々に親しまれてます。  閉じる

    投稿日:2016/02/06

  • 築土神社の中にある神社です

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/04(約11年前)
    • 0

    中坂(九段下駅の7番出口を出て、目白通りを飯田橋方向に歩き出しすぐ1本目を左に曲がったところにある坂です)の途中左手にある...  続きを読む、築土神社の境内右奥にある神社です。神社の中に神社がある点がユニークだと感じました。二代将軍秀忠が社に参内し「代々世を継ぎ栄える宮」と称賛し、これ以降「世継稲荷」と称されるようになったと伝えられているそうです。  閉じる

    投稿日:2015/05/01

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基本情報(地図・住所・アクセス)

施設名
世継稲荷神社
住所
  • 東京都千代田区九段北1-14 (築土神社境内)
アクセス
半蔵門線・都営新宿線九段下駅3番出口より徒歩3分
東西線九段下駅7番出口より徒歩2分
公式ページ
詳細情報
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 寺・神社・教会
登録者
とーふ さん

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