子宝や後継者を願う人々に信仰されている稲荷神社です
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- 旅行時期:2017/12(約8年前)
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by 風来坊之介さん(男性)
市ヶ谷 クチコミ:48件
倉稲魂命 (穀物の神) を祭神として、嘉吉元年 (1441) 飯田町 (現 九段坂~中坂付近) に創建された稲荷神社で、当時はこの辺一帯を田安郷といったことから「田安稲荷」と称されていた。
その後、天正18年 (1590) 二代将軍徳川秀忠がこの地を巡覧し途中この社を参詣、橙の木があるのを見て、これが「代々」と同音であったことから「代々世を継ぎ栄える宮」と称賛し、それ以降「世継稲荷」と称されるようになった。
また、文久2年 (1862) 十四代将軍家茂の正妻・和宮が子宝を願って参詣し、現代も子宝や後継者を願う人々に信仰されている。
昭和20年 (1945) 戦災により社殿社宝等全焼。 昭和29年 (1954) 築土神社が当地に遷座するのに伴い社殿が再建された。
更に、平成6年 (1994) 築土神社社殿の老朽化に伴い社務所とともに大改築の一環として、世継稲荷社殿も改築された。
とのことです。
社殿右手前に「山本社司之碑」が目に留まり、よく見ると「総理大臣 鳩山一郎 書」と刻まれており、この碑が、戦災時御神体を守るため社殿とともに焼死した当時常駐の山本岸太郎氏の慰霊碑 と思われます。
また左脇には、今も神木として橙の木が植えられている とのことだが、樹木に疎く橙の木なのかどうか分からず残念でした。
場所は、築土神社社殿の右手に案内札があり、狭く薄暗い参道だが入って行った右手で、小ぢんまりしているが綺麗で立派な造りの社殿があります。
築土神社のお詣りの折などに、忘れずに併せてお詣りすることをお勧めします。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 地下鉄・九段下駅出入口7を出て直ぐの九段北一丁目交差点を左折し中坂を1分少々上がった左手ビルの奥にある築土神社社殿の右手奥です
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 訪ねた折は誰とも会いませんでした
- バリアフリー:
- 2.5
- 築土神社の社殿までに数段の石段があたり世継稲荷神社の参道は飛び石なので大変でしょう
- 見ごたえ:
- 4.0
- 社殿は新しいが立派な造りとともに慰霊碑など見るものがあります
クチコミ投稿日:2018/01/12
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