2023/09/21 - 2023/09/21
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キャンサー50さん
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JR中央線飯田橋駅東口から東京メトロ東西線神楽坂駅までの目白通りは「歴史のプロムナード」と名付けられ、今昔の史跡の標識が数多く建っています。
「飯田橋散歩路」(サンポーロ)と上部に刻まれた標識が14あったそうですが、工事で撤去されたものもあるようで、14は確認できませんでした。
しかしそれ以外の史跡の標識も多くあり、それらを巡って散策してきました。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- その他
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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今回の起点、JR中央線飯田橋駅東口。
飯田橋駅は朝夕のサラリーパーソンの乗降客は多く、東京理科大学や法政大学の最寄り駅でもあります。 -
最初の標識は、目白通りからそれて飯田橋駅西口近くの日本歯科大学の敷地内にある「旗本屋敷跡」。
富永権左エ門という旗本の屋敷地だったそうです。
隣の石碑には「下乗」と刻まれており、「道家の第三洞の教。神をいう」と辞書にあります。旗本屋敷跡 名所・史跡
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日本歯科大学の東にある東京大神宮。
東京における伊勢神宮の遥拝殿として、明治13年(1880)に創建され、「東京のお伊勢さま」と称され親しまれています。東京大神宮 寺・神社・教会
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東京大神宮本殿。
平日昼間でも結構参拝者がいます。東京大神宮 寺・神社・教会
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境内にあった、刈り取った稲穂。
東京大神宮は文京区目白台に菜園を持っており、ご神前にお供えする米や野菜を育てています。
9月に菜園の神田で神職・巫女が刈り取った稲は参道脇で乾燥させ、10月の秋季大祭と、11月の新嘗祭に初穂としてお供えします。東京大神宮 寺・神社・教会
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飯田橋駅東口に戻って目白通りを九段下方面へ向かいます。
最初にあるのが「飯田橋」碑。
碑文によると、江戸時代、千代田区側は外堀の城壁である土居にかこまれて、目白通りも飯田橋もありませんでした。
明治以降に橋が架けられたそうです。 -
「東京農業大学開校の地」碑。
明治24年(1891)、 東京農大の原点「育英黌農業科」が、当地で産声を上げました。
生みの親は榎本武揚です。
ちなみにこの界隈はいろいろな学校の発祥の地が多々あります。東京農業大学開校の地 名所・史跡
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東京区政会館前にある「皇典講究所跡」碑。
"皇典講究所は、明治政府が神道事務局の後継団体として明治15年に設立した神職養成の中央機関です。
" -
「皇典講究所跡」碑の隣にある「日本医科大学付属第一病院記念」碑。
日本医科大学付属第一病院は、大正13年(1924)に千代田区飯田橋の地に、日本医学専門学校飯田橋医院として開院し、昭和6年(1931)に当時の建築の粋を集め、近世スパニッシュ装飾を施して建てられました。日本医科大学付属第一病院記念碑 名所・史跡
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「日本医科大学付属第一病院記念」碑のすぐ近くに「日本大学開校の地」碑。
明治15年(1882)、この地、旧飯田町5丁目に国学を研究する皇典講究所が設けられました。
明治22年(1889)この皇典講究所内に創設された日本法律学校が、日本大学の始まりです。
現在、飯田橋の隣の水道橋付近には日大の校舎が沢山あります。日本大学開校の地 名所・史跡
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さらに「日本大学開校の地」碑近くにあるのが「東京府立第四中学校発祥の地」記念碑。
皇典講究所に併設された学校は 「府立第4中学校」を経て「都立戸山高等学校」となりました。東京府立第四中学校発祥の地 名所・史跡
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さらに隣には「國學院大學開校の地」碑。
日大と同じく皇典講究所を母体として、所長山田顕義によって國學院が開校しました。
明治23年(1890)のことです。國學院大學開校の地 名所・史跡
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ここで一旦目白通りを離れて、飯田橋寄りにある商業施設、アイガーデンテラス飯田橋へ向かいました。
その敷地内にある「讃岐高松藩上屋敷庭園跡」碑。
ここには高松藩松平家上屋敷の庭園がありました。
遺跡調査で泉水の護岸石が発掘され、現在は「平川の経」として整備され、石はほぼ当時のまま配置されています。 -
アイガーデンテラスの3階入り口にある「甲武鉄道始点の地」碑。
甲武鉄道の起点となった飯田町駅は明治28年(1895)、ここに設置されました。
碑は数字の0を象ってあり、起点(0㎞)を意味しています。甲武鉄道 飯田町駅の碑 名所・史跡
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目白通りに戻って「徽章業発祥の地」碑。
明治18年(1885)、鈴木梅吉がこの地に 日本帝国徽章商会を創りました。
これは民間の徽章業のはじめで、特に明治末期・大正の初期においては 日本で唯一の徽章の製作工場として 大変栄えました。徽章業発祥の地 名所・史跡
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徽章業発祥の地」碑からさらに九段下よりにある「飯田橋むかしむかし」碑。
明治5年(1872)当時の飯田橋の地図が刻まれていて興味深いです。 -
「飯田橋むかしむかし」碑の隣にある「北辰社牧場跡碑」。
榎本武揚は明治の始め、北辰社牧場をここに開きました。
飯田橋に牧場って、と驚きです。北辰社牧場跡碑 名所・史跡
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さらに九段下方面に下って「台所町跡」碑。
江戸のはじめから元禄の頃まで、江戸城の台所衆の組屋敷がありました。
そして台所頭をはじめとして、台所衆、台所者と呼ばれる役人が住んでいました。台所町跡 名所・史跡
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ちょっと目白通りから東に逸れて、首都高下にある「東京理科大学発祥の地」碑。
明治14年(1881)に設立された「東京物理学講習所」が 東京理科大の前身です。
同年にこの地に設立された“稚松小学校”の校舎を 夜間だけ借りて講義が行われたといわれています。東京理科大学発祥の地 名所・史跡
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目白通りの西側、目白通りと平行してあるのが二合半坂。
暁星学園沿いを九段下方面へ上ります。
坂からは富士山の半分の大きさといわれた日光山が半分見えたそうです。
富士山が1合目から10合目まであるので、日光山はその半分の5合、その半分が見えるから二合半です。
ややこしいです。二合半坂 名所・史跡
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二合半坂の坂上にあるフィリピン大使館。
フィリピン共和国大使館 名所・史跡
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フィリピン大使館から目白通りへ下るのが冬青木坂。
「もちのきざか」と読みます。
坂の途中にあった武家屋敷に植えられていた古木がモチノキであるということから名付けられました。冬青木坂 名所・史跡
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冬青木坂と平行して目白通りに下るのが中坂。
『江戸名所図会』などの絵を見ると、江戸時代は中坂が九段坂より大きく描かれています。中坂 名所・史跡
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中坂の途中にある築土神社。
天慶3年(940)に現在の大手町周辺の観音堂に平将門を祭り津久戸大明神と称したのがはじまりといわれています。築土神社 寺・神社・教会
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築土神社本殿。
ビルの中に組み込まれたようなロケーションで、よく残ったなという感じです。築土神社 寺・神社・教会
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築土神社の狛犬。
安永9年(1780)奉納の区内最古のものです。築土神社 寺・神社・教会
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築土神社の力石。
「奉納 元飯田町万屋」「中坂下」との銘があることから、江戸時代中期以降のものと思われます。築土神社 寺・神社・教会
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築土神社境内にある世継稲荷神社(田安神社)。
倉稲魂神を祭神として、嘉吉元年(1441)頃、飯田町に創建された稲荷神社です。
子宝祈願で信仰されたそうですが、絵馬はなぜか出世祈願が多かったように記憶しています。世継稲荷神社 寺・神社・教会
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散策の終点、九段下駅前の「九段下」交差点角にある昭和館。
昭和館は、国民が経験した戦中・戦後の国民生活上の労苦についての歴史的資料・情報を収集、保存、展示し、次の世代に伝える国立の施設です。
とても立派な施設なのですが、人が入っていったのを見たことがほとんどありません。
ちょっともったいなく感じます。昭和館 美術館・博物館
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昭和館の前にあった「蕃書調所跡」の説明板。
蕃書調所は、幕府によって設立された洋学研究機関です。
嘉永6年(1853)のペリー来航以後、洋式軍事技術導入や外交上の要請から時の老中阿部正弘のもとで開設が計画されました。
安政3年(1856)九段下の竹本主水正屋敷にて業務を開始、その後小川町、一橋門外へ移り、明治維新後は大学南校となり、東京大学へと発展しました。
飯田橋から九段下までの目白通り沿いには、短いエリアに本当に多くの史跡の標識等がありました。
それぞれの由緒が興味深いものであり、飽きのこない散策が出来ました。蕃書調所跡 名所・史跡
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