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藤原家隆の墓

名所・史跡

ミナミ(難波・天王寺)

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藤原家隆の墓 https://4travel.jp/dm_shisetsu/11332020

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施設情報

施設名
藤原家隆の墓
住所
  • 大阪市天王寺区夕陽丘町5
アクセス
地下鉄谷町線「四天王寺前夕陽丘」下車 西約100m
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

クチコミ(13件)

ミナミ(難波・天王寺) 観光 満足度ランキング 164位
3.3
アクセス:
3.42
とてもわかりにくい。片側からしか行けない by g60_kibiyamaさん
人混みの少なさ:
4.14
付近では誰とも会いませんでした by 風来坊之介さん
バリアフリー:
2.80
石段がある上通路が狭いので大変でしょう by 風来坊之介さん
見ごたえ:
3.13
夕陽丘の地名由来の塚 by teratanichoさん
  • 夕陽ヶ丘の地名の由来になった歌人の墓

    • 3.0
    • 旅行時期:2023/08(約10ヶ月前)
    • 0

    谷町線の四天王寺前夕陽ヶ丘駅から上がり、谷町筋から西側へと少し入ったところにあります。
    こちらは鎌倉時代の歌人・公卿であ...  続きを読むる藤原家隆の墓と伝わっています。その藤原家隆がこの上町台地に夕陽庵を設けて夕陽についての歌を詠んだことから、現在の夕陽ヶ丘という地名の由来になりました。
    そうした人のお墓ではあるのですが、あまり目立たない印象でした。それでも大きな五輪塔になっていて、一見の価値はありました。このあたりの寺町での見どころのひとつだと感じました。  閉じる

    投稿日:2023/10/11

  • このあたりが夕陽丘という地名になったのはこの鎌倉時代の歌人・藤原家隆がこの付近に「夕陽庵」をかまえたことから、とのこと。当...  続きを読む時は上町台地の崖の際から大阪湾に沈む夕陽がよく見えたことでしょう。天王寺七坂といいますが、坂の上と下が必ずしも直線で対応していなかったり、石段だったりなかなか攻略の難しいエリアです。その坂の先に何があるか、初見では到底読めません(笑)。確実な行きかたは勝鬘院の東側に沿って口縄坂上を目指すと、左手に宗教法人の敷地が現れるのでその突き当りといったところ。でも台地下の松屋町筋方面へは通り抜けられません。電動アシストつきのシェアサイクルを活用して(笑)途中を迂回しつつ数回チャレンジした結果、ちょうど口縄坂の上で、厚い雲間から夕陽が差して満足でした。あわよくば…と散策順を調整して夕方6時過ぎに訪れた甲斐がありました。  閉じる

    投稿日:2022/05/28

  • アクセスは悪いです

    • 3.5
    • 旅行時期:2020/06(約4年前)
    • 0

    藤原家隆は鎌倉時代の歌人です。その歌人のお墓を見たいと思いましたが、結構見つからなかったです。見つけてみれば、小さなお墓で...  続きを読む周りにはかなり草も生えてました。草に隠れていましたが、五輪塔らしきものもありました。もう少し目立つお墓にしてあげたいですね。  閉じる

    投稿日:2020/10/20

  • 近くにはお寺や史跡がたくさんありました

    • 3.0
    • 旅行時期:2019/06(約5年前)
    • 0

    「新古今和歌集」の選者の一人、藤原定家と並び称される鎌倉時代初期の歌人です。地下鉄谷町線「四天王寺前夕陽丘」下車、西へ約1...  続きを読む00mぐらい歩いたところにあります。この辺りはお寺が多く、また歴史的著名人の墓所も多かったです。お墓はこんもりとした山にうっそうとした草木が生い茂っていてあまり手入れがされていない感じでした。  閉じる

    投稿日:2019/06/26

  • 鎌倉時代の歌人塚

    • 3.5
    • 旅行時期:2019/05(約5年前)
    • 0

    鎌倉時代の歌人藤原家隆の墓があったと伝わる場所で当地の夕陽丘の地名が生まれたとされています。大阪府史跡に指定され素敵な場所...  続きを読むに五輪塔が建っています。この辺りは上町台地の崖で有名な場所で天王寺七坂や寺の多い場所としても知られて雰囲気ある場所です。  閉じる

    投稿日:2019/09/29

  • 夕陽ヶ丘の名前の由来となった

    • 2.0
    • 旅行時期:2017/12(約6年前)
    • 0

    愛染堂勝鬘院を出てぐるっと回って北側にありました。
    藤原家隆は鎌倉時代の歌人でこの界隈の夕陽ヶ丘という名前は家隆が住んで...  続きを読むいた夕陽庵という名前に由来するそうです。鎌倉時代の名前を引き継いでいるなんて素敵です。
    当時は大阪湾がもう少し近くまで迫っていたそうなので夕陽がきれいに見える立地だったのでしょうね。  閉じる

    投稿日:2018/01/09

  • 夕陽丘の地名を名づけた

    • 3.5
    • 旅行時期:2017/05(約7年前)
    • 0

    口縄坂(上)にお墓があります。
    五輪塔です。
    藤原家隆は鎌倉時代初期の公卿、歌人です。そして新古今和歌集の選者の一人で...  続きを読むす。このまわりの沈む夕日を好んでいたそうです。そのことからこのあたりの地名を「夕陽丘」と名づけました。
    今まで知りませんでした。夕陽丘、素敵な地名だと思います。  閉じる

    投稿日:2017/06/04

  • この辺りの地名「夕陽丘」を名付けた歌人

    • 4.0
    • 旅行時期:2017/03(約7年前)
    • 0

    藤原家隆(ふじわら・いえたか)は、鎌倉時代初期の公卿、歌人です。
    『新古今和歌集』の撰者の一人であり、
    小倉百人一首で...  続きを読むは、従二位家隆の表記で下記の短歌が選ばれています。
    「風そよぐ 楢の小川の 夕暮は 御禊ぞ夏の しるしなりける」
    当時としては長生きで79歳で出家して、
    摂津国(現在の大阪)に夕陽庵(せきようあん)を構えました。
    夕陽丘より見える「ちぬの海(大阪湾)」に沈む夕日を好み、
    その彼方にある極楽(西方浄土)へいくことを望みました。
    それで、この辺りは「夕陽丘」という地名になり、
    東側が高く、西側(大阪湾)が低い坂からは、美しい夕陽が今でも見えます。
    ここを見学した後は、ぜひ夕陽を見てから帰ってください。
    なお、聖徳太子が建てた四天王寺も近くにあるので、午後一番に参拝しましょう。
    近くには「四天王寺夕陽丘」という地下鉄の駅もありますよ。
      閉じる

    投稿日:2017/03/16

  • 寺町の奥まった場所にあります

    • 3.5
    • 旅行時期:2016/01(約8年前)
    • 0

    市営地下鉄四天王寺前夕陽ヶ丘駅の5番出口を地上に出て、すぐに寺町である西側に路地を入っていくと、奥まった場所にぽっかりと小...  続きを読むさな石碑や記念碑が集まった、小さな緑のスポットがあって、それがこちらの墓になります。駅からは2~3分の便利な場所です。お墓という雰囲気はほとんどないですが、こん盛りとした場所に木々が自然な感じで植わり、そこに「藤原家隆 墓」と刻まれている石標があります。お墓自体は全体1mぐらいの高さで角石や丸石、笠のような石を組み合わせたものです。ここを主目的で訪問するということでなく、この界隈を散策した際に立ち寄る感じの場所です。  閉じる

    投稿日:2016/02/14

  • 新古今和歌集の撰者の一人

    • 4.0
    • 旅行時期:2014/12(約9年前)
    • 0

    藤原家隆の墓は、地図で見たら愛染堂の中かなあと思ったのですが、塀の外でした。
    近くにある浄春寺は、藤原家隆の菩提所ですが...  続きを読む、その浄春寺の飛び地のような感じです。ちなみに、藤原家隆は鎌倉時代の歌人で新古今和歌集の撰者の一人。承久の乱で隠岐に流された後鳥羽上皇に歌の手ほどきをした人物でもあるようです。
    そして、この辺りの地名、夕陽丘は、ここから見える大阪湾に沈む夕陽を家隆が好んだことからということです。



      閉じる

    投稿日:2014/12/30

  • 小さなかわいい庭のよう

    • 1.5
    • 旅行時期:2014/07(約10年前)
    • 0

    藤原時代末期の5代の天皇に仕えた有名な歌人だそうです。
    小さなかわいいお庭のような墓です。
    少し草が生えすぎの感はあり...  続きを読むました。

    最寄駅は地下鉄四天王寺前夕陽ケ丘です。
    徒歩4,5分だと思いますが、
    いりくんでいて少し分かり難い場所にあります。

    付近には大江神社や勝鬘院愛染堂などが有ります。  閉じる

    投稿日:2014/07/26

  •  大阪市天王寺区夕陽丘町に藤原家隆の墓と言われる五輪塔があります。
     家隆は、新古今和歌集の撰者として知られ、藤原定家と...  続きを読む並ぶ鎌倉時代の歌人です。
     亡くなる1年前にここに庵を設け、日想観を修めて往生した と伝えられています。
     ここは、大阪府史跡 伝藤原家隆墓 で、上り口左手にある御影石に
      鎌倉時代の歌人藤原家隆卿を葬ったところといわれる
      昭和50年秋 大阪夕陽丘ライオンズクラブの手で復元整備された
     との説明が刻まれています。
     なお、夕陽丘の地名は、家隆の歌に因んで付けられた とのことです。  閉じる

    投稿日:2014/08/26

  • 藤原定家と並び称される歌人、藤原 家隆の墓

    • 3.5
    • 旅行時期:2011/09(約13年前)
    • 2

    大阪市天王寺区夕陽丘町にある藤原 家隆(ふじわら の いえたか、1158−1237年)の墓と伝わる塚。藤原 家隆は、鎌倉時...  続きを読む代初期の歌人で『新古今和歌集』の撰者の一人。
    1237年、79歳で出家し摂津国四天王寺に入り、夕陽丘より見える「ちぬの海(大阪湾)」に沈む夕日を好み、その彼方にある極楽へいくことを望んだ。藤原家隆は和歌を藤原俊成に学び『六百番歌合』『正治百首』などに参加して同時代の藤原定家と並び称される歌人と評価された。
    後鳥羽上皇の和歌の師であったといわれ、後鳥羽院が承久の乱で隠岐に流された後も遠所から和歌を送ったりしており、生涯に詠んだ歌は六万首もあったと言われている。


      閉じる

    投稿日:2013/03/01

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