藤原定家と並び称される歌人、藤原 家隆の墓
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- 旅行時期:2011/09(約13年前)
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by さすらいおじさんさん(男性)
ミナミ(難波・天王寺) クチコミ:214件
大阪市天王寺区夕陽丘町にある藤原 家隆(ふじわら の いえたか、1158−1237年)の墓と伝わる塚。藤原 家隆は、鎌倉時代初期の歌人で『新古今和歌集』の撰者の一人。
1237年、79歳で出家し摂津国四天王寺に入り、夕陽丘より見える「ちぬの海(大阪湾)」に沈む夕日を好み、その彼方にある極楽へいくことを望んだ。藤原家隆は和歌を藤原俊成に学び『六百番歌合』『正治百首』などに参加して同時代の藤原定家と並び称される歌人と評価された。
後鳥羽上皇の和歌の師であったといわれ、後鳥羽院が承久の乱で隠岐に流された後も遠所から和歌を送ったりしており、生涯に詠んだ歌は六万首もあったと言われている。
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- アクセス:
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- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
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- 見ごたえ:
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クチコミ投稿日:2013/03/01
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