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大江広元、毛利季光、島津忠久の墓

名所・史跡

大江広元、毛利季光、島津忠久の墓 クチコミ・アクセス・周辺情報

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クチコミ・評判

1~20件(全22件中)

  • 新法華堂跡の奥にある石段を登ったところにあります。三基の墓が並んでいます。大江広元は13人の一人で、京都から下った実務官...  続きを読む僚で、政所の別当(長官)として活躍した頼朝殿の側近です。隣にある毛利末光は広元の四男で、鎌倉幕府の役人になり長州毛利家の祖となる人です(宝治合戦で三浦泰村方に付き、敗戦自刃する)。子孫の毛利斉煕がこれら二基を江戸時代後期に造営する。島津忠久(一説に頼朝の子といわれる)は鎌倉幕府の役人で薩摩島津藩の祖となる人です。子孫の島津重豪が江戸時代後期に造営しました。三基ともやぐらの中に五輪塔の墓が安置されています。江戸時代の大大名島津家と毛利家は鎌倉時代から存在する家柄で、江戸時時代幕末には薩長連合を結び江戸幕府討幕に協力しあった。見えない糸で結ばれていたのですね
    「日時」2023年5月9日 
    「アクセス」横須賀線鎌倉駅より徒歩19分
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    投稿日:2024/01/02

  • 毛利に島津、まるで幕末

    • 3.0
    • 旅行時期:2023/01(約4年前)
    • 0

     鎌倉の北条義時法華堂跡の裏手にある、左右並んだ階段を登っていくと、左手に大江広元、毛利季光、右手に島津忠久の墓があります...  続きを読む。以前、訪れたとき、大江の存在は知らず、江戸時代に整備されていたころから、幕末の雄藩である毛利、島津が示し合わせて名門をアピールするためにやったのかな、なんて思ってました。でも、NHK大河の鎌倉殿の13人を見て、考えを一変。大江の有力者ぶり、その息子である季光は妻方の三浦氏に付き、三浦氏が滅亡した際、自刃するという、いわば鎌倉幕府の中心近くを歩いた人物だったようです。一方、島津忠久は地頭職。どういう流れで薩摩に行ったのかまでは知りませんけどね。いずれにしろ、毛利に島津、どちらも鎌倉の中枢にいたとは、ある意味不思議です。
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    投稿日:2023/03/30

  • 源頼朝のお墓から近い

    • 3.0
    • 旅行時期:2022/12(約4年前)
    • 0

    鶴岡八幡宮から東に歩いて10分ほどの場所に大江広元、毛利秀光、島津忠久ら3名のお墓がります。源頼朝のお墓が近くにあります。...  続きを読む同じような山の斜面の中腹にお墓がありますが、中腹には道はないので、いちいち斜面にある急な階段の上り下りをしないといけません。お墓は甚句的に掘られた洞窟で、石で補強されたものです。不便な場所ですが、墓の前には花が置かれていました。  閉じる

    投稿日:2022/12/05

  • 大江広元公/毛利季光公と島津忠久公の墓

    • 4.0
    • 旅行時期:2022/10(約4年前)
    • 0

    `NHK 鎌倉殿の13人`の文官(政策担当)として活躍した<大江広元公> 、四男の<毛利季光公> 宝治合戦で三浦派に付き鎌...  続きを読む倉法華堂にて自刃…経光の家系だけが唯一残ったとされ中国地方の毛利家の基が☆ 
    鎌倉幕府御家人<島津忠久公>は源頼朝公~源実朝公の3代のに使える御家人;南九州 島津荘の惣地頭(比企の乱で没収) その後 源実朝の学問所番,和田合戦で幕府側に薩摩国地頭職に♪
    なるほど、大江広元公/毛利季光公と島津忠久公のお墓が階段が違うのは納得です!   閉じる

    投稿日:2022/10/22

  • 北条義時法華堂上の三つの洞穴

    • 5.0
    • 旅行時期:2022/09(約4年前)
    • 1

    鎌倉駅東口から徒歩で20分ほどです。「源頼朝の墓」の東側にある北条義時法華堂跡の山の中腹の崖に掘られた三連の「やぐら」に毛...  続きを読む利季光(広元の四男)、大江広元(頼朝の政所別当)、島津忠久(鹿児島の島津氏の祖)の墓がそれぞれあります。急な石段を登るのでくれぐれも上り下りには注意してください。  閉じる

    投稿日:2022/09/17

  • 源頼朝墓の近所

    • 3.5
    • 旅行時期:2022/06(約4年前)
    • 0

    大江広元、毛利季光、島津忠久の墓は、神奈川県JR鎌倉駅から徒歩20分ほどのところにある、幕府御家人の墓です。
    石段を登っ...  続きを読むていくと二手に分かれており、向かって左の石段の先が大江広元と毛利季光、右の石段の上が島津忠久の墓になっています。そこそこしんどいので覚悟して登りましょう。
    お供え物がたくさん置いてあり、彼らが現在でも大事にされてるのが伝わりました。  閉じる

    投稿日:2022/06/30

  • 石段を登っていった洞穴の中にあるお墓です

    • 3.0
    • 旅行時期:2022/04(約5年前)
    • 0

    北条義時のお墓がったとされる空き地(北条義時法華堂跡)から石段を登って行ったところにあります。
    このお墓は鎌倉時代につく...  続きを読むられたわけではなく、大江広元・毛利季光の子孫である長州藩毛利家と島津忠久の子孫である薩摩藩島津家が江戸時代に作ったものです。
    北条義時のお墓がないのは、子孫がいなかったので、つくられなかったのでしょう。
      閉じる

    投稿日:2022/04/04

  • 大江広元は13人のうちの1人

    • 3.0
    • 旅行時期:2021/12(約5年前)
    • 0

    鎌倉時代初期の3名の墓です。大江広元は言わずもがなの人物ですが、毛利季光はその広元の子で毛利氏の祖に当たる人物(なので元就...  続きを読むはその子孫)であり島津忠久は幕末にも名が出てくる薩摩藩主・島津氏の祖です。こんな大物の墓がたくさんあるところがすごいです。  閉じる

    投稿日:2023/03/08

  • なぜか大江広元の墓だけお供え物でいっぱい

    • 3.0
    • 旅行時期:2021/11(約5年前)
    • 0

    JR横須賀線鎌倉駅が最寄り駅。
    鎌倉駅東口から北東へ約1.7㎞のところにあります。
    鎌倉らしい高台の上に石段で上ってい...  続きを読むった先の崖に3つの洞(やぐら)があり、それぞれが墓になっています。
    中央が大江広元、左がその子で毛利氏の祖となる毛利季光、右が源頼朝の子ともいわれる島津忠久の墓です。
    島津氏と毛利氏は、祖先を顕彰するため、源頼朝墓のそばに墓を設けたものと考えられているそうです。
    大江広元の墓だけに果物や花のお供え物で彩られていたのが興味深かったです。

      閉じる

    投稿日:2022/09/13

  •  源頼朝の墓の更に東の山肌に島津忠久、毛利秀光、大江広元のやぐらのお墓があります。頼朝の墓から直接山道を右側に歩いて行くと...  続きを読む辿りつけるそうですが、草が茂っており怖かったため、いったん階段を降りて、舗装された道をさらに右側に奥の方に歩いて行きました。すると再び灯篭と階段が出てきます。
     階段を登ると広場となっており、これは北条義時の墓(法華堂)があった場所だそうです。そして、更に広場の奥に2つの階段が続いており、鳥居のある左の階段を登ると大江広元、毛利秀光の墓、鳥居のない右の階段を登ると島津忠久の墓となっています。
     大江広元は頼朝に仕え鎌倉幕府の基盤を作った人物、その四男が毛利秀光で長州藩毛利家の祖となる人物です。そして、島津忠久は頼朝の庶子と言われており、薩摩藩島津家の祖となる人物です。これらのお墓は18世紀末に薩摩藩第8代当主島津重豪によって、頼朝の墓と共に整備されたとのことです。
     誰もが考える事だとは思いますが、武士政権誕生の鎌倉の地に、武士政権を終わらせた薩長の祖の墓があることに歴史のなんたらを感じます。
      閉じる

    投稿日:2021/09/16

  • 大江広元の墓(鎌倉):墓が三つ並んでる中央

    • 1.0
    • 旅行時期:2020/11(約6年前)
    • 0

    法華堂跡の広場にある急な階段を登った場所に、三つのやぐらの墓がある。

    鎌倉幕府の要職(源頼朝の政務の側近として政所別...  続きを読む当)を務めた大江広元の墓・左手が薩摩藩の祖島津忠久(比企義員の娘・頼朝の愛妾と言われる丹後局が母)の墓・右手が長州藩の祖毛利季光(大江広元の四男)の墓が並んでる。
    法華堂跡の広場の階段麓にあるやぐらは、三浦泰村一族の墓と言われている。

    大江広元の墓だけは地図に表記あるが、現地での各々の名称表示板が無く、非常にわかりにくい場所。
    観光客が一人もおらず、山中の薄暗い静寂な場所だった。

      閉じる

    投稿日:2021/05/05

  • 鎌倉幕府の土台を築いた大江広元

    • 4.0
    • 旅行時期:2020/10(約6年前)
    • 0

    源頼朝の墓のすぐ東に、国指定史跡として北条義時の法華堂(墳墓堂)があります。この法華堂跡の草の広場の奥、丘の上に大江広元の...  続きを読む墓があります。大江広元は、源頼朝の側近として、鎌倉幕府の開幕や、その後の幕府の基礎固めに貢献しました。  閉じる

    投稿日:2020/12/25

  • 鶴岡八幡宮の東200mほどのところに、法華堂跡の奥にある丘の上に、大江広元の墓があります。大江広元の墓と並んで、毛利季光(...  続きを読む広元の四男で毛利氏の祖)、島津忠久(頼朝にゆかりの島津氏の祖)の墓と、3つが並んであります。これらの墓石は、長州・薩摩にゆかりの墓として、江戸後期に長州藩と薩摩藩によって整備されたものです。  閉じる

    投稿日:2020/11/04

  • 金沢街道を歩き大江の広元墓に寄りました

    • 4.0
    • 旅行時期:2018/03(約9年前)
    • 1

    ここも法華堂跡の史跡に含まれているようです。石段の手前のやぐら(鎌倉周辺で多く見られ横穴式の納骨窟または供養堂)は三浦康村...  続きを読む一族の墓と言われています。墓は北條義時の新法華堂広場から100段余の石段を登り切ったところにあります。右のやぐらは、十八世紀末島津重豪が初代忠久の墓を造営、左は十九世紀初め毛利斉煕が初代毛利季光の墓、中央は毛利季光の父大江広元の墓を造営しました。大大名毛利家は大江家出身とは知りませんでした。墓はどなたかが掃除をされているようで、きれいに整備されていました。鶴岡八幡宮は大混雑に対し、ここは観光客ゼロ、ゆっくり拝観できました
    「日時」2018年3月17日 晴れ
    「アクセス」鎌倉駅下車、大塔宮行きバスで岐れ道バス停下車徒歩9分
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    投稿日:2018/07/02

  • 鎌倉幕府の基礎固めをした大江広元

    • 4.0
    • 旅行時期:2016/01(約11年前)
    • 0

    白旗神社を東方向へ進むと左手に石段があります。それを上ったところに三浦一族の墓といわれるやぐらがあります。三浦一族は宝治合...  続きを読む戦で北条と戦い、三浦泰村以下一族郎党500人がここで自刃したといわれます。その奥にある石段をさらに上ると「やぐら」が3つ並んでいます。これが大江広元・島津忠久・毛利季光の墓といわれています。大江広元は京都の公家で、頼朝に招かれ鎌倉幕府の基礎固めをした人物です。大江広元の子孫は毛利氏を名乗り、西国で有力な戦国大名になりました。  閉じる

    投稿日:2016/02/06

  • 階段が凄く長くてキツくて行くのがとても大変!

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/02(約12年前)
    • 0

    源頼朝の墓から看板に従って小道に入っていきます。
    たどり着くまでにそれはそれは長くてキツい階段を沢山登る必要がありとって...  続きを読むも大変!
    手すりもなく、階段自体もガタガタした歩きづらい階段ですので体力のない方や足腰の弱い方は辞めた方がいいと思います…。
    階段を最後まで登ると、シンとした場所にお墓が3つ並んでいて、大江広元の墓は真ん中だそうです。

    歴史・ご由緒のある場所ですが決して派手でなく、少し怖いくらい静かな場所でお祀りされているんだなぁ…と穏やかな気持ちになりました。  閉じる

    投稿日:2015/02/22

  • 末裔は毛利家

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/01(約12年前)
    • 0

    京の下級貴族から源頼朝の秘書室長というか官房長官を経て、尚かつ北条でも重用され副将軍格だったという。(北条氏自体執権という...  続きを読む副将軍)ただイメージとして武官のなかの文官ですから怜悧な人だったかもしれまんが、血は毛利家に流れていきました、判るような気がします。  閉じる

    投稿日:2015/01/20

  • 雪の下の源頼朝の墓入り口から山沿いに東に数十メートル行くと、草が生い茂った階段があります。その階段を山沿いに上ると、一つの...  続きを読むやぐらが口を開けています。このやぐらが三浦一族のやぐらです。

    その前に広がる平地が旧法華堂跡地だと考えられ、平成に発掘調査が行われました。さらにうらぶれた鳥居と、上に登る二つの平行する階段があります。これを登ると、毛利季光、大江広元、島津忠久の墓と呼ばれる3つの墓があります。横穴古墳を再利用したと思われるやぐら内部には五輪の塔などが置かれています。

    廃墟感が著しく、鎌倉期の武将間の内部紛争の凄まじさに思いを寄せるにつけ、「無常」の二文字が浮かんできます。鎌倉らしい。  閉じる

    投稿日:2014/09/24

  • 石段キツい、やぐらの墓です

    • 3.5
    • 旅行時期:2014/04(約13年前)
    • 0

    頼朝の墓の並びの山域にあります。
    北条義時法華堂跡の平場から入ると急勾配の石段を登ります。かなりキツい。
    三つのやぐら...  続きを読む(洞窟風の中に供養塔・墓が祀られている)があり、大江広元は真ん中です。標識案内等見当たりませんでした。文政6年(1823)長州藩により祀られた(建てられた)と・・・これら薀蓄は他のクチコミコメントで詳しく発信されています。
    また、伝大江広元の墓(層塔)としては、十二所の明王院裏山(胡桃谷)にあるとも旅行記にありました。  閉じる

    投稿日:2014/04/09

  • 鎌倉幕府の政所初代別当を勤めた大江広元

    • 4.0
    • 旅行時期:2014/03(約13年前)
    • 1

    源頼朝の墓所の並びのような場所ですが、鎌倉幕府の政所初代別当を勤めた大江広元の墓があります。墓は、大江広元の墓を中心に、両...  続きを読む側には島津忠久と毛利季光(広元の四男)の墓。島津忠久は、薩摩藩島津氏の祖であり、毛利季光は、三浦の乱で北条時頼軍に敗れ討ち死。いずれにしても、薩摩の島津と長州の毛利が並んでいて、政治的な思惑のある設定です。

      閉じる

    投稿日:2014/03/19

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施設名
大江広元、毛利季光、島津忠久の墓
住所
  • 神奈川県鎌倉市西御門2-9
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡

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