毛利に島津、まるで幕末
- 3.0
- 旅行時期:2023/01(約1年前)
-
by amaroさん(男性)
鎌倉 クチコミ:69件
鎌倉の北条義時法華堂跡の裏手にある、左右並んだ階段を登っていくと、左手に大江広元、毛利季光、右手に島津忠久の墓があります。以前、訪れたとき、大江の存在は知らず、江戸時代に整備されていたころから、幕末の雄藩である毛利、島津が示し合わせて名門をアピールするためにやったのかな、なんて思ってました。でも、NHK大河の鎌倉殿の13人を見て、考えを一変。大江の有力者ぶり、その息子である季光は妻方の三浦氏に付き、三浦氏が滅亡した際、自刃するという、いわば鎌倉幕府の中心近くを歩いた人物だったようです。一方、島津忠久は地頭職。どういう流れで薩摩に行ったのかまでは知りませんけどね。いずれにしろ、毛利に島津、どちらも鎌倉の中枢にいたとは、ある意味不思議です。
- 施設の満足度
-
3.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
クチコミ投稿日:2023/03/30
いいね!:0票