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大江広元、毛利季光、島津忠久の墓

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大江広元、毛利季光、島津忠久の墓 クチコミ・アクセス・周辺情報

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    鎌倉散策(15)鎌倉殿13人重臣で大江広元・毛利末光・島津忠久の墓に寄りました

    4.0

    新法華堂跡の奥にある石段を登ったところにあります。三基の墓が並んでいます。大江広元は13人の一人で、京都から下った実務官...  続きを読む僚で、政所の別当(長官)として活躍した頼朝殿の側近です。隣にある毛利末光は広元の四男で、鎌倉幕府の役人になり長州毛利家の祖となる人です(宝治合戦で三浦泰村方に付き、敗戦自刃する)。子孫の毛利斉煕がこれら二基を江戸時代後期に造営する。島津忠久(一説に頼朝の子といわれる)は鎌倉幕府の役人で薩摩島津藩の祖となる人です。子孫の島津重豪が江戸時代後期に造営しました。三基ともやぐらの中に五輪塔の墓が安置されています。江戸時代の大大名島津家と毛利家は鎌倉時代から存在する家柄で、江戸時時代幕末には薩長連合を結び江戸幕府討幕に協力しあった。見えない糸で結ばれていたのですね 「日時」2023年5月9日  「アクセス」横須賀線鎌倉駅より徒歩19分   閉じる

クチコミ・評判 2ページ目

21~27件(全28件中)

  • 階段が凄く長くてキツくて行くのがとても大変!

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/02(約11年前)
    • 0

    源頼朝の墓から看板に従って小道に入っていきます。
    たどり着くまでにそれはそれは長くてキツい階段を沢山登る必要がありとって...  続きを読むも大変!
    手すりもなく、階段自体もガタガタした歩きづらい階段ですので体力のない方や足腰の弱い方は辞めた方がいいと思います…。
    階段を最後まで登ると、シンとした場所にお墓が3つ並んでいて、大江広元の墓は真ん中だそうです。

    歴史・ご由緒のある場所ですが決して派手でなく、少し怖いくらい静かな場所でお祀りされているんだなぁ…と穏やかな気持ちになりました。  閉じる

    投稿日:2015/02/22

  • 末裔は毛利家

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/01(約11年前)
    • 0

    京の下級貴族から源頼朝の秘書室長というか官房長官を経て、尚かつ北条でも重用され副将軍格だったという。(北条氏自体執権という...  続きを読む副将軍)ただイメージとして武官のなかの文官ですから怜悧な人だったかもしれまんが、血は毛利家に流れていきました、判るような気がします。  閉じる

    投稿日:2015/01/20

  • 雪の下の源頼朝の墓入り口から山沿いに東に数十メートル行くと、草が生い茂った階段があります。その階段を山沿いに上ると、一つの...  続きを読むやぐらが口を開けています。このやぐらが三浦一族のやぐらです。

    その前に広がる平地が旧法華堂跡地だと考えられ、平成に発掘調査が行われました。さらにうらぶれた鳥居と、上に登る二つの平行する階段があります。これを登ると、毛利季光、大江広元、島津忠久の墓と呼ばれる3つの墓があります。横穴古墳を再利用したと思われるやぐら内部には五輪の塔などが置かれています。

    廃墟感が著しく、鎌倉期の武将間の内部紛争の凄まじさに思いを寄せるにつけ、「無常」の二文字が浮かんできます。鎌倉らしい。  閉じる

    投稿日:2014/09/24

  • 石段キツい、やぐらの墓です

    • 3.5
    • 旅行時期:2014/04(約12年前)
    • 0

    頼朝の墓の並びの山域にあります。
    北条義時法華堂跡の平場から入ると急勾配の石段を登ります。かなりキツい。
    三つのやぐら...  続きを読む(洞窟風の中に供養塔・墓が祀られている)があり、大江広元は真ん中です。標識案内等見当たりませんでした。文政6年(1823)長州藩により祀られた(建てられた)と・・・これら薀蓄は他のクチコミコメントで詳しく発信されています。
    また、伝大江広元の墓(層塔)としては、十二所の明王院裏山(胡桃谷)にあるとも旅行記にありました。  閉じる

    投稿日:2014/04/09

  • 鎌倉幕府の政所初代別当を勤めた大江広元

    • 4.0
    • 旅行時期:2014/03(約12年前)
    • 1

    源頼朝の墓所の並びのような場所ですが、鎌倉幕府の政所初代別当を勤めた大江広元の墓があります。墓は、大江広元の墓を中心に、両...  続きを読む側には島津忠久と毛利季光(広元の四男)の墓。島津忠久は、薩摩藩島津氏の祖であり、毛利季光は、三浦の乱で北条時頼軍に敗れ討ち死。いずれにしても、薩摩の島津と長州の毛利が並んでいて、政治的な思惑のある設定です。

      閉じる

    投稿日:2014/03/19

  • 頼朝の墓の近くに立つ三公の墓

    • 3.5
    • 旅行時期:2012/07(約14年前)
    • 0

     頼朝の墓の裏の山腹に3つのやぐらの墓があります。その真ん中が鎌倉幕府の要職を務めた大江広元の墓で、左側に広元の子の毛利季...  続きを読む光の墓が、右側には薩摩島津氏の祖、島津忠久の墓があります。現在の墓は島津氏が頼朝の墓とともに立てたものです。
     頼朝の墓から行くと、山道を登らないといけませんし、反対側の北条義時の法華堂の跡の方からは行く人もほとんどいなくて、いつも閑散としています。  閉じる

    投稿日:2014/01/26

  • なーんかとっても政治的

    • 3.0
    • 旅行時期:2010/02(約16年前)
    • 0

    何となく政治的な臭いを感じてしまったのが鎌倉の「大江広元・毛利季光・島津忠久の墓」でした。「源頼朝の墓」近くにあり、鎌倉伝...  続きを読む統である、岩穴を彫ってつくった「やぐら」風。それは分かるのですが、頼朝の側近、大江広元の息子である毛利季光は、長州の毛利家の開祖とされています。島津忠久は頼朝のご落胤とされ、その後、薩摩の島津氏になったとされています。明治維新の主役、薩長のご先祖さまの墓が並んでいるというわけです。もしかしたら、幕末から明治にかけ、薩長同盟の証しとしてつくられたのかもしれません。なーんかすごーく政治的な感じがします。  閉じる

    投稿日:2012/09/07

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基本情報(地図・住所)

施設名
大江広元、毛利季光、島津忠久の墓
住所
  • 神奈川県鎌倉市西御門2-9
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡

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