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今年初の海外です。<br />毎度の事ながら、休みを取りやすい時期が、2月、6月、11月の15~20日って会社に勤めてるので、今回も16日の木曜日から20日の月曜日まで、土日を挟んで休みを2日と1日に分けての出発となりました。<br />北京往復はいつもの中国国際航空です。息子の住む大阪を往復して来るのとほぼ同じ料金で航空券が買えます。そして、宿泊はANAのマイレージモール経由でbooking.comから行いました。レートの変動は有ったものの、4泊で千元以下ですから、旅行の基本代金は4万円台に収まりました。これに現地での交通費、飲食代と観光にかかるお金が加わります。<br />結果的にクレジットカードが使えず全て現金払いになったので、使ったのはホテル代含めて2500元と航空運賃です。&lt;br /&gt;出発から帰国まで5日間、7万円台のエコノミーな旅ですが、お蔭様でタイトル通り、色んな人に助けられて楽しんで来ました。<br /><br />承徳は清の時代の皇帝が避暑地として利用した場所でした。<br />初中国だった北京独り旅、息子と旅友さん母子(息子が小6の時に上九一色村ツアーで出会い、社会人になるまでの10年、国内外何度もご一緒した方)と4人で参加したクラブツーリズムの上海水郷巡りに続いて、良さげと思ったツアーが承徳絡みだったのですが、一旦予約までしたものの、何かの都合で行かれなくなり、その後全く同様のツアーが発表されないまま、10年以上が経ってしまいました。まぁ、今となってはわざわざツアーに参加しようって気にはなりませんけどね。<br /><br />去年の11月から父の体調が急激に悪くなり、1月には車椅子無しでは外に出られないほどにまでなって、いきなりの介護を経験する事となりました。それでも父はPHOに、旅行するのを止めるなと言ってくれて、それではと行き先をあれこれ考える余裕の無い中、思い出したのが承徳でした。<br />結果、父は4月に亡くなってしまいましたが、旅行前に納骨も済ませ、こうして承徳にやって来る事が出来ました。<br /><br />今日は承徳に在る世界遺産「避暑山荘と外八廟」のうちの避暑山荘を訪れます。かなり広いらしく、1日かけても見切れないって話も聞いています。その広さたるや、日本最大の庭園京都の修学院離宮の10倍とか。北京の故宮の8倍にもなるそうです。一応お昼過ぎまで歩き回って、少し遅めの昼食を外でって計画です。<br />Wikipediaによれば、避暑山荘は、中国河北省承徳市に在る清朝時代の離宮で中国四大名園の一つです。総面積5460平方kmで、周囲の城壁は10kmにも及びます。<br />承徳は気候が良く、自然が豊かで景色に優れ、また温泉なども在った事から、康熙帝は1703年に此処に離宮を造る事を決定しました。雍正帝の治世を経て乾隆帝治世の1741年から大規模な整備がなされ、着工から87年の時を経て1790年に完成しています。<br />避暑山荘の建築にあたっては、江南地方の名園・名勝を参考にしたと言われ、蘇州の獅子林や寒山寺、杭州の武陵寺六和塔、鎮江の金山亭、嘉興の煙雨楼などを模して作られた建造物があり、内モンゴルや大興安嶺などから松が持ち込まれ移植されています。また園内の文津閣には四庫全書が収蔵されています。<br />1994年に世界遺産に登録されています。<br /><br />避暑山荘は大きく分けて、宮殿区と風景区とで構成されています。<br />前の前の旅行記では宮殿区を紹介しました。<br />http://4travel.jp/travelogue/11147923<br />前の旅行記では風景区の前半、池の周囲の湖景区をご覧に入れました。<br />http://4travel.jp/travelogue/11148687<br /><br />此処では風景区の後半、平原区から山景区の一部を載せています<br />

自力で乗り継ぐ北京~古北口~金山嶺~承徳~北京♪良い人ばかりの河北省 〈酷暑の避暑山荘の巻・主に山編〉

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2016/06/16 - 2016/06/20

5位(同エリア57件中)

PHOPHOCHANG

PHOPHOCHANGさん

今年初の海外です。
毎度の事ながら、休みを取りやすい時期が、2月、6月、11月の15~20日って会社に勤めてるので、今回も16日の木曜日から20日の月曜日まで、土日を挟んで休みを2日と1日に分けての出発となりました。
北京往復はいつもの中国国際航空です。息子の住む大阪を往復して来るのとほぼ同じ料金で航空券が買えます。そして、宿泊はANAのマイレージモール経由でbooking.comから行いました。レートの変動は有ったものの、4泊で千元以下ですから、旅行の基本代金は4万円台に収まりました。これに現地での交通費、飲食代と観光にかかるお金が加わります。
結果的にクレジットカードが使えず全て現金払いになったので、使ったのはホテル代含めて2500元と航空運賃です。<br />出発から帰国まで5日間、7万円台のエコノミーな旅ですが、お蔭様でタイトル通り、色んな人に助けられて楽しんで来ました。

承徳は清の時代の皇帝が避暑地として利用した場所でした。
初中国だった北京独り旅、息子と旅友さん母子(息子が小6の時に上九一色村ツアーで出会い、社会人になるまでの10年、国内外何度もご一緒した方)と4人で参加したクラブツーリズムの上海水郷巡りに続いて、良さげと思ったツアーが承徳絡みだったのですが、一旦予約までしたものの、何かの都合で行かれなくなり、その後全く同様のツアーが発表されないまま、10年以上が経ってしまいました。まぁ、今となってはわざわざツアーに参加しようって気にはなりませんけどね。

去年の11月から父の体調が急激に悪くなり、1月には車椅子無しでは外に出られないほどにまでなって、いきなりの介護を経験する事となりました。それでも父はPHOに、旅行するのを止めるなと言ってくれて、それではと行き先をあれこれ考える余裕の無い中、思い出したのが承徳でした。
結果、父は4月に亡くなってしまいましたが、旅行前に納骨も済ませ、こうして承徳にやって来る事が出来ました。

今日は承徳に在る世界遺産「避暑山荘と外八廟」のうちの避暑山荘を訪れます。かなり広いらしく、1日かけても見切れないって話も聞いています。その広さたるや、日本最大の庭園京都の修学院離宮の10倍とか。北京の故宮の8倍にもなるそうです。一応お昼過ぎまで歩き回って、少し遅めの昼食を外でって計画です。
Wikipediaによれば、避暑山荘は、中国河北省承徳市に在る清朝時代の離宮で中国四大名園の一つです。総面積5460平方kmで、周囲の城壁は10kmにも及びます。
承徳は気候が良く、自然が豊かで景色に優れ、また温泉なども在った事から、康熙帝は1703年に此処に離宮を造る事を決定しました。雍正帝の治世を経て乾隆帝治世の1741年から大規模な整備がなされ、着工から87年の時を経て1790年に完成しています。
避暑山荘の建築にあたっては、江南地方の名園・名勝を参考にしたと言われ、蘇州の獅子林や寒山寺、杭州の武陵寺六和塔、鎮江の金山亭、嘉興の煙雨楼などを模して作られた建造物があり、内モンゴルや大興安嶺などから松が持ち込まれ移植されています。また園内の文津閣には四庫全書が収蔵されています。
1994年に世界遺産に登録されています。

避暑山荘は大きく分けて、宮殿区と風景区とで構成されています。
前の前の旅行記では宮殿区を紹介しました。
http://4travel.jp/travelogue/11147923
前の旅行記では風景区の前半、池の周囲の湖景区をご覧に入れました。
http://4travel.jp/travelogue/11148687

此処では風景区の後半、平原区から山景区の一部を載せています

旅行の満足度
3.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
高速・路線バス 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 永佑寺に向かう道は芍薬園と牡丹園でしたが、そっちはシーズン終わっちゃってて、生け垣代わりになっていた薔薇は辛うじて幾つか咲いてるって感じ<br /><br />

    永佑寺に向かう道は芍薬園と牡丹園でしたが、そっちはシーズン終わっちゃってて、生け垣代わりになっていた薔薇は辛うじて幾つか咲いてるって感じ

  • 芍薬園、読めますね<br />

    芍薬園、読めますね

  • 牡丹園、これも判ります<br /><br />

    牡丹園、これも判ります

  • でも咲いてるのは薔薇<br />

    でも咲いてるのは薔薇

  • 位置的には避暑山荘の一番東寄りを歩いています。永佑寺手前に出口も在りました<br /><br />

    位置的には避暑山荘の一番東寄りを歩いています。永佑寺手前に出口も在りました

  • 永佑寺に到着しました。<br />此処でお婆ちゃん、お母さんと女ばかり家族3世代で来ていた女の子と目が合い(と言うかPHOが彼女のネイルを気にしてた)、ネイル可愛いねとジェスチャーで示すと、とっても嬉しそうな笑顔を返してくれると言うエピソードが有りました。これ覚えといてね(後で良い事、有りません)<br />

    永佑寺に到着しました。
    此処でお婆ちゃん、お母さんと女ばかり家族3世代で来ていた女の子と目が合い(と言うかPHOが彼女のネイルを気にしてた)、ネイル可愛いねとジェスチャーで示すと、とっても嬉しそうな笑顔を返してくれると言うエピソードが有りました。これ覚えといてね(後で良い事、有りません)

  • 舎利塔。<br />これも何処かのを摸して造らせたのだと思うのですが、何処って言うのが検索しても見当たらず・・

    舎利塔。
    これも何処かのを摸して造らせたのだと思うのですが、何処って言うのが検索しても見当たらず・・

  • 舎利塔内部

    舎利塔内部

  • モンゴルのパオ。<br />音楽が流れてたのですが、中へは入れません<br />

    モンゴルのパオ。
    音楽が流れてたのですが、中へは入れません

  • 一部工事中。ってか、これを見ると此処がゲートになるような?<br />

    一部工事中。ってか、これを見ると此処がゲートになるような?

  • 万樹園。<br />広い平原区の東北部にあり北に山麓、南は澄湖に面しています。園内は自然がそのまま活かされ、土木工事は一切施されていません。<br />乾隆帝がモンゴルの王侯貴族や外国使節に接見するための包(パオ)が置きました。パンチェン・ラマ6世や、イギリス、ミャンマー、ベトナム、朝鮮、ラオスなどの各国使節と接見した記録が残っています。また、ここで酒宴を催す事もあり、「万樹園賜宴図」などの絵図が今も伝わっています。<br /><br />なお、平原区の南部にあたる澄湖の畔には、この草原の風景を詠んだ乾隆帝の詩“緑毯八韵”が刻まれた碑が建っています<br />

    万樹園。
    広い平原区の東北部にあり北に山麓、南は澄湖に面しています。園内は自然がそのまま活かされ、土木工事は一切施されていません。
    乾隆帝がモンゴルの王侯貴族や外国使節に接見するための包(パオ)が置きました。パンチェン・ラマ6世や、イギリス、ミャンマー、ベトナム、朝鮮、ラオスなどの各国使節と接見した記録が残っています。また、ここで酒宴を催す事もあり、「万樹園賜宴図」などの絵図が今も伝わっています。

    なお、平原区の南部にあたる澄湖の畔には、この草原の風景を詠んだ乾隆帝の詩“緑毯八韵”が刻まれた碑が建っています

  • モンゴルの後だからじゃないけど、平原区が続きます<br /><br />

    モンゴルの後だからじゃないけど、平原区が続きます

  • 雲容水態。<br />雲の姿と水の状態の事。<br />転じて、雲の形や水の様子がさまざまに変化する事で、空の景色が次々に変わっていく様を言います。夏目漱石の「草枕」の文中に雲容煙(霞)態と言う表現が有ります

    雲容水態。
    雲の姿と水の状態の事。
    転じて、雲の形や水の様子がさまざまに変化する事で、空の景色が次々に変わっていく様を言います。夏目漱石の「草枕」の文中に雲容煙(霞)態と言う表現が有ります

  • その右に、「行っても良いのか?」的小さな扉と石段。高い所が好きなPHOは此処から登ってみます

    その右に、「行っても良いのか?」的小さな扉と石段。高い所が好きなPHOは此処から登ってみます

  • 避暑山荘の東〜南東方向を見ています。川の手前までが山荘内。この広さでも此処から見えるのは山荘の2割も無いとか。何しろ全体の8割は山景区と呼ばれる東側に広がる山なのだそうです

    避暑山荘の東〜南東方向を見ています。川の手前までが山荘内。この広さでも此処から見えるのは山荘の2割も無いとか。何しろ全体の8割は山景区と呼ばれる東側に広がる山なのだそうです

  • 主に平原区

    主に平原区

  • まだ登るの、前日の金山嶺より汗だくです<br />

    まだ登るの、前日の金山嶺より汗だくです

  • 磬錘峰の奇岩、普楽寺が見えています。行ける時間が有ると良いのですが・・

    磬錘峰の奇岩、普楽寺が見えています。行ける時間が有ると良いのですが・・

  • あれれ、これは何処のお寺でしょう?北から西にかけての方向だと思います<br />

    あれれ、これは何処のお寺でしょう?北から西にかけての方向だと思います

  • 南東〜南方向に承徳市街地の中心部が見えています。承徳って盆地なのに避暑地にしたんだね

    南東〜南方向に承徳市街地の中心部が見えています。承徳って盆地なのに避暑地にしたんだね

  • さっきより高く上がって来たので山荘内に在る永佑寺の舎利塔も見えました

    さっきより高く上がって来たので山荘内に在る永佑寺の舎利塔も見えました

  • 平原区の西部にある文津閣は、1774年(清の乾隆39年)に浙江省寧波の範氏天一閣を模して建てられました。楼閣の東側にある碑亭には「文津閣碑記」が立っています。<br />北京の故宮内にある文渊閣、円明園の文源閣、瀋陽の故宮内にある文溯閣と合わせて“四閣”とも称され、皇家の書庫として使用されていました。<br /><br />楼閣のひさしは2層に見えますが、実際は内部にもう1層あって3層構造になっています。内部に層を増やす事により直射日光が入るのをより効果的に防げる仕組みになっているのです。<br />楼閣上部には乾隆帝直筆の“文津閣”の額が掛かっています。<br />前方にある池の水面には築山や楼閣が映し出され、また、築山の上には東に月台、西に趣亭が建っており、風情のある景色が広がっています。<br /><br />内部にはかつて「四庫全書」や「古今図書集成」が納められていましたが、辛亥革命後に「四庫全書」は北京図書館へ移され、「古今図書集成」は軍閥などの盗難に遭い、現在は行方が判らなくなってしまいました<br /><br />

    平原区の西部にある文津閣は、1774年(清の乾隆39年)に浙江省寧波の範氏天一閣を模して建てられました。楼閣の東側にある碑亭には「文津閣碑記」が立っています。
    北京の故宮内にある文渊閣、円明園の文源閣、瀋陽の故宮内にある文溯閣と合わせて“四閣”とも称され、皇家の書庫として使用されていました。

    楼閣のひさしは2層に見えますが、実際は内部にもう1層あって3層構造になっています。内部に層を増やす事により直射日光が入るのをより効果的に防げる仕組みになっているのです。
    楼閣上部には乾隆帝直筆の“文津閣”の額が掛かっています。
    前方にある池の水面には築山や楼閣が映し出され、また、築山の上には東に月台、西に趣亭が建っており、風情のある景色が広がっています。

    内部にはかつて「四庫全書」や「古今図書集成」が納められていましたが、辛亥革命後に「四庫全書」は北京図書館へ移され、「古今図書集成」は軍閥などの盗難に遭い、現在は行方が判らなくなってしまいました

  • 宮殿区の煙雨楼に似てますね

    宮殿区の煙雨楼に似てますね

  • なので似たような写真を撮ります

    なので似たような写真を撮ります

  • こっちの岩の方が迫力有りますね

    こっちの岩の方が迫力有りますね

  • 網目状、何て言うんだっけ?

    網目状、何て言うんだっけ?

  • こういうの中国っぽい

    こういうの中国っぽい

  • 曲水荷香。<br />康熙帝、乾隆帝は此処でモンゴルのお偉い方をもてなしたのだそうです。って飲食はし難そう

    曲水荷香。
    康熙帝、乾隆帝は此処でモンゴルのお偉い方をもてなしたのだそうです。って飲食はし難そう

  • 皇帝の乗馬場

    皇帝の乗馬場

  • 草原区(の一部)を斜めに横切る遊歩道

    草原区(の一部)を斜めに横切る遊歩道

  • 一面に草原が広がる平原区。万樹園はこの平原区の東北部にあり北に山麓、南は澄湖に面しています。此処には、乾隆帝直筆の“万(萬)樹園”という文字が刻まれた丸い石碑が残っています。園内は自然がそのまま活かされ、土木工事は一切施されていません

    一面に草原が広がる平原区。万樹園はこの平原区の東北部にあり北に山麓、南は澄湖に面しています。此処には、乾隆帝直筆の“万(萬)樹園”という文字が刻まれた丸い石碑が残っています。園内は自然がそのまま活かされ、土木工事は一切施されていません

  • 平原区の南部にあたる澄湖の畔には、この草原の風景を詠んだ乾隆帝の詩“緑毯八韵”が刻まれた碑が建っていますが、遊歩道から微妙に遠く、大して大きくもないので、木陰で憩う数人以外は人通りも有りませんでした

    平原区の南部にあたる澄湖の畔には、この草原の風景を詠んだ乾隆帝の詩“緑毯八韵”が刻まれた碑が建っていますが、遊歩道から微妙に遠く、大して大きくもないので、木陰で憩う数人以外は人通りも有りませんでした

  • 鶯の囀りを聞く為の楼

    鶯の囀りを聞く為の楼

  • 木々と湖との眺望を楽しむ楼

    木々と湖との眺望を楽しむ楼

  • 正門に出ようか、東門に出ようか迷ってウロウロした挙句、次の目的地へのアプローチを考えて、東に出ました。予定をかなりオーバーし、既に1時半を廻っています。<br />お腹空いたよ、山荘内ではヨーグルト飲んだだけだし。けど、飲食店が1軒も無い・・てか目の前は武烈河でした

    正門に出ようか、東門に出ようか迷ってウロウロした挙句、次の目的地へのアプローチを考えて、東に出ました。予定をかなりオーバーし、既に1時半を廻っています。
    お腹空いたよ、山荘内ではヨーグルト飲んだだけだし。けど、飲食店が1軒も無い・・てか目の前は武烈河でした

  • 橋を渡って住宅街を抜け、大通りに出て、ようやく見付けた飲食店。ソッコー入店です。良く見ると周囲に何軒も在りましたが、最初に目に付いた所に入っちゃいました<br />

    橋を渡って住宅街を抜け、大通りに出て、ようやく見付けた飲食店。ソッコー入店です。良く見ると周囲に何軒も在りましたが、最初に目に付いた所に入っちゃいました

  • 暑いので、喉は乾いても食欲は今一つ。喉の滑りの良いアッサリしたモノが食べたかったのと、店の外観の割りには値段がちょっとお高めだったので餃子をチョイス。中の具は3種類くらい有りました。肉入り、青菜ばっかり、色々野菜みたいな感じ。食べ切れませんでした、飽きちゃって。<br />ついでながら、冷蔵庫から勝手に取って来て、後で一緒に精算するペットボトルのお茶は言うまでも無く、甘いです。<br /><br />PHOの後から入って来た家族5人が物凄い勢いでオーダーしてくのを羨ましく見てたのですが、蜂の巣を柔らかくしたような、変な形の食材が運ばれてくるにあたっては、思わず「これ、何?」と尋ねちゃってました。メモに書いてもらったのです、請写一下で蓚面窩子だそうです。 <br />夕飯で入った店でそのメモ見せました。後で調べたら満州料理で、承徳名物蕎麦粉を使った料理でした。 <br />次は是非それ食べなくちゃ!

    暑いので、喉は乾いても食欲は今一つ。喉の滑りの良いアッサリしたモノが食べたかったのと、店の外観の割りには値段がちょっとお高めだったので餃子をチョイス。中の具は3種類くらい有りました。肉入り、青菜ばっかり、色々野菜みたいな感じ。食べ切れませんでした、飽きちゃって。
    ついでながら、冷蔵庫から勝手に取って来て、後で一緒に精算するペットボトルのお茶は言うまでも無く、甘いです。

    PHOの後から入って来た家族5人が物凄い勢いでオーダーしてくのを羨ましく見てたのですが、蜂の巣を柔らかくしたような、変な形の食材が運ばれてくるにあたっては、思わず「これ、何?」と尋ねちゃってました。メモに書いてもらったのです、請写一下で蓚面窩子だそうです。
    夕飯で入った店でそのメモ見せました。後で調べたら満州料理で、承徳名物蕎麦粉を使った料理でした。
    次は是非それ食べなくちゃ!

  • 熱河古生物化石博覧館に行きたくて、何回か道を尋ねながら歩いたのですが、誰も知らないの。1人だけ、あっちって指指してくれた人と、避暑山荘博物館じゃないのか?って聞き返して来た人とが居たけど、結局判らず終い。<br />バスで今来た方向に戻り、山の上の岩目指します。時間も手前も無駄にして疲れちゃった‥でも、続きます<br />

    熱河古生物化石博覧館に行きたくて、何回か道を尋ねながら歩いたのですが、誰も知らないの。1人だけ、あっちって指指してくれた人と、避暑山荘博物館じゃないのか?って聞き返して来た人とが居たけど、結局判らず終い。
    バスで今来た方向に戻り、山の上の岩目指します。時間も手前も無駄にして疲れちゃった‥でも、続きます

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