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 鎌倉市内にも長屋門は残っている。旧鎌倉町(鎌倉中)には皆無であるが、鎌倉在(田舎)には今でも見られる。<br /> 江戸時代に多く建てられた長屋門は、元々は武家屋敷門として発生したが、郷村武士の家格をもつ家や、苗字帯刀を許された富裕な農家・名主でも長屋門は作られた。更に明治以後は他の富農の家屋敷にも作られるようになった。鎌倉市域の在郷の田舎に長屋門が残っているのはこうした武家屋敷と名主屋敷の名残であろう。<br /> 大船にある甘糟家長屋門は元々は武家屋敷に建てられた長屋門を引き継ぐものであろう。<br /> 手広にある内海家は、母屋は覚園寺境内に移築されているが、長屋門は残されたようだ。<br /> 城廻にある平井家の長屋門は2階建で堂々としている。<br /> 植木にある小阪家の長屋門も名主屋敷の名残だ。<br /> 植木にある貞宗寺の長屋門は貞宗院(家康の寵愛を受けた側室・お愛の方(西郷局)の実母)が大長寺四世暁誉源栄に帰依し、籠で岩瀬の大長寺の源栄の元にあしげく通っていた。その籠番を住まわせていたのがこの長屋門と伝えられている。今では廃屋同然の姿を見せている。もし、伝えられているように、400年以上も前に建てられた長屋門だとしたら非常に由緒あるものだ。<br />(表紙写真は内海家長屋門)

鎌倉の長屋門巡り

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2010/01/11 - 2010/09/20

4677位(同エリア7090件中)

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 鎌倉市内にも長屋門は残っている。旧鎌倉町(鎌倉中)には皆無であるが、鎌倉在(田舎)には今でも見られる。
 江戸時代に多く建てられた長屋門は、元々は武家屋敷門として発生したが、郷村武士の家格をもつ家や、苗字帯刀を許された富裕な農家・名主でも長屋門は作られた。更に明治以後は他の富農の家屋敷にも作られるようになった。鎌倉市域の在郷の田舎に長屋門が残っているのはこうした武家屋敷と名主屋敷の名残であろう。
 大船にある甘糟家長屋門は元々は武家屋敷に建てられた長屋門を引き継ぐものであろう。
 手広にある内海家は、母屋は覚園寺境内に移築されているが、長屋門は残されたようだ。
 城廻にある平井家の長屋門は2階建で堂々としている。
 植木にある小阪家の長屋門も名主屋敷の名残だ。
 植木にある貞宗寺の長屋門は貞宗院(家康の寵愛を受けた側室・お愛の方(西郷局)の実母)が大長寺四世暁誉源栄に帰依し、籠で岩瀬の大長寺の源栄の元にあしげく通っていた。その籠番を住まわせていたのがこの長屋門と伝えられている。今では廃屋同然の姿を見せている。もし、伝えられているように、400年以上も前に建てられた長屋門だとしたら非常に由緒あるものだ。
(表紙写真は内海家長屋門)

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