2026/09/02 - 2026/09/02
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kojikojiさん
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2026/09/02
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「宗廟」の見学を終えた後は「景福宮」へ移動します。ソウルへ来たのは何時だったか妻と記憶をたどりましたが、もう25年近く前としか分かりません。当時ANAのツアーで金曜の夜に羽田空港からソウルへ飛び、日曜日の深夜にソウルを出て月曜の早朝に羽田空港へ戻るというものでした。つまり会社を休まずに4日間の韓国が楽しめますというものでした。真冬ということもありツアー代金はかなり安かったと思います。南大門の市場でチゲ鍋を食べて、仁寺洞で韓国の人間国宝の池順鐸(チ スンダク)の陶器を買い求め、踏十里古美術街にハマって古い欅の一枚板のバンダジを買い、妻も李朝箪笥バンダジを買う始末です。妻は郵便局から数千円で送ってもらいましたが、バンダジは12,000円という値段に9.000円の送料を払えずにホテルまで届けてもらいました。ANAだったので追加の荷物代はかかりませんでしたが、羽田空港からそれを持ってモノレールで浜松町経由で通勤ラッシュの山手線に乗るのは至難の業でした。さすがに池袋駅からはタクシーで帰りましたが、あまりに付かれてしまい、月曜日の仕事は休む羽目になりました。その時に一緒に行った人がカジノ好きで、「グランド ウォーカーヒル ソウル」に呼んでくれて、焼き肉をご馳走になりました。その後カジノでルーレットにハマり今日に至っています。その後は日韓関係の悪さなどでソウルへ来る機会を失い、今回の旅になりました。ようやく「景福宮」へ来れたという感慨は深かったです。これを機会にじっくりソウルを旅しようと妻と話し合いました。「景福宮」の後はバスで「ロッテ百貨店免税店」で40分ほどのフリータイムになりましたが、免税店で買い物するつもりもなく、そのまま百貨店側の地下まで行き、海鮮キムチの店で試食させてもらいました。値段は少し高いですが、味はとても良いので翌朝に来るとおばちゃんと約束しました。日本語も韓国語も約束は「やくそく」なのでお互いに笑ってしまいます。ツアーの4日目は終日フリータイムなので、ホテルから近い「ロッテ百花店」は買い物に便利です。免税店の後はツアーでの最後の食事で「ダッハンマリとイルサン・カルグクス」という店でタッカンマリをいただきました。さすがに鍋なのでここは夫婦2人用の鍋でしたが、1人参加の方は何院化で鍋をつついていました。タッカンマリ専門店なので鶏肉も美味しく大満足の夕食で、ここでもマッコリ1本と焼酎1本を空けてしまいました。その後ホテルにチェックインですが明洞の退渓路(トェゲロ)に面した「ミリオレホテルソウル明洞」で、ここには2連泊します。少し休んで明洞へ繰り出すつもりでしたが、ここへ来てどっと疲れが出てしまい夜遊びは翌日に持ち越されました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 航空会社
- チェジュ航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
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「宗廟」を出て再びバスに乗り込むと「宗廟」の門とその背後に「北漢山(プカンサン)」がきれいに見えました。次は「景福宮」の見学に向かいますが、バスの移動だと楽ちんです。
宗廟 寺院・教会
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「タプコル公園」の入り口にある「三一門(サミンムン)」です。1919年3月1日に日本からの独立を求める「三・一独立運動」が始まった歴史的な場所として知られています。
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翌日は炎天下の中をソウル市内を歩いて観光したので暑くて死にそうでした。65歳を過ぎるとツアーのありがたみを感じてしまいます。
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15年ぶりにリニューアルされたソウル市の公式シンボルキャラクター「ヘチ」です。伝統的な丹青(たんせい)のピンク色をモチーフにしており、首には不安や悲しみを食べて幸せに変えてくれるとされる鈴をつけています。
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1867年に建設されたかつての「景福宮」の望楼だった「東十字閣」の前を再び通過しました。
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「光化門」は「景福宮」の正門、「勤政殿」を正殿とし、それを結ぶ線に対して左右対称に建物が配置されています。これは北京の紫禁城などの様式を倣ったもので、儒教の思想や伝統にかなっています。
光化門市民ヨルリンマダン 広場・公園
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60歳過ぎの身としては1979年12月に全斗煥などが主導して発生した粛軍クーデターが思い出され、「景福宮」も主要な舞台の1つでした。当時「景福宮」には首都警備司令部の主要部隊の1つが駐屯しており、全斗煥や張世東など反乱軍はここから指揮を執りました。
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1980年代後半でも「ABロード」という旅行雑誌のソウルのページはほぼすべてが「妓生パーティ」と銘打ったもので、とても個人が旅行を楽しめる雰囲気は感じられませんでした。日本の歌や雑誌は1998年から段階的に解禁されたほどで、北朝鮮と同じくらいに近くて遠い国というイメージだったのを思い出します。
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ガイドさんがチケットの手続きをしている間「興礼門」の前で待ちますが、炎天下なので体力が奪われます。
興礼門 史跡・遺跡
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最近は中国各地で唐時代や清時代の衣服やヘアメイクのコスプレが流行っているのは旅をしていて感じましたが、ソウルも同じようなことになっていました。
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地方都市では全く見掛けませんでしたが、さすがソウルです。今度来るときはコスプレに挑戦してみようかと思います。その走りと言えるのか、妻と中国の貴州省を旅した際は苗族やトン族などの本物の衣装を着せてもらう機会がありました。
長角苗族:https://4travel.jp/travelogue/10354530 -
2つ目の門「勤政門」も近くまで来ると奥に「勤政殿」の建物が見えてきます。「景福宮」で1915年に始政五年記念朝鮮物産共進会が開催されることが決定されると、景福宮内の「勤政殿」、「慶会楼」、「光化門」、「思政殿」、「康寧殿」、「交泰殿」などの建築物は保存の価値ありとして修復し展示館として利用することとなります。他方で、「興礼門」およびその回廊や「東宮」などは付属建築物とし、保存の必要なしとして民間に売却のうえで撤去されます。
勤政門 史跡・遺跡
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民藝運動で知られる思想家の柳宗悦は、当時あまり重視されていなかった朝鮮の生活工芸や民衆の美に価値を見いだしました。この際に「光化門」は取り壊しが検討されましたが、柳宗悦などの反対運動の結果、「景福宮」の東北側へ移築された。「興礼門」の回廊内側に流れていた禁川は景福宮外側に付け替えられます。
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朝鮮美術と柳宗悦の出会いは1914年に朝鮮の小学校で教鞭をとっていた浅川伯教がロダンの彫刻を見に宗悦の家を訪れ、その際に手土産に「李朝染付秋草文面取壺」と呼ばれる陶磁器を持参したことに始まります。この陶磁器を見て宗悦は形の美の感覚が最も発達した民族は古朝鮮人であると認識するようになり、朝鮮の工芸品に注目していきます。
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柳宗悦にはかなり前から傾倒していて、「日本民芸館」へは何度も通っています。そして青森の「青森県立美術館」や「棟方志功記念館」、富山の福光など棟方志功の足跡を訪ねる旅もしています。東京から近い栃木県の益子の「濱田庄司記念益子参考館」や「旧濱田庄司邸」、京都の「河井寛次郎記念館」にも何年かごとに通っています。他の人とは違った観点でこの地を訪れて感慨深いです。
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「勤政殿」は1867年に興宣大院君によって再建されました。文武百官からの朝賀を含んだ国家の大きな儀式を挙行することや外国からの使臣を接待するなど、「景福宮」の正殿でありながら同時に法殿でもあったようです。北京の紫禁城の「太和殿」を思わせる風水的な配置を感じるとともにきっちりと「磚」を敷き詰めた敷石と違う朝鮮の美意識を感じます。
勤政殿 城・宮殿
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「勤政殿」の名前は朝鮮王朝初期の政治家で学者であった鄭道伝が名付けました。「勤政殿」の勤政というのは「世の中の事柄は勤しむとうまくできる」という意味があります。
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建物は上下月台(上下2段になっている儀式を行う台)の上に正面5間、側面5間の大きさで建てられた2階建ての建物で、屋根は横から見て八字の模様である八作屋根になっています。こちらは側面から眺めたところです。
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「勤政殿」の外観は2階建てに見えますが、内部は階の区別がなく全体が通じてあるそうです。建物の内側に建てた柱の中央には王の御座があり、その後には「日月五岳図」という屏風絵があります。
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「宗廟」でも見たチャプサンは屋根の上に置かれる守護的な装飾です。「勤政殿」の隅棟には11個の雑像があるようですがちょっと少ないようです。先頭は「仙人」で一行を導く先導役、続く「三国志の人物像」は忠勇の象徴、「孫悟空」は邪気を払い、「猪八戒」は欲望を制する戒め、「沙悟浄」は守護と随行、「三蔵法師」は 正しい道の中心「玉龍(白馬)」は旅を支える存在、「火除けの獣」は火難除けの願い、「邪鬼を払う獣」は魔除けの役目、「力強い獣像」は建物守護の象徴、「端の守護像」は列の締めくくりになります。
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宮殿の五彩は美しく見せるためだけではありません。建物の格を示し、邪気を払う意味を持ち、木材を保護する役割もあります。韓国の宮殿の華やかな軒や柱が印象的なのは「丹青」によるものです。「青」は東と春、「赤」は南と火、「黄」は中央と大地、「白」は西と金、「黒」は北と水という東西南北と陰陽五行を意味します。
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2008年に「崇礼門放火事件」があり、「南大門」は基壇を残して焼失してしまいます。復元にあたって「丹青(彩色)」に使う顔料と「伝統的な接着剤」(膠や漆)は日本製を使用するために韓国国内で批判されて韓国製を使いました。ですが韓国では「伝統的な接着剤」を作る技法はすでに失われていて完成後に数カ月で剥離してしまいます。結果的に「日本製の接着剤は優れている。国宝で実験はできない」との理由もあって、日本製を使うことになった話しはよく覚えています。
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左手に進んだ「慶会楼」は国に祝事があったとき宴を催すために造られた朝鮮時代の由緒ある楼閣で、当時は公式的な行事の時以外は誰も立ち入ることができませんでした。
慶会楼 城・宮殿
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建物は「周易」の原理に基づいて作られたと伝わっており、2階中央の3間は天地人、12間は十二ヶ月を、外側の24本の柱は24節気を意味します。「周易」は古代中国の周王朝で成立した「易経(えききょう)」の原型となる占いと宇宙観の書です。64の卦を用いて吉凶や物事の変化を読み解く体系を指します。
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「周易」について興味を持ったのは高校生の頃に読んだ諸星大二郎の「孔子暗黒伝」という漫画からでした。日本を舞台にした「暗黒神話」に続く作品ですが、中国からインド、ヒマラヤと壮大なストーリーが魅力的で50年近く経った今でも何度も読み返しています。
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「修政殿」の裏側には韓国ドラマでよく見る伝統楽器が並べられていました。詳しくは分かりませんがタイミングが合えば演奏が聴けたのかもしれません。
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「康寧殿」は王と王妃の日常生活のための空間で、王が読書や休憩、臣下たちと面談を行った場所であり、「交泰殿」は王妃が居住し、宮殿の中の暮らしについて監督と指揮を行った場所です。1917年に「昌徳宮」へ移すため「康寧殿」と「交泰殿」を解体しましたが1995 年に復元されました。
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「交泰殿」へはガイドさんが案内してくれませんでしたが、その裏には階段状の花壇を峨嵋山に見立てた庭園があったようです。峨嵋山の庭は裏山の白岳山の運気を寝殿にまで取り入れられるようになっており、王妃の後苑ならではのひっそりと気品が漂う雰囲気が感じられるようです。峨眉山へは苦労して登ったことがるので見てみたかったです。
峨眉山:https://4travel.jp/travelogue/11130152 -
がらんとした「康寧殿」の奥の扉も解放され、奥にある「交泰殿」の建物も見えていました。
康寧殿 史跡・遺跡
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この煙突があるということは建物の床はオンドルになっているということです。宮殿におけるオンドルは王や王妃が冬に過ごす居室を床から温める仕組みです。朝鮮王宮では儀式や公式行事の空間は広く開放的な板の間が多く、私的な生活空間や寝殿にはオンドルが用いられるのが大きな特徴です。
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宮殿のオンドルは民家と同じく焚口で起こした熱と煙を床下に通し、最後に煙突へ抜く仕組みです。ただし宮殿では暖房設備であると同時に、煙突そのものが装飾的に造られることもあり、美しい煉瓦のオンドル煙突がよく知られています。実用品でありながら景観の一部でもあった点が宮殿らしいところです。
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これだけ韓服を着た人が多いのは外国人観光客も含めて入場料が無料になるからということも大きいようです。ただ、こういった後姿を見掛けるとタイムスリップしたような気がしてきます。
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「勤政殿」まで戻って石段を上がり、「玉座(御座)」と「玉座の後ろに描かれている王の権威を示す「日月五峰図」と呼ばれる屏風です。 朱色や青、緑などの伝統的な丹青の彩色が施され、天井中央付近には王を象徴する金の龍の装飾なども見られます。
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「思政殿」は朝鮮王朝で王が日々の執務をする「便殿」にあたります。大きな式典を行う「勤政殿」に対して「思政殿」は政策の相談や報告を受ける場として使われました。
思政殿 史跡・遺跡
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「思政門」越しに「勤政殿」を切り取ってみます。韓服を着た女の子達が自撮りのアングルを思案中です。
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南北に一直線に続いた宮殿はそれぞれ塀と門で囲われています。古代中国では天子は北側に宮殿を構え、南を向いて玉座に座り、南側に並ぶ臣下に対面するとされました。「天子南面(てんしなんめん)」とは天子(君主)が南を向いて座し、天下を治めることを指す言葉です。朝鮮半島や日本でもこれに倣って宮殿や町が造営されました。
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レンタル衣装は「景福宮」の近くにあり、20,000Wから50,000Wくらいで男女ともに借りられるようです。韓服を着ることによって入場料の3,000Wが無料になります。
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かなりのショートコースですが「景福宮」を一周してきました。「興礼門」越しに「光化門」がきれいに見えました。
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「興礼門」は二層構造の堂々とした門楼が特徴で、「景福宮」らしい色鮮やかな装飾を見ることができます。現在は守門将交代儀式が行われるそうなので次回は見てみたいものです。
興礼門 史跡・遺跡
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「景福宮」は1395年に完成しましたが戦乱で多くの建物が焼失しました。のちに1865年から再建が進み全体がよみがえりました。日本統治時代には多くの建物が失われ、「興礼門」も原位置から失われた後の2001年になって復元されています。
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「景福宮」の見学が終わった後は明洞の「ロッテ百貨店」の中にある「ロッテ免税店」へ行きます。免税店で使える10,000Wのチケットを握りしめてエレベーターに向かいます。
ロッテ免税店 (明洞本店) 免税店
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そのエレベーターまでのアプローチはこのような液晶画面の壁面になっています。
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もうこういった技術は韓国の方が日本をはるかに超えてしまっていると思います。
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免税店は意外に侮れなく、以前台北の免税店ではモンクレールのダウンが半額以下で買うことが出来ました。残念ながら済州島の免税店に続き、ソウルの免税店も気に入るものはありませんでした。
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免税店エリアを早々に退散して、残った時間は百貨店の中を歩いてみます。ルイ・ヴィトンのショップの前にはウインドウディスプレイで使われているティントイが並べられていましたが、ほぼ原寸大の大きなものまでありました。
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韓国の株価を牽引しているSKハイニックスとサムスン電子について位は知っていて、そのボーナス額にも驚きましたが、一時より株価が下がったとはいえ韓国の人の購買力には日本の百貨店では感じられないものがあります。
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ハイエンドのブランドのショップの大きさからも商品のラインナップの充実も感じられます。日本のGDP(経済規模)は韓国より約2倍大きい一方で、1人当たり名目GDPは韓国が日本を上回る状態なのだと実感します。
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ブランドのフロアは早々に後にして地下の食品売り場へ向かいます。25年前に来た時は市場的な雰囲気もあり、売り場で海苔に油を塗っている店があったのを妻も覚えていました。残念ながら美しく改装された食品売り場はヨーロッパの高級百貨店のようでした。
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海苔はパックのものしかなく、美味しそうなイカキムチ(オジンオジョッカル)とタコキムチ(ナクチジョッカル)など試食をさせてもらいます。この日は夕食などで出歩いてしまうので翌日買いに来ることにします。友人からも伝統菓子のヤッカを頼まれています。時間前に免税店に戻ると皆さん随分と買い物されていました。
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今回のツアーでの最後の夕食は「ダッハンマリとイルサン・カルグクス/Dakhanmari and Ilsan Kalguksu」という店でした。
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タッカンマリをいただきますが、鍋料理なので複数人で参加の人はグループごとで鍋を囲み、1人参加の人は3人から4人で鍋をつつくことになります。
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パンチャンはカクテキと白菜キムチというシンプルなものでした。
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タッカンマリの語源は「鶏一羽」ですが、ここでは食べやすいように骨の無い鶏の切り身が入っています。まずは湯だったトッポギを先にいただきます。
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これまで土鍋料理ばかりで、最初の夕食のサムギョップサル以来のちゃんとした料理なのでお酒が進みます。スタートはマッコリを1本。
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すぐに焼酎の「眞露」に移ります。日本では韓国焼酎をあまり飲みませんが、韓国で飲むととても美味しいです。何よりマッコリも焼酎も5,000W程度なので安いのもありがたいです。
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食事が終わって迎えのバスを待つ間に見えたビルの壁面が何ともすごいことになっています。建設時にエアコンの室外機の置き場所を考えなかったのでしょうか?どうやって設置したのかも気になります。
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この日から2泊する「ミリオレホテルソウル明洞」には午後7時に到着しました。このホテルも韓国によくあるフロントが1階にないタイプでした。3階のロビーで鍵をもらった後は最終日の朝まで自由行動になります。
ミリオレホテルソウル明洞 ホテル
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部屋はきれいなツインルームで小さめのシングルベットが2床でトランクを置くと歩くスペースはほとんどありません。
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一応テーブルとイスも置かれてあります。
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9階フロアの部屋の窓からは「南山タワー」のライトアップした姿が見えました。
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バスルームはシンクが小さいのはデザインというよりもスペースが無いからのようです。そのために2人分の洗面用具は置く場所に困ります。トイレは日本と同じようなウォシュレットタイプのものでした。アメニティは石鹸だけなのは韓国共通です。
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このホテルには小さいながらバスタブがありました。リニュアルして間がないのか清潔な感じがします。ただ部屋の清掃は2日間無いというスタイルで、ゴミと使用したタオル類は翌朝廊下に出しました。
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「南山タワー」は現在は「Nソウルタワー」と呼ばれるようです。ただ、「Nソウルタワー」は通称であり、この塔はニュース専門テレビ局のYTNが所有しているため、正式名称は「YTNソウルタワー」のようです。
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タワーの上部には展望台があり、タワーまでは「南山ケーブルカー」で昇れるそうです。この時は暗くて分かりませんでしたが、翌朝は動いているロープウェイが見えました。ロープウェイは和製英語なので、世界的にはワイヤーで動くものはケーブルカーに分類されます。
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全部が横断歩道の白いラインに見えてしまいます。このアングルでグーグルレンズを使ってみましたが、文字として認識しませんでした。これはモロッコでベルベル語を読み込んだ時と同じでした。一休みしたところで夜の明洞へ繰り出そうと思っていましたが、2人ともどっと疲れが出て、このまま部屋で寝てしまいました。
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