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「温陽第一ホテル」での夜が明けて、この日の朝食はホテルでいただきました。オープンと同時に入ったので良かったのですが、その後に高校世のクラブの団体の子たちが大勢入ってきました。それは良いのですが30代の女性の先生2人に生徒たちが生徒が挨拶する姿が異様に感じました。たぶん彼女らの指導によって何かの競技が強いのだと思いますが、生徒の遜り方や先生の態度がまるで韓国ドラマのようでした。ワールドカップサッカーで負けた時の監督や協会の責任者を吊し上げる姿には「恨(ハン)」の感情が根付いているのだと感じました。この日は温陽を御膳8時に出発して一気に水原に向かいます。長年行ってみたいと思っていた「水原華城」でしたが、見学したのは東側の「蒼龍門」、「東北弩台」、「東北空心墩」、「練武台」とほんの一部だけでした。18世紀末に李氏朝鮮第22代国王・正祖が、老論派の陰謀により横死した父思悼世子の墓を楊州から水原の顕隆園(隆陵)に移して、その周囲に城壁や塔、楼閣や城門を築いて防護を固めたものが「水原華城」です。この「水原華城」は老論を排除して実学を重視した正祖の理想都市であり、一時は華城への遷都も検討されましたが、水原華城完成直後に正祖が死亡したため遷都は見送られました。韓国ドラマの「イ・サン(正祖大王)」を観たことがあるので感慨深いものがありましたが、お昼はソウルで食べますということなので、水原名物のカルビも食べることが出来ませんでした。これは今度ソウルに来たら水原まで来てゆっくり観光とカルビを食べなければならないなと思います。バスは漢江を渡ってソウル市内に入り、「全州中央会館」でコンナムルクッパの昼食になります。春に行った全州では「三百家(サム・ペクチィップ)」という有名店でも食べたモヤシがたっぷり入ったクッパです。ここでもソウル長寿生マッコリを1本空けて午後の観光に備えます。午後のスタートは北岳スカイウェイをドライブして「北岳八角亭」で停車して、ソウル市内や美しい山並みを眺めました。<br /><br />

トラピックス まるごと韓国大縦断5日間(6)水原華城を見学してカルビも食べられずにソウルに入り北岳八角亭を目指す。

2いいね!

2026/09/02 - 2026/09/02

410位(同エリア526件中)

旅行記グループ 2026韓国周遊の旅

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kojikoji

kojikojiさん

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「温陽第一ホテル」での夜が明けて、この日の朝食はホテルでいただきました。オープンと同時に入ったので良かったのですが、その後に高校世のクラブの団体の子たちが大勢入ってきました。それは良いのですが30代の女性の先生2人に生徒たちが生徒が挨拶する姿が異様に感じました。たぶん彼女らの指導によって何かの競技が強いのだと思いますが、生徒の遜り方や先生の態度がまるで韓国ドラマのようでした。ワールドカップサッカーで負けた時の監督や協会の責任者を吊し上げる姿には「恨(ハン)」の感情が根付いているのだと感じました。この日は温陽を御膳8時に出発して一気に水原に向かいます。長年行ってみたいと思っていた「水原華城」でしたが、見学したのは東側の「蒼龍門」、「東北弩台」、「東北空心墩」、「練武台」とほんの一部だけでした。18世紀末に李氏朝鮮第22代国王・正祖が、老論派の陰謀により横死した父思悼世子の墓を楊州から水原の顕隆園(隆陵)に移して、その周囲に城壁や塔、楼閣や城門を築いて防護を固めたものが「水原華城」です。この「水原華城」は老論を排除して実学を重視した正祖の理想都市であり、一時は華城への遷都も検討されましたが、水原華城完成直後に正祖が死亡したため遷都は見送られました。韓国ドラマの「イ・サン(正祖大王)」を観たことがあるので感慨深いものがありましたが、お昼はソウルで食べますということなので、水原名物のカルビも食べることが出来ませんでした。これは今度ソウルに来たら水原まで来てゆっくり観光とカルビを食べなければならないなと思います。バスは漢江を渡ってソウル市内に入り、「全州中央会館」でコンナムルクッパの昼食になります。春に行った全州では「三百家(サム・ペクチィップ)」という有名店でも食べたモヤシがたっぷり入ったクッパです。ここでもソウル長寿生マッコリを1本空けて午後の観光に備えます。午後のスタートは北岳スカイウェイをドライブして「北岳八角亭」で停車して、ソウル市内や美しい山並みを眺めました。

旅行の満足度
4.5
観光
5.0
ホテル
4.0
グルメ
4.0
交通
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
10万円 - 15万円
交通手段
観光バス 徒歩
航空会社
チェジュ航空
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行なし)
  • 「温陽第一ホテル」での夜が明けて、この日の朝食はホテルでいただきました。オープンと同時に入ったので良かったのですが、その後に高校世のクラブの団体の子たちが大勢入って混雑しました。

    「温陽第一ホテル」での夜が明けて、この日の朝食はホテルでいただきました。オープンと同時に入ったので良かったのですが、その後に高校世のクラブの団体の子たちが大勢入って混雑しました。

    ザ チェイル ホテル オニャン ホテル

  • 朝食メニューはかなりローコストされているようで特に美味しいものもありませんでした。この日の出発は午前8時と早かったので諦めましたが、近くの食堂を探しても良かったです。

    朝食メニューはかなりローコストされているようで特に美味しいものもありませんでした。この日の出発は午前8時と早かったので諦めましたが、近くの食堂を探しても良かったです。

  • 温陽の「温陽第一ホテル」を午前8時に出発して2時間ほどの移動で水原に向かいます。前夜遅くから雨が降り、早朝まではしとしとしていましたが何とか持ちこたえています。

    温陽の「温陽第一ホテル」を午前8時に出発して2時間ほどの移動で水原に向かいます。前夜遅くから雨が降り、早朝まではしとしとしていましたが何とか持ちこたえています。

  • 午前10時くらいになって水原に到着しました。いきなり城壁が見えてくるのでどこにいるか分かりませんでしたが、グーグルマップを開いて町の東側にいることが分かりました。

    午前10時くらいになって水原に到着しました。いきなり城壁が見えてくるのでどこにいるか分かりませんでしたが、グーグルマップを開いて町の東側にいることが分かりました。

  • 18世紀末に李氏朝鮮第22代国王の正祖が老論派の陰謀により横死した父思悼世子の墓を楊州から水原の顕隆園に移して、その周囲に城壁や塔や楼閣や城門を築いて防護を固めたものが「水原華城」です。

    18世紀末に李氏朝鮮第22代国王の正祖が老論派の陰謀により横死した父思悼世子の墓を楊州から水原の顕隆園に移して、その周囲に城壁や塔や楼閣や城門を築いて防護を固めたものが「水原華城」です。

    水原華城 城・宮殿

  • 韓国を代表する世界文化遺産となった「水原華城」の壮大な城壁と美しい建造物群は伝統と革新が見事に調和した朝鮮王朝の建築美の完成形です。韓国ドラマのロケ地としても注目を集めているようです。

    韓国を代表する世界文化遺産となった「水原華城」の壮大な城壁と美しい建造物群は伝統と革新が見事に調和した朝鮮王朝の建築美の完成形です。韓国ドラマのロケ地としても注目を集めているようです。

    練武台 (東将台) 史跡・遺跡

  • 妻は「イ・サン」など歴史ドラマを観ているうちに歴代の王についても詳しくなり、正祖に由来する町だということで珍しく感慨深げでした。

    妻は「イ・サン」など歴史ドラマを観ているうちに歴代の王についても詳しくなり、正祖に由来する町だということで珍しく感慨深げでした。

    弓道広場 アクティビティ・乗り物体験

  • 1時間ほどの見学時間では東側の「蒼龍門」から「東北弩台」、「東北空心墩」を結ぶ城壁を歩くということです。

    1時間ほどの見学時間では東側の「蒼龍門」から「東北弩台」、「東北空心墩」を結ぶ城壁を歩くということです。

  • 総延長5.7キロメートルと130ヘクタールという広大な敷地に築かれた城郭には4つの大門を中心に城壁や見張り台が配置されています。各建造物には実用性と美しさが両立され、当時の建築技術の高さを今に伝えています。

    総延長5.7キロメートルと130ヘクタールという広大な敷地に築かれた城郭には4つの大門を中心に城壁や見張り台が配置されています。各建造物には実用性と美しさが両立され、当時の建築技術の高さを今に伝えています。

  • 建設にあたっては実学者の丁若鏞が西洋の建築技術を取り入れ、伝統的な朝鮮建築の技法と見事に調和させた設計を行いました。丁若鏞は儒学や地理学など幅広い知識を駆使して、城郭の機能性だけでなく美しさも追求しました。水原華城の建設過程は「華城城役儀軌」という文書に詳細に記録され、当時の社会や技術についても貴重な情報という観点からユネスコの世界記憶遺産にも登録されています。

    建設にあたっては実学者の丁若鏞が西洋の建築技術を取り入れ、伝統的な朝鮮建築の技法と見事に調和させた設計を行いました。丁若鏞は儒学や地理学など幅広い知識を駆使して、城郭の機能性だけでなく美しさも追求しました。水原華城の建設過程は「華城城役儀軌」という文書に詳細に記録され、当時の社会や技術についても貴重な情報という観点からユネスコの世界記憶遺産にも登録されています。

  • 華城四大城門の東側の門である「蒼龍門」は正祖19年の1798年に建設工事が始まり10月17日に完成しました。城門を保護するために半円型の「甕城」が建てられていますが、北の「長安門」や南の「八達門」とは異なり、片方が開いた状態となっているのが特徴です。

    華城四大城門の東側の門である「蒼龍門」は正祖19年の1798年に建設工事が始まり10月17日に完成しました。城門を保護するために半円型の「甕城」が建てられていますが、北の「長安門」や南の「八達門」とは異なり、片方が開いた状態となっているのが特徴です。

  • 門の天井には豪快な姿で青い龍が描かれています。中国や韓国における風水の「四神相応」は背後に山、前方に海、湖沼、河川などの水が配置されている「背山臨水」の地を、左右から砂(さ)と呼ばれる丘陵もしくは背後の山よりも低い山で囲むことで「蔵風聚水」(風を蓄え水を集める)の形態となっているものをいいます。この場合の四神は背後の山が「玄武」、前方の水が「朱雀」、玄武を背にして左側の砂が「青龍」、右側が「白虎」で東西南北を司ります。

    門の天井には豪快な姿で青い龍が描かれています。中国や韓国における風水の「四神相応」は背後に山、前方に海、湖沼、河川などの水が配置されている「背山臨水」の地を、左右から砂(さ)と呼ばれる丘陵もしくは背後の山よりも低い山で囲むことで「蔵風聚水」(風を蓄え水を集める)の形態となっているものをいいます。この場合の四神は背後の山が「玄武」、前方の水が「朱雀」、玄武を背にして左側の砂が「青龍」、右側が「白虎」で東西南北を司ります。

  • この「蒼龍門」は東を護る青龍に当たるのでこのような絵が描かれているわけです。

    この「蒼龍門」は東を護る青龍に当たるのでこのような絵が描かれているわけです。

    蒼龍門 (華城東門) 史跡・遺跡

  • 華城では外側をしっかり石で築き、内側は地形を生かしつつ土で固める「外築内托」という方法が使われているようです。これにより強度を確保しながら大規模な城壁を効率よく築けました。レンガは単なる補助材ではなく、防御施設や上部構造の要所に積極的に使われました。

    華城では外側をしっかり石で築き、内側は地形を生かしつつ土で固める「外築内托」という方法が使われているようです。これにより強度を確保しながら大規模な城壁を効率よく築けました。レンガは単なる補助材ではなく、防御施設や上部構造の要所に積極的に使われました。

  • 城壁の外側に出て半円型の二重構造になっている「甕城」を確認してみます。ここは全てレンガで造られています。右側だけが開放されていて、そこから攻め込めますが、城門の前で立ち往生したところを上から攻める構造になっています。

    城壁の外側に出て半円型の二重構造になっている「甕城」を確認してみます。ここは全てレンガで造られています。右側だけが開放されていて、そこから攻め込めますが、城門の前で立ち往生したところを上から攻める構造になっています。

  • 水原華城の城壁や防御施設に使う目的で製作された専用のレンガを「華城城?」と呼ぶそうですが、その形状は中国の「磚」に似ているように思えました。

    水原華城の城壁や防御施設に使う目的で製作された専用のレンガを「華城城?」と呼ぶそうですが、その形状は中国の「磚」に似ているように思えました。

  • レンガ目地は細くそろえた化粧目地というより、防御施設をしっかり一体化させるための実用的な目的を感じさせました。

    レンガ目地は細くそろえた化粧目地というより、防御施設をしっかり一体化させるための実用的な目的を感じさせました。

  • 城門の左側の壁には建設に関わった人々の名前などが刻まれた「実名板(銘板」があり、花崗石の壁に刻まれたその文字は今でも鮮明に残っています。

    城門の左側の壁には建設に関わった人々の名前などが刻まれた「実名板(銘板」があり、花崗石の壁に刻まれたその文字は今でも鮮明に残っています。

  • ここから城壁の上に上がります。上から見ると二重構造の「甕城」の様子がよく分かります。人が通れる溝があり城壁の内側と外側が攻撃できるようになっています。

    ここから城壁の上に上がります。上から見ると二重構造の「甕城」の様子がよく分かります。人が通れる溝があり城壁の内側と外側が攻撃できるようになっています。

  • 反対側から見ると城門の前で袋小路になっていることが分かります。

    反対側から見ると城門の前で袋小路になっていることが分かります。

    蒼龍門 (華城東門) 史跡・遺跡

  • 「蒼龍門」の上に建つ建物は韓国の伝統建築に見られる「丹青」と呼ばれる5色の塗装で覆われています。<br />

    「蒼龍門」の上に建つ建物は韓国の伝統建築に見られる「丹青」と呼ばれる5色の塗装で覆われています。

  • 「蒼龍門」の楼閣からは「練武台」がきれいに見えています。東門である「蒼龍門」と北側の守門である「華虹門」の間の丘の上にあり、華城の東側から城内を見回すのに適した軍事要地となっています。1796年に水原華城が完成した後の「錬武台」は兵士たちの訓練場としての役割も果たしました。刀と槍、弓などの武芸を行う空間として200年以上もの間使われてきました。

    「蒼龍門」の楼閣からは「練武台」がきれいに見えています。東門である「蒼龍門」と北側の守門である「華虹門」の間の丘の上にあり、華城の東側から城内を見回すのに適した軍事要地となっています。1796年に水原華城が完成した後の「錬武台」は兵士たちの訓練場としての役割も果たしました。刀と槍、弓などの武芸を行う空間として200年以上もの間使われてきました。

  • その並びには「東北空心墩」も見えています。歩くと結構な距離が距離がありますが、本当は城壁を一周してみたいです。

    その並びには「東北空心墩」も見えています。歩くと結構な距離が距離がありますが、本当は城壁を一周してみたいです。

  • 「蒼龍門」の辺りは内側の土塁が無いので急な石段が設けてありました。

    「蒼龍門」の辺りは内側の土塁が無いので急な石段が設けてありました。

  • 日本語では城壁の射撃用の穴を広く「狭間」や「銃眼」と呼びます。水原華城の場合は弓矢用や火器用などの用途の異なる開口部が防御施設ごとに設けられていました。

    日本語では城壁の射撃用の穴を広く「狭間」や「銃眼」と呼びます。水原華城の場合は弓矢用や火器用などの用途の異なる開口部が防御施設ごとに設けられていました。

  • 外からは城壁がそびえて見えますが、内側は土塁になっているのがよく分かります。外から城壁を破壊して戻る伊賀出てくるので防御的には理にかなっています。また外敵に対して防御するにも対応しやすそうです。

    外からは城壁がそびえて見えますが、内側は土塁になっているのがよく分かります。外から城壁を破壊して戻る伊賀出てくるので防御的には理にかなっています。また外敵に対して防御するにも対応しやすそうです。

  • 「東北弩台」の狭間から「東北空心墩」を望んでみます。外側から見る城壁と内側ではイメージが全く違います。

    「東北弩台」の狭間から「東北空心墩」を望んでみます。外側から見る城壁と内側ではイメージが全く違います。

  • 「東北空心墩」の足元までやってきました。ここまで来ると上部の楼閣は見えなくなります。この建物は非常時に備え城郭周囲の敵の動きを監視するため造られた望楼で、「水原華城」の城郭で最初に設けられた楼閣です。正祖20年の1796年に高さ5.4メートル、周囲38メートルの規模で完成しましたが、朝鮮戦争中に完全に破壊され、1975年に復元されました。

    「東北空心墩」の足元までやってきました。ここまで来ると上部の楼閣は見えなくなります。この建物は非常時に備え城郭周囲の敵の動きを監視するため造られた望楼で、「水原華城」の城郭で最初に設けられた楼閣です。正祖20年の1796年に高さ5.4メートル、周囲38メートルの規模で完成しましたが、朝鮮戦争中に完全に破壊され、1975年に復元されました。

    東北空心ドン 史跡・遺跡

  • ここからは歩いてきた城壁と土塁がきれいに見えました。水原の町の中心などはどこにあるのかは分かりませんが、次回は自力で来てみたいと思います。

    ここからは歩いてきた城壁と土塁がきれいに見えました。水原の町の中心などはどこにあるのかは分かりませんが、次回は自力で来てみたいと思います。

  • 遠くに「水原第一教会」の建物も見えました。古い建物ではありませんが、中央の塔の上には展望台もあるようです。

    遠くに「水原第一教会」の建物も見えました。古い建物ではありませんが、中央の塔の上には展望台もあるようです。

  • 「東北空心墩」は黒色のレンガ造りの美しい建物です。北京の「紫禁城」の大和殿広場は深さ10メートルほどまでこのような黒いレンガ「磚」が敷き詰められていると聞いたことがあります。これは地下にトンネルを掘って侵入できないためという理由でした。

    「東北空心墩」は黒色のレンガ造りの美しい建物です。北京の「紫禁城」の大和殿広場は深さ10メートルほどまでこのような黒いレンガ「磚」が敷き詰められていると聞いたことがあります。これは地下にトンネルを掘って侵入できないためという理由でした。

  • 中国の思想では「太極」は万物の根源であり、ここから陰陽の二元が生ずるとします。もともとは「易経」にある言葉で「易有太極 是生兩儀 兩儀生四象 四象生八卦 八卦定吉凶 吉凶生大業」(易に太極あり、これ両儀を生じ、両儀は四象を生じ、四象は八卦を生ず。八卦は吉凶を定め、吉凶は大業を生ず)といったように易の八卦の生成過程、ひいては天地万物の生成論を示すものでした。高校生の頃諸星大二郎の漫画で知った知識が役に立ちました。

    中国の思想では「太極」は万物の根源であり、ここから陰陽の二元が生ずるとします。もともとは「易経」にある言葉で「易有太極 是生兩儀 兩儀生四象 四象生八卦 八卦定吉凶 吉凶生大業」(易に太極あり、これ両儀を生じ、両儀は四象を生じ、四象は八卦を生ず。八卦は吉凶を定め、吉凶は大業を生ず)といったように易の八卦の生成過程、ひいては天地万物の生成論を示すものでした。高校生の頃諸星大二郎の漫画で知った知識が役に立ちました。

  • 「水原華城」にはこの「東北空心墩」以外にも「西北空心墩」、「南空心墩」という楼閣もあります。「東北空心墩」は軍事的な要衝地であるばりでなく、「水原華城」にある建築物のうち唯一円形をしており、希少性が高いものとなっています。<br />

    「水原華城」にはこの「東北空心墩」以外にも「西北空心墩」、「南空心墩」という楼閣もあります。「東北空心墩」は軍事的な要衝地であるばりでなく、「水原華城」にある建築物のうち唯一円形をしており、希少性が高いものとなっています。

  • 巨大な丸い円の形で内部には韓国語で「ソラ」、サザエの殻のような形になった螺旋状になった煉瓦造りの階段があり、最上部まで上がることができるようです。その形から別名「法螺閣」(サザエ閣)とも呼ばれています。

    巨大な丸い円の形で内部には韓国語で「ソラ」、サザエの殻のような形になった螺旋状になった煉瓦造りの階段があり、最上部まで上がることができるようです。その形から別名「法螺閣」(サザエ閣)とも呼ばれています。

  • 勝手な想像ですが会津若松にある「さざえ堂」を思い出しました。木造の二重螺旋のい尽くしいお堂です。「芸術清朝」の2003年2月号では「バロック王国ニッポン」というタイトルで紹介されていました。

    勝手な想像ですが会津若松にある「さざえ堂」を思い出しました。木造の二重螺旋のい尽くしいお堂です。「芸術清朝」の2003年2月号では「バロック王国ニッポン」というタイトルで紹介されていました。

  • 最後にバスに戻る列から離れて「練武台」の写真を撮りに走ります。「練武台」は「水原華城」の「東将台」として使われた軍事訓練の場所です。かつて兵士が武芸を磨いた場所で今は国弓体験や周辺散策の拠点として知られています。

    最後にバスに戻る列から離れて「練武台」の写真を撮りに走ります。「練武台」は「水原華城」の「東将台」として使われた軍事訓練の場所です。かつて兵士が武芸を磨いた場所で今は国弓体験や周辺散策の拠点として知られています。

  • 韓国では伝統弓術を国弓と呼ぶことが多いです。これは韓国の伝統武芸として受け継がれてきたもので、的に矢を当てる技術を重視する文化があります。韓国の伝統弓で有名なのは角弓です。これは水牛の角や木などを組み合わせた複合弓で、比較的小さく反りの強い形が特徴です。韓国ドラマでも王宮のシーンでは必ずと言っていいほど弓を引くシーンが出てきます。

    韓国では伝統弓術を国弓と呼ぶことが多いです。これは韓国の伝統武芸として受け継がれてきたもので、的に矢を当てる技術を重視する文化があります。韓国の伝統弓で有名なのは角弓です。これは水牛の角や木などを組み合わせた複合弓で、比較的小さく反りの強い形が特徴です。韓国ドラマでも王宮のシーンでは必ずと言っていいほど弓を引くシーンが出てきます。

    練武台 (東将台) 史跡・遺跡

  • あっという間の1時間の「水原華城」見学でしたが、ガイドさんの説明で本質的なことは知ることが出来たと思います。次回来るときの役に立つと思える見学でした。

    あっという間の1時間の「水原華城」見学でしたが、ガイドさんの説明で本質的なことは知ることが出来たと思います。次回来るときの役に立つと思える見学でした。

  • とはいえ城郭のマップを見ると「イ・サン」にも出てきた「華城行宮」とか言ってみたかったです。次回への夢が広がり、名物の水原カルビも食べなければなりません。

    とはいえ城郭のマップを見ると「イ・サン」にも出てきた「華城行宮」とか言ってみたかったです。次回への夢が広がり、名物の水原カルビも食べなければなりません。

  • 南側からソウル市内へ向かうと漢江越しに「南山タワー」が見えました。あの向こう側が明洞あたりで、この日宿泊するホテルも近いはずです。

    南側からソウル市内へ向かうと漢江越しに「南山タワー」が見えました。あの向こう側が明洞あたりで、この日宿泊するホテルも近いはずです。

  • 漢江というとポン・ジュノ監督の「グエムル 漢江の怪物」を思い出し、グエルムいないかなと目を凝らしてしまいます。

    漢江というとポン・ジュノ監督の「グエムル 漢江の怪物」を思い出し、グエルムいないかなと目を凝らしてしまいます。

  • よく考えると妻が韓国ドラマにハマる前に結構韓国映画を観ていたことに気が付きます。「王の男」や「トンマッコルへようこそ」なんかも面白かった記憶があります。

    よく考えると妻が韓国ドラマにハマる前に結構韓国映画を観ていたことに気が付きます。「王の男」や「トンマッコルへようこそ」なんかも面白かった記憶があります。

    ハンガン(漢江) 滝・河川・湖

  • 25年ほど前に初めて来たソウルの夜、地下鉄の麻浦駅で友人と待ち合わせしたことがありました。その年の夏に出た雑誌に掲載されていた「麻浦の貝屋」という店を探しましたがどこにもありません。真冬の夜なので妻の顔いろも変わってきて、思いついたのが麻浦警察署でした。

    25年ほど前に初めて来たソウルの夜、地下鉄の麻浦駅で友人と待ち合わせしたことがありました。その年の夏に出た雑誌に掲載されていた「麻浦の貝屋」という店を探しましたがどこにもありません。真冬の夜なので妻の顔いろも変わってきて、思いついたのが麻浦警察署でした。

  • その雑誌を荷はハングルで店の名前と電話番号が記載されていました。麻浦警察署の人たちが集まってきて、その番号に電話をしてくれたところによると、近くにある駐車場で営業していた貝焼きの屋台でしたが、すでに廃業しているということでした。途方に暮れていると見かねたのか近くにある店を紹介してくれました。その時に初めて食べたサムギョプサルの味は忘れられません。

    その雑誌を荷はハングルで店の名前と電話番号が記載されていました。麻浦警察署の人たちが集まってきて、その番号に電話をしてくれたところによると、近くにある駐車場で営業していた貝焼きの屋台でしたが、すでに廃業しているということでした。途方に暮れていると見かねたのか近くにある店を紹介してくれました。その時に初めて食べたサムギョプサルの味は忘れられません。

  • この日のお昼は明洞にも近い「全州中央会館」で全州名物のコンナムルクッパをいただきます。3月に行った全州では「三百家(サム・ペクチィップ)」、韓国語で「300」を意味する店で「コンナムルクッパ」をいただきました。この店は毎日300食を売りきったら閉店するというポリシーがあったそうです。

    この日のお昼は明洞にも近い「全州中央会館」で全州名物のコンナムルクッパをいただきます。3月に行った全州では「三百家(サム・ペクチィップ)」、韓国語で「300」を意味する店で「コンナムルクッパ」をいただきました。この店は毎日300食を売りきったら閉店するというポリシーがあったそうです。

    全州中央会館 (明洞本店) 韓国料理

  • 全州は水が奇麗なのでモヤシの栽培が盛んなことから「コンナムルクッパ」が伝統的な料理となったそうです。二日酔いの朝に食べる料理でもあるそうでなるほど優しい味付けです。

    全州は水が奇麗なのでモヤシの栽培が盛んなことから「コンナムルクッパ」が伝統的な料理となったそうです。二日酔いの朝に食べる料理でもあるそうでなるほど優しい味付けです。

  • ここでは韓国でも代表的な「ソウル長寿生マッコリ」をいただきます。ちょっとローカル性が無くなってしまって残念な気もします。

    ここでは韓国でも代表的な「ソウル長寿生マッコリ」をいただきます。ちょっとローカル性が無くなってしまって残念な気もします。

  • 旅も最終地に着いたので、まずはマッコリで乾杯します。

    旅も最終地に着いたので、まずはマッコリで乾杯します。

  • グツグツと煮立ったコンナムルクッパがテーブルに届けられました。まだ熱すぎるので手が出せません。

    グツグツと煮立ったコンナムルクッパがテーブルに届けられました。まだ熱すぎるので手が出せません。

  • 落ち着いたところで自分好みの味付けに整えていただきました。これまでの阪急交通社のツアーは「マシッソヨ」というタイトルが付いていて、釜山では有名店でカニを食べたりフグを食べたりしましたが、今回のツアーは食堂ばかりで少し物足りないです。

    落ち着いたところで自分好みの味付けに整えていただきました。これまでの阪急交通社のツアーは「マシッソヨ」というタイトルが付いていて、釜山では有名店でカニを食べたりフグを食べたりしましたが、今回のツアーは食堂ばかりで少し物足りないです。

  • 食事が終わった後は「景福宮」の「光化門」の前を通過しました。ここへは午後にまた来ることになっています。

    食事が終わった後は「景福宮」の「光化門」の前を通過しました。ここへは午後にまた来ることになっています。

    景福宮 城・宮殿

  • 驚いたのは欧米人の観光客が多いことと、みなさんチマチョゴリを着ていることでした。韓国の伝統衣装ハンボクのうち女性用の上下セット(スカート+上着)を指す言葉です。男性用のパジチョゴリ(パヂチョゴリ)を着ている人もいましたが、暑いので大変そうでした。

    驚いたのは欧米人の観光客が多いことと、みなさんチマチョゴリを着ていることでした。韓国の伝統衣装ハンボクのうち女性用の上下セット(スカート+上着)を指す言葉です。男性用のパジチョゴリ(パヂチョゴリ)を着ている人もいましたが、暑いので大変そうでした。

  • 大統領府である「青瓦台(チョンワデ)」の門と背後には北岳山(プガッサン)がそびえています。<br />

    大統領府である「青瓦台(チョンワデ)」の門と背後には北岳山(プガッサン)がそびえています。

    青瓦台 史跡・遺跡

  • バスはそのまま北岳スカイウェイドライブを走り、「北岳八角亭」の駐車場に入りました。<br />

    バスはそのまま北岳スカイウェイドライブを走り、「北岳八角亭」の駐車場に入りました。

  • そびえ立つ美しい緑の山容は標高836メートルの北漢山の稜線であり、その山肌の下に白く見えている密集した建物群は高級住宅街としても知られる「平倉洞(ピョンチャンドン)」周辺の街並みです。<br />

    そびえ立つ美しい緑の山容は標高836メートルの北漢山の稜線であり、その山肌の下に白く見えている密集した建物群は高級住宅街としても知られる「平倉洞(ピョンチャンドン)」周辺の街並みです。

  • 「北漢」は漢江の北側を意味、北漢山と呼ばれるようになったのは李氏朝鮮の中宗の時に北漢山城を築城した後からだと推定されます。最近では北漢山周回コースが開放され、地域の住民からの注目を集めているそうです。

    「北漢」は漢江の北側を意味、北漢山と呼ばれるようになったのは李氏朝鮮の中宗の時に北漢山城を築城した後からだと推定されます。最近では北漢山周回コースが開放され、地域の住民からの注目を集めているそうです。

  • 「北岳八角亭」は標高342メートルの北岳山の頂上付近にあり、ドライブコースである「北岳スカイウェイ」の途中に位置する2階建ての伝統的な東屋です。<br />

    「北岳八角亭」は標高342メートルの北岳山の頂上付近にあり、ドライブコースである「北岳スカイウェイ」の途中に位置する2階建ての伝統的な東屋です。

    北岳山スカイウェイ八角亭 建造物

  • 残念ながらお店は営業していないようでした。他に観光客の姿も少なく寂しい感じですが、一度ここへ来ておけば2回目にわざわざ来る必要も無いので、個人で行きにくい所の観光はありがたいです。

    残念ながらお店は営業していないようでした。他に観光客の姿も少なく寂しい感じですが、一度ここへ来ておけば2回目にわざわざ来る必要も無いので、個人で行きにくい所の観光はありがたいです。

  • 「北岳八角亭」の反対側にはまた違った風景が広がっていました。こちら側には案内板があるので周囲を確認しやすいです。

    「北岳八角亭」の反対側にはまた違った風景が広がっていました。こちら側には案内板があるので周囲を確認しやすいです。

  • 北から南に広がるソウル市内が見渡せます。

    北から南に広がるソウル市内が見渡せます。

  • 望遠レンズで「南山タワー」を見り取ってみます。この日宿泊するホテルの部屋からもこのタワーが望め、特に夜のライトアップはとてもきれいでした。これだけ拡大してもロープウェイは確認できませんでした。

    望遠レンズで「南山タワー」を見り取ってみます。この日宿泊するホテルの部屋からもこのタワーが望め、特に夜のライトアップはとてもきれいでした。これだけ拡大してもロープウェイは確認できませんでした。

  • 仁王山は全体が巨大な花崗岩で形成された特徴的な岩山で、緑の木々の合間から白い岩肌が露出しています。左上の尾根沿いには朝鮮王朝時代からソウルを守ってきたソウル城郭(漢陽都城)の白い石壁のラインが続いているのが確認できます。

    仁王山は全体が巨大な花崗岩で形成された特徴的な岩山で、緑の木々の合間から白い岩肌が露出しています。左上の尾根沿いには朝鮮王朝時代からソウルを守ってきたソウル城郭(漢陽都城)の白い石壁のラインが続いているのが確認できます。

  • 「漢陽都城」は朝鮮王朝の都である漢城府(ハンソンブ)の境界を示すことでその威厳を表わし、外部の侵入から都を守るために築造された城です。太祖5年の1396年に北岳山(ぺガクサン)・駱駝山(ナクタサン)・木覓山(モンミョクサン)・仁王山(イヌァンサン)の内四山の尾根に沿って築造した後、幾度も改築が重ねられました。 高さの平均がメートルから8メートル、全長約18.6キロに及ぶ都城は現存する世界の城塞都市の中で最も長い間機能を果たしました。

    「漢陽都城」は朝鮮王朝の都である漢城府(ハンソンブ)の境界を示すことでその威厳を表わし、外部の侵入から都を守るために築造された城です。太祖5年の1396年に北岳山(ぺガクサン)・駱駝山(ナクタサン)・木覓山(モンミョクサン)・仁王山(イヌァンサン)の内四山の尾根に沿って築造した後、幾度も改築が重ねられました。 高さの平均がメートルから8メートル、全長約18.6キロに及ぶ都城は現存する世界の城塞都市の中で最も長い間機能を果たしました。

  • 以前来た時も麻浦警察署の裏側の焼き肉屋の前にそびえる高層マンション群に驚いた記憶があります。それから25年で韓国の地方都市にまで高僧マンションは林立しています。

    以前来た時も麻浦警察署の裏側の焼き肉屋の前にそびえる高層マンション群に驚いた記憶があります。それから25年で韓国の地方都市にまで高僧マンションは林立しています。

  • 「ロッテワールドタワー」は「第2ロッテワールド」内にある多目的超高層ビルだそうです。高さは555メートルあり、韓国で最も高いビルであり、世界でも7番目の高さを誇るそうです。

    「ロッテワールドタワー」は「第2ロッテワールド」内にある多目的超高層ビルだそうです。高さは555メートルあり、韓国で最も高いビルであり、世界でも7番目の高さを誇るそうです。

  • 「北岳八角亭」から山を降りると再び同じ道を通ったので「青瓦台」の建物が見えました。なるほど青い瓦の大統領官邸です。この後は「宗廟」「景福宮」とソウルらしい観光が続きます。<br />

    「北岳八角亭」から山を降りると再び同じ道を通ったので「青瓦台」の建物が見えました。なるほど青い瓦の大統領官邸です。この後は「宗廟」「景福宮」とソウルらしい観光が続きます。

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