2026/09/02 - 2026/09/02
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kojikojiさん
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この旅行記スケジュールを元に
ツアー3日目の午後は「宗廟」の観光から始まります。ここまでガイドさんがやたら時間を気にしていたのですが、それは「宗廟」の見学時間のスタートに遅れないためです。「宗廟」では見学時間が定められていて、日本語ガイドさんによるツアーは午後1時40分からの1時間と決まっています。さらにツアーのガイドさんは中で説明が出来ないのでしばらくお別れです。「正殿」は「宗廟」の中心をなす建物で、最も西側に安置された太祖をはじめ、道徳に適った政治を行ったとされる19人の王とその妃の位牌49位が安置されています。位牌が安置された各部屋の扉「板門(パンムン)」は祭礼儀式の時以外は堅く閉じられていますが、板門の表面をよく見てみると所々隙間があります。これは魂が自由に出入りするためであるとともに、内部の湿度を調節するためのようです。同じような建築様式の「永寧殿」は1421年に第2代国王の定宗(チョンジョン)の位牌を祀る際に建てられた別廟です。初代の王である太祖李成桂の4世代までの祖先で、国王を追贈された穆祖・翼祖・度祖・桓祖とその妃たちの位牌など、没後に位を贈られたり、「正殿」から移安されたりした王と妃の位牌34位が安置されているということです。見学路の一部にある石を敷いた道は「三道」と言って、左右に比べ若干高くなっています。中央の道は「神のための道」とされ「神路」と呼ばれ、右(東)側は「王が通る道」から「御路」、左(西)側は「皇太子が通る道」から「世子路」といいます。一番印象に残ったのは「永寧殿」に祀られた大韓帝国最後の皇太子である李 垠(イ・ウン)とその妃の李 方子〈イ・バンジャ〉についてでした。梨本宮家の第1王王女として生まれた方子女王は昭和20年の1945年の日本の敗戦による朝鮮領有権喪失、昭和22年の1947年5月3日の日本国憲法施行に伴って王公族の身分を喪失し、日本国との平和条約発効による日本の主権回復とともに日本国籍を喪失してしまいます。現在の「赤坂プリンスクラシックハウス」は韓国併合時に設立された李王家の東京邸として昭和5年の1930年に建てられています。重厚なチューダーゴシック様式の建物は結婚式場としても使われ、両親がここで結婚式をしたことを思い出し、ガイドさんの説明と繋がった気がしました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 航空会社
- チェジュ航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
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お昼を食べて「北岳八角亭」からソウル市内の眺望を楽しんだ後は「宗廟」の見学に向かいます。「国立民俗博物館」の前を通過しましたが、ここも見学したいところの1つです。
北岳山スカイウェイ八角亭 建造物
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「東十字閣」は1867年に建設されたかつて「景福宮」の望楼だった一部でしたが、日本統治時代に道路拡張により周りの塀などが撤去され、この建物だけが残ったようです。現在は三清路(三清洞通り)の入り口、また仁寺洞から向かうと「景福宮」の入り口の目印としての役割を果たしていますが道路の真ん中にあるため、近づくことはできません。
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「宗廟」近くでバスを降りて入り口に向かうと「ムクゲ」がきれいに咲いていました。韓国語では「ムグンファ(無窮花)」と呼ばれ、「尽きることのない花」という意味を持っています。夏から秋にかけて1つ1つの花は短命でも、次々と長く咲き続ける性質があり、韓国の国民性や不屈さを象徴すると考え、国花として位置づけられました。
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「宗廟」の入り口には午後1時30分に到着しました。ソウルに着いてからガイドさんがかなり時間を気にしていましたが、その理由はここの見学が時間厳守だからです。
宗廟 寺院・教会
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日本語の見学は午後1時40分からで、ここでは専門の日本語ガイドさんが案内してくれます。我々のガイドさんは中で説明が出来ないので外で待つことになります。
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まずは「中池塘」も前あたりで「宗廟」についての説明がありました。「中池塘」は祭礼の場であるため、華やかな装飾を避ける考え方が反映されているとされ、蓮の花を植えないそうです。
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参道の中央には石が敷かれていますが、この道は「三道(サムド)」と言って左右に比べ若干高くなっている中央の道は「亡くなった王や王妃の霊魂が通る道で「神路(シルロ)」とされ「神路」と呼ばれています。また右側は「王が通る道」から「御路」、左側は「皇太子が通る道」から「世子路」というそうです。
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入口からここまでの「三道(サムド)」は歩いてはいけませんが、右に折れるところからは石の上を歩いてもいいですとガイドさんからお許しを頂けます。現在は石が敷かれていませんが、以前はこの先の廟まで続いていたそうです。
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「斎宮(チェグン)」は、王や世子(皇太子)が祭祀を行う前日に身と心を清める(斎戒沐浴)ために滞在した特別な建物です。「正殿」の東側に位置しており、3つの主要な建物が塀で囲まれた独立した空間を構成しています。
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「 御斎室(オジェシル)」は北側に位置する王が滞在して祭礼の準備を行った中心的な建物です。宗廟の中で唯一屋根の形状に華やかな装飾性のある「八作(パルジャック)屋根」が使われているのが特徴です。
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「世子斎室(セジャジェシル)」は王位継承者である世子(皇太子)が滞在した建物です。「御沐浴庁(オモギョクチョン)」は祭祀の前に王が水で体をきれいに洗い流すための沐浴をするための施設です。
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王と世子は前日にこの斎宮の正門から入り、ここで心身を清め、衣服を儀礼用のもの(衣冠)に着替えた後、西側の小さな門(西夾門)から正殿へと向かいました。神聖な儀式を執り行う王族の緊張感と厳かな空気感が今も残る空間です。
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非常に美しい障子の桟のデザインです。6月に行ったラダックの僧院でもいいものがありましたが、韓国の鍵(ヨルスェ)は以前に買った家具についていたこともあり、古いものを幾つか手に入れました。
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「龍頭(ヨンドゥ)」の役割は屋根の「隅棟(すみむね:傾斜した角の棟)」の端などに設置されます。朝鮮王朝の王室建築において龍は最高権威である「王」の象徴で、また水にまつわる神獣であるため、木造建築を火災から守る「防火の呪術的な祈り」が込められています。
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ここまで歩いてきた「三道(サムド)」を「斎宮(チェグン)」の門越しに見返してみます。
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「宗廟祭礼(宗廟の例祭)」は「宗廟」で毎年5月第1日曜に行われる朝鮮王朝歴代王と王妃の祖先祭祀です。韓国を代表する伝統行事で、儀式は一般公開されているので一度見てみたいと思っています。
宗廟祭礼 祭り・イベント
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各所に置かれた案内板もあり、それを見ながらガイドさんが説明してくれるので非常に分かりやすいです。
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朝鮮王朝の「宗廟」は歴代の王と王妃の位牌を祀る国家の祖先廟でした。建国直後は儒教の礼制に従い、太祖と在位中の王の四代祖先を祀る五廟制が基本でした。特に功績が重んじられた王は「正殿」に祀られ、「正殿」に収まらない王や追尊王などは「永寧殿」に祀られました。
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「宗廟祭礼」の時は開かれる扉も通常時は閉じられているので、写真パネルを見て学ぶしかありません。かなり昔の事ですが、京都の御所の「紫宸殿」の中で「高御座」を目の前で見たことがありました。要とは違いますがそんな厳かな感じがします。
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王室の位牌である神主(シンジュ)です。中央に「窺(きゅう)」と呼ばれる小さな穴が開けられており、この穴から霊魂が出入りするという説明でした。
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ここまで基本的なことを学んだ後は「正殿」の見学に向かいます。黒い正方形のレンガを敷いた道は王と世子(皇太子)が通る道で、一段高くなった方形の壇は王が精神を統一された場所で、世子用の基壇も脇にありました。
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王は地面を歩かなくても先へ進めますが、世子は少し離れたところに控えるような位置なのが面白いです。
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「宗廟」や宮殿の主要な門は中央・右・左の3つの扉に分かれた「三門」の形式をとっています。儒教の厳格な階級社会であった朝鮮時代には、どこを通るかが厳しく決められていました。「 中央(神路・シルロ」は最も神聖な道で、宗廟においては「亡くなった王や王妃の霊魂(神)」が通る扉であり、現世の王であっても中央を通ることは許されませんでした。
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「東側(右側 / 御路・オロ」は生きている「王」が通るための扉です。「西側(左側 / 世子路・セジャロ)」はや臣下が通るための扉でした。1枚の簡素な板戸にも朝鮮王朝が重んじた「儒教の礼節」と「霊魂への敬意」が深く刻まれています。
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京都御所の「紫宸殿」を思い出したのはこの雰囲気だったのかもしれません。現在はもう叶いませんが、30年くらい前はお昼の見学の無い時間帯を「紫宸殿」の中や「桂離宮」の御殿、「修学院離宮」で舟の上から紅葉を愛でられたのはいい思い出です。
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「功臣堂」は朝鮮王朝の歴代国王に仕え、国家に著しい功績を残した功臣(臣下・家臣)たちの位牌を祀り、祭祀を執り行うための祠堂(霊廟)です。王が亡くなり宗廟の「正殿」に祀られる際、その王を補佐して最も功績が高かった臣下の位牌も選ばれ、この功臣堂に一緒に祀られました。現在は計83位の位牌が安置されています。
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「宗廟」は1394年に太祖である李成桂が朝鮮王朝の建国とともに、新たな都の漢陽に「景福宮」と同時に建てた建築物で、その伝統的な荘厳な儀式である祭礼や祭礼楽など、長い伝統と慣習がそのまま保存され、世界文化遺産に登録されています。
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「宗廟」の中心である「正殿」は歴代君主の位牌を奉って祭祀を行う空間です。王に対して祭祀を行うのは中国から伝わったものですが、現在までその伝統を維持しているのはここだけです。
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「正殿」には19の部屋があり、各部屋には各王を奉ってあります。創建時には7間でしたが、その後に祀る王と王妃の位牌が増えたため、建物を左右に広げる形で増築され、現在は19間になっています。
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この増築によって「正殿」は約100メートルに及ぶ非常に長い建物になりました。これは単なる大型建築ではなく、王朝の継続そのものが建築の長さに表れた姿と見ることができます。
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敷かれている石の間に隙間があるのは水はけを考えての事だそうです。残念ながら建物の近くで見学することは出来ません。
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「正殿」は1592年の「壬辰倭乱」で焼失しました。その後、1608年に再建され、さらに英祖の時代と憲宗の時代に増築されて今の規模になりました。「壬辰倭乱」とは日本では「文禄・慶長の役」と呼ばれます。
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豊臣秀吉は大明帝国の征服を目指し、配下の西国の諸大名を糾合して遠征軍を立ち上げ、明の冊封国である朝鮮に服属を強要しましたが拒まれたため、この遠征軍をまず朝鮮に差し向けました。ガイドさんは淡々と説明されますが、史実を知っているとちょっと心苦しいことでした。
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ずっと韓国を旅することが躊躇われていたのは「文禄・慶長の役」の事があったと思います。今年になっての何度かの韓国旅行ではそのことを知る機会が何度かありました。
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ここへ来るまで「宗廟」はこの「正殿」だけだと思い込んでいましたが、もう1つの「永寧殿」の見学に移ります。
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再び森の中の道を歩いて「永寧殿」に着きました。ソウル市内にこのような広大な森があるというのは大きな驚きです。儒教の礼制に基づき、原則として王の位牌を「正殿」に安置しましたが、代を重ねると正殿に祀る位牌が増え、一定期間を過ぎた王の位牌を別の場所へ移す必要が生じました。
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世宗3年の1421年に「正殿」の西側へ別廟が建てられ、「永寧殿」と名づけられました。以後は「正殿」から移された王の位牌や、王として即位していなかったものの後に王号を追尊された祖先などが祀られました。「永寧殿」は位牌を移す制度と王室の系譜を建築的に示す場所だったといえます。
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ガイドさんの説明にあったのが大韓帝国最後の皇太子である李 垠(イ・ウン)とその妃の李 方子〈イ・バンジャ〉についてでした。梨本宮家の第1王王女として生まれた方子女王は昭和20年の1945年の日本の敗戦による朝鮮領有権喪失、昭和22年の1947年5月3日の日本国憲法施行に伴って王公族の身分を喪失し、日本国との平和条約発効による日本の主権回復とともに日本国籍を喪失してしまいます。現在は16室に祀られているということでした。
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現在の「赤坂プリンスクラシックハウス」は韓国併合時に設立された李王家の東京邸として昭和5年の1930年に建てられています。重厚なチューダーゴシック様式の建物は結婚式場としても使われ、両親がここで結婚式をしたことを思い出しました。そのご家族でも何度か利用しているお気に入りのレストランです。
ラ・メゾン・キオイ:https://4travel.jp/travelogue/11733292 -
「永寧殿(ヨンニョンジョン)」は朝鮮王朝および大韓帝国の王・王妃、皇帝・皇后の位牌を安置し、祖先祭祀を行った建物で、名称は「王室の祖先が永遠に安らかであること」を願う意味があります。
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「永寧殿」では中央の4間が左右の夾室より高い屋根になっています。このため一直線に長いだけでなく、中央をやや際立たせる屋根構成が感じられます。
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韓国の伝統建築の屋根の傾斜部分の隅棟・降棟に並べられる「雑像(チャプサン)」と呼ばれる魔除けの装飾瓦(土人形と棟の端を飾る「竜頭(ヨンドゥ )」が見えます。
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雑像(チャプサン)は中国の小説「西遊記」の登場人物や神話の生き物がモチーフになっているそうです。
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雑像が本格的に宮廷建築に取り入れられたのは高麗時代から朝鮮王朝時代にかけてで、この時代に中国から伝わった物語「西遊記」は学者から一般庶民に至るまで絶大な人気を誇っていました。
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誰もが知っているお馴染みのヒーローや登場人物を屋根の上に配置することで、その建物の守護の力をより身近に、そして強く人々に意識させることができたと考えられています。
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もともとは明や清など中国の宮殿の屋根にも同じように「走獣(そうじゅう)」と呼ばれる魔除けの人形が並べられていました。しかし、中国のものは「麒麟」や「鳳凰」、「獅子」といった神話や儒教に由来する架空の動物たちが主役でした。
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これが朝鮮半島へと技術や文化が伝わる中で中国のそのままを真似るのではなく、当時大流行していた「西遊記」のキャラクターを当てはめるという韓国独自のユニークなアレンジ(現地化)が行われたと言われています。
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儒教を重んじた朝鮮王朝の王宮や、まさにその儒教の根幹である祖先の霊を祀る「宗廟」という最高に厳粛な場所に、仏教要素の強い「西遊記」が使われているのは非常に面白い矛盾であり、当時の人々の柔軟な遊び心が垣間見える部分でもあります。
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今回はじっくりと「宗廟」の見学が出来て良かったです。このあと「景福宮」の見学にも移りますが、調べてみるとソウル市内にはこのような宮殿などが数多く残されていて、次回個人で旅するにはかなり時間がかかることが分かりました。
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普段はこのような廟に関心を示さない妻も韓国ドラマにハマっていることから興味深く見学しているのが面白いです。
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宗廟祭礼楽は宗廟祭礼儀式に合わせて演奏することで、器楽・歌・踊りが交わる総合芸術だそうです。宗廟祭礼楽は1964年に韓国の重要無形国家遺産第1号に指定され、2001年に宗廟祭礼とともにユネスコ人類無形遺産として登載されています。
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参道を一周して再び歩いてはいけない「三道(サムド)」まで戻ってきました。
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「望廟楼(マンミョル)」は、祭礼の際に王が休息した場所とされ、「宗廟」の「正殿」を望みながら先王を追慕する意味を持ちます。ここから先は自由見学になり、ガイドさんの説明は終わりました。
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「香大庁(ヒャンデチョン)」は 歴代王の祭礼で使うお香や祝文などを保管し、祭官が待機した準備室です。
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朝鮮王朝の初代王の太祖の神主のレプリカを見ることが出来ました。栗の木で作られており、中央に穴(魂が通る穴)が開けられた伝統的な祭祀用の御霊代(みたましろ)です。
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韓国の伝統的な儒教儀礼で用いられる位牌(神主 / しんじゅ)です。中央には「第十五代祖考(15代前の先祖の意)」から始まるその先祖の官職や諡(おくりな)が記されており、左側には「十五代孫 〇〇 奉(15代目の子孫である〇〇が奉る)」という、この位牌を祀った人物(奉祀者)の情報が記されています。
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李氏朝鮮時代の儒学者・政治家である宋時烈(ソン・シヨル)の位牌です。左議政(さぎせい)は李氏朝鮮の最高官職である議政府の次官(正一品)で、贈領議政文正公宋時烈(ぞうりょうぎせい ぶんせこう そうしれつ)の「贈領議政」は死後に追贈された最高の官職(領議政)を表します。「文正」は、死後に贈られた諡号(しごう)で、「宋時烈」は人物の本名になります。
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韓国の伝統的な祭祀(チェサ)や先祖供養の儀礼で使われる木製の位牌(ウィペ)で、内部に故人の戒名や位階などを書いた紙榜(チバン)を納めるものです。ウィペは儒教に基づく先祖崇拝の儀礼において、その都度あるいは安置して霊を宿らせるための伝統的な木製漆塗りの祠・位牌です。チバンは中央に挟まれている紙には先祖の位階や氏名が毛筆で書かれています。
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「正殿」の中の位牌が祀られ「宗廟祭礼」の様子の写真がありました。
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「黒い箱」や「木製のアーチ型の物体」は仏壇ではなく、まさに宗廟の正殿の内部の神室を再現した模型です。
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「神主(位牌)と収納箱」
木製のアーチ型の物体は朝鮮王朝の歴代王・王妃の「神主(シンジュ、位牌)」を再現したものです。 -
その手前や周囲にある黒い漆塗りの箱は、この神主(位牌)を納めておくための「神主箱(位牌の収納箱)」です。
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奥に見える黄色(黄金色)の御簾(みす)や手前の房のついた帳幕は、王の魂が宿る神聖な空間を区切るための伝統的な宮廷装飾です。
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やはりガイド付きのツアー形式だと時間の制約はありますが、とても勉強になりました。そろそろ集合時間なので出口へ急ぎます。
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1964年に韓国の日刊紙と科学部などが主催した「国鳥公募」で、カササギ(カチ)が圧倒的多数で選ばれました。昔話や民話では「良い知らせを運ぶ吉鳥」とされ、幸運・喜び・お祝い事の象徴として親しまれているそうです。かなり大型の鳥ですが、こんな大都会でありながら何度も見る機会がありました。
景福宮 城・宮殿
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