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「大伽倻王陵展示館」の見学から「池山洞古墳群」の王墓の並ぶ山を登った後は残った時間で「大伽倻博物館」へ急ぎました。こちらまで足を延ばした人は数人だけでしたが、展示館よりも詳細な展示があり、日本語表示はありませんが系統だって展示されているのでとても分かりやすかったです。「宮廷女官チャングムの誓い」以来韓流ドラマにハマっている妻の影響でその中のいくつかは面白かった記憶があります。大抵のドラマは朝鮮王朝期のものが多いようで、このドラマまでは主人公だった女性が別のドラマでは悪役だったりとフォーカスする人物によって善と悪が入れ替わってしまうのが韓国ドラマの面白いところです。そんな中でBSフジで放映されていたのが伽倻の初代王キム・スロを主人公にした「鉄の王 キム・スロ」でした。国が変わっても基本的な物語の善悪の構成は変わらない気もしますが。古代伽倻を初めて素材に取り上げたこのドラマは海上交易国家と鉄器文化を再現したことで話題になったようです。国民の3分の1は伽倻の子孫といわれながら注目されなかった伽倻は70年代以降の相次ぐ出土品の発掘により一躍脚光を浴びはじめたようです。 自由で開放的な伽倻は海上交易と優れた鉄器文化をもって広く西域にまで進出し、新羅、百済、高句麗とは違う新しい文化を築き、繁栄をもたらしました。ドラマの中ではキム・スロ(金首露)が王冠を被るシーンがありますが、同じデザインの王冠が展示してありました。伽倻文化の前段階は洛東江流域の初期鉄器文化と深くつながるとされ、伽倻の成立そのものが鉄器文化の発展と重なっています。伽倻の鉄は新羅、百済、日本列島との交流でも重要だったようです。古代の日本では鉄がとても重要でしたが初期には安定した自前供給が弱く、朝鮮半島南部から鉄資源を得る意味が大きかったとみられます。伽倻の鉄は、古墳時代の日本にとって重要な資源と技術の供給源の一つでした。日本は朝鮮半島南部、とくに伽倻地域との交流を通じて鉄素材、鉄器、製鉄や鍛冶の技術を受け、武器や農具の発達を進めたと考えられています。博物館の見学は思ったよりも時間がかかり、最後は走り抜けてバスに戻りました。

トラピックス まるごと韓国大縦断5日間(4)高霊池山洞古墳群の大伽倻博物館を見学して伽倻国の歴史を学ぶ。

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2026/09/01 - 2026/09/01

949位(同エリア1021件中)

旅行記グループ 2026韓国周遊の旅

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kojikoji

kojikojiさん

「大伽倻王陵展示館」の見学から「池山洞古墳群」の王墓の並ぶ山を登った後は残った時間で「大伽倻博物館」へ急ぎました。こちらまで足を延ばした人は数人だけでしたが、展示館よりも詳細な展示があり、日本語表示はありませんが系統だって展示されているのでとても分かりやすかったです。「宮廷女官チャングムの誓い」以来韓流ドラマにハマっている妻の影響でその中のいくつかは面白かった記憶があります。大抵のドラマは朝鮮王朝期のものが多いようで、このドラマまでは主人公だった女性が別のドラマでは悪役だったりとフォーカスする人物によって善と悪が入れ替わってしまうのが韓国ドラマの面白いところです。そんな中でBSフジで放映されていたのが伽倻の初代王キム・スロを主人公にした「鉄の王 キム・スロ」でした。国が変わっても基本的な物語の善悪の構成は変わらない気もしますが。古代伽倻を初めて素材に取り上げたこのドラマは海上交易国家と鉄器文化を再現したことで話題になったようです。国民の3分の1は伽倻の子孫といわれながら注目されなかった伽倻は70年代以降の相次ぐ出土品の発掘により一躍脚光を浴びはじめたようです。 自由で開放的な伽倻は海上交易と優れた鉄器文化をもって広く西域にまで進出し、新羅、百済、高句麗とは違う新しい文化を築き、繁栄をもたらしました。ドラマの中ではキム・スロ(金首露)が王冠を被るシーンがありますが、同じデザインの王冠が展示してありました。伽倻文化の前段階は洛東江流域の初期鉄器文化と深くつながるとされ、伽倻の成立そのものが鉄器文化の発展と重なっています。伽倻の鉄は新羅、百済、日本列島との交流でも重要だったようです。古代の日本では鉄がとても重要でしたが初期には安定した自前供給が弱く、朝鮮半島南部から鉄資源を得る意味が大きかったとみられます。伽倻の鉄は、古墳時代の日本にとって重要な資源と技術の供給源の一つでした。日本は朝鮮半島南部、とくに伽倻地域との交流を通じて鉄素材、鉄器、製鉄や鍛冶の技術を受け、武器や農具の発達を進めたと考えられています。博物館の見学は思ったよりも時間がかかり、最後は走り抜けてバスに戻りました。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
4.0
グルメ
4.0
交通
5.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
10万円 - 15万円
交通手段
観光バス 徒歩
航空会社
チェジュ航空
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行なし)
  • 「大伽倻王陵展示館」の見学から「池山洞古墳群」の王墓の並ぶ山を登った後は残った時間で「大伽倻博物館」へ急ぎました。

    「大伽倻王陵展示館」の見学から「池山洞古墳群」の王墓の並ぶ山を登った後は残った時間で「大伽倻博物館」へ急ぎました。

  • ほとんどの人はこちら迄足を延ばしませんでした。もちろん妻も行かないと言いましたが、20分ほどしか時間は無いので仕方ありません。

    ほとんどの人はこちら迄足を延ばしませんでした。もちろん妻も行かないと言いましたが、20分ほどしか時間は無いので仕方ありません。

  • 立派な博物館ですが、韓国ならではで入場料は無料で、入り口で尋ねると写真撮影もOKとのことでした。

    立派な博物館ですが、韓国ならではで入場料は無料で、入り口で尋ねると写真撮影もOKとのことでした。

  • 歪んでしまった「筒形器台」と「蓋」付きの「長頸壺」のセットです。下部は釣鐘状と円錐状の脚部に多数の透窓が縦長に並び、上部に壺が載せられた複雑な造形をしています。古墳時代の祭祀などに使われた特別な祭器(器台)と考えられています。

    歪んでしまった「筒形器台」と「蓋」付きの「長頸壺」のセットです。下部は釣鐘状と円錐状の脚部に多数の透窓が縦長に並び、上部に壺が載せられた複雑な造形をしています。古墳時代の祭祀などに使われた特別な祭器(器台)と考えられています。

  • 「鉢形器台」は基部の中に火を入れて使ったのではないかなど勝手な想像を膨らませてしまいます。

    「鉢形器台」は基部の中に火を入れて使ったのではないかなど勝手な想像を膨らませてしまいます。

  • 73号墳などで出土した鳥の羽や翼を模したとされる三国時代の大伽倻の「金銅製観帽装飾(鳥翼形観帽飾)」です。中央の軸状の部分と左右に広がる鳥の翼のような板状のパーツ(透かし彫りや点線文様が施されたもの)で構成されています。

    73号墳などで出土した鳥の羽や翼を模したとされる三国時代の大伽倻の「金銅製観帽装飾(鳥翼形観帽飾)」です。中央の軸状の部分と左右に広がる鳥の翼のような板状のパーツ(透かし彫りや点線文様が施されたもの)で構成されています。

  • 「金製耳飾」は非常に小さいものでルーペで拡大されていました。グラニュレーションは独立した小さな粒を表面に付けて模様を作る技法です。グラニュレーションのルーツは古代メソポタミアにあると考えられることが多いです。最古級の例は紀元前2500年ごろのウル王墓に見られるとされています。古代ギリシャを経てここまで伝わったのだろうと思うとロマンを感じます。

    「金製耳飾」は非常に小さいものでルーペで拡大されていました。グラニュレーションは独立した小さな粒を表面に付けて模様を作る技法です。グラニュレーションのルーツは古代メソポタミアにあると考えられることが多いです。最古級の例は紀元前2500年ごろのウル王墓に見られるとされています。古代ギリシャを経てここまで伝わったのだろうと思うとロマンを感じます。

  • 「首飾り」は丸い瑠璃玉を繋いで中に勾玉で装飾しました。機械の無い時代に小さな穴をあける技術もすごいと思います。勾玉の起源には諸説ありますが、縄文時代の飾玉から発展したという説が近年は有力とされているようです。

    「首飾り」は丸い瑠璃玉を繋いで中に勾玉で装飾しました。機械の無い時代に小さな穴をあける技術もすごいと思います。勾玉の起源には諸説ありますが、縄文時代の飾玉から発展したという説が近年は有力とされているようです。

  • 先ほどの「大伽倻王陵展示館」にも展示してあった「鞍橋」についての展示がありました。

    先ほどの「大伽倻王陵展示館」にも展示してあった「鞍橋」についての展示がありました。

  • 馬具のバックルなども現代のものと全く遜色がありません。

    馬具のバックルなども現代のものと全く遜色がありません。

  • 馬の装いは武器と一緒に力を誇示する目的で使用されました。口頭や馬具、口に噛む猿轡や騎手が乗る鞍などが代表的です。木や革の部分は腐って金属部分だけが残っていますが、金や銀で飾った馬具は大伽倻の人々が馬を華やかに飾ったことを伝えます。

    馬の装いは武器と一緒に力を誇示する目的で使用されました。口頭や馬具、口に噛む猿轡や騎手が乗る鞍などが代表的です。木や革の部分は腐って金属部分だけが残っていますが、金や銀で飾った馬具は大伽倻の人々が馬を華やかに飾ったことを伝えます。

  • 武器は戦闘で使用されるだけでなく権力の象徴でもありました。国の運命を決めるために最先端の技術が集約され、輪袋大刀、鉄槍など攻撃用と鎧・投球など防御用武器に区分できます。金や銀で鳳凰や龍などの柄を飾り、身分と権力を誇示しました。鎧や兜は新羅より伽倻地域でたくさん出土しています。

    武器は戦闘で使用されるだけでなく権力の象徴でもありました。国の運命を決めるために最先端の技術が集約され、輪袋大刀、鉄槍など攻撃用と鎧・投球など防御用武器に区分できます。金や銀で鳳凰や龍などの柄を飾り、身分と権力を誇示しました。鎧や兜は新羅より伽倻地域でたくさん出土しています。

  • 「環頭大刀」の柄頭(つかがしら)の柄頭部分および柄筒(つかづつ)金具の部分です。円形の環頭(把頭)の内側には鳳凰のモチーフが表現され、円筒状の柄の部分には細やかな文様(唐草文や連続文様など)が鋳出されているのが確認できます。<br />

    「環頭大刀」の柄頭(つかがしら)の柄頭部分および柄筒(つかづつ)金具の部分です。円形の環頭(把頭)の内側には鳳凰のモチーフが表現され、円筒状の柄の部分には細やかな文様(唐草文や連続文様など)が鋳出されているのが確認できます。

  • 「冑」は前方がまるで船の帆先のように突き出てくるようなアンズの種のようにも見えます。 4枚の細長い鉄板で丸みを帯びた形状を作った後に長いへら形状の鉄板を覆って仕上げました。鉄板は金釘でしっかりとつながり、頭と首の後ろを保護します。

    「冑」は前方がまるで船の帆先のように突き出てくるようなアンズの種のようにも見えます。 4枚の細長い鉄板で丸みを帯びた形状を作った後に長いへら形状の鉄板を覆って仕上げました。鉄板は金釘でしっかりとつながり、頭と首の後ろを保護します。

  • 大伽倻は独創的な形の「大伽倻様式」の土??器を大量に生産し、高霊はもちろん遠く湖南東部地域まで送りました。大伽倻は土器の大量生産のために工房と窯施設を集団化しました。そして分業化により生産効率を高め、生産された土器を運ぶ道路網と生産者と需要者をつなぐ流通網も整備しました。大伽倻は土器の生産と供給、流通を国家で管理する国営システムを備えていました。

    大伽倻は独創的な形の「大伽倻様式」の土??器を大量に生産し、高霊はもちろん遠く湖南東部地域まで送りました。大伽倻は土器の大量生産のために工房と窯施設を集団化しました。そして分業化により生産効率を高め、生産された土器を運ぶ道路網と生産者と需要者をつなぐ流通網も整備しました。大伽倻は土器の生産と供給、流通を国家で管理する国営システムを備えていました。

  • 「蓮のデザインのタイル」<br />大伽倻土器とともに出土されレンガや瓦を一緒に生産してきたのも兼業窯でした。ここでは蓮の花柄が写したレンガが発掘されています。大伽倻は宮殿や官庁、寺院などの公共機関でレンガと瓦を利用して建築物を建てました。床に敷かれたレンガで大伽倻で最も早い時期のデザインが蓮の花柄です。以後、壁画古墳の蓮の花絵として受け継がれたのは大伽倻が仏教を受け入れたことを示す資料です。

    「蓮のデザインのタイル」
    大伽倻土器とともに出土されレンガや瓦を一緒に生産してきたのも兼業窯でした。ここでは蓮の花柄が写したレンガが発掘されています。大伽倻は宮殿や官庁、寺院などの公共機関でレンガと瓦を利用して建築物を建てました。床に敷かれたレンガで大伽倻で最も早い時期のデザインが蓮の花柄です。以後、壁画古墳の蓮の花絵として受け継がれたのは大伽倻が仏教を受け入れたことを示す資料です。

  • 「燈明用金銅盒」<br />「盒」は蓋付きの器を意味するものです。<br />「池山洞44号墳」は479年に中国に使者を送り輔国将軍本国王の称号を受けた加羅国(大伽倻)王の荷知の墓と推定されます。「燈明用金銅盒」は主人が埋もれた一番の部屋から出土されました。中にはすすが確認され、暗い墓の中を明らかにしたことがわかります。百済遼王陵のものと似ており、両国の交流を感じさせます。

    「燈明用金銅盒」
    「盒」は蓋付きの器を意味するものです。
    「池山洞44号墳」は479年に中国に使者を送り輔国将軍本国王の称号を受けた加羅国(大伽倻)王の荷知の墓と推定されます。「燈明用金銅盒」は主人が埋もれた一番の部屋から出土されました。中にはすすが確認され、暗い墓の中を明らかにしたことがわかります。百済遼王陵のものと似ており、両国の交流を感じさせます。

  • 大伽倻は鉄の生産と流通システムが発展したため、しばしば「鉄の王国」と呼ばれます。中国の歴史書の中では「国で鉄が生産される」と特別に記録され、「地山東高墳群」の中では塊をはじめ、多量の鉄製品が出土します。「地山洞75号墳の一番下に敷かれて出た塊は中がくびれ、両端が広い形の鉄板です。鉄の王国の大伽倻の象徴として三国はもちろん海を渡って日本や中国などに輸出し、市場で貨幣のように使われた貿易物品でもありました。

    大伽倻は鉄の生産と流通システムが発展したため、しばしば「鉄の王国」と呼ばれます。中国の歴史書の中では「国で鉄が生産される」と特別に記録され、「地山東高墳群」の中では塊をはじめ、多量の鉄製品が出土します。「地山洞75号墳の一番下に敷かれて出た塊は中がくびれ、両端が広い形の鉄板です。鉄の王国の大伽倻の象徴として三国はもちろん海を渡って日本や中国などに輸出し、市場で貨幣のように使われた貿易物品でもありました。

  • 「馬鎧」<br />馬を守るための鱗鎧(スケルスアーマー)として人の着用するものよりはるかに大きい鉄板を使用しました。馬の首の部分全体を覆うように台形の形の鉄板を丸く革紐で編みました。馬の腹部を保護するために正方形の鉄板を下に接続しました。鎧や兜などで重武装した大伽倻重裝騎兵の姿が浮かびます。

    「馬鎧」
    馬を守るための鱗鎧(スケルスアーマー)として人の着用するものよりはるかに大きい鉄板を使用しました。馬の首の部分全体を覆うように台形の形の鉄板を丸く革紐で編みました。馬の腹部を保護するために正方形の鉄板を下に接続しました。鎧や兜などで重武装した大伽倻重裝騎兵の姿が浮かびます。

  • 「土鈴」<br />「智山洞705号墳」の1号殉葬墓から出土した土鈴です。直径5.3センチ程度の大きさで、幼児の左膝付近で確認されました。土鈴には6つの絵が刻まれています。その内容は「亀」、「踊る女」など伽倻の建国神話を思わせるモチーフを盛り込んでいます。

    「土鈴」
    「智山洞705号墳」の1号殉葬墓から出土した土鈴です。直径5.3センチ程度の大きさで、幼児の左膝付近で確認されました。土鈴には6つの絵が刻まれています。その内容は「亀」、「踊る女」など伽倻の建国神話を思わせるモチーフを盛り込んでいます。

  • 小さい土鈴がケースの中に吊られていますが、ルーペ越しでも彫られた「亀」くらいしか確認できませんでした。

    小さい土鈴がケースの中に吊られていますが、ルーペ越しでも彫られた「亀」くらいしか確認できませんでした。

  • 「青銅器時代の人々の生活」<br />人々が高霊に住み始めたのは約2万年から3万年前の旧石器時代でした。新石器時代以降から青銅器時代には村をなして稲作が行われていました。青銅器時代になると人々は平原の川沿いに住み、彼らはさまざまな道具や武器を青銅器で造りました。

    「青銅器時代の人々の生活」
    人々が高霊に住み始めたのは約2万年から3万年前の旧石器時代でした。新石器時代以降から青銅器時代には村をなして稲作が行われていました。青銅器時代になると人々は平原の川沿いに住み、彼らはさまざまな道具や武器を青銅器で造りました。

  • その当時の生活を再現したジオラマがありました。青銅器を作りながらも農機具などは石器を使っているようです。

    その当時の生活を再現したジオラマがありました。青銅器を作りながらも農機具などは石器を使っているようです。

  • 「三韓時代の高霊」<br />三韓時代というと、普通は馬韓、辰韓、弁韓の時代を指します。<br />この段階では高霊がすでに後の大伽耶のような強い国家だったとまでは言い切れず、まずは弁韓の小国の1つが成長していった地域だったようです。三韓時代の墳墓は低い丘に穴を掘り、木棺に死者を納め、鉄製の道具や土器とともに埋葬しました。鉄製の農具や武器を用いて農作業を行い、周辺地域への影響力を拡大していきます。<br />

    「三韓時代の高霊」
    三韓時代というと、普通は馬韓、辰韓、弁韓の時代を指します。
    この段階では高霊がすでに後の大伽耶のような強い国家だったとまでは言い切れず、まずは弁韓の小国の1つが成長していった地域だったようです。三韓時代の墳墓は低い丘に穴を掘り、木棺に死者を納め、鉄製の道具や土器とともに埋葬しました。鉄製の農具や武器を用いて農作業を行い、周辺地域への影響力を拡大していきます。

  • 大伽倻は400年代半ばから合川、居昌、咸陽を経て全羅北道南原まで勢力を拡大しました。500年代以降は伽倻の他の地域だけでなく蟾津江、南海岸、金江の地域にも影響を及ぼしました。最盛期には朝鮮半島南部の中心地域を統合した国へと発展しました。<br />

    大伽倻は400年代半ばから合川、居昌、咸陽を経て全羅北道南原まで勢力を拡大しました。500年代以降は伽倻の他の地域だけでなく蟾津江、南海岸、金江の地域にも影響を及ぼしました。最盛期には朝鮮半島南部の中心地域を統合した国へと発展しました。

  • 「有蓋頚首壺」<br />大伽倻の王は「王の中の王」という意味を込めた「大王」と呼ばれました。壺の蓋と胴体に刻まれた文字は順序が逆になっています。その理由は呪術的儀礼的な性格と神秘の強調を反映したものと解釈されています。

    「有蓋頚首壺」
    大伽倻の王は「王の中の王」という意味を込めた「大王」と呼ばれました。壺の蓋と胴体に刻まれた文字は順序が逆になっています。その理由は呪術的儀礼的な性格と神秘の強調を反映したものと解釈されています。

  • 大伽倻の土器の優雅な曲線美とバランスには驚くべきデザイン性を感じます。その制作過程を再現したものが並べられています。

    大伽倻の土器の優雅な曲線美とバランスには驚くべきデザイン性を感じます。その制作過程を再現したものが並べられています。

  • 古伊賀水指の「破袋」を思い出させるような土器です。 ここからわかることは1200度という高温で焼成された際の歪みや気泡などの痕跡が読み取れます。

    古伊賀水指の「破袋」を思い出させるような土器です。 ここからわかることは1200度という高温で焼成された際の歪みや気泡などの痕跡が読み取れます。

  • 発掘された土器の破片で大伽倻の祭器を象ったオブジェが置かれてありました。なるほどいいアイディアだと思いました。

    発掘された土器の破片で大伽倻の祭器を象ったオブジェが置かれてありました。なるほどいいアイディアだと思いました。

  • 大伽倻の冠は純金の厚い冠というよりは金銅製の冠が中心です。細い板状の立飾りが立ち上がる構成で、新羅冠と共通する要素を持ちながら伽倻系の独自性もあるとされています。大伽倻のイヤリングは新羅のものとは異なり、中央の輪が細いのが特徴です。大伽倻の装飾品は大伽耶に確立された衣服の決まりがあったことを暗示しています。

    大伽倻の冠は純金の厚い冠というよりは金銅製の冠が中心です。細い板状の立飾りが立ち上がる構成で、新羅冠と共通する要素を持ちながら伽倻系の独自性もあるとされています。大伽倻のイヤリングは新羅のものとは異なり、中央の輪が細いのが特徴です。大伽倻の装飾品は大伽耶に確立された衣服の決まりがあったことを暗示しています。

  • 「伽倻金冠」<br />伽倻地域の唯一の金冠は国宝第138号に指定されています。「高霊地山洞45号墳」または44号墳から出土したことが明らかになった地域唯一の金冠です。草の葉状の飾り4つを一定の間隔で立て、丸い飾りと翡翠の勾玉をつけてカラカラさせています。「韓国ドラマ「鉄の王キム・スロ」でキム・スロが被っていたのはこんな金冠でした。

    「伽倻金冠」
    伽倻地域の唯一の金冠は国宝第138号に指定されています。「高霊地山洞45号墳」または44号墳から出土したことが明らかになった地域唯一の金冠です。草の葉状の飾り4つを一定の間隔で立て、丸い飾りと翡翠の勾玉をつけてカラカラさせています。「韓国ドラマ「鉄の王キム・スロ」でキム・スロが被っていたのはこんな金冠でした。

  • 「地山洞32号墳金銅冠」宝物第2018号<br />帯状の冠の上に光舟状の金銅板を立て、左右に玉ねぎ状の枝を立ててあります。金銅板の端をつぼみのように作り、表面には釘で叩いて刻まれた点線模様があがあります。新羅とは違うデザインで大伽倻の代表的な王冠といえます。

    「地山洞32号墳金銅冠」宝物第2018号
    帯状の冠の上に光舟状の金銅板を立て、左右に玉ねぎ状の枝を立ててあります。金銅板の端をつぼみのように作り、表面には釘で叩いて刻まれた点線模様があがあります。新羅とは違うデザインで大伽倻の代表的な王冠といえます。

  • 「地山洞30号墳金銅冠」<br />今年の3月に「国立清州博物館」で5世紀の新羅時代の金冠を見ましたが、それも素晴らしいものでした。その冠のレプリカはトランプ大統領が訪韓した際に贈られ、彼は名実ともにアメリカの王になったようです。<br />国立清州博物館:https://4travel.jp/travelogue/12042631

    「地山洞30号墳金銅冠」
    今年の3月に「国立清州博物館」で5世紀の新羅時代の金冠を見ましたが、それも素晴らしいものでした。その冠のレプリカはトランプ大統領が訪韓した際に贈られ、彼は名実ともにアメリカの王になったようです。
    国立清州博物館:https://4travel.jp/travelogue/12042631

  • 「馬具」<br />馬具は馬を制御して騎手を安定させ、馬を装飾するためのあらゆる道具のことです。銜、鞍、馬具の金具、鈴などが含まれ、銜、鞍、鐙は騎手の安全のための装備でもあります。馬具の金具や鈴、馬背旗竿は馬を装飾するためのもので大伽倻の馬具は日本に伝わり、大きな影響を与えました

    「馬具」
    馬具は馬を制御して騎手を安定させ、馬を装飾するためのあらゆる道具のことです。銜、鞍、馬具の金具、鈴などが含まれ、銜、鞍、鐙は騎手の安全のための装備でもあります。馬具の金具や鈴、馬背旗竿は馬を装飾するためのもので大伽倻の馬具は日本に伝わり、大きな影響を与えました

  • 馬具はバラバラだと分かりにくいのでこのようなイラストがあるとどの部分かが分かりやすいです。

    馬具はバラバラだと分かりにくいのでこのようなイラストがあるとどの部分かが分かりやすいです。

  • 「大伽倻の武器」<br />国の興亡を左右する戦争において当時の高度な技術が武器に投入されました。攻撃武器としては環状柄頭の剣、鉄製の槍、矢じりなどがあります。環状柄頭の剣は柄と環状の部分に豪華な龍や鳳凰の装飾が施されています。鎧や兜は新羅のものよりも伽倻のものが種類も多く、板鎧と鱗鎧の2種類があり、兜も様々な形状をしています。

    「大伽倻の武器」
    国の興亡を左右する戦争において当時の高度な技術が武器に投入されました。攻撃武器としては環状柄頭の剣、鉄製の槍、矢じりなどがあります。環状柄頭の剣は柄と環状の部分に豪華な龍や鳳凰の装飾が施されています。鎧や兜は新羅のものよりも伽倻のものが種類も多く、板鎧と鱗鎧の2種類があり、兜も様々な形状をしています。

  • 「衣食住について」<br />大伽倻の人々は平野や丘陵地を好み、外敵を守るために山城を築きました。山の尾根の上には死んだ人々のための墓も作りました。服は身分によって形や色、材質が違ったようです。穀物や果実、肉類、魚類を食べ、生で食べにくいものは煮たり、加工しました。家には瓦屋根や棟、固上倉庫などがあり、調理のための竈や暖房施設も整えました。

    「衣食住について」
    大伽倻の人々は平野や丘陵地を好み、外敵を守るために山城を築きました。山の尾根の上には死んだ人々のための墓も作りました。服は身分によって形や色、材質が違ったようです。穀物や果実、肉類、魚類を食べ、生で食べにくいものは煮たり、加工しました。家には瓦屋根や棟、固上倉庫などがあり、調理のための竈や暖房施設も整えました。

  • 「農業」<br />鉄製の小さい鋤と鍬は大伽倻地域の代表的な遺物です。農具を3分の1から5分の1の縮尺で製作したものでで、灌漑用の鍬は水田の水門を開閉するために使用されました。大伽倻では農業に関連した農事儀礼が非常に盛んでした。<br />

    「農業」
    鉄製の小さい鋤と鍬は大伽倻地域の代表的な遺物です。農具を3分の1から5分の1の縮尺で製作したものでで、灌漑用の鍬は水田の水門を開閉するために使用されました。大伽倻では農業に関連した農事儀礼が非常に盛んでした。

  • 「大伽倻の宗教と思想」<br />大伽倻では仏教と儒教が受け入れられ、墓での祖先供養が行われました。人々は山神と天神などを崇拝し、現実の人生が死後世界にもつながるという計世思想を持っていました。仏教を受け入れて人や宮営の名前を仏教式につけ、墓に蓮の花を描き、瓦や白銅には蓮の花柄を彫ったりもしました。特に祖先の墓の祭祀と儀礼を重視し、墓を丁寧に作り、多くの副葬品を入れたことから墓周辺には祭司土器がたくさん出土します。

    「大伽倻の宗教と思想」
    大伽倻では仏教と儒教が受け入れられ、墓での祖先供養が行われました。人々は山神と天神などを崇拝し、現実の人生が死後世界にもつながるという計世思想を持っていました。仏教を受け入れて人や宮営の名前を仏教式につけ、墓に蓮の花を描き、瓦や白銅には蓮の花柄を彫ったりもしました。特に祖先の墓の祭祀と儀礼を重視し、墓を丁寧に作り、多くの副葬品を入れたことから墓周辺には祭司土器がたくさん出土します。

  • 「石造如来坐像」<br />大伽倻の村内の寺院にあった仏像で、現在の高さは80cm程度である。卓抜した彫刻技術と様式で見て統一新羅時代に造った仏像と考えられます。日韓併合時代に撮られた写真を基に複製されたものです。

    「石造如来坐像」
    大伽倻の村内の寺院にあった仏像で、現在の高さは80cm程度である。卓抜した彫刻技術と様式で見て統一新羅時代に造った仏像と考えられます。日韓併合時代に撮られた写真を基に複製されたものです。

  • 「高霊 地山里 石造如来座像」<br />釈迦如来坐像が彫られています。 仏像の優れた彫刻技術やその「右肩偏端」の衣のしわなどの様式(ふくよかな顔の表現や右肩を露出させて左肩にだけ法衣)から、統一新羅時代の8世紀末または9世紀初期に造られたものと推定されています。

    「高霊 地山里 石造如来座像」
    釈迦如来坐像が彫られています。 仏像の優れた彫刻技術やその「右肩偏端」の衣のしわなどの様式(ふくよかな顔の表現や右肩を露出させて左肩にだけ法衣)から、統一新羅時代の8世紀末または9世紀初期に造られたものと推定されています。

  • 「屋根瓦の種類と用途」<br />屋根瓦は用途や形状によって様々な種類があります。中でも凹型瓦と凸型瓦は基本的で種類も多くあります。凹型瓦は正四角形、凸型瓦は円筒を縦に切った形をしています。また、軒先を飾る軒先瓦、垂木に取り付ける垂木端瓦、屋根の棟に掛ける棟瓦、そして基壇や墓に使う特殊な瓦もあります。

    「屋根瓦の種類と用途」
    屋根瓦は用途や形状によって様々な種類があります。中でも凹型瓦と凸型瓦は基本的で種類も多くあります。凹型瓦は正四角形、凸型瓦は円筒を縦に切った形をしています。また、軒先を飾る軒先瓦、垂木に取り付ける垂木端瓦、屋根の棟に掛ける棟瓦、そして基壇や墓に使う特殊な瓦もあります。

  • 出土された屋根瓦は用途別に分かりやすいイラストが描かれていました。建築関係の仕事をしていたので興味深い展示です。長崎の大学生も建築を学んでいると言っていましたが山の上の古墳を走っていないで、この博物館来た方が良かったですよ。

    出土された屋根瓦は用途別に分かりやすいイラストが描かれていました。建築関係の仕事をしていたので興味深い展示です。長崎の大学生も建築を学んでいると言っていましたが山の上の古墳を走っていないで、この博物館来た方が良かったですよ。

  • 先ほど博物館の1階に展示してあった蓮の花が型押しされたレンガタイルです。レンガは瓦と共に王宮や官庁など重要建築物に使われた品格の高い建築材料でした。この蓮の花のタイルは床に敷く用途だったようです。蓮の花柄は6つの花びらが表現され、華やかな印象を与える大伽倻の独創的な模様です。壁画古墳の蓮の花絵とともに大伽倻で仏教を受け入れた可能性を垣間見ることができます。

    先ほど博物館の1階に展示してあった蓮の花が型押しされたレンガタイルです。レンガは瓦と共に王宮や官庁など重要建築物に使われた品格の高い建築材料でした。この蓮の花のタイルは床に敷く用途だったようです。蓮の花柄は6つの花びらが表現され、華やかな印象を与える大伽倻の独創的な模様です。壁画古墳の蓮の花絵とともに大伽倻で仏教を受け入れた可能性を垣間見ることができます。

  • 「鬼面瓦(キミョンワ)」<br />この遺物は邪気や悪霊を追い払う魔除けの目的で建物の屋根を飾っていた建築部材です。大きく見開いた丸い眼、力強く隆起した眉や鼻、そして大きく開いた口のなかに円筒状の表現(舌、または火を噴く様子)がある独特な造形が非常に印象的です。

    「鬼面瓦(キミョンワ)」
    この遺物は邪気や悪霊を追い払う魔除けの目的で建物の屋根を飾っていた建築部材です。大きく見開いた丸い眼、力強く隆起した眉や鼻、そして大きく開いた口のなかに円筒状の表現(舌、または火を噴く様子)がある独特な造形が非常に印象的です。

  • 「瓦の製造方法」<br />1)粘土を突き固めて空気を抜く。2)積み重ねる。3)円筒形の型の中に板状の粘土を入れて成型する。4)方から抜き出して乾燥させる。5)窯に入れて焼く。

    「瓦の製造方法」
    1)粘土を突き固めて空気を抜く。2)積み重ねる。3)円筒形の型の中に板状の粘土を入れて成型する。4)方から抜き出して乾燥させる。5)窯に入れて焼く。

  • 「朝鮮時代の高霊」<br />朝鮮王朝時代の1415年から高霊は中央政府から派遣された官吏によって統治される地域でした。申、朴、李、兪、金、白、鄭といった地元の姓があり、官僚になる代わりに熱心に学問に励んだ儒学者が多くいました。

    「朝鮮時代の高霊」
    朝鮮王朝時代の1415年から高霊は中央政府から派遣された官吏によって統治される地域でした。申、朴、李、兪、金、白、鄭といった地元の姓があり、官僚になる代わりに熱心に学問に励んだ儒学者が多くいました。

  • 「盤龍寺多層石塔」<br />この石塔は高麗時代(918年~1392年)に造られたと推定されています。慶尚北道高霊郡にある「盤龍寺(パンリョンサ)」という古刹に古くから伝わるもので、仏教が非常に栄え、多様な仏塔建築が生み出された高麗時代の文化を色濃く反映しています。一般的な仏塔が花崗岩で造られるのに対し、この石塔は粘板岩(ねんばんがん / チョンソク)という薄く割れやすい特殊な岩を精密に重ね合わせて作られています。このような石塔は韓国で「青石塔( チョンソクタプ)」と呼ばれ、高麗時代に一時期流行した極めて技巧的な様式です。花崗岩に比べて加工が難しく風化しやすいため、現存するものは非常に希少です。<br />

    「盤龍寺多層石塔」
    この石塔は高麗時代(918年~1392年)に造られたと推定されています。慶尚北道高霊郡にある「盤龍寺(パンリョンサ)」という古刹に古くから伝わるもので、仏教が非常に栄え、多様な仏塔建築が生み出された高麗時代の文化を色濃く反映しています。一般的な仏塔が花崗岩で造られるのに対し、この石塔は粘板岩(ねんばんがん / チョンソク)という薄く割れやすい特殊な岩を精密に重ね合わせて作られています。このような石塔は韓国で「青石塔( チョンソクタプ)」と呼ばれ、高麗時代に一時期流行した極めて技巧的な様式です。花崗岩に比べて加工が難しく風化しやすいため、現存するものは非常に希少です。

  • 「高麗時代の遺跡と遺物」<br />高霊地方の仏教は高麗王朝まで絶えず栄えていました。物山寺と八龍寺は高い地位を保ち、「海印寺」は高麗大蔵経が保管された場所としてよく知られています。高霊は大伽倻時代の伝統を受け継ぐ陶磁器生産で有名です。

    「高麗時代の遺跡と遺物」
    高霊地方の仏教は高麗王朝まで絶えず栄えていました。物山寺と八龍寺は高い地位を保ち、「海印寺」は高麗大蔵経が保管された場所としてよく知られています。高霊は大伽倻時代の伝統を受け継ぐ陶磁器生産で有名です。

  • 20プうという短い時間でしたが何とか最後まで見学することが出来ました。この後は急いで坂道を登り、何とか集合時間に間に合いました。妻が見当たらないので心配しましたがすでにバスの中で涼んでいました。

    20プうという短い時間でしたが何とか最後まで見学することが出来ました。この後は急いで坂道を登り、何とか集合時間に間に合いました。妻が見当たらないので心配しましたがすでにバスの中で涼んでいました。

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