2026/09/01 - 2026/09/01
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kojikojiさん
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この旅行記のスケジュール
2026/09/01
この旅行記スケジュールを元に
「大伽倻博物館」を見学した後はバスに乗り、20分ほどの移動で陜川の川沿いにある鄙びた集落の「香原食堂/Hyang Won Restrant」というレストランに入ります。ここでは名物の山菜ビビンバをいただきました。そして陜川の地域限定の生マッコリもいただきます。山菜は期待していたほどではありませんでしたが、シンプルな味で美味しかったです。再びバスに乗り込み、10分ほどで山中の路肩でバスを降ろされます。そこに立つ看板には「海印寺1.2キロ」と書かれてあります。ただこれは寺の境内への入り口までで、そこから世界遺産の「高麗八萬大蔵経」の版木が納められた板殿まではさらに石段を登り続けなければなりません。とはいえ周囲には何も無いので妻もここで待つわけにもいかず、しぶしぶ山道を歩きます。参道は参拝者目当ての商店や食堂が点在し、山菜の干したものやらいろいろ並んでいます。それが過ぎると本当に山道になり、渓流沿いの森の中を歩くことになります。しばらくすると少し開けた場所に「海印寺碑林」があり、たくさんの碑が並んでいます。その先に「紅霞門」と先へ続く石段が見えてきます。ここまでで1.2キロというわけのようです。ここで「海印寺」についてガイドさんから説明があります。世界遺産になっているのは一番上にある「高麗八萬大蔵経」とその納められた「板殿」だけだそうです。韓国三大寺院の1つで、802年に創建されたと伝えられます。「海印寺」の海印は仏教の「海印三昧」に由来し、海の水面があらゆるものをそのまま映すように、真理をありのままに映し出す境地を表す言葉です。高麗時代に作られた大蔵経の版木群で現存する板木は約8万1258枚あり、これらが1995年に世界遺産に指定されました。ここから延々と石段を登りますが、途中う回路もあり、妻はそちら側を頑張って登りました。韓国の時代劇ドラマ「武神」ではこの寺がロケーションでも使われています。高麗の武臣政権時代にモンゴルとの戦争や権力争いというストーリーのなかで、大蔵経の経板が全て僧侶と共に燃やされてしまうショッキングなシーンがありました。「海印寺」の参拝の後は再びバスに乗り込み、この日宿泊する温陽へ急ぎます。ホテル近くの「ヒュンダイリブ」という店でカルビタンをいただき、ここでもマッコリ1本と地元の焼酎を1本空けました。宿泊した「温陽第一ホテル」には温泉があり、ここでもサウナと温泉でこの日の疲れをとることが出来ました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 航空会社
- チェジュ航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
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高霊を出たバスはすぐに陜川の鄙びた川沿いの温泉旅館街のようなところに着き、バスを降りてしばらく歩きます。
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通りには近くの山で採れた山菜などを売る露店がありました。ナムル用の乾燥野菜、乾燥キノコ、餅や粉の加工品などが並んでいます。
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何だか分かったのはきくらげと白きくらげくらいなものです。昔は面白がって中国とかでも買いましたが、結局調理しきれないので最近は見るだけです。
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この日のお昼は「香原食堂/Hyang Won Restrant」という店で山菜ビビンバを頂くようです。
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パンチャンは焼いた椎茸、白菜キムチ、ジャガイモを甘く炊いたもの、蓮根のヨングンチョリムなどが並んでいます。
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さらに白きくらげに山菜のサラダなどが並びます。ここでも4人テーブルだったのでいつもと同じメンバーでの食事です。
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山菜ビビンバというには蕨くらいしか入っていませんが、パンチャンも入れて辛い味噌を入れて味を調えます。
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慶尚南道の陜川(ハプチョン)で造られている「陜川生マッコリ」です。 陜川郡の清らかな水と国内産米を使用し、昔ながらの製法で作られた地域限定の生マッコリで、とても美味しかったです。
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この日2本目のマッコリです。今回は全くビールは注文しないという面白い旅になりました。韓国の地マッコリ面白いです。
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食材と調味料を混ぜて美味しい自分好みのビビンバが出来上がりました。韓国のツアーは豪華ではないけれど地方ごとの名物料理が食べられるのが魅力です。
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バスに戻ってほんの少し走った路肩で再びバスを降りました。底には「海印寺1.2キロ」と書かれた看板だけが1本立っています。それ以外に何も無いので妻も歩かざるを得ません。
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追い打ちをかけるようにガイドさんから「1.2キロは海印寺の入り口までの距離ですよ。お寺はそこから石段を登ります」と説明があります。
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案内板もありますが全てハングルなので我々には役に立ちません。ただ1.2キロ歩いた後も点在した伽藍の一番奥に「高麗八萬大蔵経」があるようです。
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紅流洞(ホンリュドン)渓谷は伽倻山(カヤサン)国立公園入口から海印寺(ヘインサ)に至る全長およそ4キロの渓谷です。爽やかな風景ですが、気温は30℃を越えてめちゃくちゃ暑いです。
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渓谷を流れる水の音だけが涼しく感じます。
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「伽倻山自然観察路」の案内板がありました。海印寺まではこの自然観察路を進むようです。
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新羅時代末期の高僧の道詵国師とカエデの木の伝説について説明しています。道詵国師が白雲山(ペグンサン)での長年の修行を終えて立ち上がろうとした際に膝が伸びなくなってしまいました。その時につかんだ木の枝から落ちてきた水滴を飲んだところ体に力がみなぎって回復したという伝説から、この木が「骨(身体)に利く木」という意味の「コリス」と呼ばれるようになったと伝えられています。
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ヤドリギについても紹介されていました。他の樹木の枝の上に生育する常緑の多年生植物で、他の樹木の幹や枝に根を食い込ませて成長しますが、一方的に養分や水を奪っているわけではなく自らも光合成をおこなう半寄生をとっています。古くからヨーロッパでは宗教的に神聖な木とされ幸運を呼ぶ木とされ、冬の間でも落葉樹に半寄生した常緑樹は強い生命力の象徴とみなされます。妻が大好きなのですが、ヨーロッパのクルスマスマーケットでは買うわけにもいかず、ルネ・ラリックの大鉢と花瓶をプレゼントしたことがあります。
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「海印寺碑林」までやってきました。これで「海印寺」の入り口も近いです。碑林(ひりん)とは、多数の石碑や石刻が林のように立ち並ぶ場所、またはその施設を指す言葉です。石碑の下にいるのは甕ではなく贔屓です。「竜生九子(りゅうせいきゅうし)」とは中国の伝説上の竜が生んだ9匹の子を指し、いずれも親である竜になることはできなかったといわれ、それぞれ姿形も性格も異なっています。贔屓(ひいき)は形は亀に似て重きを背負うことを好みます。贔屓を引くと背中の石碑が倒れることから「贔屓の引き倒し」という言葉が生まれています。石碑の台になっている場合は亀趺(きふ)とも呼びます。
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「海印寺」は韓国仏教界の最大勢力である曹渓宗(大韓仏教曹渓宗)の三宝寺院、五大叢林(海印叢林)に数えられています。新羅王第40代哀荘王の時代の哀荘王3年の802年に海東華厳宗の開祖義湘の法孫の順応と弟子の理貞が新羅王室の寄進を受けて創建しました。
海印寺 (八萬大蔵経) 寺院・教会
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918年に高麗が建国された際に当時の「海印寺」の住職だった稀朗大師は建国時の功績が認められ、「海印寺」は高麗の国刹になります。李氏朝鮮の太宗による太宗7年の1407年の仏教弾圧の際には存続を許された88寺院の中に「海印寺」の名前はなく、廃寺になったようです。しかし世宗による世宗6年の1424年の仏教弾圧の際には存続を許された36寺院の中に「海印寺」の名前はあることから寺は復活したようです。
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成宗19年の1488年に王室の寄進を受け、成宗21年の1490年に燈谷學祖和尚が重修し、世界遺産に登録された「大蔵経板殿」はこの時重建されたものです。現在は「海印寺」最古の建造物ですが、世界遺産になっているのはこの建物と納められた版木だけです。
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「紅霞門」を潜って寺院の奥へと進みますが、どこまで続いているのか全く分かりません。また「一柱門」とも呼ばれる寺院の入口にある最初の門で、横から見ると1本の柱の様に並んでいます。
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「ニレの古木」
哀荘王3年の802年に新羅第40代国王の恭愛増は不治の病に苦しむ愛昌王妃の回復を祈願した僧侶を称えるために「海印寺」の建立を命じました。この木は「海印寺」の創建を記念してここに植えられたと考えられています。木は約1200年間成長しましたが1945年に枯れてしまいました。現在では幹の根元だけが残っており、「海印寺」の長い歴史を物語っています。 -
木立の中に「鳳凰門」が見えてきました。
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「海印叢林」の額が掲げられ、邪鬼から仏法を護る四天王像が奉安されている門です。「叢林」はもともと林のことですが、仏教では多くの僧が集まって修行する寺院や修行共同体を指します。とくに禅宗では修行寺院の意味でよく使われます。
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木製の扉に描かれた怒りの表情や金色の頭部装飾を持つのは仏教の守護神である金剛力士の壁画です。
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仏敵を退散させる武器「金剛杵(こんごうしょ)を持つもの」を意味し、開口の「阿形(あぎょう)」と、口を結んだ「吽形(うんぎょう)」の2体を一対として、寺院の表門などに安置されます。
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「多聞天」は「毘沙門天」とも呼ばれ北方を護るとされます。日本では四天王の一尊として安置する場合は「多聞天」と呼ばれ、独尊として安置される場合は「毘沙門天」と呼ばれます。左手に宝塔を持つ姿は日本と同じです。
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「広目天」は西方を護るとされます。また、三昧持物は古くは筆を持ち、巻物に何かを書き留めている姿で表現されてきました。この像は中国に倣って右手に龍を掴んでいます。龍の場合もありますが、蛇を持つ姿で表されることもあります。
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「増長天」は南方を護る守護神とされます。元来はインド神話に登場するインドラ(帝釈天)の配下ですが後に仏教に取り込まれました。
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「持国天」は東方を護る守護神として革製の甲冑を身に着けた唐代の武将風の姿で造像されます。中国の民間信仰と同じ白い顔で琵琶を持った姿で表されています。
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また急な石段が現れました。それにしてもこんな山中にもかかわらず暑すぎます。
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扁額には「東海図宋大伽藍」とあり、その奥には「解脱門」とあります。この門を潜ると輪廻の世界から解脱し、悟りの世界、即ち仏の世界に入るということを意味します。「一柱門」から「解脱門」までの33段の石段は仏教の世界の中心である須弥山の頂上にある33の極楽を表しています。
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境内にある迷路のような石の図は、「華厳一乗法界図」をもとにしたものです。この図は「海印寺」の教えの背景にある華厳思想を視覚化したもので、新羅の僧である義湘がまとめた法界観を表す図案とされ、仏教の真理や悟りへの道を象徴する図とされています。
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図の決まった入口から一方向に進み、線(石の並び)に沿って辿ります。途中で行き止まりを探す迷路ではなく、順路を最後まで通しで歩きます。歩行中は寺側が用意する文言に従い、「法性偈」を唱えながら進みます。図の道筋は54の直角の折れ曲がりが多いのが特徴で、歩くこと自体が「辿る修行」として位置づけられます。
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「海印梵鐘」の扁額のある建物は「鐘楼」です。中央には青みがかった巨大な梵鐘が見え、右側には大きな法鼓(ほっく・太鼓)が置かれています。これらは仏教の儀式においてすべての衆生(生きとし生けるもの)に仏の教えを届け、苦しみから救うために打ち鳴らされる神聖な法具です。左側には「雲板」が吊られているのも見えます。
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「海印寺三層石塔」
「海印寺」創建当時に建てられた石塔で統一新羅時代の石塔の典型的な姿をしています。1926年6月に塔を修理した際に上層基盤で9体の仏像が発見されましたが、修理後にその仏像を塔の中に戻したそうです。 -
「海印寺石燈」
石塔は仏教の儀式を行う際に火を灯すことで仏の光明を表しています。八角形石燈の四面には窓があり、窓の無い四面には四天王の像が彫られており床石を除いた各部分は八角形になっています。「海印寺三層石塔」と同時に建てられたものです。ここにも慶州の「仏国寺」にあったようなカラフルな「燃灯(ヨンドゥン)」が吊り下げられています。そして提灯に提げる願い事を書いた札のことは「コリピョ」といい、合わせて「ヨンドゥンコリピョ」と呼びます。 -
伽藍の配置は山の斜面に沿って段々に建てられています。そのたびに急な石段を登ることになります。
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「大寂光殿」
毘盧遮那仏を本尊として奉安する堂宇であるこことから「大寂光殿」と称します。寂光はただ静かな光というだけでなく、仏が住む清らかな世界である寂光土や常寂光土を踏まえた語です。仏教では煩悩を離れた真理の世界をこう呼びます。 -
中央に鎮座している本尊は華厳経の主仏である毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)です。胸の前で左の人差し指を右の手で包み込む「智拳印(ちけんいん)」という独特の結印をしています。「海印寺」の毘盧遮那仏像(大寂光殿と法宝殿の2体)は2005年の科学的調査によって9世紀後半の統一新羅時代に造られた韓国に現存する最古の木造仏像であることが判明し、国宝に指定されています。
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一般的に「大寂光殿」には本尊と両脇侍の文殊菩薩と普賢菩薩の「三尊仏」が祀られますが、「海印寺」の「大寂光殿」は数々の歴史的経緯や堂の統合を経て、現在は大小の仏像が横一列に並ぶ大変珍しい「七尊仏」の壮観な安置形態をとっています。
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仏像の後に緻密に描かれている後仏画は仏教の悟りの世界や諸仏や諸菩薩を壮麗に表現したものです。天井は韓国の伝統的な仏教寺院で見られる「格子天井(井字天井 / ウムチョンジャン)」と呼ばれる構造に「丹青(タンチョン)」という極彩色の装飾画が施されたものです。
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「大毘盧殿」
双子仏として知られる毘廬舎那仏は韓国国宝1777号と1779号が安置されており、新羅時代に真聖女王と愛人で角干(一等官)の金魏弘が愛の永続を願って毘廬舎那仏を祀ったと伝わります。 -
斜面に続く伽藍の甍の美しさも印象に残りました。
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「独聖閣(トクソンガク)」
韓国の伝統建築において四角形ではなく「六角形」で建てられた堂は非常に珍しく建築史的にも貴重な存在です。六角形の各隅角部に向けて非常に複雑で華麗な木組み(多包式様式)が施されており、龍の頭などの精巧な彫刻が軒を支えています。内部の格天井も六角形に合わせた独特な構造になっています。「独聖閣」には他人の力を借りずに1人で悟りを開いたとされる「那畔尊者(ナバンジョンジャ)」が祀られており、所願成就に霊験あらたかな場所として信仰を集めているそうです。 -
「八万大蔵経板殿」への最後の石段が見えてきました。ここが一番急な石段でした。
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「蔵経板殿」の正面入り口にある「保安門(ポアンムン)」が石段の上に見えています。「保安」という言葉の通り、「大蔵経を安全に保護・維持する」という意味が込められています。
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「蔵経板殿」は「高麗八万大蔵経版木」を収蔵する木造建築の「経蔵」で、「海印寺」で最も古い建物(1488年建)です。「海印寺」の本堂よりも高い場所に位置し、長方形の中庭を囲む2つの長い建物と2つの短い建物からなります。
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普眼(ふがん)」とは仏教において「広くすべてを見通すことのできる仏の眼(知恵の眼)」という意味を持っています。偏見や迷いに囚われず、この世の真理や全ての衆生の苦しみをあまねく見つめる仏教の「普遍的な視点」を表しています。
「海印寺」は仏教の「華厳宗」で、華厳経に登場する「普眼菩薩(ふがんぼさつ)」という、すべての存在を平等に正しく観察する菩薩の徳とも深く結びついています。ただの建物としての名前ではなく「ここを訪れる者が、仏のような広く偏りのない知恵の眼(普眼)を開き、世界の真理を悟るように」という願いが込められた神聖な場所という意味になります。 -
「月門(げつもん)」とはアーチ型や円形にくり抜かれた形状を持つ、中国や韓国などの伝統建築に見られる特徴的な門のことです。東洋の庭園建築では「月洞門(げっとうもん)」とも呼ばれ、文字通り「満月」をモチーフにしています。「海印寺」の「蔵経板殿」では、南側の建物が「修多羅蔵」、北側の建物が「法寶殿」と呼ばれます。修多羅はサンスクリットのスートラに由来し、経典を意味します。
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「大蔵経板殿」にあるこの「月門」は貴重な木版(八万大蔵経)を湿気や腐食から守るために設けられています。単なる飾りではなく、風を遮らずにスムーズに通り抜けさせて建物内の空気や湿気を最適に循環させるための換気口として極めて重要な役割を果たしています。
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「高麗八万大蔵経」は現存する大蔵経でも最高のものと言われています。モンゴルからの侵攻の危機にあった高麗が、国家繁栄を願い1236年に版木製作に着手します。15年の歳月をかけ1251年に当時の都のあった江華島で完成しました。1398年に版木は「海印寺」に移され、「板殿(大蔵経経板閣)」に納められています。
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版木の保存のためにユニークなタイプの構造が多く、これらの構造は「蔵経板殿」の内部に自然の換気を提供し、気候条件に応じて温度と湿度を調節するほか、ネズミや昆虫の侵入も阻止できるようです。
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内部の見学は出来ませんが、寺院の中にあった写真パネルを撮影しておきました。
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「法寶殿」に僧侶の方が来られて、お勤めが始まりました。「法寶殿」の法寶は、仏教の三宝の1つである「法」を指します。つまり「法寶殿」は、仏法を伝える経典を納める建物という意味合いを持ちます。
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「法寶殿」と「修多羅蔵」はどちらも「海印寺」の蔵経板殿を構成する建物ですが、位置する場所が違います。役割はほぼ同じで、どちらも「八万大蔵経」の木版を保管する書庫です。
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法寶は仏教の三宝の1つで三宝は「仏」と「法」と「僧」 を指し、このうち法寶は 仏が説いた真実の教えを宝になぞらえた語です。ブッポウソウ(仏法僧)という名前の鳥がいますが、元々は森の中で夜間「ブッ・ポウ・ソウ」と鳴くから名付けられましたが、実際はコノハズクの鳴き声だったという話があります。
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「八万大蔵経板殿」は南側の「修多羅蔵」と北側の「法寶殿」以外にも東西に小さい「経蔵」があちます。
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西側の「経蔵」は「西寺刊板殿(せいじかんぱんでん)」と呼び、「修多羅蔵」「法宝殿」が「八万大蔵経」の収納であるに対して、寺で刊行した板木の収納をしています。
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ガイドさんの説明を聞きながら美しい中庭を俯瞰すると東西の「経像」の開口部のデザインがまるで違うことに気が付きます。
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東側は「東寺刊板殿(とうじかんぱんでん)」と呼ばれ、西側の「経蔵」と同じ役割を担っています。
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湿気を防ぎ自然換気の効果を最大限に高めるため、建物の壁面にある上と下の格子の窓の大きさが南北の建物で異なる設計になっています。これにより風が建物内を循環しやすくなっています。建物の床の土には炭、塩、石灰、砂が順番に敷き詰められており、過度な湿気を吸収し、乾燥期には湿気を放出する自動の湿度調節機能を持っています。
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西側に迂回路もありますが、ここはやはり正面の石段を下りて下山します。石段の正面には「大寂光殿」が見えています。堂を囲む壁面には2つの物語が描かれています。1つは「十牛図」でこれは禅宗の修行の段階を10枚の絵で表した有名な教えです。少年が逃げた「牛」(本当の自分、悟りの心)を探しに旅立ち、足跡を見つけてようやく牛を捕まえます。最初は暴れる牛をなだめて手なずけ、最後には牛に乗って家に帰り、最終的には牛も自分も消え去って、すべてが調和した本当の悟りの境地に達するという物語です。
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もう1つは「八相図(はっそうず)」で、仏教の開祖である釈迦の生涯を8つの重要な場面に分けて描いた物語です。釈迦が降臨して母である摩耶夫人の右脇から誕生する場面(天上天下唯我独尊の場面)から始まります。その後は城のきらびやかな生活を捨てて出家し、厳しい修行の末に悪魔の誘惑(降魔)を退けて悟りを開き、人々に教えを説き、最後にクシナガラで入滅するまでの一生が描かれています。
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「海印寺」の参拝を終えて再び同じ道を戻り路肩でバスを待ちます。ずいぶん見学時間が長いとは思っていましたが、これほど歩くとは思いませんでした。バスは高速に入り、3時間30分ほどかけてこの日宿泊する温陽に向かいます。
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太陽の周りに光の輪が見える現象は一般に 「日暈(ひがさ)」と呼びます。上空の薄い雲(絹層雲など)に含まれる六角形の氷晶で太陽光が屈折・反射して輪状に集まることで見えます。最後に見たのは中国の「峨眉山」の山頂でした。
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3月の全州やその周辺とは違った風景に、韓国の自然の豊かさを感じました。
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3時間以上の移動があるので途中のサービスエリアでトイレ休憩がありました。かなり離れたところから歩きましたが、建物に着いた途端に土砂降りの雨になりました。
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飲物を買ってレジで会計を済ませると妻がポン菓子の大きな袋を持ってきました。全州で買ったタマネギのポン菓子のおいしさが忘れられないようです。バスに戻る前に雨はやんだので濡れなくて良かったです。
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温陽の町に入るともう夕方で、温陽駅近くの「ヒュンダイリブ」という店でカルビタンの夕食になりました。
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パンチャンはオイキムチに白菜キムチ、モヤシとニラのコンナムルムチム、セリのような野菜のキムチ、ニンニクの芽の和え物などが並んでいます。
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経の予定はもう終わりで、たくさん歩いたご褒美にジピョン生マッコリと忠清道エリアの韓国焼酎(ソジュ)のサンヤンです。冷蔵庫から自分で持って来て、グラスも探してきます。これだけ飲んでも10,000Wなので1,200円くらいです。
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お疲れさまでした。疲れた体にマッコリが沁みます。韓国焼酎を飲むようになったのはこの1年くらいで、釜山の「大鮮」を飲んでその美味しさに魅了されました。ほのかに甘くてアルコール度数が低いので冷酒のように飲めてしまいます。
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カルビタンは牛の骨付きカルビを長時間煮込んだ韓国のスープ料理です。トングと鋏を使って骨から肉をそぎ落とすのに熱中していて料理の写真を撮り忘れました。同席の新潟のご夫婦は韓国が初めてなのでレクチャーのし甲斐があります。
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バスに乗って10分ほどの「温陽第一ホテル」に宿泊です。温陽は古くから温泉の町として有名で、このホテルにも温泉があるということで楽しみにしていました。
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ロゴや館内にフクロウ(韓国語ではプオンイ)が描かれている理由は、このホテルがある牙山市(旧・温陽市)の「市の鳥(市鳥)」がフクロウだからです。 フクロウは食べ物を巣に溜め込む習性があることから、韓国では「財産を増やす」「お金が貯まる」という福の象徴とされています。また、夜でも目が利くことから「知恵の象徴」とされ、長寿や健康を見守る鳥としても愛されています。
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韓国有数の歴史を持つ「温陽温泉」の天然温泉水を贅沢に体験できる本格的な温泉・スパ施設がホテルの地下1階にあり、広々とした大浴場と充実したサウナ設備が揃っていました。100%天然温泉水は地下305メートルから湧き出る55℃の「重炭酸ナトリウム温泉水」をすべての大浴場とサウナに贅沢に使用しています。
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伝統的な韓国の健康浴と現代的なサウナが融合した構成になっていて、 110度の超高温な「フィンランド式サウナ(乾式)」や韓国ならではの「紫水晶(アメジスト)サウナ(湿式)」、さらに「炭」「竹」「黄土」などを用いたチムジルバン風の発熱室がありました。このホテルの温泉は無料で日本の温泉に入るのと同じ感覚で利用できます。ただ、営業時間は短く、朝はやっていないのが残念でした。
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閉店前にサウナと温泉を楽しんで夕涼みです。さすがに疲れたので夜の町へは繰り出しませんでした。
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ホテルの1階には「CU]というコンビニがあります。コピーは「Nice to CU」です。韓国のCUはもともと韓国で展開していたファミリーマートが改称したブランドです。
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部屋はキングベットとシングルバットという組み合わせのトリプルルームでした。今回は大きなベットは妻に使ってもらいました。
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シンプルで使いやすいバスルームでした。この1年で10カ所以上の韓国のホテルに宿泊していますが、どこも清潔できれいなのが印象に残りました。
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大浴場だけでなく客室の浴室の蛇口やシャワーから出るお湯もすべてこの天然温泉水が使われているのがこのホテルの大きな特徴です。
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風呂上りにはコンビニで買ってきたCASSのラドラーで乾杯しました。オーストリアでこのレモンフレーバーのビールにハマって以来、日本でも発泡酒とレモンジーナで同じようなものを飲んでいました。焼酎は地元の忠清南道の「琳(りん)」というブランドです。地マッコリとご当地焼酎は韓国旅行の楽しみの1つです。
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農心の「イカちゃんぽん カップラーメン(オジンオチャンポン)」です。イカや野菜の旨みがしっかり詰まったピリ辛な海鮮風味のカップ麺です。このラーメンの袋麵が大好きなので買ってみました。
長年の夢だった「海印寺」を参拝できてとても良かったです。そんな夢の1つでもある「水原華城」にも明日行くことが出来るので楽しみです。
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