2026/05/26 - 2026/05/26
574位(同エリア759件中)
砂布巾さん
今度こそLW完結の旅(自分史)
次章で述べるが2023年の旅でLWは完結した筈だった。しかし前項目で紹介した小学校を訪問したいと思い、また2026年3月で父親業を卒業したキリの良さで退職を定年より9カ月前倒しして37回目の海外渡航となった。4travelで写真のほぼ全面改訂した項目は新規も含めて9カ所に及び、ほか全体の約20%に当たる計580枚の写真を加えた。
来年の原油価格や円相場は不透明だが、フィンエア(当初はカタールも考えた)のチケットはトランプによるイラン攻撃より前に購入していたため飛行機代は安く済んだ。
宿泊先は夜行バスによる移動(4泊)以外オールCSを目指したが、ウッチ(Łódźワルシャワ近郊)、プラハ、マドリードの4泊は逆ゲストとして、ニュルンベルク(日本語堪能なドイツのMさん)など5カ所7泊は新規ホスト、
*ヤクルトファンなのにカープのユニフォームを着ているサービス精神もだが、持っているのがまた凄い
(当HPを訪問してくださった方へ)
ご訪問有難うございます。
もし読者の方が根本的間違い、編集の際に発生したと思われる不整合、文法上の誤りなどを発見されたり、何か目新しい情報をお持ちの方、ご意見がおありの場合は、ご遠慮なく掲示板でもメールでも、ご一報くだされば幸いです。
心からの感謝を込めて 砂布巾
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2泊はゆかりの方にお世話になり、ホステルには14回目の訪問となったドイツのミュンヘンなど7泊。詳しくは5章で触れる。CSは日程が重なるなどの事情がない限りリクエストのほぼ全てを受け入れていた自分には受け入れ率1割程度は堪えた。
行きたい場所が広範囲(パリ→マドリードは飛行機利用)にわたり、少し忙しい旅ではあったが、ポーランドでの交流とCS(特に再会)のお陰で今までで一番楽しい旅だった。(2026年6月追加)
*Mさんが用意してくださった夕食 ちなみに到着が3時間程度遅れ、駅からすぐのバス停まで迎えに来てくださるなど本当にお世話になった 日本語が話せる安心感も良かった 6月には7回目の訪日をされた筈 -
*昨夜は寝たのが1時過ぎで翌日はMさんが起きてきたのが11時ごろ それから電車で出かけるがニュルンベルク市内方面の券売機が修理中で反対側のホームに買いに行くがどうやって買うのか良く分からない そこで反対側のホームに行き、列車を待っていた子どもに頼んで買ってもらった
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*招き猫が居る
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*ドクツェントゥルム(ドキュメントセンター)へ 数回行われた党大会の跡地 建物自体は会議室などとして使用されたと思われる リーフェンシュタールによって「意志の勝利」として記録された1934年の大会が最も有名(というよりこの映画のため広く知られている) ニュルンベルクは悪名高き反ユダヤのニュルンベルク法(1935)などゆかりの地であることもあって、戦後はニュルンベルク裁判が開催された 外からしか見学したことが無かったので、せっかくだから行けばよかったと今になって後悔
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*展示が始まります ニュルンベルクの歴史やここでのイベントの紹介です
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*1927,1929,1933~1938年までの合計8回開かれたニュルンベルク以外では1923年のミュンヘン、1926年のワイマール、1931年がブラウンシュヴァイク
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*ライヒスターク炎上事件、全権委任法制定のきっかけ
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*「意志の勝利」からのものと思われる 最も有名かつよく使用されるシーン 1933年の撮影は「信念の勝利」 有名なのは圧倒的に前者
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*党員を前に演説するヒトラー 会場は後で訪問する
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*ニュルンベルク法
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*党大会での群衆の様子
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*リーフェンシュタールが撮影している様子など
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*手を掲げておらずナチスへの抵抗を表現する勇気ある男性 ドイツ抵抗博物館でもこの写真を見た
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*1945年4月22日にアメリカ軍が到達したときの写真 これもよくテレビなどで見かける
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*内側から見る建物の全貌
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*中庭部分はコングレスホールだった
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*少し歩いてツェッペリンフェルトへ向かう
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*1990年にも訪問した場所だ ここで大々的に党大会が開催された
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*ニュルンベルク裁判が開かれた建物は以前外から眺めただけだったので、この後見学すればよかったと後悔
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*市内は城壁で囲まれている 駅に近い塔 奥に入っていくと中世風の職人街になっている
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*ニュルンベルクを代表する景色
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*教会内部
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*熱燗、梅酒意外と日本語が浸透している
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*中央駅Hbf(ハウプト バーンホーフ)から一番遠い高台の上にある塔
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*壁沿いを歩いてみる 昔この辺りにYHがあって泊まったと思う
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*中央駅からバスターミナルは歩いても5分くらいで規模は大きくないけど、それなりにターミナルらしいものだった
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*パリBercy Terminalには朝8時過ぎに到着 ターミナルから出て左側がセーヌ川
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*アンヴァリッド 軍事博物館でヴィシー時代の展示を見学するのが目的だったが、フランスのいわば黒歴史であるためだろうほとんど展示はなかった
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行きたい場所が広範囲(パリ→マドリードは飛行機利用)にわたり、少し忙しい旅ではあったが、ポーランドでの交流とCSのお陰で今までで一番楽しい旅だった。支えてくださった皆様方には感謝です。そしてこれまで色々あったけど頑張った自分にもご褒美!
もくじへ https://4travel.jp/travelogue/10681693 -
*そして夕方オルリー空港からtransavia航空でマドリードへ ¥9,118が決め手
自動チェックインに苦労して係員に助けを求める YHといい、どうも機械によるチェックインは苦手だオルリー空港 (ORY) 空港
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*バラハス空港到着
アドルフォ スアレス マドリード バラハス空港 (MAD) 空港
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