2026/05/23 - 2026/05/23
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砂布巾さん
1944年7月20日 総統を殺害せよ(旧ドイツ領東プロイセン)
まず最初に国名表記について。通常は訪問国を主に設定しているが、本事件がナチス・ドイツの重要な政治的事件だったことに鑑み、現領土のポーランドとしなかった。
(当HPを訪問してくださった方へ)
ご訪問有難うございます。
もし読者の方が根本的間違い、編集の際に発生したと思われる不整合、文法上の誤りなどを発見されたり、何か目新しい情報をお持ちの方、ご意見がおありの場合は、ご遠慮なく掲示板でもメールでも、ご一報くだされば幸いです。
心からの感謝を込めて 砂布巾
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*ワルシャワの駅ではSL発見
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*中継地点 オルシュティンに到着 3件リクエストを出していたが、2件は返事がなく、偶然同じゲストを受け入れていた人を発見してそちらにも出していたのだが、先客が来られるようなので今回の渡欧4泊目で初のホステル泊まりとなった
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*住所の場所に行ってみたけど、看板も何もない ちょうど宿泊客と思われる女性が居たのでやり方を教えてくれた メールに暗証番号のようなものが送られている その番号に合わせたら鍵を取り出すことが出来た 女性が居なかったら路頭に迷うところだった
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*ホステルを名乗る割にドミトリーではなくダブルルーム 部屋はキッチンのすぐ隣
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*ポーランド版コンビニ愛用のZabkaにて夕食と朝食を調達
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*ヴォルフスシャンツェに泊まることもできたが、値段が高かったことと列車の便数が少なく、夜遅くに到着し、滞在時間が長時間に及ぶことから見送った
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*ケントシンの駅 現場までは歩いていくのは遠いのでここからタクシーで向かう 距離的には7~8キロと言われており、少々大きめのタクシーだったこともあってか片道¥2,719 降りた時に帰りの列車に合わせて迎えに来てくれるように頼んだ
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*ヒトラーの特別列車は「アメリカ号」 到着したのは独ソ戦開始直後の24日午前1時半、以後移動の際は最大17両編成のこの列車を使用した 脱出する時ももちろん使用した
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*こちらのGierloz駅ではナチスドイツと友好関係にあった国々の首脳を迎えた
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2000年7月に日本テレビ系列で放映された「知ってるつもり?!」によると、ヒトラー暗殺は42回試みられたという。これだけ試みられながら、最後は自ら命を絶った悪運の強さには呆れてすらしまう。
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*1944年半ばに建設された(意外!)保安部隊の兵舎 上部は車庫として下部は車庫として使われた
最高に悪運を発揮したのが41件目の計画であるシュタウフェンベルク大佐らによる事件だろう。 -
1907年生まれのクラウス・シェンク・フォン・シュタウフェンベルクは、前年北アフリカ戦線の負傷で右目を失明し、右腕を失い、左手も3本しかなかった。次第に政策に疑問を感じるようになり、同じ考えを持つ同志と連携するようになる。
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*国家保衛部の事務所と宿舎 1942年半ばに木造で建設され、2年後に鉄筋コンクリートで補強された
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*1942年当初は要人向けのホテルとして木造で建設され、1944年に煉瓦・鉄筋コンクリートで補強された やがて日常の作戦会議や状況報告の場として利用された 1944年7月20日事件の現場である
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イチオシ
1944年7月だけで4回目となった暗殺計画が決行されたのは、独ソ戦開始後、現場により近い場所である東プロイセンに作られた総統大本営においてだった。副官のヘフテン中尉を伴って、10時過ぎにベルリンから飛行機で総統大本営に到着。会議の前に爆弾の詰め替えを行うが、人目もあり、急かされた中では2つのうち1つしか詰め替えできなかった。ヒトラーも加わった会議は12時半に始まった。近くに割り込んでカバンを足元に置き、電話を掛けることを口実に席を外した。爆弾は12時42分に轟然たる爆発音をあげて炸裂した。ヒトラーが死んだことを確信して直ちにベルリンへ引き返す。
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部屋にいた24人のうち4人が死亡、7人が重軽傷を負った。ヒトラーは火傷を負ったものの怪我はなく、午後には訪れたムッソリーニに現場を案内している。(最後の会談)
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隣のブラント大佐がカバンを奥に押しやり、頑丈な脚のかげに入ったこと、開け放たれた窓が爆風の圧力を外に逃がしたのだ。
*カバンの位置に注目 -
帰りを待つベルリンの国防省国内軍司令部では、生存の報も入るなど情報が錯綜していたが、午後にはクーデター計画「ワルキューレ」が発令された。夜には完全に失敗が明らかになり、彼ら6人が逮捕され、首謀者は国防省の中庭で直ちに処刑された。
この後もゲシュタポによる反体制派の追求は続き、事件による逮捕者は600人に及んだと言われる。8月に入るとワイマール時代の政治家や政党役員5千人が逮捕された。
この時の裁判の映像には、裁判長のフライスラーが(ナチスから見た)被告らに聞くに堪えない罵詈雑言を浴びせている。
*撮影は2023年ベルリンにて -
この事件で左腕が麻痺し、右耳に負傷を負ったヒトラーは、益々情緒不安定になり、28錠の錠剤を服用し、周囲にはイエスマンのみを置き、異常な行動が目立つようになった。事件からちょうど4か月後の11月20日、戦況の悪化とともにベルリンに引き揚げる。
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*国家保衛部将校宿舎 1942年半ば木造で建てられ、1944年に煉瓦と鉄筋で補強された ヒトラーの身辺警護と安全管理の中心
ヒトラーを逮捕し裁判にかけることを考えていたロンメル将軍は、この事件に関与していたとの口実で10月に自決を迫られた。国民的な人気を考慮し盛大な国葬が行われた。 -
*なぜ順番通りに写真を撮らなかったか後悔している
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*来客用防空壕 1944年に改修7月18日から11月8日までヒトラーが滞在した
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*ボルマンの防空壕(彼の住居に近いためこの名で呼ばれた) 末期の1944年半ばに建設される このため非常に強固な防空壕
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*ヒトラーの防空壕兼執務室 ヒトラーが実際に滞在したのはベルリンに引き揚げるまでの12日間だった
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*カジノとティーハウス
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*通信司令部の防空壕 司令部とベルリンの本部を結ぶ通信線を管理するため建設
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*国防軍作戦参謀部長官の兵舎
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*カイテル元帥の防空壕
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*副官棟 ヒトラー側近や副官たちが勤務居住した複合施設
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*一番下はムッソリーニを事件現場に案内している写真と思われる
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*そしてここからはワルシャワ蜂起の展示
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ポーランドでもリトアニアに近い地で、ケントシン駅から公共交通もなく訪問を見送っていたが、2026年現場を訪問した。それまでベルリンの日本大使館(旧西ベルリン時代は荒れ地で放置されていた)、シュタウフェンベルク・シュトラーセ(通り)、
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ヒロシマ・シュトラーセに近いドイツ抵抗運動記念館(元国防省 シュタウフェンベルクの処刑場も残されている)は2回訪問していた。やはり現場主義が中心だから博物館でお茶を濁すのは不本意だった。(2001年8月5日,2023年10月1日再訪 2026年5月23日訪問)
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一人でヒトラー暗殺を企てた男(人物、ドイツ)
たった1人でヒトラー暗殺を企てた28件目の主人公を同番組から紹介する。 -
ドイツ南部ケーニッヒスブロン出身で元工員のヨハン・ゲオルク・エルザーはヒトラー暗殺を企て、1939年11月8日にミュンヘンのビアホール、ビュルガーブロイケラー(現ガスタイク文化センター 2026年訪問)で行われたミュンヘン一揆記念日の演説に合わせて爆弾を仕掛けた。準備のため30日間毎日のようにビアホールに通い、従業員も全て帰った夜中に作業を行った。ヒトラーの不思議な勘が危険を察知し、当日の演説は極めて素っ気ないものだった。現場を立ち去った7分後、爆弾が爆発した。負傷者にはヒトラーの愛人エヴァ・ブラウンの父親フリッツも居た。
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彼は逮捕された。ヒトラーは「エルザーを生かしておけば自分は決して死なない」の予言を信じて処刑されることなく、終戦直前の1945年4月5日まで生き延びた。
外国が絡んだ計画を紹介する。イギリス大使館付駐在武官のマクファーレン大佐は、ヒトラー生誕50周年(1939年4月)のパレードの際、自室から狙撃する計画を立てる。本国に了解を求めるが、外務省の返事は「スポーツマンらしくない」だった。イギリス政府が他国の国家元首の殺害を公式に認めるのは難しかっただろう。 -
*旧ビュルガーブロイケラーがあった現ガスタイク文化センター(2026年ミュンヘンで撮影)
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*カウチのゲストでビアリストックから来た人が居たので、思わず写真を撮った
この後ドレスデン経由でテレジン収容所に向かいます ドレスデンに関しては「砂布巾LW 終章 ドレスデン爆撃」の項目をご覧ください
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