2025/11/14 - 2025/11/14
-位(同エリア6453件中)
あおしさん
中欧首都旅行も6日目、実質今日が最終日。
今日はウィーン観光では絶対外せないシェーンブルン宮殿へ。
マリア・テレジアが愛した黄色い宮殿です。
午後はヴェートーベンが愛した里や旧宅をまわりました。
https://www.youtube.com/watch?v=ExlHuGdku_I
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 3.5
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
今日は実質今回の旅行の最終日。
ウィーンを散策する予定です。
まずは、シュベールというカフェへ。
このカフェは1880年、日本でいえば明治初め、西郷隆盛の西南戦争が終わったころの創業の歴史のあるカフェです。
多くの作家、作曲家、芸術家も愛したことで知られています。
クリムトもこのお店の常連でした。シュペール カフェ
-
モーニングのセット。
紅茶とパン1つ。
これで10ユーロ、日本円で約1,800円。
エクセルシオールのモーニングなら500円~程度なのに・・・
ヨーロッパの物価の高さには驚かされます。 -
市街中心部からメトロに乗って、約10分。
シェーンブルン宮殿へ。
大きなクリスマス・ツリーがありました。シェーンブルン宮殿と庭園群 城・宮殿
-
シェーンブルン宮殿はハプスブルグ家の夏の離宮として使われました。
マリア・テレジアが特に愛したことで知られ、宮殿の黄色の色は「テレジア・イエロー」と呼ばれました。
シェーンブルン宮殿には約1400もの部屋があるそうですが、そのうち、約40の部屋が観光用に開放されています。
最初の入り口にあったマリア・テレジアと夫フランツ1世の家族の映像。 -
観光コースの部屋は1番目の「警護の間」からスタートします。
この部屋は、衛兵の待機していた部屋です。 -
2番目の部屋が「ビリヤードの間」
実際にはビリヤードが行われていたわけではなく、謁見を許された人々の控えの間だたとか。
また大きな絵画は実質最後の皇帝であるフランツ・ヨーゼフが「マリアテレジア勲章の授与式」を描かせたそうです。 -
3番目の部屋、「胡蝶の間」。
皇帝への謁見室として使われました。
落ち着いた色合いのシックな部屋です。 -
4番目の部屋が「皇帝フランツ・ヨーゼフの執務室」
机の上には皇妃エリーザベトの写真、壁にはエリーザベトの絵画がかけられ、彼が皇妃を本当に愛していたことがうかがえます。 -
5番目の部屋が「皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の寝室」
王や皇帝の寝室といえば、キンキラキンのベッドなどの印象があるのですが、意外に地味な部屋でした。
第一次世界大戦にさなか、1916年11月21日、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は在位68年、86歳でこの部屋で崩御しました。 -
8番目の部屋「化粧室」
皇妃エリーザベトは毎日2時間かけて化粧をしたとか。 -
9番目の部屋、「フランツ・ヨーゼフとエリーザベトの夫婦の寝室」。
1854年、2人が結婚した際にこの部屋が作れました。
フランツ24歳、エリーザベト17歳の時でした。 -
10番目の部屋「エリーザベトのサロン」
ロココ式の家具が美しいです。 -
11番目の部屋、「マリー・アントワネットの部屋」
この部屋ではフランツとエリーザベト夫妻と子供たちのダイニング・ルームでした。
子供たちも小さかった時期はフランツ、エリーザベトにとってもっとも楽しい時代だったことでしょう。 -
12番目の部屋、「子供の部屋」
マリア・テレジアの子供たちの肖像画が飾られていることから、「子供の部屋」と呼ばれています。 -
14番目の部屋、「イエロー・サロン」
この部屋の窓からは庭園が一望できました。 -
15番目の部屋、「バルコニー・サロン」
この部屋でもマリア・テレジアの子どもたちの肖像画が飾られています。
マリア・テレジアは子だくさんで16人も産みました。
その傍ら、政治を行うパワフルぶり。
凡人とはさすがに違いますね。 -
16番目の部屋「鏡の部屋」
マリア・テレジア時代に公式の部屋でした。
この部屋で6歳のモーツアルトが、マリア・テレジアの夫妻、家族の前でピアノを演奏し、7歳のマリー・アントワネットに「大きくなったら僕のお嫁さんにしてあげる」と言ったというエピソードが知られています。 -
17番目の部屋、「ローザの間」。
ハプスブルグ家はもとはスイスの小さな領地しかない伯爵家でした。
伯爵家はフランク王の譜代の家臣であり、徳川幕府でいえば、1~5万石程度の弱小譜代大名に相当します。
小さな伯爵家だったことから、ルドルフ1世が当時の有力貴族・教職者(選帝侯と呼ばれます)によって、傀儡にするために神聖ローマ帝国皇帝に担ぎ上げっられることで歴史の舞台に登場してきました。
この部屋にはスイスの風景画が多く展示されており、先祖の出身地を偲ぶ部屋だったのでしょう。 -
18番目から20番目の小さな部屋を過ぎると、21番目の「大きなギャラリー」。
長さ40m、幅10mのこの宮殿で最も大きな広間です。
舞踏会や晩さん会が行われました。
「会議は踊る されど進まず」と揶揄されたウィーン会議のときは、毎日のようにここで舞踏会が行われていたのでしょう。 -
23番目の部屋、「丸い中国の小部屋」。
中国からの芸術品を集めた小部屋で、ハプスブルグ家は遠く極東の中国にも関心があったようです。 -
26番目の「セレモニーの間」
この部屋ではマリア・テレジアによる公式な謁見の間として使われました。
マリア・テレジアの有名な肖像画も掲げられていました。 -
28番目の部屋、「青い中国のサロン」
この部屋からはマリア・テレジアと夫のフランツのプライベートなエリアに入ります。 -
29番目の部屋「漆の間」
壁は中国製の漆塗で作られています。
マリア・テレジアが48歳のとき、夫のフランツが亡くなると、夫を偲ぶ部屋として作らせたそうです。
彼女は以降は常に喪服で過ごすようになりました。 -
30番目の部屋、「ナポレオンの部屋」
フランス皇帝となったナポレオンは1805年、アウステルリッツの3帝開戦で、オーストリア皇帝とロシア皇帝の連合軍に圧勝、ウィーンも占領します。
その際彼はこの宮殿を本拠とし、この部屋を寝室にしたとされています。
彼は長年彼を支えてきたジョセフィーヌと離婚し、ハプスブルグ家フランツ1世の皇女マリー・ルイーズを皇妃としました。
しかし、彼の兵士たちからも「幸運の女神」と呼ばれたジョセフィーヌと離婚すると、それまで連戦連勝だった彼の人生は、坂道を転げ落ちていくように連戦連敗、没落してしまいました。 -
32番目の部屋「百万の間」
この部屋の特色は、インド・ペルシアのミニアチュールのコラージュ60点です。
これらのミニアチュールは、贅沢に金箔を施したロカイユ様式のカルトゥーシュで飾られた羽目板にセットされています。 -
これらの水彩画のミニアチュールは、16世紀から17世紀のインドにおけるムガル帝国の君主たちの生活を描いたものです。
私はこの部屋が一番気に入りました。 -
34番目の部屋、「ソフィー大公妃の部屋」です。
ソフィー大公妃は、フランツ・ヨーゼフ1世の母で、エリーザベトの姑にあたる女性です。
この2人の中は険悪で、エリーザベトは苦しめられました。 -
35番目の部屋、「赤いサロン」。
壁紙や椅子、カーテンなどが赤いシルスクダマスク織物で装飾されていることから、「赤いサロン」と呼ばれます。
ナポレオンにより神聖ローマ皇帝を追われ、初代オーストリア皇帝となったフランツ1世の肖像画などが飾られていました。 -
38番目の部屋、「フランツ・カール大公」の執務室。
フランツ・カール大公は、フランツ・ヨーゼフ1世の父。
本来はオーストリア皇帝の皇位が回ってきたのですが、辞退して、息子の18歳のフランツ・ヨーゼフに譲りました。
この部屋のあと40番目の「狩の部屋」で出口になっていました。 -
宮殿内を見た後は庭園に。
この庭園もこの宮殿の見どころの1つ。
お天気が良ければ、とても鮮やかな緑の公園ですが、残念。
遠くに見えるグロリエッテまで行きます。 -
歩いて20分、緩やかな坂道を登ってグロリエッテに到着しました。
もともとは軍事的な記念碑として作られたそうですが、現在は屋上は展望台、建物の中はカフェになっています。グロリエッテ カフェ
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グロリエッテから見たシェーンブルン宮殿と庭園。
ここからの眺めは素晴らしい。
学生時代に来た時は3月で雪一面でしたが、ここからの風景がウィーンでは一番記憶に残っています。 -
シェーンブルン宮殿を見終わって、メトロのシェーンブルン駅へ。
この駅から一気に市街地を抜けて、反対側のウィーン北部の終点・ハイリゲンシュタット駅へ。ハイリゲンシュタット 史跡・遺跡
-
ハイリゲンシュタットはベートーベンゆかりの地。
「ベートーベンの散歩道」の看板がありました。 -
「ベートーベンの小道」は小川沿いの道。
この道を歩きながら、ベートーベンは第6番「田園」の構想を練ったとされている道です。
ただ、あまり田園地帯という感じはなく、むしろ森林地帯という感じでした。ベートーヴェンの小径 散歩・街歩き
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「ベートーベンの小道」の終点は「ベートーベン ルーエ」という小さな公園。
ベートーベンの胸像もありました。ベートーベン ルーエ 広場・公園
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このあたり、ハイリゲンシュタットは当時は田舎だったそうですが、今は住宅街。
ここでウィーンへ出てきたベートーベンは何度も引っ越しはしたものの、ここで聴力を失う一方、多くの交響曲をはじめ、たくさんの作曲をしています。
ここにはベートーベンが交響曲第3番「英雄」を作曲した頃の家、「エロイカハウス」があるはずですが、見つかりませんでした。
この家もベートーベンが住んでいた家で、現在は「マイヤー」という居酒屋になっています。マイヤー 地元の料理
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すぐ近くにある「ベートーベンハウス」。
ここは、ベートーベンは聴力を失いつつあることに絶望し、1802年、この家から弟宛に「ハイリゲンシュタットの遺書」を送りました。
現在はベートーヴェン博物館になっています。ベートーヴェン博物館 博物館・美術館・ギャラリー
-
中庭のあるアパートのような家です。
ベートーヴェンは収入には恵まれていたようで、豪邸ではないけれど、なかなか広い家に御住まいだったようですね。 -
館内はいくつかの部屋に分かれて、ベートーヴェンのピアノやカバンなどの遺品が展示されていました。
説明板はドイツ語と英語だけで、日本語は無かったので大意しかわかりませんでした。
この家で「遺書」を書いたベートーヴェンですが、この遺書以降が彼の全盛期で、ナポレオンのために作曲したものの、1804年、ナポレオンが皇帝に就任したことに激怒したというエピソードが伝わる第3番「英雄」をはじめ、ほとんど聴力を失ったにもかかわらず、彼の作曲家人生の集大成ともいえる、「第9」を1824年に作曲発表しました。
ベートーヴェンの聴力についてのヘッドフォンで聞ける装置がありましたが、「第9」のころはほとんど聴力を失っていることが実感できて、やはり彼は天才、いや宇宙人かもしれないと思えました。 -
再度ウィーン市中心部に戻り、今度はモーツァルトの家へ。
モーツァルトも引っ越しをたびたびしていますが、この家には1784年から父が死去する1787年まで彼の35年の短い生涯で最も幸福だった時期の家です。
この時期には最初のオペラ「フィガロの結婚」などを発表しています。
映画「アマデウス」でもこのころの彼は実に楽しそうな日々を送っているように描かれていました。モーツァルトハウス ウィーン 建造物
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この家には部屋は何部屋もあって、どのように使われていたかははっきりしていません。
映画「アマデウス」ではこの家を参考に、寝室や居室などが描かれていました。
ベートーヴェンハウスに比べると、ジオラマなどの展示が多く、モーツァルトの生涯がわかりやすかったです。 -
モーツァルトハウスはシュテファン寺院のすぐ近く。
ライトアップされたシュテファン寺院の前ではクリスマス・マーケットも営業が始まっていて、多くの人でにぎわっていました。シュテファン大聖堂 寺院・教会
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夜のウィーンの市街地は美しく、多くの人でにぎわっていました。
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夜の市街地を散策したあと、ウィーン駅へ戻ってきました。
駅前のクリスマス・ツリーがとてもきれいだったのでここで一枚。ガーナー ホテル ウィーン ホテル
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