2025/11/10 - 2025/11/10
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あおしさん
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ウィーン王宮を3時間ほどかけて見学したあと、ウィーンの町歩き。
古くからの建物が健在の町でした。
その後、オーストリアの名将・オイゲン公の宮殿だったベルヴェデーレ宮殿へ。
久しぶりにクリムトに再会しました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 2.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
王宮を出て、その後はウィーンの町歩き。
ここはウィーンきっての目抜き通りのケルントナー通り。
歩行者天国になっています。
ブランドの店やレストラン、カフェなどがならび、月曜日の昼なのにおおくの人でにぎわっていました。
日本でいえば銀座でしょうか。ウィーンきっての目抜き通り 歩行者天国です by あおしさんケルントナー通り 散歩・街歩き
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ケルントナー通りを行くと、やがてシュテファン広場へ。
ヨーロッパでは町の中心には、中世からの広場がありますが、ウィーンではこのシュテファン広場のようです。
シュテファン広場からの大通り、グラーベン大通り。
こちらも歩行者天国。
ここも多くの人でにぎわっていました。シュテファン大聖堂に続くウィーンの目抜き通り by あおしさんグラーベン通り 散歩・街歩き
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グラーベン大通りにあるペスト記念柱。
このペスト記念柱はペストが猛威を振るっていた1679年、マリア・テレジアの祖父であるレオポルド1世がペストの終息を願って建立したものです。
ヨーロッパのほかの都市にもあるペスト記念柱ですが、ウィーンの記念柱はさすがは神聖ローマ帝国の首都、美しさは格別です。ペスト記念柱 建造物
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シュテファン広場にあるのが、「ウィーンの象徴」、シュテファン大聖堂。
天まで届けとばかりの137mの塔の存在感は圧倒的です。
12世紀半ば、第三次十字軍の時代に教会として建てられ、14世紀から16世紀、ハプスブルグ家がウィーンを領土化した時代に現在のようなゴシック様式で改築されました。壮大なスケールの大寺院 by あおしさんシュテファン大聖堂 寺院・教会
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横から見たシュテファン大聖堂。
大きすぎて写真に入り切りません。 -
シュテファン広場では、クリスマス・マーケットの出店の準備がすすんでいました。
まもなくこの町の中心の広場で華やかなクリスマスマーケットが始まるのでしょう。シュテファン寺院の前のウィーンの中心の広場 by あおしさんシュテファン広場 広場・公園
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シュテファン大聖堂の内部。
大きな聖堂なので内部も美しさと荘厳さに圧倒されます。 -
大きな祭壇です。
背後のステンドグラスも素晴らしい美しさです。 -
シュテファン広場から歩いて市立公園へ。
ヨーロッパの都市には街中に広い公園が当たり前のようにあります。
どこかの国にも見習ってほしいものです。市立公園 広場・公園
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この公園の中にあるヨハン・シュトラウスの像。
ヨハン・シュトラウスは父の1世、子の2世、その甥の3世と3人いますが、一般には一番有名なのはヨハン・シュトラウス2世です。
「美しく青きドナウ」「皇帝円舞曲」などを作曲し、「ワルツ王」「ウィーンの太陽」「もう1人の皇帝」と称されました。
彼の死後、この像は作られ始めましたが、その最中に皇太子暗殺事件(サラエボ事件)が起こり、第一次世界大戦の突入。
第一次世界大戦で敗戦国になったオーストリア・ハプスブルグ帝国は崩壊しました。
「ヨハン・シュトラウスとともに、ハプスブルク帝国も死んだ」とも言われました。市立公園の中にある金色の像です。 by あおしさんヨハン シュトラウス像 モニュメント・記念碑
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市立公園を出て、歩いていくと、小さな公園にベートーヴェンの銅像がありました。
ただ、モーツアルトは王宮の庭園、ヨハン・シュトラウスは広大な市立公園の中に像があるのに、ベートーヴェン像はこんな小さな公園にあるのは意外でした。
何かゆかりの地とかなんでしょうか。アカデミー劇場の前にある小さな公園 by あおしさんベートーヴェン広場 広場・公園
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歩いて、ウィーンの3大宮殿の1つ、「ベルヴェデーレ宮殿」にやってきました。
ここはハプスブルグ・オーストリアを支えた名将、オイゲン公の邸宅だったところです。
彼は遺族がいなかったため、彼の死後、マリア・テレジアに贈与され、ハプスブルグ家の宮殿となりました。ベルヴェデーレ宮殿 城・宮殿
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ベルヴェデーレ宮殿は上宮と庭園を下ったところにある下宮の2つの宮殿があります。
上宮から下宮を見下ろす庭園からの景色はとても美しい眺め(ベルヴェデーレ)です。 -
まずは上宮から。
入り口です。
古代ローマを思わせる大理石で作られた彫像が美しい玄関です。 -
この宮殿の中央メインの広間、大理石の間。
オイゲン公が贅を尽くした広間だったのでしょう。 -
宮殿の中の礼拝堂。
この当時の宮殿や邸宅には礼拝堂があるのが当然なようです。
それだけキリスト教への信心が深かったのでしょう。
黄金の装飾の美しい礼拝堂で入ることはできません。
ガラス越しに見るだけです。 -
現在この宮殿は美術館になっています。
20世紀末のウィーンのゆかりのある絵画が多く展示されています。 -
この美術館の目玉な、なんといってもグスタフ・クリムト(1862~1918)の作品。
日本の明治時代、ハプスブルグ・オーストリアの末期の画家です。
日本の浮世絵から強く影響を受けたとされ、金箔を多く多用した画風が特徴的な人です。
特にこの「接吻」(1908年)は彼の晩年代表作で、パリのルーブル美術館のモナ・リザ並みに多くの人が集まっていました。 -
これも有名なクリムトの作品、「ユディト」。
1901年の作品で、このころから日本の浮世絵の影響を受けて金箔を多く使い始めたようです。 -
クリムトの若いころの絵。
まるで写真のような写実的な美しい作品です。
クリムトもこういう絵を描いていたのは意外でした。
「接吻」より私はこちらの方が好きかも。 -
クリムトの絵は多数展示されていましたが、見慣れた画風の絵が。
やはりゴッホでした。 -
よく見る『アルプスを越えるナポレオン』もありました。
ナポレオンの敵だったハプスブルグ・オーストリアになんでまた?と思いましたが、この作品は作者のルイ・ダヴィッドは5枚似たような作品を作成しており、そのうちの1枚が最終的にここにたどり着いたようです。 -
この美術館のクリムトと並ぶ目玉がエゴン・シーレ(1890~1918)。
28歳の若さで「スペイン風邪」で亡くなった天才画家です。
もっとも私はあまり彼の絵は好きではないです。
どこかいいのかよくわかりません。 -
11月のウィーンは4時には日が落ちて真っ暗になってしまいます。
夜のベルヴェデーレ宮殿・上宮。
絵画を見ていたら時間がかかってしまい、下宮は閉館してしまいました。
後日来るとしましょう。
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